『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』21故田中應海大尉

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ホランジア(現ジャヤプラ)の陥落(1944年4月22日連合軍上陸)に続くサルミへの“地獄の転進”作戦。やがて連合軍は、第2方面軍司令官だった阿南惟幾大将をして「ここを失うは空母10隻を失うに等しい」とまで言わしめたビアク島へ上陸(1944年5月27日)。第6飛行師団を核とするサルミ転進部隊は、直線距離でおよそ230kmの敗走行軍で、主に飢餓と病魔によって5,000名を超える将兵が屍となった。ジャヤプラ・サルミ間は、まさに“白骨街道”と化した。さらに、サルミ地区(1944年5月17日、連合軍上陸)でも、第36師団(雪兵団)は約9,000名の戦没者を記録。一方、ビアク島では1万数千の将兵が“玉砕”。さらに近くのヌンホル島(1944年7月2日、連合軍上陸)でも3,000名を超える日本兵が“玉砕”。

ホランジア・サルミ地区、ビアク島、そしてヌンホル島の激戦は、その戦闘期間や凄惨さ、そして帰還兵が戦後著した戦誌などによって、その実態を知る手がかりがある。しかし、サルミの沖合に浮かぶ、ワクデ(Wakde)島については、周辺地域の戦史と比べて、余りにも未知な部分が多い。ほぼ100%の“玉砕”は、日本側に記録を残す機会を与えなかった。

鯨の尾の形に似て、そして翼を広げた鷹にも見えるワクデ島。東西約3.5km、南北約2.5kmの小さな、小さな島。ここは、昭和17(1942)年4月、海軍陸戦隊によって占領され、昭和18(1943)年半ばには、海軍第103設営隊(山田誠海軍技術少佐)によって、長さ1,300m、幅120mの滑走路が完成していた。同設営隊は1943年1月30日に上陸し、2月23日には滑走路を概成させた。わずか25日間での急速設営だった。

アメリカ公刊戦史によれば、1944年5月17~20日のワクデ島の戦いにおける日本軍将兵の戦死は759名、捕虜4名。一方、米軍兵士の戦死は40名、負傷107名。日本軍側の資料によれば、連合軍上陸時点で、同島には約600名の日本軍将兵がいた。内訳は、守備主力部隊が、第36師団(田上八郎中将)第224連隊(松山宗右衛門大佐)第3大隊(土井初太郎少佐)の第9中隊(石塚修二中尉指揮下の133名)。そして砲兵大隊の一個小隊29名、集成重機関銃小隊(小山孝行少尉指揮下の35名)、五号無線一個分隊5名、師団通信隊15名、師団野戦病院15名、航空防空隊220名、船舶部隊27名、海軍部隊120名。

「砂浜に立って思わず息をのんだ。一衣帯水とでもいうのであろう、すぐ目の前に浮かぶ小島(彼らは後日、それがワクデ島であることを知った)が、全島紅蓮の炎に包まれて燃えさかっていたのだ。島の端から端までを太い帯状になった炎が一直線に駆けぬけていた。高く昇った幾筋もの黒煙は島の上空で大きく揺れ動いている。その焔の島を五十隻はゆうに超える敵の艦隊が遠まきに包囲し、星条旗をひるがえした無数の上陸用舟艇がさかんに行き交っていたのである」----『幻 ニューギニア航空戦の実相(ラバウル・ニューギニア陸軍航空部隊会発行・昭和61年4月20日)』は、ホランジアからサルミへ向けて転進途上にあった、第68戦隊の渡辺大尉、山田准尉、木村曹長ら三名が、連合軍のワクデ島上陸作戦を目撃した光景をそう描いている。

太平洋戦史館(岩手県奥州市)理事で横浜市在住の田中裕海(ひろみ)さんは、父・田中應海(まさみ)をワクデ島で亡くした。独立野戦高射砲第40中隊の中尉だった。故田中應海大尉は明治41年11月10日、長野市豊野町の宝蔵院で生まれ、駒沢大学を卒業後、永平寺で僧侶の修行。昭和9年、永平寺の求めに応じて、仏教普及のため台湾へ。そして昭和16年7月、台湾で応召。経緯は定かではないが、その後、第18軍(安達二十三中将)隷下の、通称「南海派遣猛第1751部隊」として東部ニューギニア方面に駐屯していたものと想像される。そして、東部ニューギニア戦線の戦況悪化に伴い、昭和19年3月、第18軍と第4航空軍(寺本熊一中将)は、西部ニューギニアをも作戦地域とする第2方面軍(阿南惟幾大将)の隷下に移った。おそらく、この時期、独立野戦高射砲第40中隊は、東部ニューギニアから、西部ニューギニア・サルミの沖合いに浮かぶワクデ島へ移動したものと思われる。

田中裕海さんは、これまで3年連続して、父・應海が戦死したワクデ島を訪ねている。「ワクデに行けば父に会える」---父の亡骸に出会うまで、裕海さんに、そして父に“戦後”は来ない。


台湾から出征する前に撮影されたものと思われる田中應海(まさみ)さん(左)。昭和16年7月15日、召集、昭和19年5月20日、ワクデ島で独立野戦高射砲第40中隊陸軍中尉として戦死。

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インドネシア文化宮(GBI)を訪れた田中さん一家(右から二人目が田中裕海さん)。ホームステイ中のドイツ人青年も。


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出征直前の田中應海(まさみ)さん(右端)。


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ワクデ島(2009年7月。撮影:田中裕海)


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ワクデ島東北部には珊瑚礁洞窟があり、日本軍は防禦陣地とした。守備隊玉砕の地となった(2009年7月。撮影:田中裕海)


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現在のワクデ島の村は、島中央南岸、まさに連合軍上陸地点にある(2009年7月。撮影:田中裕海)


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2009年7月空撮のワクデ島(相模原市の座間淳子さん撮影)。可愛いハート型。翼を広げた鷹、あるいは鯨の尾にも似ている。


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海軍の第103設営隊による重機も使ったワクデ(Wakde)飛行場の建設作業(『濠北を征く』)


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アラレ&ワクデ連合軍上陸作戦経過要図(University of Texas Libraries)



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アラレに上陸した連合軍(US Army 17 May 1944)



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ワクデ島に上陸する米第163連隊(US Army 18 May 1944)



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米軍偵察機が初めて撮影した海軍設営隊が建設中のワクデ飛行場(USAAF 28 Feb. 1943)



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米軍偵察機が撮影したワクデ島日本軍飛行場。滑走路の北側に掩体施設、南側に升目状の兵舎群が見える(USAAF 10 Oct 1943)



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米軍偵察機が撮影したワクデ飛行場。陸軍の一式戦闘機「隼」(Oscar)や三式戦闘機「飛燕」(Tony)、そして二式複座戦闘機「屠龍(とりゅう)」(Nick)があり、空爆でできたクレーターの位置なども説明されている(USAAF 28 April 1944撮影)



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ワクデ島に上陸した米軍。戦車の後ろを歩兵が進む(US Army 18 May 1944)

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連合軍上陸後のワクデ島飛行場。陸軍97式重爆撃機(Sally)が無残な姿を晒している(USAAF 1944)



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ワクデ島に上陸する米第163連隊(US Army 17 May 1944)

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米軍上陸後のワクデ飛行場。日本陸軍の九九式双軽爆撃機(Ki-48 Lily)の残骸。(Eugene Salternik 1944)


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米軍が上陸後修復したワクデ飛行場(USAAF, 100th Service Squardon via Lt.Col.Davis: 1944)


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米軍占領後修復されたワクデ飛行場。大量の航空機が駐機している。滑走路の端に爆撃機B-24が(USAAF 1944)


【参考ブログ】

【ワクデ島関連ブログ】

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(34) Bandara Dai Nippon(34) ワクデ島(Pulau Wakde)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(33) Bandara Dai Nippon(33) ワクデ島(Pulau Wakde)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(32) Bandara Dai Nippon(32) ワクデ島(Pulau Wakde)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_3.html



『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を「読売新聞」が報道
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200909/article_3.html

“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)5 Goa Jepang Pulau Biak Papua
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200909/article_2.html

“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)4 Goa Jepang Pulau Biak Papua
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200909/article_1.html

“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)3 Goa Jepang Pulau Biak Papua
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_32.html

“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)2 Goa Jepang Pulau Biak Papua
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_31.html

“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)Goa Jepang, Pulau Biak, Papua
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_30.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』21 金属カップ 杉本
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_28.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』20 飯盒の内蓋 久保金治
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_26.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』19 飯盒の内蓋 中島愼希一?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_25.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』18 水筒 長野一彦
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_24.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』17飯盒の内蓋 渡辺貞雄
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_23.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 16 飯盒・鈴木信太
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_21.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 15 小野寺中尉の水筒
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_20.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』14 終戦記念日
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_16.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』13 トル川
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_13.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 12 ビアク島へ
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_12.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』11ビアク島戦史
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_10.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 が始まる10
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_9.html

今日からスタート『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 9
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_8.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』8 ビアク島からの遺留品3
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_6.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』7 ビアク島からの遺留品2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_5.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』6 ビアク島からの遺留品
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_4.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』5 ビアク島戦史
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_3.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』4 ビアク島戦史
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_2.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』3 ビアク島日誌
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200907/article_64.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』2 Pameran Prajurit
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200907/article_63.html

「ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ」開催のお知らせ
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200907/article_62.html

太平洋戦史館
http://www14.plala.or.jp/senshikan/

東部インドネシアの旧日本軍航空基地関連記事一覧
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html

西部ニューギニアから108人の旧日本兵の遺骨が祖国へ(Kembali ke Tanah Air)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200903/article_21.html

ニューギニア島の西パプア州で大きな地震発生(Gempa bumi Papua Barat)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_5.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(108) Bandara DaiNippon(108)ボルネオ島
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200905/article_19.html

(この間に107~26のシリーズがあります)

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(25) Bandara Dai Nippon(25) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_29.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(24) Bandara Dai Nippon(24) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_28.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(23) Bandara Dai Nippon(23) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_26.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(22) Bandara Dai Nippon(22) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_25.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(21) Bandara Dai Nippon(21) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_24.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島(Pulau Mapia)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(19) Bandara Dai Nippon(19) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(18) Bandara Dai Nippon(18) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(17) Bandara Dai Nippon(17) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_19.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(16) Bandara Dai Nippon(16) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_18.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_17.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_2.html




この記事へのコメント

ひまわり
2010年11月11日 07:34
千葉県佐倉市在住の豊谷秀光さん大正10年生まれが:ニューギニア鈍兵録ー地獄行脚という体験本を出しておられます。人肉をだべた話ではよそからそんな事を書くなとか言われたそうです。数年前まで毎年慰霊のためにニューギニアに行っていたそうです。ご存知ですか?
インドネシア文化宮
2010年11月11日 11:01
体験本については知りませんでした。是非とも読んでみたいと思います。貴重な情報、ありがとうございました。

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