再録『GBIニュース』1998年8月14日Berita GBI(14 Agu.1998) Tim2

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今から13年前の1998年。インドネシア近代史の大転換の年だった。スハルト長期独裁政権が倒れ、民主化のうねりが一気に国中を覆った。インドネシア文化宮(GBI=Graha Budaya Indonesia)は、スハルト大統領退陣のちょうど一週間前の1998年5月15日、東京・下落合にオープンした。そして、同年8月から“インドネシア21世紀の人物像”を基本テーマに、民主化・地方自治の向上の流れの中で指導者として活躍するであろう、各界各層の人物に焦点を当てた単独インタビューを企画し、2003年初旬まで続けた。

この間、インタビューした人物は優に200名を超えた。その中には、当時のハビビ大統領や、後に大統領職に就任する、ワヒド氏、メガワティ女史、現大統領のユドヨノ氏なども含まれていた。当時、この企画は、C社で単行本として刊行される予定だったが、担当者の急逝に伴って、その計画は頓挫した。

インタビューの要点や、その他諸々のジャンルの記事は、1998年8月3日から2003年1月23日までの、およそ4年半にわたって『大川誠一のGBIニュース』として、当時、GBIのホームページに連載した。しかし、諸般の事由で、同ホームページは閉鎖を余儀なくされた。以降、ブログを立ち上げ今日に至っている。

GBIのホームページは、もともと宮崎市に拠点を置く㈲ハラパンメディアテックの宇野みれさんが立ち上げてくれた。その宇野さんが、サーバーに残っていたGBIホームページのデータを復元し、送ってきてくれた。今後、機会を窺いながら、特に『GBIニュース』をこのブログ上で再録していこうと考えている。13年前の出来事、そして当時執筆した時点での情報に基づいているため、その後の展開と新たに判明した事実と相違する内容があるかもしれない。しかし、記録の重要性に鑑み、敢えて原文のまま再録することにした。 


東ティモール州庁舎(撮影:1998年8月12日)

大川誠一の『GBIニュース』1998年8月14日 Berita GBI(14 Agustus 1998) 

【ディリ(東ティモール)発】


1) 東ティモール住民、日本政府に賠償請求か?

ディリ(東ティモール)発で既報(8月12日)の通り、東ティモールのアビリオ・ジョゼ・オソリオ・ソアレス知事は、単独会見を通じて、太平洋戦争当時に被った東ティモール住民の損害に関して、日本政府からポルトガル政府に対して、その賠償支払いの有無について公開質問を行う旨を表明した。

伊藤静子『ガトラ』誌東京特派員の取材に対して、外務省西欧二課(ポルトガル担当)は、「ポルトガルは中立国であった立場上、戦後賠償という形で日本が支払うことはあり得ないし、ポルトガルが請求することもあり得ない。戦後賠償および外交資料にも、1954年に日本政府が同国に賠償を支払った記録はないし、その前後にも確認されていない。また賠償という形ではなく、他の名称の協定によって東ティモールに関わる問題で日本政府が同国に何らかの支払いを行った事実もない。

また、ポルトガルのみならず、当時東南アジアを植民支配していた先進諸国は、同地域における戦争による損害に対する賠償を一律放棄している、と日本政府はとらえている」と、語っている。一方、別の外務省筋は、「日本政府としては、従来より言及しているように、東ティモール(帰属に関する)問題について、国連の審議で事務局長の仲介のもとに、平和裡に解決することを望んで見守っている。また、その他については、(賠償問題も含めて)今の時点でコメントすることは控えたい」と述べている。

一方、在東京のポルトガル大使館のエドゥアルド・ラモス一等書記官兼代理大使は、『ガトラ』誌の取材に対して、「非常にセンセチブな問題なのですぐさま何らかのコメントを出すことはできないが、直ちにリスボンに照会する」と慎重な態度。個人的記憶として、同氏は「ポルトガルと日本とがそういった経済賠償をしたことはないはず。しかしアビリオ知事筋が具体的に1954年に80万米ドルを日本がポルトガルに支払ったという言及をしているのならば、その金額ならばMake Senseかも。ともかく事実関係についてリスボンの本省に問い合わせる」とも。

防衛研究所・戦史部資料班によれば、太平洋戦争当時、東ティモールに上陸作戦を行った日本軍部隊はおよそ一万人。通称台湾軍海師団といわれ、若干の台湾人、軍属もいたが、ほとんどが日本人。西部ティモールも合わせると、二万人強の日本兵が上陸した。上陸時にいたポルトガル軍とオーストラリア軍の数は数千人に満たず、制圧はあっという間だったため、日本軍、連合軍双方の戦死者の数は少なかった、と言われている。またポルトガルは中立国だったため、捕虜的な扱いもされず、集団生活をさせて監視するにとどまったとされている。

1942年2月20日の日本軍上陸から1945年8月15日の終戦までの3年半にわたる日本軍政時代の日本軍の戦死者は1,000人に満たない数とみられる。降伏、撤退時も静かなもので、多くの戦死者が出る事態には至らなかった。上陸作戦の戦死者以外では、オーストラリア軍の空爆による戦死が大半とされる。オーストラリア軍は連日低空飛行で降伏を促すビラを撒き、空爆を行った。その攻撃地域は、ディリ近辺が中心だった。逆に、日本軍の上陸時に抵抗して日本軍に殺されたり、苦役や食物供出を強制されて飢餓で死んだ東ティモール住民の数の方が圧倒的に多く、4万人ともそれ以上とも言われている(アビリオ知事はおよそ6万人と言及)。

1943年から終戦まで東ティモールに在任していた経験を持つ、現東ティモール協会代表の貴島正道氏(当時陸軍主計少尉。終戦をもって中尉に昇進)は、今回の東ティモール州知事による戦後賠償問題の提起に対して、次のように述べている。

「日本政府は当然東ティモールに対して賠償を支払うべきだ。戦時中、日本は勝手に侵略し、東ティモール住民に多大な被害を出したのだから。東ティモール政府には賠償を要求する権利はあると思う。日本はすでにインドネシアにODAという形で世界一の巨額援助を行って、インドネシア政府は当然東ティモールの開発のためにもその金を使っている。しかし、軍の派遣もやっているから、本当に東ティモールのためだけとは言えない。本当に望ましいのは、インドネシアが東ティモールの自決権を認める形で、賠償を行うことが正しいやり方だと思う。インドネシアは勝手に東ティモールを合併しているが、国連は未だ認めていないだから、東ティモール政府が求めるならば、日本は応じるべきだ。合併問題について、日本は過去に一度も自国の態度(見解)をはっきりと示したことはなく、国連の審議を見守る、という発言の域を出たことがない。とにかく、一番重要なことは、東ティモール人に100%直接届くような方法で、支払うべきだということだ。国連の審議も自治権の問題しか取り上げていないが、もっと重要なことは、自決権の方だ」

日本政府からポルトガル政府に対してこれまで賠償の支払いがされていないことについて、アビリオ東ティモール州知事は、電話取材に対して、「もしもそうならば、私は日本がその東ティモール住民の権利に関して関心を払うよう要請したい。東ティモールと日本の良好な関係が保証されるためにも。私は、東ティモール州知事としての立場で賠償の支払いを求めるつもりはない。なぜならば、日本は東ティモールをインドネシア共和国の一州として未だ認めていないからだ。私が戦後賠償を要求する立場とは、それは東ティモールの住民としての立場からだ」

インドネシアの有力ニュース週刊誌『ガトラ』は、来週火曜日発売号で、この東ティモールからの歴史的提起に関して、各ソースの取材をふまえて、本格的報道を計画している。



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【参考ブログ】

再録『GBIニュース』1998年8月12日Berita GBI(12 Agu.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_30.html

再録『GBIニュース』1998年8月11日Berita GBI(11 Agu.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_29.html

再録『GBIニュース』1998年8月10日Berita GBI(10 Agu.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_28.html

再録『GBIニュース』1998年8月9日 Berita GBI(9 Agus.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_27.html

再録『GBIニュース』1998年8月8日 Berita GBI(8 Agus.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_26.html

再録『GBIニュース』1998年8月7日 Berita GBI(7 Agus.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_25.html

再録『GBIニュース』1998年8月5日 Berita GBI(5 Agus.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_24.html

再録・大川誠一の『GBIニュース』1998年8月3日 Berita GBI(3 Agus.1998)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_22.html

インドネシア文化宮(GBI)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/

インドネシア文化宮2010年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2010)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_1.html

インドネシア文化宮(GBI)満12歳です HUT GBI ke-12 thn
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201005/article_15.html

インドネシア文化宮2009年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2009)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201001/article_1.html

インドネシア文化宮2008年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2008)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_1.html

インドネシア文化宮2007年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2007)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200712/article_2.html

インドネシア文化宮2006年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2006)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200612/article_8.html

インドネシア文化宮活動記録(日本語)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_2.html

インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_4.html

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