西部ニューギニアから108人の旧日本兵の遺骨が祖国へ(Kembali ke Tanah Air)

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2009年3月19日、午前10時30分。メディアが、そして日本中が熱い視線でワールド・ベースボール・クラシックの日本・キューバ戦の開始を待つおよそ1時間半前、東京・霞が関の厚生労働省2階の共用第6会議室には、64年ぶりに祖国・日本へ戻る旧日本兵108人の遺骨を待つ、無言の人々がいた。この日、日本政府がパプア州(インドネシア領西部ニューギニア)へ派遣した「インドネシア戦没者遺骨収集応急派遣団(厚生労働省社会援護局援護企画課・外事室専門官山岸和司団長以下計8名)」による遺骨引渡式並びに解団式が同所で行われた。
霞が関の外務省周辺では、淡いピンクの桜が春の到来を告げ、生暖かい微風に日の丸の旗も垂れ下がったまま。“帰還”した遺骨は計108人(注:108柱とも表現するが、これまで放置遺体・遺骨のままにされてきた経緯から敢えて“人”と呼びたい)。今回で6回目のパプア訪問を重ねた山岸団長によれば、2人の遺骨は州都ジャラプラ西方のベラップ(Berap)村から、残りの106人はビアク(Baik)島からの帰還。
108人分の遺骨は5個の真っ白な布で包まれた箱に納められ、収集団メンバーの手から厚生労働省職員へ引渡しが行われた。それらの遺骨箱は、次いで女性職員の手で、一箱ずつ丁寧に、白菊の献花に囲まれた中央の祭檀へ。引き続き、厚生労働省戸井田とおる政務官や出席者(西部ニューギニア方面で親族を亡くした遺族など)が、一輪の黄色い菊の花を祭檀へ捧げた。


遺骨引渡式で108人の遺骨に深々と頭を垂れる厚生労働省の戸井田とおる政務官。


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遺骨引渡式(動画)


連載中の『東部インドネシアの旧日本軍航空基地』シリーズでも触れたが、西部ニューギニア(注:インドネシア最東端で、現在はパプア州と西パプア州の行政区に分かれる。中パプア州はまだ正式に州政府の体をなしていない)は、小さな島で万単位の日本兵が“玉砕”し、また各地で“転進”の名の下、飢餓と熱帯病との戦いで、同じく万単位の日本兵が、深い密林や湿地帯の中で“野垂れ死に玉砕”を余儀なくされた大惨劇の舞台となった。特に、現在のパプア州の州都ジャヤプラ(旧ホランジア)から北部海岸のサルミに至る一帯や、第2軍司令部が置かれたマノクワリから南部のイドレに至る付近は、戦後、総合的な遺骨収集作業が一度も行われたことがなく、何万もの戦病死者が今日まで“放置”されている地域だ。
戦後、日本が急速な復興を遂げ、首相が強調する「世界第二位の経済大国」になろうとも、世が好んで“英霊”と表現する彼らは、過去64年間、祖国から顧みられずに、ニューギニア島の各地で、まさに“放置”され続けている。しかし、民間機関の長年の努力で、そうした“放置遺体”の存在が次々と報告され、ある程度の“量”がまとまると、ようやく厚生労働省が腰をあげる、といった経緯が繰り返されている。国家の命で殉じた彼らを、国家がイニシアチブを取って、積極的に調査しようとの姿勢は見えない。「彼らのおかげで今日の日本がある」---という言い方もよく耳にするが、西部ニューギニアの住民の言を借りれば、まさに、ここに、あそこに旧日本兵の遺骨あると指摘されていても、経済大国、そして国民に優しいと自画自賛する政府は動かない。誤解を避けずに言えば、まるで「過去の事柄にはもう触れたくない」といった姿勢が浮き彫りになる。



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遺骨収集団メンバー(太平洋戦史館会員)から遺骨箱を受け取る厚生労働省職員。


今回の遺骨収集団に参加した、岩手県の奥州市衣川にある特定非営利活動法人『太平洋戦史館』を主宰する岩渕宣輝さん(67歳)は、これまでに200回以上もニューギニア島を訪れ、旧日本兵の“放置遺体”を調査し続けてきた。厚生労働省が派遣した今次の収集作業も、元はと言えば『太平洋戦史館』による現地調査結果に基いて実施されたものだ。岩渕さん自身、父親をホランジア(現ジャヤプラ)で亡くしている。「厚生労働省の説明では西部ニューギニア方面で亡くなった日本人の数は約53,000名とされ、その内およそ3万名の遺骨が収集されたことになっている。つまりこの数字からみても、まだ2万以上の遺骨が現地に残っていることになります。国が積極的にならないのならば、私たち民間が、力を合わせてやっていくしかないでしょう。何千もの兵隊さんが亡くなったジャヤプラからサルミ区間は、今夏にも陸路で調査したいと思っています。ちなみに過去10年間のパプアでの遺骨調査、収集作業の過程の中で、今回初めてジャカルタで日本大使が彼ら遺骨と対面してくれました。それ以前はないことでした」と岩淵さん。


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“公務”でニューギニアに散り、半世紀以上もたって同胞の手に拾われ、氏名さえ無く、無言のままで、しかも身体の一部でしかな遺骨として、ようやく“復員”する、半世紀以上前の日本生まれの青年たち。祖国へ帰るためのトランジットとしての、ジャカルタでの日本大使館への“帰国報告”並びに“表敬訪問”。経緯はどうであれ、仮に意図して、これまで歴代の大使たちが遺骨との対面を避けてきたとするのならば、そのような大使は不要だ。せめて、それまで、同じインドネシアの版図に共に存在しながら、探し出す努力をせずに、弔うこともなく、しかも祖国への円滑な帰還を果たそうとする“公務”を怠ってきたことに敷衍した、国家としての労いの一言があっても、“放置されてきた旧日本兵の遺骨”の立場にたてば、決して過剰な要求とは言えまい。国家は、今を生きる人々や、未来の国民のためにだけ存在するものではない。過ぎ去った歴史そのものが今日の歴史を創っている。とすれば、先人を想うことは、未来の国家・国民を語る礎の一つでもある。遺骨にさえなれないままの遺棄屍が、繁栄を謳歌してきた、そして100年に一度の大不況と慌てふためく国民と国家を、日本の真南約5,500kmの地から無言で想っている。


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遺骨箱は、厚生労働大臣名の献花脇の祭檀へ。


海外で戦死した旧日本兵の遺骨収集に関して、日本政府は1975年、「おおむね終了」を宣言した。一方で、民間からの確度の高い情報があれば収集するともしている。なぜ、民間に戦後処理をまる投げするのか。憲法の前文は言う。『そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する』。民が官の発動で起こした戦争の、最後の後始末をしなければならない現実。東部ニューギニア方面の遺骨収集は、西部ニューギニア方面と比べ、各段の進捗を見せている。
60数年前から“放置されたままの遺棄屍”となっている同胞、そして旧日本軍への従軍で同じ運命を辿った台湾や朝鮮半島、そしてインド出身の兵や軍属、さらには徴用されたインドネシア人兵補や民間人、そして地元のパプア人、もっと言えば、敵軍として戦った連合国軍の未帰還兵士ら。彼らは今日もパプアの地で人知れず眠っている。事由のいかんを問わず、せめて一度だけでも、彼ら悲劇の歴史に翻弄された人々の足跡を追ってみてもいいのではなかろうか。それは民間のイニシアチブに任せるというものではなく、仮に“公務員”にその能力がないのならば、きちんと予算化し、民にその業務を実践してもらう方法も考えられる。



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いつの世も、民は官の命で命をも含め失うものが多い。官は、国家・国民のためと信じて散った人々の遺骨さえ探してくれない。民が発見し、官に報告すると、それがある程度の“量”になると、ようやく民から集めた血税を使って、それら“放置遺骨”の“回収”へ向かう。これが国家というものか。そして、国民とはそういったものなのか。
今回収集された遺骨は、やがて、千鳥ヶ淵にある戦没者墓苑に収められるという。



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西部ニューギニア方面で親族を亡くした遺族や厚生労働省職員が献花。


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厚生労働省を代表して戸井田とおる政務官が挨拶。


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今次の遺骨収集団に参加した『太平洋戦史館』のメンバー。岩渕宣輝、田中裕海、田中幸雄、野々口義之、沢田猛さん。


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山岸団長(左)と『太平洋戦史館』会長理事の岩渕宣輝さん。


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『太平洋戦史館』会長理事の岩渕宣輝さん。「今回の108人を含め、西部ニューギニア地域からこれまでに584人の遺骨を祖国日本へ帰還させることができました」。


【参考ブログ】


太平洋戦史館
http://www14.plala.or.jp/senshikan/

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(96) Bandara Dai Nippon(96)マナド(Manado2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200903/article_20.html


(この間に95~38のシリーズがあります)


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(37) Bandara Dai Nippon(37) ハベマ湖(Danau Habema)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36) ロンベバイ湖(Danau Rombebai)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(35) Bandara Dai Nippon(35) ウィッセル湖(Danau Wiessel/Paniai)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(34) Bandara Dai Nippon(34) ワクデ島(Pulau Wakde)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(33) Bandara Dai Nippon(33) ワクデ島(Pulau Wakde)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(32) Bandara Dai Nippon(32) ワクデ島(Pulau Wakde)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(31) Bandara Dai Nippon(31) サルミ(Sarmi)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_2.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(30) Bandara Dai Nippon(30) サルミ(Sarmi)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_34.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(29) Bandara Dai Nippon(29) サルミ(Sarmi)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_33.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(28) Bandara Dai Nippon(28) ナビレ(Nabire)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_32.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(27) Bandara Dai Nippon(27) ヌンホル島(Pulau Numfor)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(26) Bandara Dai Nippon(26) ヌンホル島(Pulau Numfor)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_30.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(25) Bandara Dai Nippon(25) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_29.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(24) Bandara Dai Nippon(24) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_28.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(23) Bandara Dai Nippon(23) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_26.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(22) Bandara Dai Nippon(22) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_25.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(21) Bandara Dai Nippon(21) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_24.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島(Pulau Mapia)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(19) Bandara Dai Nippon(19) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(18) Bandara Dai Nippon(18) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(17) Bandara Dai Nippon(17) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_19.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(16) Bandara Dai Nippon(16) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_18.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_17.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_2.html

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