再録『GBIニュース』1999.6.11 【インタビュー】 ジョニー・ルミンタン陸軍副参謀

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大川誠一の『GBIニュース』  1999年6月11 Berita GBI(11 Juni 1999)
スリースター(中将)旗をわきに、執務室のジョニー・ルミンタン陸軍副参謀長

【インタビュー】ジョニー・ルミンタン陸軍副参謀

総選挙の開票が遅々として進まないインドネシア。しかし、首都ジャカルタは次第に選挙キャンペーン前の静けさを取り戻しつつある。一昨年来の通貨危機、そして昨年5月のスハルト退陣。この間、インドネシアは絶えず不安定、不穏な空気と無縁ではあり得なかった。多くの華人系インドネシア人の海外への脱出は、さらに経済停滞を生んだ。『総選挙が終わって、初めて将来を占うことができる』が、多くの人々にとって過去一年間の合い言葉だった。

そして今総選挙は意味のある混乱もなく、無事終了した。しかし、それでも未だ「未来」は見えてこない。絶対安定多数を獲得できる政党が不在なことに加え、どのような連立政権が生まれるのか、政党間の合従連衡はどのような組み合わせで実現するのか、そして誰が第四代大統領に就任するのか、さらには、その大統領は多数の国民、国軍の支持を得られるのか、それらのいずれもが未だ不確定なためだ。少なくとも、国会勢力を予測し得るまでの開票が、国勢レベル、州議会レベルで進まなければ、次期大統領候補の「当確」予想も困難だ。『11月のMPR(国民協議会)に向けて、まだまだ不安定な状況が続く』が、地元マスコミ関係者の一致した見方だ。

さて、GBIニュース(98.12.11#2)でABRI(インドネシア国軍)のNo.2パースンであった総参謀長(KASUM)のファフルール・ラジ(Fachrul Razi)中将(現国防治安省次官)との単独会見の一部内容を報じたが、それ以前にもGBIニュース(98.9.2)でABRI総参謀部・作戦担当参謀(Asops Kasum)のジョニー・ルミンタン少将との会見についても伝えた。今回の取材旅行で、記者は再びジョニー氏と公開を前提としたインタビューの機会を持った。昨年10月、少将から中将へと昇進、現在陸軍副参謀長(WAKASAD)の要職にある。独立後のインドネシアでは18人目のWAKASADにあたる。前任者のスギオノ(Sugiono)中将は今KASUMとなり、そのまた前任者のスバギヨ(Subagyo)は大将となり、現陸軍参謀長(KASAD)を務めている。

再録『GBIニュース』1998.9.2Berita GBI WWCR Johny Lumintang
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_20.html

陸軍の序列No.2となったジョニー・ルミンタン中将は、実は昨年、スハルト退陣声明(98年5月21日)の翌日(22日)から翌々日(23日)にかけて、わずか17時間だけだがPANGKOSTRAD(陸軍戦略予備軍司令官)に任命された。これは、スハルト退陣を受け、ウィラント国軍司令官が直ちに実施したプラボウォ・スビアント中将(スハルトの女婿)のPANGKOSTRAD更迭に伴う後任人事異動だった。しかしながら、今でも“謎の17時間”と呼ばれるこの奇怪な人事異動は、ジョニー中将をして『このわずか17時間の人事は、おそらくギネスブック入りの記録だ』と言わしめている。

『そればかりか、9ヶ月間という短い期間に僕は5回も人事異動にあっている。これもギネス入りだね』と、爽やかな笑顔で語る。『この人事は、ウィラントPANGAB(国軍司令官)が決定し、ウィラントPANGABが撤回した。私は命令に従っただけだ。私はその背景について正直言って知らない。尋ねたこともない。PANGABが独自に決めたものか、それとも大統領が決定したものなのか、私は知らない』と、“謎の17時間”を解く鍵は、最高権力者しか知り得ないことを強調する。

首都ジャカルタ。独立記念塔が立つモナス広場。広場の西側道路沿いには国防治安省や情報省などが、そして北側道路沿いには大統領府や内務省が立ち並ぶ。内務省東隣の、北独立通り(Jalan Merdeka Utara)の2番地にあるTNI AD(インドネシア国軍・陸軍)本部。こういう場所には、本来黒塗りの高級乗用車で出かけるべきかも。が、あいにくそういった車はない。そこで、青色の車体で、ジャカルタでは最も信頼されているブルーバード・タクシー会社の傘下にあるメーター付きのシルバ―・バード・タクシー(といっても車体は黒塗り)で出かけた。途中、携帯電話で直接ジョニー中将と連絡を取りながら、ゲートでトラブルが無いことを要請した。ところが、やはり甘かった。ゲート前には「タクシーでの入場禁止」と書かれた看板が立っていた。しかし古くからの知己であるジョニー中将は、遠方からの友を見捨てることはなかった。記者は、憲兵が運転する四輪駆動車でゲートから最奥部にある本部ビルまで案内されたのだ。

陸軍本部とは名ばかり、ロケーションとしてはジャカルタのまさに“心臓部”に位置するが、建物の多くはオランダ時代からのもの。お世辞にも立派とは言えない。本来はジャカルタ郊外のチランカップにある国軍本部に移るべき陸軍本部は、予算不足のため、今でもこの古めかしい施設から動くことができない。チランカップには、すでに空軍や海軍本部が移っている。『陸軍本部用の土地もすでにあちらにあるのだが、お金の関係でまだ建物がない』のだそうだ。ちょうど改修工事が進行中でもあり、この北独立通りにある陸軍本部の本部ビルは、表側だけは綺麗にお化粧しているが、裏側は空爆跡のような有様。3階まで続く高級石で作った豪華な階段。エレベーターはない。上がり終えると、正面に二部屋。金色に輝く大きな陸軍のシンボルマー。

向かって左側がKASAD(陸軍参謀長)の執務室、右側がWAKASADの部屋だ。右の部屋を目指すと、奥から『いらっしゃい!お久しぶり!お元気ですか?』と言いながら、中佐の階級章を付けた小柄な副官が笑顔で出迎えた。な、なんと彼はガトット(Gatot)中佐ではないか。かつてイリアンジャヤ州のメラウケ県でDandim(県軍司令官)をしていたガトット氏だ。1997年10月、同県のアスマット地方の中心地であるアガッツ(Agats)村で行われたアスマット芸術祭で知り合い、そして別れて以来の再会だ。アラフラ海に面した小さな村で出会い、首都の陸軍本部、それもジョニー陸軍副参謀長の部屋で再会とは。聞けば、ガトット中佐はさる二月、ジョニー中将の副官に抜擢され、遠くイリアンジャヤ州のジャヤプラから首都へと移ったそうだ。

『懐かしいですね。今度、是非夕御飯でも食べましょう!』----どちらからともなく次のアポが決まった。ガトット副官の案内で、隣の副参謀長室へ。およそ5X10メートル大の豪華な部屋。壁には歴代の陸軍副参謀長の顔写真が並んでいる。そして少し離れた位置に、現国軍司令官のウィラント大将の顔写真。一方ハビビ大統領の写真は、孤独感をただよわせ、正面の壁に一枚だけ掛けられている。執務机の上には色分けされた5台の電話。奥の棚には、画面が四分割されたテレビモニター装置。隣の待合室や3階までに至る階段風景などが常時モニターできる仕組みになっている。陸軍の紋章入りのコーヒーカップと受け皿。出されたコーヒーは砂糖水のような甘さ。
以下、およそ一時間半に及んだインタビューの抜粋。

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インタビューに応じるジョニー・ルミンタン中将


まず21世紀のインドネシアはどのような変化を見せ、あなた自身はどのような国家の理想像を描いていますか?

急速なグローバル化の流れの中で、エンバイロメント(環境)が劇的に変わるでしょう。21世紀は法律こそが全てを決めるスーパーマシーンとならなければならない。人治ではダメだ。法が秩序を決める社会、法こそが人権を始めあらゆる問題を解決するための指針とならなければ。

では国軍(TNI)の役割も当然変化すると?

今回の総選挙で示したように、国軍はその中立性を保った。正直言ってこれまでの新秩序時代には、選挙ではあからさまにゴルカルを支援してきた。しかし、今回は違った。実に中立だったと思う。特定の政党を支持した例はない。つまり国軍は自ら内的改革(Reformasi Internal)を実施したわけだ。これからは州知事も県知事も、国軍の将兵が兼務することは許されない。行政の長になるのだったら、国軍をリタイアしてからやればいい。これからの国軍は真に、国民の、国民による、国民のための軍隊とならなければならない。その方向性はすでに決まった。それをどう実現するかが残された課題だ。国軍は国民に愛され、国民に親しまれる軍隊でなければならない。当然のことだ。

国軍の二重機能についてはどのようにお考えでしょうか?

その前提として、一国民、一国軍兵士として、このインドネシアという国家、国民に対する関与、関心、姿勢がまず問われなければならない。この国家の、この国民の主権に対し一体どのような関与、関心、姿勢をとらなければならないのか。困っている国民がいれば、我々国軍は助けなければならない。助ける義務がある。これこそ、二重機能云々よりも重要ではないかと思っている。軍隊が本来使命として持っている国防という観点からすれば、国軍が関与すべきではない分野においても、国軍はこれまで手を差しのべてきた。農民のために家を建て、道路を造ってきた。それは本来なら農業省、住宅担当当局、そして公共事業省の仕事でしょう。そして例えばデモがあれば、デモを終えた人々をバス代わりに軍用トラックで帰宅の足として提供している。本来なら、それは運輸省がやるべき仕事ではないでしょうか。洪水で溺れている人を眺めているわけにはいかないでしょう。国民に奉仕し、国民の守護者としての国軍の使命を果たしているのです。例えば私が国民から州知事に推挙されたとしましょう。国民が望み、国民に尽くしたいと考えていれば、当然その要請を断れないでしょう。まあ、しかしこれからは国軍将兵がそういったポジションに就く場合は、国軍をリタイアしてからでなければダメですがね。21世紀には軍人の州知事、県知事はもういません。

しかし、スハルト政権崩壊後、それまでの国軍(注:当時はABRI。99年4月より、警察の国軍からの分離によりTNIと名称変更)の理不尽な行為が至るところで暴露され、国軍の信用は壊滅的な打撃を受けたと思うのですが。国民の、国民による、国民のための軍隊が、一部にせよ、実は国民に銃を向ける軍隊だったことが白日の下に曝されたわけです。一体どのように国軍の信頼回復を図るのでしょう?

そのためには、まず中立性を堅持するということです。次に、法こそが全ての指針となることです。そして国民の守護者であるということを日々の仕事を通じて証明していくことが大切です。国民に対して礼儀正しくならなくてはいけません。しかしながら、平穏な国民生活を妨害し、邪魔する輩や、法律を犯した輩に対しては毅然とした態度で望むことも重要です。

アチェ特別州や、あなたがかつて軍管区司令官を務めたイリアンジャヤ州などでは分離独立の動きが活発化しているが?

これまでは地方に対する配慮が足りなかった。中央からのがんじがらめの諸規制、そして不均衡な予算の分配。地方の人々が怒るのも理解できないことはない。公正、公平ではないとの不満の感情が吹き出るような事実があれば、地方の人々が自分たちは正当な扱いを受けていないと感じるのもやむを得ない。地方を豊かな社会に建設するためには、Bottom Upの精神が重要だ。これまでは中央が中央の判断でこれがいい、あれがいいと勝手に決めて、それを押しつけてきたことも多い。それを真に地方が望んではいないのにも関わらずだ。例えば、イリアンジャヤ州の場合、私が赴任中に、イリアンジャヤ以外の島から来た連中が、「ここの人間は何をやらせてもダメ。何もわかっていない」とか言うけれども、ではそこの住民にチャンスを与えたかと尋ねたい。何も機会を与えずに、ダメだダメと言ってもダメだ。地元にも優秀な人間はたくさんいる。彼らが彼らの能力を発揮できるチャンスを作ることが先決だ。イリアンジャヤの住民は、教育や交通網、そして保健関連の向上を期待している。しかし、学校をいくつ建てても、卒業後に学んだ知識や能力を発揮できる場所がなければ、それは無意味だ。そこまで考えてから、教育の問題にとりかかる必要がある。その昔、中央高地のワメナで、地元政府が歩道をコンクリートで固めようとした。そして実際にある地区ではそうした。ところが、地元の人々から不評の声が上がった。無理もない。裸足で歩く際に、コンクリートの道では熱くてたまらない。彼らが欲しかったのは、その歩道沿いの街路樹だったんだ。均衡ある財政を地方に分配し、中央からの規制を緩和し、地方で即決できるような社会が待ち望まれる。個人的には、Bottom Up方式をとれば、問題は解決できると信じる。従って、当然21世紀に入っても、アチェやイリアンジャヤはインドネシア共和国を構成するインドネシア国民に他ならない。ちなみに東ティモールに関して言えば、この問題は当面、8月に予定されている住民による意思表明投票の結果を待たなくてはならない。

しかし、イリアンジャヤ州の統計によれば、少なくとも学校数は驚異的に増えているが?少ない予算の中で、それなりの努力をしているのでは?

いや、私が言いたいのは教育コンセプトの点だ。先ほども言ったが、学校を卒業して村へ戻ったら、教育で得たものを使える場と機会がなければいけない。私は知っているが、例えば看護学校を出た若い女性たちの内、一体、何人が病院などの施設で働けると思いますか? 社会学の学士を取得した者、そして経済学士たちが、大学を出たあとで何をしろっていうのでしょう。それを活かす場所がないのです。しかし、あの広大な土地と豊かな自然と資源、そして人口を考慮に入れれば、例えば農業や、漁業、林業など、まだまだ地元の住民が活躍できるフィールドはたくさんあります。そのための知識を学ぶ教育施設こそ重要なのでは? そしてそういった技術をトレーニングする施設、場所が。ですから、基本はBottom Up精神で、地元の人々が何を欲しているのかを知ることが急務です。木材資源だって、大木を切り倒したら、丸太のままでどこかへ持って行かれる。なぜ、地元で加工し、付加価値を付けようとしないのでしょう。イリアンジャヤ州のメラウケ県には、例えばカニや鯉などが無尽蔵にあります。しかし、そのまま手つかずの状態です。それから教育の質の問題も重要でしょう。一例を挙げれば、イリアンジャヤ州ジャヤウイジャヤ県(中央高地)の高校の質を、ジャワ島の高校の質と同レベルにすることが大事です。まさにサバンからメラウケまで教育内容・レベルを均一化することが必要です。これらのためには、まさにハイテク機器、例えば通信衛星を利用した教育などが直ぐさま実行されてもいいでしょう。ワメナの高校生が、ジャカルタの高校の先生の授業を衛星経由で受けるとか。とにかくインドネシアの教育費はアジア各国の中でも一番低いレベルでしょう。未来のために教育には投資すべきです。余談ですが国軍のケースで言えば、イリアンジャヤ州に勤務する少尉とカリマンタンに勤務する少尉は同レベルの人材度です。これは国軍のシステマティックなピラミッド型教育システムが功を奏しているということでしょう。一方どうでしょう、イリアンジャヤとカリマンタンの小学生のレベルの違いは?

21世紀のインドネシアは“東部インドネシアの世紀”との声もあるが?

東部インドネシアに豊かな天然資源が眠っているのは確かだ。金、原油、木材、そして莫大な漁業資源。マルク州なんて海は魚で溢れている。しかし、例えば漁船を買うにしても、操業許可にしても、すべてジャカルタからの許可を得なければ事はスタートしない。アグリビジネスだってそうだ。例えばココヤシ栽培。これも中央の許認可の下に置かれている。私の出身地のケースで言えば、ココナッツ・オイルやチェンケ(丁字)はいっぱいある。しかし、それらもジャカルタのOKがなければ、どうすることもできない仕組みがある。だけれども、今回のクリスモン(通貨危機)に際して、輸出産業であるそういった産業は影響を受けるどころか、増益となった。地方こそが地方を一番よく知っている。少なくともジャカルタの官僚よりもね。規制緩和によって、地方がその潜在的な力を自らの手で発掘、発揮できるようにしなければならない。一方で、日本や韓国、台湾の漁船がやってきて東部インドネシアでおもしろいように魚を捕っている。彼らの漁船は素晴らしいハイテク機器を積み込んでいるから、簡単に魚のいる場所を見つけることができる。そして船に据え付けた大型冷凍庫に、どんどん魚を詰め込む。しかし、例えば北スラウエシ州の漁民の場合、陸上にも大型冷凍設備がない。さらに漁船の燃料補給基地も貧弱な状態だ。可能性は巨大だが、それを地元の人々が開発していくためには、やはり規制緩和と、必要資金の分配がなければならない。それから、東部インドネシアはまだまだSDM(Sumber Daya Manusia=人材)面で、遅れています。例えば、マルク州とイリアンジャヤ州には大学の医学部がありません。医療関係者は全員スラウエシ島のウジュンパンダンやメナドからやってきているのです。これも改善しなければいけない。私が思うに、例えばアンボンなどは「海」を目指すべきだと思います。「海」をベースとした開発です。また、イリアンジャヤ州などでは、あの豊富なサゴ椰子資源にもっと注目すべきでしょう。またイリアンジャヤの漁民数は、その豊かな資源と比べて格段に少ない状態です。外国漁船が操業しているのを見ているだけではなく、地元民が参加していけるようなシステムを考えるべきでしょう。

あなたが考える「インドネシア共和国大統領」の必要条件とは?

インドネシアは300以上もの民族そして文化、さらに数々の宗教が入り交じる形で一つの国家を構成しています。こういった違いを克服して、お互いに尊敬し合う社会を構築することが重要です。そのためには、国民をまとめる能力のある人物が望まれます。国民のアスピレーションを受け止め、多様性の国家を一つにまとめる力のある人物です。つまり、インドネシアで最高の国民が大統領になるということです。それは男であっても、女性であっても構いません。いわんや、これまで言われていたようなジャワ人でなければ、イスラムでなければダメといったようなことは、これからは通用しないでしょう。誰でだっていいのです。彼、彼女がインドネシアの最高の人物であり、国民をまとめる能力があれば。

最後に日本への期待は?

日本人がどのように、どの分野でインドネシア国民を支援し、協力し合えるのかもう一度考えてもらいたい。今まで通りでいいのか、それとも方向を変えるのか。個人的には国民(庶民)経済分野、例えば漁業分野などで、日本の経験と知恵を授けて欲しいと思っています。巨大なプロジェクトに限らず、例えば私の地元の例で言えば、メナドに大型製氷工場を建てるとか。これによって、漁民たちは水揚げした魚を腐らせずに済ませられます。また、ココヤシで言えば、原料として出荷するだけではなく、地元で加工して付加価値商品に仕上げるためのノウハウや技術移転です。現在は、椰子油を絞るだけです。しかし、その油を加工して別の商品を開発するノウハウを提供してはもらえないものでしょうか。小規模でしょうが、それで地方の発展は飛躍的に伸びることでしょう。

【プロフィール】
Letjen TNI Johny J. Lumintang(ジョニー・ルミンタン陸軍中将)。1947年6月28日、北スラウエシ州のメナド市南方80kmのラタハン村で、五人兄弟(男三人、女二人)の三男として生まれる。ミナハサ人。『長兄はガルーダ航空の元パイロット、次兄は貨物船の船長だった。二人ともすでに定年だけれどもね』とジョニー氏。父親(1982年79歳で死去)は、60歳までずっと地元の小学校の教師。国立インドネシア大学医学部卒で歯科医の妻(アンボン出身)との間に二女一男。『長女は昨年結婚。この10月にも僕はおじいちゃんになっちゃうよ。下の娘は現在オーストラリアへ留学し、パブリック・リレーションを専攻する大学院生、そして末っ子のせがれもオーストラリアの専門学校でグラフィックデザイナーを目指して勉強中』。
1967年にAKABRI(インドネシア国軍士官学校)入学、1970年卒。KASAD(陸軍参謀長)のスバギヨ大将とは同期だ。『実は高校を卒業した1965年に船員養成学校を受験したんだが、落ちてしまって浪人生活。もしも合格していたら、今頃は船に乗っているはずだ。落ちたがために、中将になった。ハハハ』とジョニー“中将”。これまでの主な軍歴は、イリアンジャヤ州・ジャヤプラ大隊司令官(1984-1986:中佐)、イリアンジャヤ州メラウケ県Dandim=県軍司令官(1986-1988)、マラン旅団司令官(1988-1989:大佐)、ジャカルタ(1990-1991:教育)、東ティモール州Danrem=地区司令官(1993-1994)、KOSTRAD(陸軍戦略予備軍)第一師団長(1994-1995:准将)、イリアンジャヤ州及びマルク州を傘下に置く第8師団(トリコラ師団)KASDAM=参謀長(1996)、第8師団師団長(1996-1998年4月:少将)、Asops Kasum=国軍総参謀部・作戦担当参謀(1998年4月~98年10月)、PANGKOSTRAD=陸軍戦略予備軍司令官(99年5月22日~23日の17時間)、5月23日より再びAsops Kasum(98年10月中将に昇進)、Dan Sesko ABRI=インドネシア国軍指揮幕僚学校校長(98年11月1日~98年12月31日)、WAKASAD=陸軍副参謀長(99年1月1日より今日まで)。米国留学経験もある。
身長178cm、体重80kg、血液型O。プロテスタント。趣味はテニス、ゴルフ(ハンディキャップ10)、バトミントン。
『読書も好きで、たいてい伝記物か地理関係の書籍』とのこと。好きな言葉は『Suka(好き)』。一方嫌いな言葉は『Benci(憎む)』。『僕はBenciという言葉が一番嫌いだ。でもね、Setan(悪魔)だけはBenciする』と。
国軍の定年は一応55歳。『定年になったら、故郷のメナドへ帰って農民になる。昔からの夢なんだ。大統領を目指せだって? 冗談やめてよ! その可能性は0.00000001%もないんだから』。『思うに、国軍の中には二つのタイプの人間がいると思う。Thinker(思想家)とFarmer(農夫)です。僕は間違いなく後者。ああだこうだ言う前に、まず行動しますから。政治家向きではないのです。水田で鍬を握っている方が似合うのです』


備考
2011年現在、ルミンタン氏は、故郷の北スラウェシ州ラタハン村で、バニラ栽培に励んでいる。言葉通り、農民になった。

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歴代陸軍副参謀長の写真

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再録『GBIニュース』1999.1.18【会見】国家人権委員会)事務局長クレメンティノ・アマラ―ル氏
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201111/article_3.html
再録『GBIニュース』1999.1.15  【書籍】 タブーが消えたインドネシア出版事情
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再録『GBIニュース』1999.1.14 【会見】UILPEM(社会経済研究所)スリ・ムルヤニ所長
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201111/article_1.html
再録『GBIニュース』1999.1.13 CAPS(農業政策研究センター)所長のH.S.ディロン氏
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再録『GBIニュース』1998.12.22 【会見】アンディ・アリフィアン・マラランゲン行政法学者
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再録『GBIニュース』1998.12.15  【会見】 メガワティ・スカルノプトゥリ
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再録『GBIニュース』1998.12.14#2 【会見】PAN(国民信託党)総裁アミン・ライス氏
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再録『GBIニュース』1998.12.14 【インタビュー】 詩人レンドラ
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再録『GBIニュース』1998.12.13 P3M(プサントレンと社会の発展協会)会長マスダール氏
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再録『GBIニュース』1998.12.12 【インタビュー】 不動産評論家パナンギアン氏
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再録『GBIニュース』1998.12.11#2 会見:インドネシア国軍総参謀長ファフルール・ラジ中将
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再録『GBIニュース』1998.12.11GBIとIWAPI(インドネシア女性経営者協会)が協力
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再録『GBIニュース』1998.12.10#2 HMI(イスラム学生協会)会長アナス・ウルバニングル
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再録『GBIニュース』1998.12.10 【グラフ】 東ティモール展(TTF'98)が開催される
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再録『GBIニュース』 【グラフ】 1998.12.9#2 【会見】ANTARA通信社社長パルニ氏 
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再録『GBIニュース』 【グラフ】 1998.12.9 YLBHIで ハンストを続ける農民
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再録『GBIニュース』1998.12.8 【インタビュー】 インドネシア“ヤクザ”社会の元ボス
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再録『GBIニュース』1998.12.7 【最新インドネシア・ポルノ映画事情】
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_13.html
再録『GBIニュース』1998.12.6 【グラフ】 ♪ジングルデモ・ジングルデモ・靴が減る♪
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_12.html
再録『GBIニュース』1998.12.5#3 【人】 映画・テレビドラマ制作プロデュ―サーのケマラ氏
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再録『GBIニュース』1998.12.5#2 【テレビドラマ・映画事情】 
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再録『GBIニュース』1998.12.5 ジャカルタの映画制作会社が日本人の女優候補を公募
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_9.html
再録『GBIニュース』1998.12.4 【メディア】BUMN(国営企業)の民営化に備えて創刊
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_8.html
再録『GBIニュース』1998.12.3 【インタビュー】 若手女性映画監督ミラ・レスマナさん
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_7.html
再録『GBIニュース』1998.12.2#2 【ギャラリー】 画家クリヨノ氏が描く『木炭画のバリ島』
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_6.html
再録『GBIニュース』1998.12.2 【ギャラリー】 画家クリヨノ氏が描く動物ファンタジー
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_5.html
再録『GBIニュース』1998.12.1#3  【詩の夜】 詩人レンドラが最新作を発表
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_4.html
再録『GBIニュース』1998.12.1#2 【書籍】 『Free East Timor』
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_3.html
再録『GBIニュース』1998.12.1 【ビジネスパートナー求む】“黒檀の位牌はいかが?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_2.html
再録『GBIニュース』1998.11.30#2【インドネシアの民主化と東ティモール問題国際セミナー】
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201110/article_1.html
再録『GBIニュース』1998.11.30  【インタビュー】 オーケストラ指揮者アディ・MS氏
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201109/article_30.html
再録『GBIニュース』1998.11.29#2 【人】ジャカルタのキャリア・ウーマンたち
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201109/article_29.html

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