日本からパプアにやってきた津波。Tsunami dari Jepang ke Jayapura

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2011年3月11日(金)、東日本大地震の発生。あのアチェの巨大津波の爪痕を彷彿させる地獄図絵。2004年12月26日(日)、一瞬にして、アチェだけでも十数万もの人命が奪われた。今盛んにテレビ出演している地震や津波の専門家たち。彼らも、あのアチェの惨状に接した。そして、あの時と同じように言う。「想定外の規模でした」と。

彼ら専門家と称する学者は、アチェから何を学習したのだろうか。疑問は尽きない。そして彼らが言う「想定外」とは、何を根拠に“想定”していたのか。東海地震の到来が叫び始められた頃、多くの建築家や“専門家”たちが言った。「この建物は、関東大震災の二倍の規模の地震にも耐えることができます」と。

さて、門外漢として問いたい。関東大震災の三倍、四倍規模の地震発生の可能性はあるのか、と。そういった条件は「想定内」なのか、それとも「想定外」なのかを。


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大自然の息遣いを理解したかのような“専門家”。自然も反論に窮しているのかもしれない。「あなた方は、どうも私たちの力を甘く見ているようですね」と。アチェから何を学んだのか、もう一度考えたい。

三陸沖で発生した津波は、まっすぐ南下。赤道を超え、西部ニューギニアにまで達した。パプア州(Propinsi Papua)の州都ジャヤプラ(Jayapura)まで、およそ5,000kmを旅した波は、ヨテーファ湾(Teluk Youtefa)一帯を襲った。現地から寄せられた情報によれば、一名の犠牲者が報告されている。ジャヤプラ市タミ河口地区(Distrik Muara Tami)のホーテカン(Holtekamp)で養殖業を営む、スラウェシ島のマカッサル出身のダルワント・オダン(Darwanto Odang)さん(35歳)が、高さ1~2mの津波に飲まれた。

ホーテカンやトバティ(Tobati)村、そしてエングロス(Enggros)村では、多くの水上家屋が流され、さらにコンクリート製の、ブアヤ川にかかる橋も真ん中からV字型に崩れた。村人が話すところによれば、津波は現地時間(日本時間と同じ)午後8時30分頃から始まり、9時30分まで計3回起こったという。ちなみにジャヤプラ気象台は、同日、午後8時頃、津波警報を発令した。
「日本の地震が送ってきた津波の波がトバティで家屋と橋を破壊」---国営アンタラ通信社は、そう伝えた。


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写真提供(Photo)

在ジャヤプラのRian Budimanさん。リアンさんは、PTGC(Papua Tour Guides Community)のインターネット&技術担当。

【参考ブログ】

パプア州関連ブログ
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/42c3391253.html

アチェ・津波関連ブログ
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/3c51fbcd1e.html

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