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zoom RSS 『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿(2)

<<   作成日時 : 2009/09/30 00:00   >>

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菊池英昭さん(67歳)が10年の歳月を費やして独自に収集した「朝鮮人戦死者名簿」。そこにはおよそ2万1千名の朝鮮半島出身者で、日本軍の軍人・軍属として、中国大陸、アジア・太平洋地域で戦没した方々の氏名(主に日本語名)が記されている。膨大な資料である。その中から、ニューギニア島及び同島近辺の戦没者に絞って、以下、公表する。

名簿を手にする菊池英昭さん

●海軍被徴用死亡者

 所   属  死亡場所 死亡年月日 名簿番号  創 氏 名
第4海軍施設部 ニューギニア 1943.01.02 253 ○川宗熙
第4海軍施設部 ニューギニア 1943.01.22 321 ○○○
第4海軍施設部 ニューギニア 1943.02.13 580 島本重雄
第8海軍施設部 ラバウル 1944.03.08 391 熊野八龍
第8海軍施設部 ラバウル 1944.04.02 537 松原泰禹
第8海軍施設部 ラバウル 1944.05.05 559 豊川光夫
第8海軍施設部 ラバウル 1944.06.18 467 梁川貞煥
第8海軍施設部 ラバウル 1945.05.01 704 小松潤澤
第8海軍施設部 ラバウル 1945.05.08 519 鄭海○
第8海軍施設部 ラバウル 1945.05.22 396 松本茂弘
第8海軍施設部 ラバウル 1945.07.04 527 高木鳳吉
第8海軍施設部 ラバウル 1945.07.21 453 金金童
第8海軍施設部 ラバウル 1945.11.01 525 徳村聖変
第8海軍建築部 ニューギニア 1944.01.14 447 姜鐘鳳
第8海軍建築部 ニューギニア 1944.06.25 740 森本長寛
第15海軍設営隊 ニューギニア・パパキ 1942.09.07 168 柳本○烈
第15海軍設営隊 ニューギニア・東部 1942.09.13 193 安田祥珪
第15海軍設営隊 ニューギニア・オイヒ 1942.09.18 233 清原○寅
第15海軍設営隊 ニューギニア・オイヒ 1942.09.21 126 清原輔元
第15海軍設営隊 ニューギニア・オイヒ 1942.09.22 108 中村徳普
第15海軍設営隊 ニューギニア・オイヒ 1942.09.23 54 松岡杭淳
第15海軍設営隊 ニューギニア 1942.10.01 53 松岡良隹
第15海軍設営隊 ニューギニア・サンボ 1942.10.07 179 松山錫俊
第15海軍設営隊 ニューギニア・ココダ 1942.12.02 175 原田芳武
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.09.15 582 浦田 豊
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.09.21 215 宮本貞根
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.10.09 243 高山光國
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.10.13 380 兪田永鎬
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.10.21 249 安田光秀
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.11.03 82 山本魯恒
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.11.08 213 宮本辰甲
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.11.26 101 金田振豪
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.11.28 66 高島富男
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.11.28 132 金井増吉
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.11.29 255 金龍石
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.11.30 390 星山炳哲
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.01 217 宮本点鳳
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.03 394 安金鎬
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.07 248 青松忠雄
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.07 278 白川義平
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.08 222 竹内壽一
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.09 407 密楊次奉
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.11 406 平澤奮煥
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.12 56 厖村重○
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.12 373 岡田炯培
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.12 409 國本雨春
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.14 395 金本日培
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.14 526 金山貞光
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.15 21 西本済章
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.15 372 坡田炳甲
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.15 518 豊川土彬
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.16 216 木村太成
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.17 151 ○本丁得
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.18 36 李田徳雨
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.18 371 西原壽鳳
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.19 393 陽山炳浩
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.22 389 平山永泰
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.24 162 松村鎮元
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.25 30 豊原清太郎
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.25 59 平本善義
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.25 109 山佳翼西
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.25 110 城川延複
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.25 111 具原善會
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.25 127 岩本性旭
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.25 143 茂山信彦
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.25 250 金城東俊
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.25 377 山本鍾淵
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.26 139 佳山鐘哲
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.26 221 松田彦黙
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.26 242 木村元得
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.26 388 木村永義
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.26 405 平江鶴洙
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.27 29 西原昌國
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.27 42 國本載信
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.27 85 安東炳訓
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.27 238 金井栄世
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.27 374 芳原徳奎
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.27 387 松本○容
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.29 76 坡平錫桓
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.29 125 富剛輔栄
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.29 229 杜山麟鍾
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.29 237 李田嘉敬
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.30 408 大丘丙先
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1942.12.31 201 黄光福
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.01 123 延原徳煥
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.02 349 鄭永○
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.03 122 金川甲培
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.04 95 禹嘉根
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.05 114 漢川秉睦
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.05 399 長谷川九峰
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.05 400 安田鐘雲
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.06 381 竹本祐植
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.07 39 金山龍生
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.07 141 伊東貞男
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.08 98 林致憲
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.08 411 張弓○得
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.09 97 柳川志奥
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.09 103 水金洛根
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.09 104 木村附ノ
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.09 105 安本辺植
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.09 113 徳山 照
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.09 131 新本金孫
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.09 142 佳山 銘
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 26 豊川甲淳
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 27 豊川福淳
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 35 嘴山忠蔵
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 44 國本九鎔
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 45 金本鎮九
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 46 安田鍾平
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 50 金海壽男
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 52 松岡正市
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 57 安平善吉
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 58 安平隆夫
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 62 張田○勳
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 63 丘在訓
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 77 羅本相元
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 79 豊原東烈
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 80 金海相運
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 92 権公植
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 93 松村相任
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 100 金田栄在
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 116 國本正成
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 117 具原應會
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 118 具原滋鶴
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 135 岩本栄喜
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 136 伊東栄先
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 153 芳山信哲
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 154 岩本○熙
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 155 安藤性福
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 156 高山宗声
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 157 中山顕徳
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 158 山川順萬
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 159 平山炳吉
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 164 中本丙説
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 165 徳山平一
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 166 ○○鍾萬
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 167 石村寛東
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 170 金田仁杓
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 173 白川増雄
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 176 南葛均
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 177 南原昌土
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 178 松山清吉
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 180 金井○九
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 182 菊本相烈
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 184 文山富雄
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 185 茂山秉龍
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 189 岩田昌洙
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 190 安鍾烈
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 191 安村鍾声
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 199 木村武勇
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 209 和山正義
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 210 河寧在翼
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 212 ○川南憲
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 224 藤禹正龍
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 230 金山百石
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 231 姜龍泰
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 239 李田嘉敬
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 240 玉田○○
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 241 長山茂一
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 246 吉田正次郎
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 247 正木清義
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 258 車田○成
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 275 平川炳五
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 321 ○○○
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 330 松田長武
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 375 伊澤昌重
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 376 伊澤甲童
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 392 柳川義男
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 397 岩本徳雨
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 398 三州丙玉
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 401 金本顕大
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 402 平沼奥奉
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 403 金原昌謙
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 412 三井善杓
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 413 松本根淳
第15海軍設営隊 ニューギニア・ギルワ 1943.01.22 540 梁川俊錫
第15海軍設営隊 ニューギニア・マンバレイ 1943.01.05 332 伊東昌変
第15海軍設営隊 ニューギニア・マンバレイ 1943.01.22 169 金山長栄
第15海軍設営隊 ニューギニア・マンバレイ 1943.02.13 580 島本重雄
第15海軍設営隊 ニューギニア・ラエ 1943.03.24 172 金澤學培



続く。



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2009/10/20 22:47
海軍第202設営隊(6) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/21 16:43
海軍第202設営隊(7) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/24 09:48
『ニューギニア未帰還兵展』12月19日まで再延長。Pameran Prajurit Jepang
{%爆弾webry%}開催期間を一ヶ月間延長して、去る8月8日から10月30日までの予定で実施中の『ニューギニア未帰還兵展』。戦後65年も経過したのにも関わらず、未だ祖国へ還れない、ニューギニアに瞑る幾多の旧日本軍将兵の霊。そして、「いつ、どこで、どのように亡くなったのか?」を究明したいと願う遺族。夫を、父を、兄を、弟を、そして伯父(叔父)の最期の地を必死で探し求めている妻、子、兄弟姉妹、そして姪と甥。 赤紙一枚で出征し、白紙一枚の戦死公報。ニューギニアで亡くなった方々のお墓に安... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/10/24 17:51
海軍第202設営隊(8) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/01 01:47
海軍第202設営隊(小林光雄氏の絵日記証言)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}2009年12月19日までインドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/01 02:48
第35師団野戦病院(東第2931部隊第3分隊)故永井寿三郎氏提供写真 ヌンホル島
{%爆弾webry%}再々延長して2009年12月19日までインドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。再延長の最終日、2009年10月30日、『亡き父のアルバムの中に、大戦中にニューギニアで戦死した戦友たちが写っている写真がありました。もしや、ご遺族の方々の中に、身内の消息を探している方がいるのではないかと思って持参しました』---そう言って、横浜市か... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/01 16:49
海軍第202設営隊(9) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/02 11:00
海軍第202設営隊(10)武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/03 13:59
『ニューギニア未帰還兵展』12月19日まで再々延長。Pameran s/d 19 Des 09
{%爆弾webry%}開催期間を一ヶ月間延長して、去る8月8日から10月30日までの予定で実施中の『ニューギニア未帰還兵展』。戦後65年も経過したのにも関わらず、未だ祖国へ還れない、ニューギニアに瞑る幾多の旧日本軍将兵の霊。そして、「いつ、どこで、どのように亡くなったのか?」を究明したいと願う遺族。夫を、父を、兄を、弟を、そして伯父(叔父)の最期の地を必死で探し求めている妻、子、兄弟姉妹、そして姪と甥。 赤紙一枚で出征し、白紙一枚の戦死公報。ニューギニアで亡くなった方々のお墓に安... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/04 09:50
海軍第202設営隊(11)武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊(永田亀雄少佐)」の将兵・軍属およそ1,000名がいる。彼らはビアク(Biak)島で亡くなった。連合軍のビアク上陸(1944年5月27日)によって、上陸を果たせなかった第202設営隊の約130名は、遠く西方のハルマヘラ島で終戦ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/05 12:09
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(1)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/08 21:01
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(2)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/10 13:28
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(3)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/12 10:10
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(4)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/13 08:48
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(5)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/14 16:27
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(6)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/15 00:31
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(7)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/18 09:38
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(8)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/19 10:28
海軍第202設営隊絵日記(1)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/20 11:36
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(9)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/20 23:58
海軍第202設営隊絵日記(2)小林光雄の戦 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/22 09:54
陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(10)
{%爆弾webry%}いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和19年5月、北支から南方へ送られた。当初は連合軍が上陸したビアク(Biak)島への逆上陸部隊として三度にわたって派遣される予定だった(渾作戦)が、実現しなかった。そして西部ニューギニア西端のソロン(Sorong)に上陸、主にサラワティ島やワイゲオ島の警備に当たったが、多くの兵が飢餓・病魔に倒れた... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/23 10:58
海軍第202設営隊絵日記(3)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/23 21:11
海軍第202設営隊絵日記(4)小林光雄の戦 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/26 10:56
海軍第202設営隊絵日記(5)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/27 22:07
海軍第202設営隊絵日記(6)小林光雄の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/11/29 13:19
海軍第202設営隊絵日記(7)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/01 09:49
海軍第202設営隊絵日記(8)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/02 09:51
海軍第202設営隊(1)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/05 11:05
海軍第202設営隊(2)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/06 11:22
ビアク島マンドン・イブディの旧日本軍洞窟(1) Gua Dai Nippon Biak
{%爆弾webry%}今から13年前。1997年5月、“玉砕の島”ビアク島を訪ねた時の写真が資料棚から出てきた。フィルムで撮影したもので、多少変色している。画像は、その3年前の1994年10月、地主のパウルス・カフィアール(Paulus.A.Kafiar)さんによって発見されたとされるマンドン(Mandon)・イブディ(Ibdi)の断崖にある、内部が5室構造の鍾乳洞を写し出している。 ビアク島といえば、1万数千名の日本軍将兵や台湾人、朝鮮半島出身の軍属、そしてインドネシア人兵補や... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/07 10:46
ビアク島マンドン・イブディの旧日本軍洞窟(2) Gua Dai Nippon Biak
{%爆弾webry%}今から13年前。1997年5月、“玉砕の島”ビアク島を訪ねた時の写真が資料棚から出てきた。フィルムで撮影したもので、多少変色している。画像は、その3年前の1994年10月、地主のパウルス・カフィアール(Paulus.A.Kafiar)さんによって発見されたとされるマンドン(Mandon)・イブディ(Ibdi)の断崖にある、内部が5室構造の鍾乳洞を写し出している。 ビアク島といえば、1万数千名の日本軍将兵や台湾人、朝鮮半島出身の軍属、そしてインドネシア人兵補や... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/07 10:59
海軍第202設営隊(3)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/09 12:20
海軍第202設営隊(4)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/10 21:46
海軍第202設営隊(5)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/12 14:40
☆12月17日:西部ニューギニア遺骨収集団遺骨引渡式のお知らせ☆
{%メガホンhdeco%}来る12月17日(木)、今年二回目の、厚生労働省派遣による西部ニューギニア地区遺骨収集団が帰国し、東京・千代田区三番町にあります「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」にて遺骨引渡式が行われます。今回はビアク島、ホーランジア(現ジャヤプラ)、ヌンホル島からの祖国帰還となります。 長年同地の遺骨調査に従事し、今回の収集団にも参加した岩手県奥州市のNPO『太平洋戦史館』のメンバーから遺骨が国に引き渡されます。事前予約無しで自由に出席できますので、是非ご参加下さい。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/13 14:31
海軍第202設営隊(6)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/14 10:32
12月17日、西部ニューギニア遺骨収集団遺骨引渡式:291柱が無言の祖国帰還
{%メガホンhdeco%}来る12月17日(木)、今年二回目の、厚生労働省派遣による西部ニューギニア地区遺骨収集団が帰国し、東京・千代田区三番町にあります「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」にて遺骨引渡式が行われます。今回はビアク島、ホーランジア(現ジャヤプラ)、ヌンホル島からの祖国帰還となります。過去最多の291柱が還ってくる予定です。 長年同地の遺骨調査に従事し、今回の収集団にも参加した岩手県奥州市のNPO『太平洋戦史館』のメンバーから遺骨が国に引き渡されます。事前予約無しで自由に出席でき... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/15 12:27
東西ニューギニアから計702名の遺骨が祖国帰還
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インドネシア文化宮
2009/12/17 21:52
海軍第202設営隊(7)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/18 14:11
海軍第202設営隊(8)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
{%爆弾webry%}インドネシア文化宮(GBI)では2009年8〜12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸。この中には、海軍最初の玉砕設営隊と称せられる「海軍第202設営隊 (永田亀雄少佐)」がいる。 およそ1,000名の将兵・軍属がビアク(Biak)島で亡くなった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/19 09:52
2010年にも始まるワクデ島の遺骨収集 Pulau Wakde & Prajurit Jepang
{%爆弾webry%}3月に次いで今年二回目となった、厚生労働省による西部ニューギニア域戦没者遺骨収集団が去る12月17日帰国した。3月の108柱のおよそ2.7倍に当たる291柱が無言の祖国帰還を果たした。彼らは、現在のパプア州の州都ジャヤプラ(Jayapura・旧ホランジア)近郊のプアイ村で見つかった77柱、そして玉砕の島として戦史に残るビアク(Biak)島で確認された214柱の旧日本軍将兵・軍属の遺骨・遺灰だ。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/20 18:26
三橋國民 『64年目の夏 鎮魂のニューギニア』 Kunitami Mitsuhashi
{%爆弾webry%}日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日〜16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日〜6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開いた。 2010年に90歳になる三橋氏は、戦時中、野戦高射砲第74大隊第2中隊の隊員として西部ニューギニアのサラワティ(Sarawati)島のサマテ(Samate)に暮らした。戦友はことごとく戦死。40名中2名の生還だった。ニューギニアでの戦争体験を原点に、戦後、造... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/24 19:30
三橋國民 鎮魂のニューギニア(1) Kunitami Mitsuhashi & Papua
{%爆弾webry%}日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日〜16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日〜6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開いた。 2010年に90歳になる三橋氏は、戦時中、野戦高射砲第74大隊第2中隊の隊員として西部ニューギニアのサラワティ(Sarawati)島のサマテ(Samate)に陣地を構えた。戦友はことごとく戦死。40名中2名の生還だった。ニューギニアでの戦争体験を原点に、戦後... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/26 12:54
三橋國民 鎮魂のニューギニア(2) Kunitami Mitsuhashi & Papua
{%爆弾webry%}日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日〜16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日〜6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開いた。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/28 08:54
三橋國民 鎮魂のニューギニア(3) Kunitami Mitsuhashi & Papua
{%爆弾webry%}日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日〜16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日〜6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋國民 2009』展示会を開いた。 2010年に90歳になる三橋氏は、戦時中、野戦高射砲第74大隊第2中隊の隊員として西部ニューギニアのサラワティ(Sarawati)島のサマテ(Samate)に暮らした。戦友はことごとく戦死。40名中2名の生還だった。ニューギニアでの戦争体験を原点に、戦後、造... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/29 12:10
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(109) Bandara DaiNippon(109)ボルネオ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}2008年12月2日に連載を開始した『東部インドネシアの旧日本軍航空基地(Bandara Dai Nippon)』シリーズは、 西部ニューギニアのバボ(Babo)を第1号に、2009年5月19日のボルネオ島の第108号まで回を重ね、以降、ロテ島の伝統楽器ササンドゥ特集や『ニューギニア未帰還兵展』などのシリーズのため中断していた。太平洋戦争の開戦から68周年。ますます遠のく“先の大戦”の記憶。たとえ幾万の旧日本軍将兵・軍属の遺骨が、特に西部ニューギニ... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/30 11:02
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(110) Bandara DaiNippon(110)ボルネオ島
{%空港(ユラユラ)hdeco%}2008年12月2日に連載を開始した『東部インドネシアの旧日本軍航空基地(Bandara Dai Nippon)』シリーズは、 西部ニューギニアのバボ(Babo)を第1号に、2009年5月19日のボルネオ島の第108号まで回を重ね、以降、ロテ島の伝統楽器ササンドゥ特集や『ニューギニア未帰還兵展』などのシリーズのため中断していた。太平洋戦争の開戦から68周年。ますます遠のく“先の大戦”の記憶。たとえ幾万の旧日本軍将兵・軍属の遺骨が、特に西部ニューギニ... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2009/12/31 01:07

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『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿(2)  インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)/BIGLOBEウェブリブログ
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