テーマ:西部ニューギニア

海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(16)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦

歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が…
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海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(15)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦

歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が…
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海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(14)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦

歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が…
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海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(13)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦

歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が…
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海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(12)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦

歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が…
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海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(11)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦

歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が…
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海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(10)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦

歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が…
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海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(9)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦

歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が…
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海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(8)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦

歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が…
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海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(7)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦

歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が…
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海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(6)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦

歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が…
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海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(5)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦

歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が…
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海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(4)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦

歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が…
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海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(3)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦

歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が…
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海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(2)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦

歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が…
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海軍第202設営隊 小池省吾軍属の遺書(1)西部ニューギニア・ビアク島玉砕戦

歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の鍾乳洞があり、それらはそのまま日本軍の応戦陣地として利用された。ビアク島の戦没者はおよそ13,000名。当時、第2方面軍司令官の阿南惟幾大将が…
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西部ニューギニア第35師団・東2929部隊(歩兵第219連隊)玉砕記(8)

通称号が「東(ひがし)」の旧陸軍第35師団(東2935部隊)。兵員の多くは、東京、神奈川、千葉、埼玉など関東方面出身者。中国戦線(北支)から西部ニューギニアへ転用され、当初西部ニューギニアのマノクワリに司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)隷下、ソロンやマノクワリを拠点に、ビアク島、ヌンホル島などの玉砕戦に参加…
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西部ニューギニア第35師団・東2929部隊(歩兵第219連隊)玉砕記(7)

通称号が「東(ひがし)」の旧陸軍第35師団(東2935部隊)。兵員の多くは、東京、神奈川、千葉、埼玉など関東方面出身者。中国戦線(北支)から西部ニューギニアへ転用され、当初西部ニューギニアのマノクワリに司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)隷下、ソロンやマノクワリを拠点に、ビアク島、ヌンホル島などの玉砕戦に参加…
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西部ニューギニア第35師団・東2929部隊(歩兵第219連隊)玉砕記(6)

通称号が「東(ひがし)」の旧陸軍第35師団(東2935部隊)。兵員の多くは、東京、神奈川、千葉、埼玉など関東方面出身者。中国戦線(北支)から西部ニューギニアへ転用され、当初西部ニューギニアのマノクワリに司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)隷下、ソロンやマノクワリを拠点に、ビアク島、ヌンホル島などの玉砕戦に参加…
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西部ニューギニア第35師団・東2929部隊(歩兵第219連隊)玉砕記(5)

通称号が「東(ひがし)」の旧陸軍第35師団(東2935部隊)。兵員の多くは、東京、神奈川、千葉、埼玉など関東方面出身者。中国戦線(北支)から西部ニューギニアへ転用され、当初西部ニューギニアのマノクワリに司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)隷下、ソロンやマノクワリを拠点に、ビアク島、ヌンホル島などの玉砕戦に参加…
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西部ニューギニア第35師団・東2929部隊(歩兵第219連隊)玉砕記(4)

通称号が「東(ひがし)」の旧陸軍第35師団(東2935部隊)。兵員の多くは、東京、神奈川、千葉、埼玉など関東方面出身者。中国戦線(北支)から西部ニューギニアへ転用され、当初西部ニューギニアのマノクワリに司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)隷下、ソロンやマノクワリを拠点に、ビアク島、ヌンホル島などの玉砕戦に参加…
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西部ニューギニア第35師団・東2929部隊(歩兵第219連隊)玉砕記(3)

通称号が「東(ひがし)」の旧陸軍第35師団(東2935部隊)。兵員の多くは、東京、神奈川、千葉、埼玉など関東方面出身者。中国戦線(北支)から西部ニューギニアへ転用され、当初西部ニューギニアのマノクワリに司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)隷下、ソロンやマノクワリを拠点に、ビアク島、ヌンホル島などの玉砕戦に参加…
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西部ニューギニア第35師団・東2929部隊(歩兵第219連隊)玉砕記(2)

通称号が「東(ひがし)」の旧陸軍第35師団(東2935部隊)。兵員の多くは、東京、神奈川、千葉、埼玉など関東方面出身者。中国戦線(北支)から西部ニューギニアへ転用され、当初西部ニューギニアのマノクワリに司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)隷下、ソロンやマノクワリを拠点に、ビアク島、ヌンホル島などの玉砕戦に参加…
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西部ニューギニア第35師団・東2929部隊(歩兵第219連隊)玉砕記(1)

通称号が「東(ひがし)」の旧陸軍第35師団(東2935部隊)。兵員の多くは、東京、神奈川、千葉、埼玉など関東方面出身者。中国戦線(北支)から西部ニューギニアへ転用され、当初西部ニューギニアのマノクワリに司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)隷下、ソロンやマノクワリを拠点に、ビアク島、ヌンホル島などの玉砕戦に参加…
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玉砕の記録・昭和24年刊「ニューギニア玉砕記」飛田忠廣著(5)

インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニ…
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玉砕の記録・昭和24年刊「ニューギニア玉砕記」飛田忠廣著(4)

インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニ…
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玉砕の記録・昭和24年刊「ニューギニア玉砕記」飛田忠廣著(3)

インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニ…
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玉砕の記録・昭和24年刊「ニューギニア玉砕記」飛田忠廣著(2)

インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニ…
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玉砕の記録・昭和24年刊「ニューギニア玉砕記」飛田忠廣著(1)

インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニ…
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「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(12)

インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニ…
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