再録『GBIニュース』1998.8.26#2 Berita GBI 26Agu 98 Merauke

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1998年8月~2003年1月まで、宮崎市に拠点を置く㈲ハラパンメディアテックのホームページを間借りして掲載された『GBI(インドネシア文化宮)ニュース』。サーバー事情により消えてしまった一連の記事をここに復刻する。10数年前の出来事、そして当時執筆した時点での情報に基づいているため、その後の展開と新たに判明した事実と相違する内容があるかもしれない。しかし、記録の重要性に鑑み、敢えて原文のまま再録することにした。 

ニルマラ・ホテル正面(サストラ氏提供)

大川誠一の『GBIニュース』1998年8月26日#2 Berita GBI(26 Agustus 1998) No.2

【メラウケ・イリアンジャヤ発】


イリアンジャヤ・メラウケのホテル買いませんか? 値段は18万米ドル!

物事には手順というものがある。無い場合もあってもいいけれども。突如、思考の外にある事柄を尋ねられても、非常に、異常に困る。そんな経験。ことは、さる7月25日(土曜日)、南カリマンタン州(旧ボルネオ島の真ん中の南の方)の州都バンジェルマシン市の船着き場で、カプアスという内陸の町へ行くボ―トを探していた時のこと。携帯電話が鳴った。『もしもし...メラウケのサストラという者ですけれども、私が所有するホテルを買ってくれませんか?』

水上バス(ボート)を待つ人々でごった返す待合室。高湿度で汗はタラタラ、足下は、通過するスピードボートから押し寄せる大波でびしょびしょ。『えッ?誰ですって?』
『ほら、あなたが泊まったことのある、メラウケのニルマラ・ホテルのオーナーですよ』と、サストラさん。確かに、そのホテルには何度かお世話になったことがあり、最後は今年の三月中旬のこと。しかし、サストラ氏のことはまったく知らない。

メラウケは、インドネシア最東端のイリアンジャヤ州(ニューギニア島の西半分)の、一番南にある、同州でも最大の県。なんでもジャワ島よりも大きいとか。東経140度付近に位置し、車で東へ1時間も走れば、そこは隣国のパプアニューギニア。メルウケ近辺は、太平洋戦争中、現在のインドネシア共和国となっている地域の中で、唯一日本軍が占領できなかった地域だ。オーストラリアやオランダ軍が終戦時まで抑えていた。

インドネシアの広大な東西の広がり(およそ5,500km)を称して、『サバン(スマトラ島北端の沖に浮かぶウエ島にある市)からメラウケまで』と言うが、そのメラウケのこと。メラウケ県自体の人口は、確か30万人ぐらい。しかし、ジャワ島からの移民がどんどん入り込んでおり、イリアンジャヤ州のなかでは、最大の米作地帯となりつつある。

で、話は再びバンジェルマシン。『ホテルを売ろうと思っているんですけども、なかなか買い手が見つからない。そこで、滞在者が残していった名刺を綴っていて、あなたの名刺を見つけたのです。日本人ならお金持ちだから、いいんじゃないかな、と思ってね』とサストラさん。聞けば、メラウケから東京まで国際電話をかけて、僕のインドネシア専用の携帯電話番号を聞きだして、ようやく話ができたと。

ホテル売却を焦っていたにせよ、普通言うかな?見ず知らずの人に前触れも無しに『ホテル買いませんか?』って? 『安くしておきます。18万米ドルでいいから!』と。カプアス行きのボートも見つかったので、『僕の友人でメラウケ県の観光局長をやってるクリス・フォッフィドさんという人がいるから、ちょっとそっちで相談して欲しい』と告げ電話を切った。

その後、ジャカルタへ戻り、何日かたった頃。メラウケのクリス氏から、分厚い手紙が届いていた。中身は、ニルマラ・ホテルに関する営業許可証、土地登記簿、建物の設計図等々のコピー。概要は: ホテルは1989年8月に建設に着手、1990年1月オープン。土地面積は2,621平方メートル。建物の面積は、1,038平方メートル。部屋数は20室(内12室は、ツインベッド、エアコン、テレビ、室内トイレと熱いお湯の出る浴室)。メラウケ市のメインストリートであるマンダラ通りに面しており、斜め向かいには地方開発銀行のメラケ支店。同ホテルにはレストランも併設されていて、『レストランの収入もバグス(良い)』とか。

その手紙は、ずっと現在滞在中のホテルのソファーの上に放り投げておいた。完璧に忘れていた。ところが、なんと今朝(8月26日)、一階ロビーから電話があり、『メラウケのサストラです。今、下にいます。会えますか?』と。時刻は午前7時前。昨夜は、友人らとサテ料理を食べに行き、しこたまビールを飲んでしまったので、やや二日酔い気味。『あのォ。あのメラウケのサストラさん?』と聞き返してしまった。『そうです、そうです。ニルマラ・ホテルのサストラです』と、やたら親しげな口調。まだ直接会ったこともないのに。友遠方より来る、また楽しからずや?で、会うことに。

部屋のドアーのノックの早いこと!15階の部屋に、ロビーから20秒ぐらいで来たことになる。まさか?ひょっとして15階のレセプションから電話したのかも?『おはよう!アパカバール(お元気ですか)?』と、ドアーを開けるやいなや233歩とネズミのごとく入ってくるサストラさん。『やっと会えましたネ!』とサストラ氏。氏は、いわゆるノンプリ(華人系インドネシア人)だが、聞けば、彼の祖父は1903年に中国からメラウケにやってきたとか。

『私は1942年のメラウケ生まれ。いわゆる3代目です』ホテルの売却を急ぐには理由があった。『せがれが今ウジュンパンダン(スラウエシ島)の大学へ行っているんだが、もうすぐ卒業するんです。ところが、せがれは、投資したら(つまりホテルを建てたら)あとはお客を待つだけのホテル業を継ぐ気がない。あいつは、チャレンジできる仕事、例えば、外島から商品を持ってきて売ったり、持っていって売ったりする商売がしたいと言うのです。妻とも話し、彼の希望を満たすため、ホテルの売却を決めたのです。その売却資金で、せがれの事業資金を作ろうと』と、サストラさんは、家庭の事情をこと細かく説明。

『僕は正直者だから(普通言う?)言うけれども、ニルマラ・ホテルは非常に儲かる。売るのは惜しいくらいだ。でも、この経済危機で、銀行からの借入金の金利はどんどん上がり、一方、新規事業にはお金を貸さなくなってきている。借金を返済し、同時にせがれの事業資金を作るには、ホテルの売却しかないのです。僕は正直者ですから(また!)言うけれども、銀行の借金は、残額5億6千万ルピア(約740万円)あります』と。『18万米ドルで高いというのならば、多少の値引きは考慮します』とも。

サストラさんの説明によれば、「経済危機」の荒波は確実に、インドネシアの最東端も襲い、あらゆる事業が「マチェト(行き詰まり)」状態とか。『州都のジャヤプラにだって、私のホテルを買えるほどの金持ちはいません。彼らお金持ちも、実は多額の借金を抱えていて、そのために銀行の不良債権は異常な額になっているのです』つまりジャカルタと何ら変わらない。今、ジャカルタでは、『こんな物を持っているけれども買わない?』的な会話が日常頻繁に交わされている。

手持ちの物を売り払って、借金の返済や、生活費にあてようとする動きだ。それでも品物を持っている人は、まだまだ恵まれている。多くの庶民、ことに失業者や会社を突如解雇された人々は、明日のお米を買うのさえ、絶望的となってきている。交差点で、車が停止しているほんのわずかな時間に、ギターを弾いたり、木の棒に缶詰の蓋を何枚も通して作った簡易楽器を鳴らしたりして、「演奏料」を手に入れようとする少年の数が、日毎に増加している。

『僕は全然興味ないけれども、こんな話があるということは、興味ある人がいれば伝えてみましょう。ホームページでも流してみます』と約束。サストラ氏は『すごく期待しています』との言葉を残して帰っていった。18万米ドル、およそ2,600万円!高いか安いか? 誰か買いません?目の前にはアラフラ海。カニやエビが超旨くて、鹿肉も毎日食べることができるメラウケ。遠くない将来、オーストラリアやパプアニューギニアとの間の飛行ルートも開設予定とか。関心のある方は、下記のアドレスまで!

Mr. Sastra Widjaja
Nirmala Hotel & Restaurant
Jl: Raya. Mandala No.66
Merauke, Irian Jaya
Indoensia

Tel: 0971-21849 or 0971-23597
Fax:0971-21273


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ニルマラ・ホテルの客室の様子(サストラ氏提供)

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【参考ブログ】

再録『GBIニュース』1998.8.26 Berita GBI 26Agu 98 Animasi
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_3.html

再録『GBIニュース』1998.8.25#2 Berita GBI 25Agu98LBH
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201106/article_2.html

再録『GBIニュース』1998.8.25 Berita GBI WWCR Ryaas Rasyid
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再録『GBIニュース』1998.8.24 Berita GBI(24.8.98) Aceh
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再録『GBIニュース』1998.8.21(No.2) BeritaGBI(21.8.98) Irja
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再録『GBIニュース』1998.8.21 Berita GBI(21.8.1998)アリ・サディキン
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再録『GBIニュース』1998.8.20 Berita GBI(20.8.1998) 50人グループ
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201105/article_23.html

再録『GBIニュース』1998.819(No.2) BeritaGBI(19.8.1998)
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再録『GBIニュース』1998.819 BeritaGBI(19.8.1998) IrianJaya
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再録『GBIニュース』1998.8.18 Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201105/article_20.html

再録『GBIニュース』1998年8月18日Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201105/article_18.html

再録『GBIニュース』1998年8月17日Berita GBI(17 Agu.1998)HUT RI
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201105/article_14.html

再録『GBIニュース』1998年8月14日Berita GBI(14 Agu.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201105/article_1.html

再録『GBIニュース』1998年8月12日Berita GBI(12 Agu.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_30.html

再録『GBIニュース』1998年8月11日Berita GBI(11 Agu.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_29.html

再録『GBIニュース』1998年8月10日Berita GBI(10 Agu.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_28.html

再録『GBIニュース』1998年8月9日 Berita GBI(9 Agus.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_27.html

再録『GBIニュース』1998年8月8日 Berita GBI(8 Agus.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_26.html

再録『GBIニュース』1998年8月7日 Berita GBI(7 Agus.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_25.html

再録『GBIニュース』1998年8月5日 Berita GBI(5 Agus.1998) Tim2
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再録・大川誠一の『GBIニュース』1998年8月3日 Berita GBI(3 Agus.1998)
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インドネシア文化宮(GBI)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/

インドネシア文化宮2010年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2010)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_1.html

インドネシア文化宮(GBI)満12歳です HUT GBI ke-12 thn
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インドネシア文化宮2009年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2009)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201001/article_1.html

インドネシア文化宮2008年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2008)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_1.html

インドネシア文化宮2007年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2007)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200712/article_2.html

インドネシア文化宮2006年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2006)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200612/article_8.html

インドネシア文化宮活動記録(日本語)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_2.html

インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_4.html

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