フローレス島中部を旅する(3) Kab. Manggarai, Pulau Flores

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40年も昔の話だが、筆者が初めてインドネシアの地を踏んだ時、最初に出会った人物は、フローレス島、そしてティモール島出身者だった。今のNTT(東ヌサトゥンガラ)州が包括するエリアだ。一人は、今日のマンガライ(Manggarai)県の県都ルーテン(Ruteng)出身で教育者。フローレス人の彼は首都ジャカルタで、NTT出身者として初めて私立の高等学校(商業高校・SMEA)を創設した。そして、もう一人は西ティモールの王家の末裔で、有力新聞社のシニア記者だった。言い換えれば、インドネシア共和国を、東部インドネシアの文化接触から始めたことになる。
ルーテンで一番古いSt.Yosefカトリック教会と牧師のオンピ・ラスマ・ラトゥ(Rm Ompy Lasma Latu, Pr)さん

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敬虔なカトリック教徒だったルーテン生まれの高校校長は、今のインドネシアではめったに目にすることのない、厳しい父親像を持っていた。何度言っても言うことをきかない長男に鉄拳をくわえた。まさに、明治・大正生まれの日本の父親のように、古武士然とした教育哲学を有していた。お金よりも心、人のために働け---そう彼は子供たちに諭していた。一方、西ティモール生まれで『Harian Kami』紙のエリート記者だった彼は、その後、同紙の発禁処分という辛苦を舐め、やがて、インドネシアによる東ティモール軍事侵攻の先駆け役を引き受けざるを得なかった。彼も、敬虔なクリスチャンだった。
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ルーテン市街地
学生時代に、探検部の調査で訪れた西イリアン(今日のパプア州)。そこで、庭にテントを張らせてもらったり、交渉事にお付き合いいただいたりと、大変お世話になったユスフ・ジエム・アジッド(Yusuf Djem Adjid)さんは、ジャカルタの高校校長から紹介され、しかも同じルーテンの出身。西イリアン州(後のイリアンジャヤ州。今日のパプア州&西パプア州)の州議会議員を務める傍ら、自宅近くに私立の中学・高等学校を創設した。古くから、欧州出身のキリスト教宣教師が入り、特に教育分野に力を注いだフローレス島は、いわゆる知識人が多い。
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ルーテンの伝統・慣習ハウス
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そのルーテンを訪れた。標高1,250mの街は、涼しかった、寒かった。海岸レベルの熱帯の空気とは異なり、清涼で、ここがインドネシアかと思わせる別世界を演出している。伝統・慣習ハウス(Rumah Adat)がその昔を伝え、また建立100年の、元カテドラルの白い教会が、どことなく欧州の高原の街を彷彿させる。“クール・フローレス(Cool Flores)”。ルーテンと二つ右隣のンガダ県(Kab.Ngada)の県都バジャワ(Bajawa)。この二つの県都は、周辺に著名な観光スポットをたくさん有している。涼しさを求める旅。火山と温泉のフローレス島。インドネシアに避暑に行く日はそう遠くない。


【参考ブログ】

フローレス島中部を旅する(2) Manggarai Timur, Flores
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201308/article_27.html

フローレス島中部を旅する Ngada & Manggarai, Cool Flores
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201308/article_26.html


東ヌサトゥンガラ州フローレス&アロール島 Promotion Video Flores & Alor Islands
http://youtu.be/M0EZqVYBr2Y

東ヌサトゥンガラ州プロモーションビデオ Promotion Video NTT Province Indonesia
http://youtu.be/GuP7Qg1801g

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