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インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)

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インドネシア文化宮(GBI=Graha Budaya Indonesia、ICP=Indonesian Culture Plaza)は、インドネシアの最有力ニュース誌『TEMPO』やニュース局『METRO TV』の元東京支局がプロデュースするインドネシア情報発信基地です。多様性の国・インドネシアの素顔と生ニュースを紹介します。




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タイトル 日 時
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(38)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(38) 「鰐工作隊」付けの警備隊として拠点に残置された、第223連隊(吉野直靖大佐)の第11中隊(吉田正四郎大尉・1小隊欠)の藤井吉治少尉(注:秋田県八郎潟出身)率いる20名から成る第2小隊の行動に関して、『歩兵第二百二十三聯隊史』(昭和55年8月24日・秋田県雪部隊親交会発行)は、ヤピナ島攻略に出撃した四隻からなるカヌー部隊について以下のように記録している。 ...続きを見る

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2017/02/26 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(37)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(37) ヤピナ島の敵水艇前哨基地に対する攻略作戦が、鰐工作隊の日高岩男少佐と神工作隊の新穂智少佐との間で協議されていた頃の、日高少佐の人柄を偲ばせるエピソードが、徳野著の『鰐部隊とパプア人マンドル』に記録されている。宣撫工作隊長としての極めて優れた資質・姿勢についての記述に溢れている。 ...続きを見る

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2017/02/25 00:00
再録:10年前のジャカルタ北朝鮮レストラン(2)
再録:10年前のジャカルタ北朝鮮レストラン(2) 北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄、金正男氏殺害を巡って、「インドネシア」の文字がメディアに溢れている。実行犯の一人として逮捕された「インドネシア」国籍の女性。そして、北朝鮮の情報機関の活動拠点としての「インドネシア」。10年前(2007年9月21日付)、当ブログは、首都ジャカルタにある北朝鮮レストランを取材した。現在の北朝鮮レストランとは場所が異なっているが、当時の様子を再録してみたい。 ...続きを見る

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2017/02/24 00:00
再録:10年前のジャカルタ北朝鮮レストラン(1)
再録:10年前のジャカルタ北朝鮮レストラン(1) 北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄、金正男氏殺害を巡って、「インドネシア」の文字がメディアに溢れている。実行犯の一人として逮捕された「インドネシア」国籍の女性。そして、北朝鮮の情報機関の活動拠点としての「インドネシア」。10年前(2007年9月20日付)、当ブログは、首都ジャカルタにある北朝鮮レストランを取材した。現在の北朝鮮レストランとは場所が異なっているが、当時の様子を再録してみたい。 ...続きを見る

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2017/02/24 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(36)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(36) 昭和19(1944)年6月23日午前1時、マンベラーモ川上流の合流点を出発し、6月30日午前8時、最大難所のバタビア瀑布を発った鰐工作隊隊長の日高岩男少佐は、同日ピオニルビバク(注:現在のマンベラーモ・ラヤ県の県都カソナウェジャ=Kasonawejaと思われる)まで下った。そして、7月3日、ロンベバイ湖の西南西に位置する40高地(注:徳野明元曹長は80高地と表記)へ辿りついた。雪兵団(第36師団)の命令により、初期の目的地であるハベマ(ハッヘマ)湖進出を中止し、急遽マンベラーモ川下流のピオ... ...続きを見る

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2017/02/24 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(35)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(35) 「鰐機関の兵舎の裏を二百メートルほど行くと、ロンベバイ湖の水辺に出る。入り組んだところなので、遠くの方は見えない。ということは遠くの方からもこちらが見えないから、水浴や洗濯するのには好都合なのだ。マンベラモ河とつながっているというが、マンベラモの濁流に比べ、ここの水は気味が悪いほど澄んでいる。かなり深そうだ。昆布のような長い藻が揺らめいているのが底の方までハッキリ見える。水温もマンベラモよりずっと低く、水浴には冷たすぎるくらいだ」---深津元衛生軍曹(注:昭和19年9月進級)は自著『鉄砲を... ...続きを見る

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2017/02/23 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(34)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(34) 「翌七月八日(注:昭和19(1944)年)、機関長(注:新穂智少佐)は連絡のため、下流の鰐機関本部へ出かけて行った。この警備隊(注:川上に設置された鰐工作隊の警備隊)も二、三日のうちに撤収して鰐機関に合流するというので、我々神機関も同行しようということで、その下準備に行ったのだ。小川の対岸に、鰐機関が残していった畑があって、茄子、パパイヤ等が生っていた。青いパパイヤを塩もみにしてお新香にしたり、茄子の味噌汁を作ったり、支給された米を食べて、久しぶりに人間らしい食事にありつくことが出来た」 ... ...続きを見る

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2017/02/22 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(33)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(33) 「隊長殿、大型のカヌーが下ってきます。敵か友軍かまだわかりません」 上流の監視所から伝令の報告がはいった。「オーイ、オーイ」 叫ぶ声はたしかに日本軍らしい。服装も日本製にまじって赤茶色の服も見える。あれはインドネシア軍警だ。 拠点に着いたカヌーからは、軍刀を握りしめた男がまッ先に上陸してきた。 「アッ、新穂少佐殿だ。木田曹長もいる」 インドネシア人軍警もつづいた。 一行は第二軍司令部直轄部隊として、西部ニューギニアの最前線ホーランジア地区工作隊として派遣されていた神工作班の勇士たち... ...続きを見る

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2017/02/21 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(32)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(32) 「その夜、薄暗いローソクの灯の下で、隊長を中心に幹部が集まり、地図を追って、次期進出拠点の作戦を練った。敵が飛行場を設定するには、マンベラモ両域と海岸線を避けるであろう。これらの地域が湿地帯であることは敵もじゅうぶんしょうちの上だ。とすれば、ファーレース山脈の北側だ。「現在地から四〇キロ下流左岸の八〇高地(日高少佐作成のマンベラーモ川流域行動地図上では「40高地」と表記)を偵察拠点とする」すでに隊長は予測していたのか、簡単に決断を下した」徳野明著『鰐部隊とパプア人マンドル』)。昭和19(1... ...続きを見る

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2017/02/20 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(31)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(31) マンベラーモ川最難関のバタビア瀑布における転覆事故によって、鰐工作隊は三名の犠牲者を出してしまった。犠牲者の慰霊祭は、昭和19(1944)年6月26日、日高隊長の手によって厳粛に執り行われた。この遭難事故を受け、日高岩男少佐は幹部を集め、対策を協議した。そして、徳野明曹長の案が採用されることとなった。すなわち、カヌーの使用は止め、筏で下るとする案だ。「バタビア瀑布(注:上流から見て五番目の最大落差の場所)を避け、その下流から出発します。そしてエデー瀑布の左を狙い、マリネの岩石をうまく避けれ... ...続きを見る

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2017/02/19 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(30)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(30) マンベラーモ川の二つの大きな支流を踏査し、詳細な兵要地誌をまとめた鰐工作隊。合流点の拠点では、次なる目標、すなわち中央高地へ足を踏み入れ、最終目的地であるハベマ(ハッヘマ)湖に到達する大冒険行に向けて、日高岩男少佐を中心に計画が練られていた。一方、地元のブルメソ族との交流もさらに深化し、毎日のように付近の村人が拠点を訪ねてくるようになっていた。しかし、そんなある夜、サルミの雪兵団(第36師団・田上八郎中将)司令部から再び緊急電報が入った。内容は「敵はピオニルビバク附近に飛行場を設定せり、該... ...続きを見る

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2017/02/18 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(29)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(29) 「現在地点合流点は日高が守る。東方イーデンブルグ偵察隊長に徳野曹長、西方ローハル偵察隊長に小泉少尉、各々偵察隊長に命ず、出発は明日」。昭和19(1944)年5月31日、鰐工作隊(鰐機関・鰐部隊)の隊長である日高岩男少佐は、雪兵団(第36師団・田上八郎中将)司令部の命令に従い、マンベラーモ川の二つの支流一帯を調査すべく、二人の部下に偵察行を命じた。徳野明元曹長は、自著『鰐部隊とパプア人マンドル』によれば、翌6月1日、高谷上等兵、石田一等兵、インドネシア人軍警のユーヤナンの三名と共に、合流点拠... ...続きを見る

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2017/02/17 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(28)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(28) さて、話しを“マンベラーモ艦隊”に戻そう。日高岩男少佐自身が描いたマンベラーモ川流域行動記録図に沿って、鰐工作隊がマンベラーモ川合流点から出発して同大河を下り、ピオニルビバク付近、そしてロンベバイ湖ヤピナ島の連合軍水艇基地(前哨基地)奇襲攻撃に至るまでの過程だ。既述のように、鰐工作隊隊長の日高岩男少佐は、昭和19(1944)年5月4日〜6月22日、約50日間にわたって、合流点拠点に滞在し、両河川の流域偵察・調査を実施する傍ら、最終目的地の、白雪山脈こと中央高地のハッヘマ湖(ハベマ湖)への進... ...続きを見る

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2017/02/16 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(27)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(27) 米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の戦友会のホームページには、同隊のミッション・リポートや思い出の写真が多数掲載されているが、その中で1944年7月31日の緊急救助活動に関し、負傷者の様子や救助の過程も記録されている。ロンベバイ湖のヤピナ島での戦闘においては、連合軍の前哨基地(水艇基地)を、日高岩男少佐率いる鰐工作隊が、自らの命と引き換えに、敗退させたわけだが、太平洋戦争という大きな枠内では、日本は無条件降伏を受け入れ、敗戦国... ...続きを見る

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2017/02/15 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(26)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(26) 米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)に所属し、ロンベバイ湖に救助に向かった、「カタリナ(Catalina)」の愛称で呼ばれた、米陸軍航空隊シリアルナンバー「44-33875」の飛行艇・PBYの「OA-10A」型機は、Captain Gerard F. Wientjesが操縦していた。PBYは本来は米コンソリディーテッド社が開発、製造した飛行艇だが、「44-33875」は、ライセンス生産をしていたカナダのケベック州カルティエビルに... ...続きを見る

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2017/02/14 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(25)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(25) 米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の記述によれば、日本側(日高岩男少佐率いる鰐工作隊)の兵力について50名(実際は16名)と記すなど事実誤認もあるが、連合軍側の勢力や負傷者の状況、そして日本側の3名の戦死(注:日高岩男少佐、杉沢武雄軍曹[注:戦死後曹長に進級・秋田県北秋田郡阿仁合町銀山=現在の北秋田市阿仁出身・当時は第36師団第223連隊(秋田編成)第11中隊第2小隊に所属]、村瀬兵長)などについては正確な記述もある。但し、日... ...続きを見る

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2017/02/13 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(24)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(24) 米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の回顧ホームページには、昭和19(1944)年7月31日の救出劇に関して、以下のように記している。 ...続きを見る

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2017/02/12 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(23)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(23) 『日高岩男少佐シリーズ』だが、前号を受けて、マンベラーモ川合流点から出発して同大河を下り、ピオニルビバク付近までの過程を、日高少佐自身が描いたマンベラーモ川行動記録図に従って書こうと思い、色々な資料を調べていると、なんと、鰐部隊に急襲されたロンベバイ湖の連合軍前哨基地の隊員を救出に向かった、米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd Emergency Rescue Squadron)に関するネット情報に接した。と言うことで、今号はこの部隊について少し触れてみたい。 昭和19(1944)年1... ...続きを見る

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2017/02/11 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(22)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(22) 六つとせ、結ぶ電波は空の上、ワクデの戦友(とも)はいかにぞと 叩く電鍵火花散る 海抜3225mに位置するハベマ湖。 ...続きを見る

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2017/02/10 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(21)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(21) 一つとせ、日本男子の健男児、故郷を離れて幾千里パプア奥地のマンベラモ ...続きを見る

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2017/02/09 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(20)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(20) サルミの左、つまり西側には太い線が縦に描かれ、それは途中から右と左へと分かれる。この線はまさに大河マンベラーモ川と、その上流部の支流であるローハール川(現在はTariku=タリク川)とイーデンブルグ川(現在はTaritatu=タリタウ川)を指し示している。しかも、その南には東西に走る山脈域が描かれ、特に中央部は濃い楕円形が記されている。そこは、おそらく鰐工作隊が初期に目指した中央高地のハッヘマ(ハベマ)湖周辺を示している。 連合軍によるニューギニア飛び石作戦 ...続きを見る

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2017/02/08 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(19)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(19) この図面の中央には、恐竜あるいは亀の形とも言われた世界第二の巨島ニューギニア島が描かれている。亀頭部分には、おそらくソロンとマノクワリと思われる位置に●印がある。マノクワリの●印の上には消しゴムで削除したものの、薄っすらと「マノクワリ」の文字が。そして、その東側にビアク島が。この島の真上にもかろうじて「ビワク」と読める文字がある。ビアク島をビワク島と表記することは当時普通だった。これもおそらく消しゴムで消したものと思われる。ビアク島は、当時三つの飛行場がほぼ概成で、まさに日本軍にとって“不... ...続きを見る

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2017/02/07 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(18)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(18) 日本から西部ニューギニアまでの行程を描いた地図には、□で囲んだ「7.24 27」、そして□のない「730」の数値がある。これらは地図とは無縁で、単に余白にメモ書きしたものと思われる。ちなみに「7.24 27」は、その字の通り「7月24日 27日」を指し、その日時、日高岩男少佐は、ヤピナ島攻撃を前に、ロンベバイ湖南西端の船着き場からおよそ200mほど離れた内陸部にあった鰐工作隊前進基地にいた。徳野明元曹長の著書『鰐部隊とパプア人マンドル』によれば、鰐工作隊は、昭和19(1944)年7月22日... ...続きを見る

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2017/02/06 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(17)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(17) 一方『鰐部隊とパプア人マンドル』の著者である徳野明元曹長の記述によると「そのとき(注:昭和19年1月頃と推定)、日高少佐(注:当時は大尉。少佐任官は昭和19年3月1日)が元気な姿をマノクワリに現した。軍が南進航行中、日高少佐(注:当時は大尉)はダバオでアンボンの第19軍に派遣されることになり、別行動をとっていたのであったが、いまその任務を終えて着任したのであった」とある。つまり11月23日にフィリピンのミンダナオ島のダバオで下船し、そこからアンボン島へ飛行機で向かったとすれば、「11月20... ...続きを見る

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2017/02/05 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(16)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(16) この地図は、朝鮮半島の南に「上海」と記し、次に「台湾」、そして「ヒリッピン(フィリピン)」と続き、その南に「ハルマヘラ」があり、そこから矢印でアンボン方面へ向かった行程が描かれている。日高は、11月20日頃アンボンに到着したと、作戦行動図の裏面に記している。第二軍の行動記録によれば、昭和18(1943)年11月9日に釜山を出港した摩耶山丸、にぎつ丸は、同月14日、台湾の高雄到着、19日、高雄発、23日、フィリピンのダバオに寄港。ここではんぶるぐ丸に移乗し、27日、ダバオを出港、29日、ハル... ...続きを見る

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2017/02/04 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(15)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(15) 日高少佐が描いた、番号なしのスケッチ画の裏面左半分には、日高が祖国日本を発ってから西部ニューギニアに至るまでの行程が、地図と共に書かれている。残り少ないわら半紙を節約したのか、兵要地誌情報をしたためた紙の裏面に、遥か日本から赤道を越えてやってきた西部ニューギニアまでの軌跡を、懐かしむように、記憶を辿るかのように、地図上に書き残している。鰐工作隊の部下への説明のために描いたのか、それとも望郷の念がふと脳裏をかすめたからなのか。エリート秘密戦士とはいえ、一人の人間として、日高岩男少佐に、祖国に... ...続きを見る

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2017/02/03 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(14)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(14) さて、右下に描かれたヤピナ島とおぼしき楕円形と、○で示した、おそらく集結地点である倒木の脇に、カヌーと思われる図。計6隻ある。徳野明元曹長は、その著『鰐部隊とパプア人マンドル』で、ヤピナ島奇襲攻撃は、日高少佐以下16名、4隻の丸木舟で実行したと描かれている。これは、ロンベバイ湖図の、ヤピナ島の東南端に記された■マークの上に、6本の細い線が書かれていることから考えて、当初は計6隻での攻撃を計画していたのかもしれない。しかし、この6隻は、あくまでも計画を練った段階での規模であり、実際には徳野が... ...続きを見る

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2017/02/02 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(13)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(13) 英国で1988年に初版が発刊された『Flying Cats The Catalina Aircraft in World War II』(Andrew Hendrie著・Airlife Publishing Ltd刊)には、ロンベバイ湖のヤピナ島へ、1944年7月31日、10名の連合軍兵士を救出すために、E.Wientjes大尉が操縦する米軍飛行艇(PBY)が派遣されたことが記録されている。同書は日本軍による奇襲攻撃に関して、約50名の日本軍が攻撃してきた。内、15名が戦死、連合軍側は10... ...続きを見る

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2017/02/01 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(12)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(12) 番号なしのスケッチ画の裏面中央には、日高少佐がヤピナ島攻略作戦を練った際に書いたと思われる楕円形のロンベバイ湖地図が描かれている。そして右下には島とカヌーの隊列とおぼしき図が。また、左端には、祖国から西部ニューギニアに至るまでの自らの行程と思われる書き込みもある。朝鮮半島、台湾、フィリイン、ハルマヘラ、アンボン、そして恐さ竜の形をしたニューギニア島が描かれてある。これらの図から何が読み解けるのか。 番号無しのスケッチ画の裏面 ...続きを見る

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2017/01/31 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(11)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(11) 日高少佐が描いたマンベラーモ河流域の行動地図にも、昭和19(1944)年6月22日まで合流点にいたことが記されている。工作隊は四隻のカヌーで、6月23日午前一時、合流点を発った。以降、バタビア瀑布、エデー(エディ)瀑布、マリネ瀑布を突破して、7月3日、ロンベバイ湖西方に位置する小高い丘の八〇高地に到着した。ちなみに日高が描いた地図では、ここを四〇高地と記している。徳野が著書で書いた八〇高地が正しいのか、それとも日高の四〇高地か、今となっては真実を知る由もない。グーグルアースの衛星地図で見る... ...続きを見る

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2017/01/30 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(10)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(10) ロンベバイ湖(Danau Rombebai)は、マンベラーモ河口から直線距離で真南へ約39km。最新のLIPI(インドネシア国立科学院)調査によれば、マンベラーモ川本流から湖に繋がる二つの水路は、川の増水と減水に伴って、その流れの方向が変わるという。つまり、本流の増水時には、半島状水路を通じて水が湖に流れ込み、同時に北側の水路では湖の水が本流に向かって流出していく。逆に、本流の水位が下がると、半島状水路から本流に向けて水が流れ、一方北側の水路では、本流から水が流れ込む。こうして、湖の水位は... ...続きを見る

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2017/01/29 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(9)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(9) 日高岩男大尉の遺品の中に、おそらく戦後祖国生還を果たした部下が持ち帰ったものと推定される、三枚のわら半紙がある。サイズが共に22 X 28cmの二枚には、日高自身が鉛筆で描いたスケッチ画。マンベラーモ川踏査中、最も長く滞在したローハール川とイーデンブルグ川の合流点に設けた拠点で描いたものと思われる。No.3と記された一枚は、緩やかに合流し、大河マンベラーモ川になる二つの川の様子が遠近法で描かれている。左端には宿舎、そして四本の大木、三本の椰子。青の色鉛筆でうっすらと着色された川面と上空には... ...続きを見る

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2017/01/28 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(8)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(8) 昭和18(1943)年11月6日、下関を発った日高岩男大尉は、翌昭和19(1944)年1月7〜8日頃マノクワリに到着した。第二軍司令部(勢16400部隊)の情報班付の下士官らが、前年の12月8日、開戦二周年の日に到着しているので、ちょうど一ヵ月遅れの上陸だ。日高は第19軍司令部が置かれたアンボンに11月20日頃到着している。すなわち記述の通り、アンボンで第二方面軍(阿南惟幾大将)の兵団長会議に関与し、さらに第19軍から西部ニューギニア情報を収集していたものと推察される。というのも、第二軍(... ...続きを見る

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2017/01/27 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(7)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(7) 話しを、対ソ連工作活動に移そう。日高は、元々はいわゆる“北方要員”だったのだろうか?そのことを裏付ける明白な公的資料は残っていない。しかし、結論から言えば、その可能性は大いにあったが、戦局の激変に伴って、遊撃戦(ゲリラ戦)の主舞台となった濠北方面に、その才能を発揮することを求められた、ということだろう。陸軍中野学校の実験隊の教官を務めていたことはすでに書いたが、実験隊とは一体どのような役割を演じていたのだろうか。 満州出張時代の日高岩男(左)か ...続きを見る

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2017/01/26 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(6)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(6) 濠北方面での戦局の悪化に伴い、絶対国防権ラインが西方に後退する中、大本営は、日中戦争に投入していた部隊を、次から次へと西部ニューギニア、ハルマヘラ島方面へ移した。当初マノクワリに置かれた第二軍(豊嶋房太郎中将)隷下だけ見ても、サルミに置かれた通称雪部隊、雪兵団の、主に東北出身者から成る第36師団(田上八郎中将・秘匿部隊名:雪第3520部隊)の第223連隊(吉野直靖大佐・雪第3524部隊)と第224連隊(松山宗右衛門大佐・雪第3525部隊)、そして元々は第36師団の一連隊であった歩兵第222... ...続きを見る

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2017/01/25 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(5)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(5) 宮崎県が作成した戦没者整理名票によれば、日高岩男大尉(当時)は、昭和18(1943)年11月5日に「南方派遣のため門司港出帆」と記されている。これはおそらく正確な日付だろう。というのも、日高自身が、西部ニューギニアに到着後に書いた現地行動図の裏面に、鉛筆でその辺りの事を書き留めている。それによれば、昭和18年11月6日、下関発、同年同月8日、釜山発、20日頃アンボン、そして翌昭和19(1944)年1月7〜8頃マノクワリ到着、13日マノクワリ発、17日サルミ到着となっている。ちなみに、整理名... ...続きを見る

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2017/01/24 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(4)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(4) 高橋ミチエは、大正9(1920)年5月20日、宮崎県の南端、鹿児島県との県境に近い、現在の日南市南郷町榎原(よわら)で、父・正次(昭和32年11月、65歳で没)と母・ミヨ(昭和53年4月、83歳で没)の長女として生を受けた。ミチの実家は、天照大神を祭神に仰ぐ、縁結びや安産祈願、家内安全などにご神徳があるとされる榎原神社のすぐ近くにあった。一方、現在の日南市飫肥生まれの日高岩男の誕生日は、大正6(1917)年1月8日。歳の差、三歳。陸軍士官学校卒で大尉の岩男が、上海から帰国した昭和16(19... ...続きを見る

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2017/01/23 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(3)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(3) 昭和12(1937)年12月31日、満州(現在の中国東北部)の佳木斯(ジャムス)で歩兵第37連隊に編入した日高岩男歩兵曹長・見習士官(当時)は、翌昭和13(1938)年3月1日、少尉に任官し、将校の道を歩み始めた。この頃の出来事といえば、昭和11(1936)年には「二・二六事件」が起き、昭和12年7月に日華事変事件(蘆溝橋事件)、翌昭和13年には国家総動員法が成立している。日中戦争が拡大し、また太平洋戦争に突き進む、いわゆる軍部勢力が増大していった時期と重なる。 昭和16年3月12日に... ...続きを見る

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2017/01/22 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(2)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(2) JR九州の日南線飫肥駅から酒谷川を越えて北西に直線距離でおよそ500m、飫肥城址からは東側に約600m。長久寺の裏手に大きな墓地がある。かつての日向国安国寺跡地だ。ここに、日高家先祖代々のお墓がある。日高家の家紋は「丸に違い矢」。弓矢は武具。ご先祖は武士だったのだろうか。霊票には、日高岩男少佐の祖父にあたる兵次郎(大正14年11月、77歳で没)と祖母のシカ(昭和26年8月、85歳で没)に始まり、父の平八(昭和17年6月、51歳で没)と母のトナ(昭和51年8月、78歳で没)が並ぶ。 日高... ...続きを見る

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2017/01/21 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1) 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1) https://youtu.be/qzaMsL7TRpg ...続きを見る

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2017/01/20 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(40)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(40) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

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2017/01/19 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(39)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(39) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

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2017/01/18 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(38)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(38) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

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2017/01/17 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(37)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(37) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

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2017/01/16 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(36)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(36) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

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2017/01/15 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(35)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(35) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

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2017/01/14 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(34)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(34) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

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2017/01/13 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(33)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(33) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

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2017/01/12 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(32)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(32) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

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2017/01/11 00:00
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(31)
薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(31) 昭和18(1943)年、東部ニューギニア戦線。着実に西進する連合国軍を前に、日本軍は苦戦、転進という名の敗走を余儀なくされていた。飛び石作戦で西部ニューギニアに迫る連合国軍。同年9月30日“絶対国防圏”の死守が御前会議で決まった。現地住民の宣撫工作を行うと同時に、遊撃戦で退勢の挽回を図ろうとした大本営は、中国に展開していた幾つもの師団を南方地域へ転用。さらに、陸軍中野学校を卒業した“秘密戦士”を核とした工作機関を西部ニューギニアの各地で編成した。 ...続きを見る

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2017/01/10 00:00

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