スハルト政権の崩壊に始まったインドネシアの民主化と地方自治の向上。次から次へと新たな州が誕生。いわんや県となるとまさに雨後の筍の勢いで増え続けている。“多様性の統一”といえばインドネシアが独立以来掲げてきた国家スローガンだが、今や“多様性の共存”の時代を迎えている。SARA(Suku=民族、Agama=宗教、Ras=種族、Antargolongan=階層・グループ)を異とする人々が、言語、慣習、文化を同じくする民族集団(Suku Bangsa)の単位で、カブパテン(Kabupaten=県)の樹立にまっしぐらだ。パプア(旧イリアンジャヤ)は3つの州に分裂。その中のパプア州メラウケ県は数年前に、4県に分割された。そして今、その旧メラウケ県(現在は4県)は南パプア州としての“独立”を願望している。同様に、NAD(アチェ州)でも州を南北に二分割する動きがある。全国的に見れば、これからも次々と新たな県、そして州が増加する傾向にある。このことはマルク州にも当てはまる。その昔のマルク州は今、マルク州と北マルク州に分割(1999年10月12日) 。マルク州の中では、南東マルク(Maluk Tenggara)県から2002年8月、MTB(西南東マルク)県が分離・誕生した。そして来月2008年7月19日には、ウエタル島〜ババル島の群島がMTB県から分離し、MBD(Maluk Barat Daya:南西マルク県)を誕生させる。地元に密着したより良い行政サービスと地域振興のためには、行政域の分割は避けられない。一方で、新たな州や県の誕生に伴って、多額の予算が新たな州庁舎や県庁並びにその関連機関の施設建設に注ぎ込まれているのも事実だ。公務員の増大、そして行政庁舎の建設による公共事業の“基幹産業化”。難しい問題をはらみながらも、輝ける未来像を描きながら、「ここは自分たちの県だ」の地方開発優先を掲げる知事らの鼻息は荒い。 上の画像は、2002年8月に誕生したマルク州MTB(西南東マルク・Maluk Tenggara Barat)県の二人目の県知事ビット・テマール(Bitto S Temmar)さん。セラル島出身。 MTB県副知事のバルナバス・オルノ(Drs. Barnabas Orno)さん。1943年生まれ。ババル島出身。ババル島で郡長を経験。妻は、戦時中、日本軍による住民虐殺事件が起きたババル島南部のエンプラワス村出身。1991年から、同虐殺事件に関して住民インタビューを開始、同時に資料収集を進め、1996年に『1944年ババル諸島の人権侵害に対する日本軍の残忍性を調査:ティウィ川は1944年10月5日の流血の悲劇の黙した証言者(Menelusuri Kekejaman Tentara Jepang Terhadap PELANGGARAN Hak Asasi Manusia Di Kepulauan Babar・Tahun 1944:Kali Tiwi Saksi Bisu TRAGEDI BERDARAH 5 Oktober 1944)』を書き上げた。出版予定はまだたっていない。 同氏とのインタビュー内容は以下のブログ参照マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html MTB県でも県庁舎を始め、すべての部局の新しいオフィスの建設が急ピッチで進んでいる。道路が広がり、港湾設備が近代化し、新たな空港建設、そして近代的な通信網と。しかし、農村や漁村に大きな変化が見られないのも事実だ。インフラは県都に集中し、それに伴い、農漁村から若者たちが県都に流れ込む。MTB県も、マルク州のその他の県同様に、観光産業にかける熱意が強い。そしてその場合、多くが外国人観光客の到来を期待している。国内旅行をするよりも海外志向の強いインドネシアの富裕層が、帰省などのケースを除き、MTB始めジャワ島やバリ島以外の観光地を大挙して旅行する時代が近く来るようには到底思えない。かといって、たとえ航空網が徐々に整備されてきているとは言え、天候によって左右されがちなフライト状況では、海外からの旅行客も躊躇する。手つかずの豊かな自然は、地元にとっては「ここが一番美しい」となるが、そのような大自然は、近隣の各県にも存在する。とすると、仮にハードが整っても、ソフト部分での改善がない限り、やはりバラ色の観光産業は期待できそうにない。「2010年になれば状況は大分好転していると思う。その時が来たら、是非とも日本からもたくさんの観光客を迎えたい」とヘリーMTB県観光局長は力説するのだが。。。 県政府は、隣国の東ティモール、そしてオーストラリアとを結ぶエリアを“ゴールデン・トライアングル”と呼び、発展の鍵と夢見ている。 ウエタル(Wetar)島と東ティモールは一衣帯水。しかし、2008年7月にもウエタルを含む、MTBの西部地域(ババル島からウエタル島までの群島)は、2008年7月19日にも同県から分離し、MBD(マルク南西・Maluk Barat Daya)県として発足予定。 県都サムラキ市の衛星画像。滑走路、港湾施設などが見える。空港近くの高台に新たな官庁街が建設中。![]() 上空から見たサムラキ市(撮影:MTB県政府)。 建設中のMTB県庁ビル。![]() 建設中の県政府関連オフィス。 ホテル・ギャラクシー。三階建てで、三つ星ホテル。 下の3枚の画像は、ババル島虐殺事件の全容をまとめた原稿のカバーを手にするオルノ副知事。剣は、旧日本軍が残したものとのこと。 MTB県通信網整備計画。全県を4ブロックに分け、電話そしてインターネット網並びにテレビ&ラジオ受信アンテナ建設の青写真。 タニンバル諸島の観光開発計画。真珠貝養殖リゾート、狩猟リゾート、マリン・リゾートなどが。 ババル諸島<ババル島を中心に周辺には西にウェタン(Wetan)島、北にダイ(Dai)島、北東にダウェラ(Dawera)島、ダウェロール(Daweloor)島、そして南東にマセラ(Masela)島などがある>の観光開発計画。マリン・リゾート、農園ツーリズム、ユーカリ・リゾートと並んで、日本軍による虐殺事件が起きたエンプラワス村は“歴史リゾート”を目指している。また、マセラ島周辺海域は原油とガスを埋蔵しているとされる。 ウエタル島の産業観光開発計画。同島では現在金の採掘が行われているが、鉱業リゾート、マリン・リゾート、そして湖と山のリゾートなどが。またキサール(Kisar)島は、歴史・文化リゾートを目指している。 レモラ諸島(Lemola: Leti島、Moa島、Lakor島3島の略称)の観光開発計画。マリン・リゾート、狩猟リゾート、モア島水牛、家内工業など。【参考ブログ】 マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_5.html マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_4.html マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html タニンバル島謎の石階段(Tangga Batu, Tanimbar, MTB, Maluk) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200805/article_5.html タニンバル島謎の石船No.2(Kapal Batu, Tanimbar MTB) No.2 http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200805/article_4.html タニンバル島謎の石船(Kapal Batu, Tanimbar MTB) No.1 http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200805/article_3.html 戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか? http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html 西南東マルク県政府公式Website http://www.mtbkab.go.id/ インドネシア文化宮(GBI)活動記録 http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_2.html インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_4.html |
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マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}「セラル(Selaru)島は日本軍の最前線だった。リンガット(Lingat)村にたくさんの日本兵がいた。もちろんタニンバル諸島の各地にも駐屯していたがね。終戦後、日本軍の弾薬や機材は全て海に捨てられた。まだ、それらは海の中に残っている。一方で、当時最新のトラックなどは陸上に残していった。日本軍兵士による虐待は、それは酷いものだった。多くの女性が慰安婦にさせられた」---マルク州MTB(西南東マルク・Maluk Tenggara Barat)県の... ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/06/12 15:05 |
マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}セラル(Selaru)島のリンガット(Lingat)村。かつて日本軍の最前線部隊が駐留していた村だ。2007年8月時点での人口は453世帯で2,003名(女性1,017名&男性986名)。ユスフ・サンボヌ(Yusuf Sambonu)村長(36歳)が語る。 「日本軍の進駐で、この村は戦争の犠牲となった。遠い北からやってきた日本兵が、南のオーストラリアと対峙するために、ここを戦場に変えてしまった。島にはまったく関係のないよその国の問題なのに、村... ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/06/13 13:18 |
マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}マルク州MTB(西南東マルク)県のセラル(Selaru)島。日本軍の最前線基地があったリンガット(Lingat)村の西方、最西端のイリアサ(Iljasa)村へ至る途中に、広大な平らな台地がある。通称ケブン・トゥアウ(Kebun Tuau)と言われている地域だ。ここには大戦中、日本軍が建設しようとした(完成していたのかどうかは不明)滑走路跡がある。とにかく、だだっ広い。ユスフ村長によれば、その長さは3kmにも達するそうだ。対オーストラリア攻撃のた... ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/06/14 12:13 |
マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
{%爆弾webry%}日本軍が進駐した時8〜16歳だった今日のリンガット村の長老たちは、いまだ鮮明に当時のことを記憶している。以下は、彼らの証言。(注:但し、記憶内容は人によって異なり、必ずしも正確とは言えない部分もある。文中に引用した年月日や数値は、大多数が同意した発言内容と理解いただきたい)。 ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/06/15 22:22 |
マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
{%火webry%}太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)11月に、ババル(Babar)島のエンプラワス(Emplawas)村で、日本軍による住民400名以上にものぼる虐殺事件が起きていたことは、それから42年も経った1986年11月23日付の『朝日新聞』報道で初めて知られることになった。同紙には以下のような見出しが並んだ。“旧日本軍、住民400人を虐殺 インドネシアのババル島”、“極秘報告書が明るみに”、“戦史研究家が入手 憲兵殺され「討伐」”、“銃撃三時間 村一つ消す”、... ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/07/03 14:17 |
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