再録『GBIニュース』1999.8.13【インタビュー】 AGグループ総帥トミー・ウィナタ氏

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“Tシャツ財閥”の異名を持つトミー・ウィナタ氏。常にラフな姿を好む
大川誠一の『GBIニュース』  1999年8月13日 Berita GBI(13 Agus. 1999)
【インタビュー】  Artha Graha(アルタ・グラハ)グループ総帥トミー・ウィナタ氏
『日本はインドネシアへお金を貸す必要無し!』
『インドネシア国民の利益を考える日系企業なら組んでもいいかな』

スハルト“王朝”時代、インドネシアにはAIDS患者が多くいた。そればかりか、一刻も早くエイズに感染することを熱望する者さえいた。といっても後天性免疫不全症候群のことではない。AIDSとは隠語で「Aku Ingin Dekat Soeharto」すなわち「僕はスハルトに近づきたい」を意味するインドネシア語文章の頭文字語だ。つまり、スハルト大統領(当時)や私邸のチェンダナ通り周辺に集中して暮らすファミリー一族に接近して(コネを作り)、ビッグビジネスや利権、独占権を手に入れようと願う、いわゆる「利権獲得性不健全症候群」に罹患した輩のことを指した。

32年間にわたる開発独裁超長期政権。AIDSに罹った少なくないビジネスマンたちが、インドネシアン・ドリームを手に入れた。その多くが華人系インドネシア人(俗称ノンプリ)だったが、プリブミ(非華人系の純インドネシア人)がいなかったわけではない。“チュコン(政商)”や“コンチョ(親友=クロニー)”と呼ばれた、スハルト並びにそのファミリーと極めて親しかった財閥は、改革時代を迎えた今日、“KKN(汚職・癒着・縁故主義)”の元凶として、マスコミや反旧体制派ばかりか、現ハビビ政権閣僚からも集中攻撃を受けている。こうしたKKN排除の動きは、98年11月に開催されたSIMPR(国民協議会特別会議)の決議にも明記されていることだ。他でもない、日本企業がその主たる献金元であったと言われるスハルト前大統領が牛耳った幾つもの財団。それら財団の潤沢な資金は、例えばチュコンの一人であったテ―・キアン・センことムハマド・ボブ・ハッサンによって管理され、「金が金を生む」ビジネスへと投資されていった。

一例としてあげれば、ボブ・ハッサンが率いたヌサンバ社には、スハルトが会長を務めたダルマイス財団やDAKAB財団、スプル・スマル財団などが出資しており、このスハルト(権力)&ハッサン(商売)コンビは、インドネシア共和国を私的な“インドネシア商会”へとねじ曲げてしまった。 400社以上ものサリム・グループ企業群を築いた、スハルト政権最大チュコンのスドノ・サリムことリム・スゥリョン(林紹良)。スハルト長女のトゥトゥとの癒着が話題になった、木材・合板企業であるバリト・パシフィック・グループを統帥したパン・ジュ・ペンことプラヨゴ・パンゲストゥ。そしてKOSTRAD(陸軍戦略予備軍)財団系企業集団であるパカルティ・ヨガ・グループを率いたリム・ビアン・クンことソフィアン・ワナンディ等々。

かつて破竹の勢いを誇ったコングロマリットを統帥したこれらチュコンやコンチョも、今では“日陰者”扱い。遅かれ早かれ、スハルトとのAIDS関係によって成功した、これらビジネスマンらは表舞台から消えていく運命に直面している。財閥と言われるその他の数百の企業集団も、実は大小の差こそあれ、実際には何らかの形でスハルト前大統領・ファミリー・政権とKKNを持っていた。しかし、その「権力」と適度な距離を置いたか否かによって、悲劇(消滅)か存続かの岐路に立たされている。日本企業のAIDS願望も相当なものがあったが、今振り返ると韓国系企業のそれは異常だった。梅干しパワーの日本企業がスハルト・ファミリーとの間接的な“関係”を求めたのに対して、ソウルからやってきたキムチ・パワーの企業家らは、なりふり構わず、ダイレクトにスハルト・ファミリーに接近。そして次から次へと新規ビジネスを展開していった。スハルトの三男坊であるトミー君が駄々をこねてスタートさせた、韓国の起亜自動車との、いわゆる「国民車」構想などはその典型であろう。が、“主(スハルト)”が権力を失った今、ファミリーとの直接的関係を持った外資企業は、悲惨を味わっている。

さて、ハビビ政権下の今日、毀誉褒貶を一身に受けている若手実業家がいる。いわゆるAIDS患者ではなく(つまりスハルトとのKKNがさほど無く)、独自のビジネス・センスで、トップクラスにまでのし上がってきた人物だ。名前をトミー・ウィナタという。およそ40社から成るアルタ・グラハ・グループのドンだ。毀誉褒貶と書いたのにはそれなりの理由がある。今年始めからのメディア報道を見てみても、99年2月22日号並びに5月24日号の『Warta Ekonomi』誌、そして99年3月24日号の『Panji Masyarakat』誌。さらには、数多くのタブロイド紙が、トミー・ウィナタに関わる“ダーティ―・ビジネス”を暴露している。それらのリポートがどこまで事実に基づいているのか検証は不可能だが、とにかく、この若干41歳の童顔の実業家は、マスコミに話題を提供しまくっている。曰く『トミーは、国軍と癒着することで財をなした』、曰く『首都ジャカルタのギャンブル、薬物の世界はトミーが牛耳っている』等々。しかしその一方で、『中学を中退の学歴にも関わらず、彼は自動車の洗浄係りからスタートして、自らの力で今日の巨大財閥を築いた』、『マスコミには話さないが、実は彼は過去十年間にもわたって貧しい人々への食料品の無償提供を続けている』と、そのサクセス・ストーリーを褒めちぎる声も少なくない。

軍とビジネスを行うことが罪ならば、アメリカのボーイング社も、ヒューズ社も、そして日本の三菱重工業や韓国の現代グループも同罪だろう。いわんや世界の途上国では、インドネシアも含めて多くの国で日本製のトヨタやニッサンの四輪駆動車が軍用に使用されている。トミ―氏のすごさは、巨大企業として国軍とのビジネスを開拓したのではなく、一介の元気のいい青年が、そのバイタリティと特異なビジネスセンスを持って、ただ一人で開拓してきたことだろう。国軍に強いことはどうも事実のようだ。傍証だが、ジャカルタ北部のアンチョール地区にある、広大な邸宅には毎日早朝から、金色のビンタン(星)を付けた乗用車がひっきりなしに出入りしている。准将以上の将校のみが付けることを許されるビンタンがナンバープレートについている。また、グループの中核企業であるアルタ・グラハ銀行が、トミー氏と陸軍共済組合との合弁であることは誰もが知っていることだ。また現閣僚や国軍中枢部の何人もと、手元の携帯電話を通じてダイレクトに話し合うことができる立場も、同氏の年齢から見ても“ルアール・ビアサ(普通ではない)”。

筆者はこの今インドネシアで一番元気印の青年実業家に興味を持った。いざ、アンチョール地区へ!突撃! パシール・プティ・ラヤ通りにある巨大な邸宅は、24時間体制で厳重に警備されている。屈強な若者7 - 8名が金属製の分厚いゲートの内側に待機している。大きな母屋が一軒。裏側の海辺には倉庫並びにフィットネス・センターとしての機能を持つ大型の屋敷。その中間に25メートルプール。中庭には、数十匹の白い鳩、クジャクのような羽を持つニワトリ、アヒルなどが放し飼いにされている。また、木々にくくりつけたカゴの中には、イリアンジャヤ産の熱帯の鳥たち。トミー氏は青春時代をインドネシア最東端のイリアンジャヤ州で過ごした経験を持つ。広大な庭園に西部ニューギニアの雰囲気を醸し出そうとしているかのようだ。

Tシャツ姿で現れたトミー・ウィナタ氏。ありとあらゆるフィットネス器具が備えられたジムへと筆者を招き入れた。もはや個人が使用するレベルのものではない。フィットネスセンターとしてオープンしても何ら遜色のない完璧な器具が揃っている。『僕は毎朝ここで汗を流している。身体を動かすととても気持ちいい』とトミー氏。

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プールと豪邸をバックにトミー・ウィナタ氏


以下同氏との会見の一部抜粋。

スハルト政権崩壊後、最も躍進している財閥の一つに数えられていますね?

人は、私が突然脚光を浴び始めたかのように言うけれども、はっきり言って十年前にはすでに企業群の屋台骨の建設を終えていたんだ。マスコミや経済評論家らが、やれリムだ(注:スドノ・サリム)、やれボブ(注:ボブ・ハッサン)だ、プラヨゴ(注:プロヨゴ・パンゲストゥ)だと騒いでいたから、その陰で誰も僕のことなど注目しなかったんだね。しかし実業家としては、淡々とビジネスを展開していたんだ。振り返れば、1970年代の半ばから1980年代半ばまでの間に、僕はビジネスのベース造りに励んだ。いわゆる基礎工事だ。それから1986年頃から1988年に、フロアー、つまり床を築いた。そして今から10年前の1989年頃から、徐々に一階から上階まで建設していった。これまでコングロマリットと言われた財閥の多くが、短期間であれよあれよという間に世に出てきたが、果たして彼らの内何人が基礎工事を行ったんでしょうね。政権からの特別ファシリティ―があったからこそ、彼らは急激に伸びたのです。その頃、僕は着実に自分の努力で、ビジネスをステップ・バイ・ステップで伸ばしていったんだ。ファシリティ―でのし上がってきた財閥は、稼いだお金を自分のお金だと勘違いした。彼らは個人的な蓄財に励んだ。でも、僕は、利益は絶えず次の事業のために回すための通過の資金だと考えていた。一般的に財閥と言われていた連中は、利益の90%を自分のポケットへ入れ、残りの10%を社会還元していたね。でも僕はこれまで利益のおよそ40%を社会へと還元する方針を貫いてきた。だから、連中と比べて、僕は質素に見えたんだろうね。

あなたは、若い頃、自動車の洗車の仕事をしたり、遠くカリマンタンやイリアンジャヤでジャングルと格闘していたとも言われていますね?

僕が小学生の時に、親父の事業が倒産して、それで結局は自分で生きてゆかなくてはならなくなったんだ。学校だって中学校三年生の時にドロップアウトさ。まあ、その後に高校にも入ったけれどもね。14歳の時に、知り合いのヘリー・クスナディ(Herry Kusnadi)がやっていたCV.Selatan Rakyat(=国民南有限会社)という会社で働き始めた。その会社はサプライヤーで、僕はパッキングとか自動車の洗車とか、時にはヘリーの昼飯を買いに行ったりと、いわゆるオフィース・ボーイのようなことをしていた。1973年、15歳の時、その会社から派遣されて、カリマンタン島のポンティアナックの北140kmに位置するシンカワンで陸軍分区の本部を建設する仕事を命じられた。6000万ルピアのプロジェクトだったけれども、苦労したよ。まだ子供だろう、僕は。そして次に、1976年から1979年まで今度は東端のイリアンジャヤ州へと送られたのさ。その時には会社は有限会社から株式会社になっていて、名前はPT.Selatan Rakyat Utama(=主要国民南株式会社)だった。僕は18歳だったけれども、その会社の株式を20%もらい、取締役にもなっていたんだ。イリアンジャヤでは、やはり陸軍関係の土木・建設に従事した。センタニ町やイファールで陸軍兵舎を建設、パプアニューギニアとの国境に近いウブルッブや、中部のナビレでも兵舎や関連施設を作った。海運会社(PAL)の事務所も建設したっけ。イリアンジャヤに暮らしていた4年の間に、英語も独自に勉強したんだ。軍の高官が、これからは英語が重要だとアドバイスしてくれたからね。イリアンジャヤのその4年間の間に、僕はまだ少年だったけれども、経験豊かな大人達とつき合いまくり、彼らが何十年もかけて手に入れた経験と知識をつまみ食いしていった。頭のいい人から色々な知識を学ぶために、僕が費用を出して、彼らを朝食に招待して、そこで色々な話を聞かせてもらった。

それからジャカルタで戻るわけですね?

1980年、ジャカルタへ戻り、ジャヤ師団本部のプロジェクトを始め、陸軍関係の建設プロジェクトを次から次へと手がけました。陸軍特殊部隊の施設、バンドンにあるシリワンギ師団の施設、スラバヤにあるブラウジジャヤ師団の施設なども僕がやったんだ。計27カ所の陸軍地区本部の建設を手がけた。そして1986-1987年頃は、サプライヤー業も始めた。それから1988年にBank Artha Graha(BAG)を創設した[注:バンドンにある陸軍シリワンギ師団が所有するYKS(=Yayasan Kartika Siliwangi)が経営していたBank Propelatが600億ルピアの損失を出したことに伴って、トミー氏が同銀行の健全化を依頼されたとされている。YKSの上部組織としては、AD(陸軍)所有の財団であるYKEP(=Yayasan Kartika Eka Paksi)があり、元々はBank Propelatの全株式をYKEPがYKSを通じて保有していた。1992年、BAGの株式は、YKEPが40%、トミー氏(PT.Karya Nusantara Permai社を通じて)が20%、トミー氏の友人のスギアント・クスマ(Sugianto Kusuma=PT.Amcol Graha Electronic Industriesオーナー)gは20%となった]。さらにバリにあるKartika Plaza Beach Hotel(注:トミー氏とYKEPが共同所有) もタークオーバーした。

あなたのビジネス哲学はどこから来ているのでしょう?

僕の両親は、僕が10歳の時、事業倒産に直面したが、それでも自宅を売り払って負債を処理し、そればかりか他人を助けてあげた。華人系はマテリアルよりも名誉を重んじるのです。父はまさしくそういう人でした。信用を守り通す、これが大切なんですね。僕がジャカルタへ戻った1980年、父の残した信用で、僕も父の知り合いから結構助けられました。私の事業哲学は、「所有する必要はない。コントロールできればいい」でしょう。事業を統帥・管理できるということは、所有することよりも遥かに重要です。こういったことは軍との長いつきあいで覚えました。僕の名刺には、どこで誰に配ったかが後々分かるように、秘密のコード番号を印刷してあります。これなども軍の危機管理法から学んだのです。

国軍の地位が低下する中にあって、あなたは陸軍との深い関係を隠そうともしませんね。軍から学んだどされることについてもう少し詳しく話していただけますか?

僕は14歳から21歳まで、人格が形成される時期に、周囲にいた人々はみな軍人でした。彼らから学んだことは、他人を助けるということです。助けられた人は忘れずに覚えておくものです。それから規律です。これはインドネシアで一番ある組織でした。そして耐える力、忍耐力についても大いに学びました。そして仕事に対する姿勢。軍も本来は国家・国民のために奉仕する組織でしょう。ですから他人のためになる仕事を優先するということを肝に銘じてきました。プロフィットは二の次でした。従って、今でも僕は新規事業を始める際に、まずモラルを問います。次いでそれが社会のために役立つかどうかを考えます。多くの人の利益につながるかをです。そして最後に利益を計算します。僕のケースで言えば、利益は後からついてきたというところでしょうか。軍人達は、僕がビジネス・アニマルではないなと感じていたようです。それが気に入られた遠因の一つだと思います。このインドネシアという国では、モラルと責任を無視して、非合法的なことをすればいくらでも儲かる国なのです。金だけが目的ならば簡単な国です。しかし、それは僕が学んだ哲学にはありませんでした。私のモットーは人々のために、国家のためにです。一方で、もしも僕が非合法的なことをしたとして、法律が望むのであれば、僕は喜んで刑務所に入る覚悟があります。僕は明日死んでも悔いはありません。ただし神様が望めば、長生きするでしょう。僕は国家の政策にはまったく関与してきませんでした。政治・政党活動にも興味がありませんでした。僕は政府が良きと思って実行する政策に従ってきたのみです。例えば、リム(注:スドノ・サリム)などは、自らのビジネスのために政策を仕掛けたのでしょうが、僕はやりません。そればかりか、官庁のミドルクラスの官僚と考え方が違っても、僕はそれに抵抗したりしませんね。

破竹の勢いの実業家として、あなたが期待するインドネシアの21世紀像は?

資金、お金の配分場所を再考することが必要だと強調したい。例えば車を購入するとき、私たちはまず優秀な運転手を探すでしょうか、それともまずメルセデス・ベンツを買ってしまうのでしょうか? 私なら運転手をまず養成します。インドネシアの現状を考えますと、資金は人材育成、教育、農業・農園そして漁業などへ重点的に配分すべきだと思います。資源は消えても、教育で得たものは消えません。インドネシアには、まだまだ開発されていない、まだ誰もが注目していない空間が残っています。それらを活かしていくことが大切でしょう。日本との関係で言えば、インドネシアへお金を貸す必要はないでしょう。お金を貸すのは、日本企業が儲けたいからです。自己の利益しか考えていませんね。彼らは。インドネシアの将来のことなど、少しも考えてはいないのです。要するにここで儲けたいのです。ただし、それでは余りにも格好が悪いので、インドネシアの開発に協力しているとか言ってるだけなのです。インドネシアのためにやってきたなんていう日本企業がいたら、それは大ウソです。真にインドネシア国家と国民のためになる、そういう心がけでビジネスをしてもらいたい。これまで僕は日系企業とはほとんどつき合いがありません。別に拒否しているわけではありません。この国のために、資金をどう使うのか、その部分において合意さえできればいいのです。ちなみに外資が入ってきた場合、初めの3年間は外資のコントロ―ルで構いませんが、次の3年間でローカルへ移管しなくては困ります。そして次の3年間で、支配人や財政以外はすべてローカル・スタッフに委せるべきです。ちなみに僕自身は、今後はグラスルーツの分野への進出、メディア・コミュニケーション、農業・水産・農園、ツーリズム・ホテル業などを拡大していこうと思っています。教育分野も忘れてはいません。最近、観光学校を開校したばかりです。未来の人材育成という視点からです。

あなたは、利益の何%かを社会還元しているとも言われていますが?

もう十年前からですが、貧しい人々のために、生活必需品を無償で配っています。毎週金曜日に、ジャカルタ市内の55カ所で、米、ラーメン、食用油、砂糖、小麦粉などを配給しています。最近ではお米は毎週5トンぐらい配っています。砂糖も小麦粉も、毎週ほぼ5トン程度配っています。このようなことはマスコミにしゃべったりはしません。別に評価してもらいたいと思ってやっているわけではないので。利益は他人のために社会還元すべきとのビジネス哲学からやっているのです。

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アンチョールの自宅裏にある巨大倉庫には、無償配給用の米や即席麺が

【プロフィール】

Tomy Winata。中国名はクォク・ルイ・フォン。中国・福建省生まれで、1940年代にインドネシアにやってきた父Kurniawan Winataと同省出身で台湾経由(両親が蒋介石軍に参加した関係)で1955年頃インドネシアに渡ってきた母Julianaとの間に、6人兄弟の3男として1958年7月23日、ジャカルタのクマヨラン地区で生まれる。
父親は乗合自動車の運転手、後に小さな自動車部品販売業を営んだが、1968年に倒産。このため、しばらくの間、西ジャワ州チアンジャール県のタコカ村在住の陸軍曹長だったビスリ・アルタウィナタ(Bisri Artawinata)氏の家に出入り。『12歳で知り合った。彼は私の養父のようなもの。私にとって精神的指導者だった』と。
子供の頃は、イスラム寺院やキリスト教会などへ、周囲の人々にくっついて出入りを繰り返したが、18歳になってから仏教徒(Sidharta Gautama)に。身長175cm、体重78kg(目標73kg)、血液型A。好きな言葉は『Sahabat(友・友人)』。中国語は書けないが、好きな文字は『忍』。自宅のプールサイドに石に彫った『忍』の文字。
趣味は、フィットネス、狩猟、フィッシング。『僕はナチュラル・ライフが一番好きだ』とも。20歳の時、高校を卒業したばかりの、北スマトラのメダン出身の華人系インドネシア人である17歳のミナ(Mina)と知り合う。『知り合って3ヶ月後に彼女は妊娠。それで結婚となった』。
二人の間に2女3男。長女のクリスチナ(21歳)は在米で、カリフォルニア大学サンディエゴ校でBusiness Development & Financeの修士課程、次女のアグスチナ(19歳)、そして長男のアンディ(17歳)も同大学同学部に在学中。次男のパンジ(11歳)と三男のアディシア(10歳)は、シンガポールの小学校の6年生と5年生。
『なぜ全ての子供を海外へ送っているかって?それは父親のビジネスが急拡大している中で、周囲からチヤホヤされないようにするためさ』とか。

同氏が統帥するアルタ・グラハ(Artha Graha)グループは、およそ40社から成り、主なものはBank Artha Graha(銀行)、PT.Jakarta International Hotels & Development(Hotel Borobudur Intercontinentalを所有)、PT.Danayasa Arthatama(SCBD=Sudirman Central Business Districのオーナー会社)、PT. Karisma Arya Paksi(Kartika Plaza Beach Hoteloliを所有)、PT.Matahari Impian Indah(Matahari Island Resort=Macan Islandを所有)、PT.Artha Solid(Trading)、PT.Artha Telekomindo(Telecommunicaton)、PT.Sony Indonesia(Electronics)、PT.Buanagraha Arthaprima(不動産業)、PT.Graha Putra Nusa(貸しビル業)等々。


【参考ブログ】


GBIニュース
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再録『GBIニュース』1999.8.10 【インタビュー】 ルスマンハディ警察庁長官
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再録『GBIニュース』1999.7.22アチェ問題大統領顧問チーム・TPPUAムマッド・サレ氏に聞く
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再録『GBIニュース』1999.7.20 【インタビュー】 アブドゥラフマン・ワヒッドNU総裁
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再録『GBIニュース』1999.7.15 【インタビュー】 ヌルディン・プルノモPBI党首
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再録『GBIニュース』1999.7.12 【インタビュー】 マトリPKB(民族覚醒党)党首
1ttp://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201202/article_27.html
再録『GBIニュース』1999.7.11 【インタビュー】 B.J.ハビビ大統領と単独会見
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再録『GBIニュース』1999.6.29【セミポルノ新聞】タブーに“挑戦”するタブロイド紙『POP』
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再録『GBIニュース』1999.6.28 【会見】インドネシア・テレビ史の"生き字引"イシャルディ氏
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_31.html
再録『GBIニュース』1999.6.27 【刑務所】 日曜日のチピナン刑務所
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_30.html
再録『GBIニュース』1999.6.26  【インタビュー】 ムニールKONTRAS代表
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_28.html
再録『GBIニュース』1999.6.25 【紙幣】5万ルピア紙幣に秘められた重大な事実とは?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_24.html
再録『GBIニュース』1999.6.24 【インタビュー】 アリ・アラタス外相
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_23.html
再録『GBIニュース』1999.6.23 画家ハルディのモデルがアルマーニのモデルへと華麗な変身
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_21.html
再録『GBIニュース』1999.6.22#3知られざるアリー・スミットの名画に触れる
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_20.html
再録『GBIニュース』1999.6.22#2 【写真展】『インドネシア・歴史の中の芸術家たち』
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_18.html
再録『GBIニュース』1999.6.22 バリ島ウブドゥのコマネカ・ファイン・アート・ギャラリー
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_17.html
再録『GBIニュース』1999.6.21【トッペン】GBIがバリ島最高峰のトッペン(仮面)を東京へ
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_16.html
再録『GBIニュース』1999.6.20 【会見】スリ・スルタン・ハメンクブォノ10世
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_15.html
再録『GBIニュース』1999.6.19 【会見】イフラスル・アマールUGM(国立ガジャマダ大学学長
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_14.html
再録『GBIニュース』1999.6.17#2 【インタビュー】 シャルワン・ハミッド内務大臣
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201201/article_11.html
再録『GBIニュース』1999.6.17#2 【インタビュー】 シャルワン・ハミッド内務大臣
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再録『GBIニュース』1999.6.17 【インタビュー】 ウィラント国防治安相兼国軍司令官
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再録『GBIニュース』1999.6.16 【インタビュー】ヘリー・コマール『GAMMA』誌編集長
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再録『GBIニュース』1999.6.15【出版事情】 笑いでストレス解消! ユーモア本が氾濫
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再録『GBIニュース』1999.6.14【総選挙&マスコミ】 GBI代表TVRI出演
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再録『GBIニュース』1999.6.13#3【政治倫理】 PUSKAP(政治・政府倫理教育センター)
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再録『GBIニュース』1999.6.13#2 【人】 画家ハルディTVRIでゴルカル党を酷評。
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再録『GBIニュース』1999.6.13 【総選挙】 UGM教授が開票最終結果を予想
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再録『GBIニュース』1999.6.12 【映画】 新作『SRI』 月中旬ジャカルタと東京で初上映
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再録『GBIニュース』1999.6.11 【インタビュー】 ジョニー・ルミンタン陸軍副参謀
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再録『GBIニュース』1999.6.10 【インタビュー】 映画監督ガリン・ヌグロホ
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再録『GBIニュース』1999.6.9 ハッジ・モハマド・スハルト前大統領
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再録『GBIニュース』1999.6.8 女優クリスティン・ハキムさんと見た総選挙
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再録『GBIニュース』1999.6.7 『漫画で学ぶ改革派の闘士アミン・ライス』
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再録『GBIニュース』1999.6.5 インタビュー:女優のクリスティン・ハキムさん
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再録『GBIニュース』1999.6.2 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(5)
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再録『GBIニュース』1999.5.30 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_3.html
再録『GBIニュース』1999.5.31#2 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_2.html
再録『GBIニュース』1999.5.30 インタビューシリーズ【イリアンジャヤ】(3)~(1)
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http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201111/article_30.html
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再録『GBIニュース』1999.5.21 インドネシア手描き絵葉書展
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再録『GBIニュース』1999.5.18 【ヌサンタラ横断・メラウケからサバンまで】(7) ~(1)
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再録『GBIニュース』1999.5.17 【人】 スマディ駐日インドネシア大使
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再録『GBIニュース』1999.3.15JIF(日本インドネシア科学技術フォーラム)が運営委員会開催
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再録『GBIニュース』1999.3.11【インドネシアのジョーク&ユーモア特集7】 『頭文字略語』
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再録『GBIニュース』1999.3.10【インドネシアのジョーク&ユーモア特集6】 『東ティモール』
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再録『GBIニュース』1999.3.9 【インドネシアのジョーク&ユーモア特集5】『お札の価値』
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再録『GBIニュース』1999.3.8【インドネシアのジョーク&ユーモア特集4】『脳の値段』
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