モロタイ島で戦争を"掘る"若者3 Museum Pemerhati Perang Dunia II

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「一月五日の連隊の転進開始は、四〇高地へ進出した私と服部少佐(注:第32師団隷下の歩兵第211連隊の第1大隊長だった服部寛威少佐。昭和20年5月23日、モロタイ島北西部のリバノで戦死)との、短時間の協議の後、直ちに行動に移された。既に少佐は、独自に所要の準備を進めていた。連隊の惨状の一端として、重傷のため歩行できない兵が、一歩でも本隊に近づこうとしていざりつつ、部隊の後を追う姿が強く私の眼底に焼きついている。果敢な攻撃を決行して、連隊主力の離脱を可能とさせた森永通信中隊長(注:歩兵第211連隊通信中隊の森永強大尉。昭和20年1月6日、40高地付近のココタ川&ケレレ川付近で戦死)の、黒装束に身を固めた凛々しい姿も、生涯私は忘れることが出来ないだろう」(『連隊の転進を見送って』川島威伸元第二遊撃隊長・『春島戦記 あゝモロタイ』より引用)。

添付の動画は、県都ダルバの民間ミニ博物館『第二次世界大戦考察博物館』が携帯電話のビデオ機能で撮影したココタ川、ケレレ川の様子である。ココタ川とケレレ川は、モロタイ戦史に残る「40高地」の戦闘地域に位置している。画質や撮影技術はひどいものだが、同ロケーションを映し出した映像としての価値は十分ある。



北マルク州モロタイ島。県都のダルバに若者たちが運営する民間ミニ博物館がある。名称は「第二次世界大戦考察博物館(Swadaya Museum Pemerhati Perang Dunia Kedua)」。創設は2010年1月2日。リーダーのムフリス・エソ(Muhlis Eso)さん(32歳)とその仲間たちは、それ以前十数年にわたって独自に、かつての戦闘地域に残る遺留品を収集し続けてきた。やがて小さな民営博物館を設立。どこからも資金援助を受けない、孤軍奮闘の作業だった。
ピロオ(Pilowo)川上流部のココタ(Kokota)川の大滝。1945年1月5日の激戦地。

わずか3 X 5m四方程度のスペース。トタン屋根の、ムフリスさんの自宅の一部を利用している。収集品の大部分は連合国軍の物だが、ほんの僅か日本軍関連の遺留品もある。銃弾の束、機関銃、大砲の弾丸や薬莢、手榴弾、銃剣、飯盒や水筒、スプーン類。そして各種の薬や飲料のビン類。金属製の認識票や硬貨も多数収蔵している。

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日本軍関連と思われる物は、「福田誠一」と刻まれた飯盒の蓋、鉄帽、銃剣、弾倉、防毒面の濾過吸収缶やアイピース枠、そして壊れた双眼鏡、金属製ホイッスル、ツルハシや鍬、さらに陶器製の大皿等々。


モロタイ島で戦争を“掘る”若者たち(3) Swadaya Museum Pemerhati Perang Dunia Kedua, Morotai
http://youtu.be/zKvJD71h56k


モロタイ島で戦争を“掘る”若者たち(2) Swadaya Museum Pemerhati Perang Dunia Kedua, Morotai
http://youtu.be/cJO2HXvH7AY


モロタイ島で戦争を"掘る"若者たち Museum Pemerhati Perang Dunia Kedua, Morotai
http://youtu.be/Hb5Cjhj4hSU

ムフリスさんが言う。『日本軍関係の遺留品は、その90%が今だ山中の地下や地上に散乱しています。遺骨もあると思います。これらはモロタイ島の歴史として、きちんと調査、収集することが大切です。しかし、僕らには資金がありません。日本の方で共同作業をしようとする方がいましたら、全面的に協力します』と。

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ムフリスさん(赤いTシャツ)と仲間たち。後ろは、ミニ博物館。

モロタイ島は、1974年12月、台湾人元日本兵の中村輝夫一等兵(後に兵長)が、戦後30年近くも潜伏し発見された島だ。戦争時代を知る村人が急速に消えていく中、ムフリスさんたちは、戦争を知る老人たちから聞き取りを行っているが、行動資金や機材不足のため、希望通りには進んでいない。

戦争の風化は、激戦地のモロタイ島でも着実に進行している。山中には、67年前の終戦から時が止まってしまったかのように、当時のままで遺骨や遺留品が残っているというのに。

北マルク州モロタイ島県政府は、2012年9月中旬に開催された「Sail Morotai」を機に、県都ダルバに『モロタイ第二次世界大戦博物館(Museum Perang Dunia II Morotai)』をオープンした。展示品の多くは、ムフリスさんらの民営『第二次世界大戦考察博物館』の収蔵品だったものだ。オーストラリア政府から寄贈された戦時中のモノクロ写真も展示されている。さらに、中村さんが発見された地域に近い、デヘギラ村(Desa Dehegila)の未舗装の交差点の中央に、中村輝夫像も建てた。

第二次世界大戦の歴史を、県政府が観光分野での起爆剤にしようと努力しているように見えるが、地表や地中に埋もれている“歴史”の発掘に積極的に関与する姿勢は見えない。かつて連合軍が造成したダルバ市郊外のピトゥ飛行場は、飛行場関連施設は別問題として、現在2,400mもの長さの滑走路を有し、ほぼ総ての機種の離着陸に対応できる。「Sail Morotai」開会式出席のために同島を訪れたユドヨノ大統領は、モロタイ島の経済特区構想を打ち上げた。

東京からダルバまで直線距離でおよそ3,900km。東京・ハノイ間の距離に等しい。ムフリスさんが重ねて強調する。『日本軍関連の遺骨や遺留品の多くは、山中深く散在しています。それらを調査し保存したいと思いますが、僕らには資金面で限界があります。一緒にやろうという日本の方がいれば、僕らはいつでも協力します』と。


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県都ダルバ市内に残る連合軍のカマボコ型兵舎。

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2012年9月、モロタイ島の県都ダルバから車で20分の距離にあるデヘギラ(Dehegil)村に完成した中村輝夫像。この像はやがて重さ2トンものさらに大きな像に替えられるという。モロタイ県政府は、戦争の歴史を重要な観光資源に据えている。

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モロタイ県政府が2012年9月「Sail Morotai 2012」を機にオープンした『第二次世界大戦博物館』。

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連合軍航空機のプロペラ。

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昭和19(1944)年12月25日~昭和20(1945)年6月6日の40高地周辺部における戦闘経過(『春島戦記 あゝモロタイ』(モロタイ戦友会編集・昭和53年11月19日発行)より引用)

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昭和19(1944)年9月15日、モロタイ島最南端に上陸した連合軍。

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連合軍によるモロタイ攻略戦概図

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Morotai.avi
http://youtu.be/_o2SlTb6cXM
Upload by mcb26101944(2012/02/24)
September 15, 1944
The taking of Morotai is happening today so lets get on with it and the best of luck on this small island on the way towards Japan. Intelligence suggests there are only about 300 enemy here so it shouldn't be too hard but you never know. These Japanese fighters don't give in easily.

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昭和19(1944)年9月15日、連合軍がモロタイ島に上陸、直ちにワマ、ピトゥの両巨大飛行場を建設し、フィリピン攻略の航空ベースを確保した。

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【ハルマヘラ関連動画】


モロタイ島の中村輝夫一等兵潜伏地 Lokasi Persembunyian Teruo Nakamura, Morotai
http://youtu.be/IUxNAPFSgWI


ワヤブラの長老フセン氏が語るモロタイの戦いWWCR dgn Bpk Husen: Perang Morotai(3)
http://youtu.be/DVodFTHE3tA


ワヤブラの長老フセン氏が語るモロタイの戦いWWCR dgn Bpk Husen: Perang Morotai(2)
http://youtu.be/V45whHU2hSY


モロタイ島ワヤブラの長老フセン氏が語るモロタイ島の戦い WWCR dgn Husen Bakri ttg Perang Morotai
http://youtu.be/KQhBr9N6Z50


モロタイ島の県都ダルバからワヤブラ村へ Dari Daruba ke Wayabula, Pulau Morotai
http://youtu.be/WXn0yyZP0N0


ハルマヘラ島に眠る旧日本軍秘匿300トンの金塊 Emas batangan
http://youtu.be/7s15tkSXFxw


旧日本軍が建設したハルマヘラ島カオ飛行場(日本語)No.2 Bandara Kuabang-Kao
http://youtu.be/0Xr2IigmqP4


旧日本軍が建設したハルマヘラ島のカオ飛行場の今は(インドネシア語) Bandara Kuabang-Kao
http://youtu.be/6LffeuT9ZDM


旧日本軍が建設したハルマヘラ島カオ飛行場(日本語字幕付き)Bandara Kuabang-Kao
http://youtu.be/D7amE1OzqY4


今も活きる旧日本軍が建設したハルマヘラ島のカオ飛行場(インドネシア語) Bandara Kuabang-Kao
http://youtu.be/VKhm6clkDSk


旧日本軍が建設したハルマヘラ島ガレラ飛行場(日本語字幕付き)Bandara Gamarmalamo
http://youtu.be/ttKNhU5Yqko


今も活きる旧日本軍が建設したハルマヘラ島ガレラ飛行場(インドネシア語) Bandara Gamarmalamo
http://youtu.be/FdNALXlS4AU

【参考ブログ】

モロタイ島で戦争を"掘る"若者2 Museum Pemerhati Perang Dunia II
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_23.html

モロタイ島で戦争を"掘る"若者たち Museum Pemerhati Perang Dunia II
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_21.html

モロタイ島の中村輝夫さん潜伏地Lokasi Persembunyian Teruo Nakamura <<
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_20.html

モロタイ島ワヤブラ村フセン氏が語るモロタイ島の戦い3~1 Husen & Perang Morotai (3-1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_14.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_13.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_12.html

モロタイ島県都ダルバからワヤブラ村へDari Daruba ke Wayabula, Morotai
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_11.html

ハルマヘラ島&モロタイ島に日本軍が秘匿した300トンの金塊?Emas Halmahera
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍建設の飛行場 Bandara Kuabang-Kao(3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍建設の飛行場 Bandara Kuabang-Kao(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍建設の飛行場 Bandara Gamar Malamo-Galela
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/

モロタイ島に残る「福田誠一」名の旧日本兵飯盒蓋Peninggalan di P. Morotai
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201209/article_16.html

テーマ「大東亜戦争」のブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html

西部ニューギニア・旧日本軍バボ飛行場 Bandara Babo, Papua Barat
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(83) Bandara Dai Nippon(83)モロタイ島
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_26.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(82) Bandara Dai Nippon(82)モロタイ島
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_25.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(81) Bandara Dai Nippon(81)ハルマラ島
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_24.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(80) Bandara Dai Nippon(80)ハルマヘラ島(Halmahera)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_23.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(79) Bandara Dai Nippon(79)ハルマヘラ島(Halmahera)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(78) Bandara Dai Nippon(78)ハルマヘラ島(Halmahera)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(77) Bandara Dai Nippon(77)ハルマヘラ島(Halmahera)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(76) Bandara Dai Nippon(76)ハルマヘラ島(Halmahera)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_19.html

【参考動画】


海軍第202設営隊(1)~(8)小林光雄の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://www.youtube.com/watch?v=EyhcuR9MPvw
http://www.youtube.com/watch?v=awM4wIv2HIk
http://www.youtube.com/watch?v=_o7fQp1uK-Y
http://www.youtube.com/watch?v=YsR1oICbBe8
http://www.youtube.com/watch?v=ZbX3s7wBG5M
http://www.youtube.com/watch?v=DnVt6YDttfU
http://www.youtube.com/watch?v=jSgYPKYH59w
http://www.youtube.com/watch?v=A3mB2sy3iZE


海軍第202設営隊絵日記(1)~(8)小林光雄の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://youtu.be/A3mB2sy3iZE
http://youtu.be/Joda3Zew_zM
http://youtu.be/fiEGLr_USWc
http://youtu.be/j8ojKRfy-v0
http://youtu.be/t_UYWRvYstQ
http://youtu.be/YYDZpNZeAW4
http://youtu.be/RAzdBgMuADc
http://youtu.be/VdLJeH9TBD0
海軍第202設営隊(12)小林光雄の証言・絵日記Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://youtu.be/2Xx51KJ7kRw


海軍第202設営隊 武内満多男の証言(1)~(11) Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://youtu.be/-2w_kzm7v70
http://youtu.be/kgpm82LfgEI
http://youtu.be/aefWhuPv0PA
http://youtu.be/EtA_hmidzMs
http://youtu.be/uo24qnU1p4I
http://youtu.be/A3DnfK-AkNY
http://youtu.be/oWpUJqBHxbU
http://youtu.be/SH2IhMDiBjw
http://youtu.be/422klBRv5dY
http://youtu.be/XYLtSiziE6k
http://youtu.be/awDt1Effd1M

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この記事へのコメント

2012年11月30日 22:47
 冒頭に記載されている歩兵第211連隊通信中隊の森永強は、私の祖父の弟にあたります。たまたま陸軍士官学校生徒時代の日記を目にする機会があったのですが、身内ながらも二十歳そこそこの若者が書き残すにはあまりに崇高で、心打たれるものがありました。
 どのような人生を歩んだのか、戦地ではどのように生きたのか、歩兵第211連隊とは等々、詳しく知りたいと思い検索していた時にここに行き着きました。
 森永強に関する記載がWEB上で見られるのはここだけのようです。時間と資金があれば、最後の地となった40高地の激戦地付近に足を運んでみたいと思うこの頃です。現地の治安はどうなのか、遺族会や専門的な調査組織活動の一環で現地を訪れること以外で、一個人が現地を訪れることはできうることなのか。知りたい情報を入手するにはどうすればいいのでしょうか・・・。
 ブログトップページから「メッセージを送る」からだと、直接この記事を掲載・編集されている方とやりとりさせてもらえるのでしょうか。知恵袋で質問的なコメントになってしまいました。このブログのコメントの定義からずれていたらご容赦ください。
インドネシア文化宮
2012年12月01日 00:17
森永強様に関してご寄稿いただきました方へ。以下のアドレスへご連絡お願い致します。
okawa@mxg.mesh.ne.jp

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