テーマ:パプア州

太平洋戦争開戦から77周年。それでも“戦後”は続くのか。

今日12月8日は、太平洋戦争勃発から77周年。そして、今から70年前、つまり太平洋戦争開戦7周年目の昭和23(1948)年の12月8日、一人の旧日本帝国陸軍少佐が、戦犯としてオランダ軍によって銃殺刑に処せられた。場所は、現在のインドネシア共和国最東端のパプア州(旧蘭領ニューギニア)の州都ジャヤプラ(当時のホラン…
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太平洋戦争開戦から76周年。“戦後”は続く。新たな“戦前”か。

今日12月8日は、太平洋戦争勃発から76周年。そして、今から69年前、つまり太平洋戦争開戦7周年目の昭和23(1948)年の12月8日、一人の旧日本帝国陸軍少佐が、戦犯としてオランダ軍によって銃殺刑に処せられた。場所は、現在のインドネシア共和国最東端のパプア州(旧蘭領ニューギニア)の州都ジャヤプラ(当時のホラン…
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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(16)

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ…
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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(15)

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ…
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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(14)

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ…
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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(13)

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ…
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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(12)

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ…
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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(11)

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ…
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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(10)

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ…
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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(9)

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ…
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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(8)

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ…
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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(7)

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ…
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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(6)

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ…
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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(5)

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ…
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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(4)

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ…
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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(3)

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ…
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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(2)

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ…
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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(1)

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ…
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薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(40)

昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に…
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薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(39)

昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に…
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薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(38)

昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に…
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薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(37)

昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に…
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薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(36)

昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に…
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薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(35)

昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に…
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薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(34)

昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に…
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薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(33)

昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に…
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薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(32)

昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に…
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薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(31)

昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に…
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薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(30)

昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に…
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薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(29)

昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に…
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