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help リーダーに追加 RSS バンダアチェの樹木の運命(1) Nasib pohon2 Banda Aceh(1)

<<   作成日時 : 2007/11/11 17:22   >>

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アチェ州だけでも17万もの人命を奪ったインド洋超巨大津波。場所によっては30メートルもの高さの津波が海岸から内陸3-4kmまでのエリアを一掃してしまった。2005年3月、被災三ヵ月後に訪れた州都バンダアチェとその周辺で見た光景は、アチェ人の友人がつぶやいた「神は我々にまたもや大きな試練を与えた」との一言を遥かに超えた、この世の終焉を思わせるような凄惨極まる状況だった。
北のウレレ海岸から市中央に聳え立つバイトゥラフマン大モスクまでの一掃された平らな市街跡は、まさに“死の世界”だった。かつて“メッカの前庭”と称された、瓦礫と泥土で覆われた荒漠のバンダアチェ。しかし、その別世界のような光景の中に、わずかならが“生命の息吹”を凛として感じさせるものたちが残っていた。彼らは巨大津波に洗われながらも、大地にしがみついた根によって、サバイバルを果たした。
津波の上陸地点であるウレレ海岸の北西端で唯一生き残ったチェマラ・ラウト(インドネシア語名:Cemarah Laut:和名は木麻黄:学名は Casuarina stricta(syn. Allocasuarina verticillata)は、まさに生命力の偉大さを示す、最も象徴的な樹木であろう。そして、ウレレ海岸から内陸側に数キロの地点に残った一本のグルンパンの巨木。そのグルンパンのすぐ脇には、体全体を津波にもぎ取られながらも、残った根から再生したと思われるバナナの樹が数本立っていた。また、かつてマングローブ林があった湖沼地帯では、十数センチのマングローブの若芽が、小さな緑の葉を風に揺らせながら、陽射しを浴びて、成長しようとする姿があった。そして道路の土手には、ラッパ型のピンクの花びらを咲かした雑草も。
人間が建てた家々、学校、商店街のほぼ総てが消え去った市内に残った“生命”は道路際のタマリンド(学名:Tamarindus indica L.:インドネシア語名:Asam Jawa)だった。この常緑高木は、その昔オランダ植民地時代に植えられた街路樹だ。その多くは樹齢100-150年。また、海岸部にも関わらず、少なくないココ椰子も生き残った。大地震と巨大津波は自然力の凄まじさを見せつけたが、植物の生命力・自然力も、それに負けず偉大だ。




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歴史に残る未曾有の超巨大津波に耐えたアチェの樹木たち。しかし、彼らに今、新たな“脅威”が押し寄せている。しかも、耐えることのできない“脅威”だ。それも生き残った人間たちが、その脅威の主役だ。区画整理、道路拡張計画に沿ってとの理由で、復興の錦の御旗の下、彼らが次から次へと伐採されている。グルンパンの巨木は、2007年1月時点で、すでに切り取られていた。跡地には新たに建設された住宅群が生まれていた。
2007年9月、バンダアチェ市内、特に津波被災地域では、至る所で、生き残った大木が電動ノコギリの犠牲者になっていた。100-150年もかけて大木に成長し、しかもあの巨大津波にさえ耐え抜いた樹木が、まさに“抹殺”されている。ウレレ海岸の“生命のシンボル”的存在である木麻黄は、2007年9月現在、まだ生きている。まだ切られていない。しかし、“脅威”の波に洗われないとの保障はない。切る計画は今のところない模様だが、それは将来の計画に未だ入っていないだけなのかもしれない。「誰もあの木麻黄のことを気にしてはいない。あの木は深い根を張り、さらに菩提樹の根が寄生することで、津波に耐える力を持っていた。アチェ津波サバイバルのシンボルだが、その命運は誰も知らない。生き残った街路樹が伐採され続けている現状に異を唱える市民もいない。皆、人間のための復興しか考えていない」---大学で林業を専攻し、現在は契約スタッフとしてアメリカ赤十字社のプロジェクトで働くモモンさんがそう言って、二次災害に直面しているアチェの樹木の声を代弁した。



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パトカーが出動し(一枚目の画像)、一時的に通行車両を止めて、タマリンドの伐採が始まった。数十分後、巨木は道路際に横たわった。近所の主婦が、小枝を集め、薪にするという。(2007年9月撮影)


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前方に見えるウレレ海岸に立つモスク。二階以上にまで届いた津波の襲撃からサバイバルした。手前のタマリンドの大木までの、総ての建物は消えた。しかし、このタマリンドも今はない(2005年3月撮影)。


【参考ブログ】


インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_4.html

アチェ教育映画上映会のお知らせ(Pemutaran Film2 Aceh)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200710/article_1.html

アチェに死す(3) Kuburan Warga Jepang di Aceh(3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_5.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_4.html

アチェに死す(1) Kuburan Warga Jepang di Aceh(1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_3.html

アチェで日本のドキュメンタリー&アニメ映画を上映(Pemutaran Film di Aceh)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_1.html

ドキュメンタリー映画『二つの故国をつなぐ歌』がアチェで上映(Film Jepang ke Aceh)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_10.html

アチェのドキュメンタリー映画上映会のお知らせ
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200705/article_4.html

映画『二つの故国をつなぐ歌』ジャカルタ上映&報告
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200704/article_6.html

映画『二つの故国をつなぐ歌』上映会のお知らせ
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200704/article_2.html

早春賦をテーマにした映画が完成しました!
http://soushunfu.blog89.fc2.com/

アチェ伝統刺繍文化展のお知らせ(Pameran Budaya Sulaman Aceh)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200704/article_1.html

映像で見るアチェの今昔
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200701/article_2.html

スマトラ島沖大地震・巨大津波二周年報道写真展のお知らせ
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200612/article_7.html

アチェ&早春賦(映画:二つの故国をつなぐ歌)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200702/article_2.html

2007年8月30日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載された映画上映会に関する記事
http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=1&topik=13&beritaid=33867

2007年4月15日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載された展示会に関する記事
http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=1&topik=20&beritaid=27584

2006年12月26日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載された展示会に関する記事
http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=2&topik=39&beritaid=23554

2006年3月1日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載されたジャパン・アチェ・ネット(JAN)と同紙による津波記録本出版に関する記事
http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=1&topik=26&beritaid=15801

2005年12月26日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載された展示会に関する記事
http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=2&topik=39&beritaid=14753

2005年10月20日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載されたアチェ詩集本「慟哭の歌」出版に関する記事
http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=3&topik=46&beritaid=13505

2005年8月23日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載されたジャパン・アチェ・ネット(JAN)と同紙との協力関係に関する記事
http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=1&topik=46&beritaid=12183

2005年8月20日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載されたジャパン・アチェ・ネット(JAN)と同紙による津波記録本出版に関する記事
http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=3&topik=20&beritaid=12116





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2007/11/12 00:10
バンダアチェの樹木の運命(2) Nasib pohon2 Banda Aceh(2)
津波上陸地点にあたる、バンダアチェ市北西のウレレ海岸に一本だけ残った木麻黄(インドネシア語名:Cemarah Laut/学名:Casuarina stricta(syn. Allocasuarina verticillata)。この木より数キロ内陸にある“東洋一美しい”と言われるバイトゥラフマン大モスクまで、遮るものはない。超巨大津波が、総てを一掃、インド洋に連れ去ってしまった(上の画像:被災三ヶ月後の2005年3月撮影)。2007年9月初旬時点で、この木はまだ切られずに残っている... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2007/11/13 00:23
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あの超巨大津波を生き抜いた大樹が次から次へと切り倒される中、州都バンダアチェのあちらこちらににょきにょきと建立されたコンクリート製の“津波ポール”----津波がこの高さまで来ました、と告げるいわゆるメモリアルポール。2006年12月26日、津波被災二周年を機に、駐ジャカルタ日本公使によって公認された。 未だテント暮らしの被災民が多数いて、基本的な生活に困る市民が溢れていた時期に、こういった一千万円もの費用を投じた“メモリアル”事業が必要だったかどうかについては不問に付すが、筆... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2007/11/21 23:03
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インドネシア文化宮
2007/11/24 17:27
アチェ津波絵画&風刺漫画を義援金に(マフディ・アブドゥラ氏の作品)
インドネシア文化宮(GBI)では、2007年12月17日〜29日、『アチェ津波被災三周年企画展』を実施しますが、これに関連して、バンダアチェ在住の画家マフディ・アブドゥラ氏より、絵画作品をオークションにかけ、その売上代金を、JAN(Japan Aceh Net)を通じて、まだまだ援助の手が差し伸べられない分野の義援金として活用することを希望している旨連絡が入りました。また、最新作の風刺漫画も12枚セットでの販売を希望しています。 GBIは、同氏の志に基づいて、作品を以下の条件で販... ...続きを見る
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2008年2月23日〜3月8日、アチェ人画家マフディ・アブドゥラ(Mahdi Abdullah)さんの個展が、州都バンダアチェのウレカレン地区にあるギャラリーで開催されている。マフディさんが“津波”をテーマに描いた作品は、2月初旬まで、東京・六本木の新国立美術館で行われた「アジア創造美術展」で展示されたが、今回の個展は、“津波のアチェ”から“現在のアチェ”へとテーマを変えている。あの巨大津波被災からすでに三年の歳月が過ぎた。『あの自然災害による破壊と廃墟、そして避難民の辛苦の生... ...続きを見る
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インドネシア文化宮
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