アクセスカウンタ

インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)

プロフィール

ブログ名
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
ブログ紹介
インドネシア文化宮(GBI=Graha Budaya Indonesia、ICP=Indonesian Culture Plaza)は、インドネシアの最有力ニュース誌『TEMPO』やニュース局『METRO TV』の元東京支局がプロデュースするインドネシア情報発信基地です。多様性の国・インドネシアの素顔と生ニュースを紹介します。




zoom RSS ブログ 新着記事

タイトル 日 時
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(3)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(3) 昭和12(1937)年12月31日、満州(現在の中国東北部)の佳木斯(ジャムス)で歩兵第37連隊に編入した日高岩男歩兵曹長・見習士官(当時)は、翌昭和13(1938)年3月1日、少尉に任官し、将校の道を歩み始めた。この頃の出来事といえば、昭和11(1936)年には「二・二六事件」が起き、昭和12年7月に日華事変事件(蘆溝橋事件)、翌昭和13年には国家総動員法が成立している。日中戦争が拡大し、また太平洋戦争に突き進む、いわゆる軍部勢力が増大していった時期と重なる。 昭和16年3月12日に... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/22 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(2)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(2) JR九州の日南線飫肥駅から酒谷川を越えて北西に直線距離でおよそ500m、飫肥城址からは東側に約600m。長久寺の裏手に大きな墓地がある。ここに、日高家先祖代々のお墓がある。日高家の家紋は「丸に違い矢」。弓矢は武具。ご先祖は武士だったのだろうか。霊票には、日高岩男少佐の祖父にあたる兵次郎(大正14年11月、77歳で没)と祖母のシカ(昭和26年8月、85歳で没)に始まり、父の平八(昭和17年6月、51歳で没)と母のトナ(昭和51年8月、78歳で没)が並ぶ。 日高岩男は陸軍士官学校第50期卒... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2017/01/21 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1) 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1) https://youtu.be/qzaMsL7TRpg ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 2 / コメント 0

2017/01/20 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(40)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(40) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/19 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(39)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(39) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/18 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(38)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(38) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/17 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(37)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(37) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/16 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(36)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(36) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/15 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(35)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(35) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/14 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(34)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(34) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/13 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(33)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(33) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/12 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(32)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(32) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/11 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(31)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(31) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/10 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(30)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(30) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/09 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(29)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(29) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/08 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(28)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(28) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/07 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(27)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(27) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/06 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(26)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(26) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/05 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(25)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(25) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/04 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(24)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(24) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/03 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(23)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(23) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/02 00:00
Selamat Tahun Baru2017数値で見るインドネシア文化宮活動 Angka2 GBI
Selamat Tahun Baru2017数値で見るインドネシア文化宮活動 Angka2 GBI あけましておめでとうございます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/01 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(22)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(22) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/31 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(21)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(21) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/30 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(20)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(20) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/29 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(19)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(19) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/28 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(18)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(18) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/27 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(17)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(17) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/26 00:00
ササンドゥ音楽でクリスマスを想う Musik Sasandu & Hari Natal 2016
ササンドゥ音楽でクリスマスを想う Musik Sasandu & Hari Natal 2016 明年2月のジャカルタ特別州知事選を控え、インドネシアになにやら不穏な空気が漂っている。相次ぐ、テロを計画していたとされるグループの摘発。さらに今月初旬には“クーデター未遂”とも一部報道が伝えた反政府勢力による「反逆罪」が適用された国家転覆計画も明らかになった。年末年始のインドネシア情勢が気にかかる。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/25 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(16)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(16) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/24 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(15)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(15) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/23 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(14)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(14) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/22 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(13)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(13) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/21 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(12)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(12) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/20 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(11)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(11) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/19 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(10)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(10) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/18 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(9)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(9) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/17 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(8)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(8) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/16 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(7)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(7) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/15 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(6)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(6) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/14 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(5)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(5) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/13 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(4)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(4) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/12 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(3)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(3) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/11 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(2)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(2) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/10 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(1)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(1) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/09 00:00
太平洋戦争開戦から75周年。真珠湾を訪問する首相。“戦後”は終わるのか。
太平洋戦争開戦から75周年。真珠湾を訪問する首相。“戦後”は終わるのか。 今日12月8日は、太平洋戦争勃発から75周年。そして、今から68年前、つまり太平洋戦争開戦7周年目の昭和23(1948)年の12月8日、一人の旧日本帝国陸軍少佐が、戦犯としてオランダ軍によって銃殺刑に処せられた。場所は、現在のインドネシア共和国最東端のパプア州(旧蘭領ニューギニア)の州都ジャヤプラ(当時のホランジア)。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 3 / コメント 0

2016/12/08 00:00
海軍第202設営隊手記集(29) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(29) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/07 00:00
海軍第202設営隊手記集(28) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(28) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/06 00:00
海軍第202設営隊手記集(27) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(27) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/05 00:00
海軍第202設営隊手記集(26) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島
海軍第202設営隊手記集(26) 宇洋丸 ビアク島 ハルマヘラ島 海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク島上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で海軍第203設営隊の第6中隊に編入され、終戦まで過ごした。そこでも、飢餓、熱帯病は次々と兵士を襲った。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/04 00:00

続きを見る

トップへ

月別リンク

インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる