パプア人青年が案内するパプアツアー Trek Papua Tours & Travel

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筆者は西部ニューギニアが大好きだ。その昔、オランダ海外植民地から国連管理を経てインドネシアに併合されると「Irian Barat」と呼ばれ、やがて「Irian Jaya」とその名を変え、そして今日の「パプア州」と「西パプア州」と展開を遂げた。世界第二位の巨島ニューギニアの、東経141度を境とする西半分のエリア。先の大戦中には、日本軍が東南のメラウケ地域を除き軍事占領した場所だ。

デマイアヌスさん(Demaianus "Mac" Wasage)

島の中央部にあるバリエム盆地(Lembah Baliem)。中心地はワメナ(Wamena)。1973~1980年、その近代と“石器時代”が入り混じった同地域へ毎年出かけた。あの頃、通信事情はSSB(無線)が主流。あの頃、小型レシプロ機で好天の日のみアクセスできた。ところがどうか現在は。携帯電話でFB(フェースブック)を楽しむ人々が普通に存在する。中型プロペラ機が毎日何社も就航する。

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1974年、ジャヤウィジャヤ(Jayawijaya)県の県都ワメナからバリエム川沿いに、東に位置するクリマ村まで、まる一日の徒歩。そのクリマ村にあった公立小学校の生徒がポーター役として協力してくれ、そのずっと東のニニア村(Desa Ninia)まで、およそ一週間のトレッキング。“原始”を感じさせる“秘境”だった。

“物質文明”とはなんと猛威なものなのか。年々歳々、お金文化とマテリアル文化が、東バリエム渓谷へ浸透していった。それでも1970年代、中央高地に暮らす人々は、実態生活として、極めてエコロジカルな“原始”的営みを持続していた。一方、教育システムは、どんな奥地へも入っていった。

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コテカ(ひょうたん製のペニスケース)を着けた男性と、樹皮や草で作った腰ミノで上半身裸の女性たち。しかし、そんな大地で、子供たちは“学校”へ通った。そして大人になった。デマイアヌス君(Demaianus "Mac" Wasage)もその一人だ。彼は、ヤリモ県(Kab.Yalimo)のホロンドゥ(Holondu)村でヤリ(Yali)民族として、1983年3月17日、生まれた。西部ニューギニア最大のマンベラーモ川上流域に近い村だ。

その彼は、村から遠く離れたワメナの高校に学び、そしてマノクワリ(Manokwari)にある国立パプア大学の文学部に学んだ。今、プロテスタント教徒の彼はトレッキング・ガイド会社である『Trek Papua Tours』(本社ワメナ)の社長になった。得意な英語を活かし、全世界から旅行者を西部ニューギニアに呼び込もうとしている。

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パプア生まれの“マック”は、流暢な英語を活かし、生まれ故郷のパプアの魅力をエコツーリズムの視点から世界中の人々に伝えようと努力している。彼が主宰する「Trek-Papua Tours & Travel Co.,Ltd」は、バリエム渓谷はもちろんのこと、パプア全土のパッケージツアーを企画し、秘境観光の魅力を発信している。

通常の旅行会社では不可能な、西部ニューギニア最長のマンベラーモ川流域ツアー、そしてトリコラ山(4,734m)登頂ツアー、そしてオセアニア最高峰のプンチャック・ジャヤ山周辺部へのトレッキングなど、地元生まれの強みを活かしたユニークな観光ツアーを紹介している。

あれから30~40年。当然と言えば当然だが、“石器時代”の西部ニューギニアは大きな変貌を遂げた。今、パプア生まれのパプア人青年が、インターネットを通じて来訪を呼びかけている。曰く『あなたの足跡以外に何も残さない。写真以外に何も採らない。私たちが目指すエコツーリズムです』と。


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参考Website

Trek-Papua Tours & Travel
http://www.papuatravels.com/

ビデオ自己紹介
http://www.papuatravels.com/about_us.html

GBI「パプア州」関連ブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/42c3391253.html

GBI「西パプア州」関連ブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/5a24fca5c3.html



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