太平洋戦争開戦69年。西部ニューギニアに瞑る新穂智少佐が残した手記

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2010年12月8日。ジョンレノンの30回忌を報じたNHK。しかし、太平洋戦争開戦69年のニュースはなかった。1941年12月8日。午前6時40分からラジオ番組「武士道の話」を放送していたNHKは、7時、開戦を伝える。「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部発表。12月8日0600(午前6時)、帝国陸海軍は今8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリスと戦闘状態に入れり」。同日、NHKラジオは夕刻、軍艦行進曲、海ゆかば、遂げよ聖戦などの勇壮な音楽を放送。

あれから69年。終戦から65年。縁があってか、5冊の未出版手記を入手した。題名は『西部ニューギニア横断記』。著者は陸軍中野学校第一期卒業生の新穂智(にいほさとる)少佐。同氏は、昭和18(1943)年11月末、宣撫工作部隊「神機関」を率いるため、旧蘭領ニューギニア(西部ニューギニア)の要衝ホーランジア(現パプア州州都ジャヤプラ)に到着。そして終戦後、オランダ軍による臨時軍法会議裁判で死刑判決を受け、昭和24年3月3日、ホーランジアで銃殺刑に処せられた。祖国に妻子を残す33歳の若さだった。


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新穂智氏が記した『西部ニューギニア横断記』。兵要地誌というよりも博物誌とも言える文化人類学的記録。表紙の署名は新穂智ではなく新穂敏朗と、弟たちの名前の一部を使用した創作。

昭和15年、諜報幹部戦士を養成する陸軍中野学校を卒業した新穂智氏は、参謀部第6課に配属され、インドネシアのスマトラ島パレンバンとジャンビの石油事情調査を命じられる(『陸軍中野学校』情報戦士たちの肖像・斎藤充功著・平凡社2006年8月刊)。そしていよいよインドネシアのバタビア(現ジャカルタ)へ。

肩書は第二次日蘭会商の随員。あくまでも隠れ蓑の所属だ。翌昭和16年6月、日蘭会商は決裂。しかし新穂は帰国せず、同盟通信(現在の共同通信)の特派員として、現地に留まった。記者の立場も隠れ蓑。あくまでも陸軍参謀本部指揮下の一特務機関員だった。当時石油の大生産地であったパレンバンやジャンビへ出向いたのかどうかは分からない。しかし、太平洋戦争開戦直前のこと、新穂が諜報活動を敢行したであろうことは疑いの余地がない。


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「日本に最も近い豊富な産油地である蘭印(オランダ領東印度諸島:[注]現インドネシア共和国)の石油を確保してわが国防の安全を図ろうとする考えは、支那事変の進展、対米英国交の緊張とともに一層深刻さを加えていった」「南方作戦の主たるねらいは、蘭印の石油資源を獲得するにあった」---『戦史叢書 蘭印攻略作戦』(防衛庁防衛研修所戦史室著・昭和42年1月刊)は、インドネシアのスマトラ島油田地帯の確保が東南アジア方面の作戦の軸であったと力説する。

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昭和17年2月14日11時30分頃、「空の神兵」と謳われた陸軍空挺部隊である第1挺進団挺進第2聯隊がパレンバン飛行場並びに石油施設周辺に奇襲降下、ムシ川を遡上してきた地上部隊と共に、同地を占領。


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現在のパレンバン空港(Sultan Mahmud Badaruddin II空港・衛星画像)日本陸軍空挺部隊によるパレンバン降下(『戦史叢書 蘭印攻略作戦』)

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話は戻って昭和16年12月8日。太平洋戦争(大東亜戦争)の勃発。当時バタビアにいた鹿児島県出身の新穂“記者”は、他の日本人同様に、オランダ当局に逮捕され貨物船でオーストラリアのラブダイにある抑留所へ移送された。しかし、抑留者交換に伴って、昭和17年9月、新穂氏は帰国。暫く中野学校で教官を務めていたが、昭和18年、アンボン経由でホーランジアへ。参謀本部直属の工作隊機関長として命を受けた新穂大尉(当時)は、マノクワリ在の第2軍(豊嶋房太郎中将)の隷下に、ホーランジアで「神機関」を編成した。

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第2軍、第36師団隷下に配置された宣撫工作部隊(『鰐部隊とパプア人マンドル』徳野明著・昭和45年8月今日の話題社刊)

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当時、西部ニューギニア地域には、「神機関」の他に、「龍機関(内山大尉)」、「虎機関(原大尉)」、「鰐機関(日高少佐)」、「梅機関(桜井大尉)」などが各地に配置されていた。


「空の神兵」によるパレンバン攻略作戦成功の裏に、新穂大尉の諜報活動がどれほど貢献したのか知る由はない。すべては歴史の闇に葬り去られた。

今手元にある『西部ニューギニア横断記』計5巻。軍事法廷を前に、捕虜収容所で、弁論資料として綴られたものだ。「只死ヲ期シテ口頭ニ正義ヲ唱フルノミノ和蘭軍ノ裁キヲ待ツ身ナリ 茲ニ死ニ至ル迄一片ノ丹心ヲ傾ケコノ拙キ紀行文ヲ認メ 皇國ノ再建 新日本隆盛ノ為盡瘁セラル具眼ノ士ニ訴ヘントスルモノナリ 何等カ益スル所アラハ望外ノ喜ビトスルモノナリ」

日米開戦から69年。終戦から65年。新穂智少佐の亡骸は今もジャヤプラのどこかで瞑っている。


インドネシア文化宮(GBI)では、『西部ニューギニア横断記』の出版実現を目指しています。皆様のご意見、ご協力をお寄せください

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『西部ニューギニア横断記』に描かれたパプア人男性の姿


【参考動画】

パレンバン敵前上陸(映画のシーン)
http://www.youtube.com/watch?v=pPc0YZ8GEuQ

【参考ブログ】

テーマ「大東亜戦争」のブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html

テーマ「パプア州」のブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/42c3391253.html



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