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zoom RSS 『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿(10)

<<   作成日時 : 2009/10/08 00:00   >>

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菊池英昭さん(67歳)が10年の歳月を費やして独自に収集した「朝鮮人戦死者名簿」。そこにはおよそ2万1千名の朝鮮半島出身者で、日本軍の軍人・軍属として、中国大陸、アジア・太平洋地域で戦没した方々の氏名(主に日本語名)が記されている。膨大な資料である。その中から、ニューギニア島及び同島近辺の戦没者に絞って、以下、公表する。

名簿を手にする菊池英昭さん


●陸軍被徴用死亡者

 所   属  死亡場所 死亡年月日 名簿番号  創 氏 名

◎慶尚北道

しどに丸 ニューギニア、ハンサ湾 1943.04.12 751 神田五文
米山丸 ボルネオ島パリクパパン 1943.07.02 138 鄭大益
神成丸 ニューブリテン島ラバウル 1943.10.12 784 宮崎裕祥
昭風丸 マノクワリ 1944.03.01 792 李鍾伯
1船舶輸送司令部 ニューギニア、マノクワリ 1944.03.06 1050 門山○伯
鬼怒川丸 ニューギニア、デムクシ沖 1944.03.12 747 金山容鍍
2御影丸 ニューギニア、アイタペ 1944.04.11 766 趙正実
美津丸 ニューギニア 1944.04.22 728 藤井末男
柏丸 ボルネオ方面 1944.04.25 790 梁川英雄
暁空丸 ニューギニア方面 1944.06.07 132 李守福
大八州丸 ハルマヘラ島 1944.07.09 151 神田守人
徳祐丸 ハルマヘラ島 1944.08.09 141 安山栄守
徳祐丸 ハルマヘラ島 1944.08.09 154 金澤成玉
徳祐丸 ハルマヘラ島 1944.08.09 571 新本寛佑
三津丸 セレベス島 1944.08.09 142 新井應作
慶安丸 ハルマヘラ島 1944.08.09 162 玉原三守
2船輸司海輸2大隊 ニューギニア、125兵病 1944.09.02 229 江本萬善
富山丸 スマトラ島 1944.09.10 150 神田栄淇
白根山丸 ボルネオ島 1944.10.18 269 巌島健一
羽後丸 ボルネオ島 1944.10.20 137 大城達根
高岡丸 スマトラ島方面 1944.10.28 517 廣川米岩
2立山丸 スマトラ島テニルボン岬 1944.11.02 748 河奉考
船舶司令部 ニューギニア、ソロン 1944.11.22 562 諸萬守
マニラ丸 ボルネオ島方面 1944.11.25 436 豊川泰奉
3船輸司3支部 セレベス島バルー病院 1944.12.03 30 岩本正夫
18多賀丸 ハルマヘラ島126兵病 1944.12.21 139 徳山守福
順豊丸 ボルネオ方面 1944.12.25 782 松田富吉
光州丸 ボルネオ方面 1945.02.11 745 金澤文賛
順豊丸 セレベス島 1945.03.05 783 宮本正夫
3平海丸 ハルマヘラ島 1945.04.23 603 大島在道
船舶司令部 ボルネオ島オゴーラベンコー 1945.06.04 1094 岡本 弘
船舶司令部 ボルネオ島 1945.08.30 179 成定宗徳
朝鮮2055部隊 ニューギニア、ホーランジア 1944.08.10 889 西河輝雄
独歩554大隊 ボルネオ島 1945.03.14 1105 松井虎治(次)
独野高射砲38中隊 ニューギニア、ウウェワク 1945.04.20 264 水原忠義
歩兵80連隊 ニューギニア、アクア 1940.07.22 414 東本 勝
歩兵80連隊 ニューギニア、ノコボ 1943.01.30 338 善山瑞生
歩兵80連隊 ニューギニア、ハンサ 1944.03.30 374 指平 進
歩兵80連隊 ニューギニア、サラモア 1943.06.22 416 福井秀雄
歩兵80連隊 ニューギニア、サラモア 1943.07.31 304 川島 旭
歩兵80連隊 ニューギニア、サラモア 1943.08.04 362 野村鐘洙
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1943.08.04 322 金徳正伯
歩兵80連隊 ニューギニア、サラモア 1943.08.04 381 花田鍾守
歩兵80連隊 ニューギニア、サラモア 1943.08.15 344 竹村武雄
歩兵80連隊 ニューギニア、サラモア 1943.08.18 406 松岡繁吉
歩兵80連隊 ニューギニア、ミンデリ 1943.09.03 282 三井萬植
歩兵80連隊 ニューギニア、サラモア 1943.09.02 366 秋田俊雄
歩兵80連隊 ニューギニア、カイアビット 1943.09.19 306 金田行雄
歩兵80連隊 ニューギニア、フィシン 1943.09.22 312 金光千斗
歩兵80連隊 ニューギニア、フィンシ 1943.09.25 411 平○良圭
歩兵80連隊 ニューギニア、フィンシ 1943.10.01 394 山本雲○
歩兵80連隊 ニューギニア、フィンシ 1943.10.01 393 安田文男
歩兵80連隊 ニューギニア、フィンシ 1943.10.13 370 明石秀吉
歩兵80連隊 ニューギニア、フィンシ 1943.10.16 402 松原青植
歩兵80連隊 ニューギニア、ハンサ 1943.11.06 318 香山義照
歩兵80連隊 ニューギニア、フィンシ 1943.11.07 369 新川用得
歩兵80連隊 ニューギニア、フィンシ 1943.11.10 339 余春敬龍
歩兵80連隊 ニューギニア、フィンシ 1943.11.17 367 新本鍾嶋
歩兵80連隊 ニューギニア、フィシン 1943.11.17 315 金岡正旭
歩兵80連隊 ニューギニア、フィンシ 1943.11.17 412 平岩南好
歩兵80連隊 ニューギニア、フィンシ 1943.11.17 417 文山載近
歩兵80連隊 ニューギニア、フィシン 1943.11.21 311 金岡安彦
歩兵80連隊 ニューギニア、フィンシ 1943.12.03 419 李城昌道
歩兵80連隊 ニューギニア、フィンシ 1943.12.04 380 原山斗然
歩兵80連隊 ニューギニア、フィンシ 1943.12.06 346 田中採鳳
歩兵80連隊 ニューギニア、ワレオ 1943.12.06 403 松山在夫
歩兵80連隊 ニューギニア、フィシン 1943.12.14 319 河本栄新
歩兵80連隊 ニューギニア、ワオレ 1943.12.20 408 松岡玉衡
歩兵80連隊 ニューギニア、サテルベルク 1943.12.20 364 ○保哲雄
歩兵80連隊 ニューギニア、アゴ 1943.12.31 341 慶村忠盛
歩兵80連隊 ニューギニア、ノコボ 1944.01.05 407 松村鶴根
歩兵80連隊 ニューギニア、ナバリバ 1944,01.05 276 北谷吉十郎
歩兵80連隊 ニューギニア、ニアガリ 1944.01.07 841 岩本吉雄
歩兵80連隊 ニューギニア、ナバリバ 1944.01.08 389 山口 清
歩兵80連隊 ニューギニア、フィンシ 1944.01.13 281 慎山明晟
歩兵80連隊 ニューギニア、ナベリバ 1944.01.15 286 茂松貞善
歩兵80連隊 ニューギニア、ガリ 1944.01.17 293 大村時雄
歩兵80連隊 ニューギニア、フィンシ 1944.01.23 283 南平壽賛
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤロミ 1944.01.25 895 松本責男
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤゴミ 1944.01.25 360 上原英秋
歩兵80連隊 ニューギニア、ガリ 1944.01.25 285 茂山清一
歩兵80連隊 ニューギニア、サラモア 1944.01.28 323 金田嶋烈
歩兵80連隊 ニューギニア、マダン 1944.02.07 347 武村洙珍
歩兵80連隊 ニューギニア、マダン 1944.02.07 291 富山光雄
歩兵80連隊 ニューギニア、フィシン 1944.02.07 320 河本隆義
歩兵80連隊 ニューギニア 1944.02.07 951 玉山致○
歩兵80連隊 ニューギニア、バロン 1944.02.08 317 河原泳宅
歩兵80連隊 ニューギニア、ミンテリイ 1944.02.09 340 吉森郁太郎
歩兵80連隊 ニューギニア、アソサ 1944.02.14 343 田口辰一
歩兵80連隊 ニューギニア、ヨガヨガ 1944.02.15 355 宋岩井柱洙
歩兵80連隊 ニューギニア、カブトモン 1944.02.20 358 成本城鳳
歩兵80連隊 ニューギニア、ガリ 1944.02.25 368 秋元隆雄
歩兵80連隊 ニューギニア、ハンサ 1944.03.16 398 靖武煥淑
歩兵80連隊 ニューギニア、ウウェワク 1944.04.01 373 新井相泰
歩兵80連隊 ニューギニア、ウウェワク 1944.04.24 418 鈴木信雄
歩兵80連隊 ニューギニア、ボイキン 1944.05.02 359 中原将彰
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.05.16 349 竹浦達盛
歩兵80連隊 ニューギニア 1944.05.28 918 長川俊夫
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤカムル 1944.05.31 296 大潭原吉
歩兵80連隊 ニューギニア、ボイキン 1944.06.03 379 長谷川一雄
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤカムル 1944.06.03 313 河本清正
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤカムル 1944.06.03 305 金本漢敬
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.06.03 385 西原勇男
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤカムル 1944.06.03 404 松山干煥
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤカムル 1944.06.04 395 安川昌秀
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤカムル 1944.06.04 300 大山栄洪
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤカムル 1944.06.06 326 金原基台
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤカムル 1944.06.10 287 仁川永徳
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤカムル 1944,06,12 277 木下忠男
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.06.21 390 山崎 茂
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944,06,24 279 城戸元治
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤカムル 1944.06.25 941 青木亨建
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤカムル 1944.06.27 329 金山信秀
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤカムル 1944.06.25 382 春木亨建
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤカムル 1944.06.28 384 原田秀雄
歩兵80連隊 ニューギニア、アロア 1944.07.10 356 蓮井聖述
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.10 280 木村天祐
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.10 19 竹谷充夫
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.10 335 金天斗完
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.11 303 金井用洙
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.11 386 呉山且錫
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.11 371 安東基夾
歩兵80連隊 ニューギニア、ハウプ 1944.07.11 400 山城福壽
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.17 331 神農允遠
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.20 405 眞村右範
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.22 332 神農浩鎮
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.25 345 高山同春
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.25 278 木下達雄
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.25 377 伊原亨重
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.28 387 車田幸應
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.29 378 岩本光雄
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.30 328 金光勝正
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.30 383 花田敬守
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.07.30 421 富山承鳳
歩兵80連隊 ニューギニアアフア 1944.08.01 301 大山鶴永
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.08.03 333 河本泰龍
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.08.03 334 金村徳盛
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.08.04 295 大島達雄
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.08.05 409 松本道敬
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.08.06 365 江村文巨
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.08.07 327 金海昭
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.08.07 372 青山 清
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤカムル 1944.08.10 284 南大鉉
歩兵80連隊 ニューギニア、ソーヨ 1944.08.10 826 西河輝雄
歩兵80連隊 ニューギニア、ソーヨ 1944.08.10 827 檜原泰守
歩兵80連隊 ニューギニア、ソーヨ 1944.08.10 828 廣田容瀬
歩兵80連隊 ニューギニア、ソーヨ 1944.08.10 829 金田大権
歩兵80連隊 ニューギニア、ソーヨ 1944.08.10 830 神農○萬
歩兵80連隊 ニューギニア、ソーヨ 1944.08.10 831 新井清源
歩兵80連隊 ニューギニア、ソーヨ 1944.08.10 832 陳川捧鎬
歩兵80連隊 ニューギニア、ソーヨ 1944.08.10 833 新井續ヘ
歩兵80連隊 ニューギニア、ソーヨ 1944.08.10 834 天野相文
歩兵80連隊 ニューギニア、ニアガリ 1944.08.10 835 江城宇洪
歩兵80連隊 ニューギニア、ヤカムル 1944.08.11 392 山佳判雄
歩兵80連隊 ニューギニア、ウウェワク 1944.08.11 294 大原光富
歩兵80連隊 ニューギニア、ダンダヤ 1944.08.20 351 高杉政男
歩兵80連隊 ニューギニア、ソナム 1944.08.24 937 松川根碩
歩兵80連隊 ニューギニア、ソナム 1944.08.27 825 江原武一
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.09.10 330 金澤繁吉
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.09.20 399 安田英鉉
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.09.24 310 金本英正
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.09.27 420 高山賢朝
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1944.09.29 299 大山平午
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.10.04 307 金本長利
歩兵80連隊 ニューギニア、バラム 1944.10.05 20 古河在淳
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.10.06 292 豊川仁変
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.10.16 308 金城快胃
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.10.20 337 金山淳甲
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.10.21 354 向田金好
歩兵80連隊 ニューギニア、フィシン 1944.10.23 316 金井信夫
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.11.03 289 白玉錫淳
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.11.07 424 呉島石造
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.11.10 336 金天章秀
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.11.10 288 百川友助
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.11.10 413 平沼昌壽
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.11.13 353 瀧澤在m
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.11.20 410 平山恵徹
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.11.25 348 高島炳玉
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.12.08 352 高山徳雄
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.12.10 342 香井忠治
歩兵80連隊 ニューギニア、ワレオ 1944.12.10 361 梅田静夫
歩兵80連隊 ニューギニア、バロン 1944.12.10 290 鳥山性二
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.12.16 415 松原承吉
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.12.19 422 丘山 実
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.12.20 397 山内正雄
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1944.12.24 350 竹田干
歩兵80連隊 ニューギニア、ハンサ 1944.12.27 321 金村翼斗
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1945.01.14 388 國本日出雄
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1945.01.30 324 金光鐘錫
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1945.01.30 325 金宮道植
歩兵80連隊 ニューギニア、ソナム 1945.01.30 314 金澤斗益
歩兵80連隊 ニューギニア、ロアン 1945.03.05 363 後藤忠八郎
歩兵80連隊 ニューギニア、ソナム 1945.03.06 357 長弓彩圭
歩兵80連隊 ニューギニア、ソナム 1945.03.06 927 長方彩圭
歩兵80連隊 ニューギニア、ブーツ 1945.03.16 396 安田碩業
歩兵80連隊 ニューギニア、サブルマン 1945.05.03 309 金田明律
歩兵80連隊 ニューギニア、ボイキン 1945.05.24 297 大村俊治
歩兵80連隊 ニューギニア、ボニプ 1945.07.13 302 金本点壽
歩兵80連隊 ニューギニア、アフア 1945.08.05 298 大林東振
歩兵80連隊 ニューギニア、アルベン 1945.08.12 423 山本栄昌
野砲21連隊 ニューギニア、ハンサ 1942.03.20 909 市野靖道
野砲21連隊 ニューギニア、マグン 1943.10.25 840 秋月哲男
野砲21連隊 ニューギニア 1944.02.23 910 水上 茂
野砲21連隊 ニューギニア 1944.08.14 936 古賀正巳
野砲21連隊 ニューギニア 1944.10.21 912 福島 武
野砲26連隊 ニューギニア、シャルム 1943.10.27 216 今井太喜治
野砲26連隊 ニューギニア、コシヤマ 1944.03.17 217 緒方壽一
野砲26連隊 ニューギニア、マラガ 1944.03.17 218 大山漢益
野砲26連隊 ニューギニア、坂東川 1944.07.16 210 大山正済
野砲26連隊 ニューギニア、スマイン 1944.12.21 213 光山正純
野砲26連隊 ニューギニア、ダクア 1944.12.30 28 松山栄雄
野砲26連隊 ニューギニア、サウリック 1945.01.16 211 山川祥奎
野砲26連隊 ニューギニア、ヤミル 1945.04.13 214 河本成泰
野砲26連隊 ニューギニア、ヤミル 1945.06.13 212 白川正秀
野砲26連隊 ニューギニア、アルス 1945.09.01 215 岩谷世奇
野高射砲58大隊 ニューギニア、ウウェワク 1945.08.22 666 中原武夫
野高射砲58大隊 ニューギニア、ウウェワク 1944.06.08 667 金澤秀岡
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、サプア 1942.12.03 981 松原周興
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1942.12.03 1008 高山壽永
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ザボア 1942.12.08 976 星山根堅
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1942.12.12 979 河本太順
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1942.12.22 1009 廣川未龍
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1942.12.24 993 大原斗表
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1942.12.28 980 松衛奎洪
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1942.12.30 974 松田忠根
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1942.12.30 994 華山鎮守
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア 1943.01.02 982 河本三郎
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1943.01.03 978 柳井敏碩
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1943.01.11 963 今井徳文
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1943.01.12 1002 伊原永淳
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1943.01.12 975 眞城晩珠
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1943.01.13 997 大城成洙
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1943.01.13 1010 平野忠洙
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1943.01.15 995 金本水龍
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1943.01.16 996 檜山且奉
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1943.01.16 977 松本龍煥
18軍臨時道路構築隊 ニューギニア、ギルワ 1943.01.20 990 重光奇煥
20師団衛生隊 ニューギニア、マルジップ 1944.09.15 40 河野在徳
20師団衛生隊 ニューギニア、ダンダヤ 1945.08.15 41 東岡永達
20師団防疫給水部 ニューギニア、サルップ 1943.07.17 118 林章佑
20師団防疫給水部 ニューギニア、サルップ 1944.07.28 119 東原正云
20師団防疫給水部 ニューギニア、バナム 1944.08.20 117 豊原 実
20師団防疫給水部 ニューギニア、マルジップ 1944.09.09 120 本居義英
20師団防疫給水部 ニューギニア、バナム 1944.09.13 115 金岡享坤
20師団防疫給水部 ニューギニア、バナム 1944.09.28 121 山村相○
20師団防疫給水部 ニューギニア、オクナール 1944.11.17 116 金山勇雄
26野戦貨物廠 ニューブリテン島67兵病 1945.01.15 795 西原基錫
31碇司令部・特通丸 ニューギニア、ウウェワク 1943.08.24 1015 山村性振
86飛行中隊 ニューギニア、アイタベ 1944.08.13 909 濱辺純一


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タイトル (本文) ブログ名/日時
『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(6) 武内満多男 
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で10月30日までの日程で開催中の『ニューギニア未帰還兵展』を訪れた、元海軍第202設営隊(永田亀雄技術少佐)の隊員だった東京・練馬区在住の武内満多男さん(83歳)から同隊に関する貴重な資料提供を受けた。同氏とのインタビュー内容は後日紹介するとして、資料によってこれまで不明だった数々の謎解きが可能となった。海軍第202設営隊は、およそ230を数える海軍設営隊の中でも、最初の“玉砕部隊”として不幸な名誉を残している。しかし、その要員数... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/04 19:09
『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(7) 戦死公報の謎
{%爆弾webry%}『海軍設営隊の太平洋戦争 航空基地築城の展開と活躍』(光人社・1996年4月26日発行)の著者で、元海軍第203設営隊(岩下久哉技術少佐・ハルマヘラ島で基地設営)の西部ニューギニア・ソロン派遣隊長だった佐用泰司元海軍技術大尉によれば、「海軍第202設営隊(永田亀雄技術少佐・昭和18年11月15日海軍横須賀施設部編成)」は、“玉砕設営隊”の第一号だった。一部およそ130名がハルマヘラ島に取り残されたが、約1,000名の隊員が昭和19(1944)年6〜7月、ビアク... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/05 20:26
海軍第202設営隊(1) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/08 11:14
海軍第202設営隊(2) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/08 19:44
海軍第202設営隊(3) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/09 15:00
海軍第202設営隊(4)武内満多男の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/11 12:20
海軍第202設営隊(5) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/20 22:47
海軍第202設営隊(6) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/21 16:43
海軍第202設営隊(7) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/24 09:48
『ニューギニア未帰還兵展』12月19日まで再延長。Pameran Prajurit Jepang
{%爆弾webry%}開催期間を一ヶ月間延長して、去る8月8日から10月30日までの予定で実施中の『ニューギニア未帰還兵展』。戦後65年も経過したのにも関わらず、未だ祖国へ還れない、ニューギニアに瞑る幾多の旧日本軍将兵の霊。そして、「いつ、どこで、どのように亡くなったのか?」を究明したいと願う遺族。夫を、父を、兄を、弟を、そして伯父(叔父)の最期の地を必死で探し求めている妻、子、兄弟姉妹、そして姪と甥。 赤紙一枚で出征し、白紙一枚の戦死公報。ニューギニアで亡くなった方々のお墓に安... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/24 17:51
海軍第202設営隊(8) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/01 01:47
海軍第202設営隊(小林光雄氏の絵日記証言)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}2009年12月19日までインドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/01 02:48
第35師団野戦病院(東第2931部隊第3分隊)故永井寿三郎氏提供写真 ヌンホル島
{%爆弾webry%}再々延長して2009年12月19日までインドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。再延長の最終日、2009年10月30日、『亡き父のアルバムの中に、大戦中にニューギニアで戦死した戦友たちが写っている写真がありました。もしや、ご遺族の方々の中に、身内の消息を探している方がいるのではないかと思って持参しました』---そう言って、横浜市か... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/01 16:48
海軍第202設営隊(9) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/02 11:00
海軍第202設営隊(10)武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/03 13:58
『ニューギニア未帰還兵展』12月19日まで再々延長。Pameran s/d 19 Des 09
{%爆弾webry%}開催期間を一ヶ月間延長して、去る8月8日から10月30日までの予定で実施中の『ニューギニア未帰還兵展』。戦後65年も経過したのにも関わらず、未だ祖国へ還れない、ニューギニアに瞑る幾多の旧日本軍将兵の霊。そして、「いつ、どこで、どのように亡くなったのか?」を究明したいと願う遺族。夫を、父を、兄を、弟を、そして伯父(叔父)の最期の地を必死で探し求めている妻、子、兄弟姉妹、そして姪と甥。 赤紙一枚で出征し、白紙一枚の戦死公報。ニューギニアで亡くなった方々のお墓に安... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/04 09:49
海軍第202設営隊(11)武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/05 12:09
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(1)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/08 21:01
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(2)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/10 13:28
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(3)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/12 10:10
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(4)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/13 08:48
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(5)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/14 16:27
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(6)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/15 00:30
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(7)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/18 09:37
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(8)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/19 10:27
海軍第202設営隊絵日記(1)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/20 11:35
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(9)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/20 23:57
海軍第202設営隊絵日記(2)小林光雄の戦 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/22 09:53
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(10)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/23 10:58
海軍第202設営隊絵日記(3)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/23 21:11
海軍第202設営隊絵日記(4)小林光雄の戦 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/26 10:56
海軍第202設営隊絵日記(5)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/27 22:06
海軍第202設営隊絵日記(6)小林光雄の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/29 13:18
海軍第202設営隊絵日記(7)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/01 09:49
海軍第202設営隊絵日記(8)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/02 09:50
海軍第202設営隊(1)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/05 11:05
海軍第202設営隊(2)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/06 11:21
ビアク島マンドン・イブディの旧日本軍洞窟(1) Gua Dai Nippon Biak
{%爆弾webry%}今から13年前。1997年5月、“玉砕の島”ビアク島を訪ねた時の写真が資料棚から出てきた。フィルムで撮影したもので、多少変色している。画像は、その3年前の1994年10月、地主のパウルス・カフィアール(Paulus.A.Kafiar)さんによって発見されたとされるマンドン(Mandon)・イブディ(Ibdi)の断崖にある、内部が5室構造の鍾乳洞を写し出している。 ビアク島といえば、1万数千名の日本軍将兵や台湾人、朝鮮半島出身の軍属、そしてインドネシア人兵補や... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/07 10:45
ビアク島マンドン・イブディの旧日本軍洞窟(2) Gua Dai Nippon Biak
{%爆弾webry%}今から13年前。1997年5月、“玉砕の島”ビアク島を訪ねた時の写真が資料棚から出てきた。フィルムで撮影したもので、多少変色している。画像は、その3年前の1994年10月、地主のパウルス・カフィアール(Paulus.A.Kafiar)さんによって発見されたとされるマンドン(Mandon)・イブディ(Ibdi)の断崖にある、内部が5室構造の鍾乳洞を写し出している。 ビアク島といえば、1万数千名の日本軍将兵や台湾人、朝鮮半島出身の軍属、そしてインドネシア人兵補や... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/07 10:59
海軍第202設営隊(3)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/09 12:20
海軍第202設営隊(4)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/10 21:46
海軍第202設営隊(5)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/12 14:39
☆12月17日:西部ニューギニア遺骨収集団遺骨引渡式のお知らせ☆
{%メガホンhdeco%}来る12月17日(木)、今年二回目の、厚生労働省派遣による西部ニューギニア地区遺骨収集団が帰国し、東京・千代田区三番町にあります「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」にて遺骨引渡式が行われます。今回はビアク島、ホーランジア(現ジャヤプラ)、ヌンホル島からの祖国帰還となります。 長年同地の遺骨調査に従事し、今回の収集団にも参加した岩手県奥州市のNPO『太平洋戦史館』のメンバーから遺骨が国に引き渡されます。事前予約無しで自由に出席できますので、是非ご参加下さい。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/13 14:30
海軍第202設営隊(6)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/14 10:32
12月17日、西部ニューギニア遺骨収集団遺骨引渡式:291柱が無言の祖国帰還
{%メガホンhdeco%}来る12月17日(木)、今年二回目の、厚生労働省派遣による西部ニューギニア地区遺骨収集団が帰国し、東京・千代田区三番町にあります「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」にて遺骨引渡式が行われます。今回はビアク島、ホーランジア(現ジャヤプラ)、ヌンホル島からの祖国帰還となります。過去最多の291柱が還ってくる予定です。 長年同地の遺骨調査に従事し、今回の収集団にも参加した岩手県奥州市のNPO『太平洋戦史館』のメンバーから遺骨が国に引き渡されます。事前予約無しで自由に出席でき... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/15 12:27
東西ニューギニアから計702名の遺骨が祖国帰還
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インドネシア文化宮
2009/12/17 21:52
海軍第202設営隊(7)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/18 14:11
海軍第202設営隊(8)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/19 09:51
2010年にも始まるワクデ島の遺骨収集 Pulau Wakde & Prajurit Jepang
{%爆弾webry%}3月に次いで今年二回目となった、厚生労働省による西部ニューギニア域戦没者遺骨収集団が去る12月17日帰国した。3月の108柱のおよそ2.7倍に当たる291柱が無言の祖国帰還を果たした。彼らは、現在のパプア州の州都ジャヤプラ(Jayapura・旧ホランジア)近郊のプアイ村で見つかった77柱、そして玉砕の島として戦史に残るビアク(Biak)島で確認された214柱の旧日本軍将兵・軍属の遺骨・遺灰だ。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/20 18:25
三橋國民 『64年目の夏 鎮魂のニューギニア』 Kunitami Mitsuhashi
{%爆弾webry%}日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日〜16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日〜6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開いた。 2010年に90歳になる三橋氏は、戦時中、野戦高射砲第74大隊第2中隊の隊員として西部ニューギニアのサラワティ(Sarawati)島のサマテ(Samate)に暮らした。戦友はことごとく戦死。40名中2名の生還だった。ニューギニアでの戦争体験を原点に、戦後、造... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/24 19:30
三橋國民 鎮魂のニューギニア(1) Kunitami Mitsuhashi & Papua
{%爆弾webry%}日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日〜16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日〜6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開いた。 2010年に90歳になる三橋氏は、戦時中、野戦高射砲第74大隊第2中隊の隊員として西部ニューギニアのサラワティ(Sarawati)島のサマテ(Samate)に陣地を構えた。戦友はことごとく戦死。40名中2名の生還だった。ニューギニアでの戦争体験を原点に、戦後... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/26 12:54
三橋國民 鎮魂のニューギニア(2) Kunitami Mitsuhashi & Papua
{%爆弾webry%}日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日〜16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日〜6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開いた。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/28 08:54
三橋國民 鎮魂のニューギニア(3) Kunitami Mitsuhashi & Papua
{%爆弾webry%}日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日〜16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日〜6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開いた。 2010年に90歳になる三橋氏は、戦時中、野戦高射砲第74大隊第2中隊の隊員として西部ニューギニアのサラワティ(Sarawati)島のサマテ(Samate)に暮らした。戦友はことごとく戦死。40名中2名の生還だった。ニューギニアでの戦争体験を原点に、戦後、造... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/29 12:10
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(109) Bandara DaiNippon(109)ボルネオ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}2008年12月2日に連載を開始した『東部インドネシアの旧日本軍航空基地(Bandara Dai Nippon)』シリーズは、 西部ニューギニアのバボ(Babo)を第1号に、2009年5月19日のボルネオ島の第108号まで回を重ね、以降、ロテ島の伝統楽器ササンドゥ特集や『ニューギニア未帰還兵展』などのシリーズのため中断していた。太平洋戦争の開戦から68周年。ますます遠のく“先の大戦”の記憶。たとえ幾万の旧日本軍将兵・軍属の遺骨が、特に西部ニューギニ... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/30 11:02
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(110) Bandara DaiNippon(110)ボルネオ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}2008年12月2日に連載を開始した『東部インドネシアの旧日本軍航空基地(Bandara Dai Nippon)』シリーズは、 西部ニューギニアのバボ(Babo)を第1号に、2009年5月19日のボルネオ島の第108号まで回を重ね、以降、ロテ島の伝統楽器ササンドゥ特集や『ニューギニア未帰還兵展』などのシリーズのため中断していた。太平洋戦争の開戦から68周年。ますます遠のく“先の大戦”の記憶。たとえ幾万の旧日本軍将兵・軍属の遺骨が、特に西部ニューギニ... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/31 01:07

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