再録『GBIニュース』1998年8月10日Berita GBI(10 Agu.1998) Tim2

画像

今から13年前の1998年。インドネシア近代史の大転換の年だった。スハルト長期独裁政権が倒れ、民主化のうねりが一気に国中を覆った。インドネシア文化宮(GBI=Graha Budaya Indonesia)は、スハルト大統領退陣のちょうど一週間前の1998年5月15日、東京・下落合にオープンした。そして、同年8月から“インドネシア21世紀の人物像”を基本テーマに、民主化・地方自治の向上の流れの中で指導者として活躍するであろう、各界各層の人物に焦点を当てた単独インタビューを企画し、2003年初旬まで続けた。

この間、インタビューした人物は優に200名を超えた。その中には、当時のハビビ大統領や、後に大統領職に就任する、ワヒド氏、メガワティ女史、現大統領のユドヨノ氏なども含まれていた。当時、この企画は、C社で単行本として刊行される予定だったが、担当者の急逝に伴って、その計画は頓挫した。

インタビューの要点や、その他諸々のジャンルの記事は、1998年8月3日から2003年1月23日までの、およそ4年半にわたって『大川誠一のGBIニュース』として、当時、GBIのホームページに連載した。しかし、諸般の事由で、同ホームページは閉鎖を余儀なくされた。以降、ブログを立ち上げ今日に至っている。

GBIのホームページは、もともと宮崎市に拠点を置く㈲ハラパンメディアテックの宇野みれさんが立ち上げてくれた。その宇野さんが、サーバーに残っていたGBIホームページのデータを復元し、送ってきてくれた。今後、機会を窺いながら、特に『GBIニュース』をこのブログ上で再録していこうと考えている。13年前の出来事、そして当時執筆した時点での情報に基づいているため、その後の展開と新たに判明した事実と相違する内容があるかもしれない。しかし、記録の重要性に鑑み、敢えて原文のまま再録することにした。 


トニーさん。マフコタ・ティモール・ホテル(撮影1998年8月10日)

大川誠一の『GBIニュース』1998年8月10日 Berita GBI(10 Agustus 1998) 

【ディリ(東ティモール)発】


(1)東ティモールで詩心が生まれてしまった

こんなにも美しい島で、23年間にもわたり硝煙が絶えない。ディリ市からマナトゥトゥの街を経てバウカウ市を訪ねる。その自然の美しさは、神様の存在を抜きには語れない。コバルトブルーと白砂の海岸。まばらな木々のおだやかな高原。大理石の露出でキラキラ光る山肌。この海は何を見てきたのだろうか。この丘陵はなにを証言するのか。かつて多くの住民が避難したマテビアン山(2373メートル)。そこで幾多の命が失われたことか。しかし、山中の多くの鍾乳洞は、空爆から幾多の命をも救った。こんなにも美しい島が、アジア・太平洋のどこにあろうというのだろうか。僕は知らない。バリ?バリ島さえティモール島にはかなわない。きっと。ディリ市から南の山中を目指す。東ティモール住民が「聖地」と崇めるラメラオ山系のタタマイラウ山(2963メートル)。アルシリモウ村から望むタタマイラウは、富士にも似て、その毅然たる姿は神秘的。
村人が言う。「あの山に登れば、東ティモール全土が足の下にある。この足の下に」。

深紅の大きな太陽が黒い積乱雲の海に沈む。夜の訪れ。こんなにも美しい島に銃弾は似合わない。こんなにも美しいのに。こんなにも優しい人々の島に、硝煙は似合わない。こんなにも優しいのに。眩しいばかりに輝く星、そして星、また星。あの星は何を見てきたのだろうか。『ハデール・ラシック・カプル・ラシック・クダ・タリ・ウクン・ラシック・アン』(私たちは自分自身の手で馬の手綱を引きたい。自分自身で立ち上がるために)。「僕は拷問で舌を切られ、足の爪を抜かれ、電気ショックを受け、叩かれ、蹴られ、踏まれ、吊された。二度と太陽を見ることはないと観念した。

僕の命はティモール・レステ、ティモール・ロロサエ(独立できた際の国名)の誕生に捧げる。僕が生きていなければ、子供が、孫たちが、僕の志を貫く」と、国立東ティモール大学英文科の、コード名「知らない」君が言う。東ティモールの独立を目指し、今日もゲリラ闘争を続ける山中のトゥ―ル・マタンルオック。彼の部隊は、一体どこで、あの手を伸ばせば掴めそうな星を眺めているのか。そして、あの星はいつになったら掌に乗るのか。こんなにも美しい島に戦争は似合わない。

それとも、神は美しすぎるからこそ、嫉妬で人間をこの地で戦わせているのか。愚かな人間ども。歴史の愚かさよ。ポルトガル、そして日本、そして再びポルトガル、それからインドネシア。一体東ティモールの人々が何をしたというのだろうか。神に背いたのか。その罰を受けているとでも言うのか。銃口が、銃弾が「秩序」を維持すると、人は言う。そんな馬鹿な。真っ白な聖母マリア像が立ち、真っ白な十字架が立ち、潮風に黒ずんだ巨大なキリスト像が見下ろす東ティモールの中心地、ディリ。優しさは罪とでも言うのか。人間は憎しみ合わなければ人間ではないのか。美しさは罪とでも言うのか。人間はこんなにも美しい島で憎しみ合う。

『この美しい自然の中で、自然に暮らしたいだけ。それだけなのです』と、ミカン売りの青年。ミカンは、とてつもなく美味しかった。口に入れた瞬間、優しい気持ちになった。
東ティモールへ急げ。100万人の観光客で、89万人の東ティモールを見てみよう。観光なら自由に入れる。いまのところ。この神々しい島に硝煙が似合わないことを誓おう。急げ、東ティモールへ。ティモールは変わる。平和の旅人の行進で。
余りにも美味しいカフェ・ティモールが待っている。余りにも美しい自然の素顔が待っている。そして、優しすぎたばかりに弄ばれ続けてきたが、それでも優しい人々が待っている。おお、東ティモール。お前の素顔に会いたい。

(2) 東ティモール・ポップス最新情報

誰が何と言おうと、トニー・ペレイラ。フローレス島出身の父と東ティモール出身の母との間に生まれた甘いマスクのトニー。本職は税関職員、奥方はなんと婦警。東ティモールのエルビス・プレスリーの名を欲しいままにしている。マリオ・ダ・シルバ作詞の地元テトゥン語の歌詞にトニー自身が曲を付けた。「Buat Ruma Karik」と題するカセットは、まさしく飛ぶような売れ行き。ディリ市内の音楽カセット店に入荷するやいなやたちまち売り切れ状態。筆者はあれやこれやの格闘の末、計5本を確保できた。そればかりか、8月10日の夜には、生で彼の演奏に接することができた。ラッキー!場所は、ディリ市の帝国ホテルことマフコタ・ホテル。

一階のレストランで、たまたまインドネシア中央銀行駐ディリ支店長の交代レセプションが開かれた。彼のグループはその夕食会に呼ばれて演奏会を開いたのだ。(しかし、経済危機で、かつインドネシア中央銀行の無様な政策が避難を浴びているこの時期に、よくも豪華なパーティを開けるものだ!。その姿、日銀の地方事務所のそれと何ら変わらない!)。地元で「超」有名とはいえ、ジャワ島出身者が多くを占めるイ中央銀行のエリート達には、トニーのすごさが分からないようだ。拍手も、なおざり! それでも、金色のピアスを付けたトニーは、汗を拭き拭き、見事なギター演奏。

トニーさんが撮影するこちらのビデオに向かって、親愛の笑顔を見せた瞬間を見逃さなかった。トニーさん。僕が、五本のカセットテープをしっかりと日本に持って帰るからネ!東京でドカンとデビューしちゃいましょう!ネ!? でも、アイダ嬢のことも忘れませんよ。アイダ・ベロさん。誰がなんと言おうと、彼女は東ティモールの石川さゆりだツ!独断でそう宣言する!「天城越え」歌って欲しいな彼女に(無理な注文か?)。相棒の男性歌手アルマンド・ダ・シルバと歌う、地元語のフェルディナン・タン作詞の「Hau Sei Escola」。これは子供っぽいが、なんかくすぐったい、甘い曲だ。顔も僕のタイプだ(関係ないか!)。このカセット、市中を駆けずり回っても、確保できたのはたったの一本。マズイ!それほどまでにヒットしているのだ。明日は血眼で彼女のカセットを探すゾ!

O mama O papa
Hau lakai kaben
Tinan sel kiik
O mama O papa
Hau sel iskola
Buka matenek
Hel le le le le........

と歌詞は続く(まだ意味が分からない^^;)。

「硝煙漂う」東ティモールだが、地元歌手のカセットは驚くほど豊富に出ている。その数、50種類ぐらい。当然すべて確保!東京へたどり着いたら、是非とも「東ティモール音楽祭」を開きたい。


Copyright c1998-2001 Graha Budaya Indonesia (GBI)
インドネシア文化宮に掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。 著作権はインドネシア文化宮またはその情報提供者に属します。


画像


【参考ブログ】

再録『GBIニュース』1998年8月9日 Berita GBI(9 Agus.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_27.html

再録『GBIニュース』1998年8月8日 Berita GBI(8 Agus.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_26.html

再録『GBIニュース』1998年8月7日 Berita GBI(7 Agus.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_25.html

再録『GBIニュース』1998年8月5日 Berita GBI(5 Agus.1998) Tim2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_24.html

再録・大川誠一の『GBIニュース』1998年8月3日 Berita GBI(3 Agus.1998)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201104/article_22.html

インドネシア文化宮(GBI)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/

インドネシア文化宮2010年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2010)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201101/article_1.html

インドネシア文化宮(GBI)満12歳です HUT GBI ke-12 thn
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201005/article_15.html

インドネシア文化宮2009年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2009)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201001/article_1.html

インドネシア文化宮2008年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2008)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_1.html

インドネシア文化宮2007年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2007)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200712/article_2.html

インドネシア文化宮2006年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2006)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200612/article_8.html

インドネシア文化宮活動記録(日本語)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_2.html

インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_4.html

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック