鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(6) Mayor Iwao Hidaka

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西部ニューギニアの大河マンベラーモ川一帯を、主要な宣撫工作活動地域に設定した、日高岩男少佐率いる「鰐部隊(機関・工作隊)」。同少佐は、昭和19(1944)年7月31日未明、河口に近いロンベバイ湖(Danau Rombebai)の北東端に浮かぶヤピナ島(Pulau Yapina)で、連合軍の水艇基地奇襲作戦の中、敵の銃弾に斃れた。サルミに拠点を置いた第36師団の戦闘史において、連合国軍を蹴散らした、数少ない武勇伝として伝わる奇襲攻撃。しかし、その戦いで、鰐工作隊は、隊長以下三名を失った。

中野学校実験隊教官として“に号部隊”の水中訓練中の日高少佐(『鰐部隊とパプア人マンドル』徳野明著・昭和45年8月15日、今日の話題社発行より引用)


昭和18(1943)年2月のガダルカナル島からの撤退、そして4月の山本五十六連合艦隊司令長官の戦死、さらには翌月のアッツ島の玉砕。一方、東部ニューギニア方面では、連合軍の西進が顕著になり、日本軍は苦戦を強いられていた。その頃、陸軍参謀本部内には、密かに「に号部隊」構想が誕生していた。南方諸地域における劣勢を挽回するためには、遊撃戦にかけるしかない、との考えが軍指導部をして、秘密遊撃戦士としての幹部要員の養成を急がせた。

そして、全陸軍から、戦歴のある優秀な将校、下士官が選抜され、中野学校別班に集められた。こうして「に号部隊」の特殊要員は、中野学校の実験隊が指導した。小松原大佐をトップに、皆廻、日高、谷口、上野、小林の各少佐が教官となり、横井曹長をはじめ下士官十数名が助教を務めた。“挺身遊撃戦士”を養成する訓練は、夏から秋にかけて六ヵ月間続いた。そして戦況のさらなる悪化に伴い、日高少佐も西部ニューギニアの第二軍司令部情報部付として、急遽派遣を命ぜられた。

陸士第50期卒、陸軍中野学校・2甲卒の日高岩男少佐については、宮崎県の、今日の日南市城下町飫肥(おび)出身であること以外、詳細を知るすべがなかった。しかし、ブログ記事が公開されると、徐々に親族に関する情報が断片的にではあるが、入ってくるようになった。ある情報曰く「日高少佐には妻がいて、一人息子もいた。その息子さんはすでに他界し、奥さまが田野町に暮らしている」と。

また、別情報は「日高岩男少佐は六人兄弟の長男で、末っ子の女性を除いて、全員が亡くなっている。末っ子は岩男さんの二回り下の年齢。日高家のお墓は飫肥にある」とも。日高岩男さんの戦死を受けて、妻は後に、陸士では日高さんの先輩にあたるT氏と再婚する。T氏も宮崎県の出身だ。そしてこの再婚で生まれた少なくとも二人の子供がいる。一人は息子ですでに故人。そしてその妻は宮崎県に在住している。そして、もう一人は千葉県習志野市に暮らす娘。

さて、日高少佐のお墓が見つかった、ロンベバイ湖一帯は、現在、国際石油資本のスーパーメジャーの一つである、米国テキサスに本社を置くエクソンモービル(Exxon Mobil Corporation)が、石油探索の権利を有し、開発の槌音が高らかに響き渡っている。しかしながら、日高少佐のお墓があるヤピナ島は、同島の所有村が管理しており、保全されている状態とのことだ。一方、墓の存在情報をもたらしてくれたレオン・ギルバース・サヨリ(Leon Gilberth Sayori・38歳)氏は、「石油開発に伴って入域規制が強化される前に、現地調査を速やかに行うべきだ」と、筆者に求めてきている。近く、調査は始まる。


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陸軍中野学校本校校舎(昭和53年3月10日、中野校友会発行『陸軍中野学校』より引用)

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日高岩男少佐(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

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ヤピナ島の日高岩男少佐の埋葬地を指さすレオン・サヨリ氏。2015年5月24日撮影。

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昭和18年10月、ニューギニアへ出発前の日高大尉(当時・右)と徳野軍曹(当時・左)。日高大尉は19年3月少佐に進級、徳野軍曹は18年12月曹長に進級。画像は徳野明氏著の『鰐部隊とパプア人マンドル』から引用
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ヤピナ島攻撃略図(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

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徳野明氏が描いたヤピナ島スケッチ画。『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

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ヤピナ島遠景。『雪第三十六師団戦誌』より引用。小泉雅氏提供とある。

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マンベラーモ川からロンベバイ湖に入る。遠方の丘の手前にヤピナ島が浮かぶ(2015年5月24日、レオン氏撮影)

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参考ブログ

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(5) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201607/article_20.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(4) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201605/article_3.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(3) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201605/article_2.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(2) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201605/article_1.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か? Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201604/article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36 ロンベバイ湖
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_8.html

PAMIC=パミック=アジア太平洋戦争行方不明者情報センター設立
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201512/article_31.html

西部ニューギアから新たな旧日本兵の遺骨情報が Nasib Tentara Dai Nippon
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201412/article_17.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201411/article_16.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_29.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_25.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_24.html
西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_10.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_8.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵、そして生き続ける三八歩兵銃
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201409/article_26.html
「大東亜戦争」関連ブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html

参考動画


新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea
https://youtu.be/FzKN7LNQVug


太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/mTifvX_dI7A

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