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zoom RSS 上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(15) 第6飛行師団第14飛行団司令部

<<   作成日時 : 2012/08/23 00:00   >>

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終戦のほぼ一年前、昭和19(1944)年8月10日、「ホランジア(現パプア州の州都ジャヤプラ)方面で戦死」とされている第6飛行師団第14飛行団司令部附け軍医の上杉重邦大尉。戦後、一途に父親に関する情報収集に努めてきた、現在広島都市学園大学で公衆衛生看護学の教授を務める瀬野尾一江さん。韓国併合の年、時代が大正に移る二年前、明治43(1910)年8月25日生まれた父親。生きていれば明後日、102歳の誕生日を祝福されていたはずだ。
上杉重邦軍医大尉の長女・一江(昭和16年頃の撮影か。当時中尉の上杉は現役満期で16年初旬、満州から日本へ戻った。)

昭和19年1月〜2月時点ですでにホランジアに着任していたと思われる上杉大尉。その後、3月末の大空襲、そして4月22日の連合軍のホランジア上陸、そして第6飛行師団長心得の稲田正純少将指導下による、西方サルミへの“死の転進作戦”。急変する戦況の最中、上杉大尉はどこで、どのような行動を取らざるを得なかったのか。戦死公報にある「昭和19年8月10日」という日付が根拠のないものである可能性についてはすでに書いたが、それでも「8月」は気にかかる。

仮に、戦死公報に「昭和19年3月」もしくは「昭和19年4月」と記入され、そしてその戦没地が「ホランジア方面」ではなく「ホランジア」であるのならば、それは疑いなく、3月のセンタニ地区飛行場群に対する連合軍の大空爆や、4月22日以降の連合軍上陸に伴う戦死と想像して構わない。しかし、戦死公報は「8月」と記す。

筆者の個人的見解ではあるが、この「昭和19年8月10日」は、終戦時点でサルミ地区に生存していた第6飛行師団もしくは第14飛行団関係者が“特定”したものと推測する。あるいは、サルミからの復員船が日本に到着後の昭和21年6月以降に、復員局の要請に基づいて関係者らが書き記したものかもしれない。

8月10日戦死、と記し、戦没地を「ホランジア方面」としたことから何が見えてくるのか。この二つの情報からは、戦死日そして戦没地が不明であるが故に、関係者が“最後のご奉公”で苦渋の中で、日付と場所を書き記した痕跡が読み取れる。

戦死日に関して言えば、昭和19年5〜6月頃、すでに日本軍は壊滅し、密林に潜行してわずかばかりの兵が人事不省のまま連合軍に捕虜となった時期、一体だれが上杉大尉の戦死を「8月10日」時点で確認、報告できたというのか。誰もいない。特定しようがない。そこで、死亡確認者が存在しないという矛盾を承知の上で戦死日を“創る”作業が始まった。終戦の詔勅は8月15日。上杉の誕生日は8月25日。終戦のちょうど一年前の日付では出来すぎている。8月15日以降では誕生日に近づきすぎる。そこで、8月15日以前の日付が“折衷案”として考慮され、最終的に「8月10日」が決められたのではないか。

戦没地については、誰も確認する者がいない状況下、最後に上杉軍医大尉を見たとする証言---それはホランジアからサルミまでの転進作戦に生き残った関係者であろうが---すなわち「上杉大尉は、センタニ地区かホランジア近辺にいた」とする最後の目撃情報を基に「ホランジア方面」という語句が“創作”されたものと思われる。「方面」を付け加えた理由は容易に想像できる。正確に、最後に目撃された場所を特定できる有力情報がなかったからだ。

「方面」であれば、その周辺とのニュアンスを醸し出せる。正確な場所を特定しない一つの手法だ。またその書き方は、その現場で書かれたことではないことを傍証している。どこか遠く離れた地点からの推定・想像で書かれたことを。サルミで書こうが、復員後、日本で書こうが「方面」との表記は、「おそらくあの辺りで戦死したのだろう」との意味合いを有する。

しかし、いみじくも「ホランジア方面」との戦死公報は、日付の矛盾はさておき、さらに創作の跡が見えこそすれ、少なくとも上杉大尉が「ホランジアの近辺で」戦死したことを伝えている。とすれば、かなりの情報絞り込みが可能だ。つまり、上杉大尉は、直属上官である恩田謙蔵大佐(第14飛行団司令官)が、昭和19年4月22日の連合軍ホランジア上陸を受け、サルミへの転進を命令され、同日中にセンタニ地区を発ち、4月26日にはセンタニ西方のゲニェム村を出発した時点で、その転進第一梯団には加わらず、ホランジア付近に留まっていたことを意味する。

転進作戦の第一梯団に参加していたのであれば、あるいは後続梯団に属していたのであれば、生存者ら(注:恩田大佐はサルミまで到達している)の証言によって、“最後に目撃した場所”は特定できるはずだ。それができていないということは、恩田大佐一行がセンタニ→ゲニェムへ移動する段階で、上杉大尉の所在を確認できていないことを意味する。センタニ飛行場群でもゲニェムでもない。それが故に「ホランジア方面」という記載が創作されたのであろう。



西部ニューギニア・戦後ジャングルに放置されたままの旧日本兵の遺骨
動画は、2012年8月13日(月)東京・中野の「なかのZERO」ホールで行われたドキュメンタリー映画&講演会『遺された戦時機密資料が語るもの』の講演資料として用いられたものである。
http://youtu.be/VmhnJs3yok4

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1944年4月22日、連合軍ホランジア上陸作戦要図(University of Texas Libraries)。連合軍はホランジアのフンボルト(Humboldt)湾、そしてセンタニ湖北西のタナメラ(Tanah Merah)湾の東西から上陸し、日本軍を挟みうちにした。数千の将兵がホランジア・センタニ湖近辺で戦死、およそ1万の兵が遥か西方のサルミ(Sarmi)を目指して“死の転進”へと向かった。

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【参考ブログ&動画】

戦後67年・西部ニューギニアに瞑る数万の将兵 Prajurit Jepang di Papua
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_15.html
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(14)〜(1) 第6飛行師団第14飛行団司令部
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_22.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_21.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_20.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_19.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_18.html
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http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_16.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_14.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_13.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_11.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_10.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_9.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_8.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_7.html
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(50)-(48) Bandara Dai Nippon(50)-(48) ジャヤプラJayapura
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_22.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_21.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_20.html
終戦から67年。「遺された戦時機密資料が語るもの」映画&講演 8/13〜18
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_4.html
12月4日(日) 映画「大本営最後の指令〜遺された戦時機密資料が語るもの」
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_4.html
『日本軍パプアの軌跡・Jejak Militer Jepang di Papua』が放送される
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_23.html
今夜放送! 『日本軍パプアの軌跡・Jejak Militer Jepang di Papua』
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_22.html
ドキュメンタリー映画『大本営最後の指令』 12月2日&4日東京・中野で上映会
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_14.html
日本とアジアの戦争記録映画と戦争体験者の声を聴く8月9〜13日(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201008/article_10.html
5月23日:ドキュメンタリー映画『語らずに死ねるか』&アチェ映画上映会(Film Aceh)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200905/article_20.html
深津信義氏が語る神機関と新穂智少佐8〜1 Nobuyoshi Fukatsu & Agent Kami
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_21.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_19.html
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http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_10.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_9.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_8.html
福井県鯖江市の川上政記さんを再訪 Kawakami & Perang Asia Timur Raya
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201109/article_13.html
東京新聞・中日新聞が報じる西部ニューギニアに放置された旧日本軍将兵の遺骨
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201108/article_23.html
戦後66年・西部ニューギニアに瞑る数万の将兵 Prajurit Jepang di Papua
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201108/article_14.html
新穂智少佐が残した『西部ニューギニア横断記』第3部 (37)〜(20) Mayor Satoru Niiho
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_25.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_23.html
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http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_21.html
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http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_9.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_8.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_6.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_5.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_4.html
西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村で歌い継がれる哀悼歌(歌詞付き動画)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_7.html
新穂智少佐が残した『西部ニューギニア横断記』第2部 (19)〜(11) Mayor Satoru Niiho
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_3.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_2.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_1.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_30.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_29.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_28.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_27.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_26.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_25.html
新穂智少佐が残した『西部ニューギニア横断記』第1部 (10)〜(1) Mayor Satoru Niiho
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_30.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_28.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_26.html
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http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_12.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_11.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_8.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201012/article_31.html
太平洋戦争開戦69年。西部ニューギニアに瞑る新穂智少佐が残した手記
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201012/article_9.html
テーマ「大東亜戦争」のブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html
テーマ「パプア州」のブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/42c3391253.html

【西部ニューギニア戦線関連動画】
Metro Files: Jejak Militer Jepang di Papua(日本軍パプアの軌跡)2011年10月 日「メトロTV放送」

深津信義氏が語る「神機関」と新穂智少佐(8)〜(1) Nobuyoshi Fukatsu & Agent Kami(God)

http://youtu.be/ySvwmGHRL2o
http://youtu.be/blDC_VpS-vU
http://youtu.be/mGXPjkfxevs
http://youtu.be/ZPzfJxMpsig
http://youtu.be/kbJ7CX3nwZk
http://youtu.be/_myKs8orENQ
http://youtu.be/qwFxM6Yw8cA
新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第5部」 (37)〜(33) Major Satoru Niiho's West New Guinea





新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第4部」 (32)〜(27) Major Satoru Niiho's West New Guinea






新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第3部」 (26)〜(20) Major Satoru Niiho's West New Guinea







新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第2部」 (19)〜(11) Major Satoru Niiho's West New Guinea









新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第1部」 (10)〜(1) Major Satoru Niiho's West New Guinea










西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 アブラハム氏の証言(3) 〜(1) Long March To Idore



西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 ワンマ氏の証言(6)〜(1) Long March To Idore






西部ニューギニア・ビントゥニからバボへ(2) 〜(1) Dari Bintuni ke Babo, Teluk Bintuni, Papua Barat


西部ニューギニア・旧日本軍バボ飛行場 Bandara Babo, Teluk Bintuni, Papua Barat

西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 エリー氏の証言(5) 〜(1) Long March To Idore





西部ニューギニア・ビントゥニからマノクワリへ(空撮) Bintuni ke Manokwari

西部ニューギニア・マノクワリからビントゥニへ(空撮) Manokwari ke Bintuni

西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 モミ村まで(7)〜(1)







西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 イドレ河(4)〜(1)




西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村で歌い継がれる哀悼歌&B


西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村に瞑る旧日本軍将兵


【マノクワリ→イドレ転進作戦関連動画】
西部ニューギニア戦線・川上政記マノクワリ〜イドレ転進作戦証言(1)〜(25)

http://www.youtube.com/watch?v=d2blHyTRmyE
http://www.youtube.com/watch?v=KAyrMkZRFNU
http://www.youtube.com/watch?v=EapaVBhmzaM
http://www.youtube.com/watch?v=kLW32VjG6T4
http://www.youtube.com/watch?v=Ze7W4Iq3ny8
http://www.youtube.com/watch?v=gSiri6ERU28
http://www.youtube.com/watch?v=2mEBU-mDzzg
http://www.youtube.com/watch?v=djgSHVICphk
http://www.youtube.com/watch?v=72hQRGMJkPE
http://www.youtube.com/watch?v=SkNpbKTNfz4
http://www.youtube.com/watch?v=vIXJdIVddYQ
http://www.youtube.com/watch?v=8SvrzGGlQa0
http://www.youtube.com/watch?v=BRIJ05oefYY
http://www.youtube.com/watch?v=nAZkJnrxgwA
http://www.youtube.com/watch?v=to5w3lk6Jns
http://www.youtube.com/watch?v=Dd3h20pTa7g
http://www.youtube.com/watch?v=pVPRRWYfnQg
http://www.youtube.com/watch?v=8dmvtGHAZOo
http://www.youtube.com/watch?v=E_8lLU6bQdM
http://www.youtube.com/watch?v=aCGK_0rKgUg
http://www.youtube.com/watch?v=jbP5K59_2r0
http://www.youtube.com/watch?v=7KAcyA8anA8
http://www.youtube.com/watch?v=jRgImrYLys8
http://www.youtube.com/watch?v=_o1Jx9OOlzo
西部ニューギニア戦線・遠藤定夫マノクワリ〜イドレ転進作戦証言(1)〜(16)

http://www.youtube.com/watch?v=Ceo6Xc_NmmM
http://www.youtube.com/watch?v=TSpEw_jyXW8
http://www.youtube.com/watch?v=Sv8O68Mvnuc
http://www.youtube.com/watch?v=ePbMrZE1J5s
http://www.youtube.com/watch?v=ArLt0lPKY0I
http://www.youtube.com/watch?v=WUYIeSYsNCk
http://www.youtube.com/watch?v=NUWoGhIAm6A
http://www.youtube.com/watch?v=t9UbWD3tjos
http://www.youtube.com/watch?v=5s0cU6U7ALA
http://www.youtube.com/watch?v=9I4D550_HSg
http://www.youtube.com/watch?v=M8V7sZXMN04
http://www.youtube.com/watch?v=pNU-toVWNic
http://www.youtube.com/watch?v=zFj48AqOVmI
http://www.youtube.com/watch?v=M9KTB5cfDCg
http://www.youtube.com/watch?v=CLbzk8zE1Ks
西部ニューギニア戦線・小田切重徳マノクワリ〜イドレ転進作戦証言(1)〜(18)

http://www.youtube.com/watch?v=rWf5O2yiNeU
http://www.youtube.com/watch?v=GU-Ua5oGeZo
http://www.youtube.com/watch?v=7yab2ZiwPHo
http://www.youtube.com/watch?v=F52Vnz6Ap0E
http://www.youtube.com/watch?v=_ldbONvQb4w
http://www.youtube.com/watch?v=444E-jL9HL4
http://www.youtube.com/watch?v=aigDUcQscW8
http://www.youtube.com/watch?v=yzhA5aZIfTY
http://www.youtube.com/watch?v=VFkrTMGt2Cs
http://www.youtube.com/watch?v=5E6uiP4xPNM
http://www.youtube.com/watch?v=dW7HUi8Ndhs
http://www.youtube.com/watch?v=cn9bcnlS5OU
http://www.youtube.com/watch?v=RJZjtBzptho
http://www.youtube.com/watch?v=2uguhBNU1x8
http://www.youtube.com/watch?v=1y_qP_kixoQ
http://www.youtube.com/watch?v=8_nJqT3QLrw
http://www.youtube.com/watch?v=rQvWicKLjcQ
西部ニューギニア・峰岸政夫マノクワリ〜イドレ転進作戦証言(1)〜(6)

http://www.youtube.com/watch?v=Bv90x2B04cI
http://www.youtube.com/watch?v=-D3Dgp63dHY
http://www.youtube.com/watch?v=xPEYBHNy-Xk
http://www.youtube.com/watch?v=jVHhjX-wl3g
http://www.youtube.com/watch?v=KTI3us4dvpw

【その他の西部ニューギニア戦線関連動画】
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(1)〜(10)

http://www.youtube.com/watch?v=uOYsWX0h9bM
http://www.youtube.com/watch?v=JAv_cRvPCq8
http://www.youtube.com/watch?v=TwoB3GCsEfQ
http://www.youtube.com/watch?v=ewBGNgJIgsU
http://www.youtube.com/watch?v=uX9Q6T9Jq2k
http://www.youtube.com/watch?v=O0xhna6C_GM
http://www.youtube.com/watch?v=AJllwBbNzhY
http://www.youtube.com/watch?v=ZVIeeY3-efc
http://www.youtube.com/watch?v=5tSaJyOjbeI
海軍第202設営隊(1)〜(8)小林光雄の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon

http://www.youtube.com/watch?v=EyhcuR9MPvw
http://www.youtube.com/watch?v=awM4wIv2HIk
http://www.youtube.com/watch?v=_o7fQp1uK-Y
http://www.youtube.com/watch?v=YsR1oICbBe8
http://www.youtube.com/watch?v=ZbX3s7wBG5M
http://www.youtube.com/watch?v=DnVt6YDttfU
http://www.youtube.com/watch?v=jSgYPKYH59w
http://www.youtube.com/watch?v=A3mB2sy3iZE
海軍第202設営隊(12)小林光雄の証言・絵日記Pasukan 202 AL Dai Nippon

http://www.youtube.com/watch?v=2Xx51KJ7kRw
海軍第202設営隊絵日記(1)〜(8) 小林光雄の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon

http://www.youtube.com/watch?v=Joda3Zew_zM
http://www.youtube.com/watch?v=fiEGLr_USWc
http://www.youtube.com/watch?v=j8ojKRfy-v0
http://www.youtube.com/watch?v=t_UYWRvYstQ
http://www.youtube.com/watch?v=YYDZpNZeAW4
http://www.youtube.com/watch?v=RAzdBgMuADc
http://www.youtube.com/watch?v=VdLJeH9TBD0
海軍第202設営隊 武内満多男の証言(1)〜(11) Pasukan 202 AL Dai Nippon

http://www.youtube.com/watch?v=kgpm82LfgEI
http://www.youtube.com/watch?v=aefWhuPv0PA
http://www.youtube.com/watch?v=EtA_hmidzMs
http://www.youtube.com/watch?v=uo24qnU1p4I
http://www.youtube.com/watch?v=A3DnfK-AkNY
http://www.youtube.com/watch?v=oWpUJqBHxbU
http://www.youtube.com/watch?v=SH2IhMDiBjw
http://www.youtube.com/watch?v=422klBRv5dY
http://www.youtube.com/watch?v=XYLtSiziE6k
http://www.youtube.com/watch?v=awDt1Effd1M

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上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(16) 第6飛行師団第14飛行団司令部
上杉重邦軍医大尉が、昭和19(1944)年4月末時点で、おそらくホランジア・センタニ飛行場群地域にいたことは、あてはまらない情報の消去法によって導かれる結論だ。フンボルト湾、そしてタナメラ湾の東西両方向から同地へ“向こう見ず作戦(Operation Reckless)”と呼ばれる上陸を完遂した連合国軍。同地にいた約1万5千の将兵は、どのように同地を追われたのか。 {%上昇webry%}上杉重邦軍医大尉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/08/25 00:58
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(17) 第6飛行師団第14飛行団司令部
生きていて長命であったのならば、上杉重国軍医大尉は、昨日8月25日、102歳の誕生日を迎えていたはずだ。34歳の誕生日まであとわずか2週間。岡山医科大学を卒業し日本陸軍軍医となった上杉は、祖国に妻ビワ子と三人の娘を残し、“南涯”の西部ニューギニアでこの世に別れを告げた。長女の一江は今でも父の足跡を探し続けている。父の終焉の地、そしてその過程を探る“歴史の旅”は、一江にとってやはり“戦後の旅”そのものであった。 {%上昇webry%}上杉重邦軍医大尉と妻のビワ子 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/08/26 00:11
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(19) 第6飛行師団第14飛行団司令部
『恩田部隊473名(戦闘操縦者を主とし、飛行団司令部を含む)は、ゲニム(注:ゲニェム)に向って行軍を開始した。サルミまでは当然、海岸線を行けば、距離も近く、行軍も楽ではあるが、タナメラ海岸にも敵が上陸しているので、いったん奥地に向い迂回して海岸線に出ようというわけである。二十四日の昼間は、センタニ湖の北岸斜面の林の中で休み、夜になってから、ススキのような草が長く茂っている草原を抜けて、ようやく遮蔽のできるジャングル地帯にたどり着いた。上空には敵機が自由に飛び回り、ちょっとでも部隊の気配... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/08/26 23:51
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(19) 第6飛行師団第14飛行団司令部
連合軍がホランジア(現パプア州の州都ジャヤプラ)に上陸した昭和19(1944)年4月22日。日本を発つ段階での赴任先である第14飛行団司令部附けであれば、おそらくセンタニ飛行場群付近にいたであろう上杉重邦軍医大尉。しかし、同地の戦局が歴史的急変を告げる最中、瞬時に生まれた多数の負傷者救命活動の中、上杉大尉が、センタニ地区を離れて、ホランジアに上陸してきた敵軍により近い、第113兵站病院が位置した、センタニ湖東部のコヤブ村北西へ派遣されたことも十分考えられる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/08/27 23:23
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(20) 第6飛行師団第14飛行団司令部
上杉重邦軍医大尉が、連合軍ホランジア上陸時(昭和19(1944)年4月22日)以降、センタニ湖北岸のコヤブにあった第113兵站病院(通称陣之内兵站病院)へ、何らかの事由で出かけていた可能性は否定できない。第14飛行団司令部が置かれたセンタニ飛行場群付近にいなければ、稲田正純第6飛行師団長心得による「サルミ転進」命令に基づいて第14飛行団長の恩田謙蔵大佐以下のおおよそ500名が第一梯団としてセンタニを発った段階で、それに加われなかった。敢えて悲観的に想像すれば、上杉大尉が、第113兵站病... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/08/29 20:11
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(21) 第6飛行師団第14飛行団司令部
連合軍上陸時(昭和19(1944)年4月22日)、ホランジア地区とセンタニ湖周辺にいたおよそ1万5千の日本軍将兵。ホランジアに限っても、把握できているだけでもおよそ2,700名が同地で戦死している。それらの部隊名は、建築勤務第52中隊(617名)、野戦高射砲第68大隊(674名)、海軍第90警備隊(217名)、海軍第9艦隊司令部(233名)、海軍第27特別根拠地隊(652名)、海軍第7警備隊(287名)などだ。 {%上昇webry%}上杉重邦軍医大尉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/08/30 20:30
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(22) 第6飛行師団第14飛行団司令部
上杉重邦軍医少佐(戦死時大尉)の戦没地に関する考察を21回にわたり連載してきた。現時点で入手可能な記録を読み解き、幾つかの想定シナリオに基づいてその疑問に迫った。しかしながら、満足できる結論を導き出せないでいる。今号をもって、第一シリーズを終了する。上杉少佐並びにご遺族に申し訳ない気持ちで一杯だ。 {%上昇webry%}上杉重邦軍医大尉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/09/02 23:18
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵、そして生き続ける三八歩兵銃
{%爆弾webry%}日本の真南およそ5,500km。ニューギニア島の西半分。インドネシアの最東端部にパプア州と西パプア州がある。そこは70年ほど前に日本軍と連合国軍とが死闘を繰り返した戦場でもある。 {%上昇webry%}数か月前にサルミ地区で高校生が見つけた旧日本兵の遺骨。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/10/09 18:54
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか
{%爆弾webry%}2014年10月7日、『朝日新聞』東京版の国際ページに、小さな記事が掲載された。「インドネシア 旧日本兵の遺骨を確認」との記事。インドネシア・パプア州のプアイという場所で、戦死した旧日本兵の遺骨を焼く焼骨式が6日に行われたという内容だ。なんでも61人分の遺骨を確認とある。それらの遺骨は、日本に持ち帰られ、東京・千鳥ヶ淵戦没者墓苑に収められるとも。しかし、それらは本当に旧日本兵らの遺骨なのか?たぶん厚労省は言うであろう。住民らの証言や戦史などの記録、さらに遺骨周辺の... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/10/09 19:04
西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが
{%爆弾webry%}戦後70年は目の前だ。そして、日本人男性の平均寿命はおよそ80歳とか。つまり、終戦時に10歳だった男子が、そろそろ明鏡境を異にする時期に入ったことを意味する。言い換えれば、戦争実体験者が皆無に近づいているということだ。戦争を知らない世代が、社会の要所を占め、やれ世界平和貢献だ、国民の安全を守るのだとか喧しい。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/10/09 20:52
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(2)
{%爆弾webry%}遺骨収集作業なのだろうか、それとも遺骨回収事業なのか? 実際に、土むくれを掘り起しているのは地元のパプア人。そして、ある程度の“量”がまとまると連絡してくる得体のしれない“現地インフォーマント”。次は、それらの情報確認のために、日本の民間組織が向かい、それを確認。すると。その情報確認のために日本政府関係者が、現地へ向かい。それを“役人の眼”で再確認。丁寧な二度手間。費用もかかろう。豊かな経済力の国家らしいビジネスクラス的調査方法かな。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/10/25 02:09
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(3)
{%爆弾webry%}煮えたぎるような高湿度。吐き気をもよおす異臭。蚕棚のような狭い空間。敵潜水艦の魚雷攻撃を避けつつ、ジグザク操舵で進む古びた貨物船の船底。今から70年以上も前、何万、何十万もの将兵が、日本から、そして占領下の中国から南方へと向かった。厚労省のデータによれば、西イリアン(西部ニューギニア・今日のインドネシア領パプア州&西パプア州)で53,000人、東部ニューギニア(今日のパプアニューギニア)で127,600人が戦死。さて、これらの数値に、動員された朝鮮半島出身者、台湾... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/10/25 18:38
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(4)
{%爆弾webry%}当たり前の話だが、かつての戦場で、あるいはその付近で見つかる遺骨の個人特定をする場合、戦史との照合、元帰還兵の証言などからの推察、さらには個々の遺骨の周辺部から出てくる数々の遺留品(例えば、認識票、飯盒、水筒、鉄帽、眼鏡、印鑑、銃、銃剣、その他の軍装備等々)の存在が極めて重要な要素となる。そして地元住民、とりわけ古老らの証言、あるいはその証言を引き継いだ次世代の伝承証言も有力な手掛かりとなる。もちろんDNA鑑定という手段もあるが、その場合、遺骨が、生前どの部隊に所... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/10/28 20:09
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(5)
{%爆弾webry%}去る10月10日、西部ニューギニア(旧蘭領ニューギニア・旧西イリアン・旧イリアンジャヤ・旧パプア州:現在はパプア州&西パプア州)から戦後69年ぶりに祖国帰還を果たした(おそらく)旧日本兵と推定される計61柱の遺骨に関してリポートした。日本の民間団体による杜撰な遺骨情報収集過程、そして余りにもアマチュア的かつ長期展望の無さ。戦前・戦後を通じて70年以上もの長きに渡って、赤道直下の土むくれと化した旧日本軍将兵。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/11/15 21:49

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