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みんなの「マナド」ブログ

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マナド&トモホンでソニー・レンコンさんの絵画展(Pameran Sonny Lengkong)
マナド&トモホンでソニー・レンコンさんの絵画展(Pameran Sonny Lengkong) 世界海洋会議(WOC=World Ocean Conference:2009年5月11日〜15日)開幕を控える北スラウェシ州の州都マナド(Manado)。5月9日、このインドネシア最北端の州へ、最南端のNTT(東ヌサトゥンガラ)州文化使節団の一員として、ササンドゥ(Sasandu)奏者のザカリアス・ンダオン(Zakarias Ndaong)さんが向かった。およそ150ヵ国から2,000〜5,000名が集まるとされる、マナド史上最大規模の国際会議。さて、ザカリアスさんは、どんな曲で歓... ...続きを見る

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2009/05/10 00:00
北スラウェシ州紀行(31) 経済特区 Perjalanan ke Sulut (31) Kapet
北スラウェシ州紀行(31) 経済特区 Perjalanan ke Sulut (31) Kapet インドネシア国内では十数のKAPET(Kawasan Pengembangan Ekonomi Terpadu:経済統合開発地域)が指定されているが、州都マナドを中心とするエリアもその一つに組み込まれている。名称は「KAPET Manado-Bitung」。インドネシア政府は、東部インドネシア地域(KTI:Kawasan Timur Indonesia)の開発に腐心してきているが、マナド・ビトゥンKAPETは、NTT(東ヌサトゥンガラ)州、NTB(西ヌサトゥンガラ)州、マルク州、パ... ...続きを見る

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2008/10/29 00:00
北スラウェシ州紀行(28) タルシウス Perjalanan ke Sulut (28)
北スラウェシ州紀行(28) タルシウス  Perjalanan ke Sulut (28) バリ島と東のロンボク島との間にあるロンボク海峡。そしてカリマンタン(ボルネオ)島とスラウェシ島との間のマカッサル海峡。この二つを結ぶ線は、生物学上“ウォレス(Wallace)ライン”と呼ばれ、生物相の東洋区とオーストラリ区とを分かつ分布境界線として知られている。余談だが、ティモール島東部海域とブル島西部海域、そしてハルマヘラ島西部海域とを結ぶ線は“ウェーバー(Weber)ライン”と呼ばれている。前者は、イギリス人博物学者のアルフレッド・ラッセル・ウォレス(Alfred Russel... ...続きを見る

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2008/10/26 00:11
北スラウェシ州紀行(26)サンギヘ Perjalanan ke Sulut (26) Sangihe
北スラウェシ州紀行(26)サンギヘ Perjalanan ke Sulut (26) Sangihe スラウェシ島の最北端付近の西海岸に位置する北スラウェシ(Propinsi Sulawesi Utara = Sulut)州の州都マナド。ここから北のフィリピンのミンダナオ島に向かって、点々と大小の島嶼が並ぶ。サンギヘ(Sangihe)諸島とタラウド(Talaud)諸島だ。この一帯は隣国フィリピンとの国境エリア。タラウド諸島に属する、インドネシア最北端のミアンガス(Miangas)島は、県都のタラウド島へ行くよりも、フィリピン領土に近い場所にある。そこには、インドネシア国軍の国境警備... ...続きを見る

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2008/10/21 00:00
北スラウェシ州紀行(25) ワルガ Perjalanan ke Sulut (25) Waruga
北スラウェシ州紀行(25) ワルガ Perjalanan ke Sulut (25) Waruga ミナハサ民族のワルガ(Waruga)は、単なる墓標であるばかりではなく、身内との“一体感”を具現化する祖霊像的な意味合いも持つ。今では、一か所に公園墓地風にまとめられているが、かつては各家々の前庭や、門前に置かれていたことから考えても、その可能性が高い。考古学と文化人類学の調査を待たねばならないが、例えば、インドネシア最東端のパプア(Papua)州の南西部、アスマット(Asmat)県一帯に見られるアスマット民族のビスポール(Bis Poll)と、その存在意味が似通ってる。 アスマ... ...続きを見る

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2008/10/20 00:00
北スラウェシ州紀行(24) ワルガ Perjalanan ke Sulut (24) Waruga
北スラウェシ州紀行(24) ワルガ Perjalanan ke Sulut (24) Waruga サワンガン(Sawangan)村の古い石棺(ワルガ:Waruga)は計144基。ミナハサ(Minahasa)地域にある2,000基とも言われるワルガの約7%が、この一村に集中している。西暦800年頃に始まったとされるワルガ石棺。その中には西洋人や、日本人のお墓とされるものもある。 サワンガン村のワルガの幾つかは、軍服を着用したヨーロッパ人の姿がレリーフで描かれている。長い銃を手にしたものもある。おそらく大航海時代にやってきて、この地で最期を迎えた者か、あるいはオランダ植民地下で異... ...続きを見る

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2008/10/19 00:00
北スラウェシ州紀行(23) ワルガ Perjalanan ke Sulut (23) Waruga
北スラウェシ州紀行(23) ワルガ Perjalanan ke Sulut (23) Waruga キリスト教が北スラウェシ一帯に入ると時期を同じくして、石棺の中に亡骸を入れて自宅前に置く埋葬形式は徐々に禁止された。以降は土葬に変わり今日に至っている。屋根や石棺に彫られたシンボルやモチーフは、それぞれのマルガ(Marga)、すなわち同一族(氏)によって異なった。また、その昔は、石棺の脇に、故人の氏名を書いた木札が立てられていたそうだが、今では残っていない。 サワンガン(Sawangan)村は、トンセア語を話すトンセア民族。この近辺の人々は、石棺の素材を、村から1kmほどの距離に... ...続きを見る

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2008/10/18 15:27
北スラウェシ州紀行(22) ワルガ Perjalanan ke Sulut (22) Waruga
北スラウェシ州紀行(22) ワルガ Perjalanan ke Sulut (22) Waruga エジプトのピラミッド、北京郊外の明の十三陵を見るまでもなく、古いお墓は世界中で著名な観光地となっている。偉人の墓ならなおさらだ。庶民のお墓だって、立派な観光地になることは、スラウェシ島のトラジャ民族の断崖の石室が証明している。実は北スラウェシ州にも、未だ対外的によく知れ渡ってはいないが、それはそれは見ごたえのあるお墓がある。地元で「ワルガ(Waruga)」と呼んでいる、屋根付きの石棺がそれだ。 側聞では、なんでも北スラウェシ州全土に計2,000基ほどあるそうだ。そして、その中でも... ...続きを見る

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2008/10/17 16:35
北スラウェシ州紀行(11) マナド美女 Perjalanan ke Sulut (11)
北スラウェシ州紀行(11) マナド美女 Perjalanan ke Sulut (11) 誰が言い始めたのか、マナドの魅力を表現する“五つのB”があるそうだ。まず世界的なダイビングスポットであるブナケン(Bunaken)のB、次いで、マナドお粥つまりブブール・マナド(Bubur Manado:地元ではティヌトゥアン(Tinutuan)と呼ぶ)のB。そしてブキット・カシ(Bukit Kasih)と呼ばれるマナドから50kmの距離にあるミナハサ県カノナン(Kanonang)村にある宗教“聖地”のB。四つ目は、マナド市内のメインストリートのBoulevardのB。そして、もう... ...続きを見る

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2008/10/06 00:00
北スラウェシ州紀行(10) 竹楽器 Perjalanan ke Sulut (10)
北スラウェシ州紀行(10) 竹楽器 Perjalanan ke Sulut (10) 北スラウェシのミナハサ民族は、インドネシアの中でも、最も音楽好きで、かつ音楽センスが高い民族と言える。とにかく歌が上手い。そして当地の楽器の主役と言えば「コリンタン(Kolingtang)」。コリンタンをして“インドネシアの木琴”とまで呼ばれている。木製そして竹製の二種がある。いわば木&竹製のマリンバ。コリンタンという名称は:TONG(low pitch note),TING (high pitch note),TANG (moderate pitch note)に由来するとの説が... ...続きを見る

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2008/10/05 00:00
北スラウェシ州紀行(7) マナドのお粥  Perjalanan ke Sulut (7)
北スラウェシ州紀行(7) マナドのお粥  Perjalanan ke Sulut (7) “ブナケンのマナド”、“シーラカンスのマナド”。北スラウェシ州の州都マナドは、これまでその世界的に知れ渡った美しい海洋公園と、生きた化石のシーラカンスの発見といった「海」のイメージを強く打ち出してきた。しかし、最近、新たなイメージの創造に懸命だ。2009年5月11〜15日、WOC(世界海洋会議:World Ocean Conference)のホストシティとして、今建設ラッシュが続いている。サム・ラトゥランギ国際空港の規模拡大、そして市内環状道路の整備、さらには3,000名収容可能な... ...続きを見る

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2008/10/02 00:00
北スラウェシ州紀行(6) マナド(Manado)  Perjalanan ke Sulut (6)
北スラウェシ州紀行(6) マナド(Manado)  Perjalanan ke Sulut (6) ドイツ生まれの二人のキリスト教宣教師が今でもミナハサの人々に記憶されている。リーデル(Riedel)とシュワルツ(Schwarz)。オランダ植民地時代、二人はオランダ政府によってNZGという組織を通じて、プロテスタント教の布教を目的として北スラウェシに送り込まれた。1831年6月12日、二人は半島部東海岸のケマ(Kema)に上陸。リーデルはトンダノ(Tondano)で、シュワルツはランゴワン(Langowan)で布教活動を始めた。布教の傍ら、二人は教育や保健、そして農業の指導も行い... ...続きを見る

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2008/10/01 00:00
北スラウェシ州紀行(5) マナド(Manado) Perjalanan ke Sulut (5)
北スラウェシ州紀行(5) マナド(Manado) Perjalanan ke Sulut (5) 東部インドネシアの中心地と言えば、誰しもが、スラウェシ島の西南端近くに位置する、南スラウェシ州の州都であるマカッサル(Makassar・旧ウジュンパンダン)を思い浮かべる。人口は約123万。つまり北スラウェシ州の州都マナドのおおよそ3倍弱だ。南スラウェシ州では、タナトラジャ県を例外とすれば、圧倒的多数(約88%:注:この数値は全インドネシアのイスラム人口比率とほぼ同じ)がイスラム教徒であるのに対して、北スラウェシ州では圧倒的多数がキリスト教徒(約71%。但し約80%との推計もある)... ...続きを見る

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2008/09/30 00:00
北スラウェシ州紀行(4) ブナケン(Bunaken) Perjalanan ke Sulut (4)
北スラウェシ州紀行(4) ブナケン(Bunaken) Perjalanan ke Sulut (4) ダイビングで使われるスクーバ(潜水用の呼吸器具)の発明者の一人として知られる、フランス人海洋学者ジャック・イヴ・クストー(Jacques Yves Cousteau:1910年6月11日〜1997年6月25日)は、今では世界的に知られるようになった北スラウェシのダイビングスポットの“発見者”でもある。クストーは、インドネシア国内で、美しいダイビング海域13ヵ所を確認し、世界へ紹介した。ブナケンもその一つだ。北スラウェシに限って言えば、ブナケン島周辺以外に、彼はレンベ海峡(Selat... ...続きを見る

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2008/09/29 00:01
北スラウェシ州紀行(3) ブナケン(Bunaken) Perjalanan ke Sulut (3)
北スラウェシ州紀行(3) ブナケン(Bunaken) Perjalanan ke Sulut (3) “竜宮城”は絵にもかけない美しさだそうだが、ミナハサ民族が世界に誇るブナケン(Bunaken)のサンゴ海を、マナド・トモホン在住で、北スラウェシを代表する画家のソニー・レンコン(Sonny Lengkong)さん(51歳)は描き続けている。その題材に選ぶロケーションは、やはり古マナド(Manado Tua)島とブナケン島。群青のマナド湾に聳え立つ古マナド山、そして宝石を散りばめたようなブナケンの珊瑚海。“極楽の海”とも称すべき、このブナケン海洋国立公園を望みながら、来年2009年5月1... ...続きを見る

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2008/09/28 00:00
北スラウェシ州紀行(2) シーラカンス  Perjalanan ke Sulut (2)
北スラウェシ州紀行(2) シーラカンス  Perjalanan ke Sulut (2) “生きた化石”シーラカンス(学名:Coelacanthus コエラカントゥス)は、1938年12月22日、南アフリカ南東部、インド洋のカルムナ(Chalumna)川河口付近で漁師が偶然捕獲し「世紀の大発見」となった。属名&種小名はラティメリア・カルムナエ(Latimeria chalumnae)。次の捕獲は14年後の1952年12月20日で、発見されたのは最初の発見地から3,000kmも離れた、マダガスカル(Madagascar)島近くのコモロ諸島(Comoros Island)の... ...続きを見る

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2008/09/27 00:00
北スラウェシ州紀行(1) マナド(Manado) Perjalanan ke Sulut (1)
北スラウェシ州紀行(1) マナド(Manado) Perjalanan ke Sulut (1) スラウェシ(旧セレベス)島の北端に位置する北スラウェシ州(Sulawesi Utara=Sulut)は、日本に一番近いインドネシアだ。かつて“大東亜戦争”において、日本軍がカリマンタン(ボルネオ)島のタラカン島を奇襲攻撃し、インドネシア占領の第一歩を記すが、次いで攻略作戦を実行した地点が、現在の北スラウェシ州の州都マナド(Manado)だった。“空の神兵”と謳われた落下傘部隊が、占領下のフィリピンのダバオから出撃し、昭和17年(1942年)1月11日にマナド南方およそ37kmのラン... ...続きを見る

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2008/09/26 00:00

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