東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ

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バボ(Babo)は行政的には、西パプア州(Propinsi Papua Barat)のビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)バボ郡(Kecamatan Babo)に属する。バボ郡の郡都だ。ビントゥニ湾県は、旧マノクワリ県(Kab. Manokwari)の分割によって2003年6月に誕生したばかり。県の面積はおよそ18,660km2で、人口は約42,000人(2004年)。バボ郡の人口はおよそ13,000人。間もなく(2008-2009年)始まる液化天然ガス(LNG)の輸出によって、莫大な資金が同県の歳入の柱になる見込みだ。ベラウ(Berau)並びにビントゥニ湾で発見された天然ガスは、世界最大規模とも謳われた。その確認埋蔵量は約14.4兆立方フィート。

両主翼をもがれた陸軍の双発爆撃機「一式陸上攻撃機」。周辺には水をたたえた丸いクレーターが。昭和19年(1944年)、東部インドネシア地域(豪北地域)で制空・制海権をほぼ失った状況下で、海軍バボ基地は連合軍の猛爆を浴びた。


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三井物産の2007.11.01付ニュースリリースによれば、タングーガス田の概要は以下の通り。
http://www.mitsui.co.jp/release/2007/1177684_1767.html

タングーガス田開発鉱区(確認埋蔵量14.4兆立方フィート)はインドネシア・西パプア州ビントゥニ周辺のベラウ湾からビントゥニ湾に拡がる地域に位置している。オペレーターはBPインドネシア。原料となる天然ガスはビントゥニ湾沖合に設置される2基の無人洋上プラットフォームにて生産され、パイプラインを通じてインドネシア・西パプア州トゥルック・ビントゥニに設置される陸上LNG液化プラントに供給される。年間760万トンの生産能力を有する2系列のLNG液化プラントからのLNG生産・供給開始は2008年末を予定。 タングーLNGプロジェクトにおける参加権益保有者は、BPインドネシア37.16%、中国海洋石油総公司 (CNOOC) 16.96%、MIベラウB.V.(三菱商事株式会社、国際石油開発株式会社)16.30%、日石ベラウ石油開発株式会社(新日本石油開発株式会社、独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構)12.23%、ケージーベラウ石油開発株式会社(海外石油開発株式会社(三井物産株式会社連結子会社)、MIベラウジャパン株式会社(三菱商事株式会社、国際石油開発株式会社)、新日本石油開発株式会社、独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構)8.56%、ケージーウィリアガール石油開発株式会社(海外石油開発株式会社(三井物産株式会社連結子会社)、独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構)1.44%、エルエヌジージャパン株式会社(住友商事株式会社と双日株式会社の折半出資会社)7.35%となっている。タングーLNGプロジェクトは、中国海洋石油総公司により運営される福建省LNG受入基地向けに年間260万トン、韓国Kパワー社向け年間最大80万トン、韓国ポスコ(旧浦項製鉄)社向け年間55万トン、米国センプラ・エナジー社用メキシコ向け年間最大370万トンの4社との間でLNG売買契約を締結済み。



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太平洋戦争時、バボ基地に駐屯した日本軍は、目の前に、世界最大規模の天然ガスが眠っていることに気づく由もなかった。石油資源の確保を第一に、蘭印(今日のインドネシア共和国)へ兵を送ったわけだが、基地の前庭の海底に、巨大な資源が横たわっていたとは、何とも皮肉な話だ。そればかりか、日本軍は、およそ12,000名の尊い命を、このバボの東に位置するベラウ地峡付近で失っている。“死のイドレ(Idore)転進”と言われる、凄惨極まる悲劇の転進作戦だった(このイドレ転進作戦に関しては『地の果てに死す』元陸軍大尉植松仁作著。1976年図書出版社刊に詳しい)。
イドレ転進作戦は、昭和19年(1944年)7月に始まった。第二軍司令部(豊嶋房太郎中将)が置かれたマノクワリ(Manokwari)から、約12,000名の兵士がランシキ(Ransiki)、ムミ(Momi)などを経由して、ベラウ地峡のイドレ村へと向かった。この転進部隊の中には、インド人もいた。彼らは、日本軍によるマレー作戦の際、英軍インド兵だったが、日本軍のマレー半島占領に伴って、インド独立のために闘う独立軍に参加。しかし、どのような経緯だったのかは不明だが、マレーから遠く離れた西部ニューギニアまでやってきて日本軍と共に連合軍に対峙した。イドレに辿り着くことができた兵の数はわずか800名足らずとされる。米軍は、この死の行軍を“緑の地獄”と呼んだ。一方、陸軍が飛行場を設定中だったサガ(Saga)地区では、海軍第四南遣艦隊が海軍部命令によって飛行場群の造成に苦慮していた。湿地帯故に、造成が不可能であったが、命令に背くことはできなかった。このサガの眼前の海が、まさに今日天然ガスが産出されようとしている“資源宝庫”だった。



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衛星画像で見た現在のバボ。付近にある世界最大規模のタングー(Tangguh)ガス田の開発に伴い、街は拡大している。


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ベラウ地峡戦友会の会報『辺裸飢(注:ベラウと読む)』に掲載された戦時中のバボ概図には、当時のバボ基地の様子がイラストで克明に記されている。


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1977年に空撮されたバボ。長い滑走路は日本軍が建設したもの。短い滑走路は、蘭領ニューギニア石油会社が建設したもの。


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バボ(Babo)の旧日本軍基地の一角に1970年代後半まで残っていた零戦五二型。馬蹄形の掩体の中、ほぼ原形を留めている。左上に外れたカウリングが見える。戦時下、バボに駐屯していた電信24連隊の元兵士は『二千メートル滑走路の北側の端にある掩体壕に入っていた零戦ですね。基地にいた航空隊員は、部品が一個あれば飛べるんだが、と悔しがっていました』と語る。


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ビントゥニ湾(Kabupaten Teluk Bintuni)県が作成した資料によると、かつてバボ飛行場に散らばっていた旧日本軍の航空機は、現在、バボ郡(Kec. Babo)のタナメラ(Tanah Merah)村の南、サエンガ(Saengga)村の東に広がるサバンナ地帯(下の衛星画像のX印)に集結して置いてあるという(上の画像:ビントゥニ県パンフから引用)。同資料に掲載された画像から見る限り、ほんの一部と思われる。多くは、鉄くず、アルミくずとして取引されてしまったのかもしれない。サエンガには、タングーガス田の陸上LNG液化プラント基地がある


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【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_2.html

マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_10.html

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_9.html

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_8.html

マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_7.html

マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_6.html

マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_5.html

マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_4.html

マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_4.html

戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_3.html

西パプア州政府(Provinsi Papua Barat)
http://www.papuabaratprov.go.id/

パプア州政府(Provinsi Papua)
http://web.papua.go.id/

マノクワリ県(Kabupaten Manokwari)
http://www.manokwarikab.go.id/

ヤーペン島嶼県(Kabupaten Kepulauan Yapen)
http://www.yapenwaropen.go.id

ビアク・ヌンホル県(Kabupaten Biak Numfor)
http://www.biak.go.id/

ソロン県(Kabupaten Sorong)
http://www.sorongkab.go.id/

南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan)
http://sorongselatankab.go.id/

サルミ県(Kabupaten Sarmi)
http://www.sarmikab.go.id/

ワローペン県(Kabupaten Waropen)
http://www.waropenkab.go.id/

ファクファク県(Kabupaten Fakfak)
http://www.fakfakkab.go.id/

ビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)
http://www.bintunikab.go.id/

ウォンダマ県(Kabupaten Teluk Wondama)
http://www.telukwondama.go.id/

カイマナ県(Kabupaten Kaimana)
http://www.kaimanakab.go.id/

ジャヤプラ市(Kota Jayapura)
http://www.jayapurakota.go.id/

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