西部ニューギニア・マノクワリの第221連隊の慰霊碑から銘板が消えている。戦後73年。

画像

去る4月7日付けブログで触れたが、西部ニューギニアの西パプア州都マノクワリで、8年以上もの間、横倒しで放置されたままだった「戦没日本人之碑」が厚労省によって台座上に戻され“復旧”したと朝日新聞が報じた。同ブログで、筆者が2011(平成23)年3月2日に撮影した現場写真を掲載したが、二つ並んだ台座の双方に何も銘板や碑のようなものがないことが分かる。右側の台座は、朝日掲載の画像からも分かるが、「戦没日本人之碑」のものだ。では、左側の三段組みの台座風のものは一体何なのだろう?気になったので調べてみた。
画像

「戦没日本人之碑」(右)と「第二次世界大戦記念慰霊碑(別名マノクワリ慰霊碑)」(左)の台座。2011(平成23)年3月2日インドネシア文化宮撮影
画像

直ぐに判明した。第35師団歩兵第221聯隊戦友会が28年前の平成2(1990)年11月3日に発行した『イリアンジャヤ(西部ニューギニア)マノクワリ慰霊碑建立誌』が全て答えてくれた。第35師団(東兵団・池田浚吉中将・東2935部隊)は、昭和19(1944)年3月から終戦まで、第2軍(勢部隊・豊嶋房太郎陸軍中将)司令部が当初置かれたマノクワリを軸に、ヌンホル島、ソロン、ワイゲオ島、ビアク島、ムミなどに展開した。第219~221の3連隊を主力とする同師団。この内、第221連隊(東2921部隊)は、第2大隊の主力がビアク支隊へと派遣され、また第1大隊がソロンに、第3大隊はマノクワリに配置された。

同書によれば、左側の台座は、歩兵第221連隊の戦友会が、平成2(1990)年6月2日に竣工除幕式を行い設置した「第二次世界大戦記念慰霊碑(別名マノクワリ慰霊碑)」だ。上部の鋳物製銘板にはインドネシア語で以下のように刻まれている。
『TUGU PERINGATAN PERANG DUNIA II Tugu ini dibangun oleh bekas Tentara Jepang yang bergabung dalam Resimen Infantri ke-221, Divisi ke-35 untuk mengenang arwah para korban perang dari berbagai negara yang gugur di Wilayah Irian Jaya. Semoga Persahabatan antara Negara Republik Indonesia dengan Negara Jepang erat dan abadi. JUNI 1990』

そして、銅製と思われる下部の日本文銘板(縦80cm、横50cm)の内容は次の通り。『第二次世界大戦慰霊碑 第二次世界大戦に従軍した私達は戦争の悲惨さとその空しさを身に沁みて体験した。大戦終了後四十余年を経た今日彼我の区別なく、その霊を慰めると共に、インドネシア共和国と日本国の友好親善、世界恒久平和、人類の幸福を願い不戦を誓って此の碑を建設する。一九九〇年六月 第三十五師団歩兵第二百二十一聯隊戦友会』

インドネシア文は、日本文の内容に忠実な翻訳とは言えないが、現地政府や住民への配慮から、地名のイリアンジャヤ(注:インドネシア領西部ニューギニア地域の旧称)を入れたのであろう。しかし、「世界恒久平和、人類の幸福を願い不戦を誓って」の部分はインドネシア文には反映されていない。ちなみに、これら二つの銘板は、「吉野、興隆社」で作製したようだ。同書にある収支表によれば、慰霊碑建設費用は、3,746,550円で、慰霊碑維持費初年度分は108,500円となっている。また、総勢28名を数える、慰霊碑竣工除幕式に参加した同連隊第二次慰霊巡拝団(平成2年5月28日~6月9日)について報じた平成2(1990)年7月25日付の『埼玉新聞』によれば、同連隊三千人の約九〇%以上が埼玉県出身者で、「連絡の取れる生存者らから約千四百万円を集め、今年六月にマノクワリ湾が一望できる丘に約七百万円を掛けて第二次世界大戦慰霊碑を建立。併せて、荒れていた日本政府の碑を同所に移設し、マノクワリ市当局と契約して管理していくことにした」とされる。

同書には、「第二次世界大戦記念慰霊碑」の今後(1991年以降)の管理維持に関して、第2次慰霊巡拝団団長で歩221会会長の永田忠治氏とムルヨノ(Drs.Mulyono)氏との間で結ばれた合意書(インドネシア語)のコピーと、その和訳文も掲載されている。それによれば、初年度(1990/1991)分として、US$700が支払われている。また以後については、「マノクワリ市は毎年1月1日と8月15日に碑を管理して、写真をとり、日本側(歩221会)へと送る。そして、日本側は維持費として毎年700ドルを支払うことを約束する。もし碑に関して破損等が生じた場合、改善の経費は双方の合意に従って、日本側が引き受けることになっている」とある。1990/1991年分の700ドル(外貨換算率は1ドル155円で108,500円)は、竣工除幕式翌日の6月3日、永田氏からムルヨノ市長へ支払われている。しかし、1991/1992年度以降に関しては、どうなったのかについては、仮に今でも歩221会が存続しているのならば、尋ねてみないと分からない。

ちなみに、同書は、昭和31(1956)年に日本政府がマノクワリに建てた「戦没日本人之碑」も、歩兵第221連隊戦友会が「第二次世界大戦記念慰霊碑(別名マノクワリ慰霊碑)を建立した平成2年に、マノクワリ市内のサンゲン岬(Tanjung Sanggeng)の魚市場脇の海岸にあったものを移設し、二つの慰霊碑を並べて設置されたことを明らかにしている。「戦没日本人之碑」があった場所は、市場の汚水が流れ込み、海岸に近く海浸の虞があり、また将来住宅地になる可能性があるため、戦友会のイニシアティブ、さらにマノクワリ市当局の了解のもと、戦友会の費用負担で移設した。この移設に関して、戦友会側が厚労省と事前に打ち合わせたかどうかについては、同書に記述はない。

日本政府が建立した花崗岩で作った「戦没日本人之碑」は、昭和31(1956)年7月中旬に、運輸省航海訓練所所属の大成丸(総トン数2,430.21トン)が日本から運んできて設置したものだ。大成丸は、蘭領西部ニューギニア・インドネシア・英領ボルネオ方面戦没者慰霊遺骨送還を目的に、昭和31年6月20日東京を出港し、ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、ビアク島、ヌンホル島などを経て、7月16日、マノクワリに入港、20日にソロン方面へ向けて出港している。大成丸が運んだ「戦没日本人之碑」は、現在少なくともビアク島、サルミ、そしてマノクワリに残っている。この碑の七文字の揮毫は、吉田茂元首相の筆による。こうしたかつての戦地への慰霊碑建立は、昭和26(1951)年9月8日に調印されたいわゆるサンフランシスコ講和条約(平和条約)と大いに関係している。この条約締結によって、日本と連合国との“戦争状態”が正式に終結した。そして翌年4月28日に発効し、ようやく日本は“独立を回復”した。同条約調印の日本側代表は吉田茂首席全権。時の首相である。

ビアク島の西洞窟入り口付近に建つ「戦没日本人之碑」(撮影:2009年8月18日、安田和彦)。青森県出身の安田氏は、第222連隊の編成地である青森にちなんで、青森リンゴを持参し、碑に供えた
画像


サルミの海岸べりに建つ「戦没日本人之碑」(撮影:2014年9月17日インドネシア文化宮撮影。この碑は、海の浸食で危機に瀕していたため、現地当局が浜より十メートル陸側に移設したものだ
画像


さて、この戦友会が建立した「第二次世界大戦記念慰霊碑(別名マノクワリ慰霊碑)」の銘板は、少なくとも筆者が現場(Gunung Meja=テーブル山の意味・日本軍駐留時代は)国武台と呼ばれた)を訪れた2011(平成23)年3月時点では、すでに無くなっていた。実は、日本政府が建てた「戦没日本人之碑」も平成19(2007)年3月頃、何者かによって台座から外され、数キロ離れた場所で泥だらけで放置されているのが見つかったいきさつがある。この碑は、翌年(2008)の3月頃までには、元の台座に戻されたが、さらに翌2009年1月3日に起きた大地震で落下し、台座の後ろ側で横倒しの状態となった。そして9年後の今年2月末に、ようやく厚労省によって再び台座に戻され“復旧”した。なんとも悲運な運命が繰り返されたことか。それは、西部ニューギニア地域にいまだに“放置”されたままの、おおよお5万人の旧日本軍将兵・軍属らのご遺骨の運命と重なる。

歩221会が戦没者の弔いのために、大金を投じ建立した「第二次世界大戦記念慰霊碑(別名マノクワリ慰霊碑)」の銘板。一体、いつ頃、どこへ、誰によって持ち去られたのだろうか? マノクワリ県青年スポーツ観光局ホームページに掲載されている「日本碑(Tugu Jepang)」を見ると、撮影日は明記していないが、幾つか画像は、筆者が平成23(2011)年3月2日に撮影した、銘板のない三段組の「第二次世界大戦記念慰霊碑(別名マノクワリ慰霊碑)」と同じ状態だ。ご丁寧にも、同ホームページは、この慰霊碑の横にある日本政府建立の「戦没日本人之碑」が台座から落ちて、後ろ側でひっくり返っている様子まで写し出している。

金属製の銘板は、日本国内でも頻繁に盗まれる事件が発生している。換金目的での窃盗か、それとも慰霊碑の存在自体に異を唱える政治的な背景があるのか。真相は分からない。戦後73年。慰霊碑が泣いている。


第35師団歩兵第221聯隊戦友会が28年前の平成2(1990)年11月3日に発行した『イリアンジャヤ(西部ニューギニア)マノクワリ慰霊碑建立誌』に掲載されている画像。

画像


画像


画像


画像


画像


画像


画像


画像


画像


画像


画像


画像


画像

「朝日新聞」2018年4月3日付け夕刊の紙面。
画像


画像

横倒しの碑。2011(平成23)年3月2日:撮影インドネシア文化宮
画像


【参考Website】

マノクワリで「戦没日本人之碑」が8年半ぶりに復旧とか。で、ご遺骨は放置したまま?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201804/article_7.html

マノクワリ県青年スポーツ観光局ホームページ掲載の日本碑(Tugu Jepang)
http://pariwisata-manokwari.info/index.php/bid-odtw/wisata-sejarah-dan-relijius/tugu-jepang

白い虹(前編)―蘭領西部ニューギニア・英領ボルネオ方面戦没者慰霊遺骨送還航海―元航海訓練所練習船船長 元東京商船大学教授 橋本進
https://www.zensenkyo.com/_bk/kaiho/106kaiho/siroiniji/siroiniji(1).htm

白い虹(Ⅱ)―蘭領西部ニューギニア・英領ボルネオ方面戦没者慰霊遺骨送還航海―元航海訓練所練習船船長 元東京商船大学教授 橋本進
https://www.zensenkyo.com/_bk/kaiho/107kaiho/siroiniji/siroiniji.htm

【参考動画】

西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1)


西部ニューギニア・戦後ジャングルに放置されたままの旧日本兵の遺骨


日本軍パプアの軌跡(総集編) Jejak Militer Jepang di Papua



西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 エリー氏の証言(1)~(4) Long March to Idore
https://youtu.be/Yz9VZCW6TU0
https://youtu.be/z6vUxROg2AA
https://youtu.be/Wv5a_tl6ido
https://youtu.be/8eXVwkLriUk


西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 アブラハム氏の証言(1)~(3) Long March To Idore
https://youtu.be/BP-zy8axlCA
https://youtu.be/r3zaRtxIDEE
https://youtu.be/SLy1X0mDoRE


西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 ワンマ氏の証言(6) Long March To Idore
https://youtu.be/hfZtme4CM_I
https://youtu.be/Wa0CJelFsC4
https://youtu.be/NFzUt307Wm8
https://youtu.be/li9G8uPwXT4
https://youtu.be/zv22PjrpGO0
https://youtu.be/WYQUQrMmFoA


西部ニューギニア・ビントゥニからバボへ(2)~(1) Dari Bintuni ke Babo, Teluk Bintuni, Papua Barat
https://youtu.be/_XftSogulas
https://youtu.be/lAXH8cg1w2M


西部ニューギニア・旧日本軍バボ飛行場 Bandara Babo, Teluk Bintuni, Papua Barat
https://youtu.be/ICrE0cVENWI


西部ニューギニア・マノクワリからビントゥニへ(空撮) Manokwari ke Bintuni
https://youtu.be/l6OBnVEOf0Q


西部ニューギニア・ビントゥニからマノクワリへ(空撮) Bintuni ke Manokwari
https://youtu.be/WcrXrfmHbeM


西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 モミ村まで(7)~(1)
https://youtu.be/ajJNMPnWEqU
https://youtu.be/xsPasMtenh4
https://youtu.be/zmt4IUzhw2g
https://youtu.be/J6mMTueRGIM
https://youtu.be/3SAN2QytvWs
https://youtu.be/hXX_Mx2_Y1o
https://youtu.be/NyY5nslbijA


西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 イドレ河(4)~(1)
https://youtu.be/z78KM7ofcsg
https://youtu.be/0I-lkFs4W6s
https://youtu.be/0MsqC-ih5nA
https://youtu.be/sp2jXfED5YE


西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村で歌い継がれる哀悼歌
https://youtu.be/eLnFRbUR42c
https://youtu.be/KkJigB5E9i4


西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村に瞑る旧日本軍将兵
https://youtu.be/07YWkwpTo2E


西部ニューギニア戦線・小田切重徳マノクワリ~イドレ転進作戦証言(18)
https://youtu.be/rQvWicKLjcQ


西部ニューギニア戦線・川上政記マノクワリ~イドレ転進作戦証言(1)
https://youtu.be/NzJU7ANN_9g


西部ニューギニア戦線・遠藤定夫マノクワリ~イドレ転進作戦証言(1)
https://youtu.be/GpqBK6-Z_jM


西部ニューギニア・峰岸政夫マノクワリ~イドレ転進作戦証言(1)
https://youtu.be/Asdg4O6FodA

参考ブログ

西部ニューギニア密林に消えた2万の将兵・マノクワリ転進作戦の今
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201103/article_10.html
西部ニューギアから新たな旧日本兵の遺骨情報が Nasib Tentara Dai Nippon
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201412/article_17.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201411/article_16.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_29.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_25.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_24.html
西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_10.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_8.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵、そして生き続ける三八歩兵銃
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201409/article_26.html

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック