東部インドネシアの旧日本軍航空基地(32) Bandara Dai Nippon(32)ワクデ島

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豊嶋房太郎元第二軍司令官が『濠北を征く』の「第二軍の作戦一般」で述懐しているように、西部ニューギニアに進駐した第二軍は、遥か中国大陸から赤道直下の戦場(予定地)へ到着するやいなや、飛行場の建設に全精力を傾けた。まさに飛行場は「軍の任務達成の為の生命と心得ていた」。第二軍は、決戦時期が到来したのならば、大本営が約2飛行師団を送り込んでくるものと信じていた。「斯て半歳に至つて心血を注いで造成した飛行場も、大部分のものは我軍の利用する処とならず、敵をして補修利用するに便益を与えるに止つたことは、将兵一同の斉しく無念を感じた処であつた」
ホランジア(現ジャヤプラ)、そしてワクデ島、ビアク島、ヌンホル島。これら西部ニューギニアの北岸に日本軍が完成・概成させた、10を数える飛行場の多くが、出来上がるやいなや、連合軍のための航空基地と化けた。西部ニューギニア戦は、結果的に、ある意味で、“絶対国防圏”の死守ではなく、大本営が線を引いたその絶対国防圏そのものを後退させるための、敵軍へのサービス戦でもあった。野戦飛行場設定隊員、台湾人で構成された特設勤労団、そして現地で徴用したパプア人、さらに一般のインドネシア人や兵補など、多くの人命を投じて造成・設定したこれらの飛行場が、瞬く間に連合軍の掌中に落ちていった。
「斯くの如き結果となつたことは、結局飛行機の整備が所期の如く行かなかつたこともさることながら、中部太平洋方面の戦況が急であつて、場当り的に飛行隊も大部が其の方面に吸収せられて、軍正面が甚だ手薄になる結果を招来したものと思考せられる」---『濠北を征く』で豊嶋第ニ軍司令官が分析している。



鷹が翼を広げたような形の“玉砕”の島ワクデ(Wakde)島(衛星画像)。滑走路の跡が今でも残っている。

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2009年7月空撮のワクデ島(相模原市の座間淳子さん撮影)


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2009年7月空撮のワクデ島(春日部市の木村宏氏撮影)


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海軍の第103設営隊による重機も使ったワクデ(Wakde)飛行場の建設作業(『濠北を征く』)


当時の飛行機生産状況を眺めてみよう。第ニ軍がマノクワリで統帥を発動した昭和18(1943)年末頃、陸軍と海軍との間では、航空機用のアルミ素材の獲得合戦が繰り広げられていた。陸軍側は、約28,000機分、海軍24,500機分の計52,500機を主張。一方、海軍側は陸軍24,000機分、海軍26,000機の計50,000機を主張。翌年2月10日、陸海軍大臣及び両統帥部の総長の四巨頭会議が開かれ、陸軍がアルミ3,500トン(500~600機分)を海軍に譲渡することで妥協が成立した(『戦史業書 西部ニューギニア方面陸軍航空作戦』)。同書によれば、昭和18年9~12月、そして昭和19年1~3月期、4~7月期の陸軍航空機生産実績は以下のようだった。すなわち、戦闘機が1,412機、1,839機、2,502機。爆撃機、偵察機、輸送機、練習機などが、それぞれ2,608機、3,111機、4,874機だった。また、2万名のパイロット緊急養成計画も推進されたが、その実態は超非常教育であり、未熟な操縦者も少なくなかった。
ちなみに、昭和19(1944)年7月20日時点における豪北方面の航空戦力は、定数520機に対して保管機数は172機、そしてその内出動可能な実戦力はわずか62機だった(第6飛行師団17機、第7飛行師団39機、第4航空軍直轄6機)。つまり、保管機数は定数の約33%、しかも出動可能な機数は定数のわずか12%弱、あるいは保管機数の約36%という驚異的な弱体ぶりであった。第6飛行師団の第63戦隊や第248戦隊、そして第4航空軍の第78戦隊などの場合、保有する機がゼロといった状況だった。



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ホランジア(現ジャヤプラ)の西約40kmのセンタニ湖畔にあった日本軍の飛行場を1944年4月26日に占拠した連合軍は、飛び石作戦の次の上陸地を、ワクデ付近と決めた。そして5月17日~18日、およそ7,000名の米第41師団第163連隊基幹の戦闘チーム(RCT)は、アラレ(Arara)に上陸、さらにワクデ島への上陸にも成功した。


同年7月中旬に、第二方面軍特種情報部(靑山和市中佐)がまとめた連合軍の航空戦力状況に関する報告書によれば、ニューギニア北岸に399機、オーストラリア北部(北濠)に253機の計652機と推定した。
米軍公刊戦史は、ワクデ島上陸作戦(1944.5.17)そしてビアク島上陸作戦(1944.5.27)を決定した5月9日頃、上陸予定日の日本陸海軍機の数を、戦闘機282機、爆撃機346機の計528機になるものと推定していた。しかし、この中には、フィリピンやパラオにあった348機を含めていた。そして、事前攻撃により、上陸海岸付近から100海里以内の日本軍機を、戦闘機36機、爆撃機24機に低下させることができるものと判断していた。
「空襲がはじまると、友軍の飛行機は全く姿を見せなくなった。はじめのうちは、これをいぶかる声も聞かれたが、そのうち、誰も何も言わなくなった」。「ちょうど、そのころ、友軍機が数機トム地区に来攻し、瞬間的に爆弾を投じて去った。これは、松山連隊にとってマッフィン出発以来はじめて見る友軍機であり、またその後、終戦までついに見ることのできない友軍機となった(注:1944年5月27日頃のことか)」(『西部ニューギニア戦 雪部隊 苦闘の軌跡』大國五郎著・角川書店)---サルミ方面では昭和19(1944)年4月21日以降、連合軍の空爆が繰り返された。しかし、日本軍機の反撃はほぼ皆無に近い状況だった。



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西部ニューギニア北岸一帯の日本軍に対して、連合軍が飛び石作戦で次々と上陸作戦を仕掛け、その地にあった“血と汗の結晶”の飛行場をことごとく日本軍から奪取しつつあった昭和19(1944)年の半ば。実は、ホランジア(現ジャヤプラ)から、5,000名(内約400名が操縦士などの空中勤務者)もの陸軍第6飛行師団(稲田正純少将)の将兵が、東部ニューギニアの第18軍後方部隊や海軍兵員など2,300名と共に、総勢約7,300名で、直線距離でおよそ230km西方に位置するサルミ(Sarmi)に向けて“死の転進(敗走)”を続けていた。トラの子の飛行場を敵軍に占拠され、自軍の航空機も一機残らず空襲で失った第6飛行師団は、まさに陸に上がった魚の如く、およそ一ヶ月の間、道なき深いジャングルを徒歩で、まさに敵軍と戦闘中の第36師団の本拠地であるサルミに向けて行軍した。


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アラレ&ワクデ連合軍上陸作戦経過要図(University of Texas Libraries)


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“地獄の”トル川。東のホランジアからサルミに向けて転進してきた数千の日本軍将兵が、このトル川で、軍命により左岸への渡河を許されずに、次から次へと餓死、病死していった。第36師団は、その時まさに連合軍との間で激戦を展開中で、戦場への“敗残兵”の侵入を認めなかった。


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トル(Tor)川の河口(上)と多くの将兵が屍と化したトル川中流部(下)。


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2007年2月、サルミ近辺を調査のために訪れた早稲田大学探検部の鈴木邦和氏提供のトル川中流部の画像。
早稲田大学探検部が新種生物との遭遇のためパプア州へ出発
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200702/article_4.html



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アラレに上陸した連合軍(US Army 17 May 1944)


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ワクデ(Wakde)島では、歩兵第224連隊(松山宗右衛門大佐)第9中隊(石塚修二中尉)を基幹とする約600名の守備隊が、わずか二日間の戦闘で玉砕に追い込まれた。


【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(31) Bandara Dai Nippon(31) サルミ(Sarmi)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_2.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(30) Bandara Dai Nippon(30) サルミ(Sarmi)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_34.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(29) Bandara Dai Nippon(29) サルミ(Sarmi)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_33.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(28) Bandara Dai Nippon(28) ナビレ(Nabire)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_32.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(27) Bandara Dai Nippon(27) ヌンホル島(Pulau Numfor)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(26) Bandara Dai Nippon(26) ヌンホル島(Pulau Numfor)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_30.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(25) Bandara Dai Nippon(25) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_29.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(24) Bandara Dai Nippon(24) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_28.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(23) Bandara Dai Nippon(23) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_26.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(22) Bandara Dai Nippon(22) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_25.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(21) Bandara Dai Nippon(21) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_24.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島(Pulau Mapia)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(19) Bandara Dai Nippon(19) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(18) Bandara Dai Nippon(18) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(17) Bandara Dai Nippon(17) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_19.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(16) Bandara Dai Nippon(16) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_18.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_17.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_2.html

マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_10.html

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_9.html

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_8.html

マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_7.html

マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_6.html

マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_5.html

マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_4.html

マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_4.html

戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_3.html

西パプア州政府(Provinsi Papua Barat)
http://www.papuabaratprov.go.id/

パプア州政府(Provinsi Papua)
http://web.papua.go.id/

マノクワリ県(Kabupaten Manokwari)
http://www.manokwarikab.go.id/

ヤーペン島嶼県(Kabupaten Kepulauan Yapen)
http://www.yapenwaropen.go.id

ビアク・ヌンホル県(Kabupaten Biak Numfor)
http://www.biak.go.id/

ソロン県(Kabupaten Sorong)
http://www.sorongkab.go.id/

南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan)
http://sorongselatankab.go.id/

サルミ県(Kabupaten Sarmi)
http://www.sarmikab.go.id/

ワローペン県(Kabupaten Waropen)
http://www.waropenkab.go.id/

ファクファク県(Kabupaten Fakfak)
http://www.fakfakkab.go.id/

ビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)
http://www.bintunikab.go.id/

ウォンダマ県(Kabupaten Teluk Wondama)
http://www.telukwondama.go.id/

カイマナ県(Kabupaten Kaimana)
http://www.kaimanakab.go.id/

ジャヤプラ市(Kota Jayapura)
http://www.jayapurakota.go.id/

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