インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)

アクセスカウンタ

zoom RSS モロタイ島ワヤブラ村長老フセン氏が語るモロタイ島の戦いHusen & Perang Morotai

<<   作成日時 : 2012/10/13 00:00   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 37 / コメント 0

画像

道路距離でおよそ58km。モロタイ島の中西部海岸に位置するワヤブラ(Wayabula)村は、戦前(オランダ時代)・戦中(日本軍進駐・連合軍占拠)を通じて、行政の中心地だった。戦前には、「拓南の父」こと秋田県出身の日本人・江川俊治が拓いた江川農場(ハルマヘラ島のカオ/カウに大きな農園を所有していた)のモロタイ農園があり、渡辺勝蔵氏が農園主任として赴任していた。渡辺氏の、同村出身の奥方は当地一番の美人との誉れが高く、今でも村の語り草になっている。

開戦後、ワヤブラには第8野戦憲兵隊分遣隊(山口辰五郎准尉)が置かれ、連合軍がモロタイ島に上陸(昭和19年9月15日)すると、ハルマヘラ島所在の第32師団は、敵前上陸部隊を、斬り込み部隊として、ワヤブラを含む数か所に送り込んだ。現在、同島の行政の中心地は南端のダルバに置かれている。

画像


ダルバから車でおよそ2.5〜3時間。ほとんどが未舗装で、椰子の木製の“丸木橋”も多い。しかし、ワヤブラ村近くにはアスファルト製造工場も立ち上がり、遠くない将来、完全舗装されると聞く。クリスチャンそしてイスラム教徒は、地区を分けて住んでいる。ワヤブラ村に埋められていた日本軍将兵の遺骨は、昭和49(1974)年11〜12月に厚生省のモロタイ島収骨団が派遣され、計124柱(内ワヤブラ地区87柱)の祖国帰還を実現した。

ワヤブラ村の最長老フセン・バクリ(Husen Bakri)さん。来る11月25日、満80歳を迎えるフセンさんが、2012年9月11日、ワヤブラの自宅で筆者のインタビューに応じてくれた。ワヤブラの“少年”が見た大東亜戦争、殊にモロタイ戦について語ってもらった。


モロタイ島ワヤブラの長老フセン氏が語るモロタイ島の戦い WWCR dgn Husen Bakri ttg Perang Morotai
http://youtu.be/KQhBr9N6Z50

東部インドネシアのハルマヘラ島。ここは太平洋戦争時、西部ニューギニアやアンボン、スンダ海などの、いわゆる豪北方面に駐屯する日本軍に対する一大補給基地であった。西部ニューギニア方面へ送られる将兵らの、いわばトランジットの地でもあった。制海・制空権を連合軍に握られ、同方面にいる本部隊を追及できずに、ハルマヘラ島に留まざるを得なかった部隊も少なくない。しかし、それがため、たとえ飢餓地獄を見るものの、玉砕を免れ、戦後祖国へ復員できた将兵も多い。

海軍第26特別根拠地隊(一瀬信一海軍中将)、陸軍第32師団(石井嘉穂中将)、第一野戦根拠地隊(武田壽少将)などが司令部を置いた。島の北方に浮かぶモロタイ島では、昭和19(1944)年9月15日に上陸した連合軍との間で死闘が繰り返された。台湾出身の高砂民族で構成された第二遊撃隊(川島威伸少佐)の奮闘ぶりは、モロタイ戦史に特筆されている。

画像


モロタイ島の中西部海岸に位置するワヤブラ村(Desa Wayabula)は、戦前オランダ時代、モロタイ島の行政の中心地だった。フセンさんは、日本軍が上陸した時、11〜12歳で、日本軍が開いた小学校で学んだ経験を持つ。実の兄は、日本軍の兵補になった。村に進出していた憲兵隊(第32師団隷下の第8野戦憲兵隊(阿部起吉中佐)の分遣隊長であった山口辰五郎准尉(昭和19年10月13日、ワヤブラにおいて戦死)のこともよく覚えている。

ワヤブラへの日本軍進出のクロノジカルな史料は限られているが、概ね以下のようだ。昭和17(1942)年4月ごろ、日本帝国海軍の陸戦隊がテルナテ(Ternate)を含め、ハルマヘラ島、モロタイ島、そして西部ニューギニア地域までを占領した。東部インドネシアは元来、海軍の管轄地域であり、海軍民政が敷かれた。

一方、陸軍部はハルマヘラを濠北地域の補給基地の中核と決定し、昭和18(1943)年6月17日、第三船舶輸送司令部々員の白木久雄中佐(船舶工兵)率いる春島(注:日本軍はハルマヘラのハルを用いて春島と呼んだ)基地設定隊が昭南(シンガポール)を出発、ハルマヘラへ向かった。そして、この白木隊が、後に一大基地となるワシレ(Wasile)に桟橋並びに宿舎を作った。

その後、ガレラ(Galel)やミチ(Miti)島に飛行場が建設され、後に、合計13個もの飛行場がハルマヘラ&モロタイ地区に設定される先駆けとなった。ガレラには昭和18(1943)年9月、第一飛行場が概成、続いて第二飛行場の設定も始まった。一方、ミチ島の飛行場は10月末に概成。

画像


画像


昭和19(1944)年9月15日、モロタイ島最南端に上陸した連合軍。


画像


昭和18(1943)年11月、ワシレに第一野戦根拠地隊が設置され、同時期、カウ(カオ・Kao)に海軍第26特別根拠地隊の設置が発令され、およそ5,000名の海軍将兵が進出。

陸軍主力部隊である第32師団は、昭和19(1944)年5月8日、ワシレ湾に到着、5月12日までに揚陸を完了。石井師団長の命令に基づき、モロタイ地区隊(守田義輝大佐率いる歩兵第211連隊[但し一コ大隊とニコ中隊欠])、野砲一コ大隊[砲6門]基幹)は、5月12日モロタイ島に上陸した。しかし、師団命令により、歩兵第211連隊主力は、ハルマヘラ本島の師団本部が置かれたトベロ地区の警戒にあたるため、第二遊撃隊の到着を待って、ハルマヘラ島へ移動。

7月12日、第二遊撃隊(総員484名)は在モロタイ島の第211連隊と交代すべく、モロタイ島へ進出。この際、第211連隊の約2コ中隊、師団通信隊の1コ分隊、ITL1コ分隊が第二遊撃隊長の指揮下に入った。さらに、モロタイ地区警戒隊(第211連隊)のハルマヘラ本島への配備変更後も、以下の部隊はモロタイ島に留まった。

それらは、第8野戦憲兵隊モロタイ地区分隊長(増田賢冶郎中尉)の指揮する23名で、本部を南部のゴタララモに置き、ワヤブラ、サンゴオ並びに北岸のソピに分遣隊を配置した。第8野戦憲兵隊は、すでに昭和19(1944)年2月9日には、満州からハルマヘラ島のワシレに到着しており、3月1日以降、モロタイ島に進出していた。つまり連合軍上陸のおよそ6か月前である。そして、ワヤブラには第8野戦憲兵隊分遣隊(山口辰五郎曹長)が配置されていた。



モロタイ島の県都ダルバからワヤブラ村へ Dari Daruba ke Wayabula, Pulau Morotai
http://youtu.be/WXn0yyZP0N0


画像


木陰でくつろぐワヤブラ村の女性たち。

画像


日本軍が設定したガレラ飛行場(昭和18年11月23日撮影。『ハルマヘラ戦記』(ハルマヘラ戦記編纂委員会・昭和51年11月10日発行)より引用)


画像


日本軍が設定したワシレのハテタバコ飛行場。第68戦隊の三式戦飛燕(昭和19年4月撮影。『ハルマヘラ戦記』より引用)


画像


連合軍によるモロタイ攻略戦概図

画像



Morotai.avi
http://youtu.be/_o2SlTb6cXM
Upload by mcb26101944(2012/02/24)
September 15, 1944
The taking of Morotai is happening today so lets get on with it and the best of luck on this small island on the way towards Japan. Intelligence suggests there are only about 300 enemy here so it shouldn't be too hard but you never know. These Japanese fighters don't give in easily.


ハルマヘラ島に眠る旧日本軍秘匿300トンの金塊 Emas batangan
http://youtu.be/7s15tkSXFxw

画像


モロタイ島で発見されたとされる“金塊”。

画像


昭和19(1944)年9月15日、連合軍がモロタイ島に上陸、直ちにワマ、ピトゥの両巨大飛行場を建設し、フィリピン攻略の航空ベースを確保した。

画像


【ハルマヘラ関連動画】


旧日本軍が建設したハルマヘラ島カオ飛行場(日本語)No.2 Bandara Kuabang-Kao
http://youtu.be/0Xr2IigmqP4


旧日本軍が建設したハルマヘラ島のカオ飛行場の今は(インドネシア語) Bandara Kuabang-Kao
http://youtu.be/6LffeuT9ZDM

画像

カオ南西のマリフットのソソール村海岸に座礁する日本軍輸送船

画像

北マルク州北ハルマヘラ県カオ(カウ)のクアバン空港

画像

昭和18年11月23日撮影のカオ(カウ)飛行場(『ハルマヘラ戦記』より引用)

画像

カオ(カウ)飛行場の滑走路

画像


カオ(カウ)飛行場の滑走路北方に今も残る4基の旧日本海軍の高角砲。これらは大山中尉率いる大山隊が設置した12cm高角砲と思われる。

画像



旧日本軍が建設したハルマヘラ島カオ飛行場(日本語字幕付き)Bandara Kuabang-Kao
http://youtu.be/D7amE1OzqY4


今も活きる旧日本軍が建設したハルマヘラ島のカオ飛行場(インドネシア語) Bandara Kuabang-Kao
http://youtu.be/VKhm6clkDSk


旧日本軍が建設したハルマヘラ島ガレラ飛行場(日本語字幕付き)Bandara Gamarmalamo
http://youtu.be/ttKNhU5Yqko


今も活きる旧日本軍が建設したハルマヘラ島ガレラ飛行場(インドネシア語) Bandara Gamarmalamo
http://youtu.be/FdNALXlS4AU

画像

ガマールマラモ空港の滑走路&ターミナル
画像



西部ニューギニア・旧日本軍バボ飛行場 Bandara Babo, Papua Barat
http://youtu.be/ICrE0cVENWI

画像

西パプア州ビントゥニ湾県のバボ飛行場滑走路

画像

バボ飛行場に残るオランダ時代のローラー

西部ニューギニア・旧日本軍バボ飛行場 Bandara Babo, Papua Barat
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_4.html

【参考ブログ】

モロタイ島県都ダルバからワヤブラ村へDari Daruba ke Wayabula, Morotai
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_11.html

ハルマヘラ島&モロタイ島に日本軍が秘匿した300トンの金塊?Emas Halmahera
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍建設の飛行場 Bandara Kuabang-Kao(3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍建設の飛行場 Bandara Kuabang-Kao(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍建設の飛行場 Bandara Gamar Malamo-Galela
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/

テーマ「大東亜戦争」のブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html

西部ニューギニア・旧日本軍バボ飛行場 Bandara Babo, Papua Barat
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(83) Bandara Dai Nippon(83)モロタイ島
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_26.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(82) Bandara Dai Nippon(82)モロタイ島
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_25.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(81) Bandara Dai Nippon(81)ハルマラ島
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_24.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(80) Bandara Dai Nippon(80)ハルマヘラ島(Halmahera)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_23.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(79) Bandara Dai Nippon(79)ハルマヘラ島(Halmahera)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(78) Bandara Dai Nippon(78)ハルマヘラ島(Halmahera)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(77) Bandara Dai Nippon(77)ハルマヘラ島(Halmahera)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(76) Bandara Dai Nippon(76)ハルマヘラ島(Halmahera)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200902/article_19.html

海軍第202設営隊(8)〜(1) 小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_19.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_18.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_14.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_12.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_11.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_10.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_6.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_5.html

海軍第202設営隊絵日記(8)〜(1) 小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_2.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200912/article_1.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_29.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_27.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_26.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_25.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_23.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_21.html
海軍第202設営隊(小林光雄氏の絵日記証言)Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_2.html

海軍第202設営隊(11)〜(1) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_8.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_5.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_4.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_1.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200910/article_29.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200910/article_24.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200910/article_22.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200910/article_15.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200910/article_14.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200910/article_13.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200910/article_12.html
『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(6) 武内満多男
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200910/article_10.html

【参考動画】


海軍第202設営隊(1)〜(8)小林光雄の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://www.youtube.com/watch?v=EyhcuR9MPvw
http://www.youtube.com/watch?v=awM4wIv2HIk
http://www.youtube.com/watch?v=_o7fQp1uK-Y
http://www.youtube.com/watch?v=YsR1oICbBe8
http://www.youtube.com/watch?v=ZbX3s7wBG5M
http://www.youtube.com/watch?v=DnVt6YDttfU
http://www.youtube.com/watch?v=jSgYPKYH59w
http://www.youtube.com/watch?v=A3mB2sy3iZE


海軍第202設営隊絵日記(1)〜(8)小林光雄の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://youtu.be/A3mB2sy3iZE
http://youtu.be/Joda3Zew_zM
http://youtu.be/fiEGLr_USWc
http://youtu.be/j8ojKRfy-v0
http://youtu.be/t_UYWRvYstQ
http://youtu.be/YYDZpNZeAW4
http://youtu.be/RAzdBgMuADc
http://youtu.be/VdLJeH9TBD0
海軍第202設営隊(12)小林光雄の証言・絵日記Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://youtu.be/2Xx51KJ7kRw


海軍第202設営隊 武内満多男の証言(1)〜(11) Pasukan 202 AL Dai Nippon
http://youtu.be/-2w_kzm7v70
http://youtu.be/kgpm82LfgEI
http://youtu.be/aefWhuPv0PA
http://youtu.be/EtA_hmidzMs
http://youtu.be/uo24qnU1p4I
http://youtu.be/A3DnfK-AkNY
http://youtu.be/oWpUJqBHxbU
http://youtu.be/SH2IhMDiBjw
http://youtu.be/422klBRv5dY
http://youtu.be/XYLtSiziE6k
http://youtu.be/awDt1Effd1M

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(37件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
モロタイ島ワヤブラ村フセン氏が語るモロタイ島の戦い2 Husen & Perang Morotai
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州モロタイ島。中西部に浮かぶラウ島の向かい側、本島のワヤブラ村の最長老フセン・バクリ(Husen Bakri)さん。来る11月25日、満80歳を迎える。2012年9月11日、ワヤブラの自宅で筆者のインタビューに応じてくれた。ワヤブラの“少年”が見た大東亜戦争、殊にモロタイ戦について語ってもらった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/13 22:58
モロタイ島ワヤブラ村フセン氏が語るモロタイ島の戦い3 Husen & Perang Morotai
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州モロタイ島。中西部に浮かぶラウ島の向かい側、本島のワヤブラ村の最長老フセン・バクリ(Husen Bakri)さん。来る11月25日、満80歳を迎える。2012年9月11日、ワヤブラの自宅で筆者のインタビューに応じてくれた。ワヤブラの“少年”が見た大東亜戦争、殊にモロタイ戦について語ってもらった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/14 21:39
モロタイ島の中村輝夫さん潜伏地Lokasi Persembunyian Teruo Nakamura
{%映画館(movie)hdeco%}今から38年前の1974年12月18日、モロタイ島(Pulau Morotai)の山中で“発見”された台湾人(高砂義勇隊)元日本兵の中村輝夫さん。陸軍第32師団(石井嘉穂中将)隷下の歩兵第221連隊(守田義輝大佐→大内競大佐)傘下の第二遊撃隊(川島威伸少佐)の歩兵一等兵として、昭和19(1944)年5月28日、故郷台湾の高雄港を出発。同年7月5日、ハルマヘラ(Pulau Halmahera)上陸、8月7日、モロタイ島上陸。中村さんは当時24歳。68... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/20 21:12
モロタイ島で戦争を"掘る"若者たち Museum Pemerhati Perang Dunia II
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州モロタイ島。県都のダルバに若者たちが運営する民間ミニ博物館がある。名称は「第二次世界大戦考察博物館(Swadaya Museum Pemerhati Perang Dunia Kedua)」。創設は2010年1月2日。リーダーのムフリス・エソ(Muhlis Eso)さん(32歳)とその仲間たちは、それ以前十数年にわたって独自に、かつての戦闘地域に残る遺留品を収集し続けてきた。やがて小さな民営博物館を設立。どこからも資金援助を受けない、孤軍... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/21 19:34
モロタイ島で戦争を"掘る"若者2 Museum Pemerhati Perang Dunia II
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州モロタイ島。県都のダルバに若者たちが運営する民間ミニ博物館がある。名称は「第二次世界大戦考察博物館(Swadaya Museum Pemerhati Perang Dunia Kedua)」。創設は2010年1月2日。リーダーのムフリス・エソ(Muhlis Eso)さん(32歳)とその仲間たちは、それ以前十数年にわたって独自に、かつての戦闘地域に残る遺留品を収集し続けてきた。やがて小さな民営博物館を設立。どこからも資金援助を受けない、孤軍... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/23 21:39
モロタイ島で戦争を"掘る"若者3 Museum Pemerhati Perang Dunia II
{%映画館(movie)hdeco%}「一月五日の連隊の転進開始は、四〇高地へ進出した私と服部少佐(注:第32師団隷下の歩兵第211連隊の第1大隊長だった服部寛威少佐。昭和20年5月23日、モロタイ島北西部のリバノで戦死)との、短時間の協議の後、直ちに行動に移された。既に少佐は、独自に所要の準備を進めていた。連隊の惨状の一端として、重傷のため歩行できない兵が、一歩でも本隊に近づこうとしていざりつつ、部隊の後を追う姿が強く私の眼底に焼きついている。果敢な攻撃を決行して、連隊主力の離脱を可... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/24 20:22
テルナテ島からモロタイ島へ Penerbangan dari Ternate ke Morotai
{%映画館(movie)hdeco%}2012年9月10日、Express Airの双発プロペラ機で、テルナテ島のスルタン・バブラ空港(Bandara Sultan Babullah)を発って、モロタイ島のレオ・ワティメナ空港(Bandara Wattimena)へ。ハルマヘラ島を眼下に、搭乗時間はわずか20分。モロタイ島のレオ空港は、かつて戦時中に連合国軍が造ったピトゥ空港を引き継いだもので、滑走路の長さは2,400mもあり、中型ジェット機の就航も可能だ。一方、出発地のテルナテの... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/25 23:17
モロタイ島からハルマヘラ島へ船旅 Dari Morotai ke Halmahera
{%映画館(movie)hdeco%}2012年9月12日、「Sail Morotai 2012」の式典クライマックス(9/15)を控えるモロタイ島の喧騒を後に、ハルマヘラ島へのフェリーに乗った。目指すは北ハルマヘラ県の県都トベロ(Tobelo)。かつて太平洋戦争時代、ハルマヘラ島とモロタイ島防衛の任務を背負った陸軍第32師団が司令部を置いた街だ。 {%上昇webry%}北ハルマヘラ県の県都トベロ(Tobelo)のフェリー港。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/26 20:22
北ハルマヘラ県の県都トベロの街並み Tobelo, Halmahera Utara
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州(Provinsi Maluku Utara)北ハルマヘラ県(Kabupaten Halmahera Utara)の県都トベロ(Tobelo)。北マルク州ではテルナテに次ぐ規模の市だ。トベロの北西にはガレラに飛行場があり、南のカオにも飛行場がある。前者はテルナテから、後者は北スラウェシ州のマナドとの間に定期航空路を持つ。双方、かつて大東亜戦争・太平洋戦争時代に、日本軍が建設した滑走路を再利用したものである。 戦時中、トベロには陸軍第32... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/28 22:09
北マルク州モロタイ島県の県都ダルバの街並み Daruba, Morotai
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州(Provinsi Maluku Utara)モロタイ島県(Kabupaten Pulau Morotai)の県都ダルバ(Daruba)。かつて太平洋戦争時代、“モロタイ島の戦い”の舞台となった。日本軍は500人足らずの遊撃隊。そこに4万の連合国軍が押し寄せた。短期間でピトゥ(Pitu)とワマ(Wama)の二つの飛行場を造成。そこは、フィリピン攻略作戦の出発点となった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/29 22:19
北マルク州モロタイ島県の県都ダルバの街並み(2) Daruba, Morotai
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州(Provinsi Maluku Utara)モロタイ島県(Kabupaten Pulau Morotai)の県都ダルバ(Daruba)。かつて太平洋戦争時代、“モロタイ島の戦い”の舞台となった。日本軍は500人足らずの遊撃隊。そこに4万の連合国軍が押し寄せた。短期間でピトゥ(Pitu)とワマ(Wama)の二つの飛行場を造成。そこは、フィリピン攻略作戦の出発点となった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/10/30 20:17
北ハルマヘラ県トベロからガレラへ Dari Tobelo ke Galela, Halmahera
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州の北ハルマヘラ県(Kabupaten Halmahera Utara)の県都トベロ(Tobelo)から北西に位置するガレラ(Galela)へ向かう。トベロは戦時中、日本陸軍の第32師団の司令部が置かれた場所。一方、ガレラは陸軍が飛行場を建設した地点。その飛行場は、現在ガマール・マラモ空港(Bandara Gamar Malamo)として活き続けている。同県には、もう一つ、日本軍(海軍)が設定した飛行場がある。それは、トベロの南に位置す... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/01 01:30
北ハルマヘラ県トベロからカオへ Dari Tobelo ke Kao, Halmahera
{%映画館(movie)hdeco%}県都トベロ(Tobelo)から南に約63kmに位置するカオ(カウ・KaoもしくはKau)へ向かう。トベロは戦時中、日本陸軍の第32師団が司令部を置いた。そしてカオには日本海軍が二本の滑走路を建設した。その内の一本は現在、クアバン(Kuabang)空港として利用されている。北スラウェシ州の州都マナドと双発プロペラ機が結んでいる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/05 15:02
北ハルマヘラ県カオから州都ソフィフィへ(1) Dari Kao ke Sofifi(1)
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州の北ハルマヘラ県(Kabupaten Halmahera Utara)のカオ(Kao)から州都のソフィフィへ向かう。カオ(もしくはカウ)は戦時中、日本海軍(第26特別根拠地隊)が二つの飛行場を建設した村。現在、その内の一本はクアバン(Kuabang)空港として利用されている。北スラウェシ州の州都マナドと双発プロペラ機が結んでいる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/05 16:31
北ハルマヘラ県カオから州都ソフィフィへ(2) Dari Kao ke Sofifi(2)
{%映画館(movie)hdeco%}北マルク州の北ハルマヘラ県(Kabupaten Halmahera Utara)のカオ(Kao)から州都のソフィフィへ向かう。カオ(もしくはカウ)は戦時中、日本海軍(第26特別根拠地隊)が二つの飛行場を建設した村。現在、その内の一本はクアバン(Kuabang)空港として利用されている。北スラウェシ州の州都マナドと双発プロペラ機が結んでいる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/05 17:18
北マルク州都ソフィフィから南ワシレ郡へ Dari Sofifi ke Wasile Selatan
{%映画館(movie)hdeco%}新州庁舎は完成したものの、行政機能の移転が遅れている北マルク州の州都ソフィフィ。テルナテ島からフェリーで一時間余りの近距離。K字型のハルマヘラ島の四つの半島部がくっつく、一番細い地峡近くに州都ソフィフィは位置する。太平洋戦争時代、日本軍はハルマヘラ島とモロタイ島に計11個もの飛行場を建設した。その内4飛行場は、現在でも空港として利用されている。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/05 18:29
北マルク州ハルマヘラ島からテルナテ島へ Dari Sofifi ke Ternate
{%映画館(movie)hdeco%}2012年9月15日、ハルマヘラ島のソフィフィ(Sofifi。北マルク州の州都)からフェリーでテルナテ島へ渡った。テルナテ島は取材時点で北マルク州の実質的州都。フェリーの船旅はおよそ1時間強。左にティドレ島の高峰を望み、北方に西ハルマヘラ県(Kabupaten Halmahera Barat)の中心地ジャイロロ(Jailolo)方面を見る。ジャイロロには戦時中、日本軍が二本の滑走路を建設した。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/06 22:45
北マルク州テルナテ島周遊(3) Keliling Pulau Ternate(3)
{%映画館(movie)hdeco%}インドネシア東北部の北マルク州。大小の島嶼から構成され、1999年、当時のマルク州の北部地域が分離して生まれた。ハルマヘラ島やモロタイ島、オビラ島、バチャン島、タリアブ島、マンゴリ島、カシルタ島、そしてテルナテ島やティドレ島などが主な島。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/15 21:16
北マルク州テルナテ王宮 Keraton Kesultanan Ternate
{%映画館(movie)hdeco%}新州庁舎が完成はしているが、ハルマヘラ島のソフィフィへの移転が進まないため、北マルク州の実質的姑であるテルナテ島のテルナテ市。ここには13世紀半ばから続くテルナテ王宮がある。現在第48代目のDrs. Haji Mudaffar Syah(Mudaffar II)。観光客にも公開されている同宮を侍従長のムハマッド・サレ(Muhammad Saleh)氏(78歳)に案内していただいた。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/19 23:07
北マルク州テルナテ島の要塞跡(1) Benteng Tolukko, Ternate
{%映画館(movie)hdeco%}大航海時代、インドネシアの東部海域は、次々と香料を求めるヨーロッパ列強の進出を受けた。いわゆる香料貿易、香料諸島。ポルトガルが、スペインが、そしてイギリス、オランダなどがやってきた。現インドネシアを欧州社会と結びつけた香料。現インドネシアの数世紀に渡るオランダによる植民地支配。丁子を、胡椒を、ナツメグ等を求めて来航した欧州人に跪いた。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/20 21:58
北マルク州テルナテ島の要塞跡(2) Benteng Tolukko, Ternate
{%映画館(movie)hdeco%}大航海時代、インドネシアの東部海域は、次々と香料を求めるヨーロッパ列強の進出を受けた。いわゆる香料貿易、香料諸島。ポルトガルが、スペインが、そしてイギリス、オランダなどがやってきた。現インドネシアを欧州社会と結びつけた香料。現インドネシアの数世紀に渡るオランダによる植民地支配。丁子を、胡椒を、ナツメグ等を求めて来航した欧州人に跪いた。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/21 22:02
ハルマヘラ島の「ハルマヘイラ島生活」 Pulau Halmahera Doelu & Kini
{%ハイビスカス(ヒラヒラ)hdeco%}ハルマヘラ島(Pulau Halmahera)やモロタイ島(Pulau Morotai)に関して、2012年9月の現地取材をベースに何本かの記事をアップした。それらは主に戦時中の日本軍に関する内容だ。戦記や戦史分野では、同地域は西部ニューギニア地域などと比べて、生還者による記録が充実している。言い換えれば、それだけ生還者が多かったことを意味する。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/26 22:58
ハルマヘラ島の「ハルマヘイラ島生活」2 Pulau Halmahera Doelu & Kini
{%ハイビスカス(ヒラヒラ)hdeco%}昨日に続き、江川俊治著『ハルマヘイラ島生活』(初版:大正10(1921)年6月28日発行・南洋協会刊)に見る、90年前のハルマヘラ島事情に触れてみたい。実は、去る9月のハルマヘラ島とモロタイ島の取材中、モロタイ島中西部西岸のワヤブラ村(Desa Wayabula)で、80歳代の老人たちが「EGAWA(エガワ)」の名前を頻繁に口にしていた。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/28 00:17
ハルマヘラ島の「ハルマヘイラ島生活」3 Pulau Halmahera Doelu & Kini
{%ハイビスカス(ヒラヒラ)hdeco%}江川俊治著『ハルマヘイラ島生活』(初版:大正10(1921)年6月28日発行・南洋協会刊)が、巻末の附録で記した「ハルマヘイラ島事情」は、90年前に日本人がどのよにハルマヘラ島を記録・描写していたかを知る稀有な資料だ。さほど労苦なしで入手できる資料の範囲では、江川俊治氏のプロフィールを網羅しているものはない。ご存知の方がいたら、是非ともお知恵を拝借したい。以下は、同書の序文として、柳田國男氏が江川氏を評した文章の一部。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/11/28 21:36
サルミからダンケン&ブファレ村へ(1) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/11/28 20:20
サルミからダンケン&ブファレ村へ(2) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/11/29 17:40
サルミからダンケン&ブファレ村へ(3) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/11/30 17:31
サルミからダンケン&ブファレ村へ(4) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/01 19:06
サルミからダンケン&ブファレ村へ(5) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/02 19:13
サルミからダンケン&ブファレ村へ(6) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/03 19:34
サルミからダンケン&ブファレ村へ(7) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/04 19:04
サルミからダンケン&ブファレ村へ(8) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/05 20:52
サルミからダンケン&ブファレ村へ(9) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/06 19:44
サルミからダンケン&ブファレ村へ(10) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/07 18:06
サルミからダンケン&ブファレ村へ(11) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/08 18:37
サルミからダンケン&ブファレ村へ(12) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/09 18:12
サルミからダンケン&ブファレ村へ(13) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/11 00:28

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
モロタイ島ワヤブラ村長老フセン氏が語るモロタイ島の戦いHusen & Perang Morotai  インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる