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みんなの「旧日本軍」ブログ

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サルミ転進作戦出発点のゲニェム。マルティヌス氏が語る2 WWCR Marthinus Buaim
サルミ転進作戦出発点のゲニェム。マルティヌス氏が語る2 WWCR Marthinus Buaim パプア州の州都ジャヤプラ西方およそ60Kmに位置するゲニェム(Genyem)。センタニ湖(Danau Sentani)の西端にあたるブロワイ(Broway・日本軍はブルワイと呼称)からは約24Km西方。西部ニューギニア戦を語るとき、忘れることのできない地名だ。昭和19(1944)年4月、連合国軍がホランジア(現在のジャヤプラ)に上陸。 ...続きを見る

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2016/02/21 00:00
サルミ転進作戦出発点のゲニェム。マルティヌス氏が語る WWCR Marthinus Buaim
サルミ転進作戦出発点のゲニェム。マルティヌス氏が語る WWCR Marthinus Buaim パプア州の州都ジャヤプラ西方およそ60Kmに位置するゲニェム(Genyem)。センタニ湖(Danau Sentani)の西端にあたるブロワイ(Broway・日本軍はブルワイと呼称)からは約24Km西方。西部ニューギニア戦を語るとき、忘れることのできない地名だ。昭和19(1944)年4月、連合国軍がホランジア(現在のジャヤプラ)に上陸。 ...続きを見る

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2016/02/20 00:00
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ7Bunker Jepang di Pulau Doom
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ7Bunker Jepang di Pulau Doom いわゆる“ニューギニア戦”については、東部の第18軍(安達二十三中将)や西部の第2軍(豊嶋房太郎中将)と連合国軍との戦闘に関する史料や戦誌が、その中核を占めているが、開戦初期の海軍陸戦隊による“ニューギニア占拠”については、関連資料・史料が極めて少ない。 ...続きを見る

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2016/02/09 00:00
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ6Bunker Jepang di Pulau Doom
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ6Bunker Jepang di Pulau Doom 西パプア州の州都ソロン(Sorong)市の西方沖に浮かぶドーム島(かつて日本軍はソロン島と呼んだ)に、ほぼ原形をとどめて散在する日本帝国海軍が建造設置したと推定される計12基のトーチカ群。日本軍侵攻以前に、当地を植民地支配していたオランダが造ったトーチカも少なくとも三つある。 ...続きを見る

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2016/02/08 00:00
旧日本軍ホランジア飛行場がインドネシア空軍基地に2 Nasib Bandara Hollandia 
旧日本軍ホランジア飛行場がインドネシア空軍基地に2 Nasib Bandara Hollandia  昨年11月18日付けでリポートした、西部ニューギニア(インドネシア最東端のパプア州&西パプア州)のパプア州都ジャヤプラ近郊に今も残る、旧日本海軍が設定した「ホランジア飛行場」。インドネシア空軍(AURI)がこの飛行場跡地に、新空軍基地を建設予定と伝えたが、数日前に現地から送られてきた動画によれば、具体的な建設着工日は未定で、その代わり、ジャヤプラ県とAURIの共同プロジェクトとして、野外音楽コンサート会場ができたという。 ...続きを見る

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2016/01/27 00:00
西部ニューギニア・サトウ姓を名乗る12世帯 Marga Sato di Papua
西部ニューギニア・サトウ姓を名乗る12世帯 Marga Sato di Papua 西部ニューギニア(現インドネシア共和国のパプア州&西パプア州)は、太平洋戦争の激戦地の一つ。昭和19(1944)年4月22日、連合軍は事前の大空爆と艦砲射撃に次いで、当時ホランジア(現パプア州都のジャヤプラ)と呼ばれた東経141度のちょっと西の港湾に上陸した。と同時にサイクロップ(現在ではインドネシア語の呼び方としてチクロップ)の西端部にあたるタナメラ湾(Teluk Tanah Merah・現在のデパプレ=Depapre)にも同時上陸を敢行した。 ...続きを見る

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2016/01/08 00:00
PAMIC=パミック=アジア太平洋戦争行方不明者情報センター設立
PAMIC=パミック=アジア太平洋戦争行方不明者情報センター設立 設立準備に忙殺され、報告が半年ばかり遅れましたが、去る7月30日、筆者が理事の一人として参画する「太平洋学会」に、新たな研究部会が発足した。名称は『PAMIC(Pacific Asia MIA Information Center)=パミック=アジア太平洋戦争行方不明者情報センター)』。MIAとは「Missing In Action」の略で、『作戦行動中行方不明』、『戦闘中行方不明』を意味する。 ...続きを見る

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2015/12/31 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(37) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(37) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/12/01 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(36) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(36) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/30 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(35) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(35) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/29 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(34) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(34) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/28 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(33) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(33) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/27 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(32) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(32) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/26 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(31) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(31) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/25 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(30) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(30) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/24 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(29) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(29) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/23 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(28) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(28) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/21 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(27) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(27) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/20 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(26) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(26) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/19 00:00
旧日本軍ホランジア飛行場がインドネシア空軍基地に Nasib Bandara Hollandia 
旧日本軍ホランジア飛行場がインドネシア空軍基地に Nasib Bandara Hollandia  戦後70年。そして来月の8日は、太平洋戦争開戦74周年。激戦地の一つである、西部ニューギニアの友人から、携帯電話のカメラで撮影した短いビデオが届いた。パプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)西方に位置するセンタニ湖北岸の台地に、戦時中に日本軍が設定した飛行場の跡地に、近くインドネシア空軍の航空基地が建設されるという情報だ。 ...続きを見る

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2015/11/18 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(25) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(25) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/17 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(24) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(24) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/16 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(23) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(23) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/15 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(22) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(22) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/14 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(21) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(21) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/13 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(20) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(20) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/12 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(19) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(19) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/11 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(18) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(18) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/10 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(17) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(17) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/09 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(16) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(16) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/08 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(15) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(15) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/07 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(14) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(14) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/06 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(13) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(13) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/05 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(12) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(12) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/04 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(11) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(11) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/03 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(10) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(10) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/02 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(9) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(9) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/11/01 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(8) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(8) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/10/31 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(7) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(7) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/10/30 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(6) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(6) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/10/29 00:00
旧日本兵が憑依したとされる謎の文字 Anak Indigo Manokwari (2)
旧日本兵が憑依したとされる謎の文字 Anak Indigo Manokwari (2) 前々日、西パプア州の州都マノクワリに住む“インディゴ少年”に関して報じたが、第二報が送られてきた。カラー画像と肉声だ。少年の肉声は、日本語を解する近所の住民が、「はい」などの相づちを打つ形で進行している。さらに、少年が「将軍?」と発言すると、そのあとで「将軍の前でした」などとも相づち。 ...続きを見る

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2015/10/28 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(5) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(5) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/10/27 00:00
旧日本兵が憑依したとされる謎の文字 Anak Indigo Manokwari
旧日本兵が憑依したとされる謎の文字 Anak Indigo Manokwari インドネシア東部の西パプア州(Provinsi Papua Barat)。州都マノクワリ(Manokwari)でマグロ漁を生業とする知人から幾枚かの画像が送られてきた。その前にメールが来た。『Anak Indigo(インディゴ・チルドレン)の存在を信じますか?もしも信じてくれるのならば、知り合いの少年が手書きした、おそらく日本語と思われる記述を送ります』と。 ...続きを見る

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2015/10/26 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(4) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(4) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/10/25 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(3) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(3) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/10/24 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(2) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(2) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/10/23 00:00
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(1) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部
Jayapura, Arso, Sentani, PAPUA(1) パプア州ジャヤプラ、アルソ周辺部 インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)は、ニューギニア島の東経141度を境に西半分の、いわばインドネシア領ニューギニア。かつては西イリアン(Irian Barat)、その後イリアンジャヤ(Irian Jaya)と呼ばれていたが、現在では東のパプア州と西の西パプア州の二つの州がある。本当は中パプア州も法的には存在しているのだが、未だ実現はしていない。そればかりか、将来的には、西南パプア州や南パプア州の分割・誕生も視界内に入っている。 ...続きを見る

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2015/10/22 00:00
Yokiwa & Puay, Sentani Lake センタニ湖のヨキワ&プアイ村(3)
Yokiwa & Puay, Sentani Lake センタニ湖のヨキワ&プアイ村(3) インドネシア最東端のパプア州(西部ニューギニアの東半分)。州都ジャヤプラ(先の大戦中は、オランダ植民地の行政地名に基づいてホランジア「Hollandia」と呼称)から西のセンタニ湖方向へ。そして現在はウェナ(Wena)と呼ばれる、旧コヤブからセンタニ湖(Danau Sentani)沿いに南下。湖の南端付近に細長い半島部がある。そこにプアイ(Puay)村が位置する。 ...続きを見る

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2015/10/13 00:00
Yokiwa & Puay, Sentani Lake センタニ湖のヨキワ&プアイ村(2)
Yokiwa & Puay, Sentani Lake センタニ湖のヨキワ&プアイ村(2) インドネシア最東端のパプア州(西部ニューギニアの東半分)。州都ジャヤプラ(先の大戦中は、オランダ植民地の行政地名に基づいてホランジア「Hollandia」と呼称)から西のセンタニ湖方向へ。そして現在はウェナ(Wena)と呼ばれる、旧コヤブからセンタニ湖(Danau Sentani)沿いに南下。湖の南端付近に細長い半島部がある。そこにプアイ(Puay)村が位置する。 ...続きを見る

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2015/10/12 00:00
Yokiwa & Puay, Sentani Lake センタニ湖のヨキワ&プアイ村(1)
Yokiwa & Puay, Sentani Lake センタニ湖のヨキワ&プアイ村(1) インドネシア最東端のパプア州(西部ニューギニアの東半分)。州都ジャヤプラ(先の大戦中は、オランダ植民地の行政地名に基づいてホランジア「Hollandia」と呼称)から西のセンタニ湖方向へ。そして現在はウェナ(Wena)と呼ばれる、旧コヤブからセンタニ湖(Danau Sentani)沿いに南下。湖の南端付近に細長い半島部がある。そこにプアイ(Puay)村が位置する。 ...続きを見る

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2015/10/11 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(110) Bandara DaiNippon(110)ボルネオ島
2008年12月2日に連載を開始した『東部インドネシアの旧日本軍航空基地(Bandara Dai Nippon)』シリーズは、 西部ニューギニアのバボ(Babo)を第1号に、2009年5月19日のボルネオ島の第108号まで回を重ね、以降、ロテ島の伝統楽器ササンドゥ特集や『ニューギニア未帰還兵展』などのシリーズのため中断していた。太平洋戦争の開戦から68周年。ますます遠のく“先の大戦”の記憶。たとえ幾万の旧日本軍将兵・軍属の遺骨が、特に西部ニューギニア周辺域に、現在まで“放置”されたまま... ...続きを見る

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2009/12/31 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(109) Bandara DaiNippon(109)ボルネオ島
2008年12月2日に連載を開始した『東部インドネシアの旧日本軍航空基地(Bandara Dai Nippon)』シリーズは、 西部ニューギニアのバボ(Babo)を第1号に、2009年5月19日のボルネオ島の第108号まで回を重ね、以降、ロテ島の伝統楽器ササンドゥ特集や『ニューギニア未帰還兵展』などのシリーズのため中断していた。太平洋戦争の開戦から68周年。ますます遠のく“先の大戦”の記憶。たとえ幾万の旧日本軍将兵・軍属の遺骨が、特に西部ニューギニア周辺域に、現在まで“放置”されたまま... ...続きを見る

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2009/12/30 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(108) Bandara DaiNippon(108)ボルネオ島
英領ボルネオ時代にジェッセルトン(Jesselton)と呼ばれていた、今日のコタキナバル(Kota Kinabalu)。マレーシアのサバ(Sabah)州の州都所在地だ。戦前の北ボルネオの中心地はサンダカン(Sandakan)だったが、戦後の1947年、マラヤ連邦の結成に伴って、英領北ボルネオの首都はジェッセルトンへと移された。 英領ボルネオ域は,太平洋戦争開戦直後の昭和16年(1941)12月、歩兵第35旅団長川口清健少将指揮下の部隊によって占拠された。12月16日、川口支隊(第... ...続きを見る

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2009/05/19 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(107) Bandara DaiNippon(107)ボルネオ島
日本軍のボルネオ(Borneo)島(注:インドネシアはカリマンタン=Kalimantanと表記)占領は、今日のインドネシア領域に限らず、全島にわたった。今日のマレーシアのサラワク(Sarawak)そしてサバ(Sabah)、さらにブルネイ(Brunei)も瞬く間に占拠された。 ボルネオ島の北東端に位置するサンダカンは、戦前、英国領ボルネオの中心都市として栄えていた。同地を占拠した日本軍は、戦争捕虜となったイギリス兵と豪州兵を使役して、サンダカン飛行場の建設を行った。サンダカンには日... ...続きを見る

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2009/05/18 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(106) Bandara DaiNippon(106)ボルネオ島
西カリマンタン(Kalimantan Barat=Kalbar)州にある主用空港は計8ヵ所。東部の、カプアス川源流部に近い最奥部のプツシバウ(Putussibau)には、パンスマ(Pangsuma)空港がある。滑走路の規模は1,400 X 23mでF-27型機やATR-42型機が就航。カプアス川中流域のシンタン(Sintang)には、1,300 X 30mの滑走路を持つスシロ(Susilo)空港があり、C-212型機の離着陸が可能。また、シンタン西方のサンガウ(Sanggau)付近... ...続きを見る

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2009/04/04 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(105) Bandara DaiNippon(105)ボルネオ島
13県と1都市から成る中カリマンタン州(Kalimantan Tengah=Kalteng)の主要空港は計9個。北側から、ムルン・ラヤ(Murung Raya)県の県都プルックチャフ(Purukcahu)付近にあるディルン(Dirun)空港。滑走路の規模は850 X 23mでC-212型機が県都から就航。北バリト(Barito Utara)県の県都ムアラテワ(Muaratewah)のブリンギン(Beringin)空港。900 X 23mの滑走路でC-212型機が離着陸可能。南バ... ...続きを見る

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2009/04/03 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(104) Bandara DaiNippon(104)ボルネオ島
南カリマンタン(Kalimantan Selatan=Kalsel)州には主なもので計5個の飛行場がある。州都のバンジャルマシン(Banjarmasin)のシャムスディン・ヌール(Syamuudin Noor)国際空港。北東部にタンジュン・ワルキン(Tanjung Warukin)空港(滑走路の規模は1,300 X 30m)。東部のラウト(Laut)島には二ヶ所。中心都市のコタバル(Kotabaru)近辺にスタゲン(Stagen)空港と、島中部にメカール・プティ空港。さらに、同島の... ...続きを見る

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2009/04/02 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(103) Bandara DaiNippon(103)ボルネオ島
4州から構成されるカリマンタン(ボルネオ)島の中でも、東カリマンタン州(Propinsi Kalimantan Timur=Kaltim)は天然資源の観点から最も豊かな州だ。例えばボンタン(Bontang)ガス田は、その昔から日本の液化天然ガス需要に応えてきた。日本企業による原油開発も行われ、また石炭の輸出でも知られる。大東亜戦争で蘭印(オランダ領インドネシア)に侵攻した日本軍が、まず最初に同州東北部に位置する石油基地であるタラカン(Tarakan)島を攻略し、次いで石油精製基地が... ...続きを見る

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2009/04/01 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(102) Bandara DaiNippon(102)ボルネオ島
タラカン島攻略作戦を終えた坂口支隊(混成第56歩兵団長坂口靜夫少将)は、昭和17(1942)年1月24日、日本時間午前零時四〇分、バリックパパン(Balikpapan)東方のマンガール(Manggar)飛行場付近の海岸に上陸。同日中に飛行場並びに橋梁の占拠を果たした。翌25日午前四時、戦闘を交えることなく日本軍はバリックパパン市街へ突入した。バリックパパン攻略作戦は、タラカン島同様に陸海軍協同作戦だった。バリックパパンは、近くのサマリンダ(Samarinda)やサンガサンガ(San... ...続きを見る

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2009/03/30 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(101) Bandara DaiNippon(101)タラカン島
太平洋戦争(大東亜戦争)の開戦。蘭印(オランダ領インドネシア)の豊かな石油を始め、天然資源獲得を第一義に、ハワイ真珠湾奇襲攻撃の成功を受け、日本軍は南方攻略作戦に着手した。すでに占領したフィリピンのミンダナオ島を根拠地に、蘭印への第一歩は、セレベス(スラウェシ)島北端のマナド(Manado・メナド)、そしてボルネオ(カリマンタン)島東岸のタラカン(Tarakan)島並びにバリックパパン(Balikpapan)に対する上陸作戦だった。 昭和17(1942)年1月11日、日本時間零時... ...続きを見る

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2009/03/29 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(100) Bandara DaiNippon(100)スラウェシ
南スラウェシ(Sulawesi Selatan)州そして南東スラウェシ(Sulawesi Tenggara)州、さらに西スラウェシ(Sulawesi Barat)州には、主用空港が計12ヵ所ある。西スラウェシ州のマムジュ(Mamuju)のタンパ・パダン(Tampa Padang)空港は、滑走路規模が長さ1,500m、幅30mでC-212型機が就航。南スラウェシ州には、北部の北ルウ県の県都マサンバ(Masamba)近辺に3ヵ所の空港がある。まず、マサンバのアンディ・ジェマ(Andi ... ...続きを見る

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2009/03/26 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(99) Bandara Dai Nippon(99)スラウェシ3
スラウェシ島の北半分に位置する北スラウェシ州、ゴロンタロ州、そして中スラウェシ州の3州で現在使用されている空港は、主なもので計8ヵ所。マナドのサムラトゥランギ(Samratulangi)飛行場は、滑走路の長さが2,650m、幅45m。B-737型機が就航。ボラアン・モンゴンドウ(Bolaang Mongondow)県にあるモパティ(Mopati)空港は、650m X 23mの滑走路規模で、C-212型機の離着陸が可能。ゴロンタロ(Gorontalo)のジャラルディン(Djalalu... ...続きを見る

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2009/03/25 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(98) Bandara Dai Nippon(98)スラウェシ2
北セレベス(スラウェシ)の北端のマナド(Manado・メナド)とフィリピンのミンダナオ島との間に点在するサンギヘ(Sangihe)諸島やタラウド(Talaud)諸島は、開戦当初は、海軍陸戦隊によって占拠されたが、戦況の悪化に伴い、第2軍(豊嶋房太郎中将)隷下で、ハルマヘラ(Halmahera)島の守備にあたった第32師団(石井嘉穂中将)の一部部隊が、昭和19(1944)年5月、タラウド地区隊(地区隊長は師団衛生隊長の木場茂大佐)として送り込まれた。同地区隊の構成は、歩兵第211連隊... ...続きを見る

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2009/03/24 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(97) Bandara Dai Nippon(97)スラウェシ島
昭和20(1945)年2月、終戦まであと半年。セレベス(スラウェシ)島の航空地区部隊は、漸次その収縮整理に動き始めた。北セレベスのマパンゲット(Mapenget)、ランゴアン(Langoan/Langowan)、アムラン(Amurang)などの飛行場は、それまで、陸軍第7飛行師団によるハルマヘラ島方面への出撃基地を担っていたが、1945年2月、第4野戦飛行場設定部(難波了三大佐)の約2,000名は、3月から南セレベスのマカッサルへと徐々に後退を始めた。最終的に合計約3,500名が三... ...続きを見る

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2009/03/23 00:00
西部ニューギニアから108人の旧日本兵の遺骨が祖国へ(Kembali ke Tanah Air)
2009年3月19日、午前10時30分。メディアが、そして日本中が熱い視線でワールド・ベースボール・クラシックの日本・キューバ戦の開始を待つおよそ1時間半前、東京・霞が関の厚生労働省2階の共用第6会議室には、64年ぶりに祖国・日本へ戻る旧日本兵108人の遺骨を待つ、無言の人々がいた。この日、日本政府がパプア州(インドネシア領西部ニューギニア)へ派遣した「インドネシア戦没者遺骨収集応急派遣団(厚生労働省社会援護局援護企画課・外事室専門官山岸和司団長以下計8名)」による遺骨引渡式並びに... ...続きを見る

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2009/03/21 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(96) Bandara Dai Nippon(96)マナド2
昭和17(1942)年1月11日、日本時間午前9時52分。フィリピンのミンダナオ島ダバオを28機に分乗して南下した、海軍第11航空艦隊(塚原二四三中将)隷下の1001部隊(横須賀第1特別陸戦隊・横一特・堀内豊秋中佐)は、セレベス(Celebes・スラウェシ=Sulawesi)島北端の要衝、メナド(Manado・マナド)南方のランゴアン(Langoan/Langowan)にパラシュート降下。堀内中佐が高度およそ150mからまず降下、これに2コ中隊計333名の“空の神兵”が続いた。これ... ...続きを見る

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2009/03/20 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(95) Bandara Dai Nippon(95)マナド
北スラウェシ(セレベス)のメナド(マナド・Manado)は、大東亜戦争の蘭印(オランダ領インドネシア)、特に西部ニューギニア方面、ハルマヘラ島、モロタイ島での“玉砕戦”に近い激戦を控え、作戦命令の“発信地”、別の言い方をすれば、帝国陸軍の“頭脳”の地だった。ここには、中部ニューギニア北岸の要衝ホランジア(Hollandia・現ジャヤプラ=Jayapura)への連合軍上陸(1944.4.22)を受け、昭和19(1944)年4月26日、第2方面軍(阿南惟幾大将)司令部が、フィリピン・ミ... ...続きを見る

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2009/03/19 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(94) Bandara Dai Nippon(94)マカッサル2
西部ニューギニアのホランジア(Hollandia・現ジャヤプラ=Jayapura)、そしてワクデ(Wakde)島とサルミ(Sarmi)、さらにビアク(Biak)島、ヌンホル(Numfor)島、サンサポール(Sanapor)、モロタイ(Morotai)島と、猛スピードの飛び石作戦で西進・上陸を遂げてきた連合軍。 セレベス(スラウェシ)島南部は、ある意味で、日本軍の東部蘭印における“最後の砦”となった。昭和19(1944)年9月、セレベスにあった航空基地の幾つかはまだ機能していたが、... ...続きを見る

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2009/03/18 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(93) Bandara Dai Nippon(93)マカッサル
戦中、マカッサル(Makassar)には南西方面海軍民政府が置かれ、セレベス(Celebes/スラウェシ=Sulawesi)、ボルネオ(Borneo/カリマンタン=Kalimantan)、セラム(Seram)の3地域の民政府を下部組織とした。セレベス民政府(マカッサル)は、直轄州とメナド(Manado)州知事庁に区分され、ボルネオ民政府(バンジェルマシン=Banjermasin)は、直轄州とポンティアナック(Pontianak)州知事庁、バリクパパン(Balikpapan)州知事庁... ...続きを見る

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2009/03/17 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(92) Bandara Dai Nippon(92)ケンダリ3
ムナ(Muna)島の飛行場設定は、第1野戦飛行場設定司令部(松崎今朝松大佐)が昭和18(1943)年11月に着工し、すでにあった飛行場を補修した後、別の新設飛行場の工事に取り掛かった。しかし、松崎大佐は、12月10日、スンバ島へ移動した。これは、同年年11月末に、第2方面軍(阿南惟幾大将)が第19軍(北野憲造中将)に命じたもので、第110野戦飛行場設定隊(伊藤稔中佐)を指揮し、ワイコロ(Waikolo)で“スンバ島航空要塞”の建設任務に就いた。以降、ムナ島の飛行場設定は、第16軍の... ...続きを見る

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2009/03/16 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(91) Bandara Dai Nippon(91)ケンダリ2
開戦から1年と4ヵ月。昭和18(1943)年4月上旬、大本営陸海軍部は、南太平洋方面に対する作戦の根拠地を、東部蘭印(東部インドネシア)域に求めることを計画した。つまり、フィリピン南部や、セレベス(Celebes・スラウェシ=Sulawesi)北部、そしてハルマヘラ(Halmahera)島を、補給並びに修理の役割を演じる飛行場群基地する発想であった。特に、東部インドネシア域を“民政(海軍の軍政)”地域とする海軍は、セレベス島のケンダリ(Kendari)と西部ニューギニアの北西端(つ... ...続きを見る

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2009/03/15 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(90) Bandara Dai Nippon(90)ケンダリ
昭和18(1943)年1月時点で、セレベス(Celebes・スラウェシ=Sulawesi)島には、3個の日本軍飛行場があった。北端のメナド(Manado・マナド)、そして南東部のケンダリ(Kendari)、そして南西のマカッサル(Makassar)。いずれも海軍が修復・設営したものだった。同年2月16日には、蘭印(オランダ領インドネシア・現在のインドネシア共和国)のほぼ全域を作戦地域とする陸軍第7飛行師団(須藤榮之助中将)が編成され、シンガポールを本部とする陸軍第3航空軍(菅原道大... ...続きを見る

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2009/03/14 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(89) Bandara Dai Nippon(89)豪州6
終戦までおよそ1年半の昭和19(1944)年3月頃の、オーストラリア北西部における豪・連合軍航空部隊配置は、豪公刊戦史によれば、以下の通り。ダーウィン(Darwin)には豪第43飛行中隊(偵察・機雷の飛行艇カタリナ=Catalina)、そして英第54飛行中隊(戦闘機スピットファイアー・Spitfire)。ストラウス(Strauss)には豪第452中隊(スピットファイアー)。ヒューズ(Hughes・日本軍はフーヘスとも呼称)には豪第2中隊(偵察・爆撃のビューフォート/ボーフォート=B... ...続きを見る

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2009/03/07 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(88) Bandara Dai Nippon(88)豪州5
昭和18(1943)年5月、SWPA(南西太平洋方面連合軍)のダグラス・マッカーサー大将は、アラフラ海を越えて東部インドネシアに展開する日本軍部隊と対峙するよりも、その海軍力を活かして、ニューギニア北岸方面を攻略すべきとの判断に達した。この決断に基づいて、RAAF(豪空軍)は、ダーウィン方面から東部インドネシアの日本軍根拠地の空襲を強化し、日本軍の緊張と関心を豪州北部に引き寄せる心理作戦を演じた。また、偽情報を敢えて流すことによって、日本軍を牽制した。一方、日本軍は、スパイの豪州潜... ...続きを見る

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2009/03/06 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(87) Bandara Dai Nippon(87)豪州4
ティモール(Timor)島は、天然資源地帯であるインドネシア西部を確保し続けるために、日本軍にとって対連合軍守備の最前線だった。昭和17(1942)年3月、ジャワ島攻略作戦に参加後、西部ティモールの要衝クーパン(Kupang)に進出していた海軍第23航空戦隊(竹中龍造少将)は、同月16日から4月5日の間、ダーウィン(Darwin)を空爆し、22日にはダーウン南東約275km内陸部に位置するカセリン(Katherine)飛行場を、また3月20日には北西部のブルーム(Broome)を、... ...続きを見る

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2009/03/05 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(86) Bandara Dai Nippon(86) 豪州3
開戦から3ヵ月、昭和17(1942)年3月時点で、オーストラリア北西部に対する日本軍侵攻の可能性はあるかないか?この点に関して、米軍公刊戦史は、次のように述べている。「日本軍のトレス海峡方面一挙突進の算は少なく、まずニューギニア南岸のメラウケ付近を占領し、逐次、東進する確率が大きいとみなしていた。メラウケには、一月以来、歩兵一大隊だけであったが、四月〜五月に豪軍一コ旅団主力が増派された。豪州西部には、一機械化師団と三コ旅団が配備されていた。パース方面はあまり危険視していなかった」(... ...続きを見る

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2009/03/04 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(85) Bandara Dai Nippon(85)豪州2
真珠湾奇襲攻撃に始まる「大東亜戦争」の快進撃。アメリカ軍をフィリピンから追いだし、英蘭の降伏によるマレー半島並びに蘭印(オランダ領インドネシア)の占拠。こうして、日本軍はフィリピン・オーストラリア間を遮断し、“念願”のスマトラ島の大石油生産地帯であるパレンバン(Palembang)も制圧し、順風満帆の大東亜共栄圏構想を推し進める最初の基盤を固めた。初期の快進撃に自信を深めた海軍は、オーストラリア進攻論を謳うようになる。やがて連合軍の抗日拠点となるであろう豪州を、その芽が出る前に摘み... ...続きを見る

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2009/03/03 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(84) Bandara Dai Nippon(84) 豪州
東部インドネシアの島々に多くの飛行場を設定した日本軍は、連合軍の反撃を遅らせるために、オーストラリア北部を中心に建設された連合軍の飛行場に対する空爆を繰り返した。日本軍による初めての対豪爆撃は、艦載機約100機による昭和17(1942)年2月19日のダーウィン(Darwin)に対する攻撃だった。その翌日、日本軍は、蘭領ティモール島のクーパン(Kupang)、そしてポルトガル領のディリ(Dili)へ同日上陸を敢行した。記録によれば、大戦中、日本軍は計64回のダーウィン並びに周辺の飛行... ...続きを見る

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2009/03/02 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(83) Bandara Dai Nippon(83)モロタイ島
「珊瑚礁が突起して出来上がった南方の島々で、普通の土地のように土を掘って、艦砲射撃に対抗し得るような防禦陣地が出来ると思って居たのは、大変な不覚で、之は容易なわざでないということが、上陸早々気がついた。(中略)モロタイというハルマヘラ北方の湾内を扼して居る小さな島は、戦略的にはどうしても保有したいという部隊長としての希望と、右の事情は、私を大に煩悶せしめた。(中略)この時方面軍から、モロタイを捨てハルマヘラ本島保有に専念すべき旨の命令があったので、私はホットすると共に、指揮官は正に... ...続きを見る

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2009/02/26 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(82) Bandara Dai Nippon(82)モロタイ島
連合軍は、昭和19(1944)年9月15日、モロタイ島最南端のギラ(Gila)岬付け根付近のピトゥ(Pitoe)に上陸、17日には島東南のサンゴウォ(Sangowo)、島中西部のワヤブラ(Wajabola)、ティライ(Tilai)に上陸した。19日には、島最北端のソピ(Sopi)岬、パダンギ(Padangi)付近へ上陸、さらに21日、モロタイ島西部に浮かぶラウ(Raoe)島へも上陸を果たした。ピトゥには後に、上空から見るとあたかも星条旗のような形状の大規模な連合軍飛行場が建設された... ...続きを見る

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2009/02/25 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(81) Bandara Dai Nippon(81)ハルマラ島
スラウェシ島のミニ版とも映る“K”字形のハルマヘラ島。島の至るところに日本軍が飛行場を造り、大本営が略して「春(ハル)」とも呼んだ地は、まさに島全体が“戦争博物館”。モロタイ島の南部には“星条旗”にも喩えられる形の、連合軍が建設した巨大飛行場跡も残っている。そこで、北マルク州(Propinsi Maluku Utara=Malut)の各県は、これら「兵どもが夢の跡」をマリンリゾートと並んで観光の目玉に掲げている。 これはハルマヘラ島に限ったことではない。西部ニューギニア、セラム島、ア... ...続きを見る

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2009/02/24 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(80) Bandara Dai Nippon(80)ハルマヘラ島
ハルマヘラ島周辺部の防衛を目的に、昭和19(1944)年5月初旬上陸した第32師団(石井嘉穂中将)の地上部隊配備は、海軍第26特別根拠地隊司令部が置かれたカウ、そして第1野戦根拠地隊司令部が置かれたワシレの両湾周辺部に集中していて、モロタイ(Morotai)島には第2遊撃隊(川島威伸少佐・台湾の山地出身兵で編成・4個中隊約450名)のみが配備された。この背景には、昭和19(1944)年7月4日の第2方面軍(阿南惟幾大将)の戦略判断があった。同方面軍は「主力をもってワシレ、ガレラ、ト... ...続きを見る

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2009/02/23 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(79) Bandara Dai Nippon(79)ハルマヘラ島
昭和19(1944)年初頭、カウ(Kaoe/Kao)には、海軍の第26特別根拠地隊司令部が置かれ、前年(1943)10月10日編成の、第4南遣艦隊所属の海軍第224設営隊(大津敏春技術大尉)や第102海軍施設部などの手で飛行場1個が概成し、さらに第2滑走路の造成に着手していた。『海軍設営隊の太平洋戦争(佐用泰司著・光人社)』によれば、ハルマヘラ(Halmahera)島に派遣された海軍設営隊は以下の通り。昭和17(1942)年3月20日編成の、連合艦隊所属の臨時設営班(第一班:池内利治技... ...続きを見る

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2009/02/22 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(78) Bandara Dai Nippon(78)ハルマヘラ島
ガレラ(Galera)飛行場の一つの滑走路(長さ1,500m、幅100m)は、南方軍から派遣された第3船舶輸送司令部員の白木久雄中佐指揮下の、第7飛行師団参謀部附武松哲夫大尉指揮下の派遣班の手で昭和18(1943)年9月概成され、富臨時第1設定隊(注:第25軍から派遣され、同年12月末、第120野戦飛行場設定隊となる)の工事継続によって完成した。この設定には、地元住民千数百名が動員された。第120設定隊は、続いてガレラ第2滑走路(長さ1,500m、幅100m)の造成に着手、さらに、... ...続きを見る

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2009/02/21 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(77) Bandara Dai Nippon(77)ミチ
昭和17(1942)年中旬には、白木久雄工兵中佐指揮下の南方軍派遣隊の手で、すでにハルマヘラ島で基地建設が始まっていた。ハルマヘラ、北セレベス(スラウェシ)、サンギヘ、タラウド方面の基地建設と防衛を担った陸軍の第1野戦根拠地隊司令官(武田壽少将)は、フィリピンのマニラで第2方面軍(阿南惟幾大将)の命令を受け、昭和18(1943)年11月、ハルマヘラ島北部のガレラ(Galera)経由で、ワシレ(Wasile)に到着、同司令部を開設した。揚陸施設、道路、宿舎、物資集積場などの建設はもち... ...続きを見る

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2009/02/20 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(76) Bandara Dai Nippon(76)ハルマヘラ島
現在は北マルク州(Propinsi Maluku Utara)に属するハルマヘラ島(Pulau Halmahera)で、日本軍は判明しているだけでも計11個の飛行場を造成・設定した。昭和18(1943)年9月末に合意された中・南太平洋方面作戦陸海軍中央協定によれば、当初ハルマヘラ島では、海軍がカウ(Kaoe/Kao)に2個、陸軍がガレラ(Galera)、ワシレ(Wasile)、ジャイロロ(Djailolo)、そしてラブハ(Labuha)に計4個の飛行場を新設する計画だった。 日本... ...続きを見る

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2009/02/19 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(75) Bandara Dai Nippon(75)バリ島
年間およそ200万人の外国人観光客で賑わう“神々の島(Pulau Dewata)”バリ島。バリ州政府統計局の発表によれば、2008年同島を訪れた観光客は1,992,299人。そして見事(!?)第一位の誉に輝いたのは日本人。その数、359,827人。全体の18,06%を占める。この数値は、前年比で見ると、2.21%(7,789人)の増加だそうだ。ちなみに、第二位はオーストラリア人観光客で、その数313,313人(見事な並びの数値!)。これは、前年比なんと52.68%ものアップだったと... ...続きを見る

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2009/02/18 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(74) Bandara Dai Nippon(74)スンバワ島
小スンダ列島では、フローレス島の2個の新設飛行場(マウメレとバビ)を陸軍が担当。スンバ島では、海軍が東部のワインガプとメロロ付近に計3個、西部地区のワイコロには陸軍が1個(滑走路は計3本か?)新設飛行場を開いた。そしてスンバワ島では、海軍が2個(ビマとランバン=現スンバワ・ブサール)造成した。 ...続きを見る

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2009/02/16 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(73) Bandara Dai Nippon(73)スンバワ島
バリ(Bali)島の東のロンボク(Lombok)島のさらに東。そこにスンバワ(Sumbawa)島がある。日本軍(海軍)はここに2個の飛行場を建設した。スンバワ島は、他の小スンダ列島(ティモール島を除く)同様に、当初は海軍の作戦・管轄エリアだった。昭和17(1942)年5月、海軍第16戦隊指揮下の部隊と共に、ジャワ島を占領していた第16軍(今村均中将)隷下の第48師団(海兵団・土橋勇逸中将)の第47連隊第3大隊(宮地育三小佐)が、10日、ロンボク島へ上陸(藤田大尉指揮の約1個中隊)、... ...続きを見る

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2009/02/14 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(72) Bandara Dai Nippon(72)スンバ島
スンバ(Sumba)島のワインガプ(Waingapu)を含め、同島の東部地域における飛行場の建設は海軍によって行われたが、西部地域ではその任を陸軍が背負った。インド洋とティモール海を挟んで、連合軍の反撃拠点となったオーストラリアと対峙する小スンダ列島でも、日本軍による飛行場の設定が急がれた。ティモール島と同様に、スンバ島、フローレス島、スンバワ島、バリ島などで幾つもの滑走路が新設された。 昭和18(1943)年9月、大本営陸軍部の命令で、内地(日本)からジャワ島に到着した第1野戦... ...続きを見る

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2009/02/13 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(71) Bandara Dai Nippon(71)スンバ島
昭和17(1942)年10月時点で、スンバ(Sumba)島には海軍警備隊の兵が約300名駐屯していた。しかし大本営が同年10月15日、「大陸命第702号」を通じて、小スンダ列島全域とアラフラ海前線諸島(アルー=Aru、ケイ=Kei、タニンバル=Tanimbar諸島)を陸軍の警備地域と決めると、陸上の防衛は主として陸軍が、海域・航空防衛は主として海軍が担当することになった。さらに同年12月、大本営が、ティモール(Timor)島を含めスンダ海一帯を作戦地域とする第19軍(冨永信政中将・... ...続きを見る

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2009/02/12 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(70) Bandara Dai Nippon(70)フローレス島
フローレス(Flores)島には現在計6ヵ所に飛行場がある。西からコモド・ラブハンバジョ(Komodo Labuhanbajo)空港。フローレス島の西隣に位置する、世界自然遺産のコモドドラゴンが生息するコモド(Komodo)島へ渡るために最も近い空港だ。滑走路の長さは1,650m、幅は30mで、ジェット機のF-28型機が離着陸可能。次いで、マンガライ(Manggarai)県の県都であるルーテン(Ruteng)にあるサタルタチック(Satartacik)空港。滑走路の規模は長さ1,3... ...続きを見る

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2009/02/11 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(69) Bandara Dai Nippon(69)フローレス島
昭和18(1943)年9月30日、大本営は航空作戦に関して「中・南部太平洋方面陸海軍中央協定」を指示した。この中で、濠北(オーストラリア北方域)方面における航空基地整備に関する分担リストも発表した。それによれば、小スンダ列島では、スンバ(Sumba)島のワインガプ(Waingapu)に1ヵ所(海軍担当で概成)、さらにスンバ島に海軍担当で第1〜第4の計4ヵ所の新設。さらに陸軍担当でスンバ第5〜第6を新設。そしてスンバワ(Sumbawa)島では、ビマ(Bima)とランバン(現スンバワ・... ...続きを見る

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2009/02/10 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(68) Bandara Dai Nippon(68)フローレス島
ティモール島で飛行場の新設や拡張を終えた第4野戦飛行場設定隊(注:クーパンのプトン飛行場の南に陸軍用の飛行場を設定後、同島の東半分に位置するポルトガル領ティモールで各地の飛行場造成に協力)は、昭和18(1943)年4月20日、ポルトガル領ティモールのディリからフローレス(Flores)島へ移った。そして同年5月16日、バビ(Babi)島の対岸の本島に陸軍主用の飛行場を完成させ、そして翌6月19日、マウメレ(Maumere)にも飛行場を概成させた。日本軍が造成した飛行場は、ワイ・オテ... ...続きを見る

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2009/02/09 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(67) Bandara Dai Nippon(67)東ティモール
ポルトガル領ティモール(現東ティモール民主共和国)の東部、ラウテン(Lautem)に日本軍が造成した飛行場は、いわゆる“秘密飛行場”だった。同地は、昭和17(1942)年の9月頃から第3飛行集団(菅原道大中将)隷下の第3飛行団長(塚田理喜智少将)が、指揮下の第73中隊(九九式軍偵察機)に命じて行った空からの偵察活動によって見つけた平らな高原地帯だった。そして、陸軍の第9野戦飛行場設定隊(河端融少佐)が、第4航空地区の陸上勤務隊の協力も得て、昭和18(1943)年2月頃までに“秘密飛... ...続きを見る

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2009/02/08 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(66) Bandara Dai Nippon(66)東ティモール
昭和17(1942)年2月20日、日本軍・東方支隊(陸軍第38師団第38歩兵団長・伊東武夫少将)とパラシュート部隊を含む海軍部隊が、ティモール島西部の、蘭領ティモールのクーパン(Kupang)へ上陸。同日未明、東方支隊隷下の第38師団歩兵第228連隊(土井定七大佐)の連隊長指揮下の第2大隊基幹(木村榮次郎少佐)が、同島東半分のポルトガル領ティモール(現東ティモール民主共和国)進攻作戦を開始した。第二次世界大戦で“中立”を表明したポルトガルの主権が、日本軍の作戦を複雑にさせた。しかし... ...続きを見る

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2009/02/07 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(65) Bandara Dai Nippon(65)ロテ島
日本軍によるティモール島占領以前、蘭領ティモール(ティモール島西部)には、すでにオランダが造ったクーパン(プトン)飛行場、そして中部地域にアタンブア(Atambua)飛行場があった。占領後、プトン飛行場(現エルタリ空港)は海軍が修復した後(2本の滑走路があった)、昭和17(1942)年3月中旬から、まず海軍第23航空戦隊(竹中龍造少将)がオーストラリアのダーウィンを始めとする北部エリアに対する空爆基地として使用した。そのすぐ南には、第4飛行場設定隊によって新たに陸軍用の飛行場が造ら... ...続きを見る

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2009/02/06 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(64) Bandara Dai Nippon(64)クーパン
昭和17(1942)年2月20日、西のクーパン(Kupang)、そして東のディリ(Dili)へ日本軍が同日上陸。これ以前、日本軍は、2月14日、スマトラ島南部のパレンバン(Palembang)へ陸軍空挺部隊(挺進第2連隊・甲村武雄少佐)を降下させ、精油所などを制圧した。翌日、第16軍(今村均中将)隷下の第38師団(沼兵団・佐野忠義中将)は、ムシ川、テラ川、などを遡上してパレンバンに上陸。2月19日、金村支隊(第48師団の台湾歩兵第1連隊第3大隊長金村亦兵衛小佐)がバリ島に上陸。そし... ...続きを見る

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2009/02/05 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(63) Bandara Dai Nippon(63)クーパン
大東亜戦争の開戦時、大本営は豪北(オーストラリアの北方)方面では、ティモール島については、西半分の蘭領ティモールのみの占領を計画した。というのも、蘭領ティモール内にある飛び地(オクエシ)と東半分は、“中立国”であるポルトガル領だったからだ。一方、ティモール(Timor・チモール)島は、いわゆるABCD包囲網にあって、ジャワ島攻略作戦を実施する上で、蘭印と豪州とを分断・遮断するために、日本軍にとって制圧しておきたい要地だった。 当時、大本営は、やがて英領インドと並びオーストラリアが... ...続きを見る

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2009/02/04 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(62) Bandara Dai Nippon(62)クーパン
米領フィリピンや英領マレー・シンガポールを制圧し、蘭印(オランダ領インドネシア)を攻略する、いわゆる南方進攻作戦は、その最大の目的が石油資源の確保だった(注:開戦約4ヵ月前の昭和16(1941)年7月末、米英蘭は対日全面禁輸を実施)。蘭印の石油資源、殊に当時東南アジア最大の規模を誇ったスマトラ島のパレンバン(Palembang)油田の制圧が主眼だった(当時のパレンバン油田の年間産出量はおよそ300万トン。一方、日本の年間所要量は約500万トン)。この他、英領ボルネオのミリ(Miri... ...続きを見る

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2009/02/03 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(61) Bandara Dai Nippon(61)ブル島
アンボンの西およそ100kmに浮かぶブル(Buru)島。スハルト時代のインドネシアでは“恐怖の島”だった。ここは1965年の「9月30日事件」に連座したとしてB級政治犯(TAPOL)となった1万人を超える人々が送り込まれた“監獄島”だった。B級政治犯とされた作家プラムディア・アナンタ・トゥル(Pramoedya Ananta Toer)も10数年間、ブル島で拘留生活を過した。ブル島のナムレア(Namlea)には開戦前に、すでにオランダ軍が建設した滑走路があった。日本軍は(おそらく)... ...続きを見る

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2009/02/02 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(60) Bandara Dai Nippon(60)アンボン
アンボンを占領した日本海軍は、セラム島北岸のブラ(Bula)にも飛行場を造った。ブラ(Bula)は、現在、マルク州東セラム県(Kabupaten Seram Bagian Timur)に属している。同県の人口は2005年で約82,000人。ブラは戦前から産油地だった。最初の油田発見は1896年。現在は2社が操業している。一つは、クウェートのKUPEC(Kuwait Foreign Petroleum Exploration Company)、もう一つはオーストラリアのCARLESS... ...続きを見る

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2009/02/01 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(59) Bandara Dai Nippon(59)アンボン
セラム(Seram)島中西部の南岸にアマハイ(Amahai)は位置する。エルパプティ(Elpaputih)湾の東南の岬付近に、陸軍は飛行場を造成・設定した。この飛行場は、アンボン島北端のリアン(Liang)飛行場を手がけた、第9航空地区司令部(赤澤正之烝大佐)隷下の第38飛行場大隊が担当。ハルク飛行場の着工とほぼ同時期に造成がなされた。昭和18(1943)年10月中旬には概成し(長さ1,200m、幅100m)、軽爆撃機が使用可能となった。その後、第7飛行師団(須藤榮之助中将)隷下の... ...続きを見る

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2009/01/31 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(58) Bandara Dai Nippon(58)アンボン
アンボン(Ambon)島の東、そしてセラム(Seram)島の南に、三つの小さな島が連なる。西からハルク(Haruku)島、サパルア(Saparua)島、そしてヌサラウト(Nusa Laut)島。アンボン島の東隣のハルク島にも、陸軍は飛行場を新たに建設した。リアン(Liang)飛行場同様に、第9航空地区司令部(赤澤正之烝大佐)担任で、第28飛行場大隊が、昭和18(1943)年9月末、長さ1,400m、幅80mの滑走路を概成し、年末には掩体施設もおおむね完成した。ハルク飛行場は、第7飛... ...続きを見る

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2009/01/30 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(57) Bandara Dai Nippon(57)アンボン
豊かな地域は、それが天然資源であり、香辛料であろうと、その昔より列強大国の牙の餌食にされてきた。アンボンを核とする、バンダ海周辺海域も例外ではない。オランダの東インド会社(VOC)に代表されるように、この地域は3世紀以上にも及ぶ被植民地支配の歴史を刻む。7世紀、中国では唐の時代、すでにマルク(Maluku)地域の香料を求めて中国船が来航していた。そして9世紀にはアラブ商人もやってきた。インドネシア史によれば、12世紀にはスマトラ島南部のスリウィジャヤ(Sriwijaya)王国の影響... ...続きを見る

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2009/01/29 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(56) Bandara Dai Nippon(56)アンボン
昭和17(1942)年1月11日、蘭印(オランダ領インドネシア)攻略作戦の緒戦として、まずボルネオ(現カリマンタン)東部の油田地帯であるタラカン(Tarakan)島と、セレベス(現スラウェシ)島北端のマナド(Manado:メナド)に対する上陸作戦が開始された。タラカン島には第16軍(今村均中将)隷下の坂口支隊(坂口靜夫少将指揮下の混成第56歩兵団。歩兵第146連隊、装甲車隊、野砲兵第56連隊第1大隊などを基幹。兵力は5,200名、馬1,200頭、自動車100台、大発動艇15、小発動... ...続きを見る

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2009/01/28 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(55) Bandara Dai Nippon:55タニンバル諸島
タニンバル諸島セラル(Selaru)島のリンガット(Lingat)村。かつて日本軍の最前線部隊が駐留していた村だ。2007年8月時点での人口は453世帯で2,003名(女性1,017名&男性986名)。『セラル(Selaru)島は日本軍の最前線だった。リンガット(Lingat)村にたくさんの日本兵がいた。もちろんタニンバル諸島の各地にも駐屯していたがね。終戦後、日本軍の弾薬や機材は全て海に捨てられた。まだ、それらは海の中に残っている。一方で、当時最新のトラックなどは陸上に残していった。... ...続きを見る

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2009/01/26 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(54) Bandara Dai Nippon:54タニンバル諸島
昭和17(1942)年3月末〜4月中旬、海軍陸戦隊は西部ニューギニアで、ファクファク、バボ、ソロン、テルナテ、マノクワリ、ムミ、セルイ、ナビレ、サルミ、ホランジアなどを占領した。ちなみに当時、陸軍部隊は西部ニューギニアには展開していなかった。さらに同年7月30日、海軍の第24特別根拠地隊は、バンダ海・アラフラ海で、アルー諸島、タニンバル諸島、ケイ諸島の攻略作戦を実施した。これ以前の戦況はと言えば、6月5日〜7日、ハワイ西方のミッドウェー海戦で、日本海軍は主力航空母艦4隻(加賀、蒼龍... ...続きを見る

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2009/01/25 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(53) Bandara Dai Nippon(53)アルー諸島
アルー諸島本島の最南端に位置するトゥランガン(Trangan)島南東海岸付近のシア(Sia)に2個概成し、未だドカ飛行場の設定が始まる前、昭和18(1943)年6月、第5師団を隷下に置く第19軍の作戦主任参謀である皆元勝雄中佐は、自ら偵察機を操縦して、タニンバル諸島、そしてアルー諸島を訪れた。目的は、現地を指揮する西原修三大佐(タニンバル諸島防衛隊長・第5師団歩兵第42連隊長)と原田憲義大佐(アルー諸島防衛隊長・第5師団歩兵第21連隊長)と直接面会し、前線離島守備における問題点を聞... ...続きを見る

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2009/01/24 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(52) Bandara Dai Nippon(52)アルー諸島
アルー諸島はかつてマルク州東南県(Kabupaten Maluku Tenggara)の一角を占めていたが、2004年初旬、アルー諸島県(Kabupaten Kepulauan Aru)として分離、新生県として独り歩きを始めた。ニューギニアの南西部、アラフラ海に浮かぶアルー諸島は古くから真珠養殖で知られていた。19世紀中頃から多くの日本人潜水夫がアルー諸島に渡った。アルー諸島県には合計187の島があるとされる。大きな島は、北からウォカム(Wokam)、コブロール(Kobror)、マ... ...続きを見る

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2009/01/23 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(51) Bandara Dai Nippon(51)ケイ諸島
バンダ海に展開していた第16軍隷下の第48師団(海兵団:土橋勇逸中将)の任務を継承する形で、昭和18(1943)年2月、第19軍(冨永信政中将)隷下の第5師団(鯉兵団:山本務中将)は、バンダ海域のアルー諸島、ケイ諸島、タニンバル諸島を占領し、北部オーストラリアに対する作戦を準備するため、東部ジャワのスラバヤから東へ向かった。第5師団の杉浦支隊(歩兵第21旅団長杉浦英吉少将)は、これに先立ち、ジャワの第16軍(治集団)司令官原田熊吉中将から命令を受け、昭和17(1942)年12月25... ...続きを見る

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2009/01/22 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(50) Bandara Dai Nippon(50) ジャヤプラ
米軍資料によれば、昭和19(1944)年4月22日の連合軍ホランジア(現在のジャヤプラ)上陸敢行に先立つ3月、潜水艦を使って、二組の偵察隊が密かに送り込まれた。計12名からなるチームはアメリカ人、オーストラリア人、インドネシア人、そして地元のパプア人で構成されていたという。内、5名は帰還しなかった。1944年4月21日、早朝、突如、米海軍艦載機グラマンの第一陣がセンタニ湖上空に姿を現した。日本軍機で離陸できたものは6機。しかし、1機が無事帰還したのみだった。攻撃は夕刻まで8回にわた... ...続きを見る

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2009/01/21 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(49) Bandara Dai Nippon(49) ジャヤプラ
日本軍(海軍陸戦隊)がホランジア(現ジャヤプラ)を占拠したのは開戦四ヵ月後の昭和17(1942)年4月。ホランジアの西およそ40kmには大きなセンタニ(Sentani)湖があり、その北側には平地があり、ここが飛行場の設定に適していた。ビントゥニ湾のバボ(Babo)飛行場や西端のソロン(Sorong)のエフマン飛行場などのように、戦前からオランダが作った滑走路があり、日本軍が上陸後に拡張整備した飛行場もあるが、西部ニューギニアで日本海軍が新たに造成・設定した飛行場としては、センタニ湖畔のもの... ...続きを見る

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2009/01/20 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(48) Bandara Dai Nippon(48) ジャヤプラ
中部ニューギニア北岸の要衝・ホランジア(Hollandia・現在のジャヤプラ)は、ガダルカナル島撤退と並ぶ、太平洋戦争における日本軍の象徴的敗北の一ヶ所となった。昭和19(1944)年4月22日、連合軍は意味ある抵抗を受けることなく、同地に上陸、西方のセンタニ(Sentani)湖周辺にあった日本軍の3個の飛行場を占拠した。また、ジャヤプラ近郊ですでに概成していた別の飛行場も占拠。 ホランジアは、1910年3月7日、オランダ人船長Sachseによって命名された。ホランジアとは“湾曲... ...続きを見る

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2009/01/19 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(47) Bandara Dai Nippon(47) メラウケ
インドネシア共和国の最東南端に位置するパプア州(Provinsi Papua)のメラウケ(Merauke)県は、東経141度ラインで隣国PNG(パプアニューギニア)と接し、トレス海峡を挟んでオーストラリアに隣接する。かつてのイリアンジャヤ(Irian Jaya)州時代は、同州最大の県であったが、2002年法律第26号に基づいて4県への分割が決まり、県の規模は縮小を余儀なくされた。メラウケ県以外の3県は、ボーヴェン・ディーグル県(Boven Digul。県都はタナメラ=Tanah M... ...続きを見る

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2009/01/18 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(46) Bandara Dai Nippon(46) ジャヤ峰
「2月10日、午前中は氷河の測量で過した。その結果は驚くべきもので、25年間に、カルステンツ氷河は452m後退し、メーレン氷河は745mも後退していた」----1936年末、オランダ王立地理学協会(RNGS)が派遣した、A.H.コライン(Colijn)博士を隊長とする登山・探検隊がカルステンツ山群に入った時の報告と比較して、1962年2月、カルステンツ・ピラミッド(Carstensz Pyramid:ジャヤ峰=Puncak Jaya:4884m)の初登攀に成功したオーストリア人登山... ...続きを見る

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2009/01/17 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(45) Bandara Dai Nippon(45) ジャヤ峰
インドネシアそしてオセアニア地域で最高峰のジャヤ峰(Puncak Jaya:カルステンツ・ピラミッド=Carstensz Pyramid:4884m)。その“脇腹”で発見された、世界最大級の銅、金、銀鉱山。発見は1936年末。オランダ王立地理学協会(Royal Netherlands Geographical Society=RNGS)がスポンサーとなり、カルステンツ峰初登頂を目指した登山・探検隊(A.H.コライン(Colijn)博士を隊長に、オランダ空軍将校F.ヴィッセル、そして... ...続きを見る

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2009/01/16 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(44) Bandara Dai Nippon(44) ジャヤ峰
1623年、オランダ王室に仕える航海者ヤン・カルステンツ(Jan Carstensz:Jan Carstenszoon)は、アラフラ海を航海中、偶然、北の山脈に雪を抱く峰々を目撃した。雲に覆われることが多い中央山脈だが、その日は幸運にも快晴だったのだろう。カルステンツはペラ号とアルンハイム号の二隻を率いてアラフラ海を航海中だった。帰国後、“赤道直下の雪山”のことを話した。しかしヨーロッパで彼の言葉を誰も信じる人はいなかった。それからおよそ300年後、イギリスの探検隊が、カルステンツ... ...続きを見る

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2009/01/15 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(43) Bandara Dai Nippon(43) ジャヤ峰
インドネシアが独立後、依然オランダ領として残った西部ニューギニア(当時のインドネシア名は西イリアン=Irian Barat。インドネシア併合後から2005年までイリアンジャヤ=Irian Jaya。現在はパプア)の“解放”を旗印に、1961年オランダ軍との武力衝突を始めた翌1962年1月5日、ハインリッヒ・ハーラー(Heinrich Harrer:1912年7月6日–2006年1月7日)は、東部ニューギニアのラエから飛行機でホランジア(現ジャヤプラ)に着いた。オセアニア... ...続きを見る

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2009/01/14 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(42) Bandara Dai Nippon(42) ジャヤ峰
「飛べども飛べども果てしなく続く大密林、積乱雲、白雪の雪山山系」----第19軍の河村高級参謀は、西部ニューギニアで空中偵察した感想をそのように述べている。西部ニューギニア戦に参加し、好天に恵まれ、雪を抱くカルステンツ(Carstensz)峰(4884m)を望めた体験を持つ戦闘機や爆撃機の操縦者は少なくないだろう。赤道直下で見た冠雪の高峰に、富士山を想いおこし、あるいは祖国日本に想いを馳せたのかもしれない。マノクワリ(Manokwari)の演芸部隊が演じた『南の島に雪が降る』同様に... ...続きを見る

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2009/01/13 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(41) Bandara Dai Nippon(41) ミミカ
歩兵第11連隊は、1943年5月11日、ミミカに長さ1,000m、幅50mの飛行場を完成させた。連合軍が中部ソロモンや東ニューギニアなどの南東方面で反攻を整えつつあったこの時期、日本軍には楽観論もあった。例えば、同年8月上旬、第5師団のバンダ海での部隊展開が順調に進んでいることを踏まえ、第5師団長の山本務中将は「現在の空海状況が一年続けばこの戦争に日本は勝つ」と日誌に記したとされる。この頃、日本軍は、西部ニューギニアでは、北岸ではホランジア(ジャヤプラ)、ワクデ島、ナビレに飛行場を... ...続きを見る

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2009/01/12 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(40) Bandara Dai Nippon(40) カイマナ
第19軍(冨永信政中将)隷下で、バンダ(Banda)海並びに西部ニューギニアの南西岸一帯を作戦地域とする第5師団(鯉兵団:山本務中将)は、ジャワ島のマランに終結していた歩兵第11連隊(高橋辯大佐)を、昭和18(1943)年2月19日、ミミカ(Mimika)へ向け、次いで、翌々日の21日、歩兵第21連隊(原田憲義大佐)をアルー(Aru)諸島へ向け、スラバヤ港から出発させた。また第19軍司令官の冨永信政中将自身も2月19日、アンボンに着いた。 実は、第19軍が1月15日にジャカルタで... ...続きを見る

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2009/01/11 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(39) Bandara Dai Nippon(39)ファクファク
大東亜戦争がハワイへの奇襲攻撃で幕を開けた時点で、大本営は、豪北方面(オーストラリアの北方地域)の作戦に関しては、取りあえず、ニューブリテン島のラバウル(Labaul)と、ティモール島西部のオランダ領チモールの占領のみが計画されていた(『戦史業書 豪北方面陸軍作戦』)。蘭印(オランダ領インドネシア)地域については、昭和17(1942)年3月1日、第16軍(今村均中将)がジャワ島上陸、そして東部のティモール島へは同年2月20日、東方支隊(第38師団の歩兵団司令部、歩兵第228連隊、山... ...続きを見る

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2009/01/10 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(38) Bandara Dai Nippon(38) ヤムール湖
第二軍の司令部があったマノクワリ(Manokwari)には、昭和17(1942)年10月13日、海軍の「ニューギニア民政府」が置かれた(総監は浜田海軍中将。但し二年後の2月1日、民政府は解体され、第26海軍建設部が設立された)。この海軍民政府の要請に基づいて、昭和18(1943)年、学者を中心とした編成で、「海軍ニューギニア調査隊」が西部ニューギニア各地で地質、鉱物、農業、植物、民族、動物、測量などの分野の調査を行った。当然のことながら、この第一班から第六班に分かれて実施された調査... ...続きを見る

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2009/01/09 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(37) Bandara Dai Nippon(37) ハベマ湖
開戦2周年の昭和18(1943)年12月8日、「第二軍作戦準備要項」は、中央高地にあるハベマ湖(日本軍はハッペマ湖と呼んだ)とウィッセル湖(現在のパニアイ湖)周辺部で宣撫工作を実施し、可能であれば飛行場を建設する旨、下命した。これに基づいて、第36師団指揮下の日高岩男少佐を隊長とする『鰐工作隊』は、昭和19(1944)年2月中旬、サルミ(Sarmi)を発って、マンベラーモ(Mamberamo)川を遡上し、ハベマ(Habema)湖方面へと向かった。 ハベマ湖は、1909年頃オランダ... ...続きを見る

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2009/01/08 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36 ロンベバイ湖
太平洋戦争は、ある意味で、日本人によるニューギニア探検の魁(さきがけ)の機会を与えた。しかも、その探検は、単に地理的探検に限らず、民族学的、文化人類学的、生物学的、そして資源・食糧の確保などの側面も含めて、その全てを把握する、いわば総合学術探検の顔も持っていた。オランダやドイツ、英国そして豪州などは、古くからニューギニア島を植民地分割し、それなりに同島に関して情報を有していた。しかし、日本はそうではなかった。もちろん、明治時代より、単身、この地に赴いて、まさに地元民化し、色々な事業... ...続きを見る

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2009/01/07 00:14
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(35) Bandara Dai Nippon(35 ウィッセル湖
飛行場は陸上とは限らない。西部ニューギニアの中央高地にある幾つかの湖は、大本営をして、水上基地として、そしてその周辺部は陸上の飛行場として注目された。昭和18(1943)年12月1日、第二方面軍(阿南幾惟大将)がフィリピン・ミンダナオ島のダバオで、そして第ニ軍(豊嶋房太郎中将)がマノクワリで統帥を発動する直前、アンボン(10月末)そしてマニラ(11月中旬)で、大本営派遣班も交え、現地部隊との会合が持たれ、第二方面軍並びに第ニ軍の作戦計画が練られた。11月23日、マニラで決まった第二方面... ...続きを見る

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2009/01/06 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(34) Bandara Dai Nippon(34) ワクデ島
サルミ(Sarmi)における日本軍と連合軍の対峙は、太平洋戦争において、戦術・戦略的な側面から見て、制空権と制海権がどれほどまでに勝敗を決定づけたかを物語る好例だろう。飛行場の早期建設を至上命題に、死に物狂いでその任務を達成するものの、その飛行場の存在そのものが自軍を玉砕状況に追い込んでいった。その光景を、仮に、眺めていた地元のパプア人がいたとしたならば、おそらく彼は、彼女はきっとこう目撃談を語るだろう。 ...続きを見る

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2009/01/05 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(33) Bandara Dai Nippon(33) ワクデ島
ワクデ(Wakde)島の飛行場は、昭和18(1943)年半ばには、長さ1,300m、幅120mの滑走路が完成していた。同島は前年の4月、日本海軍によって占領された。この飛行場は、海軍の第103設営隊(山田誠海軍技術少佐)が造成・整備したもので、同隊は1943年1月30日に上陸し、2月23日には滑走路が完成し、航空部隊が進出してきたとされる。この設営隊は重機も動員し、その結果わずか25日間で滑走路の急速設営を成し遂げた。 米軍の偵察飛行によれば、同飛行場の建設は1943年2月から6... ...続きを見る

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2009/01/04 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(32) Bandara Dai Nippon(32)ワクデ島
豊嶋房太郎元第二軍司令官が『濠北を征く』の「第二軍の作戦一般」で述懐しているように、西部ニューギニアに進駐した第二軍は、遥か中国大陸から赤道直下の戦場(予定地)へ到着するやいなや、飛行場の建設に全精力を傾けた。まさに飛行場は「軍の任務達成の為の生命と心得ていた」。第二軍は、決戦時期が到来したのならば、大本営が約2飛行師団を送り込んでくるものと信じていた。「斯て半歳に至つて心血を注いで造成した飛行場も、大部分のものは我軍の利用する処とならず、敵をして補修利用するに便益を与えるに止つた... ...続きを見る

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2009/01/03 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(31) Bandara Dai Nippon(31)サルミ
大本営は、昭和18(1943)年8〜9月頃「絶対国防圏」構想を固めた。要点は、南太平洋方面の確保を断念し、マリアナ、カロリン中西部、北西部ニューギニア、スンダ列島を結ぶラインを、国防上必要最小限の要域としたことだ。この決定に基づいて、南方軍隷下に第二方面軍(司令部はフィリピン・ミンダナオ島のダバオ:阿南惟幾大将)が新たに創設され、第二軍(豊嶋房太郎中将)が同年12月、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた。第二方面軍も第二軍も共に中国東北部からの転用だった。 「閣下ノ担... ...続きを見る

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2009/01/02 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(30) Bandara Dai Nippon(30)サルミ
第36師団がサルミ(Sarmi)に到着する直前、第19軍は第2野戦飛行場設定司令部(山本勝大佐)を通じ、第103野戦飛行場設定隊(富澤太郎少佐)にサルミに飛行場一個を建設するよう命令を下した。富澤少佐は、マノクワリ(Manokwari)から機帆船で昭和18(1943)年12月初旬、サルミに上陸。300万分の1の航空地図を基に、飛行場適地を探したが、付近は低湿地が多く、なかなか適地は見つからなかった。が、サルミ東方のサワル(Sawar)付近に地元民が使っていた小規模な道路があり、しか... ...続きを見る

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2008/12/31 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(29) Bandara Dai Nippon(29)サルミ
富士山から真南へ約4,117km。世界で二番目に大きいニューギニア島の北岸に位置するサルミ(Sarmi)がある。現在はインドネシア最東端のパプア州サルミ県の県都が置かれている。同県は2003年4月12日、ジャヤプラ(Jayapura:旧ホランジア)県から分離して新たな県となった。面積およそ17,740km2。10郡、84の村から構成され人口は約32,700人。サルミと言っても現在の日本人の多くにとっては、まず馴染みのない地名だが、東北地方のお年寄りにとっては、ビアク(Biak)島と... ...続きを見る

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2008/12/30 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(28) Bandara Dai Nippon(28) ナビレ
フェールヴィンク湾周辺では日本軍占領当初、陸海軍合計17個の飛行場設定が計画されたが、昭和18(1943)年8月時点で完成していたものはナビレ(Nabire)の海軍飛行場1個のみだった。この飛行場はその規模が、長さ1,200m、幅60mで、1943年4月15日に戦闘機用として、そして5月17日に中攻(中型陸上攻撃機)用として完成していた。ちなみに、第二軍がマノクワリに進駐する前年(1943)までに、海軍並びに陸軍第5師団が占領する西部ニューギニア地域で、完成もしくは概成していた飛行... ...続きを見る

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2008/12/29 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(27) Bandara Dai Nippon(27) ヌンホル島
ヌンホル島に日本軍の航空基地が完成・概成するやいなや、まさにビアク島の戦い同様に、連合軍は、事前の猛空爆に次いで、1944年7月2日、ヌンホル島に上陸してきた。エドウィン・パトリック(Edwin D. Patrick)少将率いる米第158戦闘連隊は、カメリ飛行場近辺の海岸に上陸。この前日(7月1日)、ヌンホル守備隊の上部組織である第二軍(在マノクワリ。豊嶋房太郎中将)は、連合軍のマノクワリへの上陸の可能性大とみて、司令部並びにおよそ半数の部隊の、ベラウ地峡のイドレ、そしてソロンへの... ...続きを見る

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2008/12/28 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(26) Bandara Dai Nippon(26) ヌンホル島
ビアク(Biak)島の玉砕戦が余りにも有名で、その戦史に隠れがちだが、西隣にあるヌンホル(Numfor)島でも、実は壮絶・凄惨な戦いが繰り広げられた。しかも、ビアク島同様に、大本営は、この勾玉のような形をした小さな島に飛行場群を造成した。その数4基地。当初、日本軍は、西部ニューギニア本島のフェールヴィンク(Geelvink)湾の北側に点在するスハウテン(Schouten)諸島に飛行場を建設することに消極的だった。しかし、調査を進めるうちに、飛行場に適する地形、場所が意外と多いことが... ...続きを見る

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2008/12/27 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(25) Bandara Dai Nippon(25)ビアク島
赤道のほぼ真下、南緯1度、東経136度に位置するビアク(Biak)島は、足の形によく似た島だ。島の南岸が踵(かかと)、そして東端がつま先にあたる。島の北側1/3は山岳地帯、残りは台地状。珊瑚礁が隆起してできた島で、特に南岸一帯には鍾乳洞が数え切れないほどある。日本軍が三つの飛行場を設定した、モクメル(Mokmer)村西方一帯は平地だが、飛行場地帯の東側海岸は、断崖絶壁の台地が続く。雨季は別として、乾季には水の確保が深刻な問題となる。連合軍が上陸した5月末から、制圧が終了する8月末の... ...続きを見る

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2008/12/26 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(24) Bandara Dai Nippon(24) ビアク島
「玉砕の島」の「玉砕の洞窟」。ビアク島の凄惨な戦いのシンボルが“西洞窟”だ。この西洞窟は、今ではビアク島随一の観光スポットと化している。それはちょうどハワイの真珠湾とアリゾナ記念館観光とも似ている。ビアクを慰霊で訪れる外国人は、やはり日本人が多い。そして必ず、西洞窟で祈りを捧げる。確かに、洞窟は、戦争初期においては、籠った多くの日本軍将兵の命を、敵軍の艦砲射撃や空爆から救った。しかし、制海権そして制空権をほぼ完璧に抑え、圧倒的優位に立つ軍事力で迫る連合軍に対して、洞窟も最後の砦とは... ...続きを見る

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2008/12/25 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(23) Bandara Dai Nippon(23) ビアク島
連合軍は、ビアク(Biak)島上陸に先立つ一ヶ月の間に、計1,260トンもの爆弾を、まさにスコールのように、1万を超える日本軍将兵の頭上に降らせた。これ以前、連合軍は、昭和19(1944)年4月22日ホランジアへ上陸、日本軍が造成した3個の飛行場を占拠、修復を施し、5月中旬には、ビアク島進攻基地として航空部隊が使用を開始した。また、日本軍第36師団(雪兵団)が司令部を置いたサルミ(Sarmi)の東海上に浮かぶワクデ(Wakde)島にも5月18日に上陸(注:5月17日にも一時的に上陸... ...続きを見る

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2008/12/24 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(22) Bandara Dai Nippon(22) ビアク島
日本兵が、乏しい水補給の中、赤道直下の炎熱下、ツルハシとモッコで造成したモクメル(Mokmer)飛行場(現在はフランス・カイシエポ空港)、そしてソリド(Sorido:第三モクメル)とボロク(第二モクメル)飛行場。しかし、これら三つの飛行場は、当初想定した大規模航空部隊を迎えることなく、完成を間近に、連合軍の手に落ちた。昭和19(1944)年5月27日、ビアク支隊[主力地上戦闘部隊は、約3,500名の第36師団第222連隊(青森県青森編成・当時の連隊長は葛目直幸大佐)や約100名の野... ...続きを見る

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2008/12/23 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(21) Bandara Dai Nippon(21) ビアク島
紀伊半島の南端潮岬から真南へおよそ3,800km。赤道を少し超えた所にビアク(Biak)島がある。ここに戦時中、日本軍は大飛行場群を建設し“絶対国防圏”の要衝とした。しかし、昭和19年(1944)5月27日、連合軍が上陸。8月20日まで続く死闘が繰り返され、玉砕の島としてニューギニア戦線史に刻まれている。ビアク島は、当時、第二方面軍司令官の阿南惟幾大将をして「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで言わしめた、日本軍にとって戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2008/12/22 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島
秋田県の南南西およそ4,360km。あるいは四国の室戸岬の真南約3,590km。西部ニューギニアの北およそ190km。そこに、太平洋戦史にもほとんど登場しない、忘れ去られた小さな島がある。その名をマピア諸島と言う。環礁の縁にできた四つの島から成る。この島で、秋田県で編成された帝国陸軍の一個中隊(小幡中隊長)が玉砕を遂げている。歩兵第223連隊(注:秘匿名は「雪3524部隊」1942.7.24以降連隊長は吉野直靖大佐)の第7中隊だ。 『濠北を征く』によれば、昭和19年(1944)5... ...続きを見る

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2008/12/21 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(19) Bandara Dai Nippon(19) ソロン
昭和18年(1943)10月、第19軍の命令により、第二野戦飛行場設定司令部(山本勝大佐)は、第百五野戦飛行場設定隊(山田義男少佐)に対して、ソロン(Sorong)地区における飛行場の建設の任を命じた。そして同年11月14日、同部隊はソロンの向かい側にあるサラワチ(Salawati)島のサマテ(Samate)に上陸した。設定隊は9月に豊橋で新設された乙(半機械化)編成部隊で、定員は150名、これに台湾人で構成された特設勤労団が約1,000名加わった。ソロンの町近辺には飛行場の適地が... ...続きを見る

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2008/12/20 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(18) Bandara Dai Nippon(18) ソロン
ソロン(Sorong)はニューギニア島の西端に位置する人口およそ163,000人の都市。元はフォーゲルコップ半島の西半分を占めるソロン県の県都だったが、2000年2月28日、ソロン県から分離してソロン市として行政独立。ちなみにソロン県は2002年二つの県に分割された。一つは11の郡から構成されるソロン県で、その人口はおよそ95,000人。もう一つが14郡から成る南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan=略称Sorsel)で人口はおよそ105,000人(2007年... ...続きを見る

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2008/12/19 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(17) Bandara Dai Nippon(17)ソロン
ミッドゥルバーグ(Middleburg:別名ミオス=Mios)島に造成された米軍飛行場は、ちょうど終戦の一年前にあたる昭和19年(1944)8月15日に使用が開始された。日本軍第7飛行師団第70中隊がアンボン方面から飛来し、8月8日に行った偵察飛行記録によれば、その規模は、長さ1,850m、幅約200mが整地され、長さ850mの滑走路が概成していた。さらに8月13日の同中隊の司偵捜索によれば、同島には長さ1,500m、幅200mの滑走路が概成していたが在地機はなかったとされる。しか... ...続きを見る

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2008/12/18 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(16) Bandara Dai Nippon(16)ソロン
昭和19年(1944)4月22日、日本軍が建設した三つの飛行場があるセンタニ(Sentani)の東方約45kmに位置するホランジア(Hollandia:現在のパプア州の州都ジャヤプラ)へマッカーサー大将率いる連合軍が上陸。続いて、5月18日、海軍が造成した飛行場(滑走路の長さは1,500m、幅120m)があったワクデ(Wakde)島への上陸。連合軍は、前日(5月17日)には、同島対岸の、日本軍第36師団(師団長田上八郎中将)司令部が置かれたサルミ(Sarmi)東方のトゥム(Tum)... ...続きを見る

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2008/12/17 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15)イドレ
第二軍(マノクワリ:司令官は豊島房太郎中将)のイドレ(Idore)転進部隊約12,000名の将兵が、“地獄ヤカチ”そして“野たれヤカチ”と呼んだヤカチ(Yakati)地区---米軍は後に“緑の地獄”と名付けた。この地に、転進作戦前年の昭和18年(1943)2月〜8月、海軍ニューギニア調査隊が入った。フェールビンク(Geelvink)湾(現在はチェンドラワシ湾)からビィントゥニ(Bintuni)並びにベラウ(Berau)湾の間に位置する細長いベラウ(Berau)地峡に横断道路を建設す... ...続きを見る

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2008/12/16 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14)イドレ
マノクワリからベラウ地峡のイドレに向けた、約12,000名の第二軍将兵による“緑の地獄”転進作戦が行われた昭和19年7月〜11月の一年以上前、ベラウ地峡では、同地に横断道路を建設しようとする日本海軍の調査が行われた。第二軍がマノクワリにやってくる10ヵ月前のことだった。昭和18年2月23日〜4月27日、海軍ニューギニア調査隊測量班(調査員:海軍軍属 駒澤幸男以下22名。警護兵6名、パラオ島民12名、パプア人苦力110名の計150名から構成)は、第一次調査として、マノクワリ→ワーレン... ...続きを見る

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2008/12/15 13:21
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13)イドレ
“絶対国防圏”----日本と南方資源要域及び両者間の連絡地帯を防衛するための、必要最小限の要域圏であって、それより内には絶対に敵の作戦拠点獲得を許さないとする考え方(『戦史業書 西部ニューギニア方面陸軍航空作戦:防衛庁防衛研修所戦史室著』朝雲新聞社刊の第一編「西部ニューギニア方面陸軍航空主力の決戦準備」より)。昭和18年(1943)9月末に大本営が、南太平洋方面の確保を断念し、絶対国防圏を決定すると、西部ニューギニア地域の航空基地の確保はさらに重要度を増した。絶対確保すべき要域は千... ...続きを見る

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2008/12/14 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12)マノクワリ
真珠湾奇襲攻撃による太平洋戦争の勃発からおよそ二ヶ月後、昭和17年(1942年)の2月初旬、大本営はニューギニア島の占領命令を下した。『西部ニューギニア方面陸軍航空作戦』(戦史業書:防衛庁防衛研修所戦史室著)によれば、「東部ニューギニアの要地をソロモン諸島要地と共に攻略し、豪州本土と同方面との連絡を遮断し、豪州東部北方海域を制圧すべし」との命令が、ラバウル方面占領の陸海軍部隊になされた。この命によって、日本軍は3月上旬、今日のPNG(パプアニューギニア独立国)の北部海岸地帯のラエ(... ...続きを見る

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2008/12/13 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11)マノクワリ
「上司より指示せられた処では、軍の決戦時期が到来したならば約二個飛行師団を軍の正面に使用することとなるであろうとのことであった。然るに事実は余りにも甚だしく之れを裏切られた。軍として主力を賭すべきビアク島の戦闘最盛時に於て、軍の正面に協力したのは飛行第七師団の二十機内外のものが数機に分れて攻撃を反復し、海軍の飛行隊の数機が之れに協力して居った程度で極めて微温的であった。従って戦況に余り影響を及ぼす迄に行って居らなかったことは、期待の大きかっただけに無限の寂寥を感じた。斯て半歳に亘っ... ...続きを見る

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2008/12/12 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10)マノクワリ
第二方面軍並びに第二軍が統帥を発動する以前、飛行場設定部隊はいち早く西部ニューギニアに入り、フォーゲルコップ(オランダ語でVogelkop)半島(注:この地を日本軍は亀地区と呼称した)で偵察・調査を開始した。この任にあたったのは第19軍(司令部はアンボン:司令官は冨永信政中将。隷下に第48師団や第5師団、第48師団など)の第二野戦飛行場設定隊(山本勝大佐)。同隊は昭和18年(1943)10月、マノクワリへ進出、レンダニ(Rendani)に一か所、その南のムミ(Momi)地区に2〜3... ...続きを見る

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2008/12/11 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9)マノクワリ
昭和17年(1942)年3月、日本軍(第16軍:司令官は今村均中将)はジャワ島に上陸、開戦92日目に、蘭印(オランダ領インドネシア)軍は降伏。同月末、大本営海軍部は、西部ニューギニアの要地を占領すべく連合艦隊に命令を下した。しかし、同年8月の連合軍のガダルカナル島上陸、それに続く、東部ニューギニア戦線の悪化。こうした状況下、大本営は、翌年(1943)8〜9月に「絶対国防圏」を固めた。すなわち南太平洋方面の確保を断念し、マリアナ、カロリン中西部、北西部ニューギニア、スンダ列島を結ぶラ... ...続きを見る

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2008/12/10 18:37
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ
第二軍司令部が置かれたマノクワリ。昭和19年(1944)4〜5月、連合軍が、日本軍の大飛行場群があった中部ニューギニアのホランジア(Hollandia:現在のパプア州の州都ジャヤプラ・Jayapura)を制圧、次いで、これまた日本軍の大飛行場群だったビアク(Biak)島を陥落させると、次はマノクワリへの上陸が高いとの判断に基づき、持久戦の態勢を整えるため、残った食糧との関連も含め、多くの兵を“転進”させることを決定した。7月初旬、マノクワリ駐屯部隊のおよそ半数にあたる12,000名... ...続きを見る

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2008/12/09 19:10
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ
マノクワリ(Manokwari)は、西パプア州(Provinsi Papua Barat)の州都。人口は約15万。ここは、1855年2月5日、二人のドイツ人プロテスタント宣教師(Carel Willem Ottow・Johann Gottlob Gissler)が、目の前のマンシナム(Mansinam)島(注:日本軍は暁島と呼んでいた)に上陸して、同地にキリスト教を最初にもたらした、言わば“聖地”だ。西パプア州は、1999年の法律第45号によるイリアンジャヤ(Irian Jaya)... ...続きを見る

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2008/12/08 18:53
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ
まるで月の表面のような、大小様々なクレーター。それも、きちんと一列に並んでいるような箇所もある。水をたたえた、ラグーンの様な色をしたものもある。緑っぽく映るクレーターは草で覆われているのか。かすかに、直線の枠のような筋も見える。衛星画像に見る海軍サガ飛行場群(Saga:日本軍はそう呼んでいたが、現在同地にはサエンガ=Saenggaという名称が付いていることから察して、正しくはサエンガと発音すべきかもしれない。サエンガは現在、タングーガス田の輸出基地として巨大なLNGプラントが立ち並... ...続きを見る

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2008/12/07 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ
日本の海軍陸戦隊が昭和17年(1942年)3月〜4月に、ニューギニア島の要所を占領する以前、西部ニューギニアは蘭領ニューギニア(Nederlands Nieuw Guinea)、そして東半分の北半分がオーストラリアの信託統治領(それ以前はドイツ領)、南半分がオーストラリア領(それ以前は英国領)だった。いずれにせよ、日本軍がこの世界第二位の巨島に兵を進めるまで、同島は欧州列強の植民地の歴史を刻んでいた。 日本軍が侵攻する以前、ビントゥニ湾(Teluk Bintuni)に面したバボ(... ...続きを見る

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2008/12/06 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ
帝国海軍バボ(Babo)基地は、西部ニューギニア(蘭領ニューギニア)にあっては、昭和18年(1943年)の1〜3月時点において、日本軍がほぼ建設を終えた二つの飛行場の一つだった。もう一か所は、北部海岸のサルミ(Sarmi)の近く、ワクデ(Wakde)島に帝国海軍が造成した飛行場。ワクデ島は、小さな島で、東西方向に、島の端から端まで滑走路であった。この頃は、この二つの航空基地の他に、ホランジア(Holandia:現在のププア州の州都ジャヤプラ)に、同じく海軍の手によって建設が進められ... ...続きを見る

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2008/12/05 00:11
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ
バボ(Babo)は行政的には、西パプア州(Propinsi Papua Barat)のビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)バボ郡(Kecamatan Babo)に属する。バボ郡の郡都だ。ビントゥニ湾県は、旧マノクワリ県(Kab. Manokwari)の分割によって2003年6月に誕生したばかり。県の面積はおよそ18,660km2で、人口は約42,000人(2004年)。バボ郡の人口はおよそ13,000人。間もなく(2008-2009年)始まる液化天然ガス... ...続きを見る

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2008/12/04 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2)バボ
帝国海軍バボ(Babo)基地は、昭和18年(1943年)夏から19年初頭にかけて行われたニューギニア中部のホランジア(Hollandia:現在はパプア州の州都ジャヤプラ)地域における航空戦の補給のため建設された。陸海軍航空隊、高射砲隊、飛行場設定隊、陸、海軍通信隊など、常時200名ほどが駐屯していた。しかし、昭和19年(1944年)5月末の連合軍による大空襲により、地上の設備は全滅した。ホランジアの撤退(1944年4月)や同年5月のビアク(Biak)島陥落以降、バボ基地は補給ゼロと... ...続きを見る

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2008/12/03 00:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon)バボ
まもなく太平洋戦争開戦67周年。インドネシア共和国は去る8月17日、独立63周年を祝った。いわゆる「先の大戦」が侵略戦争であったのか否かについて、航空自衛隊幕僚長の懸賞論文問題を契機に、世は論議に喧しい。こういったイッシューに関しては、たいていの場合、発言者の立場が問題視され、本質的な議論が巻き起こらない一面も否定できない。それは、靖国神社の公式参拝、私的参拝の違いにだけ強い関心を抱くメディアの、ステレオタイプな姿勢にも共通しているように思える。言い換えると、立場さえ非公的であれば... ...続きを見る

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2008/12/02 13:42

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