再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(45) 2017年3月5日

あの裂皐の叫びがはっきりと耳に残っている。「小泉少尉は、誰か知らんか」 「ハイ、私が知っております」 そう言ってその兵隊は黙りこんだ。 「どうした」 「ハイ、小泉少尉は湖に転落行方不明になりました」 「お前見たのか」 「ハイ、パッと敵側から私にとびかかっていく者があったので、私は丸太で殴りつけました。す…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(44) 2017年3月4日

敵機の爆音にフトわれにかえった。水上機がサッと着水していった。夜は白々と明けていた。ここはどこだ。「痛いよ、痛いよ」という声。寝ているのはカヌーのなかだ。 「徳野曹長殿、気がつきましたか」 「おお、高谷、無事だったか」 私は立ち上がろうとしたが足が動かぬ。カヌーは四隻とも、マングローブの下に避…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(43) 2017年3月3日

このとき敵の銃座は、ふたたび火を吹いた。「オーイ、誰か手榴弾を持っているか」 「一発だけ残っております」 最左翼の村瀬兵長が手探りで私の手に渡した。「いいか、おれが銃座に投げ込んだら同時に突撃だ」 「南那珂飫肥 日高岩男」と書かれた格子柄の布袋。日高少佐の遺品の一つ。南那珂は、明治期…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(42) 2017年3月2日

「もとの位置につけ」隊長の命令がきこえた。すでに同志打ちの危険があった。隊長はそれを懸念したのだ。隊長の命令を耳にしたわれわれは湖岸の方に退く。 「ドーン、スポーン」 「ドーン、スポーン」 渋い音を発し敵陣から次々と、照明弾が打ち上げられた。落下傘に吊られ島全体を真昼のように明るく照した。 「畜…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(41) 2017年3月1日

『「出発」ヤピナ島の上空、わずかな星の光をたよって、四隻の丸木舟は一列縦隊で、力強く前進を開始した。夜襲には絶好の闇夜だ。聞ゆるはただ四隻のカヌーのオールの水面をかくひそやかな音のみである』(『鰐部隊とパプア人マンドル』)。奇襲攻撃直前の空気を、徳野明元曹長はそう描く。 大尉の襟章を…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(40) 2017年2月28日

「七月三一日(注:昭和19(1944)年7月31日)午前一時、暗夜の湖上を隊長のカヌーを先頭に、四隻(注:6隻との情報もある)の丸木舟は、第一の目標、孤島の南側に集結した。音も立てず、声も発せず、四隻のカヌーはただ寄りそってただよい、刻一刻と時の過ぎるのを待った。この深夜の静寂を破って、各舟艇長集合と、隊長の低…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(39) 2017年2月27日

イーデンブルグ(現タリタウ)川、そしてマンベラーモ川を下ってきた新穂智(さとる)少佐率いる36名から成る「神工作隊」が、ロンベバイ湖のヤピナ島にある米豪兵士から成る連合軍水艇前哨基地の攻略作戦を練っていた日高岩男少佐指揮下の「鰐工作隊」と合流したのは、昭和19(1944)年7月11日。以降、サルミにある、田上八…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(38) 2017年2月26日

「鰐工作隊」付けの警備隊として拠点に残置された、第223連隊(吉野直靖大佐)の第11中隊(吉田正四郎大尉・1小隊欠)の藤井吉治少尉(注:秋田県八郎潟出身)率いる20名から成る第2小隊の行動に関して、『歩兵第二百二十三聯隊史』(昭和55年8月24日・秋田県雪部隊親交会発行)は、ヤピナ島攻略に出撃した四隻からなるカ…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(37) 2017年2月25日

ヤピナ島の敵水艇前哨基地に対する攻略作戦が、鰐工作隊の日高岩男少佐と神工作隊の新穂智少佐との間で協議されていた頃の、日高少佐の人柄を偲ばせるエピソードが、徳野著の『鰐部隊とパプア人マンドル』に記録されている。宣撫工作隊長としての極めて優れた資質・姿勢についての記述に溢れている。 昭和…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(36) 2017年2月24日

昭和19(1944)年6月23日午前1時、マンベラーモ川上流の合流点を出発し、6月30日午前8時、最大難所のバタビア瀑布を発った鰐工作隊隊長の日高岩男少佐は、同日ピオニルビバク(注:現在のマンベラーモ・ラヤ県の県都カソナウェジャ=Kasonawejaと思われる)まで下った。そして、7月3日、ロンベバイ湖の西南西…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(35) 2017年2月23日

「鰐機関の兵舎の裏を二百メートルほど行くと、ロンベバイ湖の水辺に出る。入り組んだところなので、遠くの方は見えない。ということは遠くの方からもこちらが見えないから、水浴や洗濯するのには好都合なのだ。マンベラモ河とつながっているというが、マンベラモの濁流に比べ、ここの水は気味が悪いほど澄んでいる。かなり深そうだ。昆…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(34) 2017年2月22日

「翌七月八日(注:昭和19(1944)年)、機関長(注:新穂智少佐)は連絡のため、下流の鰐機関本部へ出かけて行った。この警備隊(注:川上に設置された鰐工作隊の警備隊)も二、三日のうちに撤収して鰐機関に合流するというので、我々神機関も同行しようということで、その下準備に行ったのだ。小川の対岸に、鰐機関が残していっ…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(33) 2017年2月21日

「隊長殿、大型のカヌーが下ってきます。敵か友軍かまだわかりません」 上流の監視所から伝令の報告がはいった。「オーイ、オーイ」 叫ぶ声はたしかに日本軍らしい。服装も日本製にまじって赤茶色の服も見える。あれはインドネシア軍警だ。 拠点に着いたカヌーからは、軍刀を握りしめた男がまッ先に上陸してきた。 「アッ、新…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(32) 2017年2月10日

「その夜、薄暗いローソクの灯の下で、隊長を中心に幹部が集まり、地図を追って、次期進出拠点の作戦を練った。敵が飛行場を設定するには、マンベラモ両域と海岸線を避けるであろう。これらの地域が湿地帯であることは敵もじゅうぶんしょうちの上だ。とすれば、ファーレース山脈の北側だ。「現在地から四〇キロ下流左岸の八〇高地(日高…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(31) 2017年2月19日

マンベラーモ川最難関のバタビア瀑布における転覆事故によって、鰐工作隊は三名の犠牲者を出してしまった。犠牲者の慰霊祭は、昭和19(1944)年6月26日、日高隊長の手によって厳粛に執り行われた。この遭難事故を受け、日高岩男少佐は幹部を集め、対策を協議した。そして、徳野明曹長の案が採用されることとなった。すなわち、…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(30) 2017年2月18日

マンベラーモ川の二つの大きな支流を踏査し、詳細な兵要地誌をまとめた鰐工作隊。合流点の拠点では、次なる目標、すなわち中央高地へ足を踏み入れ、最終目的地であるハベマ(ハッヘマ)湖に到達する大冒険行に向けて、日高岩男少佐を中心に計画が練られていた。一方、地元のブルメソ族との交流もさらに深化し、毎日のように付近の村人が…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(29) 2017年2月17日

「現在地点合流点は日高が守る。東方イーデンブルグ偵察隊長に徳野曹長、西方ローハル偵察隊長に小泉少尉、各々偵察隊長に命ず、出発は明日」。昭和19(1944)年5月31日、鰐工作隊(鰐機関・鰐部隊)の隊長である日高岩男少佐は、雪兵団(第36師団・田上八郎中将)司令部の命令に従い、マンベラーモ川の二つの支流一帯を調査…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(28) 2017年2月16日

さて、話しを“マンベラーモ艦隊”に戻そう。日高岩男少佐自身が描いたマンベラーモ川流域行動記録図に沿って、鰐工作隊がマンベラーモ川合流点から出発して同大河を下り、ピオニルビバク付近、そしてロンベバイ湖ヤピナ島の連合軍水艇基地(前哨基地)奇襲攻撃に至るまでの過程だ。既述のように、鰐工作隊隊長の日高岩男少佐は、昭和1…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(27) 2017年2月15日

米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の戦友会のホームページには、同隊のミッション・リポートや思い出の写真が多数掲載されているが、その中で1944年7月31日の緊急救助活動に関し、負傷者の様子や救助の過程も記録されている。ロンベバイ湖のヤピナ島での戦闘…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(26) 2017年2月14日

米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)に所属し、ロンベバイ湖に救助に向かった、「カタリナ(Catalina)」の愛称で呼ばれた、米陸軍航空隊シリアルナンバー「44-33875」の飛行艇・PBYの「OA-10A」型機は、Captain Gerard F.…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(25) 2017年2月13日

米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の記述によれば、日本側(日高岩男少佐率いる鰐工作隊)の兵力について50名(実際は16名)と記すなど事実誤認もあるが、連合軍側の勢力や負傷者の状況、そして日本側の3名の戦死(注:日高岩男少佐、杉沢武雄軍曹[注:戦死後…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(24) 2017年2月12日

米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の回顧ホームページには、昭和19(1944)年7月31日の救出劇に関して、以下のように記している。 A message was received at 1000 to proceed to Lake Ro…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(23) 2017年2月11日

『日高岩男少佐シリーズ』だが、前号を受けて、マンベラーモ川合流点から出発して同大河を下り、ピオニルビバク付近までの過程を、日高少佐自身が描いたマンベラーモ川行動記録図に従って書こうと思い、色々な資料を調べていると、なんと、鰐部隊に急襲されたロンベバイ湖の連合軍前哨基地の隊員を救出に向かった、米陸軍航空隊第2緊急…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(22) 2017年2月10日

六つとせ、結ぶ電波は空の上、ワクデの戦友(とも)はいかにぞと 叩く電鍵火花散る 海抜3225mに位置するハベマ湖。 七つとせ、なに無くともいやとせぬ、胸にしっかと大和魂 日高部隊の強者ぞ 八つとせ、休む暇の無き工作の、宣撫も今じゃお手のもの 人食人種も笑い顔 九つ…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(21) 2017年2月9日

一つとせ、日本男子の健男児、故郷を離れて幾千里パプア奥地のマンベラモ 二つとせ、不法きわまる米兵の、野望制せんときぞ来ぬ勇み出で立つ強者ぞ 三つとせ、見よやエデーの急湍も、続いてバタビア難関も見事突破のこの意気を 四つとせ、夜のともしび薄暗く、故郷の便りに顔寄せてお国自慢に花が咲く 五つ…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(20) 2017年2月8日

サルミの左、つまり西側には太い線が縦に描かれ、それは途中から右と左へと分かれる。この線はまさに大河マンベラーモ川と、その上流部の支流であるローハール川(現在はTariku=タリク川)とイーデンブルグ川(現在はTaritatu=タリタウ川)を指し示している。しかも、その南には東西に走る山脈域が描かれ、特に中央部は…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(19) 2017年2月7日

この図面の中央には、恐竜あるいは亀の形とも言われた世界第二の巨島ニューギニア島が描かれている。亀頭部分には、おそらくソロンとマノクワリと思われる位置に●印がある。マノクワリの●印の上には消しゴムで削除したものの、薄っすらと「マノクワリ」の文字が。そして、その東側にビアク島が。この島の真上にもかろうじて「ビワク」…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(18) 2017年2月6日

日本から西部ニューギニアまでの行程を描いた地図には、□で囲んだ「7.24 27」、そして□のない「730」の数値がある。これらは地図とは無縁で、単に余白にメモ書きしたものと思われる。ちなみに「7.24 27」は、その字の通り「7月24日 27日」を指し、その日時、日高岩男少佐は、ヤピナ島攻撃を前に、ロンベバイ湖…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(17) 2017年2月5日

一方『鰐部隊とパプア人マンドル』の著者である徳野明元曹長の記述によると「そのとき(注:昭和19年1月頃と推定)、日高少佐(注:当時は大尉。少佐任官は昭和19年3月1日)が元気な姿をマノクワリに現した。軍が南進航行中、日高少佐(注:当時は大尉)はダバオでアンボンの第19軍に派遣されることになり、別行動をとっていた…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(16) 2017年2月4日

この地図は、朝鮮半島の南に「上海」と記し、次に「台湾」、そして「ヒリッピン(フィリピン)」と続き、その南に「ハルマヘラ」があり、そこから矢印でアンボン方面へ向かった行程が描かれている。日高は、11月20日頃アンボンに到着したと、作戦行動図の裏面に記している。第二軍の行動記録によれば、昭和18(1943)年11月…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(15) 2017年2月3日

日高少佐が描いた、番号なしのスケッチ画の裏面左半分には、日高が祖国日本を発ってから西部ニューギニアに至るまでの行程が、地図と共に書かれている。残り少ないわら半紙を節約したのか、兵要地誌情報をしたためた紙の裏面に、遥か日本から赤道を越えてやってきた西部ニューギニアまでの軌跡を、懐かしむように、記憶を辿るかのように…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(14) 2017年2月2日

さて、右下に描かれたヤピナ島とおぼしき楕円形と、○で示した、おそらく集結地点である倒木の脇に、カヌーと思われる図。計6隻ある。徳野明元曹長は、その著『鰐部隊とパプア人マンドル』で、ヤピナ島奇襲攻撃は、日高少佐以下16名、4隻の丸木舟で実行したと描かれている。これは、ロンベバイ湖図の、ヤピナ島の東南端に記された■…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(13) 2017年2月1日

英国で1988年に初版が発刊された『Flying Cats The Catalina Aircraft in World War II』(Andrew Hendrie著・Airlife Publishing Ltd刊)には、ロンベバイ湖のヤピナ島へ、1944年7月31日、10名の連合軍兵士を救出すために、E.W…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(12) 2017年1月31日

番号なしのスケッチ画の裏面中央には、日高少佐がヤピナ島攻略作戦を練った際に書いたと思われる楕円形のロンベバイ湖地図が描かれている。そして右下には島とカヌーの隊列とおぼしき図が。また、左端には、祖国から西部ニューギニアに至るまでの自らの行程と思われる書き込みもある。朝鮮半島、台湾、フィリイン、ハルマヘラ、アンボン…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(11) 2017年1月30日

日高少佐が描いたマンベラーモ河流域の行動地図にも、昭和19(1944)年6月22日まで合流点にいたことが記されている。工作隊は四隻のカヌーで、6月23日午前一時、合流点を発った。以降、バタビア瀑布、エデー(エディ)瀑布、マリネ瀑布を突破して、7月3日、ロンベバイ湖西方に位置する小高い丘の八〇高地に到着した。ちな…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(10) 2017年1月29日

ロンベバイ湖(Danau Rombebai)は、マンベラーモ河口から直線距離で真南へ約39km。最新のLIPI(インドネシア国立科学院)調査によれば、マンベラーモ川本流から湖に繋がる二つの水路は、川の増水と減水に伴って、その流れの方向が変わるという。つまり、本流の増水時には、半島状水路を通じて水が湖に流れ込み、…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(9) 2017年1月28日

日高岩男大尉の遺品の中に、おそらく戦後祖国生還を果たした部下が持ち帰ったものと推定される、三枚のわら半紙がある。サイズが共に22 X 28cmの二枚には、日高自身が鉛筆で描いたスケッチ画。マンベラーモ川踏査中、最も長く滞在したローハール川とイーデンブルグ川の合流点に設けた拠点で描いたものと思われる。No.3と記…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(8) 2017年1月27日

昭和18(1943)年11月6日、下関を発った日高岩男大尉は、翌昭和19(1944)年1月7~8日頃マノクワリに到着した。第二軍司令部(勢16400部隊)の情報班付の下士官らが、前年の12月8日、開戦二周年の日に到着しているので、ちょうど一ヵ月遅れの上陸だ。日高は第19軍司令部が置かれたアンボンに11月20日頃…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(7) 2017年1月26日

話しを、対ソ連工作活動に移そう。日高は、元々はいわゆる“北方要員”だったのだろうか?そのことを裏付ける明白な公的資料は残っていない。しかし、結論から言えば、その可能性は大いにあったが、戦局の激変に伴って、遊撃戦(ゲリラ戦)の主舞台となった濠北方面に、その才能を発揮することを求められた、ということだろう。陸軍中野…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(6) 2017年1月25日

濠北方面での戦局の悪化に伴い、絶対国防権ラインが西方に後退する中、大本営は、日中戦争に投入していた部隊を、次から次へと西部ニューギニア、ハルマヘラ島方面へ移した。当初マノクワリに置かれた第二軍(豊嶋房太郎中将)隷下だけ見ても、サルミに置かれた通称雪部隊、雪兵団の、主に東北出身者から成る第36師団(田上八郎中将・…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(5) 2017年1月24日

宮崎県が作成した戦没者整理名票によれば、日高岩男大尉(当時)は、昭和18(1943)年11月5日に「南方派遣のため門司港出帆」と記されている。これはおそらく正確な日付だろう。というのも、日高自身が、西部ニューギニアに到着後に書いた現地行動図の裏面に、鉛筆でその辺りの事を書き留めている。それによれば、昭和18年1…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(4) 2017年1月23日

高橋ミチエは、大正9(1920)年5月20日、宮崎県の南端、鹿児島県との県境に近い、現在の日南市南郷町榎原(よわら)で、父・正次(昭和32年11月、65歳で没)と母・ミヨ(昭和53年4月、83歳で没)の長女として生を受けた。ミチの実家は、天照大神を祭神に仰ぐ、縁結びや安産祈願、家内安全などにご神徳があるとされる…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(3) 2017年1月22日

昭和12(1937)年12月31日、満州(現在の中国東北部)の佳木斯(ジャムス)で歩兵第37連隊に編入した日高岩男歩兵曹長・見習士官(当時)は、翌昭和13(1938)年3月1日、少尉に任官し、将校の道を歩み始めた。この頃の出来事といえば、昭和11(1936)年には「二・二六事件」が起き、昭和12年7月に日華事変…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(2) 2017年1月21日

JR九州の日南線飫肥駅から酒谷川を越えて北西に直線距離でおよそ500m、飫肥城址からは東側に約600m。長久寺の裏手に大きな墓地がある。かつての日向国安国寺跡地だ。ここに、日高家先祖代々のお墓がある。日高家の家紋は「丸に違い矢」。弓矢は武具。ご先祖は武士だったのだろうか。霊票には、日高岩男少佐の祖父にあたる兵次…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1) 2017年1月20日

西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1) https://youtu.be/qzaMsL7TRpg 日高岩男少佐(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用) 今から73年も前の話だ。昭和19(1944)年7月31日、日本軍宣撫工作隊の一つである、…
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運命の海上機動兵団(続編)・海上機動第二旅団(157)

“日本版海兵隊”とも言われる、陸上自衛隊の「水陸機動団(Amphibious Rapid Development Brigade)」が、2018(平成30)年3月に創設された。将来的に約3,000人規模を目指すとされる同部隊は、中華人民共和国の急激な軍事力増大や、尖閣諸島問題の長期化を睨み、南西諸島に対する脅威…
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運命の海上機動兵団(続編)・海上機動第二旅団(156)

“日本版海兵隊”とも言われる、陸上自衛隊の「水陸機動団(Amphibious Rapid Development Brigade)」が、2018(平成30)年3月に創設された。将来的に約3,000人規模を目指すとされる同部隊は、中華人民共和国の急激な軍事力増大や、尖閣諸島問題の長期化を睨み、南西諸島に対する脅威…
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運命の海上機動兵団(続編)・海上機動第二旅団(155)

“日本版海兵隊”とも言われる、陸上自衛隊の「水陸機動団(Amphibious Rapid Development Brigade)」が、2018(平成30)年3月に創設された。将来的に約3,000人規模を目指すとされる同部隊は、中華人民共和国の急激な軍事力増大や、尖閣諸島問題の長期化を睨み、南西諸島に対する脅威…
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運命の海上機動兵団(続編)・海上機動第二旅団(154)

“日本版海兵隊”とも言われる、陸上自衛隊の「水陸機動団(Amphibious Rapid Development Brigade)」が、2018(平成30)年3月に創設された。将来的に約3,000人規模を目指すとされる同部隊は、中華人民共和国の急激な軍事力増大や、尖閣諸島問題の長期化を睨み、南西諸島に対する脅威…
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運命の海上機動兵団(続編)・海上機動第二旅団(153)

“日本版海兵隊”とも言われる、陸上自衛隊の「水陸機動団(Amphibious Rapid Development Brigade)」が、2018(平成30)年3月に創設された。将来的に約3,000人規模を目指すとされる同部隊は、中華人民共和国の急激な軍事力増大や、尖閣諸島問題の長期化を睨み、南西諸島に対する脅威…
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