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zoom RSS 『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿(6)

<<   作成日時 : 2009/10/04 00:00   >>

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菊池英昭さん(67歳)が10年の歳月を費やして独自に収集した「朝鮮人戦死者名簿」。そこにはおよそ2万1千名の朝鮮半島出身者で、日本軍の軍人・軍属として、中国大陸、アジア・太平洋地域で戦没した方々の氏名(主に日本語名)が記されている。膨大な資料である。その中から、ニューギニア島及び同島近辺の戦没者に絞って、以下、公表する。

名簿を手にする菊池英昭さん


●海軍被徴用死亡者

 所   属  死亡場所 死亡年月日 名簿番号  創 氏 名

2満代丸 ラバウル 1944.01.29 2248 金本宗泰
3幸運丸 ラバウル 1944.07.06 2241 金本仁平
多佳山丸   蘭印 1944.11.08 2221 川本甲澤
横須賀運輸部 ニューギニア 1944.02.21 669 陽川得男
横須賀運輸部 ニューギニア 1944.02.21 674 金田淳昌
第8海軍建築部 ニューギニア・タルヒア沖 1944.04.21 228 徐敬淳
第8海軍建築部 ニューギニア・タルヒア沖 1944.04.21 536 横田竹一
第8海軍施設部 ラバウル 1945.05.15 96 宮本敬男
第8海軍施設部 ラバウル 1945.05.15 99 祐藤 栄
第10海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.09.02 234 大原東漢
第10海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.09.02 238 千代再京
第10海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.09.02 262 張田順教
第10海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.09.02 264 尹栄根 伊栄根
第10海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.09.02 269 岩本時烈
第15海軍設営隊 ニューギニア 1942.09.02 254 原田漢秉
第15海軍設営隊 ニューギニア 1942.09.02 457 赤城光根
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.09.02 285 宮本甲得
第15海軍設営隊 ニューギニア・東部 1942.09.02 389 陽元文光
第15海軍設営隊 ニューギニア・東部 1942.09.02 430 高山五龍
第15海軍設営隊 ニューギニア・東部 1942.09.02 432 山下完植
第15海軍設営隊 ニューギニア・東部 1942.09.02 445 金山千壽
第15海軍設営隊 ニューギニア・東部 1942.09.02 455 松源撥載
第15海軍設営隊 ニューギニア・東部 1942.09.02 543 清原栄洙
第15海軍設営隊 ニューギニア・東部 1942.09.02 544 金本永海
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 107 三井福営
第28海軍建築部 ニューギニア・西部 1944.07.13 26 松岡英雄
第28海軍建築部 ビアク島 1944.07.31 386 宮本撥龍
第28海軍建築部 ビアク島 1944.07.31 397 金城正國
第28海軍建築部 ビアク島 1944.07.31 442 平本 寛
第8南進丸 ボルネオ島 1944.10.30 564 金井光雄
第8京仁丸 ラバウル 1945.07.29 834 木村應永
南方政務部 ジャワ島 1945.06.26 78 金木柄禮
第8海軍施設部 ラバウル 1944.04.13 251 文本忠根
第8海軍施設部 ラバウル 1944.04.13 384 松浦鍾東
第8海軍施設部 ラバウル 1944.04.13 389 黄村銀秀
第8海軍施設部 ラバウル 1944.04.13 411 徳山淳顕
第8海軍施設部 ラバウル 1944.04.16 393 林慶奎
第8海軍施設部 ラバウル 1944.04.17 388 新井済允
第8海軍施設部 ラバウル 1944.05.23 386 金川煥鎮
第8海軍施設部 ラバウル 1944.06.10 387 平山昌龍
第8海軍施設部 ラバウル 1944.06.17 383 陸林長錫
第8海軍施設部 ラバウル 1944.09.22 385 新井景
第8海軍施設部 ラバウル 1944.10.22 379 木下樂善
第8海軍施設部 ラバウル 1944.10.29 36 眞山忠範
第8海軍施設部 ラバウル 1944.12.15 80 金澤致勳
第8海軍施設部 ラバウル 1945.03.04 86 夏山炳烈
第8海軍施設部 ラバウル 1945.03.14 247 松村山五
第8海軍施設部 ラバウル 1945.04.06 274 河田成福
第8海軍施設部 ラバウル 1945.05.24 231 南宮東得
第8海軍施設部 ラバウル 1945.06.07 85 張本圭
第8海軍施設部 ラバウル 1945.09.03 183 木村允夫
第8海軍建築部 ニューギニア 1944.05.30 146 安田豊光
第8海軍建築部 ニューギニア 1944.06.25 273 西村金三
第14海軍設営隊 ニューギニア 1943.02.23 533 横山昌植
第207海軍設営隊 ラバウル 1943.12.19 513 高本元模
第212海軍設営隊 ラバウル 1943.12.19 527 西原允培
松裕丸   蘭 印 1944.01.18 525 中原昌岩
南方政務部 ウウェワク 1943.08.18 93 宮本仁吉
横須賀海軍施設部 モルッカ諸島 1944.08.12 176 井上禹欽
横須賀海軍施設部 ビアク島 1944.08.30 178 白川興浩
第8海軍施設部 ニュギニア・パマイ 1944.06.25 79 新井昊善
第8海軍建築部 ニューギニア・東部 1943.08.28 50 李政英
多佳山丸 インドネシア(蘭印) 1944.09.30 202 金田炳圭
ニューギニア民政部 ジャワ海 1943.10.21 32 北村仁淳
第8海軍建築部 ニューギニア・タルヒア沖 1944.04.21 14 池原成松
第6金盛丸 ニューギニア 1944.06.25 42 元村尚哲
公海丸 ラバウル 1944.08.31 37 國本英俊
第8海軍施設部 ラバウル 1942.12.27 84 春山泰興
第8海軍施設部 ラバウル 1943.02.14 108 大山長洙
第8海軍施設部 ラバウル 1943.03.13 55 菊田武雄
第8海軍施設部 ラバウル 1943.08.04 72 南本鐘國
第8海軍施設部 ラバウル 1943.08.05 106 平津富雄
第8海軍施設部 ラバウル 1944.08.17 75 高野華旭
第8海軍施設部 ラバウル 1944.09.09 95 清水壽淳
第8海軍施設部 ラバウル 1944.11.15 85 山本順賢
第8海軍施設部 ラバウル 1944.12.19 96 金本○享
第8海軍施設部 ラバウル 1945.02.19 59 金熙斗
第8海軍施設部 ラバウル 1945.05.08 31 清水寛淳
第8海軍施設部 ラバウル 1945.05.25 64 金村基○
第8海軍施設部 ラバウル 1945.05.26 65 高山愚○
第8海軍施設部 ラバウル 1945.05.27 63 張田永玉
第8海軍施設部 ラバウル 1945.06.18 105 黒川貞夫
第8海軍施設部 ラバウル 1945.07.25 47 金浦湟翼
第8海軍施設部 ラバウル 1945.07.28 52 山目徳洙
第8海軍施設部 ラバウル 1945.08.07 110 川本清秀
第8海軍施設部 ラバウル 1945.08.21 90 江華永俊
第8海軍施設部 ラバウル 1945.08.28 122 廣本金次
正栄丸 マカッサル 1943.09.18 197 林用三
横須賀海軍施設部 ニューギニア 1942.11.07 216 金井勝太郎
第8海軍建築部 ニューギニア 1944.09.10 202 張城宗奎
第15海軍設営隊 ニューギニア 1943.01.22 116 西山寶國
日遠丸   蘭 印 1943.12.01 239 水原洛允
隆栄丸 ボルネオ 1044.01.02 250 金子正一


続く。

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『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(6) 武内満多男 
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で10月30日までの日程で開催中の『ニューギニア未帰還兵展』を訪れた、元海軍第202設営隊(永田亀雄技術少佐)の隊員だった東京・練馬区在住の武内満多男さん(83歳)から同隊に関する貴重な資料提供を受けた。同氏とのインタビュー内容は後日紹介するとして、資料によってこれまで不明だった数々の謎解きが可能となった。海軍第202設営隊は、およそ230を数える海軍設営隊の中でも、最初の“玉砕部隊”として不幸な名誉を残している。しかし、その要員数... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/04 19:09
『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(7) 戦死公報の謎
{%爆弾webry%}『海軍設営隊の太平洋戦争 航空基地築城の展開と活躍』(光人社・1996年4月26日発行)の著者で、元海軍第203設営隊(岩下久哉技術少佐・ハルマヘラ島で基地設営)の西部ニューギニア・ソロン派遣隊長だった佐用泰司元海軍技術大尉によれば、「海軍第202設営隊(永田亀雄技術少佐・昭和18年11月15日海軍横須賀施設部編成)」は、“玉砕設営隊”の第一号だった。一部およそ130名がハルマヘラ島に取り残されたが、約1,000名の隊員が昭和19(1944)年6〜7月、ビアク... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/05 20:26
海軍第202設営隊(1) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/08 11:14
海軍第202設営隊(2) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/08 19:44
海軍第202設営隊(3) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/09 15:00
海軍第202設営隊(4)武内満多男の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/11 12:19
海軍第202設営隊(5) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/20 22:47
海軍第202設営隊(6) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/21 16:43
海軍第202設営隊(7) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/24 09:48
『ニューギニア未帰還兵展』12月19日まで再延長。Pameran Prajurit Jepang
{%爆弾webry%}開催期間を一ヶ月間延長して、去る8月8日から10月30日までの予定で実施中の『ニューギニア未帰還兵展』。戦後65年も経過したのにも関わらず、未だ祖国へ還れない、ニューギニアに瞑る幾多の旧日本軍将兵の霊。そして、「いつ、どこで、どのように亡くなったのか?」を究明したいと願う遺族。夫を、父を、兄を、弟を、そして伯父(叔父)の最期の地を必死で探し求めている妻、子、兄弟姉妹、そして姪と甥。 赤紙一枚で出征し、白紙一枚の戦死公報。ニューギニアで亡くなった方々のお墓に安... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/24 17:51
海軍第202設営隊(8) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/01 01:47
海軍第202設営隊(小林光雄氏の絵日記証言)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}2009年12月19日までインドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/01 02:48
第35師団野戦病院(東第2931部隊第3分隊)故永井寿三郎氏提供写真 ヌンホル島
{%爆弾webry%}再々延長して2009年12月19日までインドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。再延長の最終日、2009年10月30日、『亡き父のアルバムの中に、大戦中にニューギニアで戦死した戦友たちが写っている写真がありました。もしや、ご遺族の方々の中に、身内の消息を探している方がいるのではないかと思って持参しました』---そう言って、横浜市か... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/01 16:48
海軍第202設営隊(9) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/02 11:00
海軍第202設営隊(10)武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/03 13:58
『ニューギニア未帰還兵展』12月19日まで再々延長。Pameran s/d 19 Des 09
{%爆弾webry%}開催期間を一ヶ月間延長して、去る8月8日から10月30日までの予定で実施中の『ニューギニア未帰還兵展』。戦後65年も経過したのにも関わらず、未だ祖国へ還れない、ニューギニアに瞑る幾多の旧日本軍将兵の霊。そして、「いつ、どこで、どのように亡くなったのか?」を究明したいと願う遺族。夫を、父を、兄を、弟を、そして伯父(叔父)の最期の地を必死で探し求めている妻、子、兄弟姉妹、そして姪と甥。 赤紙一枚で出征し、白紙一枚の戦死公報。ニューギニアで亡くなった方々のお墓に安... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/04 09:49
海軍第202設営隊(11)武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/05 12:09
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(1)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/08 21:01
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(2)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/10 13:28
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(3)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/12 10:10
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(4)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/13 08:48
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(5)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/14 16:27
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(6)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/15 00:30
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(7)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/18 09:37
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(8)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/19 10:28
海軍第202設営隊絵日記(1)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/20 11:35
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(9)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/20 23:58
海軍第202設営隊絵日記(2)小林光雄の戦 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/22 09:54
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(10)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/23 10:58
海軍第202設営隊絵日記(3)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/23 21:11
海軍第202設営隊絵日記(4)小林光雄の戦 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/26 10:56
海軍第202設営隊絵日記(5)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/27 22:06
海軍第202設営隊絵日記(6)小林光雄の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/29 13:18
海軍第202設営隊絵日記(7)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/01 09:49
海軍第202設営隊絵日記(8)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/02 09:51
海軍第202設営隊(1)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/05 11:05
海軍第202設営隊(2)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/06 11:21
ビアク島マンドン・イブディの旧日本軍洞窟(1) Gua Dai Nippon Biak
{%爆弾webry%}今から13年前。1997年5月、“玉砕の島”ビアク島を訪ねた時の写真が資料棚から出てきた。フィルムで撮影したもので、多少変色している。画像は、その3年前の1994年10月、地主のパウルス・カフィアール(Paulus.A.Kafiar)さんによって発見されたとされるマンドン(Mandon)・イブディ(Ibdi)の断崖にある、内部が5室構造の鍾乳洞を写し出している。 ビアク島といえば、1万数千名の日本軍将兵や台湾人、朝鮮半島出身の軍属、そしてインドネシア人兵補や... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/07 10:45
ビアク島マンドン・イブディの旧日本軍洞窟(2) Gua Dai Nippon Biak
{%爆弾webry%}今から13年前。1997年5月、“玉砕の島”ビアク島を訪ねた時の写真が資料棚から出てきた。フィルムで撮影したもので、多少変色している。画像は、その3年前の1994年10月、地主のパウルス・カフィアール(Paulus.A.Kafiar)さんによって発見されたとされるマンドン(Mandon)・イブディ(Ibdi)の断崖にある、内部が5室構造の鍾乳洞を写し出している。 ビアク島といえば、1万数千名の日本軍将兵や台湾人、朝鮮半島出身の軍属、そしてインドネシア人兵補や... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/07 10:59
海軍第202設営隊(3)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/09 12:20
海軍第202設営隊(4)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/10 21:46
海軍第202設営隊(5)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/12 14:39
☆12月17日:西部ニューギニア遺骨収集団遺骨引渡式のお知らせ☆
{%メガホンhdeco%}来る12月17日(木)、今年二回目の、厚生労働省派遣による西部ニューギニア地区遺骨収集団が帰国し、東京・千代田区三番町にあります「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」にて遺骨引渡式が行われます。今回はビアク島、ホーランジア(現ジャヤプラ)、ヌンホル島からの祖国帰還となります。 長年同地の遺骨調査に従事し、今回の収集団にも参加した岩手県奥州市のNPO『太平洋戦史館』のメンバーから遺骨が国に引き渡されます。事前予約無しで自由に出席できますので、是非ご参加下さい。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/13 14:30
海軍第202設営隊(6)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/14 10:32
12月17日、西部ニューギニア遺骨収集団遺骨引渡式:291柱が無言の祖国帰還
{%メガホンhdeco%}来る12月17日(木)、今年二回目の、厚生労働省派遣による西部ニューギニア地区遺骨収集団が帰国し、東京・千代田区三番町にあります「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」にて遺骨引渡式が行われます。今回はビアク島、ホーランジア(現ジャヤプラ)、ヌンホル島からの祖国帰還となります。過去最多の291柱が還ってくる予定です。 長年同地の遺骨調査に従事し、今回の収集団にも参加した岩手県奥州市のNPO『太平洋戦史館』のメンバーから遺骨が国に引き渡されます。事前予約無しで自由に出席でき... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/15 12:27
東西ニューギニアから計702名の遺骨が祖国帰還
  ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/17 21:52
海軍第202設営隊(7)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/18 14:11
海軍第202設営隊(8)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/19 09:52
2010年にも始まるワクデ島の遺骨収集 Pulau Wakde & Prajurit Jepang
{%爆弾webry%}3月に次いで今年二回目となった、厚生労働省による西部ニューギニア域戦没者遺骨収集団が去る12月17日帰国した。3月の108柱のおよそ2.7倍に当たる291柱が無言の祖国帰還を果たした。彼らは、現在のパプア州の州都ジャヤプラ(Jayapura・旧ホランジア)近郊のプアイ村で見つかった77柱、そして玉砕の島として戦史に残るビアク(Biak)島で確認された214柱の旧日本軍将兵・軍属の遺骨・遺灰だ。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/20 18:25
三橋國民 『64年目の夏 鎮魂のニューギニア』 Kunitami Mitsuhashi
{%爆弾webry%}日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日〜16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日〜6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開いた。 2010年に90歳になる三橋氏は、戦時中、野戦高射砲第74大隊第2中隊の隊員として西部ニューギニアのサラワティ(Sarawati)島のサマテ(Samate)に暮らした。戦友はことごとく戦死。40名中2名の生還だった。ニューギニアでの戦争体験を原点に、戦後、造... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/24 19:29
三橋國民 鎮魂のニューギニア(1) Kunitami Mitsuhashi & Papua
{%爆弾webry%}日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日〜16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日〜6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開いた。 2010年に90歳になる三橋氏は、戦時中、野戦高射砲第74大隊第2中隊の隊員として西部ニューギニアのサラワティ(Sarawati)島のサマテ(Samate)に陣地を構えた。戦友はことごとく戦死。40名中2名の生還だった。ニューギニアでの戦争体験を原点に、戦後... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/26 12:54
三橋國民 鎮魂のニューギニア(2) Kunitami Mitsuhashi & Papua
{%爆弾webry%}日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日〜16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日〜6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開いた。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/28 08:54
三橋國民 鎮魂のニューギニア(3) Kunitami Mitsuhashi & Papua
{%爆弾webry%}日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日〜16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日〜6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開いた。 2010年に90歳になる三橋氏は、戦時中、野戦高射砲第74大隊第2中隊の隊員として西部ニューギニアのサラワティ(Sarawati)島のサマテ(Samate)に暮らした。戦友はことごとく戦死。40名中2名の生還だった。ニューギニアでの戦争体験を原点に、戦後、造... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/29 12:10
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(109) Bandara DaiNippon(109)ボルネオ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}2008年12月2日に連載を開始した『東部インドネシアの旧日本軍航空基地(Bandara Dai Nippon)』シリーズは、 西部ニューギニアのバボ(Babo)を第1号に、2009年5月19日のボルネオ島の第108号まで回を重ね、以降、ロテ島の伝統楽器ササンドゥ特集や『ニューギニア未帰還兵展』などのシリーズのため中断していた。太平洋戦争の開戦から68周年。ますます遠のく“先の大戦”の記憶。たとえ幾万の旧日本軍将兵・軍属の遺骨が、特に西部ニューギニ... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/30 11:02
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(110) Bandara DaiNippon(110)ボルネオ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}2008年12月2日に連載を開始した『東部インドネシアの旧日本軍航空基地(Bandara Dai Nippon)』シリーズは、 西部ニューギニアのバボ(Babo)を第1号に、2009年5月19日のボルネオ島の第108号まで回を重ね、以降、ロテ島の伝統楽器ササンドゥ特集や『ニューギニア未帰還兵展』などのシリーズのため中断していた。太平洋戦争の開戦から68周年。ますます遠のく“先の大戦”の記憶。たとえ幾万の旧日本軍将兵・軍属の遺骨が、特に西部ニューギニ... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/31 01:07

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『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿(6)  インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)/BIGLOBEウェブリブログ
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