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zoom RSS 戦後67年・西部ニューギニアに瞑る数万の将兵 Prajurit Jepang di Papua

<<   作成日時 : 2012/08/15 00:00   >>

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今日、第67回目の終戦記念日を迎える。
東日本大震災から1年と5ヶ月。昨日の“皆様の半国営放送”は、福島原発の警戒区域で保護されたペットが、飼い主がやってくるのを待っているとのニュースを流していた。猫や犬の“動物の権利”(Animal rights)には関心があるようだが、この世界最大規模のマスコミ特殊法人は、過去の人権には無関心なようだ。

北朝鮮に残された日本人の遺骨問題も最近話題に上っている。日本赤十字社と北朝鮮の朝鮮赤十字会との協議を経て、日本政府は今月末にも中国・北京で北朝鮮当局と、日本人の遺骨収集や遺族の墓参の実現に向けて公式協議を開催する方針を固めた。国交のない国に残る遺骨に関心を払うことは、それはそれで国家の責務である。しかし、インドネシア、特に西部ニューギニアに70年近くも放置され続けてきた遺骨はどうなのか?


西部ニューギニア・戦後ジャングルに放置されたままの旧日本兵の遺骨
動画は、2012年8月13日(月)東京・中野の「なかのZERO」ホールで行われたドキュメンタリー映画&講演会『遺された戦時機密資料が語るもの』の講演資料として用いられたものである。
http://youtu.be/VmhnJs3yok4

珊瑚の小石や砂に姿を変え、祖国“帰還”を果たしたとされる旧日本軍将兵の数は、西部ニューギニアに限定しても万を超える。これは旧陸海軍部隊が持ち帰ったとされる小石や砂などの“代替遺骨”を算入した数値だ。言い換えれば、それら遺骨の多くは、今でも拾われることなく、戦死の場所で、戦死のままの姿で瞑っている。つまり、少なくとも3万、多ければ5万近くの旧将兵の遺骸が今だ西部ニューギニアに“放置”されていることになる。

およそ70年ほど前、「赤紙」一枚で国家に召集され、日本の真南およそ5,000km、赤道直下のニューギニア島の前線に送られた数十万の兵士たち。そして20数万は「白紙(戦死公報)」一枚の祖国帰還。終戦から67年経過した今も、彼の地で散花した将兵・軍属らの多くに“戦後”は来ていない。

厚生労働省の2012年8月時点のデータによれば、海外で戦没した概数は約240万人。その内、約127千柱は“御帰還”、つまり祖国送還済み。未帰還遺骨概数は約113万柱。この内約30万柱が海没遺骨とされ、また、相手国の事情で“御帰還が困難な遺骨”(注:厚生労働省の表現)、すなわち未収集の遺骨が約23万柱。つまり、収集可能な(御帰還が可能な)遺骨は推計で約60万柱とされる。

西部ニューギニアでは、約53,000人が亡くなり、記録上は内32,740柱が祖国に帰還したことになっている。つまり残数は約20,260柱。西部ニューギニアを除く他のインドネシア地域では、31,400名が亡くなり、内11,030柱が祖国に戻り、残数は20,370柱とされる。すなわち、インドネシア共和国全体で約40,630柱が“未帰還兵”ということになる。この数値は、東日本大震災の犠牲者・行方不明者のほぼ二倍に当たる。

西部ニューギニアにおいては、岩手県の奥州市に拠点を置くNPOの太平洋戦史館が十数年前から精力的に未帰還兵の捜索・調査活動を続けている。その努力の結果、過去数年を見ても、帰還遺骨数が急速に拡大している。厚労省のデータによれば、平成18年度〜22年度の収容遺骨数は:35柱、115柱、108柱、291柱、216柱とされる。

過去のペースで遺骨収容が続くと仮定した場合、厚労省のデータが示す西部ニューギニアの残数20,260柱が祖国に帰還するためには、あと100年以上を要する。いわんや筆者が推定する未帰還兵の最大実数すなわち約5万名を還すためには、あと250年間必要となる。戦争を発動した国家は、いわゆる“英霊”を真摯に祖国に帰還させたいと思っているのか。これは国家と国民との“絆”の命題でもある。


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以下、2009年8月〜12月、インドネシア文化宮(GBI)で実施した『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』の開催のお知らせで創作した、ニューギニアに瞑る一兵士からの手紙を、戦後67年バージョンに書き換えて、再掲載したい。

お母様、お父様、お変りございませんでしょうか。
お婆様、お爺様 お元気でしょうか。
兄上様、姉上様、そしてご家族の皆様、達者でお暮らしでしょうか。
叔母様、叔父様、そしてご家族の皆様、お変わりありませんでしょうか。
戦友の皆々様方、日本は立派なお国になりましたでしょうか。

皆様とお別れして、もうすぐ70年近くが経過します。
私は今も、ここ西部ニューギニアの地で皆さまの事、お国の事を忘れる日はありません。
皆様はまだ私の事を覚えていてくださっていますでしょうか。覚えていてくれるものと信じています。

あの戦争が終わったことを私は知りません。戦争が終わる前に、私はこの世の者ではなくなってしまいました。終戦から67年。皆さまも齢を重ね、私と同じく、この世の者ではなくなった方も少なくないことでしょう。願わくば、お国が見事に発展し、皆様方がお幸せに日々を過されていることです。

私は20歳代で、このパプアの地で短い一生を終えました。戦友には、すでに家族持ちの30歳代、40歳代、50歳代の方々もいました。あの方々のご家族もさぞかし無念だったことでしょう。皆、飢餓と熱帯病に纏れ、皆様と再会することなくこの地で果てました。皆様の御多幸と、お国の発展を祈って、恥ずかしながら果ててしまいました。祖国・日本がある北の方角を懸命に向いて。

私は、愛する祖国に戻ることはできません。白骨となった私は、今この西部ニューギニアを離れることができません。今、自分がどこにいるのかさえ分かりません。私が戦死した時は、確か蘭領ニューギニアでした。こんな姿ではありますが、どうしても故国に帰り、皆様と再会し、あの生きていた時代の証しを確認し、一人の人間としてきちんとこの世とお別れしたいと願っています。  

西部ニューギニアの大地、陽も射さない洞窟、そして深いジャングルに放置されています。あれからもうすぐ70年。一度として同朋の皆様にお目にかかったことがありません。誰も探しに来てはくれませんでした。何も求めるものはありません。きちんとあの世に向う前に、私がどこで生まれた誰だったのかを再認識したいだけなのです。それだけの願いでございます。皆様のお力添えに感謝致します。日本は厳しい暑さの夏でしょうね。どうかお身体、ご自愛ください。ここは 熱暑のニューギニア。赤道直下の高温多湿を友に、私どもは皆様からの呼びかけがある日を心待ちにしています。

西部ニューギニアのイドレ川に瞑る一人の未帰還兵より

追伸

日本の皆様その後 お変わりございませんでしょうか。
お別れしてからもう70年近くになります。 
その後 日本はどうなったのでしょうか。
アメリカに勝ったのでしょうか。
戦友達の多くは敵弾に斃れ、また最後まで行動を共にした仲間もみんな飢餓地獄の中亡くなりました。
援軍を待ちながら玉砕した後、いつかはきっと私達の骨を拾いに来てくれるものと願っておりましたが、今日の今日まで誰も来てくれませんでした。
あの戦争に勝っているのなら、きっと同胞が来てくれるものと信じていました。もしや負けたのでしょうか
そんなことはありませんよね。私たち皇軍が負けるはずがありません。
ここイドレの村周辺には、私同様に祖国に還れぬまま、あの世にきちんと行くことができない亡霊が万と浮遊しています。
お国の事を今日まで一日たりとも忘れたことはありません。
皆様もどうか私たちのことを忘れないでください。
皆様のご健勝をお祈り申し上げます。


【参考ブログ&動画】


戦後66年・西部ニューギニアに瞑る数万の将兵 Prajurit Jepang di Papua
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201108/article_14.html

上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(7)〜(1) 第6飛行師団第14飛行団司令部
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_14.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_13.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_11.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_10.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_9.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_8.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_7.html
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(50)-(48) Bandara Dai Nippon(50)-(48) ジャヤプラJayapura
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_22.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_21.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_20.html
終戦から67年。「遺された戦時機密資料が語るもの」映画&講演 8/13〜18
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201208/article_4.html
12月4日(日) 映画「大本営最後の指令〜遺された戦時機密資料が語るもの」
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201112/article_4.html
『日本軍パプアの軌跡・Jejak Militer Jepang di Papua』が放送される
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_23.html
今夜放送! 『日本軍パプアの軌跡・Jejak Militer Jepang di Papua』
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_22.html
ドキュメンタリー映画『大本営最後の指令』 12月2日&4日東京・中野で上映会
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_14.html
日本とアジアの戦争記録映画と戦争体験者の声を聴く8月9〜13日(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201008/article_10.html
5月23日:ドキュメンタリー映画『語らずに死ねるか』&アチェ映画上映会(Film Aceh)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200905/article_20.html
深津信義氏が語る神機関と新穂智少佐8〜1 Nobuyoshi Fukatsu & Agent Kami
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_21.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_19.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_16.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_15.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_14.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_10.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_9.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201206/article_8.html
福井県鯖江市の川上政記さんを再訪 Kawakami & Perang Asia Timur Raya
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201109/article_13.html
東京新聞・中日新聞が報じる西部ニューギニアに放置された旧日本軍将兵の遺骨
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201108/article_23.html
戦後66年・西部ニューギニアに瞑る数万の将兵 Prajurit Jepang di Papua
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201108/article_14.html
新穂智少佐が残した『西部ニューギニア横断記』第3部 (37)〜(20) Mayor Satoru Niiho
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_25.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_23.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_22.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_21.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_19.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_18.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_16.html
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http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_14.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_13.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_12.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_11.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_10.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_9.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_8.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_6.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_5.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_4.html
西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村で歌い継がれる哀悼歌(歌詞付き動画)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_7.html
新穂智少佐が残した『西部ニューギニア横断記』第2部 (19)〜(11) Mayor Satoru Niiho
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_3.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_2.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201107/article_1.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_30.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_29.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_28.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_27.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_26.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_25.html
新穂智少佐が残した『西部ニューギニア横断記』第1部 (10)〜(1) Mayor Satoru Niiho
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_30.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_28.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_26.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_23.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_20.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_18.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_16.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_12.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_11.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_8.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201012/article_31.html
太平洋戦争開戦69年。西部ニューギニアに瞑る新穂智少佐が残した手記
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201012/article_9.html
テーマ「大東亜戦争」のブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html
テーマ「パプア州」のブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/42c3391253.html

【西部ニューギニア戦線関連動画】
Metro Files: Jejak Militer Jepang di Papua(日本軍パプアの軌跡)2011年10月 日「メトロTV放送」

深津信義氏が語る「神機関」と新穂智少佐(8)〜(1) Nobuyoshi Fukatsu & Agent Kami(God)

http://youtu.be/ySvwmGHRL2o
http://youtu.be/blDC_VpS-vU
http://youtu.be/mGXPjkfxevs
http://youtu.be/ZPzfJxMpsig
http://youtu.be/kbJ7CX3nwZk
http://youtu.be/_myKs8orENQ
http://youtu.be/qwFxM6Yw8cA
新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第5部」 (37)〜(33) Major Satoru Niiho's West New Guinea





新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第4部」 (32)〜(27) Major Satoru Niiho's West New Guinea






新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第3部」 (26)〜(20) Major Satoru Niiho's West New Guinea







新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第2部」 (19)〜(11) Major Satoru Niiho's West New Guinea









新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第1部」 (10)〜(1) Major Satoru Niiho's West New Guinea










西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 アブラハム氏の証言(3) 〜(1) Long March To Idore



西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 ワンマ氏の証言(6)〜(1) Long March To Idore






西部ニューギニア・ビントゥニからバボへ(2) 〜(1) Dari Bintuni ke Babo, Teluk Bintuni, Papua Barat


西部ニューギニア・旧日本軍バボ飛行場 Bandara Babo, Teluk Bintuni, Papua Barat

西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 エリー氏の証言(5) 〜(1) Long March To Idore





西部ニューギニア・ビントゥニからマノクワリへ(空撮) Bintuni ke Manokwari

西部ニューギニア・マノクワリからビントゥニへ(空撮) Manokwari ke Bintuni

西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 モミ村まで(7)〜(1)







西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 イドレ河(4)〜(1)




西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村で歌い継がれる哀悼歌&B


西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村に瞑る旧日本軍将兵


【マノクワリ→イドレ転進作戦関連動画】
西部ニューギニア戦線・川上政記マノクワリ〜イドレ転進作戦証言(1)〜(25)

http://www.youtube.com/watch?v=d2blHyTRmyE
http://www.youtube.com/watch?v=KAyrMkZRFNU
http://www.youtube.com/watch?v=EapaVBhmzaM
http://www.youtube.com/watch?v=kLW32VjG6T4
http://www.youtube.com/watch?v=Ze7W4Iq3ny8
http://www.youtube.com/watch?v=gSiri6ERU28
http://www.youtube.com/watch?v=2mEBU-mDzzg
http://www.youtube.com/watch?v=djgSHVICphk
http://www.youtube.com/watch?v=72hQRGMJkPE
http://www.youtube.com/watch?v=SkNpbKTNfz4
http://www.youtube.com/watch?v=vIXJdIVddYQ
http://www.youtube.com/watch?v=8SvrzGGlQa0
http://www.youtube.com/watch?v=BRIJ05oefYY
http://www.youtube.com/watch?v=nAZkJnrxgwA
http://www.youtube.com/watch?v=to5w3lk6Jns
http://www.youtube.com/watch?v=Dd3h20pTa7g
http://www.youtube.com/watch?v=pVPRRWYfnQg
http://www.youtube.com/watch?v=8dmvtGHAZOo
http://www.youtube.com/watch?v=E_8lLU6bQdM
http://www.youtube.com/watch?v=aCGK_0rKgUg
http://www.youtube.com/watch?v=jbP5K59_2r0
http://www.youtube.com/watch?v=7KAcyA8anA8
http://www.youtube.com/watch?v=jRgImrYLys8
http://www.youtube.com/watch?v=_o1Jx9OOlzo
西部ニューギニア戦線・遠藤定夫マノクワリ〜イドレ転進作戦証言(1)〜(16)

http://www.youtube.com/watch?v=Ceo6Xc_NmmM
http://www.youtube.com/watch?v=TSpEw_jyXW8
http://www.youtube.com/watch?v=Sv8O68Mvnuc
http://www.youtube.com/watch?v=ePbMrZE1J5s
http://www.youtube.com/watch?v=ArLt0lPKY0I
http://www.youtube.com/watch?v=WUYIeSYsNCk
http://www.youtube.com/watch?v=NUWoGhIAm6A
http://www.youtube.com/watch?v=t9UbWD3tjos
http://www.youtube.com/watch?v=5s0cU6U7ALA
http://www.youtube.com/watch?v=9I4D550_HSg
http://www.youtube.com/watch?v=M8V7sZXMN04
http://www.youtube.com/watch?v=pNU-toVWNic
http://www.youtube.com/watch?v=zFj48AqOVmI
http://www.youtube.com/watch?v=M9KTB5cfDCg
http://www.youtube.com/watch?v=CLbzk8zE1Ks
西部ニューギニア戦線・小田切重徳マノクワリ〜イドレ転進作戦証言(1)〜(18)

http://www.youtube.com/watch?v=rWf5O2yiNeU
http://www.youtube.com/watch?v=GU-Ua5oGeZo
http://www.youtube.com/watch?v=7yab2ZiwPHo
http://www.youtube.com/watch?v=F52Vnz6Ap0E
http://www.youtube.com/watch?v=_ldbONvQb4w
http://www.youtube.com/watch?v=444E-jL9HL4
http://www.youtube.com/watch?v=aigDUcQscW8
http://www.youtube.com/watch?v=yzhA5aZIfTY
http://www.youtube.com/watch?v=VFkrTMGt2Cs
http://www.youtube.com/watch?v=5E6uiP4xPNM
http://www.youtube.com/watch?v=dW7HUi8Ndhs
http://www.youtube.com/watch?v=cn9bcnlS5OU
http://www.youtube.com/watch?v=RJZjtBzptho
http://www.youtube.com/watch?v=2uguhBNU1x8
http://www.youtube.com/watch?v=1y_qP_kixoQ
http://www.youtube.com/watch?v=8_nJqT3QLrw
http://www.youtube.com/watch?v=rQvWicKLjcQ
西部ニューギニア・峰岸政夫マノクワリ〜イドレ転進作戦証言(1)〜(6)

http://www.youtube.com/watch?v=Bv90x2B04cI
http://www.youtube.com/watch?v=-D3Dgp63dHY
http://www.youtube.com/watch?v=xPEYBHNy-Xk
http://www.youtube.com/watch?v=jVHhjX-wl3g
http://www.youtube.com/watch?v=KTI3us4dvpw

【その他の西部ニューギニア戦線関連動画】
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(1)〜(10)

http://www.youtube.com/watch?v=uOYsWX0h9bM
http://www.youtube.com/watch?v=JAv_cRvPCq8
http://www.youtube.com/watch?v=TwoB3GCsEfQ
http://www.youtube.com/watch?v=ewBGNgJIgsU
http://www.youtube.com/watch?v=uX9Q6T9Jq2k
http://www.youtube.com/watch?v=O0xhna6C_GM
http://www.youtube.com/watch?v=AJllwBbNzhY
http://www.youtube.com/watch?v=ZVIeeY3-efc
http://www.youtube.com/watch?v=5tSaJyOjbeI
海軍第202設営隊(1)〜(8)小林光雄の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon

http://www.youtube.com/watch?v=EyhcuR9MPvw
http://www.youtube.com/watch?v=awM4wIv2HIk
http://www.youtube.com/watch?v=_o7fQp1uK-Y
http://www.youtube.com/watch?v=YsR1oICbBe8
http://www.youtube.com/watch?v=ZbX3s7wBG5M
http://www.youtube.com/watch?v=DnVt6YDttfU
http://www.youtube.com/watch?v=jSgYPKYH59w
http://www.youtube.com/watch?v=A3mB2sy3iZE
海軍第202設営隊(12)小林光雄の証言・絵日記Pasukan 202 AL Dai Nippon

http://www.youtube.com/watch?v=2Xx51KJ7kRw
海軍第202設営隊絵日記(1)〜(8) 小林光雄の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon

http://www.youtube.com/watch?v=Joda3Zew_zM
http://www.youtube.com/watch?v=fiEGLr_USWc
http://www.youtube.com/watch?v=j8ojKRfy-v0
http://www.youtube.com/watch?v=t_UYWRvYstQ
http://www.youtube.com/watch?v=YYDZpNZeAW4
http://www.youtube.com/watch?v=RAzdBgMuADc
http://www.youtube.com/watch?v=VdLJeH9TBD0
海軍第202設営隊 武内満多男の証言(1)〜(11) Pasukan 202 AL Dai Nippon

http://www.youtube.com/watch?v=kgpm82LfgEI
http://www.youtube.com/watch?v=aefWhuPv0PA
http://www.youtube.com/watch?v=EtA_hmidzMs
http://www.youtube.com/watch?v=uo24qnU1p4I
http://www.youtube.com/watch?v=A3DnfK-AkNY
http://www.youtube.com/watch?v=oWpUJqBHxbU
http://www.youtube.com/watch?v=SH2IhMDiBjw
http://www.youtube.com/watch?v=422klBRv5dY
http://www.youtube.com/watch?v=XYLtSiziE6k
http://www.youtube.com/watch?v=awDt1Effd1M

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上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(8) 第6飛行師団第14飛行団司令部
67回目の終戦記念日が過ぎた。2012年8月15日は、背景の理由はどうであれ、隣国との歴史観の相違があらためて思い知らされた日でもあった。民主党政権の2閣僚が靖国神社に参拝したその日、竹島(韓国名独島)に同国大統領として初上陸し、天皇の訪韓条件について言及した韓国の李明博大統領が「戦時の女性人権問題として人類の普遍的価値と、正しい歴史に反する行為だ。日本の責任ある措置を求める」と従軍慰安婦問題について述べた。そして香港の団体「保釣行動委員会」の抗議船の乗組員が、中国の領有権を主張して尖... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/08/15 23:58
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(9) 第6飛行師団第14飛行団司令部
2012年8月15日の第67回目の終戦記念日。そして今日8月17日、インドネシア共和国は第67回目の独立記念日を迎えた。インドネシアの“ムルデカ(独立)”と日本軍進駐との関係については、日本側に日本軍の存在意義を見出そうとする見解が少なくない。特に「ジャワの極楽」と謳われた、ジャワ島で終戦を迎えた旧日本兵にその傾向が強いように見える。スマトラ島やジャワ島の旧日本軍将兵の幾多が、インドネシアの独立戦争に参加したことはまぎれもない事実だ。しかし、それは大東亜戦争の一側面であって総てではない... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/08/17 01:14
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(9) 第6飛行師団第14飛行団司令部
2012年8月15日の第67回目の終戦記念日。そして今日8月17日、インドネシア共和国は第67回目の独立記念日を迎えた。インドネシアの“ムルデカ(独立)”と日本軍進駐との関係については、日本側に日本軍の存在意義を見出そうとする見解が少なくない。特に「ジャワの極楽」と謳われた、ジャワ島で終戦を迎えた旧日本兵にその傾向が強いように見える。スマトラ島やジャワ島の旧日本軍将兵の幾多が、インドネシアの独立戦争に参加したことはまぎれもない事実だ。しかし、それは大東亜戦争の一側面であって総てではない... ...続きを見る
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2012/08/17 01:14
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(10) 第6飛行師団第14飛行団司令部
戦死の日時や場所については、通常、生存している所属部隊の上官、もしくは最も高位の上官が記すのが常だ。ただ終戦にあたり、あるいは外地からの復員の際に、記録書類の焼却や没収があり、戦死公報に必ずしも正確な日付や戦没地名が書かれているとは限らない。 {%上昇webry%}第14飛行団司令部附け軍医・上杉重邦大尉と妻のビワ子さん ...続きを見る
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2012/08/17 23:20
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(11) 第6飛行師団第14飛行団司令部
{%上昇webry%}第14飛行団司令部附け軍医・上杉重邦大尉と家族。手前に幼い長女の一江 ...続きを見る
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2012/08/18 23:33
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(12) 第6飛行師団第14飛行団司令部
軍医大尉という地位、しかも当時西部ニューギニアの主力航空戦闘部隊であった第14飛行団司令部附け軍医としての赴任だったことを考慮すれば、上杉重邦大尉の戦没地が「ホランジア方面」と記されたことは腑に落ちない。仮に、航空機搭乗中の事故もしくは戦闘による撃墜などにあったのであれば、それはその墜落地点が明確に特定できなくとも、少なくとも、搭乗機や日時に関する情報は明白に記録されているはずだ。 {%上昇webry%}第14飛行団司令部附け軍医・上杉重邦大尉と家族。 ...続きを見る
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2012/08/20 00:03
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(13) 第6飛行師団第14飛行団司令部
『小学6年生か中学1年生の頃だったと思いますが、家にあった父からの葉書を読みました。どこから送ったのか、いつ日本に着いたのか今では分かりません。というのも、その後、火事に遭って焼けてしまったのです。でも軍事郵便の消印がなかったことははっきり覚えています。ですから、きっと誰かに託して日本に届いたものと思います』---上杉重邦軍医大尉の長女である瀬野尾一江が述懐する。 {%上昇webry%}第14飛行団司令部附け軍医・上杉重邦大尉 ...続きを見る
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2012/08/21 02:35
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(14) 第6飛行師団第14飛行団司令部
すでに書いたが、三好正之軍医中尉の第36師団(雪部隊)第224連隊従軍記を描いた『戦場の聴診器』(中田整一著・2008年9月15日初版・幻戯書房)によれば、三好中尉は昭和19年1月末、秋津丸で広島の宇品港発。2月20日、マニラ着。3月19日、マニラから軍用機で出発。ミンダナオ島のダバオ、スラウェシ島のメナドを経由してマルク諸島のアンボンへ。アンボンからは重爆撃機呑龍に便乗して3月21日、ホランジア到着。そして3月24日、軍用機でホランジアからワクデ島を経由してサルミの第36師団へ着任。... ...続きを見る
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2012/08/21 22:35
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(15) 第6飛行師団第14飛行団司令部
終戦のほぼ一年前、昭和19(1944)年8月10日、「ホランジア(現パプア州の州都ジャヤプラ)方面で戦死」とされている第6飛行師団第14飛行団司令部附け軍医の上杉重邦大尉。戦後、一途に父親に関する情報収集に努めてきた、現在広島都市学園大学で公衆衛生看護学の教授を務める瀬野尾一江さん。韓国併合の年、時代が大正に移る二年前、明治43(1910)年8月25日生まれた父親。生きていれば明後日、102歳の誕生日を祝福されていたはずだ。 {%上昇webry%}上杉重邦軍医大尉の長女・一江(昭和1... ...続きを見る
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2012/08/22 22:00
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(16) 第6飛行師団第14飛行団司令部
上杉重邦軍医大尉が、昭和19(1944)年4月末時点で、おそらくホランジア・センタニ飛行場群地域にいたことは、あてはまらない情報の消去法によって導かれる結論だ。フンボルト湾、そしてタナメラ湾の東西両方向から同地へ“向こう見ず作戦(Operation Reckless)”と呼ばれる上陸を完遂した連合国軍。同地にいた約1万5千の将兵は、どのように同地を追われたのか。 {%上昇webry%}上杉重邦軍医大尉 ...続きを見る
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2012/08/25 00:58
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(17) 第6飛行師団第14飛行団司令部
生きていて長命であったのならば、上杉重国軍医大尉は、昨日8月25日、102歳の誕生日を迎えていたはずだ。34歳の誕生日まであとわずか2週間。岡山医科大学を卒業し日本陸軍軍医となった上杉は、祖国に妻ビワ子と三人の娘を残し、“南涯”の西部ニューギニアでこの世に別れを告げた。長女の一江は今でも父の足跡を探し続けている。父の終焉の地、そしてその過程を探る“歴史の旅”は、一江にとってやはり“戦後の旅”そのものであった。 {%上昇webry%}上杉重邦軍医大尉と妻のビワ子 ...続きを見る
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2012/08/26 00:11
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(19) 第6飛行師団第14飛行団司令部
『恩田部隊473名(戦闘操縦者を主とし、飛行団司令部を含む)は、ゲニム(注:ゲニェム)に向って行軍を開始した。サルミまでは当然、海岸線を行けば、距離も近く、行軍も楽ではあるが、タナメラ海岸にも敵が上陸しているので、いったん奥地に向い迂回して海岸線に出ようというわけである。二十四日の昼間は、センタニ湖の北岸斜面の林の中で休み、夜になってから、ススキのような草が長く茂っている草原を抜けて、ようやく遮蔽のできるジャングル地帯にたどり着いた。上空には敵機が自由に飛び回り、ちょっとでも部隊の気配... ...続きを見る
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2012/08/26 23:51
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(19) 第6飛行師団第14飛行団司令部
連合軍がホランジア(現パプア州の州都ジャヤプラ)に上陸した昭和19(1944)年4月22日。日本を発つ段階での赴任先である第14飛行団司令部附けであれば、おそらくセンタニ飛行場群付近にいたであろう上杉重邦軍医大尉。しかし、同地の戦局が歴史的急変を告げる最中、瞬時に生まれた多数の負傷者救命活動の中、上杉大尉が、センタニ地区を離れて、ホランジアに上陸してきた敵軍により近い、第113兵站病院が位置した、センタニ湖東部のコヤブ村北西へ派遣されたことも十分考えられる。 ...続きを見る
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2012/08/27 23:23
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(20) 第6飛行師団第14飛行団司令部
上杉重邦軍医大尉が、連合軍ホランジア上陸時(昭和19(1944)年4月22日)以降、センタニ湖北岸のコヤブにあった第113兵站病院(通称陣之内兵站病院)へ、何らかの事由で出かけていた可能性は否定できない。第14飛行団司令部が置かれたセンタニ飛行場群付近にいなければ、稲田正純第6飛行師団長心得による「サルミ転進」命令に基づいて第14飛行団長の恩田謙蔵大佐以下のおおよそ500名が第一梯団としてセンタニを発った段階で、それに加われなかった。敢えて悲観的に想像すれば、上杉大尉が、第113兵站病... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/08/29 20:11
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(21) 第6飛行師団第14飛行団司令部
連合軍上陸時(昭和19(1944)年4月22日)、ホランジア地区とセンタニ湖周辺にいたおよそ1万5千の日本軍将兵。ホランジアに限っても、把握できているだけでもおよそ2,700名が同地で戦死している。それらの部隊名は、建築勤務第52中隊(617名)、野戦高射砲第68大隊(674名)、海軍第90警備隊(217名)、海軍第9艦隊司令部(233名)、海軍第27特別根拠地隊(652名)、海軍第7警備隊(287名)などだ。 {%上昇webry%}上杉重邦軍医大尉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2012/08/30 20:30
上杉重邦軍医少佐の戦没地はどこか?(22) 第6飛行師団第14飛行団司令部
上杉重邦軍医少佐(戦死時大尉)の戦没地に関する考察を21回にわたり連載してきた。現時点で入手可能な記録を読み解き、幾つかの想定シナリオに基づいてその疑問に迫った。しかしながら、満足できる結論を導き出せないでいる。今号をもって、第一シリーズを終了する。上杉少佐並びにご遺族に申し訳ない気持ちで一杯だ。 {%上昇webry%}上杉重邦軍医大尉 ...続きを見る
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2012/09/02 23:18
京都産業大学「ふるさと論」講義の感想文Remaja Jepang & Perang Dunia II
{%学校webry%}紅葉のピークにはあと数日かと思われる先々週の木曜日(2012.11.8)、京都・上賀茂の京都産業大学で教壇に立った。今年で五回目。一般教養枠の「ふるさと論」の講義。今年も昨年同様、『故郷としての祖国』を主テーマに据えた。今回は、9月に北マルク州のモロタイ島やハルマヘラ島を取材してきたこともあり、モロタイ島で1974年12月、戦後29年と4ヶ月後にジャングル内の潜伏地で救出された、台湾人元日本兵の中村輝夫氏(中国語名は李光輝)に関して話を始めた。次いで今もなお西部ニ... ...続きを見る
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2012/11/17 22:27
京都産業大学「ふるさと論」講義感想文2Remaja Jepang & Perang Dunia II
{%学校webry%}紅葉のピークにはあと数日かと思われる先々週の木曜日(2012.11.8)、京都・上賀茂の京都産業大学で教壇に立った。今年で五回目。一般教養枠の「ふるさと論」の講義。今年も昨年同様、『故郷としての祖国』を主テーマに据えた。今回は、9月に北マルク州のモロタイ島やハルマヘラ島を取材してきたこともあり、モロタイ島で1974年12月、戦後29年と4ヶ月後にジャングル内の潜伏地で救出された、台湾人元日本兵の中村輝夫氏(中国語名は李光輝)に関して話を始めた。次いで今もなお西部ニ... ...続きを見る
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2012/11/18 22:30
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵、そして生き続ける三八歩兵銃
{%爆弾webry%}日本の真南およそ5,500km。ニューギニア島の西半分。インドネシアの最東端部にパプア州と西パプア州がある。そこは70年ほど前に日本軍と連合国軍とが死闘を繰り返した戦場でもある。 {%上昇webry%}数か月前にサルミ地区で高校生が見つけた旧日本兵の遺骨。 ...続きを見る
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2014/10/09 18:54
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか
{%爆弾webry%}2014年10月7日、『朝日新聞』東京版の国際ページに、小さな記事が掲載された。「インドネシア 旧日本兵の遺骨を確認」との記事。インドネシア・パプア州のプアイという場所で、戦死した旧日本兵の遺骨を焼く焼骨式が6日に行われたという内容だ。なんでも61人分の遺骨を確認とある。それらの遺骨は、日本に持ち帰られ、東京・千鳥ヶ淵戦没者墓苑に収められるとも。しかし、それらは本当に旧日本兵らの遺骨なのか?たぶん厚労省は言うであろう。住民らの証言や戦史などの記録、さらに遺骨周辺の... ...続きを見る
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2014/10/09 19:04
西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが
{%爆弾webry%}戦後70年は目の前だ。そして、日本人男性の平均寿命はおよそ80歳とか。つまり、終戦時に10歳だった男子が、そろそろ明鏡境を異にする時期に入ったことを意味する。言い換えれば、戦争実体験者が皆無に近づいているということだ。戦争を知らない世代が、社会の要所を占め、やれ世界平和貢献だ、国民の安全を守るのだとか喧しい。 ...続きを見る
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2014/10/09 20:52
西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが
{%爆弾webry%}戦後70年は目の前だ。そして、日本人男性の平均寿命はおよそ80歳とか。つまり、終戦時に10歳だった男子が、そろそろ明鏡境を異にする時期に入ったことを意味する。言い換えれば、戦争実体験者が皆無に近づいているということだ。戦争を知らない世代が、社会の要所を占め、やれ世界平和貢献だ、国民の安全を守るのだとか喧しい。 ...続きを見る
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2014/10/09 20:52
西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが
{%爆弾webry%}戦後70年は目の前だ。そして、日本人男性の平均寿命はおよそ80歳とか。つまり、終戦時に10歳だった男子が、そろそろ明鏡境を異にする時期に入ったことを意味する。言い換えれば、戦争実体験者が皆無に近づいているということだ。戦争を知らない世代が、社会の要所を占め、やれ世界平和貢献だ、国民の安全を守るのだとか喧しい。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/10/09 20:53
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(2)
{%爆弾webry%}遺骨収集作業なのだろうか、それとも遺骨回収事業なのか? 実際に、土むくれを掘り起しているのは地元のパプア人。そして、ある程度の“量”がまとまると連絡してくる得体のしれない“現地インフォーマント”。次は、それらの情報確認のために、日本の民間組織が向かい、それを確認。すると。その情報確認のために日本政府関係者が、現地へ向かい。それを“役人の眼”で再確認。丁寧な二度手間。費用もかかろう。豊かな経済力の国家らしいビジネスクラス的調査方法かな。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/10/25 02:07
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(3)
{%爆弾webry%}煮えたぎるような高湿度。吐き気をもよおす異臭。蚕棚のような狭い空間。敵潜水艦の魚雷攻撃を避けつつ、ジグザク操舵で進む古びた貨物船の船底。今から70年以上も前、何万、何十万もの将兵が、日本から、そして占領下の中国から南方へと向かった。厚労省のデータによれば、西イリアン(西部ニューギニア・今日のインドネシア領パプア州&西パプア州)で53,000人、東部ニューギニア(今日のパプアニューギニア)で127,600人が戦死。さて、これらの数値に、動員された朝鮮半島出身者、台湾... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/10/25 18:37
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(4)
{%爆弾webry%}当たり前の話だが、かつての戦場で、あるいはその付近で見つかる遺骨の個人特定をする場合、戦史との照合、元帰還兵の証言などからの推察、さらには個々の遺骨の周辺部から出てくる数々の遺留品(例えば、認識票、飯盒、水筒、鉄帽、眼鏡、印鑑、銃、銃剣、その他の軍装備等々)の存在が極めて重要な要素となる。そして地元住民、とりわけ古老らの証言、あるいはその証言を引き継いだ次世代の伝承証言も有力な手掛かりとなる。もちろんDNA鑑定という手段もあるが、その場合、遺骨が、生前どの部隊に所... ...続きを見る
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2014/10/28 20:09
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(5)
{%爆弾webry%}去る10月10日、西部ニューギニア(旧蘭領ニューギニア・旧西イリアン・旧イリアンジャヤ・旧パプア州:現在はパプア州&西パプア州)から戦後69年ぶりに祖国帰還を果たした(おそらく)旧日本兵と推定される計61柱の遺骨に関してリポートした。日本の民間団体による杜撰な遺骨情報収集過程、そして余りにもアマチュア的かつ長期展望の無さ。戦前・戦後を通じて70年以上もの長きに渡って、赤道直下の土むくれと化した旧日本軍将兵。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/11/15 21:48
サルミからダンケン&ブファレ村へ(1) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/11/28 20:15
サルミからダンケン&ブファレ村へ(2) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
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2014/11/29 17:35
サルミからダンケン&ブファレ村へ(3) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
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2014/11/30 17:28
サルミからダンケン&ブファレ村へ(4) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
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2014/12/01 19:01
サルミからダンケン&ブファレ村へ(5) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
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2014/12/02 19:08
サルミからダンケン&ブファレ村へ(6) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
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2014/12/03 19:31
サルミからダンケン&ブファレ村へ(7) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
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2014/12/04 19:00
サルミからダンケン&ブファレ村へ(8) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
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2014/12/05 20:47
サルミからダンケン&ブファレ村へ(9) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
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2014/12/06 19:40
サルミからダンケン&ブファレ村へ(10) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
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2014/12/07 18:01
サルミからダンケン&ブファレ村へ(10) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
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2014/12/07 18:01
サルミからダンケン&ブファレ村へ(11) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
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2014/12/08 18:34
サルミからダンケン&ブファレ村へ(12) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から間もなく73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
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2014/12/09 18:08
サルミからダンケン&ブファレ村へ(13) 西部ニューギニア未帰還兵
{%爆弾webry%}日米開戦、太平洋戦争勃発から73周年。来年は終戦70周年。厚労省の統計によれば、海外戦没者概数は約240万人。その内、今日現在、およそ113万柱が未収容とのことだ。しかし、海没そして相手国の事情等で収容が困難とされる遺骨概数は約53万柱。つまり、収容が可能な未収容遺骨は約60万柱ということになる。 ...続きを見る
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2014/12/11 00:23
西部ニューギアから新たな旧日本兵の遺骨情報が Nasib Tentara Dai Nippon
{%爆弾webry%}“ビジネスクラスで行く”旧日本兵の遺骨情報調査については、これまで何度か記してきた。年間1千〜2千万円もの、日本国民の血税から生まれた「公費」を使って、70年以上も前に戦場に斃れた、多くは20〜30歳代の将兵らの遺骨に関する情報を収集する作業のことだ。これには、本来率先して足を運ばなければいけない担当省庁である厚労省は、業務管理のみで、民間団体にその任の大半を“丸投げ”している。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/16 23:18
パプア州のジャヤプラからサルミへ(1) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/29 20:54
パプア州のジャヤプラからサルミへ(2) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2014/12/30 19:12
パプア州のジャヤプラからサルミへ(3) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/01 18:38
パプア州のジャヤプラからサルミへ(3) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/01 18:38
パプア州のジャヤプラからサルミへ(4) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/02 19:55
パプア州のジャヤプラからサルミへ(5) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/03 19:11
パプア州のジャヤプラからサルミへ(6) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/04 18:44
パプア州のジャヤプラからサルミへ(7) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/05 18:52
パプア州のジャヤプラからサルミへ(8) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/06 19:12
パプア州のジャヤプラからサルミへ(9) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/07 19:22
パプア州のジャヤプラからサルミへ(10) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/08 17:12
パプア州のジャヤプラからサルミへ(11) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/09 20:02
パプア州のジャヤプラからサルミへ(12) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/10 19:23
パプア州のジャヤプラからサルミへ(13) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/11 19:01
パプア州のジャヤプラからサルミへ(14) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/12 18:38
パプア州のジャヤプラからサルミへ(15) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/13 18:49
パプア州のジャヤプラからサルミへ(16) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/14 18:15
パプア州のジャヤプラからサルミへ(17) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/15 21:27
パプア州のジャヤプラからサルミへ(18) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/16 18:53
パプア州のジャヤプラからサルミへ(19) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/17 17:55
パプア州のジャヤプラからサルミへ(20) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/18 16:46
パプア州のジャヤプラからサルミへ(21) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/19 17:05
パプア州のジャヤプラからサルミへ(21) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/19 17:05
パプア州のジャヤプラからサルミへ(21) Jayapura to Sarmi, Papua
{%爆弾webry%}西部ニューギニアのパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から、直線距離でおよそ233km(道路上の距離では約300km)西方のサルミ県の県都サルミを目指した。途中、センタニ湖やゲニェム、ボンゴ、ベタフ、タカール、トゥム、アラレなどを通過してトル川越え。トル川は、戦時中、“命を取る(トル)川”とまで称された。その先に、ウォスケ川、この付近には日本軍が建設した飛行場があった。そしてさらにその先、サルミに入る直前のサワール付近にも、日本軍によって飛行場が造られた。 ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/19 17:05
パプア州のジャヤプラからサルミへ(22) Jayapura to Sarmi, Papua
(注) 海外出張につき、日本国内不在中のブログ記事を掲載します。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2015/01/19 19:56

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戦後67年・西部ニューギニアに瞑る数万の将兵 Prajurit Jepang di Papua インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)/BIGLOBEウェブリブログ
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