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インドネシア文化宮(GBI=Graha Budaya Indonesia、ICP=Indonesian Culture Plaza)は、インドネシアの24時間ニューステレビ局『METRO TV(メトロテレビ)』東京支局がプロデュースするインドネシア情報発信基地です。多様性の国・インドネシアの素顔と生ニュースを紹介します

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陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(9)
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(9) いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた。同旅団第1大隊第2中隊第... ...続きを見る

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2009/11/22 00:00
海軍第202設営隊絵日記(1)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
海軍第202設営隊絵日記(1)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る

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2009/11/21 00:00
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(8)
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(8) いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた。同旅団第1大隊第2中隊第... ...続きを見る

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2009/11/20 00:00
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(7)
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(7) いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた。同旅団第1大隊第2中隊第... ...続きを見る

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2009/11/19 00:00
『ニューギニア未帰還兵展』南十字星になった故瀧澤吉治准尉(動画2)
『ニューギニア未帰還兵展』南十字星になった故瀧澤吉治准尉(動画2) 岩手県盛岡に生まれ、中国戦線を経て、西部ニューギニアへ赤道を越えた瀧澤吉治。陸軍第6飛行師団第68戦隊の幹部整備士だった。20歳と4ヵ月で入隊。25歳と9ヵ月で戦死。青春花盛りの齢。 ...続きを見る

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2009/11/18 00:00
『ニューギニア未帰還兵展』南十字星になった故瀧澤吉治准尉(動画)
『ニューギニア未帰還兵展』南十字星になった故瀧澤吉治准尉(動画) 岩手県盛岡に生まれ、中国戦線を経て、西部ニューギニアへ赤道を越えた瀧澤吉治。陸軍第6飛行師団第68戦隊の幹部整備士だった。20歳と4ヵ月で入隊。25歳と9ヵ月で戦死。青春花盛りの齢。 ...続きを見る

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2009/11/17 00:00
スラウェシ研究会の集い@GBI Hubungan Jepang-Sulawesi
スラウェシ研究会の集い@GBI  Hubungan Jepang-Sulawesi 『ニューギニア未帰還兵展』が続くインドネシア文化宮(GBI)。2009年11月13日(金)午後、決して広いとはいえない展示スペースを会場に、スラウェシ研究会(仮称)の会合が催された。Websiteの「スラウェシ島情報マガジン」を主宰する脇田清之さんを中心に集ったスラウェシ島ファン。 ...続きを見る

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2009/11/16 00:00
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(6)
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(6) いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた。同旅団第1大隊第2中隊第... ...続きを見る

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2009/11/15 00:00
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(5)
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(5) いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた。同旅団第1大隊第2中隊第... ...続きを見る

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2009/11/14 00:00
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(4)
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(4) いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた。同旅団第1大隊第2中隊第... ...続きを見る

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2009/11/13 00:00
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(3)
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(3) いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた。同旅団第1大隊第2中隊第... ...続きを見る

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2009/11/12 00:00
忽然と消えた神奈川県のアチェ津波写真展Pameran Foto Aceh yg dibatalkan
忽然と消えた神奈川県のアチェ津波写真展Pameran Foto Aceh yg dibatalkan 一枚のチラシがある。タイトルは「写真展TSUNAMIをこえて」〜スマトラ沖地震とインドネシア・アチェの子どもたち〜 日程は2009年10月31日〜11月29日のはずだった。主催は神奈川県立地球市民かながわプラザ、そしてどういう意味かは理解しがたいが「指定管理者」は(財)かながわ国際交流財団(KIF)。会場はJR根岸線の本郷台近くにある「あーすぷらざ」の3階展示室。 ...続きを見る

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2009/11/11 00:00
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(2)
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(2) いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた。同旅団第1大隊第2中隊第... ...続きを見る

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2009/11/10 00:00
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(1)
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(1) いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた。同旅団第1大隊第2中隊第... ...続きを見る

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2009/11/09 00:00
海軍第202設営隊(11)武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
海軍第202設営隊(11)武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦までを過ごした。そこでも、飢... ...続きを見る

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2009/11/08 00:00
『ニューギニア未帰還兵展』12月19日まで再々延長。Pameran s/d 19 Des 09
   『ニューギニア未帰還兵展』12月19日まで再々延長。Pameran s/d 19 Des 09 開催期間を一ヶ月間延長して、去る8月8日から10月30日までの予定で実施中の『ニューギニア未帰還兵展』。戦後65年も経過したのにも関わらず、未だ祖国へ還れない、ニューギニアに瞑る幾多の旧日本軍将兵の霊。そして、「いつ、どこで、どのように亡くなったのか?」を究明したいと願う遺族。夫を、父を、兄を、弟を、そして伯父(叔父)の最期の地を必死で探し求めている妻、子、兄弟姉妹、そして姪と甥。 赤紙一枚で出征し、白紙一枚の戦死公報。ニューギニアで亡くなった方々のお墓に安置した白木の箱には何も入っ... ...続きを見る

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2009/11/07 00:00
ササンドゥのクリスマス曲集CDが完成(アメイジンググレイス)Sasandu X'mas
ササンドゥのクリスマス曲集CDが完成(アメイジンググレイス)Sasandu X'mas 世界中でインドネシアの最南端ロテ島(Pulau Rote)にのみ存在する伝統楽器ササンドゥ(Sasandu)。後継者難からその音楽文化の消滅が危惧されています。インドネシア文化宮(GBI)は、2009年4月と6月、東ヌサトゥンガラ(NTT)州政府と協力して、同楽器演奏の第一人者であるザカリアス・ンダオン(Zakarias Ndaong)さんを日本へ招聘し、各地で演奏会を開きました。2009年6月、世界初の、演奏ライブDVDを完成しました。そして第二弾として、このCDが誕生しました。クリ... ...続きを見る

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2009/11/06 00:00
海軍第202設営隊(10)武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
海軍第202設営隊(10)武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦までを過ごした。そこでも、飢... ...続きを見る

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2009/11/05 00:00
海軍第202設営隊(9) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
海軍第202設営隊(9) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦までを過ごした。そこでも、飢... ...続きを見る

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2009/11/04 00:00
第35師団野戦病院(東第2931部隊第3分隊)故永井寿三郎氏提供写真 ヌンホル島
第35師団野戦病院(東第2931部隊第3分隊)故永井寿三郎氏提供写真 ヌンホル島 再々延長して2009年12月19日までインドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。再延長の最終日、2009年10月30日、『亡き父のアルバムの中に、大戦中にニューギニアで戦死した戦友たちが写っている写真がありました。もしや、ご遺族の方々の中に、身内の消息を探している方がいるのではないかと思って持参しました』---そう言って、横浜市から永井新一さんが駆けつけて... ...続きを見る

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2009/11/03 00:00
海軍第202設営隊(小林光雄氏の絵日記証言)Pasukan 202 AL Dai Nippon
海軍第202設営隊(小林光雄氏の絵日記証言)Pasukan 202 AL Dai Nippon 2009年12月19日までインドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る

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2009/11/02 00:00
海軍第202設営隊(8) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
海軍第202設営隊(8) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦までを過ごした。そこでも、飢... ...続きを見る

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2009/11/01 00:00
『ニューギニア未帰還兵展』12月19日まで再延長。Pameran Prajurit Jepang
『ニューギニア未帰還兵展』12月19日まで再延長。Pameran Prajurit Jepang 開催期間を一ヶ月間延長して、去る8月8日から10月30日までの予定で実施中の『ニューギニア未帰還兵展』。戦後65年も経過したのにも関わらず、未だ祖国へ還れない、ニューギニアに瞑る幾多の旧日本軍将兵の霊。そして、「いつ、どこで、どのように亡くなったのか?」を究明したいと願う遺族。夫を、父を、兄を、弟を、そして伯父(叔父)の最期の地を必死で探し求めている妻、子、兄弟姉妹、そして姪と甥。 赤紙一枚で出征し、白紙一枚の戦死公報。ニューギニアで亡くなった方々のお墓に安置した白木の箱には何も入っ... ...続きを見る

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2009/10/31 00:00
アチェ人画家マフディ氏ドイツ個展開会式の様子Suasana Pameran Mahdi
アチェ人画家マフディ氏ドイツ個展開会式の様子Suasana Pameran Mahdi アチェを代表する画家マフディ・アブドゥラ(Mahdi Abdullah)さん。2009年10月21〜11月1日、ドイツの南東部パッサウ(Passau)市で個展を開催している。マフディさんは、同市にある CSAA(Center for Southeast Asian Art:東南アジア芸術センター)の招待で、アトリエを提供され、去る8月以来、創作活動に専念してきた。以下は、同個展のカタログから。世界に羽ばたくアチェ芸術。 アチェはあと二ヶ月で、あの五年前の津波被災五周年を迎える。 ... ...続きを見る

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2009/10/30 00:00
海軍第202設営隊(7) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
海軍第202設営隊(7) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦までを過ごした。そこでも、飢... ...続きを見る

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2009/10/29 00:00
ササンドゥのクリスマス曲集CDが完成(主よわがそばをば)Sasandu X'mas Songs
ササンドゥのクリスマス曲集CDが完成(主よわがそばをば)Sasandu X'mas Songs 世界中でインドネシアの最南端ロテ島(Pulau Rote)にのみ存在する伝統楽器ササンドゥ(Sasandu)。後継者難からその音楽文化の消滅が危惧されています。インドネシア文化宮(GBI)は、2009年4月と6月、東ヌサトゥンガラ(NTT)州政府と協力して、同楽器演奏の第一人者であるザカリアス・ンダオン(Zakarias Ndaong)さんを日本へ招聘し、各地で演奏会を開きました。2009年6月、世界初の、演奏ライブDVDを完成しました。そして第二弾として、このCDが誕生しました。クリ... ...続きを見る

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2009/10/28 00:00
アチェ人画家マフディさんドイツ個展のカタログ(動画)Pameran Mahdi di Jerman5
アチェ人画家マフディさんドイツ個展のカタログ(動画)Pameran Mahdi di Jerman5 アチェを代表する画家マフディ・アブドゥラ(Mahdi Abdullah)さん。2009年10月21〜11月1日、ドイツの南東部パッサウ(Passau)市で個展を開催している。マフディさんは、同市にある CSAA(Center for Southeast Asian Art:東南アジア芸術センター)の招待で、アトリエを提供され、去る8月以来、創作活動に専念してきた。以下は、同個展のカタログから。世界に羽ばたくアチェ芸術。 アチェはあと二ヶ月で、あの五年前の津波被災五周年を迎える。 ... ...続きを見る

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2009/10/27 00:00
アチェ人画家マフディさんドイツ個展のカタログPameran Mahdi di Jerman(4)
アチェ人画家マフディさんドイツ個展のカタログPameran Mahdi di Jerman(4) アチェを代表する画家マフディ・アブドゥラ(Mahdi Abdullah)さん。2009年10月21〜11月1日、ドイツの南東部パッサウ(Passau)市で個展を開催している。マフディさんは、同市にある CSAA(Center for Southeast Asian Art:東南アジア芸術センター)の招待で、アトリエを提供され、去る8月以来、創作活動に専念してきた。以下は、同個展のカタログから。世界に羽ばたくアチェ芸術。 アチェはあと二ヶ月で、あの五年前の津波被災五周年を迎える。 ... ...続きを見る

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2009/10/26 00:00
アチェ人画家マフディさんドイツ個展のカタログPameran Mahdi di Jerman(3)
アチェ人画家マフディさんドイツ個展のカタログPameran Mahdi di Jerman(3) アチェを代表する画家マフディ・アブドゥラ(Mahdi Abdullah)さん。2009年10月21〜11月1日、ドイツの南東部パッサウ(Passau)市で個展を開催している。マフディさんは、同市にある CSAA(Center for Southeast Asian Art:東南アジア芸術センター)の招待で、アトリエを提供され、去る8月以来、創作活動に専念してきた。以下は、同個展のカタログから。世界に羽ばたくアチェ芸術。 アチェはあと二ヶ月で、あの五年前の津波被災五周年を迎える。 ... ...続きを見る

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2009/10/25 00:00
海軍第202設営隊(6) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
海軍第202設営隊(6) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦までを過ごした。そこでも、飢... ...続きを見る

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2009/10/24 00:00
アチェ人画家マフディさんドイツ個展のカタログPameran Mahdi di Jerman(2)
アチェ人画家マフディさんドイツ個展のカタログPameran Mahdi di Jerman(2) アチェを代表する画家マフディ・アブドゥラ(Mahdi Abdullah)さん。2009年10月21〜11月1日、ドイツの南東部パッサウ(Passau)市で個展を開催している。マフディさんは、同市にある CSAA(Center for Southeast Asian Art:東南アジア芸術センター)の招待で、アトリエを提供され、去る8月以来、創作活動に専念してきた。以下は、同個展のカタログから。 世界に羽ばたくアチェ芸術。アチェはあと二ヶ月で、あの五年前の津波被災五周年を迎える。 ... ...続きを見る

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2009/10/23 00:00
海軍第202設営隊(5) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
海軍第202設営隊(5) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦までを過ごした。そこでも、飢... ...続きを見る

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2009/10/22 00:00
ササンドゥのクリスマス曲集CDが完成(オー・ホーリーナイト)Sasandu X'mas
ササンドゥのクリスマス曲集CDが完成(オー・ホーリーナイト)Sasandu X'mas 世界中でインドネシアの最南端ロテ島(Pulau Rote)にのみ存在する伝統楽器ササンドゥ(Sasandu)。後継者難からその音楽文化の消滅が危惧されています。インドネシア文化宮(GBI)は、2009年4月と6月、東ヌサトゥンガラ(NTT)州政府と協力して、同楽器演奏の第一人者であるザカリアス・ンダオン(Zakarias Ndaong)さんを日本へ招聘し、各地で演奏会を開きました。2009年6月、世界初の、演奏ライブDVDを完成しました。そして第二弾として、このCDが誕生しました。クリ... ...続きを見る

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2009/10/21 00:00
アチェ人画家マフディさんのドイツ個展開催 Pameran Mahdi di Jerman
アチェ人画家マフディさんのドイツ個展開催 Pameran  Mahdi di Jerman アチェを代表する画家マフディ・アブドゥラ(Mahdi Abdullah)さん。2009年8月から3ヵ月間、ドイツの南東部パッサウ(Passau)で武者修行。同市にある CSAA(Center for Southeast Asian Art:東南アジア芸術センター)の招待で、アトリエを提供され、創作活動に専念してきた。 帰国を前に、同市で10月21日〜11月1日、個展が開催される。上の画像は、個展を伝える地元紙の報道紙面。下の画像は、同展のお知らせチラシ。パッサウ滞在中に描いた絵画も展... ...続きを見る

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2009/10/20 00:00
ササンドゥのクリスマス曲集CDが完成(もろびとこぞりて)Sasandu X'mas
ササンドゥのクリスマス曲集CDが完成(もろびとこぞりて)Sasandu X'mas 世界中でインドネシアの最南端ロテ島(Pulau Rote)にのみ存在する伝統楽器ササンドゥ(Sasandu)。後継者難からその音楽文化の消滅が危惧されています。インドネシア文化宮(GBI)は、2009年4月と6月、東ヌサトゥンガラ(NTT)州政府と協力して、同楽器演奏の第一人者であるザカリアス・ンダオン(Zakarias Ndaong)さんを日本へ招聘し、各地で演奏会を開きました。2009年6月、世界初の、演奏ライブDVDを完成しました。そして第二弾として、このCDが誕生しました。クリ... ...続きを見る

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2009/10/19 00:00
ササンドゥのクリスマス曲集CDが完成・2(きよしこの夜)
ササンドゥのクリスマス曲集CDが完成・2(きよしこの夜) 世界中でインドネシアの最南端ロテ島(Pulau Rote)にのみ存在する伝統楽器ササンドゥ(Sasandu)。後継者難からその音楽文化の消滅が危惧されています。インドネシア文化宮(GBI)は、2009年4月と6月、東ヌサトゥンガラ(NTT)州政府と協力して、同楽器演奏の第一人者であるザカリアス・ンダオン(Zakarias Ndaong)さんを日本へ招聘し、各地で演奏会を開きました。2009年6月、世界初の、演奏ライブDVDを完成しました。そして第二弾として、このCDが誕生しました。クリ... ...続きを見る

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2009/10/18 00:00
ササンドゥ音楽、オーストラリアへ!ザカリアスさんメルボルン公演
ササンドゥ音楽、オーストラリアへ!ザカリアスさんメルボルン公演 ササンドゥ・ミュージックが世界に羽ばたこうとしている。2009年4月&6月の日本公演に次いで、今月中旬、あのザカリアス・ンダオン(Zakarias Ndaong)さんが、NTT(東ヌサトゥンガラ)州政府特使として、オーストラリアのメルボルンで演奏することになった。今や、NTTを代表すると言うよりも、“インドネシアを代表する”ササンドゥ奏者と言うべきザカリアスさん。 ...続きを見る

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2009/10/17 00:00
ササンドゥのクリスマス曲集CDが完成 Released CD Sasandu Music
ササンドゥのクリスマス曲集CDが完成 Released CD Sasandu Music 海亀のような足取りで来日し、かぐや姫が奏でたかのようなササンドゥの神秘な音色を残し、そして第二子の誕生を控え、ツバメのような速さで帰国したザカリアスさん。インドネシアを代表する、ロテ島の伝統楽器・ササンドゥ(Sasandu)の演奏家だ。ザカリアスさんは、2009年、4月と6月、二度に亘る来日を通じて、ササンドゥ音楽の摩訶不思議な魅力を私たちの耳に残した。 去る6月に発売された、世界初のササンドゥ演奏DVD『ササンドゥ演奏ライブ〜水芭蕉に眠るかぐや姫の調べ〜』に次いで、待望のCDが完成... ...続きを見る

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2009/10/16 00:00
海軍第202設営隊(4)武内満多男の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon
海軍第202設営隊(4)武内満多男の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦までを過ごした。そこでも、飢... ...続きを見る

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2009/10/15 00:00
海軍第202設営隊(3) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
海軍第202設営隊(3) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦までを過ごした。そこでも、飢... ...続きを見る

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2009/10/14 00:00
海軍第202設営隊(2) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
海軍第202設営隊(2) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦までを過ごした。そこでも、飢... ...続きを見る

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2009/10/13 00:00
海軍第202設営隊(1) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
海軍第202設営隊(1) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦までを過ごした。そこでも、飢... ...続きを見る

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2009/10/12 00:00
『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(7) 戦死公報の謎
『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(7) 戦死公報の謎 『海軍設営隊の太平洋戦争 航空基地築城の展開と活躍』(光人社・1996年4月26日発行)の著者で、元海軍第203設営隊(岩下久哉技術少佐・ハルマヘラ島で基地設営)の西部ニューギニア・ソロン派遣隊長だった佐用泰司元海軍技術大尉によれば、「海軍第202設営隊(永田亀雄技術少佐・昭和18年11月15日海軍横須賀施設部編成)」は、“玉砕設営隊”の第一号だった。一部およそ130名がハルマヘラ島に取り残されたが、約1,000名の隊員が昭和19(1944)年6〜7月、ビアク(Biak)島で戦死した。... ...続きを見る

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2009/10/11 00:00
『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(6) 武内満多男 
『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(6) 武内満多男  インドネシア文化宮(GBI)で10月30日までの日程で開催中の『ニューギニア未帰還兵展』を訪れた、元海軍第202設営隊(永田亀雄技術少佐)の隊員だった東京・練馬区在住の武内満多男さん(83歳)から同隊に関する貴重な資料提供を受けた。同氏とのインタビュー内容は後日紹介するとして、資料によってこれまで不明だった数々の謎解きが可能となった。海軍第202設営隊は、およそ230を数える海軍設営隊の中でも、最初の“玉砕部隊”として不幸な名誉を残している。しかし、その要員数については、明瞭な記述がな... ...続きを見る

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2009/10/10 00:00
パダン・西スマトラ大地震と“友愛援助” Bencana Gempa Sumbar, Padang
パダン・西スマトラ大地震と“友愛援助” Bencana Gempa Sumbar, Padang またもインドネシアで大自然災害が起きた。今度はスマトラ島中西部の西スマトラ州(人口約470万人)。それにしても、インドネシア政治史上初めて直接選挙で選ばれたスシロ・バンバン・ユドヨノ(SBY)大統領の一回目の任期5年間は、インドネシア巨大自然災害史と一体をなしている。ユドヨノ政権が誕生したのが2004年10月20日。それから一ヶ月もたたない内に、東ヌサトゥンガラ州のアロール島地震(2004年11月12日)。そして同月の、最東端パプア州ナビレの地震(2004年11月26〜28日)。そして... ...続きを見る

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2009/10/09 00:00
『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿(10)
『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿(10) 菊池英昭さん(67歳)が10年の歳月を費やして独自に収集した「朝鮮人戦死者名簿」。そこにはおよそ2万1千名の朝鮮半島出身者で、日本軍の軍人・軍属として、中国大陸、アジア・太平洋地域で戦没した方々の氏名(主に日本語名)が記されている。膨大な資料である。その中から、ニューギニア島及び同島近辺の戦没者に絞って、以下、公表する。 ...続きを見る

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2009/10/08 00:00
『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿(9)
『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿(9) 菊池英昭さん(67歳)が10年の歳月を費やして独自に収集した「朝鮮人戦死者名簿」。そこにはおよそ2万1千名の朝鮮半島出身者で、日本軍の軍人・軍属として、中国大陸、アジア・太平洋地域で戦没した方々の氏名(主に日本語名)が記されている。膨大な資料である。その中から、ニューギニア島及び同島近辺の戦没者に絞って、以下、公表する。 ...続きを見る

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2009/10/07 00:00
『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿(8)
『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿(8) 菊池英昭さん(67歳)が10年の歳月を費やして独自に収集した「朝鮮人戦死者名簿」。そこにはおよそ2万1千名の朝鮮半島出身者で、日本軍の軍人・軍属として、中国大陸、アジア・太平洋地域で戦没した方々の氏名(主に日本語名)が記されている。膨大な資料である。その中から、ニューギニア島及び同島近辺の戦没者に絞って、以下、公表する。 ...続きを見る

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2009/10/06 00:00
『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿(7)
『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿(7) 菊池英昭さん(67歳)が10年の歳月を費やして独自に収集した「朝鮮人戦死者名簿」。そこにはおよそ2万1千名の朝鮮半島出身者で、日本軍の軍人・軍属として、中国大陸、アジア・太平洋地域で戦没した方々の氏名(主に日本語名)が記されている。膨大な資料である。その中から、ニューギニア島及び同島近辺の戦没者に絞って、以下、公表する。 ...続きを見る

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2009/10/05 00:00
『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿(6)
『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿(6) 菊池英昭さん(67歳)が10年の歳月を費やして独自に収集した「朝鮮人戦死者名簿」。そこにはおよそ2万1千名の朝鮮半島出身者で、日本軍の軍人・軍属として、中国大陸、アジア・太平洋地域で戦没した方々の氏名(主に日本語名)が記されている。膨大な資料である。その中から、ニューギニア島及び同島近辺の戦没者に絞って、以下、公表する。 ...続きを見る

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2009/10/04 00:00

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