東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14)イドレ

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マノクワリからベラウ地峡のイドレに向けた、約12,000名の第二軍将兵による“緑の地獄”転進作戦が行われた昭和19年7月~11月の一年以上前、ベラウ地峡では、同地に横断道路を建設しようとする日本海軍の調査が行われた。第二軍がマノクワリにやってくる10ヵ月前のことだった。昭和18年2月23日~4月27日、海軍ニューギニア調査隊測量班(調査員:海軍軍属 駒澤幸男以下22名。警護兵6名、パラオ島民12名、パプア人苦力110名の計150名から構成)は、第一次調査として、マノクワリ→ワーレン→ヤマカン→カプルス→鏡ヶ池→914米、660米山間の低地→ヤカチ川→カプルス→マノクワリのコースで調査。次いで第二次調査として、5月14日出発6月19日帰還の日程で、調査員11名、パラオ島民4名、パプア人苦力70名の人員で、マノクワリ→フォーゲルコップ半島迂回→ヤカチ村→シンヨリ村→ラサウィ村→ヤカチ→イドレ→ウィンデシ→マノクワリのコースで調査。さらに、7月9日~8月1日には、第三次調査として、調査員4名、苦力36名の計40名で、マノクワリ→ミエ→エンデ→アンブアール→ラサウイ→ヤカチ川→アンブアール→ワイムツリー→カプルス→マノクワリのルートを踏査した。

昭和18年11月付の海軍ニューギニア調査隊報告書『西部ニューギニア ベラウ地峡横断道路調査図 全十一葉』


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報告書が昭和18年11月に出来ているということは、翌年の7月に始まったマノクワリからイドレ村への約12,000名の“転進”という名の退却に際し、その内容が活かされているはずだと考えたいが、実際には、この海軍調査隊が作成した地図情報は使われなかった公算が強い。同転進に参加した体験を持つ『地の果てに死す』の著者植松仁作氏は、同書の中で、使用した地図は百万分の一の航空地図と、二十五万分の一の航空写真地図だったとしている。植松さんが所属した電信第24連隊は、通過地点であるムミ地区の守備隊からざら紙にガリ版印刷した偵察地図をもらったが、その地図ではムミ→イドレを10日間と書いてあった。杜撰な内容の偵察地図。植松さんたちは、怒りでその偵察地図を破り捨てたという。実際には、3ヵ月以上も費やしてようやくイドレに到着することができたのである。糧食、医薬品などほぼ皆無の状態での行軍で、戦友は次から次へとマラリア、アメーバ赤痢などに罹り、さらに想像を絶する飢えに苦しめられ、まさに餓鬼と化していった。マノクワリを148名で出発した植松氏の電信部隊は、イドレに到着した時には38名しか残っていなかった。イドレに着いても、栄養失調並びに病から回復することなく死亡する兵も後を絶たず、結局、内地生還者数はわずか17名だったという。「南の果てニューギニア、その魔のジャングルの中に、イドレ転進の跡が残っている。そこには万余の戦友が、我々の足跡を守って、静かに永遠の眠りをつづけている。恐らく彼等は、永久に同胞の訪れをみないだろう。昭和二十一年一月九日、静かな祈りと共にニューギニアを後にする我々の中に、陸行生存者は悲しくも八百を数える事が出来なかった」----植松元大尉は、そう記している。


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イドレ(Idore)を目前に、シンヨリ(Sinyori:調査隊の地図上ではシンジョリと表記)~ヤカチ(Yakati)~イドレ間で、多くの将兵が倒れ、“地獄ヤカチ”あるいは“野たれヤカチ”と呼ばれる凄惨極まる地獄図絵を生んだ。
一方、第二軍戦闘司令所部員らは、マノクワリ→ムミ(空路)→ウィンデシ(海路)→イドレ(陸路行軍)と転進。海路部隊の多くは無事イドレに到達することができた。



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海軍ニューギニア調査隊がイドレ地峡横断道路として推奨したルートは、カプルス→ヤカチ、そしてウィンデシ→イドレの2ルートだった。


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(注1)モノクロ地図は『西部ニューギニア ベラウ地峡横断道路調査団 全十一葉 海軍ニューギニア調査隊』から引用
(注2)緑の地図はパプア州政府公共事業局作成


【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_2.html

マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_10.html

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_9.html

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_8.html

マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_7.html

マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_6.html

マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_5.html

マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_4.html

マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_4.html

戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
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