インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)

アクセスカウンタ

zoom RSS 東部インドネシアの旧日本軍航空基地(57) Bandara Dai Nippon(57)アンボン

<<   作成日時 : 2009/01/29 00:00   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 51 / コメント 0

画像



豊かな地域は、それが天然資源であり、香辛料であろうと、その昔より列強大国の牙の餌食にされてきた。アンボンを核とする、バンダ海周辺海域も例外ではない。オランダの東インド会社(VOC)に代表されるように、この地域は3世紀以上にも及ぶ被植民地支配の歴史を刻む。7世紀、中国では唐の時代、すでにマルク(Maluku)地域の香料を求めて中国船が来航していた。そして9世紀にはアラブ商人もやってきた。インドネシア史によれば、12世紀にはスマトラ島南部のスリウィジャヤ(Sriwijaya)王国の影響下に置かれ、また14世紀、ジャワのマジャパヒト(Majapahit)王国時代、バンダ海の香辛料は、ジャワの商人に独占された。14世紀、香料取引はこの地にイスラム教をもたらした。ヨーロッパ勢力がやってくるのは時間の問題だった。

アンボン島北端のリアン付近の衛星画像。


画像



1512年、ポルトガル艦隊のAntonio d'AbreuとFransisco Serranoがバンダ諸島とペニュ島に上陸。テルナテ(Ternate)島のテルナテ王国と友好関係を結び、ピカオリ(Pikaoli)に要塞を築くことを許された。ポルトガルは、アンボン島のNegeri Hitu LamaやMamalaにも要塞を建設した。しかし、ポルトガルとの関係は、香料取引のモノポリーやキリスト教の布教などを理由に悪化、1570年には、テルナテ王国のバブラ王(Sultan Babullah)との間で5年間にわたる戦争が起きた。この結果、ポルトガルはテルナテ島を捨て、ティドレ(Tidore)島、アンボン島へと移った。キリスト教の布教史では、その数年後に鹿児島にやってくるフランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)が1546年2月14日、アンボンにやってきた。しかし歴史の主人公は変わった。ポルトガル勢力へのマルク住民の抵抗は強まり、それをオランダがうまく利用した。やがて1602年、VOCは商館を開き、以降、日本軍が進攻する1942年までの3世紀半もの長きにわたり、マルク諸島一帯を植民地支配した(注:1800〜1814年、イギリスが同地域を支配した)。


画像



アンボンは日本軍にとって、戦略的に極めて重要な地だった。港は火口港で、長く深い湾。まさに天然の軍港だった。さらに、オランダが造った飛行場(ラハ)もあった。海軍にとっては、絶対確保すべき要衝だった。それはオーストラリアにとっても同じことだった。アンボンを日本軍の掌中に落とすことは、そのまま豪州への日本軍侵攻を容易ならしめることに通じた。このため、1941年12月、同地のオランダ部隊を支援する目的で、1,000名を超える豪州兵がアンボンに駐屯していた。アンボン上陸作戦を開始する以前、日本軍は同地の敵軍の守備規模に関して次のように推定していた。「アンボン島守備蘭印軍兵力は約1,000名といわれていたが、最近豪州軍約2,000名が増派されたようである。アンボン湾口およびバゴアラ湾に機雷を敷設している。(中略)諸情報を総合すると、アンボン島は全島要塞化しているようであり、特にアンボン湾方面を表防禦正面、バゴアラ湾方面を裏防禦正面とし、アンボン市街周辺、ラハ飛行場西部には堅固な防禦施設をしているようである」(『戦史業書 蘭印攻略作戦』 防衛庁防衛研修所戦史室著・朝雲新聞社・昭和42年1月15日発行)。


画像



日本軍がアンボンを制圧した時点(昭和17(1942)年1月31日上陸)で、すでにラハ(Laha)にはオランダが建設した飛行場があった。豪蘭軍は、日本軍の上陸に先立ち、ラハ飛行場の燃料・弾薬集積所やハンガーなどを破壊した。また交戦でもさらに破壊されたが、このラハ飛行場は、日本軍占領後に、海軍の第3艦隊隷下の第3設営班(飯野亮技師・横須賀海軍建築部編成)が入り、修復工事を行った。
日本軍は、アンボン島で新たに1個の飛行場を、島北端のリアン(Liang)に、そしてハルク島に1個、セラム島では、リアンにも近いカイラトゥ(Kairatu)に1個、そして中西部の南岸のアマハイ(Amahai)に1個、さらに島の東部に位置し、石油を産出するブラ(Bula)にも1個の飛行場を造成・設定した。昭和18(1943)年4月にアンボンに進出した第9航空地区司令部(赤澤正之烝大佐)は、本来は飛行場勤務、燃弾の補給、宿営給養などが業務だったが、リアン、ハルク、アマハイ、そしてブル島のナムレア飛行場の設定にもあたった。ジャワ島から多数の労務者を徴用、またオランダ軍から奪ったブルドーザーなどの重機も活用された。リアン飛行場は、第38飛行場大隊が主体となり、地元住民も加わり、6月頃、長さ2,000m、幅100mの滑走路を完成させ、後に掩体や付属施設も整った。リアン飛行場は、第7飛行師団(須藤榮之助中将)隷下の第3飛行団(塚田理喜智少将)の飛行第5戦隊(小松原虎男中佐)が、二式複座戦闘機(愛称は屠龍=とりゅう)の基地として主用した。ちなみに、スマトラ島から西部ニューギニアまで、ほとんどのインドネシア空海域を作戦エリアにした第7飛行師団の主力は、昭和18年6月〜11月、東部ニューギニア戦線へ派遣され、同年11月21日、アンボン島のリアン飛行場に移ってきた。



画像



アンボン湾最奥部のハロン(Halong)にはオランダ軍の水上基地があり、日本軍のアンボン攻略直前まで、米海軍のPW10(Patrol Wing TEN)が駐屯していた。PW10は、日本軍によるハワイ島パールハーバー奇襲作戦の後、フィリピンにあったカビテ(Cavite)基地から、1941年12月28日、アンボンに移動していた。そして日本軍のアンボン攻略作戦が始まる半月ほど前の1942年1月15日、ジャワ島東部のスラバヤへ移動した。1月28日には、アンボン在住のアメリカ人、オランダ人を避難させるため、ジャワから飛来したという。日本軍上陸に先立つ空爆により、PW10は数機の飛行艇(PBY Catalina)を失った。


画像




【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(56) Bandara Dai Nippon(56)アンボン(Ambon)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_29.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(55) Bandara Dai Nippon:55タニンバル諸島(Tanimbar)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_27.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(54) Bandara Dai Nippon:54タニンバル諸島(Tanimbar)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_26.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(53) Bandara Dai Nippon(53)アルー諸島(Kepulauan Aru)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_25.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(52) Bandara Dai Nippon(52)アルー諸島(Kepulauan Aru)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_24.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(51) Bandara Dai Nippon(51)ケイ諸島(Kepulauan Kei)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_23.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(50) Bandara Dai Nippon(50) ジャヤプラ(Jayapura)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(49) Bandara Dai Nippon(49) ジャヤプラ(Jayapura)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(48) Bandara Dai Nippon(48) ジャヤプラ(Jayapura)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(47) Bandara Dai Nippon(47) メラウケ(Merauke)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_19.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(46) Bandara Dai Nippon(46) ジャヤ峰(Puncak Jaya)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_18.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(45) Bandara Dai Nippon(45) ジャヤ峰(Puncak Jaya)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_17.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(44) Bandara Dai Nippon(44) ジャヤ峰(Puncak Jaya)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(43) Bandara Dai Nippon(43) ジャヤ峰(Puncak Jaya)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(42) Bandara Dai Nippon(42) ジャヤ峰 (Puncak Jaya)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(41) Bandara Dai Nippon(41) ミミカ(Mimika)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_13.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(40) Bandara Dai Nippon(40) カイマナ(Kaimana)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(39) Bandara Dai Nippon(39) ファクファク(Fakfak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(38) Bandara Dai Nippon(38) ヤムール湖(Danau Yamur)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(37) Bandara Dai Nippon(37) ハベマ湖(Danau Habema)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36) ロンベバイ湖(Danau Rombebai)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(35) Bandara Dai Nippon(35) ウィッセル湖(Danau Wiessel/Paniai)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(34) Bandara Dai Nippon(34) ワクデ島(Pulau Wakde)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(33) Bandara Dai Nippon(33) ワクデ島(Pulau Wakde)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(32) Bandara Dai Nippon(32) ワクデ島(Pulau Wakde)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(31) Bandara Dai Nippon(31) サルミ(Sarmi)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_2.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(30) Bandara Dai Nippon(30) サルミ(Sarmi)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_34.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(29) Bandara Dai Nippon(29) サルミ(Sarmi)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_33.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(28) Bandara Dai Nippon(28) ナビレ(Nabire)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_32.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(27) Bandara Dai Nippon(27) ヌンホル島(Pulau Numfor)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(26) Bandara Dai Nippon(26) ヌンホル島(Pulau Numfor)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_30.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(25) Bandara Dai Nippon(25) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_29.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(24) Bandara Dai Nippon(24) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_28.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(23) Bandara Dai Nippon(23) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_26.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(22) Bandara Dai Nippon(22) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_25.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(21) Bandara Dai Nippon(21) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_24.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島(Pulau Mapia)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(19) Bandara Dai Nippon(19) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(18) Bandara Dai Nippon(18) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(17) Bandara Dai Nippon(17) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_19.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(16) Bandara Dai Nippon(16) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_18.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_17.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_2.html

マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluku (9)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluku (8)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_10.html

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluku (7)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_9.html

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluku (6)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_8.html

マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluku (5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_7.html

マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluku (4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_6.html

マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluku (3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_5.html

マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluku (2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_4.html

マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluku (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_4.html

戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_3.html

西パプア州政府(Provinsi Papua Barat)
http://www.papuabaratprov.go.id/

パプア州政府(Provinsi Papua)
http://web.papua.go.id/

マノクワリ県(Kabupaten Manokwari)
http://www.manokwarikab.go.id/

ヤーペン島嶼県(Kabupaten Kepulauan Yapen)
http://www.yapenwaropen.go.id

ビアク・ヌンホル県(Kabupaten Biak Numfor)
http://www.biak.go.id/

ソロン県(Kabupaten Sorong)
http://www.sorongkab.go.id/

南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan)
http://sorongselatankab.go.id/

サルミ県(Kabupaten Sarmi)
http://www.sarmikab.go.id/

ワローペン県(Kabupaten Waropen)
http://www.waropenkab.go.id/

ファクファク県(Kabupaten Fakfak)
http://www.fakfakkab.go.id/

ビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)
http://www.bintunikab.go.id/

ウォンダマ県(Kabupaten Teluk Wondama)
http://www.telukwondama.go.id/

カイマナ県(Kabupaten Kaimana)
http://www.kaimanakab.go.id/

ジャヤプラ市(Kota Jayapura)
http://www.jayapurakota.go.id/

マルク州政府
http://malukuprov.go.id/?pilih=lihat&id=11

マルク州南東県
http://www.malukutenggarakab.go.id/

マルク州中マルク県
http://www.malteng.go.id/

西南東マルク県
http://www.mtbkab.go.id/




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(51件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(58) Bandara Dai Nippon(58)アンボン
{%空港(ユラユラ)hdeco%}アンボン(Ambon)島の東、そしてセラム(Seram)島の南に、三つの小さな島が連なる。西からハルク(Haruku)島、サパルア(Saparua)島、そしてヌサラウト(Nusa Laut)島。アンボン島の東隣のハルク島にも、陸軍は飛行場を新たに建設した。リアン(Liang)飛行場同様に、第9航空地区司令部(赤澤正之烝大佐)担任で、第28飛行場大隊が、昭和18(1943)年9月末、長さ1,400m、幅80mの滑走路を概成し、年末には掩体施設もお... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/01/29 23:12
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(59) Bandara Dai Nippon(59)アンボン
{%空港(ユラユラ)hdeco%}セラム(Seram)島中西部の南岸にアマハイ(Amahai)は位置する。エルパプティ(Elpaputih)湾の東南の岬付近に、陸軍は飛行場を造成・設定した。この飛行場は、アンボン島北端のリアン(Liang)飛行場を手がけた、第9航空地区司令部(赤澤正之烝大佐)隷下の第38飛行場大隊が担当。ハルク飛行場の着工とほぼ同時期に造成がなされた。昭和18(1943)年10月中旬には概成し(長さ1,200m、幅100m)、軽爆撃機が使用可能となった。その後... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/01/30 22:31
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(60) Bandara Dai Nippon(60)アンボン
{%空港(ユラユラ)hdeco%}アンボンを占領した日本海軍は、セラム島北岸のブラ(Bula)にも飛行場を造った。ブラ(Bula)は、現在、マルク州東セラム県(Kabupaten Seram Bagian Timur)に属している。同県の人口は2005年で約82,000人。ブラは戦前から産油地だった。最初の油田発見は1896年。現在は2社が操業している。一つは、クウェートのKUPEC(Kuwait Foreign Petroleum Exploration Company)、も... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/01/31 22:15
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(61) Bandara Dai Nippon(61)ブル島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}アンボンの西およそ100kmに浮かぶブル(Buru)島。スハルト時代のインドネシアでは“恐怖の島”だった。ここは1965年の「9月30日事件」に連座したとしてB級政治犯(TAPOL)となった1万人を超える人々が送り込まれた“監獄島”だった。B級政治犯とされた作家プラムディア・アナンタ・トゥル(Pramoedya Ananta Toer)も10数年間、ブル島で拘留生活を過した。ブル島のナムレア(Namlea)には開戦前に、すでにオランダ軍が建設し... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/01 21:52
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(62) Bandara Dai Nippon(62)ティモール島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}米領フィリピンや英領マレー・シンガポールを制圧し、蘭印(オランダ領インドネシア)を攻略する、いわゆる南方進攻作戦は、その最大の目的が石油資源の確保だった(注:開戦約4ヵ月前の昭和16(1941)年7月末、米英蘭は対日全面禁輸を実施)。蘭印の石油資源、殊に当時東南アジア最大の規模を誇ったスマトラ島のパレンバン(Palembang)油田の制圧が主眼だった(当時のパレンバン油田の年間産出量はおよそ300万トン。一方、日本の年間所要量は約500万トン)... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/02 22:32
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(63) Bandara Dai Nippon(63)クーパン
{%空港(ユラユラ)hdeco%}大東亜戦争の開戦時、大本営は豪北(オーストラリアの北方)方面では、ティモール島については、西半分の蘭領ティモールのみの占領を計画した。というのも、蘭領ティモール内にある飛び地(オクエシ)と東半分は、“中立国”であるポルトガル領だったからだ。一方、ティモール(Timor・チモール)島は、いわゆるABCD包囲網にあって、ジャワ島攻略作戦を実施する上で、蘭印と豪州とを分断・遮断するために、日本軍にとって制圧しておきたい要地だった。 当時、大本営は、... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/03 19:46
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(64) Bandara Dai Nippon(64)クーパン
{%空港(ユラユラ)hdeco%}昭和17(1942)年2月20日、西のクーパン(Kupang)、そして東のディリ(Dili)へ日本軍が同日上陸。これ以前、日本軍は、2月14日、スマトラ島南部のパレンバン(Palembang)へ陸軍空挺部隊(挺進第2連隊・甲村武雄少佐)を降下させ、精油所などを制圧した。翌日、第16軍(今村均中将)隷下の第38師団(沼兵団・佐野忠義中将)は、ムシ川、テラ川、などを遡上してパレンバンに上陸。2月19日、金村支隊(第48師団の台湾歩兵第1連隊第3大隊... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/04 17:43
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(65) Bandara Dai Nippon(65)ロテ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}日本軍によるティモール島占領以前、蘭領ティモール(ティモール島西部)には、すでにオランダが造ったクーパン(プトン)飛行場、そして中部地域にアタンブア(Atambua)飛行場があった。占領後、プトン飛行場(現エルタリ空港)は海軍が修復した後(2本の滑走路があった)、昭和17(1942)年3月中旬から、まず海軍第23航空戦隊(竹中龍造少将)がオーストラリアのダーウィンを始めとする北部エリアに対する空爆基地として使用した。そのすぐ南には、第4飛行場設... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/05 21:32
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(66) Bandara Dai Nippon(66)東ティモール
{%空港(ユラユラ)hdeco%}昭和17(1942)年2月20日、日本軍・東方支隊(陸軍第38師団第38歩兵団長・伊東武夫少将)とパラシュート部隊を含む海軍部隊が、ティモール島西部の、蘭領ティモールのクーパン(Kupang)へ上陸。同日未明、東方支隊隷下の第38師団歩兵第228連隊(土井定七大佐)の連隊長指揮下の第2大隊基幹(木村榮次郎少佐)が、同島東半分のポルトガル領ティモール(現東ティモール民主共和国)進攻作戦を開始した。第二次世界大戦で“中立”を表明したポルトガルの主権... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/06 20:36
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(67) Bandara Dai Nippon(67)東ティモール
{%空港(ユラユラ)hdeco%}ポルトガル領ティモール(現東ティモール民主共和国)の東部、ラウテン(Lautem)に日本軍が造成した飛行場は、いわゆる“秘密飛行場”だった。同地は、昭和17(1942)年の9月頃から第3飛行集団(菅原道大中将)隷下の第3飛行団長(塚田理喜智少将)が、指揮下の第73中隊(九九式軍偵察機)に命じて行った空からの偵察活動によって見つけた平らな高原地帯だった。そして、陸軍の第9野戦飛行場設定隊(河端融少佐)が、第4航空地区の陸上勤務隊の協力も得て、昭和... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/07 19:13
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(68) Bandara Dai Nippon(68)フローレス島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}ティモール島で飛行場の新設や拡張を終えた第4野戦飛行場設定隊(注:クーパンのプトン飛行場の南に陸軍用の飛行場を設定後、同島の東半分に位置するポルトガル領ティモールで各地の飛行場造成に協力)は、昭和18(1943)年4月20日、ポルトガル領ティモールのディリからフローレス(Flores)島へ移った。そして同年5月16日、バビ(Babi)島の対岸の本島に陸軍主用の飛行場を完成させ、そして翌6月19日、マウメレ(Maumere)にも飛行場を概成させた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/08 20:00
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(69) Bandara Dai Nippon(69)フローレス島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}昭和18(1943)年9月30日、大本営は航空作戦に関して「中・南部太平洋方面陸海軍中央協定」を指示した。この中で、濠北(オーストラリア北方域)方面における航空基地整備に関する分担リストも発表した。それによれば、小スンダ列島では、スンバ(Sumba)島のワインガプ(Waingapu)に1ヵ所(海軍担当で概成)、さらにスンバ島に海軍担当で第1〜第4の計4ヵ所の新設。さらに陸軍担当でスンバ第5〜第6を新設。そしてスンバワ(Sumbawa)島では、ビ... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/09 18:22
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(70) Bandara Dai Nippon(70)フローレス島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}フローレス(Flores)島には現在計6ヵ所に飛行場がある。西からコモド・ラブハンバジョ(Komodo Labuhanbajo)空港。フローレス島の西隣に位置する、世界自然遺産のコモドドラゴンが生息するコモド(Komodo)島へ渡るために最も近い空港だ。滑走路の長さは1,650m、幅は30mで、ジェット機のF-28型機が離着陸可能。次いで、マンガライ(Manggarai)県の県都であるルーテン(Ruteng)にあるサタルタチック(Satarta... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/10 22:50
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(71) Bandara Dai Nippon(71)スンバ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}昭和17(1942)年10月時点で、スンバ(Sumba)島には海軍警備隊の兵が約300名駐屯していた。しかし大本営が同年10月15日、「大陸命第702号」を通じて、小スンダ列島全域とアラフラ海前線諸島(アルー=Aru、ケイ=Kei、タニンバル=Tanimbar諸島)を陸軍の警備地域と決めると、陸上の防衛は主として陸軍が、海域・航空防衛は主として海軍が担当することになった。さらに同年12月、大本営が、ティモール(Timor)島を含めスンダ海一帯を... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/11 20:06
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(72) Bandara Dai Nippon(72)スンバ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}スンバ(Sumba)島のワインガプ(Waingapu)を含め、同島の東部地域における飛行場の建設は海軍によって行われたが、西部地域ではその任を陸軍が背負った。インド洋とティモール海を挟んで、連合軍の反撃拠点となったオーストラリアと対峙する小スンダ列島でも、日本軍による飛行場の設定が急がれた。ティモール島と同様に、スンバ島、フローレス島、スンバワ島、バリ島などで幾つもの滑走路が新設された。 昭和18(1943)年9月、大本営陸軍部の命令で、内地... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/12 20:43
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(73) Bandara Dai Nippon(73)スンバワ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}バリ(Bali)島の東のロンボク(Lombok)島のさらに東。そこにスンバワ(Sumbawa)島がある。日本軍(海軍)はここに2個の飛行場を建設した。スンバワ島は、他の小スンダ列島(ティモール島を除く)同様に、当初は海軍の作戦・管轄エリアだった。昭和17(1942)年5月、海軍第16戦隊指揮下の部隊と共に、ジャワ島を占領していた第16軍(今村均中将)隷下の第48師団(海兵団・土橋勇逸中将)の第47連隊第3大隊(宮地育三小佐)が、10日、ロンボク... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/13 19:27
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(74) Bandara Dai Nippon(74)スンバワ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}小スンダ列島では、フローレス島の2個の新設飛行場(マウメレとバビ)を陸軍が担当。スンバ島では、海軍が東部のワインガプとメロロ付近に計3個、西部地区のワイコロには陸軍が1個(滑走路は計3本か?)新設飛行場を開いた。そしてスンバワ島では、海軍が2個(ビマとランバン=現スンバワ・ブサール)造成した。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/15 21:13
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(75) Bandara Dai Nippon(75)バリ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}年間およそ200万人の外国人観光客で賑わう“神々の島(Pulau Dewata)”バリ島。バリ州政府統計局の発表によれば、2008年同島を訪れた観光客は1,992,299人。そして見事(!?)第一位の誉に輝いたのは日本人。その数、359,827人。全体の18,06%を占める。この数値は、前年比で見ると、2.21%(7,789人)の増加だそうだ。ちなみに、第二位はオーストラリア人観光客で、その数313,313人(見事な並びの数値!)。これは、前年... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/17 18:25
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(76) Bandara Dai Nippon(76)ハルマヘラ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}現在は北マルク州(Propinsi Maluku Utara)に属するハルマヘラ島(Pulau Halmahera)で、日本軍は判明しているだけでも計11個の飛行場を造成・設定した。昭和18(1943)年9月末に合意された中・南太平洋方面作戦陸海軍中央協定によれば、当初ハルマヘラ島では、海軍がカウ(Kaoe/Kao)に2個、陸軍がガレラ(Galera)、ワシレ(Wasile)、ジャイロロ(Djailolo)、そしてラブハ(Labuha)に計4個... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/18 22:12
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(77) Bandara Dai Nippon(77)ミチ
{%空港(ユラユラ)hdeco%}昭和17(1942)年中旬には、白木久雄工兵中佐指揮下の南方軍派遣隊の手で、すでにハルマヘラ島で基地建設が始まっていた。ハルマヘラ、北セレベス(スラウェシ)、サンギヘ、タラウド方面の基地建設と防衛を担った陸軍の第1野戦根拠地隊司令官(武田壽少将)は、フィリピンのマニラで第2方面軍(阿南惟幾大将)の命令を受け、昭和18(1943)年11月、ハルマヘラ島北部のガレラ(Galera)経由で、ワシレ(Wasile)に到着、同司令部を開設した。揚陸施設、... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/19 22:52
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(78) Bandara Dai Nippon(78)ワシレ
{%空港(ユラユラ)hdeco%}ガレラ(Galera)飛行場の一つの滑走路(長さ1,500m、幅100m)は、武松派遣班の手で昭和18(1943)年9月概成され、富臨時第1設定隊(注:第25軍から派遣され、同年12月末、第120野戦飛行場設定隊となる)の工事継続によって完成した。この設定には、地元住民千数百名が動員された。第120設定隊は、続いてガレラ第2滑走路(長さ1,500m、幅100m)の造成に着手、さらに、武松派遣班が着工したミチ飛行場の設定も担当した。一方、カウ(K... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/20 18:25
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(79) Bandara Dai Nippon(79)ハルマヘラ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}昭和19(1944)年初頭、カウ(Kaoe/Kao)には、海軍の第26特別根拠地隊司令部が置かれ、前年(1943)10月10日編成の、第4南遣艦隊所属の海軍第224設営隊(大津敏春技術大尉)や第102海軍施設部などの手で飛行場1個が概成し、さらに第2滑走路の造成に着手していた。『海軍設営隊の太平洋戦争(佐用泰司著・光人社)』によれば、ハルマヘラ(Halmahera)島に派遣された海軍設営隊は以下の通り。昭和17(1942)年3月20日編成の、連合艦... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/21 19:53
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(80) Bandara Dai Nippon(80)ハルマヘラ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}ハルマヘラ島周辺部の防衛を目的に、昭和19(1944)年5月初旬上陸した第32師団(石井嘉穂中将)の地上部隊配備は、海軍第26特別根拠地隊司令部が置かれたカウ、そして第1野戦根拠地隊司令部が置かれたワシレの両湾周辺部に集中していて、モロタイ(Morotai)島には第2遊撃隊(川島威伸少佐・台湾の山地出身兵で編成・4個中隊約450名)のみが配備された。この背景には、昭和19(1944)年7月4日の第2方面軍(阿南惟幾大将)の戦略判断があった。同方... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/22 21:34
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(81) Bandara Dai Nippon(81)ハルマラ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}スラウェシ島のミニ版とも映る“K”字形のハルマヘラ島。島の至るところに日本軍が飛行場を造り、大本営が略して「春(ハル)」とも呼んだ地は、まさに島全体が“戦争博物館”。モロタイ島の南部には“星条旗”にも喩えられる形の、連合軍が建設した巨大飛行場跡も残っている。そこで、北マルク州(Propinsi Maluku Utara=Malut)の各県は、これら「兵どもが夢の跡」をマリンリゾートと並んで観光の目玉に掲げている。 これはハルマヘラ島に限ったことで... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/23 19:08
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(82) Bandara Dai Nippon(82)モロタイ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}連合軍は、昭和19(1944)年9月15日、モロタイ島最南端のギラ(Gila)岬付け根付近のピトゥ(Pitoe)に上陸、17日には島東南のサンゴウォ(Sangowo)、島中西部のワヤブラ(Wajabola)、ティライ(Tilai)に上陸した。19日には、島最北端のソピ(Sopi)岬、パダンギ(Padangi)付近へ上陸、さらに21日、モロタイ島西部に浮かぶラウ(Raoe)島へも上陸を果たした。ピトゥには後に、上空から見るとあたかも星条旗のような... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/24 18:20
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(83) Bandara Dai Nippon(83)モロタイ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}「珊瑚礁が突起して出来上がった南方の島々で、普通の土地のように土を掘って、艦砲射撃に対抗し得るような防禦陣地が出来ると思って居たのは、大変な不覚で、之は容易なわざでないということが、上陸早々気がついた。(中略)モロタイというハルマヘラ北方の湾内を扼して居る小さな島は、戦略的にはどうしても保有したいという部隊長としての希望と、右の事情は、私を大に煩悶せしめた。(中略)この時方面軍から、モロタイを捨てハルマヘラ本島保有に専念すべき旨の命令があったの... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/02/25 18:38
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(84) Bandara Dai Nippon(84)
{%空港(ユラユラ)hdeco%}東部インドネシアの島々に多くの飛行場を設定した日本軍は、連合軍の反撃を遅らせるために、オーストラリア北部を中心に建設された連合軍の飛行場に対する空爆を繰り返した。日本軍による初めての対豪爆撃は、艦載機約100機による昭和17(1942)年2月19日のダーウィン(Darwin)に対する攻撃だった。その翌日、日本軍は、蘭領ティモール島のクーパン(Kupang)、そしてポルトガル領のディリ(Dili)へ同日上陸を敢行した。記録によれば、大戦中、日本軍... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/01 19:46
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(85) Bandara Dai Nippon(85)豪州2
{%空港(ユラユラ)hdeco%}真珠湾奇襲攻撃に始まる「大東亜戦争」の快進撃。アメリカ軍をフィリピンから追いだし、英蘭の降伏によるマレー半島並びに蘭印(オランダ領インドネシア)の占拠。こうして、日本軍はフィリピン・オーストラリア間を遮断し、“念願”のスマトラ島の大石油生産地帯であるパレンバン(Palembang)も制圧し、順風満帆の大東亜共栄圏構想を推し進める最初の基盤を固めた。初期の快進撃に自信を深めた海軍は、オーストラリア進攻論を謳うようになる。やがて連合軍の抗日拠点とな... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/02 17:20
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(86) Bandara Dai Nippon(86) 豪州3
{%空港(ユラユラ)hdeco%}開戦から3ヵ月、昭和17(1942)年3月時点で、オーストラリア北西部に対する日本軍侵攻の可能性はあるかないか?この点に関して、米軍公刊戦史は、次のように述べている。「日本軍のトレス海峡方面一挙突進の算は少なく、まずニューギニア南岸のメラウケ付近を占領し、逐次、東進する確率が大きいとみなしていた。メラウケには、一月以来、歩兵一大隊だけであったが、四月〜五月に豪軍一コ旅団主力が増派された。豪州西部には、一機械化師団と三コ旅団が配備されていた。パー... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/03 17:38
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(87) Bandara Dai Nippon(87)豪州4
{%空港(ユラユラ)hdeco%}ティモール(Timor)島は、天然資源地帯であるインドネシア西部を確保し続けるために、日本軍にとって対連合軍守備の最前線だった。昭和17(1942)年3月、ジャワ島攻略作戦に参加後、西部ティモールの要衝クーパン(Kupang)に進出していた海軍第23航空戦隊(竹中龍造少将)は、同月16日から4月5日の間、ダーウィン(Darwin)を空爆し、22日にはダーウン南東約275km内陸部に位置するカセリン(Katherine)飛行場を、また3月20日に... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/04 16:28
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(88) Bandara Dai Nippon(88)豪州5
{%空港(ユラユラ)hdeco%}昭和18(1943)年5月、SWPA(南西太平洋方面連合軍)のダグラス・マッカーサー大将は、アラフラ海を越えて東部インドネシアに展開する日本軍部隊と対峙するよりも、その海軍力を活かして、ニューギニア北岸方面を攻略すべきとの判断に達した。この決断に基づいて、RAAF(豪空軍)は、ダーウィン方面から東部インドネシアの日本軍根拠地の空襲を強化し、日本軍の緊張と関心を豪州北部に引き寄せる心理作戦を演じた。また、偽情報を敢えて流すことによって、日本軍を牽... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/05 18:20
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(89) Bandara Dai Nippon(89)豪州6
{%空港(ユラユラ)hdeco%}終戦までおよそ1年半の昭和19(1944)年3月頃の、オーストラリア北西部における豪・連合軍航空部隊配置は、豪公刊戦史によれば、以下の通り。ダーウィン(Darwin)には豪第43飛行中隊(偵察・機雷の飛行艇カタリナ=Catalina)、そして英第54飛行中隊(戦闘機スピットファイアー・Spitfire)。ストラウス(Strauss)には豪第452中隊(スピットファイアー)。ヒューズ(Hughes・日本軍はフーヘスとも呼称)には豪第2中隊(偵察・... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/07 04:14
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(90) Bandara Dai Nippon(90)ケンダリ
{%空港(ユラユラ)hdeco%}昭和18(1943)年1月時点で、セレベス(Celebes・スラウェシ=Sulawesi)島には、3個の日本軍飛行場があった。北端のメナド(Manado・マナド)、そして南東部のケンダリ(Kendari)、そして南西のマカッサル(Makassar)。いずれも海軍が修復・設営したものだった。同年2月16日には、蘭印(オランダ領インドネシア・現在のインドネシア共和国)のほぼ全域を作戦地域とする陸軍第7飛行師団(須藤榮之助中将)が編成され、シンガポー... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/12 17:06
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(91) Bandara Dai Nippon(91)ケンダリ2
{%空港(ユラユラ)hdeco%}開戦から1年と4ヵ月。昭和18(1943)年4月上旬、大本営陸海軍部は、南太平洋方面に対する作戦の根拠地を、東部蘭印(東部インドネシア)域に求めることを計画した。つまり、フィリピン南部や、セレベス(Celebes・スラウェシ=Sulawesi)北部、そしてハルマヘラ(Halmahera)島を、補給並びに修理の役割を演じる飛行場群基地する発想であった。特に、東部インドネシア域を“民政(海軍の軍政)”地域とする海軍は、セレベス島のケンダリ(Kend... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/13 16:27
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(92) Bandara Dai Nippon(92)ケンダリ
{%空港(ユラユラ)hdeco%}ムナ(Muna)島の飛行場設定は、第1野戦飛行場設定司令部(松崎今朝松大佐)が昭和18(1943)年11月に着工し、すでにあった飛行場を補修した後、別の新設飛行場の工事に取り掛かった。しかし、松崎大佐は、12月10日、スンバ島へ移動した。これは、同年年11月末に、第2方面軍(阿南惟幾大将)が第19軍(北野憲造中将)に命じたもので、第110野戦飛行場設定隊(伊藤稔中佐)を指揮し、ワイコロ(Waikolo)で“スンバ島航空要塞”の建設任務に就いた。... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/14 14:30
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(93) Bandara Dai Nippon(93)マカッサル
{%空港(ユラユラ)hdeco%}戦中、マカッサル(Makassar)には南西方面海軍民政府が置かれ、セレベス(Celebes/スラウェシ=Sulawesi)、ボルネオ(Borneo/カリマンタン=Kalimantan)、セラム(Seram)の3地域の民政府を下部組織とした。セレベス民政府(マカッサル)は、直轄州とメナド(Manado)州知事庁に区分され、ボルネオ民政府(バンジェルマシン=Banjermasin)は、直轄州とポンティアナック(Pontianak)州知事庁、バリク... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/15 19:18
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(94) Bandara Dai Nippon(94)マカッサル2
{%空港(ユラユラ)hdeco%}西部ニューギニアのホランジア(Hollandia・現ジャヤプラ=Jayapura)、そしてワクデ(Wakde)島とサルミ(Sarmi)、さらにビアク(Biak)島、ヌンホル(Numfor)島、サンサポール(Sanapor)、モロタイ(Morotai)島と、猛スピードの飛び石作戦で西進・上陸を遂げてきた連合軍。 セレベス(スラウェシ)島南部は、ある意味で、日本軍の東部蘭印における“最後の砦”となった。昭和19(1944)年9月、セレベスにあった... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/16 18:20
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(95) Bandara Dai Nippon(95)マナド
{%空港(ユラユラ)hdeco%}北スラウェシ(セレベス)のメナド(マナド・Manado)は、大東亜戦争の蘭印(オランダ領インドネシア)、特に西部ニューギニア方面、ハルマヘラ島、モロタイ島での“玉砕戦”に近い激戦を控え、作戦命令の“発信地”、別の言い方をすれば、帝国陸軍の“頭脳”の地だった。ここには、中部ニューギニア北岸の要衝ホランジア(Hollandia・現ジャヤプラ=Jayapura)への連合軍上陸(1943.4.22)を受け、昭和19(1943)年4月26日、第2方面軍(... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/17 18:46
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(96) Bandara Dai Nippon(96)マナド2
{%空港(ユラユラ)hdeco%}昭和17(1942)年1月11日、日本時間午前9時52分。フィリピンのミンダナオ島ダバオを28機に分乗して南下した、海軍第11航空艦隊(塚原二四三中将)隷下の1001部隊(横須賀第1特別陸戦隊・横一特・堀内豊秋中佐)は、セレベス(Celebes・スラウェシ=Sulawesi)島北端の要衝、メナド(Manado・マナド)南方のランゴアン(Langoan/Langowan)にパラシュート降下。堀内中佐が高度およそ150mからまず降下、これに2コ中隊... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/18 18:06
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(97) Bandara Dai Nippon(97)スラウェシ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}昭和20(1945)年2月、終戦まであと半年。セレベス(スラウェシ)島の航空地区部隊は、漸次その収縮整理に動き始めた。北セレベスのマパンゲット(Mapenget)、ランゴアン(Langoan/Langowan)、アムラン(Amurang)などの飛行場は、それまで、陸軍第7飛行師団によるハルマヘラ島方面への出撃基地を担っていたが、1945年2月、第4野戦飛行場設定部(難波了三大佐)の約2,000名は、3月から南セレベスのマカッサルへと徐々に後退を... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/22 23:46
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(98) Bandara Dai Nippon(98)スラウェシ2
{%空港(ユラユラ)hdeco%}北セレベス(スラウェシ)の北端のマナド(Manado・メナド)とフィリピンのミンダナオ島との間に点在するサンギヘ(Sangihe)諸島やタラウド(Talaud)諸島は、開戦当初は、海軍陸戦隊によって占拠されたが、戦況の悪化に伴い、第2軍(豊嶋房太郎中将)隷下で、ハルマヘラ(Halmahera)島の守備にあたった第32師団(石井嘉穂中将)の一部部隊が、昭和19(1944)年5月、タラウド地区隊(地区隊長は師団衛生隊長の木場茂大佐)として送り込まれ... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/23 19:14
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(99) Bandara Dai Nippon(99)スラウェシ3
{%空港(ユラユラ)hdeco%}スラウェシ島の北半分に位置する北スラウェシ州、ゴロンタロ州、そして中スラウェシ州の3州で現在使用されている空港は、主なもので計8ヵ所。マナドのサムラトゥランギ(Samratulangi)飛行場は、滑走路の長さが2,650m、幅45m。B-737型機が就航。ボラアン・モンゴンドウ(Bolaang Mongondow)県にあるモパティ(Mopati)空港は、650m X 23mの滑走路規模で、C-212型機の離着陸が可能。ゴロンタロ(Goronta... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/24 16:49
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(100) Bandara DaiNippon(100)スラウェシ
{%空港(ユラユラ)hdeco%}南スラウェシ(Sulawesi Selatan)州そして南東スラウェシ(Sulawesi Tenggara)州、さらに西スラウェシ(Sulawesi Barat)州には、主用空港が計12ヵ所ある。西スラウェシ州のマムジュ(Mamuju)のタンパ・パダン(Tampa Padang)空港は、滑走路規模が長さ1,500m、幅30mでC-212型機が就航。南スラウェシ州には、北部の北ルウ県の県都マサンバ(Masamba)近辺に3ヵ所の空港がある。まず、... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/25 16:14
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(101) Bandara DaiNippon(101)タラカン島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}太平洋戦争(大東亜戦争)の開戦。蘭印(オランダ領インドネシア)の豊かな石油を始め、天然資源獲得を第一義に、ハワイ真珠湾奇襲攻撃の成功を受け、日本軍は南方攻略作戦に着手した。すでに占領したフィリピンのミンダナオ島を根拠地に、蘭印への第一歩は、セレベス(スラウェシ)島北端のマナド(Manado・メナド)、そしてボルネオ(カリマンタン)島東岸のタラカン(Tarakan)島並びにバリックパパン(Balikpapan)に対する上陸作戦だった。 昭和17... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/28 20:34
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(102) Bandara DaiNippon(102)ボルネオ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}タラカン島攻略作戦を終えた坂口支隊(混成第56歩兵団長坂口靜夫少将)は、昭和17(1942)年1月24日、日本時間午前零時四〇分、バリックパパン(Balikpapan)東方のマンガール(Manggar)飛行場付近の海岸に上陸。同日中に飛行場並びに橋梁の占拠を果たした。翌25日午前四時、戦闘を交えることなく日本軍はバリックパパン市街へ突入した。バリックパパン攻略作戦は、タラカン島同様に陸海軍協同作戦だった。バリックパパンは、近くのサマリンダ(Sa... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/29 19:36
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(103) Bandara DaiNippon(103)ボルネオ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}4州から構成されるカリマンタン(ボルネオ)島の中でも、東カリマンタン州(Propinsi Kalimantan Timur=Kaltim)は天然資源の観点から最も豊かな州だ。例えばボンタン(Bontang)ガス田は、その昔から日本の液化天然ガス需要に応えてきた。日本企業による原油開発も行われ、また石炭の輸出でも知られる。大東亜戦争で蘭印(オランダ領インドネシア)に侵攻した日本軍が、まず最初に同州東北部に位置する石油基地であるタラカン(Tarak... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/03/31 18:19
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(104) Bandara DaiNippon(104)ボルネオ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}南カリマンタン(Kalimantan Selatan=Kalsel)州には主なもので計5個の飛行場がある。州都のバンジャルマシン(Banjarmasin)のシャムスディン・ヌール(Syamuudin Noor)国際空港。北東部にタンジュン・ワルキン(Tanjung Warukin)空港(滑走路の規模は1,300 X 30m)。東部のラウト(Laut)島には二ヶ所。中心都市のコタバル(Kotabaru)近辺にスタゲン(Stagen)空港と、島中部... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/04/01 19:01
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(105) Bandara DaiNippon(105)ボルネオ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}13県と1都市から成る中カリマンタン州(Kalimantan Tengah=Kalteng)の主要空港は計9個。北側から、ムルン・ラヤ(Murung Raya)県の県都プルックチャフ(Purukcahu)付近にあるディルン(Dirun)空港。滑走路の規模は850 X 23mでC-212型機が県都から就航。北バリト(Barito Utara)県の県都ムアラテワ(Muaratewah)のブリンギン(Beringin)空港。900 X 23mの滑... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/04/02 16:43
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(106) Bandara DaiNippon(106)ボルネオ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}西カリマンタン(Kalimantan Barat=Kalbar)州にある主用空港は計8ヵ所。東部の、カプアス川源流部に近い最奥部のプツシバウ(Putussibau)には、パンスマ(Pangsuma)空港がある。滑走路の規模は1,400 X 23mでF-27型機やATR-42型機が就航。カプアス川中流域のシンタン(Sintang)には、1,300 X 30mの滑走路を持つスシロ(Susilo)空港があり、C-212型機の離着陸が可能。また、シンタ... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/04/03 16:11
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(107) Bandara DaiNippon(107)ボルネオ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}日本軍のボルネオ(Borneo)島(注:インドネシアはカリマンタン=Kalimantanと表記)占領は、今日のインドネシア領域に限らず、全島にわたった。今日のマレーシアのサラワク(Sarawak)そしてサバ(Sabah)、さらにブルネイ(Brunei)も瞬く間に占拠された。 ボルネオ島の北東端に位置するサンダカンは、戦前、英国領ボルネオの中心都市として栄えていた。同地を占拠した日本軍は、戦争捕虜となったイギリス兵と豪州兵を使役して、サンダカン... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/05/18 17:31
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(108) Bandara DaiNippon(108)ボルネオ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}英領ボルネオ時代にジェッセルトン(Jesselton)と呼ばれていた、今日のコタキナバル(Kota Kinabalu)。マレーシアのサバ(Sabah)州の州都所在地だ。戦前の北ボルネオの中心地はサンダカン(Sandakan)だったが、戦後の1947年、マラヤ連邦の結成に伴って、英領北ボルネオの首都はジェッセルトンへと移された。 英領ボルネオ域は,太平洋戦争開戦直後の昭和16年(1941)12月、歩兵第35旅団長川口清健少将指揮下の部隊によって... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/05/19 12:40

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(57) Bandara Dai Nippon(57)アンボン インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる