インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)

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zoom RSS 東部インドネシアの旧日本軍建設の飛行場 Bandara Kuabang-Kao(2)

<<   作成日時 : 2012/10/09 00:00   >>

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インドネシア文化宮(GBI)のブログは、2008年12月〜2009年12月の一年間、『東部インドネシアの旧日本軍航空基地(Bandara Dai Nippon)』と題するシリーズものを計110本掲載した。初号は、2008年12月2日掲載の『東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon)バボ』、そして最終号は2009年12月31日掲載の『東部インドネシアの旧日本軍航空基地(110) Bandara DaiNippon(110)ボルネオ島』。

北マルク州北ハルマヘラ県カオ(カウ)のクアバン空港

そして2009年6月4日号で、西パプア州ビントゥニ湾県のバボで“活き続けている”旧日本軍飛行場について、現地取材ビデオを公開した。滑走路上を移動し、その全体像を映像化することは、許認可面で容易ではない。しかし、幸運にも去る2012年9月のハルマヘラ島取材で、旧日本軍が建設し、今日現在ローカル空港として活きつづけている二つの飛行場をくまなく取材する機会を得た。

その第二弾として、北マルク州(Provinsi Maluku Utara)北ハルマヘラ県(Kabupaten Halmahera Utara)のカオ(カウ・Kao, Kaoe, Kau)にあるクアバン(Kuabang) 空港の様子を紹介する。現在は長さ1,400m、幅30mの滑走路を有し、北スラウェシ州の州都マナドから週2便の双発機が就航している。

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滑走路脇に残る海軍ピスト(コンクリート半地下式戦闘指揮所)

日本帝国海軍のカオ進出は昭和18(1943)年11月。第26特別根拠地隊(司令官は横川市平海軍少将・後昭和19年5月以降、一瀬信一海軍中将)。直ちに第4南遣艦隊所属の海軍第224設営隊(大津敏春技術大尉)や第102海軍施設部などの手で飛行場建設に着手した。さらに、後日派遣された海軍203設営隊(岩下久哉技術少佐)の部隊も加わり、海軍関連施設の設定にあたった。海軍兵力は約5,000名だったといわれる。最終的には並行する滑走路を計2個(第1カオ飛行場&第2カオ飛行場)を造成した。現在、クアバン空港として利用されている滑走路は元第2カオ飛行場。

カオ(カウ)飛行場を使用した海軍航空隊は、『ハルマヘラ戦記』(ハルマヘラ戦記編纂委員会・昭和51年11月10日発行)によれば、以下の通り。第261航空隊や第265航空隊(共に零式艦上戦闘機)、第521航空隊(銀河)、第523航空隊(彗星)、第761航空隊(一式陸上攻撃機)、第202航空隊(零式艦上戦闘機)第301航空隊(零式艦上戦闘機)、第503航空隊(彗星)、第732航空隊(一式陸上攻撃機)、第753航空隊(元高雄海軍航空隊・一式陸上攻撃機)。これらの航空部隊は、カオ飛行場の対岸に陸軍が設定したワシレ飛行場(ハテタバコ飛行場&ロロバタ飛行場)なども利用した。

また、カオ飛行場の南西海岸のマリフットには第27魚雷調整班(大友大尉)が配置され、特殊潜航艇の甲標的一隻(HA-58)がが置かれたが、部品不揃いのため使用されることはなかった。



旧日本軍が建設したハルマヘラ島カオ飛行場(日本語字幕付き)Bandara Kuabang-Kao
http://youtu.be/D7amE1OzqY4


今も活きる旧日本軍が建設したハルマヘラ島のカオ飛行場(インドネシア語) Bandara Kuabang-Kao
http://youtu.be/VKhm6clkDSk

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昭和18年11月23日撮影のカオ(カウ)飛行場(『ハルマヘラ戦記』より引用)

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カオ(カウ)飛行場の滑走路

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カオ(カウ)飛行場の滑走路北方に今も残る4基の旧日本海軍の高角砲。これらは大山中尉率いる大山隊が設置した12cm高角砲と思われる。

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旧日本軍が建設したハルマヘラ島ガレラ飛行場(日本語字幕付き)Bandara Gamarmalamo
http://youtu.be/ttKNhU5Yqko


今も活きる旧日本軍が建設したハルマヘラ島ガレラ飛行場(インドネシア語) Bandara Gamarmalamo
http://youtu.be/FdNALXlS4AU

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ガマールマラモ空港の滑走路&ターミナル
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西部ニューギニア・旧日本軍バボ飛行場 Bandara Babo, Papua Barat
http://youtu.be/ICrE0cVENWI

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西パプア州ビントゥニ湾県のバボ飛行場滑走路

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バボ飛行場に残るオランダ時代のローラー

西部ニューギニア・旧日本軍バボ飛行場 Bandara Babo, Papua Barat
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_4.html

【参考ブログ】

東部インドネシアの旧日本軍建設の飛行場 Bandara Gamar Malamo-Galela
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/

テーマ「大東亜戦争」のブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html

西部ニューギニア・旧日本軍バボ飛行場 Bandara Babo, Papua Barat
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(83) Bandara Dai Nippon(83)モロタイ島
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_26.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(82) Bandara Dai Nippon(82)モロタイ島
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_25.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(81) Bandara Dai Nippon(81)ハルマラ島
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_24.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(80) Bandara Dai Nippon(80)ハルマヘラ島(Halmahera)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_23.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(79) Bandara Dai Nippon(79)ハルマヘラ島(Halmahera)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(78) Bandara Dai Nippon(78)ハルマヘラ島(Halmahera)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(77) Bandara Dai Nippon(77)ハルマヘラ島(Halmahera)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(76) Bandara Dai Nippon(76)ハルマヘラ島(Halmahera)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_19.html

海軍第202設営隊(8)〜(1) 小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_19.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_18.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_14.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_12.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_11.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_10.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_6.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_5.html

海軍第202設営隊絵日記(8)〜(1) 小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_2.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_1.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_29.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_27.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_26.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_25.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_23.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_21.html
海軍第202設営隊(小林光雄氏の絵日記証言)Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_2.html

海軍第202設営隊(11)〜(1) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_8.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_5.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_4.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_1.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200910/article_29.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200910/article_24.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200910/article_22.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200910/article_15.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200910/article_14.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200910/article_13.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200910/article_12.html
『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(6) 武内満多男
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200910/article_10.html

【参考動画】


海軍第202設営隊(1)〜(8)小林光雄の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://www.youtube.com/watch?v=EyhcuR9MPvw
http://www.youtube.com/watch?v=awM4wIv2HIk
http://www.youtube.com/watch?v=_o7fQp1uK-Y
http://www.youtube.com/watch?v=YsR1oICbBe8
http://www.youtube.com/watch?v=ZbX3s7wBG5M
http://www.youtube.com/watch?v=DnVt6YDttfU
http://www.youtube.com/watch?v=jSgYPKYH59w
http://www.youtube.com/watch?v=A3mB2sy3iZE


海軍第202設営隊絵日記(1)〜(8)小林光雄の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://youtu.be/A3mB2sy3iZE
http://youtu.be/Joda3Zew_zM
http://youtu.be/fiEGLr_USWc
http://youtu.be/j8ojKRfy-v0
http://youtu.be/t_UYWRvYstQ
http://youtu.be/YYDZpNZeAW4
http://youtu.be/RAzdBgMuADc
http://youtu.be/VdLJeH9TBD0
海軍第202設営隊(12)小林光雄の証言・絵日記Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://youtu.be/2Xx51KJ7kRw


海軍第202設営隊 武内満多男の証言(1)〜(11) Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://youtu.be/-2w_kzm7v70
http://youtu.be/kgpm82LfgEI
http://youtu.be/aefWhuPv0PA
http://youtu.be/EtA_hmidzMs
http://youtu.be/uo24qnU1p4I
http://youtu.be/A3DnfK-AkNY
http://youtu.be/oWpUJqBHxbU
http://youtu.be/SH2IhMDiBjw
http://youtu.be/422klBRv5dY
http://youtu.be/XYLtSiziE6k
http://youtu.be/awDt1Effd1M

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東部インドネシアの旧日本軍建設の飛行場 Bandara Kuabang-Kao(3)
{%空港(ユラユラ)hdeco%}インドネシア文化宮(GBI)のブログは、2008年12月〜2009年12月の一年間、『東部インドネシアの旧日本軍航空基地(Bandara Dai Nippon)』と題するシリーズものを計110本掲載した。初号は、2008年12月2日掲載の『東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon)バボ』、そして最終号は2009年12月31日掲載の『東部インドネシアの旧日本軍航空基地(110) Bandara DaiNippon(110... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/09 21:11
ハルマヘラ島&モロタイ島に日本軍が秘匿した300トンの金塊?Emas Halmahera
{%映画館(movie)hdeco%}東部インドネシアのハルマヘラ島。ここは太平洋戦争時、西部ニューギニアやアンボン、スンダ海などの、いわゆる豪北方面に駐屯する日本軍に対する一大補給基地であった。海軍第26特別根拠地隊(司令官は横川市平海軍少将、後に一瀬信一海軍中将)、陸軍第32師団(楓兵団・石井嘉穂中将)、第一野戦根拠地隊(武田壽少将)などが司令部を置いた。島の北方に浮かぶモロタイ島では上陸した連合軍との間で死闘が繰り返された。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/10 22:49
モロタイ島県都ダルバからワヤブラ村へDari Daruba ke Wayabula, Morotai
{%映画館(movie)hdeco%}道路距離でおよそ58km。モロタイ島の中西部海岸に位置するワヤブラ(Wayabula)村は、戦前(オランダ時代)・戦中(日本軍進駐・連合軍占拠)を通じて、行政の中心地だった。戦前には、「拓南の父」こと秋田県出身の日本人・江川俊治氏が拓いた江川農場(ハルマヘラ島のカオ/カウに大きな農園を所有していた)のモロタイ農園があり、渡辺勝蔵氏が農園主任として赴任していた。渡辺氏の、同村出身の奥方は当地一番の美人との誉れが高く、今でも村の語り草になっている。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/12 00:39
モロタイ島ワヤブラ村長老フセン氏が語るモロタイ島の戦いHusen & Perang Morotai
{%映画館(movie)hdeco%}道路距離でおよそ58km。モロタイ島の中西部海岸に位置するワヤブラ(Wayabula)村は、戦前(オランダ時代)・戦中(日本軍進駐・連合軍占拠)を通じて、行政の中心地だった。戦前には、「拓南の父」こと秋田県出身の日本人・江川俊治が拓いた江川農場(ハルマヘラ島のカオ/カウに大きな農園を所有していた)のモロタイ農園があり、渡辺勝蔵氏が農園主任として赴任していた。渡辺氏の、同村出身の奥方は当地一番の美人との誉れが高く、今でも村の語り草になっている。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/12 20:08
モロタイ島ワヤブラ村フセン氏が語るモロタイ島の戦い2 Husen & Perang Morotai
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州モロタイ島。中西部に浮かぶラウ島の向かい側、本島のワヤブラ村の最長老フセン・バクリ(Husen Bakri)さん。来る11月25日、満80歳を迎える。2012年9月11日、ワヤブラの自宅で筆者のインタビューに応じてくれた。ワヤブラの“少年”が見た大東亜戦争、殊にモロタイ戦について語ってもらった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/13 22:58
モロタイ島ワヤブラ村フセン氏が語るモロタイ島の戦い3 Husen & Perang Morotai
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州モロタイ島。中西部に浮かぶラウ島の向かい側、本島のワヤブラ村の最長老フセン・バクリ(Husen Bakri)さん。来る11月25日、満80歳を迎える。2012年9月11日、ワヤブラの自宅で筆者のインタビューに応じてくれた。ワヤブラの“少年”が見た大東亜戦争、殊にモロタイ戦について語ってもらった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/14 21:39
モロタイ島の中村輝夫さん潜伏地Lokasi Persembunyian Teruo Nakamura
{%映画館(movie)hdeco%}今から38年前の1974年12月18日、モロタイ島(Pulau Morotai)の山中で“発見”された台湾人(高砂義勇隊)元日本兵の中村輝夫さん。陸軍第32師団(石井嘉穂中将)隷下の歩兵第221連隊(守田義輝大佐→大内競大佐)傘下の第二遊撃隊(川島威伸少佐)の歩兵一等兵として、昭和19(1944)年5月28日、故郷台湾の高雄港を出発。同年7月5日、ハルマヘラ(Pulau Halmahera)上陸、8月7日、モロタイ島上陸。中村さんは当時24歳。68... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/20 21:12
モロタイ島で戦争を"掘る"若者たち Museum Pemerhati Perang Dunia II
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州モロタイ島。県都のダルバに若者たちが運営する民間ミニ博物館がある。名称は「第二次世界大戦考察博物館(Swadaya Museum Pemerhati Perang Dunia Kedua)」。創設は2010年1月2日。リーダーのムフリス・エソ(Muhlis Eso)さん(32歳)とその仲間たちは、それ以前十数年にわたって独自に、かつての戦闘地域に残る遺留品を収集し続けてきた。やがて小さな民営博物館を設立。どこからも資金援助を受けない、孤軍... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/21 19:34
モロタイ島で戦争を"掘る"若者2 Museum Pemerhati Perang Dunia II
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州モロタイ島。県都のダルバに若者たちが運営する民間ミニ博物館がある。名称は「第二次世界大戦考察博物館(Swadaya Museum Pemerhati Perang Dunia Kedua)」。創設は2010年1月2日。リーダーのムフリス・エソ(Muhlis Eso)さん(32歳)とその仲間たちは、それ以前十数年にわたって独自に、かつての戦闘地域に残る遺留品を収集し続けてきた。やがて小さな民営博物館を設立。どこからも資金援助を受けない、孤軍... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/23 21:39
モロタイ島で戦争を"掘る"若者3 Museum Pemerhati Perang Dunia II
{%映画館(movie)hdeco%}「一月五日の連隊の転進開始は、四〇高地へ進出した私と服部少佐(注:第32師団隷下の歩兵第211連隊の第1大隊長だった服部寛威少佐。昭和20年5月23日、モロタイ島北西部のリバノで戦死)との、短時間の協議の後、直ちに行動に移された。既に少佐は、独自に所要の準備を進めていた。連隊の惨状の一端として、重傷のため歩行できない兵が、一歩でも本隊に近づこうとしていざりつつ、部隊の後を追う姿が強く私の眼底に焼きついている。果敢な攻撃を決行して、連隊主力の離脱を可... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/24 20:22
テルナテ島からモロタイ島へ Penerbangan dari Ternate ke Morotai
{%映画館(movie)hdeco%}2012年9月10日、Express Airの双発プロペラ機で、テルナテ島のスルタン・バブラ空港(Bandara Sultan Babullah)を発って、モロタイ島のレオ・ワティメナ空港(Bandara Wattimena)へ。ハルマヘラ島を眼下に、搭乗時間はわずか20分。モロタイ島のレオ空港は、かつて戦時中に連合国軍が造ったピトゥ空港を引き継いだもので、滑走路の長さは2,400mもあり、中型ジェット機の就航も可能だ。一方、出発地のテルナテの... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/25 23:17
モロタイ島からハルマヘラ島へ船旅 Dari Morotai ke Halmahera
{%映画館(movie)hdeco%}2012年9月12日、「Sail Morotai 2012」の式典クライマックス(9/15)を控えるモロタイ島の喧騒を後に、ハルマヘラ島へのフェリーに乗った。目指すは北ハルマヘラ県の県都トベロ(Tobelo)。かつて太平洋戦争時代、ハルマヘラ島とモロタイ島防衛の任務を背負った陸軍第32師団が司令部を置いた街だ。 {%上昇webry%}北ハルマヘラ県の県都トベロ(Tobelo)のフェリー港。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/26 20:22
北ハルマヘラ県の県都トベロの街並み Tobelo, Halmahera Utara
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州(Provinsi Maluku Utara)北ハルマヘラ県(Kabupaten Halmahera Utara)の県都トベロ(Tobelo)。北マルク州ではテルナテに次ぐ規模の市だ。トベロの北西にはガレラに飛行場があり、南のカオにも飛行場がある。前者はテルナテから、後者は北スラウェシ州のマナドとの間に定期航空路を持つ。双方、かつて大東亜戦争・太平洋戦争時代に、日本軍が建設した滑走路を再利用したものである。 戦時中、トベロには陸軍第32... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/28 22:09
北マルク州モロタイ島県の県都ダルバの街並み Daruba, Morotai
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州(Provinsi Maluku Utara)モロタイ島県(Kabupaten Pulau Morotai)の県都ダルバ(Daruba)。かつて太平洋戦争時代、“モロタイ島の戦い”の舞台となった。日本軍は500人足らずの遊撃隊。そこに4万の連合国軍が押し寄せた。短期間でピトゥ(Pitu)とワマ(Wama)の二つの飛行場を造成。そこは、フィリピン攻略作戦の出発点となった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/29 22:20
北マルク州モロタイ島県の県都ダルバの街並み(2) Daruba, Morotai
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州(Provinsi Maluku Utara)モロタイ島県(Kabupaten Pulau Morotai)の県都ダルバ(Daruba)。かつて太平洋戦争時代、“モロタイ島の戦い”の舞台となった。日本軍は500人足らずの遊撃隊。そこに4万の連合国軍が押し寄せた。短期間でピトゥ(Pitu)とワマ(Wama)の二つの飛行場を造成。そこは、フィリピン攻略作戦の出発点となった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/30 20:17
北ハルマヘラ県トベロからガレラへ Dari Tobelo ke Galela, Halmahera
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州の北ハルマヘラ県(Kabupaten Halmahera Utara)の県都トベロ(Tobelo)から北西に位置するガレラ(Galela)へ向かう。トベロは戦時中、日本陸軍の第32師団の司令部が置かれた場所。一方、ガレラは陸軍が飛行場を建設した地点。その飛行場は、現在ガマール・マラモ空港(Bandara Gamar Malamo)として活き続けている。同県には、もう一つ、日本軍(海軍)が設定した飛行場がある。それは、トベロの南に位置す... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/01 01:30
北ハルマヘラ県トベロからカオへ Dari Tobelo ke Kao, Halmahera
{%映画館(movie)hdeco%}県都トベロ(Tobelo)から南に約63kmに位置するカオ(カウ・KaoもしくはKau)へ向かう。トベロは戦時中、日本陸軍の第32師団が司令部を置いた。そしてカオには日本海軍が二本の滑走路を建設した。その内の一本は現在、クアバン(Kuabang)空港として利用されている。北スラウェシ州の州都マナドと双発プロペラ機が結んでいる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/05 15:02
北マルク州ハルマヘラ島からテルナテ島へ Dari Sofifi ke Ternate
{%映画館(movie)hdeco%}2012年9月15日、ハルマヘラ島のソフィフィ(Sofifi。北マルク州の州都)からフェリーでテルナテ島へ渡った。テルナテ島は取材時点で北マルク州の実質的州都。フェリーの船旅はおよそ1時間強。左にティドレ島の高峰を望み、北方に西ハルマヘラ県(Kabupaten Halmahera Barat)の中心地ジャイロロ(Jailolo)方面を見る。ジャイロロには戦時中、日本軍が二本の滑走路を建設した。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/06 22:45
北マルク州テルナテ島周遊(3) Keliling Pulau Ternate(3)
{%映画館(movie)hdeco%}インドネシア東北部の北マルク州。大小の島嶼から構成され、1999年、当時のマルク州の北部地域が分離して生まれた。ハルマヘラ島やモロタイ島、オビラ島、バチャン島、タリアブ島、マンゴリ島、カシルタ島、そしてテルナテ島やティドレ島などが主な島。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/15 21:16
北マルク州テルナテ王宮 Keraton Kesultanan Ternate
{%映画館(movie)hdeco%}新州庁舎が完成はしているが、ハルマヘラ島のソフィフィへの移転が進まないため、北マルク州の実質的姑であるテルナテ島のテルナテ市。ここには13世紀半ばから続くテルナテ王宮がある。現在第48代目のDrs. Haji Mudaffar Syah(Mudaffar II)。観光客にも公開されている同宮を侍従長のムハマッド・サレ(Muhammad Saleh)氏(78歳)に案内していただいた。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/19 23:07
北マルク州テルナテ島の要塞跡(1) Benteng Tolukko, Ternate
{%映画館(movie)hdeco%}大航海時代、インドネシアの東部海域は、次々と香料を求めるヨーロッパ列強の進出を受けた。いわゆる香料貿易、香料諸島。ポルトガルが、スペインが、そしてイギリス、オランダなどがやってきた。現インドネシアを欧州社会と結びつけた香料。現インドネシアの数世紀に渡るオランダによる植民地支配。丁子を、胡椒を、ナツメグ等を求めて来航した欧州人に跪いた。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/20 21:58
北マルク州テルナテ島の要塞跡(2) Benteng Tolukko, Ternate
{%映画館(movie)hdeco%}大航海時代、インドネシアの東部海域は、次々と香料を求めるヨーロッパ列強の進出を受けた。いわゆる香料貿易、香料諸島。ポルトガルが、スペインが、そしてイギリス、オランダなどがやってきた。現インドネシアを欧州社会と結びつけた香料。現インドネシアの数世紀に渡るオランダによる植民地支配。丁子を、胡椒を、ナツメグ等を求めて来航した欧州人に跪いた。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/21 22:02
ハルマヘラ島の「ハルマヘイラ島生活」 Pulau Halmahera Doelu & Kini
{%ハイビスカス(ヒラヒラ)hdeco%}ハルマヘラ島(Pulau Halmahera)やモロタイ島(Pulau Morotai)に関して、2012年9月の現地取材をベースに何本かの記事をアップした。それらは主に戦時中の日本軍に関する内容だ。戦記や戦史分野では、同地域は西部ニューギニア地域などと比べて、生還者による記録が充実している。言い換えれば、それだけ生還者が多かったことを意味する。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/26 22:59
ハルマヘラ島の「ハルマヘイラ島生活」2 Pulau Halmahera Doelu & Kini
{%ハイビスカス(ヒラヒラ)hdeco%}昨日に続き、江川俊治著『ハルマヘイラ島生活』(初版:大正10(1921)年6月28日発行・南洋協会刊)に見る、90年前のハルマヘラ島事情に触れてみたい。実は、去る9月のハルマヘラ島とモロタイ島の取材中、モロタイ島中西部西岸のワヤブラ村(Desa Wayabula)で、80歳代の老人たちが「EGAWA(エガワ)」の名前を頻繁に口にしていた。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/28 00:18
ハルマヘラ島の「ハルマヘイラ島生活」3 Pulau Halmahera Doelu & Kini
{%ハイビスカス(ヒラヒラ)hdeco%}江川俊治著『ハルマヘイラ島生活』(初版:大正10(1921)年6月28日発行・南洋協会刊)が、巻末の附録で記した「ハルマヘイラ島事情」は、90年前に日本人がどのよにハルマヘラ島を記録・描写していたかを知る稀有な資料だ。さほど労苦なしで入手できる資料の範囲では、江川俊治氏のプロフィールを網羅しているものはない。ご存知の方がいたら、是非ともお知恵を拝借したい。以下は、同書の序文として、柳田國男氏が江川氏を評した文章の一部。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/28 21:36
サルミからダンケン&ブファレ村へ(1) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/11/28 20:20
サルミからダンケン&ブファレ村へ(2) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/11/29 17:40
サルミからダンケン&ブファレ村へ(3) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/11/30 17:32
サルミからダンケン&ブファレ村へ(4) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/01 19:06
サルミからダンケン&ブファレ村へ(5) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/02 19:14
サルミからダンケン&ブファレ村へ(6) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/03 19:34
サルミからダンケン&ブファレ村へ(7) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/04 19:04
サルミからダンケン&ブファレ村へ(8) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/05 20:52
サルミからダンケン&ブファレ村へ(9) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/06 19:44
サルミからダンケン&ブファレ村へ(10) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/07 18:06
サルミからダンケン&ブファレ村へ(11) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/08 18:37
サルミからダンケン&ブファレ村へ(12) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/09 18:12
サルミからダンケン&ブファレ村へ(13) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/11 00:28

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東部インドネシアの旧日本軍建設の飛行場 Bandara Kuabang-Kao(2) インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)/BIGLOBEウェブリブログ
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