運命の海上機動兵団・海上機動第二旅団・巡部隊史(13)

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“日本版海兵隊”とも言われる、陸上自衛隊の「水陸機動団(Amphibious Rapid Development Brigade)」が、2018(平成30)年3月に創設された。将来的に約3,000人規模を目指すとされる同部隊は、中華人民共和国の急激な軍事力増大や、尖閣諸島問題の長期化を睨み、南西諸島に対する脅威に対応するとされる。この陸上総隊直轄部隊は、長崎県佐世保市西部の陸上自衛隊相浦駐屯地に設置される。
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さて、戦後73年も経過して、戦争の記憶が急速に薄れる中、歴史の流れに埋没したかのように映るが、実は、戦時中、大日本帝国陸軍には、いわゆる海兵隊が存在していた。それが海上機動旅団だ。島嶼戦に伴う上陸・逆上陸作戦の専門部隊として編成され、計4個旅団が創設された。1943(昭和18)年5月のアッツ島の戦い・玉砕戦を契機に立案され、同年11月に編成命令が下った。
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海上機動第1旅団(駆・カケル兵団)は、パラオ島に派遣された旅団輸送隊を除き、1944(昭和19)年初頭、マーシャル諸島に展開したが、ほぼ全滅。また海上機動第3旅団(轟・トドロキ兵団)は、千島列島北部地域の防衛任務についたが、1945(昭和20)年に入ると、本土決戦に備えて北海道、青森県、鹿児島県へと移動。しかし、専門とする上陸・逆上陸作戦に当たることはなかった。一方、1944年3月に北海道の旭川で編成された海上機動第4旅団(攘・ハラウ兵団)は、第7師団隷下、盛岡、択捉島などへ展開したが、同年5~6月、本土決戦に備え、埼玉県へと移動。

運命の海上機動兵団・海上機動第二旅団・巡部隊史(13)

https://youtu.be/Lx0IbSpWdFk

そして、1944年3月末、第29歩兵団司令部や第5独立守備隊の一部などを主軸に、満州国奉天省遼陽で編成された海上機動第2旅団(巡・メグル兵団・玉田美郎少将)。同年4月、大連を出発し、門司沖、長崎沖経由で船団を組み、台湾の高雄寄港の後、5月初旬にはマニラ港を豪北方面をめざし出発。しかし、乗員約4,500名の輸送船・青葉山丸は5月7日、スール海で米潜水艦による魚雷攻撃を受け大破し、同月9日、ミンダナオ島のザンボアンガへ緊急上陸。この被雷により、9名が行方不明、戦車や重量兵器、弾薬、糧食などはことごとく海没。

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その後、海上機動第2旅団は、5月30日、巡洋艦「青葉」や「鬼怒」でザンボアンガを出港。6月2日、ダバオ経由で『渾作戦』参加のため西部ニューギニアの激戦地ビアク島へ向かうも、作戦は中止となり、ニューギニア島西端のソロンへ。6月8日、二度目の『渾作戦』のため、駆逐艦「浦波」、「敷波」、「時雨」、護衛艦「春雨」、「白露」、「五月雨」などがビアク島へ向かうが、再度作戦は完遂せぬまま中止となった。“海兵隊”としての“逆上陸作戦”を果たせぬまま、同旅団はソロンへ回航。以降はワイゲオ島、サラワティ島、ソロン近辺の守備防衛に当たり、そして終戦を迎えた。

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これは、海上機動第2旅団機動第1大隊、関東軍第5独立守備隊歩兵第27大隊の戦友会が、巡部隊史編纂委員会の名のもと、1974(昭和49)年5月25日に、非売品として発刊した『運命の海上機動兵団』(全464頁)を映像化したものである。入手が極めて困難であることを勘案し、後世に残すために作成したものである。


運命の海上機動兵団・海上機動第二旅団・巡部隊史(1)

https://youtu.be/Nqr7iWvr7E8

参考動画

西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1)


西部ニューギニア・戦後ジャングルに放置されたままの旧日本兵の遺骨


Pameran Prajurit Jepang yg tak sempat dipulangkan ke tanah air dari Papua

https://youtu.be/UdpgJt_Sa3o


日本軍パプアの軌跡(総集編) Jejak Militer Jepang di Papua
https://youtu.be/YqkfCPF5ji4


西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 エリー氏の証言(1)~(4) Long March to Idore
https://youtu.be/Yz9VZCW6TU0
https://youtu.be/z6vUxROg2AA
https://youtu.be/Wv5a_tl6ido
https://youtu.be/8eXVwkLriUk


西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 アブラハム氏の証言(1)~(3) Long March To Idore
https://youtu.be/BP-zy8axlCA
https://youtu.be/r3zaRtxIDEE
https://youtu.be/SLy1X0mDoRE


西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 ワンマ氏の証言(6) Long March To Idore
https://youtu.be/hfZtme4CM_I
https://youtu.be/Wa0CJelFsC4
https://youtu.be/NFzUt307Wm8
https://youtu.be/li9G8uPwXT4
https://youtu.be/zv22PjrpGO0
https://youtu.be/WYQUQrMmFoA


西部ニューギニア・ビントゥニからバボへ(2)~(1) Dari Bintuni ke Babo, Teluk Bintuni, Papua Barat
https://youtu.be/_XftSogulas
https://youtu.be/lAXH8cg1w2M


西部ニューギニア・旧日本軍バボ飛行場 Bandara Babo, Teluk Bintuni, Papua Barat
https://youtu.be/ICrE0cVENWI


西部ニューギニア・マノクワリからビントゥニへ(空撮) Manokwari ke Bintuni
https://youtu.be/l6OBnVEOf0Q


西部ニューギニア・ビントゥニからマノクワリへ(空撮) Bintuni ke Manokwari
https://youtu.be/WcrXrfmHbeM


西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 モミ村まで(7)~(1)
https://youtu.be/ajJNMPnWEqU
https://youtu.be/xsPasMtenh4
https://youtu.be/zmt4IUzhw2g
https://youtu.be/J6mMTueRGIM
https://youtu.be/3SAN2QytvWs
https://youtu.be/hXX_Mx2_Y1o
https://youtu.be/NyY5nslbijA


西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 イドレ河(4)~(1)
https://youtu.be/z78KM7ofcsg
https://youtu.be/0I-lkFs4W6s
https://youtu.be/0MsqC-ih5nA
https://youtu.be/sp2jXfED5YE


西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村で歌い継がれる哀悼歌
https://youtu.be/eLnFRbUR42c
https://youtu.be/KkJigB5E9i4


西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村に瞑る旧日本軍将兵
https://youtu.be/07YWkwpTo2E

西部ニューギニア戦線・小田切重徳マノクワリ~イドレ転進作戦証言(18)

https://youtu.be/rQvWicKLjcQ

小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(16)

https://youtu.be/bD8KYPmlt5A

西部ニューギニア戦線・川上政記マノクワリ~イドレ転進作戦証言(1)

https://youtu.be/NzJU7ANN_9g

西部ニューギニア戦線・遠藤定夫マノクワリ~イドレ転進作戦証言(1)

https://youtu.be/GpqBK6-Z_jM

西部ニューギニア・峰岸政夫マノクワリ~イドレ転進作戦証言(1)

https://youtu.be/Asdg4O6FodA

吉崎直人著『ニューギニア戦線異状あり』(1) 西部ニューギニア戦線 第14師団海上輸送隊


佐々成典著『戦わざる戦記』(1) 西部ニューギニア戦線 第14師団海上輸送隊
https://youtu.be/JT2j26UzlSk


参考ブログ

西部ニューギアから新たな旧日本兵の遺骨情報が Nasib Tentara Dai Nippon
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201412/article_17.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201411/article_16.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_29.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_25.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_24.html
西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_10.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_8.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵、そして生き続ける三八歩兵銃
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201409/article_26.html

この記事へのコメント

paru
2018年10月15日 01:32
初めまして。いつも興味深く拝見させていただいております。
本記事とは関係ないのですが、いまパプア州のミミカ飛行場について興味があり調べています。
戦史叢書のミミカ防衛隊配置図(23巻136P)と衛星写真を見比べて、
南緯4度46分49秒 東経136度33分4秒
https://www.google.com/maps/@-4.780278,136.551111,7133m
この付近がミミカ飛行場跡地ではないか?と思いましたが、いかがでしょうか?
ミミカ防衛隊配置図と比べると川の流れが変わっていますが、西のケクワ(連隊本部)との位置関係は整合しますし、滑走路様の直線地形が川の両側にいくつかあります。つまりミミカ飛行場滑走路の中央は今、川の底にあるのではないか、と思われます。
よろしければご意見をいただきたく、お忙しいところ失礼いたしました。
インドネシア文化宮
2018年10月15日 19:57
ご質問、拝見致しました。以下、現在わかる範囲で回答します。
まず、インドネシアの有力紙の一つである『Republika』紙の2015年10月31日付の現地リポート記事によりますと、ケクア村(Desa Keawkwa)の南東約2.2kmに位置する
新ケクア村(Desa Keawkwa Baru)の外れには、今でも旧日本軍滑走路跡が残っているそうです。またケクア村脇のジャングル内には、日本軍の高射砲(おそらく海軍の
高角砲と推定)に1943年4月3日に撃ち落された王立オーストラリア空軍の哨戒・爆撃機Hudsonの残骸が残っているそうです。さらに日本軍の戦車残骸(キャタピラ部分)も畑の中に残っているそうです。
1943年5月11日に、第5師団の高橋歩兵第11連隊によって完成したとされるミミカ飛行場(連合軍はTimoeka Airfield =ティムカ飛行場と呼んでいた)の長さは1,000m、幅50mと言われていますので、現在の新ケクア村の東南端から、油椰子畑を経て川に向かって東南方向に残る、衛星画像で伐採地のように見える直線のエリアが、おそらく滑走路跡と思われます。南緯4.45.46、東経136.30.56~136.31.22辺りかと思います。滑走路の東南端部分が、河に浸食された可能性は否定できませんが、大方は残っているといってよいでしょう。米軍資料には、同飛行場の位置として東経136° 30' 0" 南緯4° 45' 0" の表記があり画像も紹介されています。
ちなみに、二基あった高角砲は、海岸浸食のため、現在では海没し、干潮時にかろうじて確認できるそうです。
インドネシア文化宮

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