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西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ7Bunker Jepang di Pulau Doom
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ7Bunker Jepang di Pulau Doom いわゆる“ニューギニア戦”については、東部の第18軍(安達二十三中将)や西部の第2軍(豊嶋房太郎中将)と連合国軍との戦闘に関する史料や戦誌が、その中核を占めているが、開戦初期の海軍陸戦隊による“ニューギニア占拠”については、関連資料・史料が極めて少ない。 ...続きを見る

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2016/02/09 00:00
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ6Bunker Jepang di Pulau Doom
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ6Bunker Jepang di Pulau Doom 西パプア州の州都ソロン(Sorong)市の西方沖に浮かぶドーム島(かつて日本軍はソロン島と呼んだ)に、ほぼ原形をとどめて散在する日本帝国海軍が建造設置したと推定される計12基のトーチカ群。日本軍侵攻以前に、当地を植民地支配していたオランダが造ったトーチカも少なくとも三つある。 ...続きを見る

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2016/02/08 00:00
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ5Bunker Jepang di Pulau Doom
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ5Bunker Jepang di Pulau Doom 旧日本海軍が設定したと思われる計12基のトーチカの存在が明らかになった、西パプア州の州都ソロン(Sorong)市の目と鼻の先に浮かぶドーム島(Pulau Doom)。日本軍は、この島を日本軍が占領する以前に宗主国であるオランダが呼称していた“ソロン島”と呼んでいたようだ。 ...続きを見る

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2016/02/07 00:00
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ4Bunker Jepang di Pulau Doom
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ4Bunker Jepang di Pulau Doom 西パプア州(Provinsi Papua Barat)の州都ソロン(Sorong)の沖合に浮かぶドーム島(Pulau Doom)。東西約1100m、南北約600mの楕円形をした小さな島だ。そんな島に計15基ものトーチカ跡が残っている。旧日本軍(海軍か?)が設置したものが12基、そして、日本軍侵攻前にオランダ軍が造ったものが3基。 ...続きを見る

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2016/02/06 00:00
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ3Bunker Jepang di Pulau Doom
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ3Bunker Jepang di Pulau Doom 昭和19(1944)2月1日、「ニューギニア民政府」は解体され、代わりにハルマヘラ島(Pulau Halmahera)のカウ(カオ・Kau/Kao)に第26海軍建設部(本部長は、第26特別根拠地隊司令官の一瀬信一海軍中将)が設置された。同建設部は、マノクワリとソロンに支部を設けた。 ...続きを見る

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2016/02/05 00:00
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ2Bunker Jepang di Pulau Doom
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ2Bunker Jepang di Pulau Doom 西パプア州の州都ソロン(Sorong)沖合に浮かぶドーム島(Pulau Doom)に今も残る、旧日本軍が設定したトーチカに関するリポートに対して、インドネシア各地の友人から、「ここにもある」との反応が届いた。例えば、スマトラ島北部のメダン(Medan)や、スラウェシ島のマカッサル(Makkasar)、そしてハルマヘラ島(Pulau Halmahera)等々。 ...続きを見る

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2016/02/04 00:00
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ Bunker Jepang di Pulau Doom
西部ニューギニアのソロンに残る日本軍トーチカ Bunker Jepang di Pulau Doom ジャワ島バンドン在住の建築家イェオ・ブン・ヨン(Yeo Bun Yong・楊文雄)さん(48歳)から、西パプア州の州都ソロン(Sorong)市沖合に浮かぶドーム島(Pulau Doom)で撮影した、旧日本軍が残した幾つものトーチカ跡の画像が届けられた。その数、旧日本軍関連が12基、オランダ関連が3基。パラヒャンガン大学(Univ.Parahyangan)で建築学を専攻した同氏は、歴史的なエリアにおける古い建築物と、その周辺の地形やそこに暮らす人々の生活をテーマに研究を続けている。 ...続きを見る

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2016/02/03 00:00
ブファレからサルミ(32) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(32) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 終戦70周年の、その日は過ぎた。71年目が始まった。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/20 00:00
ブファレからサルミ(31) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(31) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 終戦70周年の、その日は過ぎた。71年目が始まった。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/19 00:00
ブファレからサルミ(30) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(30) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 終戦70周年の、その日は過ぎた。71年目が始まった。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/18 00:00
ブファレからサルミ(29) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(29) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 終戦70周年の、その日がやって来た。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/17 00:00
ブファレからサルミ(28) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(28) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 終戦70周年の、その日がやって来た。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/16 00:00
ブファレからサルミ(27) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(27) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/14 00:00
ブファレからサルミ(26) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(26) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/13 00:00
ブファレからサルミ(25) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(25) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/12 00:00
ブファレからサルミ(24) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(24) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/11 00:00
ブファレからサルミ(23) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(23) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/10 00:00
ブファレからサルミ(22) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(22) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/09 00:00
ブファレからサルミ(21) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(21) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/08 00:00
ブファレからサルミ(20) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(20) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/07 00:00
ブファレからサルミ(19) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(19) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/06 00:00
ブファレからサルミ(18) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(18) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/05 00:00
ブファレからサルミ(17) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(17) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/04 00:00
ブファレからサルミ(16) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(16) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/03 00:00
ブファレからサルミ(15) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(15) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/02 00:00
ブファレからサルミ(14) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(14) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/08/01 00:00
ブファレからサルミ(13) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(13) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/31 00:00
ブファレからサルミ(12) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(12) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/30 00:00
ブファレからサルミ(11) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(11) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/29 00:00
ブファレからサルミ(10) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(10) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/28 00:00
ブファレからサルミ(9) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(9) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/27 00:00
ブファレからサルミ(8) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(8) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/26 00:00
ブファレからサルミ(7) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(7) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/25 00:00
ブファレからサルミ(6) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(6) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/24 00:00
ブファレからサルミ(5) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(5) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/23 00:00
ブファレからサルミ(4) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(4) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/22 00:00
ブファレからサルミ(3) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(3) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/21 00:00
ブファレからサルミ(2) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(2) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/20 00:00
ブファレからサルミ(1) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
ブファレからサルミ(1) Bufareh to Sarmi, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/19 00:00
サルミからブファレ(44) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
サルミからブファレ(44) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/18 00:00
サルミからブファレ(43) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
サルミからブファレ(43) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/17 00:00
サルミからブファレ(42) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
サルミからブファレ(42) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/16 00:00
サルミからブファレ(41) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
サルミからブファレ(41) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/15 00:00
サルミからブファレ(40) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
サルミからブファレ(40) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/14 00:00
サルミからブファレ(39) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
サルミからブファレ(39) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/13 00:00
サルミからブファレ(38) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
サルミからブファレ(38) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/12 00:00
サルミからブファレ(37) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
サルミからブファレ(37) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/11 00:00
サルミからブファレ(36) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
サルミからブファレ(36) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/10 00:00
サルミからブファレ(35) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
サルミからブファレ(35) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/09 00:00
サルミからブファレ(34) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
サルミからブファレ(34) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵 間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/08 00:00
サルミからブファレ(33) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/07 00:00
サルミからブファレ(32) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/06 00:00
サルミからブファレ(31) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/05 00:00
サルミからブファレ(30) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/04 00:00
サルミからブファレ(29) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/03 00:00
サルミからブファレ(28) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/02 00:00
サルミからブファレ(27) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/07/01 00:00
サルミからブファレ(26) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/30 00:00
サルミからブファレ(25) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/29 00:00
サルミからブファレ(24) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/28 00:00
サルミからブファレ(23) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/27 00:00
サルミからブファレ(22) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/25 00:00
サルミからブファレ(21) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/24 00:00
サルミからブファレ(20) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/23 00:00
サルミからブファレ(19) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/22 00:00
サルミからブファレ(18) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/21 00:00
サルミからブファレ(17) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/20 00:00
サルミからブファレ(16) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/19 00:00
サルミからブファレ(15) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/18 00:00
サルミからブファレ(14) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/17 00:00
サルミからブファレ(13) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/16 00:00
サルミからブファレ(12) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/15 00:00
サルミからブファレ(11) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/14 00:00
サルミからブファレ(10) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/13 00:00
サルミからブファレ(9) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/12 00:00
サルミからブファレ(8) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/11 00:00
サルミからブファレ(7) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/10 00:00
サルミからブファレ(6) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/09 00:00
サルミからブファレ(5) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/08 00:00
サルミからブファレ(4) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/07 00:00
サルミからブファレ(3) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/06 00:00
サルミからブファレ(2) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/05 00:00
サルミからブファレ(1) Sarmi to Bufareh, Papua 西部ニューギニア未帰還兵
間もなく、終戦70周年の、その日がやって来る。 厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2015/06/04 00:00
サルミのトル川からサルミ市へ Tor River to Sarmi City, SARMI(22)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/03/10 00:00
サルミのトル川からサルミ市へ Tor River to Sarmi City, SARMI(21)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/03/09 00:00
サルミのトル川からサルミ市へ Tor River to Sarmi City, SARMI(20)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/03/08 00:00
サルミのトル川からサルミ市へ Tor River to Sarmi City, SARMI(19)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/03/07 00:00
サルミのトル川&トル橋 Tor River & Tor Bridge, SARMI(18)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/03/06 00:00
サルミのトル川&トル橋 Tor River & Tor Bridge, SARMI(17)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/03/05 00:00
サルミのトル川&トル橋 Tor River & Tor Bridge, SARMI(16)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/03/04 00:00
サルミのマフィンからトル川へ Maffin to Tor River, SARMI(15)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/03/03 00:00
サルミのマフィンからトル川へ Maffin to Tor River, SARMI(14)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/03/02 00:00
サルミのマフィン旧日本軍高射砲陣地跡 Dai Nippon di Maffin, SARMI(13)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/03/01 00:00
サルミのマフィン旧日本軍高射砲陣地跡 Dai Nippon di Maffin, SARMI(12)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/02/28 00:00
サルミのマフィン旧日本軍高射砲陣地跡 Dai Nippon di Maffin, SARMI(11)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/02/27 00:00
サルミのマフィン・タンジュンバトゥ村へ Tanjung Batu, Maffin, SARMI(10
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/02/26 00:00
サルミのサワールからウォスケ川へ Sawar ke Sungai Waskey, SARMI(9)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/02/25 00:00
サルミのサワールからウォスケ川へ Sawar ke Sungai Waskey, SARMI(8)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/02/24 00:00
サルミのサワール飛行場跡へ Bandara Jepang di Sawar,SARMI(7)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/02/23 00:00
サルミの日本軍鍾乳洞 Goa Jepang, Mararena, SARMI(6)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/02/22 00:00
サルミの山形の碑から日本軍洞窟へKe Goa Jepang, Mararena, SARMI(5)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/02/21 00:00
サルミの山形の碑からウォスケ川方面へ Ke Sungai Waskey, SARMI(4)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/02/20 00:00
サルミの戦没日本人之碑から山形の碑 Ke Tugu Yamagata, SARMI(3)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/02/19 00:00
サルミの戦没日本人之碑&市内 Tugu Jepang & Kota SARMI, Papua(2)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/02/18 00:00
サルミの戦没日本人之碑 Tugu Jepang, SARMI, Papua(1)
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/02/17 00:00
Jayapura to Sentani Airport, Papua ジャヤプラからセンタニ空港へ5
西部ニューギニア最大の都市ジャヤプラ。人口およそ32万人。西隣のジャヤプラ県(Kabupatenn Jayapura・人口約12万人)を合わせると約44万が暮らす、パプア州北東部の行政・経済の中心地だ。戦前まではホランジア(オランダの都の意味)と呼ばれた。。かつて、日本軍は、西郊外のセンタニ湖畔に三つの滑走路を建設。その内の一つであるセンタニ空港(Bandara Sentani)は、今やパプア州の基幹空港として大活躍。首都ジャカルタからノンストップの飛行機便で約5時間。パプア州(Provi... ...続きを見る

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2015/02/16 00:00
Jayapura to Sentani Airport, Papua ジャヤプラからセンタニ空港へ4
西部ニューギニア最大の都市ジャヤプラ。人口およそ32万人。西隣のジャヤプラ県(Kabupatenn Jayapura・人口約12万人)を合わせると約44万が暮らす、パプア州北東部の行政・経済の中心地だ。戦前まではホランジア(オランダの都の意味)と呼ばれた。。かつて、日本軍は、西郊外のセンタニ湖畔に三つの滑走路を建設。その内の一つであるセンタニ空港(Bandara Sentani)は、今やパプア州の基幹空港として大活躍。首都ジャカルタからノンストップの飛行機便で約5時間。パプア州(Provi... ...続きを見る

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2015/02/15 00:00
Jayapura to Sentani Airport, Papua ジャヤプラからセンタニ空港へ3
西部ニューギニア最大の都市ジャヤプラ。人口およそ32万人。西隣のジャヤプラ県(Kabupatenn Jayapura・人口約12万人)を合わせると約44万が暮らす、パプア州北東部の行政・経済の中心地だ。戦前まではホランジア(オランダの都の意味)と呼ばれた。。かつて、日本軍は、西郊外のセンタニ湖畔に三つの滑走路を建設。その内の一つであるセンタニ空港(Bandara Sentani)は、今やパプア州の基幹空港として大活躍。首都ジャカルタからノンストップの飛行機便で約5時間。パプア州(Provi... ...続きを見る

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2015/02/13 00:00
Jayapura to Sentani Airport, Papua ジャヤプラからセンタニ空港へ2
西部ニューギニア最大の都市ジャヤプラ。人口およそ32万人。西隣のジャヤプラ県(Kabupatenn Jayapura・人口約12万人)を合わせると約44万が暮らす、パプア州北東部の行政・経済の中心地だ。戦前まではホランジア(オランダの都の意味)と呼ばれた。。かつて、日本軍は、西郊外のセンタニ湖畔に三つの滑走路を建設。その内の一つであるセンタニ空港(Bandara Sentani)は、今やパプア州の基幹空港として大活躍。首都ジャカルタからノンストップの飛行機便で約5時間。パプア州(Provi... ...続きを見る

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2015/02/12 00:00
Jayapura to Sentani Airport, Papua ジャヤプラからセンタニ空港へ1
西部ニューギニア最大の都市ジャヤプラ。人口およそ32万人。西隣のジャヤプラ県(Kabupatenn Jayapura・人口約12万人)を合わせると約44万が暮らす、パプア州北東部の行政・経済の中心地だ。戦前まではホランジア(オランダの都の意味)と呼ばれた。。かつて、日本軍は、西郊外のセンタニ湖畔に三つの滑走路を建設。その内の一つであるセンタニ空港(Bandara Sentani)は、今やパプア州の基幹空港として大活躍。首都ジャカルタからノンストップの飛行機便で約5時間。パプア州(Provi... ...続きを見る

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2015/02/11 00:00
パプア州都ジャヤプラからジャカルタへFlight Jayapura to Jakarta
西部ニューギニア最大の都市ジャヤプラ。旧ホランジア(オランダの都の意味)。かつて、日本軍は、西郊外のセンタニ湖畔に三つの滑走路を建設。その内の一つであるセンタニ空港(Bandara Sentani)は、今やパプア州の基幹空港として大活躍。首都ジャカルタからノンストップのガルーダ航空(Garuda)直行便で約5時間。パプア州(Provinsi Papua)の州都は、太平洋戦争の激戦がここで行われたことを微塵も残していない。しかし、このセンタニ空港周辺部では、今でも数千の旧日本軍将兵の遺骨が、... ...続きを見る

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2015/02/10 00:00
パプア州の州都ジャヤプラ Jayapura, Ibukota Provinsi Papua
西部ニューギニア最大の都市ジャヤプラ。人口およそ32万人。西隣のジャヤプラ県(Kabupatenn Jayapura・人口約12万人)を合わせると約44万が暮らす、パプア州北東部の行政・経済の中心地だ。戦前まではホランジア(オランダの都の意味)と呼ばれた。。かつて、日本軍は、西郊外のセンタニ湖畔に三つの滑走路を建設。その内の一つであるセンタニ空港(Bandara Sentani)は、今やパプア州の基幹空港として大活躍。首都ジャカルタからノンストップの飛行機便で約5時間。パプア州(Provi... ...続きを見る

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2015/02/09 00:00
ガルーダ航空ジャヤプラ直行便 Flight From Jakarta to Jayapura
西部ニューギニア最大の都市ジャヤプラ。旧ホランジア(オランダの都の意味)。かつて、日本軍は、西郊外のセンタニ湖畔に三つの滑走路を建設。その内の一つであるセンタニ空港(Bandara Sentani)は、今やパプア州の基幹空港として大活躍。首都ジャカルタからノンストップのガルーダ航空(Garuda)直行便で約5時間。パプア州(Provinsi Papua)の州都は、太平洋戦争の激戦がここで行われたことを微塵も残していない。しかし、このセンタニ空港周辺部では、今でも数千の旧日本軍将兵の遺骨が、... ...続きを見る

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2015/02/08 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(38) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/02/07 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(37) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/02/06 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(36) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/02/05 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(35) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/02/04 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(34) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/02/03 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(33) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/02/02 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(32) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/02/01 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(31) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/01/31 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(30) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/01/30 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(29) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/01/29 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(28) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/01/28 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(27) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/01/27 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(26) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/01/26 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(25) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/01/25 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(24) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/01/24 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(23) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/01/23 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(22) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る

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2015/01/21 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(21) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/20 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(20) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/19 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(19) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/18 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(18) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/17 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(17) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/16 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(16) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/15 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(15) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/14 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(14) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/13 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(13) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/12 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(12) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/11 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(11) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/10 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(10) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/09 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(9) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/08 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(8) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/07 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(7) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/06 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(6) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/05 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(5) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/04 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(4) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/03 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(3) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2015/01/02 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(2) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2014/12/31 00:00
パプア州のジャヤプラからサルミへ(1) Jayapura to Sarmi, Papua
西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ...続きを見る

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2014/12/30 00:00
西部ニューギアから新たな旧日本兵の遺骨情報が Nasib Tentara Dai Nippon
“ビジネスクラスで行く”旧日本兵の遺骨情報調査については、これまで何度か記してきた。年間1千〜2千万円もの、日本国民の血税から生まれた「公費」を使って、70年以上も前に戦場に斃れた、多くは20〜30歳代の将兵らの遺骨に関する情報を収集する作業のことだ。これには、本来率先して足を運ばなければいけない担当省庁である厚労省は、業務管理のみで、民間団体にその任の大半を“丸投げ”している。 ...続きを見る

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2014/12/17 00:00
サルミからダンケン&ブファレ村へ(13) 西部ニューギニア未帰還兵
日米開戦、太平洋戦争勃発から73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2014/12/11 00:00
サルミからダンケン&ブファレ村へ(12) 西部ニューギニア未帰還兵
日米開戦、太平洋戦争勃発から73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2014/12/10 00:00
サルミからダンケン&ブファレ村へ(11) 西部ニューギニア未帰還兵
日米開戦、太平洋戦争勃発から73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2014/12/09 00:00
サルミからダンケン&ブファレ村へ(10) 西部ニューギニア未帰還兵
日米開戦、太平洋戦争勃発から73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2014/12/08 00:00
サルミからダンケン&ブファレ村へ(9) 西部ニューギニア未帰還兵
日米開戦、太平洋戦争勃発から明日で73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2014/12/07 00:00
サルミからダンケン&ブファレ村へ(8) 西部ニューギニア未帰還兵
日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2014/12/06 00:00
サルミからダンケン&ブファレ村へ(7) 西部ニューギニア未帰還兵
日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2014/12/05 00:00
サルミからダンケン&ブファレ村へ(6) 西部ニューギニア未帰還兵
日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2014/12/04 00:00
サルミからダンケン&ブファレ村へ(5) 西部ニューギニア未帰還兵
日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2014/12/03 00:00
サルミからダンケン&ブファレ村へ(4) 西部ニューギニア未帰還兵
日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2014/12/02 00:00
サルミからダンケン&ブファレ村へ(3) 西部ニューギニア未帰還兵
日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2014/12/01 00:00
サルミからダンケン&ブファレ村へ(2) 西部ニューギニア未帰還兵
日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2014/11/30 00:00
サルミからダンケン&ブファレ村へ(1) 西部ニューギニア未帰還兵
日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る

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2014/11/29 00:00
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(5)
去る10月10日、西部ニューギニア(旧蘭領ニューギニア・旧西イリアン・旧イリアンジャヤ・旧パプア州:現在はパプア州&西パプア州)から戦後69年ぶりに祖国帰還を果たした(おそらく)旧日本兵と推定される計61柱の遺骨に関してリポートした。日本の民間団体による杜撰な遺骨情報収集過程、そして余りにもアマチュア的かつ長期展望の無さ。戦前・戦後を通じて70年以上もの長きに渡って、赤道直下の土むくれと化した旧日本軍将兵。 ...続きを見る

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2014/11/16 00:00
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(4)
当たり前の話だが、かつての戦場で、あるいはその付近で見つかる遺骨の個人特定をする場合、戦史との照合、元帰還兵の証言などからの推察、さらには個々の遺骨の周辺部から出てくる数々の遺留品(例えば、認識票、飯盒、水筒、鉄帽、眼鏡、印鑑、銃、銃剣、その他の軍装備等々)の存在が極めて重要な要素となる。そして地元住民、とりわけ古老らの証言、あるいはその証言を引き継いだ次世代の伝承証言も有力な手掛かりとなる。もちろんDNA鑑定という手段もあるが、その場合、遺骨が、生前どの部隊に所属していた誰なのかがある程... ...続きを見る

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2014/10/29 00:00
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(3)
煮えたぎるような高湿度。吐き気をもよおす異臭。蚕棚のような狭い空間。敵潜水艦の魚雷攻撃を避けつつ、ジグザク操舵で進む古びた貨物船の船底。今から70年以上も前、何万、何十万もの将兵が、日本から、そして占領下の中国から南方へと向かった。厚労省のデータによれば、西イリアン(西部ニューギニア・今日のインドネシア領パプア州&西パプア州)で53,000人、東部ニューギニア(今日のパプアニューギニア)で127,600人が戦死。さて、これらの数値に、動員された朝鮮半島出身者、台湾出身者、さらにはインドネシ... ...続きを見る

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2014/10/25 00:00
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(2)
遺骨収集作業なのだろうか、それとも遺骨回収事業なのか? 実際に、土むくれを掘り起しているのは地元のパプア人。そして、ある程度の“量”がまとまると連絡してくる得体のしれない“現地インフォーマント”。次は、それらの情報確認のために、日本の民間組織が向かい、それを確認。すると。その情報確認のために日本政府関係者が、現地へ向かい。それを“役人の眼”で再確認。丁寧な二度手間。費用もかかろう。豊かな経済力の国家らしいビジネスクラス的調査方法かな。 ...続きを見る

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2014/10/24 00:00
西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが
戦後70年は目の前だ。そして、日本人男性の平均寿命はおよそ80歳とか。つまり、終戦時に10歳だった男子が、そろそろ明鏡境を異にする時期に入ったことを意味する。言い換えれば、戦争実体験者が皆無に近づいているということだ。戦争を知らない世代が、社会の要所を占め、やれ世界平和貢献だ、国民の安全を守るのだとか喧しい。 ...続きを見る

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2014/10/10 00:00
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか
2014年10月7日、『朝日新聞』東京版の国際ページに、小さな記事が掲載された。「インドネシア 旧日本兵の遺骨を確認」との記事。インドネシア・パプア州のプアイという場所で、戦死した旧日本兵の遺骨を焼く焼骨式が6日に行われたという内容だ。なんでも61人分の遺骨を確認とある。それらの遺骨は、日本に持ち帰られ、東京・千鳥ヶ淵戦没者墓苑に収められるとも。しかし、それらは本当に旧日本兵らの遺骨なのか?たぶん厚労省は言うであろう。住民らの証言や戦史などの記録、さらに遺骨周辺の遺品状況などから総合的に判... ...続きを見る

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2014/10/08 00:00
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵、そして生き続ける三八歩兵銃
日本の真南およそ5,500km。ニューギニア島の西半分。インドネシアの最東端部にパプア州と西パプア州がある。そこは70年ほど前に日本軍と連合国軍とが死闘を繰り返した戦場でもある。 数か月前にサルミ地区で高校生が見つけた旧日本兵の遺骨。 ...続きを見る

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2014/09/26 00:00
Sail Raja Ampat2014 西パプア州ラジャ・アンパット「セイル・インドネシア」(3)
ワイサイ(Waisai・西パプア州ラジャアンパット県の県都)で来る6月21日にクライマックスを迎える『Sail Raja Ampat 2014』。現地県政府から、西部ニューギニアの中心都市ソロン(Sorong)に離着陸する航空スケジュール情報が寄せられた。 ...続きを見る

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2014/05/31 00:00
Sail Raja Ampat2014 西パプア州ラジャ・アンパット「セイル・インドネシア」(2)
ワイサイ(Waisai・西パプア州ラジャアンパット県の県都)から、西部ニューギニアの中心都市ソロン(Sorong)から船舶でどのように渡るかの情報が届いた。ソロン市から目と鼻の距離とはいえ、定期船を逃すと、一日ソロンで過ごさねばならない。 ...続きを見る

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2014/04/01 00:00
Sail Raja Ampat2014 西パプア州ラジャ・アンパット県6月に「セイル・インドネシア」
先の太平洋戦争で数千名もの日本軍将兵が命を落とした、現西パプア州(Provinsi Papua Barat)のワイゲオ島(Pulau Waigeo)やサラワチ島(Pulau Salawati)。沖縄本島からだとおよそ2,900kmの真南に位置する。造形作家の三橋國民さんは、その地から奇跡的に生還した一人だ。氏は言った『あの時代、僕らにとって海の色は灰色でした』と。現実には、この世のものとは思えない“海の楽園”とも言うべき透明なブルーの海洋が広がっているというのに。 ...続きを見る

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2014/03/29 00:00
ヨハナさんパプア人初の女性教授就任 Profesor pertama wanita Papua
インドネシア最東端のパプア州&西パプア州(西部ニューギニア)に初のパプア人女性教授が誕生した。国立チェンドラワシ大学(Uncen=Universitas Cenderawasih)教育学部のヨハナ・エンビセ(Yohana Yembise)さんだ。彼女は、1958年10月、果物の街として知られる、現在の西パプア州の州都マノクワリで生まれた。民族的には、ビアク(Biak)島のビアク人。 ...続きを見る

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2012/11/23 00:00
マックさんが案内するパプア&西パプア州(2) Tur Papua bersama Mac
二度ほど掲載したが、パプア州の中央高地で旅行業を営むマック君について、今度は動画で紹介したい。ヤリ(Yali)民族出身のデマイアヌス・マック・ワサゲ(Demaianus "Mac" Wasage)さん。去る3月中旬、29歳になったばかりのマック君は、ヤリモ県(Kabupaten Yalimo)の県都アパハプシリ(Apahapsili)近くのホロンドゥ(Holondu)村生まれ。 ...続きを見る

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2012/05/21 00:00
マックさんが案内するパプア&西パプア州 Tur Papua bersama Mac
既報(2012年4月26日付)だが、もう一度インドネシア最東端のパプア州(Provinsi Papua)の中央高地で旅行会社を経営する、ヤリ(Yali)民族出身のデマイアヌス・マック・ワサゲ君(Demaianus "Mac" Wasage)について書いてみたい。去る3月中旬、29歳になったばかりのマック君は、ヤリモ県(Kabupaten Yalimo)の県都アパハプシリ(Apahapsili)近くのホロンドゥ(Holondu)村生まれ。 ...続きを見る

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2012/05/13 00:00
ラジャアンパット動画総集編 (II) Video2 "Surga Bumi" Raja Ampat
西パプア州のラジャ・アンパット県(Kab.Raja Ampat)。かつて太平洋戦争の時代、海上機動第二旅団(巡兵団)を始め、何千人もの日本軍兵士が駐留したエリアだ。ワイゲオ島、そしてサラワチ島などで、餓死そして病気によって多くの兵が若い命を落とした。かつての戦場は今、世界的に知られるダイビングスポットとなった。世界一の生物多様性を誇るラジャアンパットの海。ラジャアンパット県政府がフランスのTVと共同制作した空撮映像、そして珊瑚海を映し出す観光プロモーションビデオ。来る5月9日、県創設記念日... ...続きを見る

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2012/05/11 00:00
ラジャアンパット動画総集編 Video-video Raja Ampat
西パプア州のラジャ・アンパット県(Kab.Raja Ampat)。かつて太平洋戦争の時代、海上機動第二旅団(巡兵団)を始め、何千人もの日本軍兵士が駐留したエリアだ。ワイゲオ島、そしてサラワチ島などで、餓死そして病気によって多くの兵が若い命を落とした。かつての戦場は今、世界的に知られるダイビングスポットとなった。世界一の生物多様性を誇るラジャアンパットの海。ラジャアンパット県政府がフランスのTVと共同制作した空撮映像、そして珊瑚海を映し出す観光プロモーションビデオ。来る5月9日、県創設記念日... ...続きを見る

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2012/05/04 00:00
地球最後の楽園ラジャアンパット9 Raja Ampat Last Paradise on Earth
西パプア州のラジャ・アンパット県(Kab.Raja Ampat)。かつて太平洋戦争の時代、何千人もの日本軍兵士が駐留したエリアだ。ワイゲオ島、そしてサラワチ島などで多くの兵が若い命を落とした。かつての戦場は今、世界的に知られるダイビングスポットとなった。世界一の生物多様性を誇るラジャアンパットの海。これはラジャアンパット県政府がフランスのTVと共同制作した空撮映像で、観光プロモーションを目的に、インドネシア文化宮(GBI)にその再使用権が認められたものである。 ...続きを見る

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2012/05/01 00:00
地球最後の楽園ラジャアンパット8 Raja Ampat Last Paradise on Earth
西パプア州のラジャ・アンパット県(Kab.Raja Ampat)。かつて太平洋戦争の時代、何千人もの日本軍兵士が駐留したエリアだ。ワイゲオ島、そしてサラワチ島などで多くの兵が若い命を落とした。かつての戦場は今、世界的に知られるダイビングスポットとなった。世界一の生物多様性を誇るラジャアンパットの海。これはラジャアンパット県政府がフランスのTVと共同制作した空撮映像で、観光プロモーションを目的に、インドネシア文化宮(GBI)にその再使用権が認められたものである。 ...続きを見る

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2012/04/29 00:00
三橋國民氏が観るラジャアンパットの空撮動画 Kunitami Mitsuhashi & Raja4
「地球最後の楽園ラジャアンパット・Raja Ampat Last Paradise on Earth」と題して、西パプア州ラジャ・アンパット県観光局から使用を認められた同地の空撮動画をアップしている。これらの動画はFB(フェースブック)を通じて、インドネシアの友人たち(しかもラジャ・アンパット県民も含む)とシェアしている。 自宅アトリエの三橋さん。 ...続きを見る

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2012/04/28 00:00
地球最後の楽園ラジャアンパット7 Raja Ampat Last Paradise on Earth
西パプア州のラジャ・アンパット県(Kab.Raja Ampat)。かつて太平洋戦争の時代、何千人もの日本軍兵士が駐留したエリアだ。ワイゲオ島、そしてサラワチ島などで多くの兵が若い命を落とした。かつての戦場は今、世界的に知られるダイビングスポットとなった。世界一の生物多様性を誇るラジャアンパットの海。これはラジャアンパット県政府がフランスのTVと共同制作した空撮映像で、観光プロモーションを目的に、インドネシア文化宮(GBI)にその再使用権が認められたものである。 ...続きを見る

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2012/04/27 00:00
パプア人青年が案内するパプアツアー Trek Papua Tours & Travel
筆者は西部ニューギニアが大好きだ。その昔、オランダ海外植民地から国連管理を経てインドネシアに併合されると「Irian Barat」と呼ばれ、やがて「Irian Jaya」とその名を変え、そして今日の「パプア州」と「西パプア州」と展開を遂げた。世界第二位の巨島ニューギニアの、東経141度を境とする西半分のエリア。先の大戦中には、日本軍が東南のメラウケ地域を除き軍事占領した場所だ。 ...続きを見る

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2012/04/26 00:00
地球最後の楽園ラジャアンパット6 Raja Ampat Last Paradise on Earth
西パプア州のラジャ・アンパット県(Kab.Raja Ampat)。かつて太平洋戦争の時代、何千人もの日本軍兵士が駐留したエリアだ。ワイゲオ島、そしてサラワチ島などで多くの兵が若い命を落とした。かつての戦場は今、世界的に知られるダイビングスポットとなった。世界一の生物多様性を誇るラジャアンパットの海。これはラジャアンパット県政府がフランスのTVと共同制作した空撮映像で、観光プロモーションを目的に、インドネシア文化宮(GBI)にその再使用権が認められたものである。 ...続きを見る

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2012/04/25 00:00
地球最後の楽園ラジャアンパット5 Raja Ampat Last Paradise on Earth
西パプア州のラジャ・アンパット県(Kab.Raja Ampat)。かつて太平洋戦争の時代、何千人もの日本軍兵士が駐留したエリアだ。ワイゲオ島、そしてサラワチ島などで多くの兵が若い命を落とした。かつての戦場は今、世界的に知られるダイビングスポットとなった。世界一の生物多様性を誇るラジャアンパットの海。これはラジャアンパット県政府がフランスのTVと共同制作した空撮映像で、観光プロモーションを目的に、インドネシア文化宮(GBI)にその再使用権が認められたものである。 ...続きを見る

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2012/04/23 00:00
地球最後の楽園ラジャアンパット4 Raja Ampat Last Paradise on Earth
西パプア州のラジャ・アンパット県(Kab.Raja Ampat)。かつて太平洋戦争の時代、何千人もの日本軍兵士が駐留したエリアだ。ワイゲオ島、そしてサラワチ島などで多くの兵が若い命を落とした。かつての戦場は今、世界的に知られるダイビングスポットとなった。世界一の生物多様性を誇るラジャアンパットの海。これはラジャアンパット県政府がフランスのTVと共同制作した空撮映像で、観光プロモーションを目的に、インドネシア文化宮(GBI)にその再使用権が認められたものである。 ...続きを見る

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2012/04/21 00:00
地球最後の楽園ラジャアンパット3 Raja Ampat Last Paradise on Earth
西パプア州のラジャ・アンパット県(Kab.Raja Ampat)。かつて太平洋戦争の時代、何千人もの日本軍兵士が駐留したエリアだ。ワイゲオ島、そしてサラワチ島などで多くの兵が若い命を落とした。かつての戦場は今、世界的に知られるダイビングスポットとなった。世界一の生物多様性を誇るラジャアンパットの海。これはラジャアンパット県政府がフランスのTVと共同制作した空撮映像で、観光プロモーションを目的に、インドネシア文化宮(GBI)にその再使用権が認められたものである。 ...続きを見る

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2012/04/16 00:00
地球最後の楽園ラジャアンパット2 Raja Ampat Last Paradise on Earth
西パプア州のラジャ・アンパット県(Kab.Raja Ampat)。かつて太平洋戦争の時代、何千人もの日本軍兵士が駐留したエリアだ。ワイゲオ島、そしてサラワチ島などで多くの兵が若い命を落とした。かつての戦場は今、世界的に知られるダイビングスポットとなった。世界一の生物多様性を誇るラジャアンパットの海。これはラジャアンパット県政府がフランスのTVと共同制作した空撮映像で、観光プロモーションを目的に、インドネシア文化宮(GBI)にその再使用権が認められたものである。 ...続きを見る

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2012/04/14 00:00
地球最後の楽園ラジャアンパット1 Raja Ampat Last Paradise on Earth
西パプア州のラジャ・アンパット県(Kab.Raja Ampat)。かつて太平洋戦争の時代、何千人もの日本軍兵士が駐留したエリアだ。ワイゲオ島、そしてサラワチ島などで多くの兵が若い命を落とした。かつての戦場は今、世界的に知られるダイビングスポットとなった。世界一の生物多様性を誇るラジャアンパットの海。これはラジャアンパット県政府がフランスのTVと共同制作した空撮映像で、観光プロモーションを目的に、インドネシア文化宮(GBI)にその再使用権が認められたものである。 ...続きを見る

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2012/04/12 00:00
地球最後の楽園ラジャアンパットの海Raja Ampat Last Paradise on Earth
2012年4月6〜8日、東京・池袋で開催されたマリンダイビングフェア(Marine Diving Fair 2012)。インドネシア各地から参加したデレゲーションの中に、西パプア州(Provinsi Papua Barat)のラジャ・アンパット県(Kabupaten Raja Ampat)が派遣したチームがいた。9年前に誕生した同県は“地球最後の楽園(The Last Paradise on Erath”を謳い、マリンスポーツとマリンリゾートの新天地として積極的なPR活動を続けている。 ... ...続きを見る

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2012/04/11 00:00
西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 モミ村まで(1) 動画
「六月二十九日、まず先発隊約六百名が、軍命令の通り出発した。七月一日の未明から約三週間にわたって、マノクワリの海岸道を南へ南へと向う長蛇の列がつづいた」-- 『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、マノクワリからイドレに至る転進作戦の始まりを“白骨行序幕”と記す。 ...続きを見る

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2011/05/02 00:00
西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 イドレ河(4)
「ヤカチ附近サゴ樹林中の生活は、日一日と生きている将兵の数を減じながら、死臭のなかに流れ去った。やがて一部の部隊をこのサゴ林およびヤカチ部落内に残置し、大部の部隊は最終目的地であるベラウ地峡エドレ(注:イドレ)地区に向い南下前進するよう軍命令が下達された。昭和十九年八月も末のころである」---『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、ヤカチ(Yakati)川からイドレ(Idore)村への移動の模様を“南進を続ける幽鬼群”... ...続きを見る

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2011/04/21 00:00
西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 イドレ河(3)
「ヤカチ附近サゴ樹林中の生活は、日一日と生きている将兵の数を減じながら、死臭のなかに流れ去った。やがて一部の部隊をこのサゴ林およびヤカチ部落内に残置し、大部の部隊は最終目的地であるベラウ地峡エドレ(注:イドレ)地区に向い南下前進するよう軍命令が下達された。昭和十九年八月も末のころである」---『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、ヤカチ(Yakati)川からイドレ(Idore)村への移動の模様を“南進を続ける幽鬼群”... ...続きを見る

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2011/04/20 00:00
西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 イドレ河(2)
「ヤカチ附近サゴ樹林中の生活は、日一日と生きている将兵の数を減じながら、死臭のなかに流れ去った。やがて一部の部隊をこのサゴ林およびヤカチ部落内に残置し、大部の部隊は最終目的地であるベラウ地峡エドレ(注:イドレ)地区に向い南下前進するよう軍命令が下達された。昭和十九年八月も末のころである」---『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、ヤカチ(Yakati)川からイドレ(Idore)村への移動の模様を“南進を続ける幽鬼群”... ...続きを見る

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2011/04/19 00:00
西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 イドレ河(1)
「ヤカチ附近サゴ樹林中の生活は、日一日と生きている将兵の数を減じながら、死臭のなかに流れ去った。やがて一部の部隊をこのサゴ林およびヤカチ部落内に残置し、大部の部隊は最終目的地であるベラウ地峡エドレ(注:イドレ)地区に向い南下前進するよう軍命令が下達された。昭和十九年八月も末のころである」---『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、ヤカチ(Yakati)川からイドレ(Idore)村への移動の模様を“南進を続ける幽鬼群”... ...続きを見る

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2011/03/13 00:00
西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村で歌い継がれる哀悼歌(動画)
たくさんの戦友が亡くなった。飢餓で、そして殺されて。 死体は森に、そして断崖に散らばっている。 ああ、なんという苦難か。 ...続きを見る

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2011/03/12 00:00
西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村に瞑る旧日本軍将兵(動画)
67年前のこと。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、ソロン(Sorong)、イドレ(Idore)へ転進させることを決めた。“転進”とは当時の名目。実際は、十分な糧食も持たない敗走だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド人などもいた。... ...続きを見る

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2011/03/11 00:00
西部ニューギニア密林に消えた2万の将兵・マノクワリ転進作戦の今
67年前のこと。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、ソロン(Sorong)、イドレ(Idore)へ転進させることを決めた。“転進”とは当時の名目。実際は、十分な糧食も持たない敗走だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド人などもいた。... ...続きを見る

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2011/03/10 00:00
ニューギニア島の西パプア州で大きな地震発生(Gempa bumi Papua Barat)
ほぼ四年前の2004年12月26日、スマトラ島沖合で巨大地震が起こり、インド洋沿岸諸国で未曾有の被害を受けた。特にスマトラ島北端に位置する、インドネシア最西端のアチェ州では17万もの住民が犠牲者となった。世界同時不況の、激動の2009年。正月の三が日が過ぎた四日、今度はインドネシア最東端のニューギニア島で大きな地震が発生した。室戸岬の真南およそ3,700km。2009年1月4日、午前4時43分54秒(現地時間。日本時間も同じ)、西部ニューギニアで発生したマグニチュード7.6(アメリ... ...続きを見る

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2009/01/04 19:00

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