再録 鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か? Mayor Iwao Hidaka

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72年前の昭和19(1944)年7月31日未明。西部ニューギニアの大河マンベラーモ川(Sungai Mamberamo)の河口に近いロンベバイ湖(Danau Rombebai)。東西約20km、南北約10kmの淡水湖。北に向かって流れるマンベラモ川。河口まではおよそ40kmの地点。川から水が湖に流れ込み、そして細い水路を経て、再びマンベラーモ川へ流出している。前日の夕刻、日高岩男少佐以下、選ばれた16名から成る「鰐工作隊(鰐部隊)」が、同湖の東北端に浮かぶ小さなヤピナ島へ向け、鰐工作隊前進基地を発った。この湖南岸を進むチームが南方攻撃隊。そして湖北岸からは、「神工作隊(神部隊)」の新穂智少佐率いる北方攻撃隊がヤピナ島へ向かった。両隊によるヤピナ島の連合軍水上基地奇襲作戦は、8月1日午前二時実施、と約束されていた。

ヤピナ島の日高岩男少佐の埋葬地

しかし、同島の守備状況などを勘案して、日高少佐は、「鰐工作隊」のみによる奇襲を決断。7月31日未明の攻撃を敢行した。結果は、日高少佐以下3名の戦死。1名の行方不明者。このヤピナ島奇襲攻撃については、日高少佐に同行した“懐刀”的存在であった徳野明曹長が戦後著した『鰐部隊とパプア人マンドル』(昭和45年8月15日、今日の話題社発行)に詳しい。日高少佐、そして徳野明曹長は共に陸軍中野学校卒業の“秘密戦士”であった。また、北方攻撃隊の新穂智少佐は、同校の第一期卒業生でもあった。このヤピナ島奇襲攻撃は、サルミに司令部を置いた第36師団の戦史の中でも、唯一連合軍部隊を“撃退”した快挙として語られることもある。

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日高岩男少佐(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

さて、『鰐部隊とパプア人マンドル』の中で、徳野明氏は、上官である日高少佐の遺体発見から埋葬に至る過程について詳述している。それによれば、日高少佐は額に二発、心臓のど真ん中に三発、さらに腹部に八発の敵弾を受けていたという。軍服からは陸軍少佐の襟章がもぎ取られた状態だった。というのも、米軍は、夜明けに第二緊急救助隊所属の、愛称カタリナ(Catalina)の飛行艇(PBY)による救出作戦を実施し、計10名(内7名負傷)の連合軍兵士を救助した。この際、鰐部隊の一員で、胸部貫通銃創を負い人事不省に陥った小泉雅少尉も同時にカタリナに乗せられた。小泉少尉は、豪州のブリスベンの海軍病院に収容され手術を受け、九死に一生を得て、戦後の昭和21年2月末、在留邦人数千名と共に、シドニー港を発ち、同年3月下旬、浦賀港に帰還した。青山学院大学英文科を卒業した同氏は、英語の通訳として鰐部隊に配属され、その語学力が故に、連合軍に救助された、と生前筆者に語っていた。

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ヤピナ島攻撃略図(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

なぜ今号で日高少佐に触れるのか?それは、なんとヤピナ島で最近、日高少佐の埋葬場所が確認できたからだ。インドネシア文化宮(GBI)は、現在、関係各方面を通じて、日高岩男少佐のご遺族を探している。しかし、残念ながら未だその手がかりをつかめていない。『鰐部隊とパプア人マンドル』に収録された、元第二軍情報参謀だった了戒次男氏の「日高隊長を思う」によれば、日高少佐は陸軍士官学校の第50期生で、宮崎県の高千穂出身とされる。歩兵第37連隊で任官し、後に陸軍中野学校に甲種(2甲)学生として学び、卒業後は選ばれて同校教官となっている。


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参考ブログ

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36 ロンベバイ湖
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_8.html

西部ニューギアから新たな旧日本兵の遺骨情報が Nasib Tentara Dai Nippon
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201412/article_17.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201411/article_16.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_29.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_25.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_24.html
西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_10.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_8.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵、そして生き続ける三八歩兵銃
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201409/article_26.html
「大東亜戦争」関連ブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html

参考動画


新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea
https://youtu.be/FzKN7LNQVug


太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/mTifvX_dI7A

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