『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』13 トル川

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開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』に、身内を西部ニューギニアで亡くした方々がたくさん駆けつけている。もしや、展示されている遺留品の中に、身内の物が含まれていないか?どこで、どのように戦死・戦病死したのか、何か手掛かりを得られるのでは?そんな思いで関東一円から、インドネシア文化宮(GBI)を目指して集まっている。
その中のお一人、町田市の川口美代子さんは幼い頃、実父の小坂岩吉兵長をニュギニア本島北岸で亡くした。戦後、昭和21年9月13日付で大平秀夫東京地方世話部長から父の本籍地である東京都深川区猿江に送られてきた東世留第218号の『死亡告知書(公報)』には、「陸軍兵長 小坂岩男 右は昭和十九年五月二十日 ニューギニア島トルで戦病死せられましたのでお知らせします。なほ死亡届出に必要な死亡証明書一通添へました」と書かれてあった。
さらに同年10月18日付の『英霊伝達に関する件通牒』と題する文書は「今般故陸軍兵長小坂岩吉殿の御英霊が御帰還になりましたので法要の上増上寺に安置して有り、就ては左記に依つて傳達致します」と、同年11月11日から12日の間に増上寺へ出向かれることを求めている。しかし、増上寺を訪ねた親族は、遺骨・遺留品を含め、何一つ手渡されることはなかった。
小坂岩吉さんは祖国に、妻の花子さん(昭和46年没)と娘の美代子さんを残していた。美代子さんによれば、岩吉さんは「満州岩7850部隊」に所属し、当初は中国東北部にいたが、昭和19(1944)年2月頃には、「建築勤務第31中隊」の隊員として西部ニューギニアのホランジア(現在のジャヤプラ)にいたとされる。出征前、宮大工としてその建築の腕前は都内で知れ渡っていたという。
昭和19年の4月22日には、連合軍が大挙してホランジアへ上陸し、当地にいた日本軍は多大な犠牲者を出す一方で、残存のおよそ7,300名(内約5,000名が第6飛行師団)が、同年4月末から5月にかけて、第6飛行師団長心得の稲田正純少将指揮下、直線距離で約230km西方に位置するサルミ(Sarmi)に向けて“転進”を始めた。“転進”は“敗残兵の敗走”そのものだった。サルミには当時、第2軍隷下の第36師団がいたが、5月17日に上陸してきた連合軍と激戦を繰り広げていた。
このため、ホランジアからの転進組は、極一部を除いて、サルミ手前のトル(Tor)川右岸に留まり、左岸に渡河することを禁じられた。その背景には「戦闘地域に、戦闘能力を持たない敗残兵は不要」との指針があった。未知のジャングルの中を、そして闇夜の海岸線を、連合軍の爆撃を避けながらのおよそ1ヵ月間の行軍。7,300の将兵は「サルミに行きさえすれば友軍がいる。糧食もある」と信じていた。しかし、戦況はその夢をうち砕いた。第6飛行師団だけに限っても、ホランジアからサルミに向かった約5,000名中、戦後内地に帰還できた者は600名弱とされる。
ホランジア→トル川の間で何千もの兵が、飢餓、そして病魔に襲われ屍と化していった。前方に転がっている戦友の白骨を“道しるべ”に進んだと言われている。まさに“白骨街道”だった。
美代子さんのお父さん、小坂岩吉兵長が属した建築勤務第31中隊も転進部隊の一角にいた。『濠北を征く』(濠北方面遺骨引揚促進会発刊・昭和31年8月20日発行)の「第六飛行師団始末記(稲田正純元第六飛行師団長)」によれば、建築勤務第31中隊は、昭和19年5月2日朝、川上少佐が率いる第3梯団(注:転進は合計10の梯団に分散された)の一員としてホランジア西方のゲニェム(Genyem)村を発ち、サルミへ向かった。この第3梯団には、その他に第13飛行場設定隊(注:第2軍傘下の部隊か?)、そして第12野戦気象隊(一部)も加わり、人数は387名だったとされる。
『死亡告知書(広報)』が事実を記しているとの前提に立てば、小坂岩吉兵長は、ゲニェム村を出発してから18日後の5月20日に、トル川付近で戦病死したことになる。
しかし、この告知書が示す日付は少し無理があるように思われる。というのも、第3梯団が出発した翌日の5月3日の朝、天口大尉率いる第5梯団(師団司令部、軍司令部残留員など計771名)に加わりサルミに向かった稲田少将らが、トル川に到達したのは5月26日。一日遅れて出発したとはいえ、稲田少将は、5月9日には、ゲニェム村南西に位置するドウタッシンもしくはヂャラム村と推定される場所から、10梯団を離れ、“必要最小限”の人員を引き連れて先行してサルミへと向かった。後続梯団と比べれば、前方にある食糧を優先的に確保でき、しかも少人数での移動で、進行速度も早かったことを勘案すれば、後続梯団は、少なくとも稲田少将グループよりも遥かに時間を要して、トル川に到着したと見るべきだ。
先行した稲田グループはゲニェム村を発って(5月3日)から23日後の5月26日にトル川に到着。一方、建築勤務第31中隊の小坂岩吉兵長は5月2日に発って、18日後の、戦病死したとされる5月20日にはトル川に着いている。矛盾を孕んだ死亡日と言わざるを得ない。確かに、このホランジア→サルミの転身で亡くなった多くの将兵が、後日、生還した将兵によって「トル川」で戦死・戦病死と“一括して”記録されたことから推定して、小坂兵長も「トル川」で戦病死と記された可能性が高い。事実は、トル川ではなかったにせよ。
ゲニェム~トル川間には、今でも数千の元日本兵が、遺骸を拾われることなく瞑っている。どこで、どのように亡くなったのかも遺族に知らされることなく。間もなく、戦後は「65年目」に入る。
そして、8月21日、美代子さんはお父さんに会いに、西部ニューギニアを訪ねる。


太平洋戦史館会員による巡拝・戦跡調査。ニューギニア本島の激戦地サルミ(Sarmi)に1956(昭和31年)に建立された慰霊碑。 『戦没日本人の碑 日本国政府』と彫られている。(撮影:2009年7月。太平洋戦史館提供)。


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「死亡告知書」と「戦没者進級通知書」(兵長から伍長へ進級)、“赤紙”に始まり、全ては紙きれ一枚の通知だった。

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ニューギニアに転戦する前に駐屯した中国東北地域(満州)で撮影されたと推測される写真。この中に小坂岩吉さんが写っているかどうかは不明とのこと。

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ニューギニア本島の激戦地サルミ東方。昭和19(1944)年5月、何千もの日本兵がホランジア(現ジャヤプラ)から目指しながら、連合軍上陸による第36師団(雪兵団)との激戦に伴い、渡河を許されなかったトル川に念願の橋が架かった。ジャヤプラからサルミ、トゥムへ陸路通行が可能になった(撮影:2009年7月。太平洋戦史館提供)。


展示会場の光景(動画)




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太平洋戦史館会員による巡拝・戦跡調査。ビアク島 西洞窟と東洞窟のほぼ中間あたりのマンスワム村から発見された日本兵と思われる遺骸。遺骸は金歯による治療跡があった。遺骸の左側は、発見者のワクムさん(撮影:2009年5月。太平洋戦史館提供)。


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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』(Pameran Foto & Barang peninggalan mantan prajurit Dai Nippon di Papua)

期間】  2009年8月8日(土)~9月30日(水)11:00-17:30 但し、日曜・祝日と第1&第3&第5土曜日はお休みです。また、8月12(水)~15(土)もお休みです。さらに、雨天などの悪天候、さらに取材活動に伴って事前予告無しに、閉めることもありますので、予めご了承お願い致します。但し、9月6日(日)のみ、11:00~15:00臨時オープンします。この日は、「太平洋戦史館」の岩渕会長理事による写真説明が行われます。
展示品】 玉砕の島ニューギニアの遺骸・遺品写真。遺留品(姓が刻まれた水筒、飯盒など)&パプア樹皮絵画
講演会】 特定非営利活動法人『太平洋戦史館』岩渕宣輝会長理事(日時未定)
主催】  インドネシア文化宮(GBI) &太平洋戦史館(岩手県奥州市)
場所】  インドネシア文化宮(GBI) JR高田馬場駅より徒歩約6分。東京富士大学の時計台のある記念館前正門の向かい側のビル1階(添付地図参照)東京都新宿区下落合1-6-8(TEL:03-5331-3310 or 03-3360-9171)
入場】 無料

(注)展示品の元の所有者に関する情報提供を求めています。かつてニューギニア戦線に就き、西部ニューギニア地域ことにビアク(Baik)島で戦死したと推定される兵士のご遺族、縁者の皆さまによる確認作業に期待致します。

【展示会場の光景】


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ジャヤプラ湾やセンタニ湖一帯で古くから作られていた樹皮製のコンボウ(Kombow)。かつては衣服の素材として用いられていたが、今ではタペストリ絵画として人気が高い。

ビアク島戦史(インドネシア語)


ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ Japanese Soldier


Pameran Prajurit Jepang yg tak sempat dipulangkan ke tanah air dari Papua


玉砕のビアク島。故陸軍主計中尉浅野寬氏遺品(日記)


ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ2 Japanese Soldier


ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ3 Japanese Soldier


ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ4 Japanese Soldier


ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ5 Japanese Soldier


ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ6 Japanese Soldier


西部ニューギニアから108人の旧日本兵の遺骨が祖国へ帰還 Japanese soldiers


西部ニューギニア未帰還兵捜索民間外交使節団パプア巡礼の旅(1) 動画
日本を発ち、まずバリ島へ。そこから西部ニューギニアの中心都市ジャヤプラ(旧ホランジア)へ。センタニ湖西方のゲニェム(Genyem)地区のベラップ(Berap)村の地中に埋もれた、約200体と推定される旧日本兵の遺骸の一部を確認した。






西部ニューギニア未帰還兵捜索民間外交使節団パプア巡礼の旅(2) 動画
激戦地で“玉砕の島”となったビアク(Biak)島のアミアムダム村。無数にある小さな洞窟には決まって旧日本兵の遺骸が今でも残っている。民間外交使節団によって収集された遺骸は、地元の人々が安置所に保管している。






西部ニューギニア未帰還兵捜索民間外交使節団パプア巡礼の旅(3) 動画
激戦地で“玉砕の島”となったビアク(Biak)島のビアク島にある『西洞窟』。立てこもった日本軍に連合軍の猛爆、ガソリン入りドラム缶が投入され、多くの傷病兵が自決した。付近の畑作地には今でも旧日本兵の遺骸があちらこちらに。






西部ニューギニア未帰還兵捜索民間外交使節団パプア巡礼の旅(4) 動画
激戦地で“玉砕の島”となったビアク(Biak)島にあるMuseum Cenderawasih(極楽鳥博物館)、 通称「日本ミュージアム(Museum Jepang)」。日本軍や連合軍が残した武器類が展示されている。






【インドネシア文化宮の場所】東京都新宿区下落合1-6-8(東京富士大学の時計台のある記念館前正門向かいのビルです)





【参考ブログ】

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 12 ビアク島へ
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_12.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』11ビアク島戦史
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_10.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 が始まる10
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_9.html

今日からスタート『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 9
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_8.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』8 ビアク島からの遺留品3
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_6.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』7 ビアク島からの遺留品2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_5.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』6 ビアク島からの遺留品
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_4.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』5 ビアク島戦史
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_3.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』4 ビアク島戦史
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200908/article_2.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』3 ビアク島日誌
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200907/article_64.html

『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』2 Pameran Prajurit
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200907/article_63.html

「ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ」開催のお知らせ
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200907/article_62.html

太平洋戦史館
http://www14.plala.or.jp/senshikan/

東部インドネシアの旧日本軍航空基地関連記事一覧
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html

西部ニューギニアから108人の旧日本兵の遺骨が祖国へ(Kembali ke Tanah Air)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200903/article_21.html

ニューギニア島の西パプア州で大きな地震発生(Gempa bumi Papua Barat)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_5.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(108) Bandara DaiNippon(108)ボルネオ島
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200905/article_19.html

(この間に107~38のシリーズがあります)

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(37) Bandara Dai Nippon(37) ハベマ湖(Danau Habema)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36) ロンベバイ湖(Danau Rombebai)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(35) Bandara Dai Nippon(35) ウィッセル湖(Danau Wiessel/Paniai)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(34) Bandara Dai Nippon(34) ワクデ島(Pulau Wakde)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(33) Bandara Dai Nippon(33) ワクデ島(Pulau Wakde)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(32) Bandara Dai Nippon(32) ワクデ島(Pulau Wakde)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(31) Bandara Dai Nippon(31) サルミ(Sarmi)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_2.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(30) Bandara Dai Nippon(30) サルミ(Sarmi)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_34.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(29) Bandara Dai Nippon(29) サルミ(Sarmi)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_33.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(28) Bandara Dai Nippon(28) ナビレ(Nabire)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_32.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(27) Bandara Dai Nippon(27) ヌンホル島(Pulau Numfor)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(26) Bandara Dai Nippon(26) ヌンホル島(Pulau Numfor)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_30.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(25) Bandara Dai Nippon(25) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_29.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(24) Bandara Dai Nippon(24) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_28.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(23) Bandara Dai Nippon(23) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_26.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(22) Bandara Dai Nippon(22) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_25.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(21) Bandara Dai Nippon(21) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_24.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島(Pulau Mapia)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(19) Bandara Dai Nippon(19) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(18) Bandara Dai Nippon(18) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(17) Bandara Dai Nippon(17) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_19.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(16) Bandara Dai Nippon(16) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_18.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_17.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_2.html


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