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zoom RSS 京都産業大学「ふるさと論」講義感想文2Remaja Jepang & Perang Dunia II

<<   作成日時 : 2012/11/19 00:00   >>

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紅葉のピークにはあと数日かと思われる先々週の木曜日(2012.11.8)、京都・上賀茂の京都産業大学で教壇に立った。今年で五回目。一般教養枠の「ふるさと論」の講義。今年も昨年同様、『故郷としての祖国』を主テーマに据えた。今回は、9月に北マルク州のモロタイ島やハルマヘラ島を取材してきたこともあり、モロタイ島で1974年12月、戦後29年と4ヶ月後にジャングル内の潜伏地で救出された、台湾人元日本兵の中村輝夫氏(中国語名は李光輝)に関して話を始めた。次いで今もなお西部ニューギニア地域に“放置されたままの”旧日本軍将兵の遺骨の存在についても語った。

「ふるさと論」に適するテーマかどうか少しは悩んだが、杞憂に終わった。多くの受講生が「ふるさと」の定義に新たな視点を持った、とリポートを提出した。そして、驚きはしなかったが、少なくない若い学生たちが、戦争と言えば、原爆と東京大空襲などの日本国内で起きた“被害者”としての歴史認識であったことだ。

2012年11月。先の大戦終結から67年と3ヶ月。先の開戦からまもなく71年。世は、突然の衆議院解散と師走選挙で、新たな“日本”の行く末を探ろうとしている。厚労省発表のデータによれば、海外戦没者の数は約240万人。帰還した遺骨は約127万柱。未帰還遺骨の数は約113万。この内、海没遺骨の約30万を除くと残りは約83万柱。そして、相手国の事情で期間困難な遺骨がおよそ23万柱。つまり、今日、日本政府にその気さえあれば、祖国帰還が可能な遺骨が約60万柱。

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講義終了の数日後、京都産業大学から、受講生の感想文コピーが送られてきた。恐る恐る開封した。決して自信過剰な講師とは思っていない。批判・非難も相当数あるだろうな、と想像していた。しかし、それも杞憂だった。わずか90分のひとコマ、しかも一般教養の授業。これほどまでに感銘・感動した生徒らがいたとは。しかも、ある学生は「政府のお偉さんたちに、今日にこの講義を授けて欲しいと思いました」とまで書いた。

インドネシア文化宮のブログや動画サイトのYT(ユーチューブ)では、確かにインドネシアを舞台とした太平洋戦争の歴史に関して多くの記事をアップしている。それは、過去を引きずっているから今日があり、そして未来が展開するとの単純な確信からだ。中国や韓国、そして東南アジアの若者世代が、視点の違い、解釈の違いはあれこそ、過去の歴史を十分すぎるぐらい学んでいる中、日本ではどうか。歴史論争すらできない世代が増殖しているのが現実だ。


「戦時中は自分の国のために外国へ行き、そして戦後も日本へ戻ることができない。本当に理不尽で残酷な時代だったと思う。また、敵地で生まれた当時の人々のふるさととはどこなのだろう」

「宗教観や国家間の問題で日本兵の骨がそのままになっているそうですが、現地の人の言う通り、ほっといているように感じます。早く日本へ還してあげてほしいと思いました」

「(注:遺骨)調査することは何の問題もなく行うことができる。しかし、日本の政府はこのような事を行っていない。自分の祖国のために戦った人に対する扱いが難しい問題であるにせよ、酷いと思った」

「日本人は死体をそのままにしておくのか、という現地の人の問いを聞いた日本人はどう感じるのだろう、とても恥ずかしいことであるだろう。本当の意味で終戦していないんだと感じた」

「このたくさんの野放しにされている遺骨を回収し、少しでも多くの人の供養をしてあげることはできないものだろうかと思いました。今の自分が、こうして幸せな人生を歩めているのは、こういったたくさんの犠牲があったからなんだと、胸に刻み、今後の人生を歩んでいこうと思いました」

「生きて帰れることになった兵隊さんたちが、戦没した兵士の遺族のために、焼いたサンゴショウのかけらを遺骨に見立てて持ち帰ったという話を聞いて、そこまでしなければならない時代があったんだなと感じた。生きて帰ってこられた兵隊さんが責められるのは理不尽だと思った」

「今回のお話はいつもとは規模が違ってとても大きな世界を巻き込んだお話で、でもその中にある自分(中村さん)の故郷の話ということで、いつもとは異なる雰囲気なのを感じました。なぜそれなのに東日本大震災の未発見の人々の遺体は探され続けるのか?この話が一番印象に残っています」

「日本兵の物(骨や手榴弾)がこれだけ残されているのに靖国神社に魂が眠っているという雑な扱いは残念に思った。日本はこの国に赴いて発掘をしてちゃんと回収すべきだと思う」

「行く時は死にに行くようなものなのに賞賛されて、必死に生きて帰ってくれば非難されて、戦争中に外に出た人はどこにも居場所がないではないかと思いました」

「インドネシアの島やパプアニューギニアの島にはたくさんの日本人の遺骨がたくさん残っている。私はこの遺骨も私たちと同じ日本人として、ちゃんと日本へ帰還することが必要だと思うし、戦争の無惨さや恐れを感じることができた」

「かつて日本領であった台湾で生まれ、そこで日本の教育を受け、日本のために戦争に参加したが、終戦後、母国が中国領になっていて、いったい日本と中国のどちらが母国なのかという話にはハッとしてしまい、結局私にはどちらが適当なのか答えが出ませんでした」

「自分のふるさとを守るために戦った方々が死してなお、その骨がふるさとの祖国へ帰ることすら許されないという現実に、実は今も戦争は終わっていないのかもしれないと考えました。彼等が愛した本土に帰ることが出来ないのはさぞや浮かばれないことだろうと思います」

「私は、今回のふるさと論の授業を受けて、やはり人間は言い訳をせず、やらなければならないことはやり、人としての誠意を貫き、まっとうに生きていくことが大切だなと思いました」

「東部インドネシアには今でもかなり多くの遺骨が残っている事は初めて知りました。本当に数が多すぎてたくさんの時間がかかると思います。バラバラだし作業は大変だと思うけど、私にできる事が何かあるのではないかと考えさせられました」

「台湾に生まれた人の話が衝撃的でした。自分で陸軍に入って戦かおうと決意し、一生懸命戦ったのに、帰ってきた時に、国に残した妻子との再会で、妻は別の男性と結婚していた事実を知って、怒ってもしかたない気もしました。妻の行動は正しかったと思うし、私がその状況なら同じように別の男性と再婚していたでしょう。傷ついた心をいやしてくれる場所、人そのものがふるさとなのかも知れないと考えさせられました」

「いくつもの遺骸をみて現在でも戦争の跡が生々しく残っていることに衝撃を受けたし、現在こんなに残っていると思わなかったのにびっくりした。ふるさとに帰りたいはずの日本兵をはやく帰してあげてほしい」

「歴史上は戦争は終わりましたが、遺骨として外国で眠っている人やその関係の戦争は終わっていないことが分かりました。私の中で戦争への見方が大きく変わりました」

「ふるさとと考えて、自分の地元や田舎を想像するのが一般的だけど、ふるさとが無かったり、それが外国であったりする人もいるんだなと視野が広くなった」

「戦争は自分の家族やふるさとから切り離されるものだから絶対に今後あってはならないと思った。今、当たり前にふるさと日本で日常生活を過ごすことができていることが幸せだと思う」

「日本から戦線に行った人たちが生きていても死んでいても故郷である日本に帰ってくることを本人もまたその家族や周りの人たちも心から望んでいることだと学びました」

「祖国のために亡くなった兵隊さんが、インドネシアの島に置き去りにされていて、今日でも土の中に埋まっているという事実を初めて知った。国が命令し行った日本兵の遺骨なのに、なぜ日本という国は最後まで調べて家族の元に返してあげないのか。今回の授業では日本という国に対して何度も怒りがこみ上げてきた」

「ビデオでは実際にインドネシアに出かけて現地での遺骨の実情を教えてくれたので、かなり分かりやすかったし、とても身近に感じることができました。未だにこれほどの遺骨が放置されているということには本当に驚いた。一日も早く旧日本兵の遺骨が収集されて欲しい」

「戦争のことについて話を聞き、自分にも関わりのあることとして身にうけなければならないと思います。故郷として、祖国として、これからも日本が平和で安全な国であってほしいと心から願っています」

「日本の為に命を犠牲にした戦った人達の骨を回収する義務が政府にはあると思う。そうしないと戦没者も報われないし、遺族も遺骨が日本に戻ってくることを望んでいると思う。祖国である日本の政府がこのようないい加減な態度をとっていたら、この国に命を犠牲にしてまで守る価値があるのかと考える人たちが出てきても不思議ではないと思った」

「遺骨回収問題について学びました。今回、このことについて学ばなければ遺骨問題について考えることもなかったと思う。多くの人が、この問題について理解を深めることが大切だと思ったし、早く解決することが大切だと思った」

「ジャングルに数十年間も潜伏している人がいるなんて今日初めて聞いて驚きました。自分の国と思って帰ってきた国がまさか自分の国ではもうないと知った時の絶望感はものすごいものだと思います。今日の講演の内容はとても興味深いもので、聞いていて驚くことばかりでした。機会があったら自分で調べてみたり友達などに話してみたいと思います」

「戦争の悲惨さや兵士達の無念さが伝わってきた。一刻も早く政府は政府間で話し合って未帰還の戦没者をかえしてもらるよう交渉をして欲しいです」

「現実的に国家が動くことが難しいのはわからないことでもないが、当時指揮を執っていた責任を果たすのが、亡くなった方々とその家族たちへの当然の行為だと思う。祖国で骨を埋められない現実があるのを聞いてもどかしい気持ちだ」

「祖国とは一体何なんだろうという疑問が生まれてくる。祖国、故郷とは、生まれ育った土地またはいつでも帰ることができる場所であるが、戦争はそれさえも壊してしまうものなんだと思った。国は祖国の意味を十分に理解し、祖国を大事にすることが必要だと思った」

「日本という国は死んだ人をそのままにしておく国ですか?という言葉がとても心に残りました。今も大量の旧日本兵の遺骨が残っているということは分かっているのに、国がその遺骨を回収しようとしないのは、ふざけていると思います。せめて現地に慰霊碑を建てるべきだと思います」

「戦後67年経った今でも、日本に持って帰るべき遺骨が約60万あると知った時は衝撃的でした。一日でも早く日本兵の皆さんの遺骨を日本へ持ち帰ってきちんと供養し、兵士の皆さんが安らかな眠りにつける日が来てほしいです」

「歴史については知っているはずなのに、考えたことがありませんでした。まして、私の知らない歴史だってたくさんあります。それなのに、知っている歴史についてすら一方的にしかみていませんでした。もっといろいろな方面からものごとをみないといけないと思いました」

「インドネシアには日本兵の遺骨がたくさんあるというのを初めて知りました。それは日本人としても辛いことだし、現地のインドネシアの人々にとっても嫌なことだと思います。どうして日本政府は動かないのぁ、自分のふるさととして誇れるような適切な行動を取ってほしいです」

「ジャングルで住んでいた時の精神力の源には、絶対に祖国のみんなが待っているという思いが一番強かったと思う。本当に、中村さんは日本兵として誇らしく思いました」

「終戦から67年経った今でも遺骨が日本に戻らない人達がこんなにたくさんいるとは知らなかった。平和な時代に生まれたからこそ、戦争の恐さを知らなければいけないし、命の尊さをもっと認識しなければいけないなと思った」

「今日聞いた話は、自分も知らない話で驚がくする話がいくつもあり、そしてこれから先も頭のどこかで憶えておかなければならない話だと思った。次またこのような話を聞けるような機会があれば積極的に参加したいと思う」

「戦争は改めて怖いし、哀しいと感じた。今でも何百万という遺骨が世界各地に約70年間も置き去りにしている現実は本当に問題だと思った。早く、持って帰ることができるように、国が動けばいいのにと強く思った」

「いまだに日本政府がふみいっていない戦場跡地があるということを知っておどろきました。国のために戦っていた人たちへのあつかいがひどすぎると思いました。このような状況をもっと日本国民みんなに知ってもらいたいと思いました」

「祖国がすべて故郷とはかぎらないと今日知りました。兵を大切にする日本国家にならないといけないなと思います。そこで死んでいる日本兵の故郷は日本なんですから、絶対日本に帰ってきたいと思います。日本の国家は早くアメリカのようにしてくれないと、他国からの信頼も失うと思います」

「インドネシアの山々にたくさんある遺骨が、旧日本兵未帰戦没者の問題について語っているように思う。日本政府には遺骨を回収してもらいたいという気持ちになるが、冷静に考えると不可能であると思った。インドネシアで眠る旧日本兵の方たちは無念であったと思うので、現場でもいいのでしっかりと供養して欲しいと思った」

「今日の講義を聞いて、一番私が思ったことは、日本の事は戦争ぬきでは語れないし、今もなお戦争のなごりはアジア地域に根強く残っていると感じました。戦争で死んだ人の魂は靖国神社に本当にいくのかと思いました」

「私は最近、台湾の文化や食事に興味があり、長期休暇の時に訪ねてみたいなと思っていました。そんな矢先の今日のふるさと論で、日本が台湾を植民地にしていたことにとても驚きました。台湾についてもっと調べようと思いました」

「僕は故郷をとても愛しているし、日本という国が大好きである。絶対に京都に骨を埋めたいと思っている。故郷というふるさとは、中村さんのように命をかけてでも守りたいものであり、愛するべきものだと僕は思っている。日本へ還れない日本兵たちが残念で仕方がない。いろんなことを考えさせられた」

「海外では遺骨調査チームがあるのに、なぜ日本は派遣しないのか疑問に思います。戦争がおこなわれていた地域には旧日本兵の骨が普通に放置してあるということ、それは普通ではないと私は思います」

「今だに東南アジアなどに骨が残っているのを現地の人はしっているのだから、政府はもっと現地の人と協力してやる必要がある。これだけの数の日本兵が海外で亡くなっていることに驚き、その骨がほとんど現地にあることにもっと驚きました」

「海外で日本兵が亡くなったのは240万人いて、その約半分の遺骨しか返ってきていないというのは遺族からしたらとても悲しいことだと思いました。それらの問題をどのようにして解決していくかが日本政府にかかっていると思います」

「70年も経っても還れない日本兵。骨とは言えど故郷に還るに還れないとは非常につらいことだと思う。そして現地の人々は、日本は日本兵の骨を回収しにこないのが文化なのかという間にYESともNOとも言いきれない日本国家はどうかと思う」

「あれだけの数が海外にあり、」まだ見つかっていない旧日本兵の遺骨があり、生活ゴミと同じように捨ててある人骨があり、形もきれいにととのっていない人骨もあるけど、早く家族の元にも戻ったらいいと思いました」

「当時は名前を残すことなく集団埋葬されていたりと、当時の状況を感じ、靖国神社に名前を刻み、魂は日本へと戻っているという考え方には疑問を感じました」

「地元の人のおかげで場所はわかっているのになぜ日本は何もしないのだろうか。戦死した方たちも祖国で眠りたいのではないだろうか。他国の人が日本のために動いていてくれているのに、日本が何もしないのはとても残念だ」

「現に戦争で亡くなった約130万人の遺骨が日本に還ってきておらず、加えて海中で約30万人が亡くなったらしい。今回の講義は今までの講義の中で一番深く心に残った内容だった。人間にとっての故郷の大切さがわかった気がした」

「海外の村に日本兵の遺骨が置いたままにされていて、日本人が取りに来ないから向こうの人達が日本は遺骨をそのままに置いておく文化などと思われたそうです。遺骨を誰も取りに行かなかったらそう思われても仕方ないかなと思います」


西部ニューギニア・戦後ジャングルに放置されたままの旧日本兵の遺骨
http://youtu.be/VmhnJs3yok4

【参考ブログ&動画】


京都産業大学「ふるさと論」講義の感想文Remaja Jepang & Perang Dunia II
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201211/article_18.html
京都産業大学学生、玉砕のビアク島遺留品の故郷探しに着手
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201005/article_20.html
モロタイ島の中村輝夫さん潜伏地Lokasi Persembunyian Teruo Nakamura
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_20.html
戦後67年・西部ニューギニアに瞑る数万の将兵 Prajurit Jepang di Papua
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_15.html
戦後66年・西部ニューギニアに瞑る数万の将兵 Prajurit Jepang di Papua
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201108/article_14.html
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(7)〜(1) 第6飛行師団第14飛行団司令部
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_14.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_13.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_11.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_10.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_9.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_8.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_7.html
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(50)-(48) Bandara Dai Nippon(50)-(48) ジャヤプラJayapura
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_22.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_21.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_20.html
終戦から67年。「遺された戦時機密資料が語るもの」映画&講演 8/13〜18
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_4.html
12月4日(日) 映画「大本営最後の指令〜遺された戦時機密資料が語るもの」
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_4.html
『日本軍パプアの軌跡・Jejak Militer Jepang di Papua』が放送される
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_23.html
今夜放送! 『日本軍パプアの軌跡・Jejak Militer Jepang di Papua』
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_22.html
ドキュメンタリー映画『大本営最後の指令』 12月2日&4日東京・中野で上映会
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_14.html
日本とアジアの戦争記録映画と戦争体験者の声を聴く8月9〜13日(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201008/article_10.html
5月23日:ドキュメンタリー映画『語らずに死ねるか』&アチェ映画上映会(Film Aceh)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200905/article_20.html
深津信義氏が語る神機関と新穂智少佐8〜1 Nobuyoshi Fukatsu & Agent Kami
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_21.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_19.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_16.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_15.html
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http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_8.html
福井県鯖江市の川上政記さんを再訪 Kawakami & Perang Asia Timur Raya
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201109/article_13.html
東京新聞・中日新聞が報じる西部ニューギニアに放置された旧日本軍将兵の遺骨
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201108/article_23.html
戦後66年・西部ニューギニアに瞑る数万の将兵 Prajurit Jepang di Papua
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201108/article_14.html
新穂智少佐が残した『西部ニューギニア横断記』第3部 (37)〜(20) Mayor Satoru Niiho
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_25.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_23.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_22.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_21.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_19.html
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http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_8.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_6.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_5.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_4.html
西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村で歌い継がれる哀悼歌(歌詞付き動画)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_7.html
新穂智少佐が残した『西部ニューギニア横断記』第2部 (19)〜(11) Mayor Satoru Niiho
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_3.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_2.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_1.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_30.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_29.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_28.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_27.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_26.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_25.html
新穂智少佐が残した『西部ニューギニア横断記』第1部 (10)〜(1) Mayor Satoru Niiho
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_30.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_28.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_26.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_23.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_20.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_18.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_16.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_12.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_11.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_8.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201012/article_31.html
太平洋戦争開戦69年。西部ニューギニアに瞑る新穂智少佐が残した手記
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201012/article_9.html
テーマ「大東亜戦争」のブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html
テーマ「パプア州」のブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/42c3391253.html

【西部ニューギニア戦線関連動画】
Metro Files: Jejak Militer Jepang di Papua(日本軍パプアの軌跡)2011年10月 日「メトロTV放送」

深津信義氏が語る「神機関」と新穂智少佐(8)〜(1) Nobuyoshi Fukatsu & Agent Kami(God)

http://youtu.be/ySvwmGHRL2o
http://youtu.be/blDC_VpS-vU
http://youtu.be/mGXPjkfxevs
http://youtu.be/ZPzfJxMpsig
http://youtu.be/kbJ7CX3nwZk
http://youtu.be/_myKs8orENQ
http://youtu.be/qwFxM6Yw8cA
新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第5部」 (37)〜(33) Major Satoru Niiho's West New Guinea





新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第4部」 (32)〜(27) Major Satoru Niiho's West New Guinea






新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第3部」 (26)〜(20) Major Satoru Niiho's West New Guinea







新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第2部」 (19)〜(11) Major Satoru Niiho's West New Guinea









新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第1部」 (10)〜(1) Major Satoru Niiho's West New Guinea










西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 アブラハム氏の証言(3) 〜(1) Long March To Idore



西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 ワンマ氏の証言(6)〜(1) Long March To Idore






西部ニューギニア・ビントゥニからバボへ(2) 〜(1) Dari Bintuni ke Babo, Teluk Bintuni, Papua Barat


西部ニューギニア・旧日本軍バボ飛行場 Bandara Babo, Teluk Bintuni, Papua Barat

西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 エリー氏の証言(5) 〜(1) Long March To Idore





西部ニューギニア・ビントゥニからマノクワリへ(空撮) Bintuni ke Manokwari

西部ニューギニア・マノクワリからビントゥニへ(空撮) Manokwari ke Bintuni

西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 モミ村まで(7)〜(1)







西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 イドレ河(4)〜(1)




西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村で歌い継がれる哀悼歌&B


西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村に瞑る旧日本軍将兵


【マノクワリ→イドレ転進作戦関連動画】
西部ニューギニア戦線・川上政記マノクワリ〜イドレ転進作戦証言(1)〜(25)

http://www.youtube.com/watch?v=d2blHyTRmyE
http://www.youtube.com/watch?v=KAyrMkZRFNU
http://www.youtube.com/watch?v=EapaVBhmzaM
http://www.youtube.com/watch?v=kLW32VjG6T4
http://www.youtube.com/watch?v=Ze7W4Iq3ny8
http://www.youtube.com/watch?v=gSiri6ERU28
http://www.youtube.com/watch?v=2mEBU-mDzzg
http://www.youtube.com/watch?v=djgSHVICphk
http://www.youtube.com/watch?v=72hQRGMJkPE
http://www.youtube.com/watch?v=SkNpbKTNfz4
http://www.youtube.com/watch?v=vIXJdIVddYQ
http://www.youtube.com/watch?v=8SvrzGGlQa0
http://www.youtube.com/watch?v=BRIJ05oefYY
http://www.youtube.com/watch?v=nAZkJnrxgwA
http://www.youtube.com/watch?v=to5w3lk6Jns
http://www.youtube.com/watch?v=Dd3h20pTa7g
http://www.youtube.com/watch?v=pVPRRWYfnQg
http://www.youtube.com/watch?v=8dmvtGHAZOo
http://www.youtube.com/watch?v=E_8lLU6bQdM
http://www.youtube.com/watch?v=aCGK_0rKgUg
http://www.youtube.com/watch?v=jbP5K59_2r0
http://www.youtube.com/watch?v=7KAcyA8anA8
http://www.youtube.com/watch?v=jRgImrYLys8
http://www.youtube.com/watch?v=_o1Jx9OOlzo
西部ニューギニア戦線・遠藤定夫マノクワリ〜イドレ転進作戦証言(1)〜(16)

http://www.youtube.com/watch?v=Ceo6Xc_NmmM
http://www.youtube.com/watch?v=TSpEw_jyXW8
http://www.youtube.com/watch?v=Sv8O68Mvnuc
http://www.youtube.com/watch?v=ePbMrZE1J5s
http://www.youtube.com/watch?v=ArLt0lPKY0I
http://www.youtube.com/watch?v=WUYIeSYsNCk
http://www.youtube.com/watch?v=NUWoGhIAm6A
http://www.youtube.com/watch?v=t9UbWD3tjos
http://www.youtube.com/watch?v=5s0cU6U7ALA
http://www.youtube.com/watch?v=9I4D550_HSg
http://www.youtube.com/watch?v=M8V7sZXMN04
http://www.youtube.com/watch?v=pNU-toVWNic
http://www.youtube.com/watch?v=zFj48AqOVmI
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奈良県・神武天皇陵&石舞台 Makam Kaisar Jimmu & Panggung Batu
{%映画館(movie)hdeco%}京都産業大学での講義(2012年11月8日)を機会に、日本史“オタク”の筆者は飛鳥の里を訪ねた。教科書で「石舞台」のモノクロ写真を見たのは遠い昔の事だ。インドネシア誌『TEMPO』の特集記事を書くために『日本書紀』や『古事記』を何度も何度も読み返した日々が懐かしい。もう30年も前のことか。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/24 22:45

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京都産業大学「ふるさと論」講義感想文2Remaja Jepang & Perang Dunia II インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)/BIGLOBEウェブリブログ
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