再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(25) 2017年2月13日

米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の記述によれば、日本側(日高岩男少佐率いる鰐工作隊)の兵力について50名(実際は16名)と記すなど事実誤認もあるが、連合軍側の勢力や負傷者の状況、そして日本側の3名の戦死(注:日高岩男少佐、杉沢武雄軍曹[注:戦死後…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(24) 2017年2月12日

米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の回顧ホームページには、昭和19(1944)年7月31日の救出劇に関して、以下のように記している。 A message was received at 1000 to proceed to Lake Ro…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(23) 2017年2月11日

『日高岩男少佐シリーズ』だが、前号を受けて、マンベラーモ川合流点から出発して同大河を下り、ピオニルビバク付近までの過程を、日高少佐自身が描いたマンベラーモ川行動記録図に従って書こうと思い、色々な資料を調べていると、なんと、鰐部隊に急襲されたロンベバイ湖の連合軍前哨基地の隊員を救出に向かった、米陸軍航空隊第2緊急…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(22) 2017年2月10日

六つとせ、結ぶ電波は空の上、ワクデの戦友(とも)はいかにぞと 叩く電鍵火花散る 海抜3225mに位置するハベマ湖。 七つとせ、なに無くともいやとせぬ、胸にしっかと大和魂 日高部隊の強者ぞ 八つとせ、休む暇の無き工作の、宣撫も今じゃお手のもの 人食人種も笑い顔 九つ…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(21) 2017年2月9日

一つとせ、日本男子の健男児、故郷を離れて幾千里パプア奥地のマンベラモ 二つとせ、不法きわまる米兵の、野望制せんときぞ来ぬ勇み出で立つ強者ぞ 三つとせ、見よやエデーの急湍も、続いてバタビア難関も見事突破のこの意気を 四つとせ、夜のともしび薄暗く、故郷の便りに顔寄せてお国自慢に花が咲く 五つ…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(20) 2017年2月8日

サルミの左、つまり西側には太い線が縦に描かれ、それは途中から右と左へと分かれる。この線はまさに大河マンベラーモ川と、その上流部の支流であるローハール川(現在はTariku=タリク川)とイーデンブルグ川(現在はTaritatu=タリタウ川)を指し示している。しかも、その南には東西に走る山脈域が描かれ、特に中央部は…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(19) 2017年2月7日

この図面の中央には、恐竜あるいは亀の形とも言われた世界第二の巨島ニューギニア島が描かれている。亀頭部分には、おそらくソロンとマノクワリと思われる位置に●印がある。マノクワリの●印の上には消しゴムで削除したものの、薄っすらと「マノクワリ」の文字が。そして、その東側にビアク島が。この島の真上にもかろうじて「ビワク」…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(18) 2017年2月6日

日本から西部ニューギニアまでの行程を描いた地図には、□で囲んだ「7.24 27」、そして□のない「730」の数値がある。これらは地図とは無縁で、単に余白にメモ書きしたものと思われる。ちなみに「7.24 27」は、その字の通り「7月24日 27日」を指し、その日時、日高岩男少佐は、ヤピナ島攻撃を前に、ロンベバイ湖…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(17) 2017年2月5日

一方『鰐部隊とパプア人マンドル』の著者である徳野明元曹長の記述によると「そのとき(注:昭和19年1月頃と推定)、日高少佐(注:当時は大尉。少佐任官は昭和19年3月1日)が元気な姿をマノクワリに現した。軍が南進航行中、日高少佐(注:当時は大尉)はダバオでアンボンの第19軍に派遣されることになり、別行動をとっていた…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(16) 2017年2月4日

この地図は、朝鮮半島の南に「上海」と記し、次に「台湾」、そして「ヒリッピン(フィリピン)」と続き、その南に「ハルマヘラ」があり、そこから矢印でアンボン方面へ向かった行程が描かれている。日高は、11月20日頃アンボンに到着したと、作戦行動図の裏面に記している。第二軍の行動記録によれば、昭和18(1943)年11月…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(15) 2017年2月3日

日高少佐が描いた、番号なしのスケッチ画の裏面左半分には、日高が祖国日本を発ってから西部ニューギニアに至るまでの行程が、地図と共に書かれている。残り少ないわら半紙を節約したのか、兵要地誌情報をしたためた紙の裏面に、遥か日本から赤道を越えてやってきた西部ニューギニアまでの軌跡を、懐かしむように、記憶を辿るかのように…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(14) 2017年2月2日

さて、右下に描かれたヤピナ島とおぼしき楕円形と、○で示した、おそらく集結地点である倒木の脇に、カヌーと思われる図。計6隻ある。徳野明元曹長は、その著『鰐部隊とパプア人マンドル』で、ヤピナ島奇襲攻撃は、日高少佐以下16名、4隻の丸木舟で実行したと描かれている。これは、ロンベバイ湖図の、ヤピナ島の東南端に記された■…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(13) 2017年2月1日

英国で1988年に初版が発刊された『Flying Cats The Catalina Aircraft in World War II』(Andrew Hendrie著・Airlife Publishing Ltd刊)には、ロンベバイ湖のヤピナ島へ、1944年7月31日、10名の連合軍兵士を救出すために、E.W…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(12) 2017年1月31日

番号なしのスケッチ画の裏面中央には、日高少佐がヤピナ島攻略作戦を練った際に書いたと思われる楕円形のロンベバイ湖地図が描かれている。そして右下には島とカヌーの隊列とおぼしき図が。また、左端には、祖国から西部ニューギニアに至るまでの自らの行程と思われる書き込みもある。朝鮮半島、台湾、フィリイン、ハルマヘラ、アンボン…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(11) 2017年1月30日

日高少佐が描いたマンベラーモ河流域の行動地図にも、昭和19(1944)年6月22日まで合流点にいたことが記されている。工作隊は四隻のカヌーで、6月23日午前一時、合流点を発った。以降、バタビア瀑布、エデー(エディ)瀑布、マリネ瀑布を突破して、7月3日、ロンベバイ湖西方に位置する小高い丘の八〇高地に到着した。ちな…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(10) 2017年1月29日

ロンベバイ湖(Danau Rombebai)は、マンベラーモ河口から直線距離で真南へ約39km。最新のLIPI(インドネシア国立科学院)調査によれば、マンベラーモ川本流から湖に繋がる二つの水路は、川の増水と減水に伴って、その流れの方向が変わるという。つまり、本流の増水時には、半島状水路を通じて水が湖に流れ込み、…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(9) 2017年1月28日

日高岩男大尉の遺品の中に、おそらく戦後祖国生還を果たした部下が持ち帰ったものと推定される、三枚のわら半紙がある。サイズが共に22 X 28cmの二枚には、日高自身が鉛筆で描いたスケッチ画。マンベラーモ川踏査中、最も長く滞在したローハール川とイーデンブルグ川の合流点に設けた拠点で描いたものと思われる。No.3と記…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(8) 2017年1月27日

昭和18(1943)年11月6日、下関を発った日高岩男大尉は、翌昭和19(1944)年1月7~8日頃マノクワリに到着した。第二軍司令部(勢16400部隊)の情報班付の下士官らが、前年の12月8日、開戦二周年の日に到着しているので、ちょうど一ヵ月遅れの上陸だ。日高は第19軍司令部が置かれたアンボンに11月20日頃…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(7) 2017年1月26日

話しを、対ソ連工作活動に移そう。日高は、元々はいわゆる“北方要員”だったのだろうか?そのことを裏付ける明白な公的資料は残っていない。しかし、結論から言えば、その可能性は大いにあったが、戦局の激変に伴って、遊撃戦(ゲリラ戦)の主舞台となった濠北方面に、その才能を発揮することを求められた、ということだろう。陸軍中野…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(6) 2017年1月25日

濠北方面での戦局の悪化に伴い、絶対国防権ラインが西方に後退する中、大本営は、日中戦争に投入していた部隊を、次から次へと西部ニューギニア、ハルマヘラ島方面へ移した。当初マノクワリに置かれた第二軍(豊嶋房太郎中将)隷下だけ見ても、サルミに置かれた通称雪部隊、雪兵団の、主に東北出身者から成る第36師団(田上八郎中将・…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(5) 2017年1月24日

宮崎県が作成した戦没者整理名票によれば、日高岩男大尉(当時)は、昭和18(1943)年11月5日に「南方派遣のため門司港出帆」と記されている。これはおそらく正確な日付だろう。というのも、日高自身が、西部ニューギニアに到着後に書いた現地行動図の裏面に、鉛筆でその辺りの事を書き留めている。それによれば、昭和18年1…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(4) 2017年1月23日

高橋ミチエは、大正9(1920)年5月20日、宮崎県の南端、鹿児島県との県境に近い、現在の日南市南郷町榎原(よわら)で、父・正次(昭和32年11月、65歳で没)と母・ミヨ(昭和53年4月、83歳で没)の長女として生を受けた。ミチの実家は、天照大神を祭神に仰ぐ、縁結びや安産祈願、家内安全などにご神徳があるとされる…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(3) 2017年1月22日

昭和12(1937)年12月31日、満州(現在の中国東北部)の佳木斯(ジャムス)で歩兵第37連隊に編入した日高岩男歩兵曹長・見習士官(当時)は、翌昭和13(1938)年3月1日、少尉に任官し、将校の道を歩み始めた。この頃の出来事といえば、昭和11(1936)年には「二・二六事件」が起き、昭和12年7月に日華事変…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(2) 2017年1月21日

JR九州の日南線飫肥駅から酒谷川を越えて北西に直線距離でおよそ500m、飫肥城址からは東側に約600m。長久寺の裏手に大きな墓地がある。かつての日向国安国寺跡地だ。ここに、日高家先祖代々のお墓がある。日高家の家紋は「丸に違い矢」。弓矢は武具。ご先祖は武士だったのだろうか。霊票には、日高岩男少佐の祖父にあたる兵次…
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再録:西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1) 2017年1月20日

西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1) https://youtu.be/qzaMsL7TRpg 日高岩男少佐(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用) 今から73年も前の話だ。昭和19(1944)年7月31日、日本軍宣撫工作隊の一つである、…
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運命の海上機動兵団(続編)・海上機動第二旅団(157)

“日本版海兵隊”とも言われる、陸上自衛隊の「水陸機動団(Amphibious Rapid Development Brigade)」が、2018(平成30)年3月に創設された。将来的に約3,000人規模を目指すとされる同部隊は、中華人民共和国の急激な軍事力増大や、尖閣諸島問題の長期化を睨み、南西諸島に対する脅威…
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運命の海上機動兵団(続編)・海上機動第二旅団(156)

“日本版海兵隊”とも言われる、陸上自衛隊の「水陸機動団(Amphibious Rapid Development Brigade)」が、2018(平成30)年3月に創設された。将来的に約3,000人規模を目指すとされる同部隊は、中華人民共和国の急激な軍事力増大や、尖閣諸島問題の長期化を睨み、南西諸島に対する脅威…
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運命の海上機動兵団(続編)・海上機動第二旅団(155)

“日本版海兵隊”とも言われる、陸上自衛隊の「水陸機動団(Amphibious Rapid Development Brigade)」が、2018(平成30)年3月に創設された。将来的に約3,000人規模を目指すとされる同部隊は、中華人民共和国の急激な軍事力増大や、尖閣諸島問題の長期化を睨み、南西諸島に対する脅威…
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運命の海上機動兵団(続編)・海上機動第二旅団(154)

“日本版海兵隊”とも言われる、陸上自衛隊の「水陸機動団(Amphibious Rapid Development Brigade)」が、2018(平成30)年3月に創設された。将来的に約3,000人規模を目指すとされる同部隊は、中華人民共和国の急激な軍事力増大や、尖閣諸島問題の長期化を睨み、南西諸島に対する脅威…
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運命の海上機動兵団(続編)・海上機動第二旅団(153)

“日本版海兵隊”とも言われる、陸上自衛隊の「水陸機動団(Amphibious Rapid Development Brigade)」が、2018(平成30)年3月に創設された。将来的に約3,000人規模を目指すとされる同部隊は、中華人民共和国の急激な軍事力増大や、尖閣諸島問題の長期化を睨み、南西諸島に対する脅威…
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運命の海上機動兵団(続編)・海上機動第二旅団(152)

“日本版海兵隊”とも言われる、陸上自衛隊の「水陸機動団(Amphibious Rapid Development Brigade)」が、2018(平成30)年3月に創設された。将来的に約3,000人規模を目指すとされる同部隊は、中華人民共和国の急激な軍事力増大や、尖閣諸島問題の長期化を睨み、南西諸島に対する脅威…
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