再録:ガルーダ航空ジャヤプラ直行便 Flight From Jakarta to Jayapura 西部ニューギニア最大の都市ジャヤプラ。旧ホランジア(オランダの都の意味)。かつて、日本軍は、西郊外のセンタニ湖畔に三つの滑走路を建設。その内の一つであるセンタニ空港(Bandara Sentani)は、今やパプア州の基幹空港として大活躍。首都ジャカルタからノンストップのガルーダ航空(Garuda)直行便で約5時… トラックバック:0 コメント:0 2019年11月04日 続きを読むread more
太平洋戦争開戦から77周年。それでも“戦後”は続くのか。 今日12月8日は、太平洋戦争勃発から77周年。そして、今から70年前、つまり太平洋戦争開戦7周年目の昭和23(1948)年の12月8日、一人の旧日本帝国陸軍少佐が、戦犯としてオランダ軍によって銃殺刑に処せられた。場所は、現在のインドネシア共和国最東端のパプア州(旧蘭領ニューギニア)の州都ジャヤプラ(当時のホラン… トラックバック:0 コメント:0 2018年12月08日 続きを読むread more
太平洋戦争開戦から76周年。“戦後”は続く。新たな“戦前”か。 今日12月8日は、太平洋戦争勃発から76周年。そして、今から69年前、つまり太平洋戦争開戦7周年目の昭和23(1948)年の12月8日、一人の旧日本帝国陸軍少佐が、戦犯としてオランダ軍によって銃殺刑に処せられた。場所は、現在のインドネシア共和国最東端のパプア州(旧蘭領ニューギニア)の州都ジャヤプラ(当時のホラン… トラックバック:0 コメント:0 2017年12月08日 続きを読むread more
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(16) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ… トラックバック:182 コメント:0 2017年04月07日 続きを読むread more
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(15) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ… トラックバック:0 コメント:0 2017年04月06日 続きを読むread more
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(14) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ… トラックバック:0 コメント:0 2017年04月05日 続きを読むread more
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(13) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ… トラックバック:0 コメント:0 2017年04月04日 続きを読むread more
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(12) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ… トラックバック:0 コメント:0 2017年04月03日 続きを読むread more
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(11) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ… トラックバック:0 コメント:0 2017年04月02日 続きを読むread more
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(10) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ… トラックバック:0 コメント:0 2017年04月01日 続きを読むread more
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(9) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ… トラックバック:0 コメント:0 2017年03月31日 続きを読むread more
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(8) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ… トラックバック:0 コメント:0 2017年03月30日 続きを読むread more
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(7) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ… トラックバック:0 コメント:0 2017年03月29日 続きを読むread more
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(6) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ… トラックバック:0 コメント:0 2017年03月28日 続きを読むread more
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(5) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ… トラックバック:0 コメント:0 2017年03月27日 続きを読むread more
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(4) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ… トラックバック:0 コメント:0 2017年03月26日 続きを読むread more
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(3) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ… トラックバック:0 コメント:0 2017年03月25日 続きを読むread more
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(2) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ… トラックバック:0 コメント:0 2017年03月24日 続きを読むread more
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(1) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリ… トラックバック:0 コメント:0 2017年03月23日 続きを読むread more
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(40) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に… トラックバック:0 コメント:0 2017年01月19日 続きを読むread more
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(39) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に… トラックバック:0 コメント:0 2017年01月18日 続きを読むread more
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(38) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に… トラックバック:0 コメント:0 2017年01月17日 続きを読むread more
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(37) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に… トラックバック:0 コメント:0 2017年01月16日 続きを読むread more
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(36) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に… トラックバック:0 コメント:0 2017年01月15日 続きを読むread more
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(35) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に… トラックバック:0 コメント:0 2017年01月14日 続きを読むread more
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(34) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に… トラックバック:0 コメント:0 2017年01月13日 続きを読むread more
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(33) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に… トラックバック:0 コメント:0 2017年01月12日 続きを読むread more
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(32) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に… トラックバック:0 コメント:0 2017年01月11日 続きを読むread more
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(31) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に… トラックバック:0 コメント:0 2017年01月10日 続きを読むread more
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(30) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に… トラックバック:0 コメント:0 2017年01月09日 続きを読むread more