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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(37) Bandara Dai Nippon(37)
Excerpt:
開戦2周年の昭和18(1943)年12月8日、「第二軍作戦準備要項」は、中央高地にあるハベマ湖(日本軍はハッペマ湖と呼んだ)とウィッセル湖(現在のパニアイ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-08 00:00
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(38) Bandara Dai Nippon(38)
Excerpt:
第二軍の司令部があったマノクワリ(Manokwari)には、昭和17(1942)年10月13日、海軍の「ニューギニア民政府」が置かれた(総監は浜田海軍中将..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-09 00:00
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(39) Bandara Dai Nippon(39)
Excerpt:
大東亜戦争がハワイへの奇襲攻撃で幕を開けた時点で、大本営は、豪北方面(オーストラリアの北方地域)の作戦に関しては、取りあえず、ニューブリテン島のラバウル(..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-09 18:04
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(40) Bandara Dai Nippon(40) カイマナ
Excerpt:
第19軍(冨永信政中将)隷下で、バンダ(Banda)海並びに西部ニューギニアの南西岸一帯を作戦地域とする第5師団(鯉兵団:山本務中将)は、ジャワ島のマラン..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-10 23:47
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(41) Bandara Dai Nippon(41) ミミカ
Excerpt:
歩兵第11連隊は、1943年5月11日、ミミカに長さ1,000m、幅50mの飛行場を完成させた。連合軍が中部ソロモンや東ニューギニアなどの南東方面で反攻を..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-12 00:00
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(42) Bandara Dai Nippon(42) ジャヤ峰
Excerpt:
「飛べども飛べども果てしなく続く大密林、積乱雲、白雪の雪山山系」----第19軍の河村高級参謀は、西部ニューギニアで空中偵察した感想をそのように述べている..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-12 23:56
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(43) Bandara Dai Nippon(43) ジャヤ峰
Excerpt:
インドネシアが独立後、依然オランダ領として残った西部ニューギニア(当時のインドネシア名は西イリアン=Irian Barat。インドネシア併合後から2005..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-13 23:20
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(44) Bandara Dai Nippon(44) ジャヤ峰
Excerpt:
1623年、オランダ王室に仕える航海者ヤン・カルステンツ(Jan Carstensz:Jan Carstenszoon)は、アラフラ海を航海中、偶然、北の..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-14 22:34
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(45) Bandara Dai Nippon(45) ジャヤ峰
Excerpt:
インドネシアそしてオセアニア地域で最高峰のジャヤ峰(Puncak Jaya:カルステンツ・ピラミッド=Carstensz Pyramid:4884m)。そ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-15 22:30
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(46) Bandara Dai Nippon(46) ジャヤ峰
Excerpt:
「2月10日、午前中は氷河の測量で過した。その結果は驚くべきもので、25年間に、カルステンツ氷河は452m後退し、メーレン氷河は745mも後退していた」-..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-16 22:42
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(47) Bandara Dai Nippon(47) ジャヤ峰
Excerpt:
インドネシア共和国の最東南端に位置するパプア州(Provinsi Papua)のメラウケ(Merauke)県は、東経141度ラインで隣国PNG(パプアニュ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-17 23:12
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(48) Bandara Dai Nippon(48)
Excerpt:
中部ニューギニア北岸の要衝・ホランジア(Hollandia・現在のジャヤプラ)は、ガダルカナル島撤退と並ぶ、太平洋戦争における日本軍の象徴的敗北の一ヶ所と..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-18 21:47
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(49) Bandara Dai Nippon(49) ジャヤプラ
Excerpt:
日本軍(海軍陸戦隊)がホランジア(現ジャヤプラ)を占拠したのは開戦四ヵ月後の昭和17(1942)年4月。ホランジアの西およそ40kmには大きなセンタニ(S..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-19 22:24
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(50) Bandara Dai Nippon(50) ジャヤプラ
Excerpt:
米軍資料によれば、昭和19(1944)年4月22日の連合軍ホランジア(現在のジャヤプラ)上陸敢行に先立つ3月、潜水艦を使って、二組の偵察隊が密かに送り込ま..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-20 22:54
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(51) Bandara Dai Nippon(51)ケイ諸島
Excerpt:
バンダ海に展開していた第16軍隷下の第48師団(海兵団:土橋勇逸中将)の任務を継承する形で、昭和18(1943)年2月、第19軍(冨永信政中将)隷下の第5..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-21 22:12
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(52) Bandara Dai Nippon(52)アルー諸島
Excerpt:
アルー諸島はかつてマルク州東南県(Kabupaten Maluk Tenggara)の一角を占めていたが、2004年初旬、アルー諸島県(Kabupaten..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-22 23:41
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(53) Bandara Dai Nippon(53)アルー諸島
Excerpt:
アルー諸島本島の最南端に位置するトゥランガン(Trangan)島南東海岸付近のシア(Sia)に2個概成し、未だドカ飛行場の設定が始まる前、昭和18(194..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-23 23:22
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(54) Bandara Dai Nippon:54タニンバル諸島
Excerpt:
昭和17(1942)年3月末~4月中旬、海軍陸戦隊は西部ニューギニアで、ファクファク、バボ、ソロン、テルナテ、マノクワリ、ムミ、セルイ、ナビレ、サルミ、ホ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-25 17:07
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(55) Bandara Dai Nippon:55タニンバル諸島
Excerpt:
タニンバル諸島セラル(Selaru)島のリンガット(Lingat)村。かつて日本軍の最前線部隊が駐留していた村だ。2007年8月時点での人口は453世帯で2,..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-26 00:27
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(56) Bandara Dai Nippon(56)アンボン
Excerpt:
昭和17(1942)年1月11日、蘭印(オランダ領インドネシア)攻略作戦の緒戦として、まずボルネオ(現カリマンタン)東部の油田地帯であるタラカン(Tara..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-27 23:37
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(57) Bandara Dai Nippon(57)アンボン
Excerpt:
豊かな地域は、それが天然資源であり、香辛料であろうと、その昔より列強大国の牙の餌食にされてきた。アンボンを核とする、バンダ海周辺海域も例外ではない。オラン..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-28 22:39
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(58) Bandara Dai Nippon(58)アンボン
Excerpt:
アンボン(Ambon)島の東、そしてセラム(Seram)島の南に、三つの小さな島が連なる。西からハルク(Haruku)島、サパルア(Saparua)島、そ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-29 23:13
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(59) Bandara Dai Nippon(59)アンボン
Excerpt:
セラム(Seram)島中西部の南岸にアマハイ(Amahai)は位置する。エルパプティ(Elpaputih)湾の東南の岬付近に、陸軍は飛行場を造成・設定した..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-30 22:31
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(60) Bandara Dai Nippon(60)アンボン
Excerpt:
アンボンを占領した日本海軍は、セラム島北岸のブラ(Bula)にも飛行場を造った。ブラ(Bula)は、現在、マルク州東セラム県(Kabupaten Sera..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-01-31 22:16
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(61) Bandara Dai Nippon(61)ブル島
Excerpt:
アンボンの西およそ100kmに浮かぶブル(Buru)島。スハルト時代のインドネシアでは“恐怖の島”だった。ここは1965年の「9月30日事件」に連座したと..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-01 21:52
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(62) Bandara Dai Nippon(62)ティモール島
Excerpt:
米領フィリピンや英領マレー・シンガポールを制圧し、蘭印(オランダ領インドネシア)を攻略する、いわゆる南方進攻作戦は、その最大の目的が石油資源の確保だった(..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-02 22:33
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(63) Bandara Dai Nippon(63)クーパン
Excerpt:
大東亜戦争の開戦時、大本営は豪北(オーストラリアの北方)方面では、ティモール島については、西半分の蘭領ティモールのみの占領を計画した。というのも、蘭領ティ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-03 19:47
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(64) Bandara Dai Nippon(64)クーパン
Excerpt:
昭和17(1942)年2月20日、西のクーパン(Kupang)、そして東のディリ(Dili)へ日本軍が同日上陸。これ以前、日本軍は、2月14日、スマトラ島..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-04 17:43
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(65) Bandara Dai Nippon(65)ロテ島
Excerpt:
日本軍によるティモール島占領以前、蘭領ティモール(ティモール島西部)には、すでにオランダが造ったクーパン(プトン)飛行場、そして中部地域にアタンブア(At..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-05 21:33
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(66) Bandara Dai Nippon(66)東ティモール
Excerpt:
昭和17(1942)年2月20日、日本軍・東方支隊(陸軍第38師団第38歩兵団長・伊東武夫少将)とパラシュート部隊を含む海軍部隊が、ティモール島西部の、蘭..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-06 20:36
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(67) Bandara Dai Nippon(67)東ティモール
Excerpt:
ポルトガル領ティモール(現東ティモール民主共和国)の東部、ラウテン(Lautem)に日本軍が造成した飛行場は、いわゆる“秘密飛行場”だった。同地は、昭和1..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-07 19:14
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(68) Bandara Dai Nippon(68)フローレス島
Excerpt:
ティモール島で飛行場の新設や拡張を終えた第4野戦飛行場設定隊(注:クーパンのプトン飛行場の南に陸軍用の飛行場を設定後、同島の東半分に位置するポルトガル領テ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-08 20:00
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(69) Bandara Dai Nippon(69)フローレス島
Excerpt:
昭和18(1943)年9月30日、大本営は航空作戦に関して「中・南部太平洋方面陸海軍中央協定」を指示した。この中で、濠北(オーストラリア北方域)方面におけ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-09 18:22
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(70) Bandara Dai Nippon(70)フローレス島
Excerpt:
フローレス(Flores)島には現在計6ヵ所に飛行場がある。西からコモド・ラブハンバジョ(Komodo Labuhanbajo)空港。フローレス島の西隣に..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-10 22:51
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(71) Bandara Dai Nippon(71)スンバ島
Excerpt:
昭和17(1942)年10月時点で、スンバ(Sumba)島には海軍警備隊の兵が約300名駐屯していた。しかし大本営が同年10月15日、「大陸命第702号」..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-11 20:06
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(72) Bandara Dai Nippon(72)スンバ島
Excerpt:
スンバ(Sumba)島のワインガプ(Waingapu)を含め、同島の東部地域における飛行場の建設は海軍によって行われたが、西部地域ではその任を陸軍が背負っ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-12 20:43
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(73) Bandara Dai Nippon(73)スンバワ島
Excerpt:
バリ(Bali)島の東のロンボク(Lombok)島のさらに東。そこにスンバワ(Sumbawa)島がある。日本軍(海軍)はここに2個の飛行場を建設した。スン..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-13 19:28
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(74) Bandara Dai Nippon(74)スンバワ島
Excerpt:
小スンダ列島では、フローレス島の2個の新設飛行場(マウメレとバビ)を陸軍が担当。スンバ島では、海軍が東部のワインガプとメロロ付近に計3個、西部地区のワイコ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-15 21:14
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(75) Bandara Dai Nippon(75)バリ島
Excerpt:
年間およそ200万人の外国人観光客で賑わう“神々の島(Pulau Dewata)”バリ島。バリ州政府統計局の発表によれば、2008年同島を訪れた観光客は1..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-17 18:27
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(76) Bandara Dai Nippon(76)ハルマヘラ島
Excerpt:
現在は北マルク州(Propinsi Maluku Utara)に属するハルマヘラ島(Pulau Halmahera)で、日本軍は判明しているだけでも計11..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-18 22:12
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(77) Bandara Dai Nippon(77)ミチ
Excerpt:
昭和17(1942)年中旬には、白木久雄工兵中佐指揮下の南方軍派遣隊の手で、すでにハルマヘラ島で基地建設が始まっていた。ハルマヘラ、北セレベス(スラウェシ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-19 22:53
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(78) Bandara Dai Nippon(78)ワシレ
Excerpt:
ガレラ(Galera)飛行場の一つの滑走路(長さ1,500m、幅100m)は、武松派遣班の手で昭和18(1943)年9月概成され、富臨時第1設定隊(注:第..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-20 18:26
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(79) Bandara Dai Nippon(79)ハルマヘラ島
Excerpt:
昭和19(1944)年初頭、カウ(Kaoe/Kao)には、海軍の第26特別根拠地隊司令部が置かれ、前年(1943)10月10日編成の、第4南遣艦隊所属の海軍第..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-21 19:53
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(80) Bandara Dai Nippon(80)ハルマヘラ島
Excerpt:
ハルマヘラ島周辺部の防衛を目的に、昭和19(1944)年5月初旬上陸した第32師団(石井嘉穂中将)の地上部隊配備は、海軍第26特別根拠地隊司令部が置かれた..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-22 21:34
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(81) Bandara Dai Nippon(81)ハルマラ島
Excerpt:
スラウェシ島のミニ版とも映る“K”字形のハルマヘラ島。島の至るところに日本軍が飛行場を造り、大本営が略して「春(ハル)」とも呼んだ地は、まさに島全体が“戦争博..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-23 19:08
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(82) Bandara Dai Nippon(82)モロタイ島
Excerpt:
連合軍は、昭和19(1944)年9月15日、モロタイ島最南端のギラ(Gila)岬付け根付近のピトゥ(Pitoe)に上陸、17日には島東南のサンゴウォ(Sa..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-24 18:21
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(83) Bandara Dai Nippon(83)モロタイ島
Excerpt:
「珊瑚礁が突起して出来上がった南方の島々で、普通の土地のように土を掘って、艦砲射撃に対抗し得るような防禦陣地が出来ると思って居たのは、大変な不覚で、之は容..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-02-25 18:39
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(84) Bandara Dai Nippon(84)
Excerpt:
東部インドネシアの島々に多くの飛行場を設定した日本軍は、連合軍の反撃を遅らせるために、オーストラリア北部を中心に建設された連合軍の飛行場に対する空爆を繰り..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-01 19:46
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(85) Bandara Dai Nippon(85)豪州2
Excerpt:
真珠湾奇襲攻撃に始まる「大東亜戦争」の快進撃。アメリカ軍をフィリピンから追いだし、英蘭の降伏によるマレー半島並びに蘭印(オランダ領インドネシア)の占拠。こ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-02 17:21
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(86) Bandara Dai Nippon(86) 豪州3
Excerpt:
開戦から3ヵ月、昭和17(1942)年3月時点で、オーストラリア北西部に対する日本軍侵攻の可能性はあるかないか?この点に関して、米軍公刊戦史は、次のように..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-03 17:39
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(87) Bandara Dai Nippon(87)豪州4
Excerpt:
ティモール(Timor)島は、天然資源地帯であるインドネシア西部を確保し続けるために、日本軍にとって対連合軍守備の最前線だった。昭和17(1942)年3月..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-04 16:29
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(87) Bandara Dai Nippon(87)豪州4
Excerpt:
ティモール(Timor)島は、天然資源地帯であるインドネシア西部を確保し続けるために、日本軍にとって対連合軍守備の最前線だった。昭和17(1942)年3月..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-04 16:29
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(88) Bandara Dai Nippon(88)豪州5
Excerpt:
昭和18(1943)年5月、SWPA(南西太平洋方面連合軍)のダグラス・マッカーサー大将は、アラフラ海を越えて東部インドネシアに展開する日本軍部隊と対峙す..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-05 18:20
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(89) Bandara Dai Nippon(89)豪州6
Excerpt:
終戦までおよそ1年半の昭和19(1944)年3月頃の、オーストラリア北西部における豪・連合軍航空部隊配置は、豪公刊戦史によれば、以下の通り。ダーウィン(D..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-07 04:15
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(90) Bandara Dai Nippon(90)ケンダリ
Excerpt:
昭和18(1943)年1月時点で、セレベス(Celebes・スラウェシ=Sulawesi)島には、3個の日本軍飛行場があった。北端のメナド(Manado・..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-12 17:07
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(91) Bandara Dai Nippon(91)ケンダリ2
Excerpt:
開戦から1年と4ヵ月。昭和18(1943)年4月上旬、大本営陸海軍部は、南太平洋方面に対する作戦の根拠地を、東部蘭印(東部インドネシア)域に求めることを計..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-13 16:27
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(92) Bandara Dai Nippon(92)ケンダリ
Excerpt:
ムナ(Muna)島の飛行場設定は、第1野戦飛行場設定司令部(松崎今朝松大佐)が昭和18(1943)年11月に着工し、すでにあった飛行場を補修した後、別の新..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-14 14:30
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(93) Bandara Dai Nippon(93)マカッサル
Excerpt:
戦中、マカッサル(Makassar)には南西方面海軍民政府が置かれ、セレベス(Celebes/スラウェシ=Sulawesi)、ボルネオ(Borneo/カリ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-15 19:19
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(94) Bandara Dai Nippon(94)マカッサル2
Excerpt:
西部ニューギニアのホランジア(Hollandia・現ジャヤプラ=Jayapura)、そしてワクデ(Wakde)島とサルミ(Sarmi)、さらにビアク(Bi..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-16 18:21
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(95) Bandara Dai Nippon(95)マナド
Excerpt:
北スラウェシ(セレベス)のメナド(マナド・Manado)は、大東亜戦争の蘭印(オランダ領インドネシア)、特に西部ニューギニア方面、ハルマヘラ島、モロタイ島..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-17 18:46
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(96) Bandara Dai Nippon(96)マナド2
Excerpt:
昭和17(1942)年1月11日、日本時間午前9時52分。フィリピンのミンダナオ島ダバオを28機に分乗して南下した、海軍第11航空艦隊(塚原二四三中将)隷..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-18 18:06
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西部ニューギニアから108人の旧日本兵の遺骨が祖国へ(Kembali ke Tanah Air)
Excerpt:
2009年3月19日、午前10時30分。メディアが、そして日本中が熱い視線でワールド・ベースボール・クラシックの日本・キューバ戦の開始を待つおよそ1時間半前、東京・霞が..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-20 17:17
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(97) Bandara Dai Nippon(97)スラウェシ島
Excerpt:
昭和20(1945)年2月、終戦まであと半年。セレベス(スラウェシ)島の航空地区部隊は、漸次その収縮整理に動き始めた。北セレベスのマパンゲット(Mapen..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-22 23:47
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(98) Bandara Dai Nippon(98)スラウェシ2
Excerpt:
北セレベス(スラウェシ)の北端のマナド(Manado・メナド)とフィリピンのミンダナオ島との間に点在するサンギヘ(Sangihe)諸島やタラウド(Tala..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-23 19:15
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(99) Bandara Dai Nippon(99)スラウェシ3
Excerpt:
スラウェシ島の北半分に位置する北スラウェシ州、ゴロンタロ州、そして中スラウェシ州の3州で現在使用されている空港は、主なもので計8ヵ所。マナドのサムラトゥラ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-24 16:50
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(100) Bandara DaiNippon(100)スラウェシ
Excerpt:
南スラウェシ(Sulawesi Selatan)州そして南東スラウェシ(Sulawesi Tenggara)州、さらに西スラウェシ(Sulawesi Ba..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-25 16:14
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(101) Bandara DaiNippon(101)タラカン島
Excerpt:
太平洋戦争(大東亜戦争)の開戦。蘭印(オランダ領インドネシア)の豊かな石油を始め、天然資源獲得を第一義に、ハワイ真珠湾奇襲攻撃の成功を受け、日本軍は南方攻..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-28 20:34
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(102) Bandara DaiNippon(102)ボルネオ島
Excerpt:
タラカン島攻略作戦を終えた坂口支隊(混成第56歩兵団長坂口靜夫少将)は、昭和17(1942)年1月24日、日本時間午前零時四〇分、バリックパパン(Bali..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-29 19:37
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(103) Bandara DaiNippon(103)ボルネオ島
Excerpt:
4州から構成されるカリマンタン(ボルネオ)島の中でも、東カリマンタン州(Propinsi Kalimantan Timur=Kaltim)は天然資源の観点..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-03-31 18:19
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(104) Bandara DaiNippon(104)ボルネオ島
Excerpt:
南カリマンタン(Kalimantan Selatan=Kalsel)州には主なもので計5個の飛行場がある。州都のバンジャルマシン(Banjarmasin)..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-04-01 19:02
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(105) Bandara DaiNippon(105)ボルネオ島
Excerpt:
13県と1都市から成る中カリマンタン州(Kalimantan Tengah=Kalteng)の主要空港は計9個。北側から、ムルン・ラヤ(Murung ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-04-02 16:44
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(106) Bandara DaiNippon(106)ボルネオ島
Excerpt:
西カリマンタン(Kalimantan Barat=Kalbar)州にある主用空港は計8ヵ所。東部の、カプアス川源流部に近い最奥部のプツシバウ(Putuss..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-04-03 16:11
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(107) Bandara DaiNippon(107)ボルネオ島
Excerpt:
日本軍のボルネオ(Borneo)島(注:インドネシアはカリマンタン=Kalimantanと表記)占領は、今日のインドネシア領域に限らず、全島にわたった。今..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-05-18 17:32
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東部インドネシアの旧日本軍航空基地(108) Bandara DaiNippon(108)ボルネオ島
Excerpt:
英領ボルネオ時代にジェッセルトン(Jesselton)と呼ばれていた、今日のコタキナバル(Kota Kinabalu)。マレーシアのサバ(Sabah)州の..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-05-19 12:41
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「ニューギニア未帰還兵展--私を祖国日本へ帰らせてください」開催のお知らせ
Excerpt:
お母様、お父様、お変りございませんでしょうか。
お婆様、お爺様 お元気でしょうか。
兄上様、姉上様、そしてご家族の皆様、達者でお暮らしでしょうか。
叔母様、叔父様、そしてご家族の皆様、お..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-07-26 10:59
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『ニューギニア未帰還兵展---私を祖国日本へ帰らせてください』2
Excerpt:
まもなく戦後65年目に入る。しかし、いまだに祖国日本へ帰還することができない、西部ニューギニアに瞑る少なくとも3万名の旧日本兵。戦後、同胞に遺骸を拾われることなく..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-07-27 23:19
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』3 ビアク島日誌
Excerpt:
一万数千名の犠牲者を出したビアク島の戦い。終戦後、マノクワリの日本軍と連合軍との合同捜索隊が同島に入った。しかし、生存兵わずか八名を収容できたのみだった。その生存者..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-07-30 11:31
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』4 ビアク島戦史
Excerpt:
まもなく戦後65年目に入る。しかし、いまだに祖国日本へ帰還することができない、西部ニューギニアに瞑る少なくとも3万名の旧日本兵。戦後、同胞に遺骸を拾われることなく、珊瑚礁..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-01 20:26
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』5 ビアク島戦史
Excerpt:
まもなく戦後65年目に入る。しかし、いまだに祖国日本へ帰還することができない、西部ニューギニアに瞑る少なくとも3万名の旧日本兵。戦後、同胞に遺骸を拾われることなく、珊..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-02 22:26
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』6 ビアク島からの遺留品
Excerpt:
まもなく戦後65年目に入る。しかし、いまだに祖国日本へ帰還することができない、西部ニューギニアに瞑る少なくとも3万名の旧日本兵。戦後、同胞に遺骸を拾われることなく、珊..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-04 03:33
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』7 ビアク島からの遺留品2
Excerpt:
まもなく戦後65年目に入る。しかし、いまだに祖国日本へ帰還することができない、西部ニューギニアに瞑る少なくとも3万名の旧日本兵。戦後、同胞に遺骸を拾われることなく、珊..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-04 11:56
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』8 ビアク島からの遺留品3
Excerpt:
まもなく戦後65年目に入る。しかし、いまだに祖国日本へ帰還することができない、西部ニューギニアに瞑る少なくとも3万名の旧日本兵。戦後、同胞に遺骸を拾われることなく、珊..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-04 13:42
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今日からスタート『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』
Excerpt:
今日、2009年8月8日(土)から『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』が始まります。間もなく戦後65年目に入ります。しかし、激戦地だった西部ニ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-07 19:15
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 が始まる
Excerpt:
広島と長崎の64回目の“原爆の日”を挟む8月8日(土)、インドネシア文化宮(GBI)で『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』が始まった。世はお盆の帰..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-09 15:32
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』11ビアク島戦史
Excerpt:
開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』は、主に、“玉砕の島”ビアク(Biak)島の未帰還兵に焦点を当てている。1万を超す兵が戦死したが、いま..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-09 23:56
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 12 ビアク島へ
Excerpt:
『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』のスタート二日目の8月10日。展示主要対象地であるビアク(Biak)島に向けて五日後に出発するという、京都産業..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-10 20:01
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』13
Excerpt:
開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』に、身内を西部ニューギニアで亡くした方々がたくさん駆けつけている。もしや、展示されている遺留品の中に、..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-12 19:30
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』14
Excerpt:
終戦から満64年。2009年8月15日(土)正午。東京・九段の日本武道館で、政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われた。“戦後”は65年目に入った。終戦の年に19歳で徴..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-15 17:18
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 14 小野寺中尉の水筒
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)で涙を見ない日はない。開催中の『ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ』を目指して、親族を西部ニューギニアで亡くされた方々..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-20 00:51
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』 16 飯盒・鈴木信太
Excerpt:
「太平洋戦史館」がビアク島で収集し、現在インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ』で展示されている数々の旧日本軍..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-20 18:37
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』17飯盒の内蓋 渡辺貞雄
Excerpt:
「太平洋戦史館」がビアク島で収集し、現在インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ』で展示されている数々の旧日本軍将兵..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-22 16:59
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』18 水筒 長野一彦
Excerpt:
「太平洋戦史館」がビアク島で収集し、現在インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ』で展示されている数々の旧日本軍..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-23 11:34
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』19 飯盒の内蓋 中島愼希一?
Excerpt:
「太平洋戦史館」がホランジア(現ジャヤプラ)西方のゲニェム(ゲニム=Genyem)地区で収集し、現在インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展--私た..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-23 12:17
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』20 飯盒の内蓋 久保金治
Excerpt:
「太平洋戦史館」がビアク島で収集し、現在インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展--私たちは帰りたい。祖国日本へ』で展示されている数々の旧日本軍..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-23 13:16
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』21 金属カップ 杉本
Excerpt:
およそお洒落な形のカップに似合わない、銃弾貫通の跡。「太平洋戦史館」(岩手県奥州市)が、玉砕のビアク(Biak)島で見つけた金属製のカップ。誰が、何を飲むために使って..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-24 22:46
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“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)Goa Jepang, Pulau Biak, Papua
Excerpt:
京都産業大学の安田和彦教授が今夏、パプア州のビアク島を訪れた。インドネシア共和国が第64回独立記念日を迎えた2009年8月17日早朝、首都ジャカルタからおよそ6時間の夜間飛行の末、安田さん夫妻..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-30 00:39
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“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)2 Goa Jepang Pulau Biak Papua
Excerpt:
「(注:昭和19年)六月二十一日頃になると、西洞窟は殆ど完全に包囲され、敵は至近から戦車砲、火焔放射器及点火ドラム缶等で洞窟内を攻撃する様になった。洞窟入口附近の戦闘は酸..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-30 14:59
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“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)3 Goa Jepang Pulau Biak Papua
Excerpt:
戦後は終わっていない(安田和彦)
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-08-31 02:39
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“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)4 Goa Jepang Pulau Biak Papua
Excerpt:
あの戦争が残したもの(安田和彦)
あの戦争とは何を指すのか。それは生まれ育った時代、そして国籍によって異なるのだろうが、“戦後”20年も経ってから青森県で生まれた私にと..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-01 12:12
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“玉砕の”ビアク島訪問記(By 安田和彦)5 Goa Jepang Pulau Biak Papua
Excerpt:
海のビアク(安田和彦))
赤道直下の南太平洋、チェンドラワシ(極楽鳥)湾に浮かぶビアク島。そこで、豊かで美しい海の姿に出会った。ビアク・ヌンホル県の県都ビアク市内の魚市..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-02 01:46
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を「読売新聞」が報道
Excerpt:
「読売新聞」がインドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』に関して、「日本は迎えに来ていない 激戦ビアク島 帰れぬ遺..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-03 17:48
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』22 岩渕宣輝が東京へ
Excerpt:
「あのォー、ビアク島の遺留品の中にYの苗字の物はないでしょうか?」----フィリピンのルソン島で実兄を亡くした、現在84歳の女性から電話があった。航空部隊に所属していたと..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-04 21:51
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』23 故瀧澤吉治准尉
Excerpt:
瀧澤吉治。大正7(1918)年8月13日、瀧澤吉助の長男として岩手県盛岡生まれ。
瀧澤吉治。昭和19年(1944)年5月30日、西部ニューギニアのトムで戦死。
瀧澤吉治。20歳と4ヶ月で入..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-05 22:21
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』24 岩渕宣輝が語る
Excerpt:
2009年9月6日(日)、太平洋戦史館の岩渕宣輝会長理事が、インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』会場を訪..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-06 20:15
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』25 故岩渕金次郎准尉
Excerpt:
「ひいじいちゃんと太平洋戦争」----2009年9月6日(日)、インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』に、表題..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-08 01:30
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』26 故瀧澤吉治准尉(2)
Excerpt:
昭和19(1944)年4月22日、連合軍はホランジア(現ジャヤプラ)へ上陸するが、その前月末、ホランジアには第4航空軍(寺本熊市中将)司令部と、その隷下にある第6飛行師団..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-11 14:57
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』26 故瀧澤吉治准尉(3)
Excerpt:
『薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線(池見坦著)』によれば、ゴアイに駐屯していた池見氏を含む工作機関(鰐機関:内山守衛中尉指揮下)は4月27日に、ゲニム西方の村(村名不明..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-12 18:31
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『ニューギニア未帰還兵展』を10月30日まで延長。Pameran Prajurit Jepang
Excerpt:
去る8月8日から9月30日までの予定で開催中の『ニューギニア未帰還兵展』。想定外の、多くの方々が展示会場に駆けつけています。その多くは、戦後64年間、ずっと肉親の“最期”..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-13 15:52
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』28 故田中梅男伍長
Excerpt:
今日、民主党政権が旗揚げした。期待と不安---とマスコミは描く。どんな未来像が生まれるのかは別にして、日本政治史が新たなページを記し始めたことは確かだ。その歴史の執筆者は..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-17 01:45
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『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(1) 故小池省吾軍属
Excerpt:
歴史に残る太平洋戦争の激戦地、ビアク(Biak)島。西部ニューギニアの北岸沖合いに浮び、面積は約1,800km2。足の形によく似たこの島は珊瑚礁の隆起でできたため、無数の..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-17 22:34
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『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(2) 故小池省吾軍属
Excerpt:
海軍第202設営隊は、『海軍設営隊の太平洋戦争(光人社刊:1996年4月)』の著者で元海軍第203設営隊の技術大尉佐用泰司氏によれば“不運な設営隊”だった。「この不運な設..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-19 00:44
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『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(3) 故小池省吾軍属
Excerpt:
海軍第202設営隊(昭和18(1943)年11月15日、横須賀で編成。部隊長は永田亀雄海軍技術少佐。隊員数860名。所属艦隊は第四南遣艦隊・山縣正郷中将。派遣元は海軍横須..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-19 18:48
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『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(4) 故小池省吾軍属
Excerpt:
海軍第202設営隊(永田亀雄海軍技術少佐)は、第4南遣艦隊(山縣正郷中将・司令部はアンボン)から派遣された白石義雄、桑原三郎両海軍技術大尉の現地調査を基に、当初ビアク島の..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-20 15:55
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『ニューギニア未帰還兵展』10月30日まで延長。Pameran Prajurit Jepang
Excerpt:
去る8月8日から9月30日までの予定で開催中の『ニューギニア未帰還兵展』。想定外の、実に多くの方々が展示会場に駆けつけています。その多くは、戦後64年間、ずっと肉親の“最..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-23 12:04
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『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を「東京新聞」が報道
Excerpt:
開催期間を一ヵ月延長し、10月30日までの予定で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。未だ“戦後”を実感することのできない多くの人々が、イ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-28 18:48
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『ニューギニア未帰還兵展』 朝鮮人戦死者名簿
Excerpt:
開催中の『ニューギニア未帰還兵展』に菊池英昭さん(67歳)が「朝鮮人戦死者名簿」を持ってやってきた。立川市在住の菊池さんは、10年の歳月を費やし、旧日本軍の軍人・軍属とし..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-09-30 01:05
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『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(6) 武内満多男
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)で10月30日までの日程で開催中の『ニューギニア未帰還兵展』を訪れた、元海軍第202設営隊(永田亀雄技術少佐)の隊員だった東京・練馬区在住の武..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-10-04 19:11
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『ニューギニア未帰還兵展』 海軍第202設営隊(7) 戦死公報の謎
Excerpt:
『海軍設営隊の太平洋戦争 航空基地築城の展開と活躍』(光人社・1996年4月26日発行)の著者で、元海軍第203設営隊(岩下久哉技術少佐・ハルマヘラ島で基地設営)の西部ニ..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-10-05 20:29
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海軍第202設営隊(1) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-10-08 11:15
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海軍第202設営隊(2) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-10-08 19:54
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海軍第202設営隊(3) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-10-09 15:03
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海軍第202設営隊(4)武内満多男の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-10-11 12:22
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海軍第202設営隊(5) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-10-20 22:49
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海軍第202設営隊(6) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-10-21 16:45
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海軍第202設営隊(7) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-10-24 09:50
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海軍第202設営隊(8) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-11-01 01:49
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海軍第202設営隊(小林光雄氏の絵日記証言)Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
2009年12月19日までインドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-11-01 02:50
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第35師団野戦病院(東第2931部隊第3分隊)故永井寿三郎氏提供写真 ヌンホル島
Excerpt:
再々延長して2009年12月19日までインドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-11-01 16:50
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海軍第202設営隊(9) 武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-11-02 11:02
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海軍第202設営隊(10)武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-11-03 14:01
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海軍第202設営隊(11)武内満多男の証言(動画)Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)で開催中の『ニューギニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』。西部ニューギニアに戦後65年間、瞑り続ける、およそ3万の未帰還兵の遺骸..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-11-05 12:11
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陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(1)
Excerpt:
いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和1..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-11-08 21:03
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陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(2)
Excerpt:
いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和1..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-11-10 13:30
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陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(3)
Excerpt:
いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和1..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-11-12 10:12
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陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(4)
Excerpt:
いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和1..
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racked: 2009-11-13 08:50
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陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(5)
Excerpt:
いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和1..
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racked: 2009-11-14 16:29
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陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(6)
Excerpt:
いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和1..
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racked: 2009-11-15 00:32
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陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(7)
Excerpt:
いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和1..
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racked: 2009-11-18 09:39
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陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(8)
Excerpt:
いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和1..
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racked: 2009-11-19 10:30
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海軍第202設営隊絵日記(1)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける..
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racked: 2009-11-20 11:38
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陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(9)
Excerpt:
いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和1..
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racked: 2009-11-21 00:00
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海軍第202設営隊絵日記(2)小林光雄の戦 Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける..
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racked: 2009-11-22 09:56
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陸軍海上機動第2旅団(巡旅団)西部ニューギニア戦 石井春義の証言(10)
Excerpt:
いわば日本軍の海兵隊。海上機動旅団。上陸作戦の専門部隊としての性格を有していた。海上機動第2旅団(通称号:巡旅団=めぐりりょだん・玉田美郎少将・約5,500名)は、昭和1..
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racked: 2009-11-23 11:00
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海軍第202設営隊絵日記(3)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける..
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racked: 2009-11-23 21:16
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海軍第202設営隊絵日記(4)小林光雄の戦 Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける..
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racked: 2009-11-26 10:59
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海軍第202設営隊絵日記(5)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける..
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racked: 2009-11-27 22:10
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海軍第202設営隊絵日記(6)小林光雄の証言 Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける..
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racked: 2009-11-29 13:21
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海軍第202設営隊絵日記(7)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける..
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racked: 2009-12-01 09:52
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海軍第202設営隊絵日記(8)小林光雄の戦記 Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける..
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racked: 2009-12-02 09:53
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海軍第202設営隊(1)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける..
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racked: 2009-12-05 11:07
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海軍第202設営隊(2)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、お..
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racked: 2009-12-06 11:23
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海軍第202設営隊(3)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、お..
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racked: 2009-12-09 12:22
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海軍第202設営隊(4)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、お..
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racked: 2009-12-10 21:48
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海軍第202設営隊(5)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、お..
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racked: 2009-12-12 14:41
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☆12月17日:西部ニューギニア遺骨収集団遺骨引渡式のお知らせ☆
Excerpt:
来る12月17日(木)、今年二回目の、厚生労働省派遣による西部ニューギニア地区遺骨収集団が帰国し、東京・千代田区三番町にあります「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」にて遺骨引渡式が..
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racked: 2009-12-13 14:32
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海軍第202設営隊(6)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、お..
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racked: 2009-12-14 10:34
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12月17日、西部ニューギニア遺骨収集団遺骨引渡式:291柱が無言の祖国帰還
Excerpt:
来る12月17日(木)、今年二回目の、厚生労働省派遣による西部ニューギニア地区遺骨収集団が帰国し、東京・千代田区三番町にあります「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」にて遺骨引渡式が..
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racked: 2009-12-15 12:29
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海軍第202設営隊(7)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、お..
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racked: 2009-12-18 14:13
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海軍第202設営隊(8)小林光雄の証言(動画) Pasukan 202 AL Dai Nippon
Excerpt:
インドネシア文化宮(GBI)では2009年8~12月、『ニューギ ニア未帰還兵展---私たちは帰りたい。祖国日本へ』を実施。西部ニューギニアに戦後 65年間瞑り続ける、お..
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racked: 2009-12-19 09:54
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三橋國民 『64年目の夏 鎮魂のニューギニア』 Kunitami Mitsuhashi
Excerpt:
日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日~16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日~6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-12-24 19:32
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三橋國民 『64年目の夏 鎮魂のニューギニア』 Kunitami Mitsuhashi
Excerpt:
日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日~16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日~6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-12-24 19:32
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三橋國民 鎮魂のニューギニア(1) Kunitami Mitsuhashi & Papua
Excerpt:
日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日~16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日~6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋..
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racked: 2009-12-26 12:56
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三橋國民 鎮魂のニューギニア(2) Kunitami Mitsuhashi & Papua
Excerpt:
日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日~16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日~6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋..
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racked: 2009-12-28 08:56
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三橋國民 鎮魂のニューギニア(3) Kunitami Mitsuhashi & Papua
Excerpt:
日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日~16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日~6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-12-29 12:12
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三橋國民 鎮魂のニューギニア(3) Kunitami Mitsuhashi & Papua
Excerpt:
日展参与で造形美術家の三橋國民氏は、2009年8月11日~16日、銀座鳩居堂画廊で、次いで9月1日~6日、八王子のいちょうホールで『64年目の夏 鎮魂のニューギニア 三橋..
Weblog: インドネシア文化宮
racked: 2009-12-29 12:12
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Excerpt:
72年前の昭和19(1944)年7月31日未明。西部ニューギニアの大河マンベラーモ川(Sungai Mamberamo)の河口に近いロンベバイ湖(Danau Rombebai..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2016-04-28 20:20
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Excerpt:
72年前の昭和19(1944)年7月31日未明。西部ニューギニアの大河マンベラーモ川(Sungai Mamberamo)の河口に近いロンベバイ湖(Danau Rombebai..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2016-04-28 20:20
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鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(2) Mayor Iwao Hidaka
Excerpt:
「私は早速(注:日高少佐の左手の小指を)拾っておしいただき、手拭いにくるくると巻いて胸につり下げた。三人の兵隊はもっていた円ぴで穴を掘った。そして遺体の頭部を日本の方に向け、..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2016-04-29 14:47
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鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(3) Mayor Iwao Hidaka
Excerpt:
英国で1988年に初版が発刊された『Flying Cats The Catalina Aircraft in World War II』(Andrew Hendrie著・Ai..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2016-04-29 20:44
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鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(4) Mayor Iwao Hidaka
Excerpt:
日高岩男少佐(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)
終戦後、サルミでは、武器弾薬はもとより私物もぜんぶ占領軍に没収された。そして毎日、占領軍の使役に..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2016-04-30 11:36
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再録 鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か? Mayor Iwao Hidaka
Excerpt:
72年前の昭和19(1944)年7月31日未明。西部ニューギニアの大河マンベラーモ川(Sungai Mamberamo)の河口に近いロンベバイ湖(Danau Rombebai..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2016-07-03 18:07
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再録 鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(2) Mayor Iwao Hidaka
Excerpt:
「私は早速(注:日高少佐の左手の小指を)拾っておしいただき、手拭いにくるくると巻いて胸につり下げた。三人の兵隊はもっていた円ぴで穴を掘った。そして遺体の頭部を日本の方に向け、..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2016-07-03 18:09
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再録 鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(3) Mayor Iwao Hidaka
Excerpt:
英国で1988年に初版が発刊された『Flying Cats The Catalina Aircraft in World War II』(Andrew Hendrie著・Ai..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2016-07-03 18:11
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再録 鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(4) Mayor Iwao Hidaka
Excerpt:
日高岩男少佐(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)
終戦後、サルミでは、武器弾薬はもとより私物もぜんぶ占領軍に没収された。そして毎日、占領軍の使役に..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2016-07-03 18:13
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鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(5) Mayor Iwao Hidaka
Excerpt:
陸士第50期卒で、陸軍中野学校の甲2卒業生でもある日高岩男少佐。72年前の昭和19(1944)年7月31日未明、西部ニューギニアの大河マンベラーモ川(Sungai Mambe..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2016-07-19 10:06
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鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(6) Mayor Iwao Hidaka
Excerpt:
西部ニューギニアの大河マンベラーモ川一帯を、主要な宣撫工作活動地域に設定した、日高岩男少佐率いる「鰐部隊(機関・工作隊)」。同少佐は、昭和19(1944)年7月31日未明..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2016-07-26 16:11
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終戦71周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐
Excerpt:
2016年8月15日。終戦71周年。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話をしたい。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児。
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2016-08-14 22:33
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1)
Excerpt:
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1)
https://youtu.be/qzaMsL7TRpg
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-01-19 21:39
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(2)
Excerpt:
JR九州の日南線飫肥駅から酒谷川を越えて北西に直線距離でおよそ500m、飫肥城址からは東側に約600m。長久寺の裏手に大きな墓地がある。ここに、日高家先祖代々のお墓がある。日..
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racked: 2017-01-20 19:25
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(3)
Excerpt:
昭和12(1937)年12月31日、満州(現在の中国東北部)の佳木斯(ジャムス)で歩兵第37連隊に編入した日高岩男歩兵曹長・見習士官(当時)は、翌昭和13(1938)年3月1..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-01-21 23:54
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(4)
Excerpt:
高橋ミチエは、大正9(1920)年5月20日、宮崎県の南端、鹿児島県との県境に近い、現在の日南市南郷町榎原(よわら)で、父・正次(昭和32年11月、65歳で没)と母・ミヨ(昭..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-01-22 22:01
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(5)
Excerpt:
宮崎県が作成した戦没者整理名票によれば、日高岩男大尉(当時)は、昭和18(1943)年11月5日に「南方派遣のため門司港出帆」と記されている。これはおそらく正確な日付だろう。..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-01-23 21:21
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(6)
Excerpt:
濠北方面での戦局の悪化に伴い、絶対国防権ラインが西方に後退する中、大本営は、日中戦争に投入していた部隊を、次から次へと西部ニューギニア、ハルマヘラ島方面へ移した。当初マノクワ..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-01-24 17:30
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(7)
Excerpt:
話しを、対ソ連工作活動に移そう。日高は、元々はいわゆる“北方要員”だったのだろうか?そのことを裏付ける明白な公的資料は残っていない。しかし、結論から言えば、その可能性は大いに..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-01-25 21:53
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(8)
Excerpt:
昭和18(1943)年11月6日、下関を発った日高岩男大尉は、翌昭和19(1944)年1月7~8日頃マノクワリに到着した。第二軍司令部(勢16400部隊)の情報班付の下士官ら..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-01-26 19:03
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(9)
Excerpt:
日高岩男大尉の遺品の中に、おそらく戦後祖国生還を果たした部下が持ち帰ったものと推定される、三枚のわら半紙がある。サイズが共に22 X 28cmの二枚には、日高自身が鉛筆で描い..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-01-27 18:39
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(10)
Excerpt:
ロンベバイ湖(Danau Rombebai)は、マンベラーモ河口から直線距離で真南へ約39km。最新のLIPI(インドネシア国立科学院)調査によれば、マンベラーモ川本流から湖..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-01-28 18:59
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(11)
Excerpt:
日高少佐が描いたマンベラーモ河流域の行動地図にも、昭和昭和19(1944)年6月22日まで合流点にいたことが記されている。工作隊は四隻のカヌーで、6月23日午前一時、合流点を..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-01-29 18:17
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(12)
Excerpt:
番号なしのスケッチ画の裏面中央には、日高少佐がヤピナ島攻略作戦を練った際に書いたと思われる楕円形のロンベバイ湖地図が描かれている。そして右下には島とカヌーの隊列とおぼしき図が..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-01-30 17:55
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(13)
Excerpt:
英国で1988年に初版が発刊された『Flying Cats The Catalina Aircraft in World War II』(Andrew Hendrie著・Ai..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-01-31 18:27
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(14)
Excerpt:
さて、右下に描かれたヤピナ島とおぼしき楕円形と、○で示した、おそらく集結地点である倒木の脇に、カヌーと思われる図。計6隻ある。徳野明元曹長は、その著『鰐部隊とパプア人マンドル..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-02-01 20:24
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(15)
Excerpt:
日高少佐が描いた、番号なしのスケッチ画の裏面左半分には、日高が祖国日本を発ってから西部ニューギニアに至るまでの行程が、地図と共に書かれている。残り少ないわら半紙を節約したのか..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-02-02 19:27
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(16)
Excerpt:
この地図は、朝鮮半島の南に「上海」と記し、次に「台湾」、そして「ヒリッピン(フィリピン)」と続き、その南に「ハルマヘラ」があり、そこから矢印でアンボン方面へ向かった行程が描か..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-02-03 16:42
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(17)
Excerpt:
一方『鰐部隊とパプア人マンドル』の著者である徳野明元曹長の記述によると「そのとき(注:昭和19年1月頃と推定)、日高少佐(注:当時は大尉。少佐任官は昭和19年3月1日)が元気..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-02-04 17:14
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(18)
Excerpt:
日本から西部ニューギニアまでの行程を描いた地図には、□で囲んだ「7.24 27」、そして□のない「730」の数値がある。これらは地図とは無縁で、単に余白にメモ書きしたものと思..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-02-05 18:33
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(19)
Excerpt:
この図面の中央には、恐竜あるいは亀の形とも言われた世界第二の巨島ニューギニア島が描かれている。亀頭部分には、おそらくソロンとマノクワリと思われる位置に●印がある。マノクワリの..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-02-06 18:27
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(20)
Excerpt:
サルミの左、つまり西側には太い線が縦に描かれ、それは途中から右と左へと分かれる。この線はまさに大河マンベラーモ川と、その上流部の支流であるローハール川(現在はTariku=タ..
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racked: 2017-02-07 10:28
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(21)
Excerpt:
一つとせ、日本男子の健男児、故郷を離れて幾千里パプア奥地のマンベラモ
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-02-07 20:42
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(22)
Excerpt:
六つとせ、結ぶ電波は空の上、ワクデの戦友(とも)はいかにぞと
叩く電鍵火花散る
海抜3225mに位置するハベマ湖。
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-02-08 18:18
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(23)
Excerpt:
『日高岩男少佐シリーズ』だが、前号を受けて、マンベラーモ川合流点から出発して同大河を下り、ピオニルビバク付近までの過程を、日高少佐自身が描いたマンベラーモ川行動記録図に従って..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-02-09 22:32
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(24)
Excerpt:
米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の回顧ホームページには、昭和19(1944)年7月31日の救出劇に関して、以..
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racked: 2017-02-11 10:35
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(25)
Excerpt:
米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の記述によれば、日本側(日高岩男少佐率いる鰐工作隊)の兵力について50名(実..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-02-12 10:59
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(26)
Excerpt:
米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)に所属し、ロンベバイ湖に救助に向かった、「カタリナ(Catalina)」の愛..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-02-13 11:04
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(27)
Excerpt:
米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の戦友会のホームページには、同隊のミッション・リポートや思い出の写真が多数掲..
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racked: 2017-02-14 11:34
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(28)
Excerpt:
さて、話しを“マンベラーモ艦隊”に戻そう。日高岩男少佐自身が描いたマンベラーモ川流域行動記録図に沿って、鰐工作隊がマンベラーモ川合流点から出発して同大河を下り、ピオニルビバク..
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racked: 2017-02-15 17:42
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(29)
Excerpt:
「現在地点合流点は日高が守る。東方イーデンブルグ偵察隊長に徳野曹長、西方ローハル偵察隊長に小泉少尉、各々偵察隊長に命ず、出発は明日」。昭和19(1944)年5月31日、鰐工作..
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racked: 2017-02-16 12:40
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(30)
Excerpt:
マンベラーモ川の二つの大きな支流を踏査し、詳細な兵要地誌をまとめた鰐工作隊。合流点の拠点では、次なる目標、すなわち中央高地へ足を踏み入れ、最終目的地であるハベマ(ハッヘマ)湖..
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racked: 2017-02-17 11:23
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(31)
Excerpt:
マンベラーモ川最難関のバタビア瀑布における転覆事故によって、鰐工作隊は三名の犠牲者を出してしまった。犠牲者の慰霊祭は、昭和19(1944)年6月26日、日高隊長の手によって厳..
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racked: 2017-02-18 11:16
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(32)
Excerpt:
「その夜、薄暗いローソクの灯の下で、隊長を中心に幹部が集まり、地図を追って、次期進出拠点の作戦を練った。敵が飛行場を設定するには、マンベラモ両域と海岸線を避けるであろう。これ..
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racked: 2017-02-19 11:04
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(33)
Excerpt:
「隊長殿、大型のカヌーが下ってきます。敵か友軍かまだわかりません」 上流の監視所から伝令の報告がはいった。「オーイ、オーイ」
叫ぶ声はたしかに日本軍らしい。服装も日本製にま..
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racked: 2017-02-19 20:41
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(34)
Excerpt:
「翌七月八日(注:昭和19(1944)年)、機関長(注:新穂智少佐)は連絡のため、下流の鰐機関本部へ出かけて行った。この警備隊(注:川上に設置された鰐工作隊の警備隊)も二、三..
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racked: 2017-02-21 11:16
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(35)
Excerpt:
「鰐機関の兵舎の裏を二百メートルほど行くと、ロンベバイ湖の水辺に出る。入り組んだところなので、遠くの方は見えない。ということは遠くの方からもこちらが見えないから、水浴や洗濯す..
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racked: 2017-02-22 13:47
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(36)
Excerpt:
昭和19(1944)年6月23日午前1時、マンベラーモ川上流の合流点を出発し、6月30日午前8時、最大難所のバタビア瀑布を発った鰐工作隊隊長の日高岩男少佐は、同日ピオニルビバ..
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racked: 2017-02-23 11:10
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(37)
Excerpt:
ヤピナ島の敵水艇前哨基地に対する攻略作戦が、鰐工作隊の日高岩男少佐と神工作隊の新穂智少佐との間で協議されていた頃の、日高少佐の人柄を偲ばせるエピソードが、徳野著の『鰐部隊とパ..
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racked: 2017-02-24 22:25
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(38)
Excerpt:
「鰐工作隊」付けの警備隊として拠点に残置された、第223連隊(吉野直靖大佐)の第11中隊(吉田正四郎大尉・1小隊欠)の藤井吉治少尉(注:秋田県八郎潟出身)率いる20名から成る..
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racked: 2017-02-25 16:56
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(39)
Excerpt:
イーデンブルグ(現タリタウ)川、そしてマンベラーモ川を下ってきた新穂智(さとる)少佐率いる36名から成る「神工作隊」が、ロンベバイ湖のヤピナ島にある米豪兵士から成る連合軍水艇..
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racked: 2017-02-26 11:59
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(40)
Excerpt:
「七月三一日(注:昭和19(1944)年7月31日)午前一時、暗夜の湖上を隊長のカヌーを先頭に、四隻(注:6隻との情報もある)の丸木舟は、第一の目標、孤島の南側に集結した。音..
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racked: 2017-02-27 21:04
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(41)
Excerpt:
『「出発」ヤピナ島の上空、わずかな星の光をたよって、四隻の丸木舟は一列縦隊で、力強く前進を開始した。夜襲には絶好の闇夜だ。聞ゆるはただ四隻のカヌーのオールの水面をかくひそやか..
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racked: 2017-02-28 16:19
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(42)
Excerpt:
「もとの位置につけ」隊長の命令がきこえた。すでに同志打ちの危険があった。隊長はそれを懸念したのだ。隊長の命令を耳にしたわれわれは湖岸の方に退く。
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racked: 2017-03-01 13:57
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(43)
Excerpt:
このとき敵の銃座は、ふたたび火を吹いた。「オーイ、誰か手榴弾を持っているか」 「一発だけ残っております」 最左翼の村瀬兵長が手探りで私の手に渡した。「いいか、おれが銃座に投げ..
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racked: 2017-03-02 17:30
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(44)
Excerpt:
敵機の爆音にフトわれにかえった。水上機がサッと着水していった。夜は白々と明けていた。ここはどこだ。「痛いよ、痛いよ」という声。寝ているのはカヌーのなかだ。
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racked: 2017-03-03 21:45
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(45)
Excerpt:
あの裂皐の叫びがはっきりと耳に残っている。「小泉少尉は、誰か知らんか」 「ハイ、私が知っております」 そう言ってその兵隊は黙りこんだ。
「どうした」
「ハイ、小泉少尉は湖..
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racked: 2017-03-04 12:46
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(46)
Excerpt:
こうして、四隻のカヌーが鰐工作隊の前進基地に戻ったのは、昭和19(1944)年7月31日の夕刻のことだった。終戦まではあと1年と半月。西部ニューギニア戦線では、まだまだ熾烈な..
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racked: 2017-03-05 10:57
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(47)
Excerpt:
三十日夜半、ヤピナ島近くのジャングルの岸辺に集結した鰐機関の人々は、明日の夜までこんな所で待機していて、もし発見されたら水の泡だ、神機関の応援がなくても我々だけで十分攻撃は出..
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racked: 2017-03-06 16:22
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(48)
Excerpt:
さて、再度、神工作隊隊長の新穂智少佐が、戦後、公判資料として書き上げた『西部ニューギニア横断記』の「第五部未完(自昭和19年5月27日至昭和19年6月6日)」の巻末備忘録から..
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racked: 2017-03-07 10:36
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(49)
Excerpt:
さっそく遺体の捜索をはじめた。先ず第一に隊長の絶叫した地点を探した。そこにはまさしく、隊長の壮烈なる戦死を物語る変り果てた姿があった。正装した隊長の軍服からは、陸軍少佐の襟章..
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racked: 2017-03-08 10:09
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(50)
Excerpt:
私のそばで倒れた村瀬兵長の遺体がない。倒れたところから湖水に向って葦も草も、全部なぎ倒されている。不思議だ。かりに村瀬が這って行ったとしても、こんな大きな道はつくるわけがない..
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racked: 2017-03-09 10:18
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(51)
Excerpt:
北方攻撃隊(注:新穂智少佐率いる神工作隊)は、約束どおりの日時にヤピナ島へ奇襲上陸したが、敵はすでに撤退していることを確認して帰還していた。私の戦死者確認偵察を待って、新穂少..
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racked: 2017-03-10 19:31
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(52)
Excerpt:
終戦後、サルミでは、武器弾薬はもとより私物もぜんぶ占領軍に没収された。そして毎日、占領軍の使役に駆り出された。 昭和21年にはいると、内地送還の話が決まった。そのとき、私は高..
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racked: 2017-03-11 21:04
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(53)
Excerpt:
二人の行方不明者の内の一人が帰ってきた。残るは小泉少尉のみだ。三日も経過してから帰還した兵がいたことで、小泉少尉生存の可能性が急浮上した。
昭和18(..
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racked: 2017-03-12 10:52
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(54)
Excerpt:
ロンベバイ湖のヤピナ島にあった連合軍水挺基地に対する日高岩男少佐率いる鰐工作隊の奇襲攻撃。第二軍(豊嶋房太郎中将))情報班から鰐機関に配属された小泉雅少尉(青山学院大学卒・陸..
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racked: 2017-03-13 12:27
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(55)
Excerpt:
小泉元少尉は、『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)に収められた『第二軍情報班について』の中で、第二軍隷下の大規模な情報班編..
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racked: 2017-03-14 14:09
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(56)
Excerpt:
第36師団(雪兵団)の生還者らが著した『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)には、神工作隊所属ながらも、鰐工作隊の南方攻撃隊..
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racked: 2017-03-15 10:30
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(57)
Excerpt:
〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉
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racked: 2017-03-16 11:02
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(58)
Excerpt:
〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉
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racked: 2017-03-17 11:33
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(59)
Excerpt:
〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉
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racked: 2017-03-18 11:13
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(60)
Excerpt:
〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉
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racked: 2017-03-19 10:49
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(61)
Excerpt:
〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-03-20 11:47
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(62)
Excerpt:
〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉
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racked: 2017-03-21 19:24
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西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(63)
Excerpt:
73年前の今日、昭和19(1944)年7月31日未明、宮崎県飫肥生まれの一人の青年将校が、祖国の遥か南、赤道を越えた西部ニューギニアで、27歳と6ヵ月の生涯を閉じた。祖国に、..
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racked: 2017-07-31 12:18
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終戦72周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐
Excerpt:
2017年8月15日。終戦72周年。今年は、昨年の同月同日のブログを再録したい。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話だ。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2017-08-14 18:38
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終戦73周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐
Excerpt:
2018年8月15日。終戦73周年。今年も、昨年の同月同日のブログを再録したい。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話だ。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児..
Weblog: インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
racked: 2018-08-13 18:53
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