西に東ティモール、南にオーストラリア。MTB(西南東マルク)県は、海を隔てて二つの異国と接している。この地理的状況を活かして、州都アンボンや首都のジャカルタばかりに顔を向けてきたこれまでの姿勢を変え、同県は、二国とを結ぶエリアを“成長の三角地帯”と位置付けている。特に、老後をヨット遊びに熱中する豪州の豊かな階層は、最も有望な外国人観光客と捉えられている。そのため、ダーウィン(Dawin)→サムラキ(Saumlaku)のヨットレース(Sail Saumlaki)もすでに5年間にわたって誘致している。現在までのところ、外国人観光客の大半は、ヨットで南からやってくるオーストラリア人だが、2005年の県観光局統計によれば、同年、英国人10名、オランダ人3名、日本人2名、中国系10名、(国籍を表示してない)ダイビング客10名がサムラキを訪れたことになっている。 ヘリー・レレブラン(Drs. H.Y.Lerebulan)県観光局長は、同県をかつての“忘れられた島々(Forgotten Islands)”から“エキゾチックな海洋・文化パラダイス(The Exotic Marine and Culture Paradise)”へと変身させようとしている。『聖地巡礼を疑似体験するために建設中のフィンドゥワール(Findrwar)は、マリン・リゾートやエコーツアーと並んで、この県の重要観光スポットとなることでしょう』とヘリーさん。完成は2010年の予定だ。 世界最大のイスラム人口を誇るインドネシア。しかし、MTB県では住民の約95%がキリスト教。MTB県の周辺は、キリスト教が多数を占める地域が多い。例えば、西には全人口の約87%がクリスチャンのNTT(東ヌサトゥンガラ)州、そして99%がキリスト教徒の隣国東ティモール、北東には、宗教抗争で悲惨な歴史を刻んだが、約6割がクリスチャンと言われる州都のアンボン、そして北東には、やはりクリスチャンが多いパプア(西部ニューギニア)を控えている。そして真南には、約64%の国民がキリスト教徒とされるオーストラリア。バンダ海とアラフラ海に挟まれたMTB県は、まさに“キリスト教の海”の中心に位置する。その意味で、「キリスト教ツーリズム」は、エリア的には将来性があると言えるのかもしれない。 サムラキ市郊外の西オリリット(Olilit Barat)地区に5年前から建設が始まった“聖地”の「Findrwar(フィンドゥワール・たくさんの石柵の意味)」。キリスト教にちなんだ数々の像(イエス・キリスト像、マリア像、キリスト&マリア像、十字架に張り付けられたキリスト像など)が、海が見える高台に建つ。“聖地”は未完成だが、日曜日になるとサムラキ市民が多数訪れる。 村々の質素な家屋と比べて立派な教会が各村で見られる。 サムラキ市内には、布教のためにやってきたヨーロッパ人宣教師を描いたリリーフが。観光スポットの一つだ。 西に東ティモール、南にオーストラリア。MTB県はその未来の活路を隣国との関係に見出そうとしている。 2005年7月、オーストラリアのダーウィンで、サムラキ市とダーウィン市との友好都市締結に関する基本合意がなされた(画像:MTB県政府)。 サムラキ市の沖合に停泊したヨットから、オーストラリア人観光客がボートでやってきた(画像:MTB県政府)。 県政府はバスを準備し、ヨットで来島したオーストラリア人観光客を島巡りのツアーに招待(画像:MTB県政府)。 学校訪問では、生徒たちによる歓迎の舞踊が。そして村々でもウエルカム・ダンス。県主催のレセプションでは、地元手作りの椰子ジュースやお菓子がヨットクルーを出迎えた(画像:MTB県政府)。【参考ブログ】 マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html タニンバル島謎の石階段(Tangga Batu, Tanimbar, MTB, Maluk) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200805/article_5.html タニンバル島謎の石船No.2(Kapal Batu, Tanimbar MTB) No.2 http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200805/article_4.html タニンバル島謎の石船(Kapal Batu, Tanimbar MTB) No.1 http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200805/article_3.html 戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか? http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html 西南東マルク県政府公式Website http://www.mtbkab.go.id/ インドネシア文化宮(GBI)活動記録 http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_2.html インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_4.html |
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マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbal, MTB. Maluk(3)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}“エキゾチックな海洋・文化パラダイス(The Exotic Marine and Culture Paradise)”をキャッチフレーズに、“忘れられた島々(Forgotten Islands)”の手つかずの、美しい自然、殊に“サムラキ・ブルー”の海と珊瑚礁、そして白砂のビーチを資本に、楽園リゾート地を夢見るMTB(西南東マルク)県。 海洋に活路を見出すことは理にかなっている。同県の面積を考慮しても歴然だ。およそ125千km2の内、約88%は... ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/06/10 12:41 |
マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbal, MTB, Maluk(4)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}スハルト政権の崩壊に始まったインドネシアの民主化と地方自治の向上。次から次へと新たな州が誕生。いわんや県となるとまさに雨後の筍の勢いで増え続けている。“多様性の統一”といえばインドネシアが独立以来掲げてきた国家スローガンだが、今や“多様性の共存”の時代を迎えている。SARA(Suku=民族、Agama=宗教、Ras=種族、Antargolongan=階層・グループ)を異とする人々が、言語、慣習、文化を同じくする民族集団(Suku Bangsa)... ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/06/11 16:43 |
マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}「セラル(Selaru)島は日本軍の最前線だった。リンガット(Lingat)村にたくさんの日本兵がいた。もちろんタニンバル諸島の各地にも駐屯していたがね。終戦後、日本軍の弾薬や機材は全て海に捨てられた。まだ、それらは海の中に残っている。一方で、当時最新のトラックなどは陸上に残していった。日本軍兵士による虐待は、それは酷いものだった。多くの女性が慰安婦にさせられた」---マルク州MTB(西南東マルク・Maluk Tenggara Barat)県の... ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/06/12 15:05 |
マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}セラル(Selaru)島のリンガット(Lingat)村。かつて日本軍の最前線部隊が駐留していた村だ。2007年8月時点での人口は453世帯で2,003名(女性1,017名&男性986名)。ユスフ・サンボヌ(Yusuf Sambonu)村長(36歳)が語る。 「日本軍の進駐で、この村は戦争の犠牲となった。遠い北からやってきた日本兵が、南のオーストラリアと対峙するために、ここを戦場に変えてしまった。島にはまったく関係のないよその国の問題なのに、村... ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/06/13 13:18 |
マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}マルク州MTB(西南東マルク)県のセラル(Selaru)島。日本軍の最前線基地があったリンガット(Lingat)村の西方、最西端のイリアサ(Iljasa)村へ至る途中に、広大な平らな台地がある。通称ケブン・トゥアウ(Kebun Tuau)と言われている地域だ。ここには大戦中、日本軍が建設しようとした(完成していたのかどうかは不明)滑走路跡がある。とにかく、だだっ広い。ユスフ村長によれば、その長さは3kmにも達するそうだ。対オーストラリア攻撃のた... ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/06/14 12:13 |
マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
{%爆弾webry%}日本軍が進駐した時8〜16歳だった今日のリンガット村の長老たちは、いまだ鮮明に当時のことを記憶している。以下は、彼らの証言。(注:但し、記憶内容は人によって異なり、必ずしも正確とは言えない部分もある。文中に引用した年月日や数値は、大多数が同意した発言内容と理解いただきたい)。 ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/06/15 22:22 |
マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
{%火webry%}太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)11月に、ババル(Babar)島のエンプラワス(Emplawas)村で、日本軍による住民400名以上にものぼる虐殺事件が起きていたことは、それから42年も経った1986年11月23日付の『朝日新聞』報道で初めて知られることになった。同紙には以下のような見出しが並んだ。“旧日本軍、住民400人を虐殺 インドネシアのババル島”、“極秘報告書が明るみに”、“戦史研究家が入手 憲兵殺され「討伐」”、“銃撃三時間 村一つ消す”、... ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/07/03 14:17 |
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