再録『GBIニュース』2000.1.14【インタビュー】 作家ユディスティラ・ANM・マサルディ

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大川誠一のGBIニュース(2000年01月14日)(Berita GBI: 14 Jan.2000)
【インタビュー】 作家ユディスティラ・ANM・マサルディ
WWCR dgn Yudhistira ANM Massardi
『インドネシア語によって新たな世界に触れることができた』

2000.01.13号のGBIニュースは、『インドネシア人を生んだインドネシア語』について、ハサン・アルィ国立国語研究所所長とのインタビュー内容について報じた。今回は、インドネシア語を知ることで、極貧から脱し、独自のインドネシア文学を切り開いたユディスティラ・ANM・マサルディについてリポートする。ユディス(ユディスティラの愛称)の作品は、日本でも翻訳されている。「めこん」から出版されている『アルジュナは愛をもとめる』(1992年12月初版。原題はArjuna Mencari Cinta)と『アルジュナ、ドロップアウト』(1995年7月初版。原題はArjuna Drop Out)がそれだ。

1977年、『アルジュナは愛をもとめる』が首都ジャカルタを中心にベストセラーとなり、ユディスの名が一気に知れ渡る。しかし、その自由奔放な文体と、ワヤンに登場するヒーローたちの偶像をことごとく打ち砕こうとするユディスの姿勢は、世の大人達の大反発を招き、同作品の映画化にあたっては、情報省の強い規制を受けた。

ユディスは、1983年5月より翌年の3月まで(途中、83年11月~84年1月は訪米)、国際交流基金の招待で滞日し、主に京都に暮らし、その時の体験を踏まえて、アルジュナ・シリーズの第三作となる『アルジュナの結婚(原題はArjuna Wiwahahaha...!)』を1984年に出版した。それ以前ユディスはニュース誌『TEMPO』に勤め(1979-1981)、主に「人物」欄を担当していた。筆者も1981年より同誌の東京特派員となった関係から、来日したユディスは、京都から毎晩のように電話をかけてきた。というのも、アルジュナの第三作目の構想に頭を痛めていて、日本を舞台に描くことまでは決まっていたが、どのようにインドネシアのアルジュナを日本で登板させるか悩んでいたのだった。

1983年の夏、東京に出てきたユディスを富士登山に誘った。当時、『TEMPO』誌の特集ページに富士山をテーマに長編リポートを書き始めていた筆者は、現場主義から、高校時代に登ったことのある霊峰富士にもう一度チャレンジしてみようと思っていた。登山経験がないにも関わらず、誘いにユディスは乗ってきた。山梨県の河口湖側から登り、静岡県の三島へ降りてきた。8合目辺りだっただろうか、ユディスは軽い高山病に襲われた。暗くなってから到着した頂上。インスタントラーメンの夕食。

二人とも多少頭痛を訴えていたことを思い出す。そのためか眠れなかった。そこで、持参してあった富士に関する資料を紐解き、ユディスに対して即席の富士山講義を開帳した。日本書紀そして古事記の記述から、富士山と木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)との関係、そして同姫とニニギ命との関係などについて説明した。富士山のすそ野がかつて鎌倉時代の巻き狩りの場所であったこと、そして今は自衛隊の訓練場があること、そして青木ヶ原が自殺で有名であることなど、富士山を取り巻く歴史と諸々について解説した。

下山の途中でユディスが言った。「そうだアルジュナを富士山で登板させよう。かぐや姫の話も使っちゃおう!」と。後に、富士山頂の"講義"は『アルジュナの結婚』に大いに反映された。以下のインタビューは1997年5月29日、後にスハルト7選の基盤となった97年総選挙の当日、ジャカルタ郊外のユディスティラの自宅で行ったものである。


なんでもインドネシア語は路上で覚えたというのが世間の噂ですが?

もちろん国語であるインドネシア語は、学校で勉強しました。でもジョグジャカルタで中学生だったころ、貧しさ故に路上の新聞売りとなって、そこでタダで新聞や雑誌を読むことができたことが、後に作家としての肥やしになったことは事実だね。売れない日などは、ガソリンスタンドの脇に座って、興味ある記事があった場合などは、一日中読んでいたこともあった。新聞と雑誌から学んだ知識量は言葉では言い表せないほどだ。今、ジャカルタの路上で新聞売りの少年らを見ると、昔の僕を思いだして辛くなる。悲しい。彼らの中から僕のように後に物書きになれる人間がどれほどいようか。今は競争相手が多すぎる時代だ。ジョグジャカルタのスディルマン通りやソロ通りでは、売り子の競争相手も少なく、いわんや双子の兄弟で売り子をしていたので、同情もあったのか、僕ら(注:双子の兄はノルカ・マサルディ=Noorca Marendra Massardiで、映画評論、エディターなどとして活躍中)は人気者の売り子だった。あの頃新聞売りをしていなかったら今日の僕はないね。僕は小さい頃からスンダ語とジャワ語はできましたが、インドネシア語は僕にとって外国語だった。スンダ語とジャワ語はスンダ文学、ジャワ文学に触れる接点となりました。しかしインドネシア語を知ってからは、世界が急に広がりました。言い換えればより広い世界への橋となったのがインドネシア語だったのです。この言葉でサバンからメラウケまで、インドネシア各地の文化を知ることができたのです。でもね、今、家で僕がジャワ語を話すと、子供らは「パパ、何言ってるの?」と怒るんですよ。ジャカルタに暮らす子供らにとって、学校で勉強しているスンダ語も外国語のようですね(笑い)。ちょうど僕にとってその昔インドネシア語が外国語だったように。

確か、お父さんは自転車の修理屋さんを営んでいましたね。読書などは父の影響もあったのですか?

全然!小さい頃、父は僕らに自転車の修理を覚えるように強制したけれども、隠れて色々な本を読んでいた。もちろん貧しい家計を助けるというのが第一の目的だったけれども、僕らは家の手伝いよりも新聞売りの方が楽しかった。

ユディスティラというと、一般的には極貧の少年がペン一本でインドネシアン・ドリームを実現した、と言われますよね?

貧しさは嫌だった。食べられない日も多かった。スバン(注:西ジャワ)で小学生だった時からすでに働いていた。仕事は女中さんみたいなもので、他人の家で、掃除や言いつけられる仕事をこなしていた。何よりも、家が確保できて、食べ物にありつけたことが嬉しかった。中学生の頃の新聞売りの利益は、やっと昼飯がたべられるほどのものだった。新聞は当時一部50ルピアで、一部につき確か5ルピアぐらいだったから。平均して一日に50ルピアの利益、今で言えば一日、500ルピアといったところか。紙で包んだ簡単なご飯が食べられる金額だった。また、高校1年生の時は、総合病院で受付係もやりました。1973年、ノルカと共にジャカルタへ出てきてからも貧しさの連続だった。サリナ・デパートの近くにあるケボン・カチャン付近に駐車中の乗用車の中で寝泊まりしていました。鍵のかかっていない車を見つけてね。でもその内に、高級車の所有者が、人が中で寝ていれば夜間の駐車がより安全だということで、寝泊まりを許してくれるんだよ。僕なんか、メルセデスベンツがジャカルタの家だった(笑い)。でもね、魚を積んだ車で寝泊まりしたり、蚊の軍団に襲われながら眠ったり、と辛かったことも数知れないね。ちょうど2年間ぐらいの路上生活だった。

で、どのような過程で路上生活から脱することができたのですか?

その頃、ジャカルタの知事はアリ・サディキン氏で(GBIニュース:1998.08.21号参照)、彼が渡り鳥青年(Remaja Burungan)と呼ばれた、僕らのような浮浪者の若者たちが集まれる場所を作り、そこではスポーツをしたり、文学に触れたり、踊りを習ったり、音楽活動等々、多彩な活動ができたのです。そこで僕はたくさんの友人ができました。その集団は機関誌も発行していて、それを売ることでお小遣いも手に入りました。その頃、色々な新聞や雑誌が、若者文学の欄を持っていて、そこに投稿して掲載されればお金がもらえたので、僕らは競って書きました。

最初に原稿料をもらったのはいつ頃のことですか?

確か中学校の1年か2年生の頃だったと記憶してますが。当時ジャカルタで発行されていた『ワルタ・ハリアン(Warta Harian)』という名の新聞で、その日曜版に、僕が書いた『僕は君を愛している(Aku cinta padamu)』という題の短編が掲載されたのが最初です。間違いでなければ、原稿料は250ルピアで、3回お昼ご飯を食べればなくなる程度の金額でした。

ユディスの職歴・転職歴もすごいですね?

まず、1976-1978年、『Lelaki(男)』という名の若者向け週刊誌の編集長として勤めました。その雑誌は倒産してしまいましたが。初めて給与というものを手にしたのです。その雑誌はTeguh S.Hが創刊したもので、彼が編集長、そして兄のノルカも同時に働きました。でもノルカは、恋人(Rayni)がフランスのパリへ行くことになり、付いていき、あっちでジャーナリズムを勉強したのです。そしてパリで結婚してしまった。次いで、『アルジュナ愛をもとめて』の爆発的ヒットのおかげでしょうか、当時の最有力誌『TEMPO』に誘われ、1979-1981の間、人物欄を担当する記者になりました。でもね、3年やってみて、もう十分だと感じて辞めました。1983年5月から翌年3月まで、途中アメリカへも行きましたが、日本に滞在し、知っての通り、そこで『アルジュナの結婚』を仕上げたのです。1985年2月は結婚ですね。それから1985-1987は、兄のノルカと共に、写真雑誌『Jakarta-Jakarta』の創刊と運営。次いで1987年から1991年まで、ニュース誌『Editor』で編集記者、そして1992-1993が雑誌『Humor』の編集部。1993年5月から1年半ほど、テレビ局『Indosiar』で、スーパーバイザーの職。それから、1994年10月からは、ニュース誌『GATRA』の編集委員。(注:2000年1月現在は『GATRA』誌を発行するPT. Era Media Informasi社の総務担当代表)。

こう言っては失礼かもしれませんが、ユディスもある意味では、スハルトの新秩序(Orde Baru)と共に、貧困から脱して豊かになったと言えますね?

それは否定できない事実でしょう。スカルノの旧秩序(Orde Lama)時代の貧困から逃れたという意味では。といってもスハルトに感謝と言うことではなくて、神様に感謝、そういった方がいいかも。メディア産業を渡り歩いてきたのは、経済的必要性と同時に、僕を必要とするメディアがあったということかな。

インドネシア文学に話を戻しますが、スンダ語でもジャワ語でもなく、インドネシア語という視点から見た場合、どのような感想を持ってますか?

インドネシアでは、西スマトラのミナン文化からインドネシア文化が生まれてきたと思ってます。西欧指向で開放的な空気に包まれた文化です。古い慣習や地方文化にとらわれない考え方です。しかし、地方文学者たちの、新たなものを取り入れる姿勢と地方独自の文化が混じり合って、新たな世界が誕生したのです。近代インドネシア文学は、地方文化の根っこからの脱却をはかったばかりに、とても西欧的なものになってしまった。そしてその結果、外国文学と競争することができなくなってしまった。従って、原点に帰ろうとする傾向が生まれた。一方、僕の場合で言えば、僕は文学を通じてジャワの封建主義から逃れようとした。別の言い方をすれば、ジャワ化ではなくて、インドネシア化を試みたわけです。一つのインドネシアという観念を強化しようと考えたのです。しかし、今や再び地方文化への回帰が始まっている。地方文化のユニーク性が、今やグローバルなマーケットの中で、セールスポイントとなってきている。しかし政治的に見れば、このエスニック精神は地域民族主義そのものです。今や文化戦争が起きていると言っても過言ではありません。特に結婚式にそれが如実に現れています。金持ちのミナン人の結婚式を見てご覧なさい。すべての村人を招待しますよ。バリ人の結婚式もそうで、お金を湯水のごとく使います。地方文化を競い合うかのような光景が見られます。スハルトの三男、トミーの結婚式もそうでした。非常にジャワ封建主義に色彩が強い式典でした。僕はこういった傾向が統一インドネシアへの脅威にならないかと心配です。地方間で憎悪と嫉妬を煽ってはいないかと。地方出身の大金持ちは、今や好んで出身地の家屋をジャカルタへ運んで組み立てています。多くのSuku(種族・民族)が経済力の向上と共に、そういったことをする。これは危険だと思います。

しかし、『アルジュナ愛をもとめて』以降、ユディスはメディアでの活躍とは裏腹に、新たな創作が見られませんね?

でも夢は、理想は持っていますよ。大作を書きたいとの。テーマは、まだ国家に対して負債を背負っている人物に焦点を当てた人間ドラマです。でも、いつ書き始めるのか、まだ着手していません。その一方で、映画監督をやってみたいと願っています。独自のスタイルでチャレンジしてみたい。黒澤明のような映画をね。テーマはまだ決めていませんが、なにか精神昂揚に繋がるような映画です。

日イ関係への期待は?

『アルジュナの結婚』に見られるように、日本とインドネシアには共通項がたくさんある。歴史、神話、王朝、そして宗教など。よって、これまでのような経済・貿易一辺倒のような関係だけではなくて、よりスピリチュアルな世界での結びつきを強化することが大切ではないかと考えています。しかし、時にエモーショナルな感情によって、ハーモニーが邪魔されることがあります。共通の土台がありながら、そのエモーショナルによって邪魔されている。日本人が持っているアジア諸国に対する優位性感情、僕はあると思うんだが、そのシンドロームがアジア諸国と日本との間に距離を作ってしまっている。一方、僕の目から見ても、日本人は欧米の人々や文化に対してある種の高い尊敬の念を持っている。その結果、欧米からは学ぼうとする。若い世代が変わって欲しいと思ってます。本当は日本にあるアジアセンターのような機関が、アジアの民族・文化を尊敬する入り口にならなければだめだ。しかし、まだ紹介の域を出ていない。一方、日本はもはや特別な文化ミッションをインドネシアへ送る必要はない。アニメ、ゲーム、コミック、そして車から家電まで、ありとあらゆる日本文化がここでは溢れている。日本文化は日本製品を通じてよく知れ渡っているのです。日本は、里親のようになって、アジア文化を世界へどう売り込んだらいいのか努力するような立場になってもらいたい。例えば、アジアの映画を世界へ売るとか。商業ベースで一向に構わない。音楽についてもそうだ。どんどんいいものを発掘したらいい。


【プロフィール】

Yudhistira ANM Massardi。1954年2月28日、西ジャワのスバンで、ノルカ(Noorca Marendara Massardi)と双子の兄弟として生まれる。12人兄弟(内2人は幼児で死亡)。中学1年生の時、両親の離婚に伴い、10人の兄弟は母と暮らす。1985年2月に結婚したApriska Hendriyany(1967年4月3日生まれ)との間に2男、1女。2300万ルピアで購入したジャカルタ郊外の自宅には、中庭におもちゃの山。子煩悩だ。身長170cm、体重71kg、血液型A。ジャワ人。イスラム教徒。好きな言葉は『Tidak Bisa(できない)』と『Nanti(後で)』。「インドネシア人ほど、この二つの言葉を頻繁に使う民族はいないだろう。インドネシア人の性格を見事に表現している」とか。
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ジャカルタの自宅で。
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2006年5月、ユディスティラ一家が来日、インドネシア文化宮を訪れた。

参考ブログ

GBIニュース
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再録『GBIニュース』1999.10.31【グス・ドゥ―ル政権分析】(No.1)
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再録『GBIニュース』1999.10.30【グス・ドゥ―ル政権閣僚名簿】(No.3)
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再録『GBIニュース』1999.10.29【グス・ドゥ―ル政権閣僚名簿】(No.2)
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再録『GBIニュース』1999.10.28【グス・ドゥ―ル政権閣僚名簿】(No.1)
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再録『GBIニュース』1999.7.19 【インタビュー】エミー・ハフィルドWALHI代表
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再録『GBIニュース』1999.7.15 【インタビュー】 ヌルディン・プルノモPBI党首
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再録『GBIニュース』1999.7.12 【インタビュー】 マトリPKB(民族覚醒党)党首
1ttp://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201202/article_27.html
再録『GBIニュース』1999.7.11 【インタビュー】 B.J.ハビビ大統領と単独会見
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http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201202/article_1.html
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http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_31.html
再録『GBIニュース』1999.6.27 【刑務所】 日曜日のチピナン刑務所
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_30.html
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再録『GBIニュース』1999.6.25 【紙幣】5万ルピア紙幣に秘められた重大な事実とは?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_24.html
再録『GBIニュース』1999.6.24 【インタビュー】 アリ・アラタス外相
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_23.html
再録『GBIニュース』1999.6.23 画家ハルディのモデルがアルマーニのモデルへと華麗な変身
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_21.html
再録『GBIニュース』1999.6.22#3知られざるアリー・スミットの名画に触れる
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_20.html
再録『GBIニュース』1999.6.22#2 【写真展】『インドネシア・歴史の中の芸術家たち』
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_18.html
再録『GBIニュース』1999.6.22 バリ島ウブドゥのコマネカ・ファイン・アート・ギャラリー
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_17.html
再録『GBIニュース』1999.6.21【トッペン】GBIがバリ島最高峰のトッペン(仮面)を東京へ
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_16.html
再録『GBIニュース』1999.6.20 【会見】スリ・スルタン・ハメンクブォノ10世
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_15.html
再録『GBIニュース』1999.6.19 【会見】イフラスル・アマールUGM(国立ガジャマダ大学学長
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_14.html
再録『GBIニュース』1999.6.17#2 【インタビュー】 シャルワン・ハミッド内務大臣
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_11.html
再録『GBIニュース』1999.6.17#2 【インタビュー】 シャルワン・ハミッド内務大臣
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_11.html
再録『GBIニュース』1999.6.17 【インタビュー】 ウィラント国防治安相兼国軍司令官
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_9.html
再録『GBIニュース』1999.6.16 【インタビュー】ヘリー・コマール『GAMMA』誌編集長
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_8.html
再録『GBIニュース』1999.6.15【出版事情】 笑いでストレス解消! ユーモア本が氾濫
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_7.html
再録『GBIニュース』1999.6.14【総選挙&マスコミ】 GBI代表TVRI出演
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_6.html
再録『GBIニュース』1999.6.13#3【政治倫理】 PUSKAP(政治・政府倫理教育センター)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_5.html
再録『GBIニュース』1999.6.13#2 【人】 画家ハルディTVRIでゴルカル党を酷評。
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_4.html
再録『GBIニュース』1999.6.13 【総選挙】 UGM教授が開票最終結果を予想
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_18.html
再録『GBIニュース』1999.6.12 【映画】 新作『SRI』 月中旬ジャカルタと東京で初上映
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_17.html
再録『GBIニュース』1999.6.11 【インタビュー】 ジョニー・ルミンタン陸軍副参謀
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_15.html
再録『GBIニュース』1999.6.10 【インタビュー】 映画監督ガリン・ヌグロホ
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_14.html
再録『GBIニュース』1999.6.9 ハッジ・モハマド・スハルト前大統領
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_13.html
再録『GBIニュース』1999.6.8 女優クリスティン・ハキムさんと見た総選挙
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_12.html
再録『GBIニュース』1999.6.7 『漫画で学ぶ改革派の闘士アミン・ライス』
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_11.html
再録『GBIニュース』1999.6.5 インタビュー:女優のクリスティン・ハキムさん
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_10.html
再録『GBIニュース』1999.6.2 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_5.html
再録『GBIニュース』1999.5.30 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_3.html
再録『GBIニュース』1999.5.31#2 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_2.html
再録『GBIニュース』1999.5.30 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)~(1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_2.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201111/article_30.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201111/article_29.html
再録『GBIニュース』1999.5.18 【ヌサンタラ横断・メラウケからサバンまで】(7) ~(1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201111/article_27.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201111/article_26.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201111/article_25.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201111/article_23.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201111/article_22.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201111/article_21.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201111/article_20.html

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