再録『GBIニュース』1998.8.25#2 Berita GBI 25Agu98LBH

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1998年8月~2003年1月まで、宮崎市に拠点を置く㈲ハラパンメディアテックのホームページを間借りして掲載された『GBI(インドネシア文化宮)ニュース』。サーバー事情により消えてしまった一連の記事をここに復刻する。10数年前の出来事、そして当時執筆した時点での情報に基づいているため、その後の展開と新たに判明した事実と相違する内容があるかもしれない。しかし、記録の重要性に鑑み、敢えて原文のまま再録することにした。 

バンバン・ウィジョヤント氏。机の上にはケネディ―賞のトロフィー(撮影:98/08/25)

大川誠一の『GBIニュース』1998年8月25日#2 Berita GBI(25 Agustus 1998) No.2

【ジャカルタ発】


労働者を支援するインドネシア法律扶助協会(LBH)
目覚めた労働者たちの駆け込み寺。民主的なインドネシア国家を目指して。

ジャカルタの中心部、ディポネゴロ通り74番地。YLBHI(インドネシア法律扶助協会)本部の建物は、四日間連続で、中庭まで含めて800名の若者で“占拠”状態にある。ほとんどが10代~20代の女性達だ。タイル床に座り込み、あるいは横たわって、憔悴しきった表情を見せている。まさしく足の踏み場もない混雑状態。乳飲み子をあやす若い母親もいる。小学生と思われる女の子を膝に乗せ、バティック布で包み込むように抱いているのは父親か。

彼らは、中部ジャワのソロ市からやってきた。繊維会社「Tyfountex Indonesia」の工場労働者たちだ。15%の賃金アップと、ストライキに参加した労働者を解雇しないことなどを要求して、労働省への陳情を目的に10台のバスでやってきた。『経営者側は、これまで何度も約束を破ってきた。そればかりか軍人や警察官を使って我々を脅迫さえしている。いまや改革の時代だ。労組の結成も許され、労働者の権利を主張するためのストライキも当然許される。しかし、現実的には、経営者も、彼らと癒着する軍警当局も、我々の旧態依然の姿勢で我々労働者を搾取、脅迫している』と、リーダー格の青年が語る。

首都ジャカルタへ出てきても、宿泊場所が確保されているわけではない。唯一の「駆け込み寺」が通称「エル・ベー・ハー(LBH)」と呼ばれるインドネシア法律扶助協会。『数日前に、彼らがここを出発して労働省へと陳情に行こうと試みたが、玄関先で警察官から殴られた者もいる。状況はご覧の通り、難民収容所並の混雑だが、ここが一番安全だとするのならば、私たちは受け入れる義務がある』と、協会の「労働者の権利」担当のテテン・マスドゥキ弁護士。『明日にも労働省へもう一度出かける予定だ』とも。

これまで、インドネシアに投資を考える外資にとって廉価な労賃が大きな魅力であったことは論を待たない。最低賃金を保証する政令や地方自治体の規則も存在はするが、十分に機能しているとは言い難い。かつてのマルシナ殺害事件のように、軍当局が労働争議に介入してくるケースも、まだまだ各地から報告されている。

スハルト政権の崩壊に始まった「改革時代」は、労働者の権利意識を一気に高め、各地の工場で、賃上げストライキが続発している。しかし、一年来の「経済危機」は、逆に労働者の解雇や生産縮小に伴う賃金低下などの形で、労働者をさらに厳しい状況に追い込んでいる。一方で、うなぎ登りの物価と生活必需品の入手困難。かつて以上に労働者の生活環境は過酷なものとなってきている。

無料で法律相談にのり、弁護活動を行うLBHに対する、一般国民の期待と信頼はますます拡大しているようだ。それは労働争議に限らず、人権、環境、開発、人種問題など幅広い分野に及んでいる。このLBHの中心人物がバンバン・ウィジョヤント会長、38歳だ。ジャヤバヤ大学法学部を1984年に卒業すると同時にLBH本部で弁護活動をスタート。1986年から1993年の8年間は、インドネシア最東端のイリアンジャヤ州でLBH支部開設、それに次ぐ本格的な法律扶助活動を行ってきた。『軍のインテル(諜報員)に銃を突きつけられて脅されたことなど日常茶飯事だった』と、当時を振り返る。イリアンのNGOで活躍していた女性を見初め、結婚。今は二人の娘、一人の息子の父親だ。

『全インドネシアに140人の弁護士を抱えている。スタッフも合わせると総数190人。しかし、経費の90%以上はいまだに海外からの援助に依存している。国内での活動費確保に努めていこうと考えてはいるが、まだまだ厳しい状況だ』とバンバン氏。同氏は、今、「改革時代」を迎えたと言われる政治状況に極めて悲観的な思いを抱いている。というのも、内務省が作成した政治関連法案(GBIニュース8月25日参照)の内容が、LBHが提案した同法案の内容と根本的な部分において異なっているからだ。

『内務省案は、かつての政治関連法案と比較して、特別シグニフィカントな変化はない。なぜならシステム自体は変わっていないからだ。我々の案では、ABRI(インドネシア国軍)は一切政治とは無縁の存在だ。つまり、国会の議席や地方議会の議席を彼らに自動的に与えるような法務省案は、改革時代になじまない。また、政党法で、パンチャシラ(建国五原則)を党の基本理念に据えなければならないとする考え方も我々の案とは異なる。私たちは内務省案をレフォルマシ(改革)とは呼ばない。あれではレノファシ(修理)にすぎない』と。
『私たちの法案は、角界各層の国民のチェックを受けた、いわば民主化された提案なのに対して、内務省のものは、そのプロセスを経ていない』とも。

バンバン氏は、東ティモール問題に関しては、『国際ルールで解決すべき』だと考え、『すべての鍵は国連が握っている』とみる。『東ティモールの人権問題にも多大な関心があるが、もしもLBHが支部を設置すれば、インドネシア併合派との烙印を押されるかもしれない。つまり、インドネシアという国家の枠の中に、東ティモールを、我々自身が入れてしまうことになるからだ』とも。

1993年11月、イリアンジャヤ支部勤務を終えて首都へ戻る直前、バンバン氏は、アメリカから一つの朗報に接する。同年のロバート・F・ケネディ―人権賞を受賞したのだ。


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YLBHI本部建物内に溢れるソロの工場労働者たち(撮影:98/08/25)


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【参考ブログ】

再録『GBIニュース』1998.8.25 Berita GBI WWCR Ryaas Rasyid
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201105/article_27.html

再録『GBIニュース』1998.8.24 Berita GBI(24.8.98) Aceh
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201105/article_26.html

再録『GBIニュース』1998.8.21(No.2) BeritaGBI(21.8.98) Irja
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201105/article_25.html

再録『GBIニュース』1998.8.21 Berita GBI(21.8.1998)アリ・サディキン
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201105/article_24.html

再録『GBIニュース』1998.8.20 Berita GBI(20.8.1998) 50人グループ
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201105/article_23.html

再録『GBIニュース』1998.819(No.2) BeritaGBI(19.8.1998)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201105/article_22.html

再録『GBIニュース』1998.819 BeritaGBI(19.8.1998) IrianJaya
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201105/article_21.html

再録『GBIニュース』1998.8.18 Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201105/article_20.html

再録『GBIニュース』1998年8月18日Berita GBI(18 Agu.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201105/article_18.html

再録『GBIニュース』1998年8月17日Berita GBI(17 Agu.1998)HUT RI
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201105/article_14.html

再録『GBIニュース』1998年8月14日Berita GBI(14 Agu.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201105/article_1.html

再録『GBIニュース』1998年8月12日Berita GBI(12 Agu.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_30.html

再録『GBIニュース』1998年8月11日Berita GBI(11 Agu.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_29.html

再録『GBIニュース』1998年8月10日Berita GBI(10 Agu.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_28.html

再録『GBIニュース』1998年8月9日 Berita GBI(9 Agus.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_27.html

再録『GBIニュース』1998年8月8日 Berita GBI(8 Agus.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_26.html

再録『GBIニュース』1998年8月7日 Berita GBI(7 Agus.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_25.html

再録『GBIニュース』1998年8月5日 Berita GBI(5 Agus.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_24.html

再録・大川誠一の『GBIニュース』1998年8月3日 Berita GBI(3 Agus.1998)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_22.html

インドネシア文化宮(GBI)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/

インドネシア文化宮2010年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2010)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_1.html

インドネシア文化宮(GBI)満12歳です HUT GBI ke-12 thn
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201005/article_15.html

インドネシア文化宮2009年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2009)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201001/article_1.html

インドネシア文化宮2008年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2008)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_1.html

インドネシア文化宮2007年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2007)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200712/article_2.html

インドネシア文化宮2006年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2006)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200612/article_8.html

インドネシア文化宮活動記録(日本語)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_2.html

インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_4.html

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