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インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)

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インドネシア文化宮(GBI=Graha Budaya Indonesia、ICP=Indonesian Culture Plaza)は、インドネシアの最有力ニュース誌『TEMPO』やニュース局『METRO TV』の元東京支局がプロデュースするインドネシア情報発信基地です。多様性の国・インドネシアの素顔と生ニュースを紹介します。




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太平洋戦争開戦から75周年。真珠湾を訪問する首相。“戦後”は終わるのか。
太平洋戦争開戦から75周年。真珠湾を訪問する首相。“戦後”は終わるのか。 今日12月8日は、太平洋戦争勃発から75周年。そして、今から68年前、つまり太平洋戦争開戦7周年目の昭和23(1948)年の12月8日、一人の旧日本帝国陸軍少佐が、戦犯としてオランダ軍によって銃殺刑に処せられた。場所は、現在のインドネシア共和国最東端のパプア州(旧蘭領ニューギニア)の州都ジャヤプラ(当時のホランジア)。 ...続きを見る

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2016/12/08 00:00
海軍第202設営隊手記集(29) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(29) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/12/07 00:00
海軍第202設営隊手記集(28) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(28) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/12/06 00:00
海軍第202設営隊手記集(27) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(27) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/12/05 00:00
海軍第202設営隊手記集(26) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(26) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/12/04 00:00
海軍第202設営隊手記集(25) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(25) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/12/03 00:00
海軍第202設営隊手記集(24) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(24) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/12/02 00:00
海軍第202設営隊手記集(23) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(23) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/12/01 00:00
海軍第202設営隊手記集(22) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(22) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/30 00:00
海軍第202設営隊手記集(21) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(21) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/29 00:00
海軍第202設営隊手記集(20) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(20) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/28 00:00
海軍第202設営隊手記集(19) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(19) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/27 00:00
海軍第202設営隊手記集(18) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(18) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/26 00:00
海軍第202設営隊手記集(17) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(17) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/25 00:00
海軍第202設営隊手記集(16) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(16) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/24 00:00
海軍第202設営隊手記集(15) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(15) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/23 00:00
海軍第202設営隊手記集(14) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(14) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/22 00:00
海軍第202設営隊手記集(13) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(13) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/21 00:00
海軍第202設営隊手記集(12) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(12) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/20 00:00
海軍第202設営隊手記集(11) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(11) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/19 00:00
海軍第202設営隊手記集(10) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(10) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/18 00:00
海軍第202設営隊手記集(9) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(9) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/17 00:00
海軍第202設営隊手記集(8) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(8) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/16 00:00
海軍第202設営隊手記集(7) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(7) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/15 00:00
海軍第202設営隊手記集(6) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(6) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/14 00:00
海軍第202設営隊手記集(5) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(5) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/13 00:00
海軍第202設営隊手記集(4) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(4) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/12 00:00
海軍第202設営隊手記集(3) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(3) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/11 00:00
海軍第202設営隊手記集(2) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(2) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/10 00:00
海軍第202設営隊手記集(1) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(1) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

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2016/11/09 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(17)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(17)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/11/08 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(16)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(16)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/11/07 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(15)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(15)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/11/06 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(14)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(14)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/11/05 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(13)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(13)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/11/04 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(12)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(12)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/11/03 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(11)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(11)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/11/02 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(10)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(10)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/11/01 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(9)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(9)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/10/31 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(8)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(8)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/10/30 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(7)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(7)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/10/29 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(6)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(6)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/10/28 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(5)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(5)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/10/27 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(4)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(4)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/10/26 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(3)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(3)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/10/25 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(2)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(2)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/10/24 00:00
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(1)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦
海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(1)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦 歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで表現した、絶対国防圏外郭の、航空大決戦を前提とした戦略上の最重要拠点だった。 ...続きを見る

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2016/10/23 00:00
西部ニューギニア第35師団・東2929部隊(歩兵第219連隊)玉砕記(8)
西部ニューギニア第35師団・東2929部隊(歩兵第219連隊)玉砕記(8) 通称号が「東(ひがし)」の旧陸軍第35師団(東2935部隊)。兵員の多くは、東京、神奈川、千葉、埼玉など関東方面出身者。中国戦線(北支)から西部ニューギニアへ転用され、当初西部ニューギニアのマノクワリに司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)隷下、ソロンやマノクワリを拠点に、ビアク島、ヌンホル島などの玉砕戦に参加。 ...続きを見る

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2016/10/22 00:00
西部ニューギニア第35師団・東2929部隊(歩兵第219連隊)玉砕記(7)
西部ニューギニア第35師団・東2929部隊(歩兵第219連隊)玉砕記(7) 通称号が「東(ひがし)」の旧陸軍第35師団(東2935部隊)。兵員の多くは、東京、神奈川、千葉、埼玉など関東方面出身者。中国戦線(北支)から西部ニューギニアへ転用され、当初西部ニューギニアのマノクワリに司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)隷下、ソロンやマノクワリを拠点に、ビアク島、ヌンホル島などの玉砕戦に参加。 ...続きを見る

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2016/10/21 00:00
西部ニューギニア第35師団・東2929部隊(歩兵第219連隊)玉砕記(6)
西部ニューギニア第35師団・東2929部隊(歩兵第219連隊)玉砕記(6) 通称号が「東(ひがし)」の旧陸軍第35師団(東2935部隊)。兵員の多くは、東京、神奈川、千葉、埼玉など関東方面出身者。中国戦線(北支)から西部ニューギニアへ転用され、当初西部ニューギニアのマノクワリに司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)隷下、ソロンやマノクワリを拠点に、ビアク島、ヌンホル島などの玉砕戦に参加。 ...続きを見る

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2016/10/20 00:00

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