『ニューギニア未帰還兵展』南十字星になった故瀧澤吉治准尉(動画2)

画像


岩手県盛岡に生まれ、中国戦線を経て、西部ニューギニアへ赤道を越えた瀧澤吉治。陸軍第6飛行師団第68戦隊の幹部整備士だった。20歳と4ヵ月で入隊。25歳と9ヵ月で戦死。青春花盛りの齢。

ホランジア(現インドネシア最東端のパプア州の州都ジャヤプラ)から、直線距離で約230km西方の、東北健児で編成された第36師団の拠点まで。湿地帯を、鬱蒼と茂る密林を、敵軍の空と海からの銃撃・爆撃を回避しながらの夜間行軍。その“転進”は、無残な敗残兵の退却そのものだった。その数およそ7,300名。内、およそ9割の人員が“白骨街道”とも言われる屍の墓標を記しながら斃れた。瀧澤准尉もその中にいた。

瀧澤は、同区間のどこで、何を思いながら最期の時を迎えたのか。岩手山の山容を思い浮かべたのか、それとも北上川の清流に思いを馳せたのか。北の祖国に面を向け、母を想い、妹の名を呼びながら息絶えたのかもしれない。

盛岡の真南およそ4700km。西部ニューギニアのホランジア。西へサルミへと向かった瀧澤吉治。それは「祖国」へ一歩近づく道程であったはずだ。しかし、連合軍が「ジャングルの捕虜」と表現したように、それは深い密林の呪縛と、究極の飢餓、そして熱帯の病魔が絶えず襲い掛かる、まさに生き地獄だった。

戦後65年目に入った2009年。瀧澤を始め、ニューギニアの大地に散った若者たち。彼らは「成仏」を前に、いまだに祖国からの知らせを待っている。戦争が終わったこと。迎えに来たこと---それらを抜きに彼らは「死」を受け入れられない。『弔ってあげてください』---そう言うのは地元のパプア人だけか。

故瀧澤吉治准尉。昭和15(1940)年12月、伍長進級時の撮影と思われる。


【お知らせ】

2009年12月17日(木)午前10時30分、今年二回目の、厚生労働省による西部ニューギニア地区遺骨収集団が帰国し、東京都千代田区三番町にある「千鳥ケ淵戦没者墓苑」で納骨式が行われます。式典の後、同収集団に参加したNPO「太平洋戦史館」(岩手県奥州市)の岩淵宣輝さんによる帰国報告会も催されます。今回は、推定で200柱が納骨されるとのことです。参加希望者は、直接千鳥が淵戦没者墓苑までお出かけ下さい。

千鳥が淵戦没者墓苑参拝経路(東西線、都営新宿線の九段下駅下車。徒歩約10分)
http://www.boen.or.jp/boen06.htm

千鳥ケ淵戦没者墓苑(個人ホームページ)
http://sidenkai21.cocot.jp/m432.html






画像



昭和18(1943)年、南方派遣下命(3月20日)。4月4日、横須賀港を発って戦地へ赴く前、瀧澤軍曹(左端)は、実母と妹らと伊勢神宮を訪れた。


【瀧澤吉治の軍歴】

昭和13(1938)年12月10日:現役兵として歩兵第31連隊留守部隊第8中隊に入営(歩兵二等兵・20歳と4ヶ月で入隊)
昭和13(1938)年12月26日:歩兵第31連隊要員として弘前出発
昭和13(1938)年12月28日:新潟港出発
昭和14(1939)年1月3日: 羅津港上陸
昭和14(1939)年1月4日: 関東軍司令官の隷下に入る
昭和14(1939)年1月5日: 満州国牡丹江省東寧県観月台で第11中隊編入、同地附近の警備
昭和14(1939)年3月10日: 歩兵一等兵に進級
昭和14(1939)年12月1日: 歩兵上等兵に進級
昭和15(1940)年9月23日: 飛行第64戦隊に配属
昭和15(1940)年9月25日: 兵長に進級
昭和15(1940)年10月14日: 東京城到着、第3中隊附け
昭和15(1940)年12月1日: 伍長に進級
昭和16(1941)年3月21日: 東京城出発、同年4月25日、新潟港上陸
昭和16(1941)年4月1日:  第21回整備学生として陸軍航空整備学校入学、同年10月修学終了
昭和16(1941)年10月7日: 下関港出帆、釜山経由9日東京城着、17日東京城発18日釜山着、19日下関着
昭和16(1941)年10月21日: 門司港出帆、23日、台湾基降着、25日、高雄港発、29日、広東着
昭和16(1941)年12月1日:  軍曹に進級
昭和17(1942)年3月31日:  飛行第68戦隊附け
昭和17(1942)年4月16日:  バンコク出発、5月5日、大連港上陸、同月10日、ハルピン着、第2中隊附け
昭和18(1943)年1月30日:  機種改変普及教育のためハルピン出発、2月2日、釜山より下関上陸
昭和18(1943)年2月3日:  明野陸軍飛行学校到着
昭和18(1943)年3月20日:  南方派遣下命
昭和18(1943)年4月4日:  横須賀出帆(同日、第4飛行師団の隷下を外れ第6飛行師団の隷下に)
昭和18(1943)年4月11日:  トラック島上陸
昭和18(1943)年8月17日:  掃海艇にてトラック島出発
昭和18(1943)年8月23日:  ラバウル着
昭和18(1943)年9月16日:  飛行機にてラバウル出発、同日ウェワク着
昭和18(1943)年10月6日:  飛行機にてウェワク出発、同日アレキシス着
昭和18(1943)年10月9日:  任務終了帰還のため飛行機にてアレキシス発ウェワク到着
昭和18(1943)年12月1日:  曹長に進級
昭和19(1944)年4月26日:  西部ニューギニア・ホランジア西方のゲニム出発、サルミへ転進
昭和19(1944)年5月30日:  西部ニューギニア・トム付近において戦死(准尉に進級・25歳と9ヶ月で戦死)
平成21(2009)年11月現在、未帰還兵。


画像



画像



画像




画像



「太平洋戦史館」が主催した西部ニューギニア慰霊巡拝団に参加した、故瀧澤吉治准尉の姪にあたる座間淳子さんは、2009年7月、トム村で祈りを捧げた(前列右から二人目)。(撮影:木村宏)。


【参考ブログ】

『ニューギニア未帰還兵展』南十字星になった故瀧澤吉治准尉(動画)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200911/article_17.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』23 故瀧澤吉治准尉
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200909/article_6.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』26 故瀧澤吉治准尉(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200909/article_11.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』26 故瀧澤吉治准尉(3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200909/article_12.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』27 故瀧澤吉治准尉(4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200909/article_14.html


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック