東部インドネシアの旧日本軍航空基地(30) Bandara Dai Nippon(30)サルミ

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第36師団がサルミ(Sarmi)に到着する直前、第19軍は第2野戦飛行場設定司令部(山本勝大佐)を通じ、第103野戦飛行場設定隊(富澤太郎少佐)にサルミに飛行場一個を建設するよう命令を下した。富澤少佐は、マノクワリ(Manokwari)から機帆船で昭和18(1943)年12月初旬、サルミに上陸。300万分の1の航空地図を基に、飛行場適地を探したが、付近は低湿地が多く、なかなか適地は見つからなかった。が、サルミ東方のサワル(Sawar)付近に地元民が使っていた小規模な道路があり、しかも長さ1,500mの直線箇所があることが分かった。そこで、マノクワリ在の山本司令官は、第103設定隊主力に、甲編成の第19軍隷下の第16野戦飛行場設定隊(加藤芳次郎中佐)の一部も加えてサルミへ派遣した。甲編成とは、重機を主体とした機械化設定隊のことで、人力+機械(半機械化)の設定隊は乙編成と呼ばれた。
昭和18(1943)年9月時点で、大本営陸海軍部は、西部ニューギニア地域だけでも42個の航空基地の設定を決めていた。この内7個はすでに完成・概成もしくは設定中だった。それらは、ホランジア第一(陸海軍)、ワクデ(海軍)、ナビレ第一(海軍)、バボ(海軍)、マトア第一(海軍)、ミミカ第一(海軍)、サガ(陸軍)。一方、前月マノクワリに進駐した第二軍は、1944年1月時点で作戦地域に計25個の飛行場の設定を計画した。それらは、サルミに6個、ビアク島に5個、ヤーペン島に2個、ヌンホル島に4個、ムミに4個、マノクワリに1個、ソロンに1個、ウィッセル湖に2個だ。尚、この25個の内すでに完成していたものは、ヌンホルとムミに各1個のみだった。(『戦史業書 西部ニューギニア方面陸軍航空作戦』より)。



現在のサルミ半島部(衛星画像)。


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豪北(オーストラリアの北方)方面で日本軍並びに連合軍が造成した主な飛行場。
は日本陸軍、は日本海軍、は連合軍が建設。は日本軍が水上基地を設けようと計画した湖。



連合軍がニューギニア北岸を西進するであろうことが想定され、同地域における航空基地の建設が急務となった。しかし、ニューギニア島に関して日本には情報が余りにも少なかった。いわんや、開戦当初、大本営は同島の占拠を想定していなかった。ニューギニアの占領を命令したのは開戦から二か月目の昭和17(1942)年2月初めのことであった。さらに、建設要員・機材・物資などの揚陸設備や道路の整備から始めなければならなかった。飛行場の設定を能率よく進めるため、陸軍中央部は昭和17年9月から、飛行場の機械化設定を研究し始めた。そして翌18年2月に、豊橋に陸軍飛行場設定練習部を設けた。
同年6月下旬、陸軍中央部は機械化設定隊(甲編成)と半機械化設定隊(乙編成)を決めた。甲編成には、トラック、牽引車、転圧機、排土車(ブルドーザー)、砕岩機などの重機が装備器材として組み込まれた。一方、乙編成は隊長以下149名で構成され、現地で労力を調達する前提だった。また機械類は、牽引車、トラック、転圧機などは組み込まれたが、スコップや十字鍬や鶴嘴など人力作業用の道具が主体だった。



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現在のサルミ飛行場(滑走路の長さは750m、幅23m。双発プロペラ機のC-212型機が州都のジャヤプラ(センタニ空港)から定期便就航している)。これは日本軍が造成した飛行場ではない。


第36師団の歩兵第223連隊(吉野直靖大佐)は、サルミに上陸するやいなや、第103野戦飛行場設定隊に協力し、1944年1月からサワル飛行場の設定作業を開始した。第103設定隊は乙編成であったため、労力として、台湾の特設勤労団員約1,000名が編入されていた。第16野戦飛行場設定隊はブルドーザー4台、伐開車2台、伐掃車1台をもって造成作業を助けた。作業は比較的スムースに進み、1944年3月10日には小型機の離着陸ができるようになった(しかし、この時点で使用可能な滑走路の長さはわずか600m、幅30m。計画は長さ1,700m、幅50m)。建設期間中、敵機の偵察飛行はあったが空襲はなかった。また、技術指導のため、第2野戦飛行場設定司令部の部員である加藤恒雄少佐もサルミにやってきた。
サワル飛行場(幸飛行場と師団は呼んだ)は概成したが、その他の5個の適地はなかなか見つからなかった。全域が湿地帯で、巨木のジャングルに覆われているという地理的条件が計画を阻んだ。1944年1月下旬には、甲編成の、第19軍隷下の第16野戦飛行場設定隊(加藤芳次郎中佐)主力もサルミに到着した。2月初旬、ようやくサワル南東約5kmの、ウォスケ川右岸に、かろうじて設定可能と思われる土地を発見。第16設定隊は、師団の歩兵第224連隊(松山宗右衛門大佐)指揮下、サワル飛行場が概成した3月10日頃、密林の伐開作業に着手した。しかし、地形は機械化設定隊にも適していなかった。さらに、戦況悪化に伴い、4月下旬以降の作業は中止されることとなった。ウォスケ(Woske)飛行場は完成を見ることはなかった。そしてサルミ地区に6個の飛行場群を整備し、航空要塞を築くとする計画は頓挫した。この結果、第36師団管轄のサルミ地区で使える飛行場は、サワル飛行場と、沖合に浮かぶ海軍のワクデ(Wakde)飛行場の2個だけとなった。



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東部ニューギニアからホランジアを目指してやってきた転進部隊(敗残兵)。しかし、そのホランジアも連合軍の手中に陥落(1944年4月22日)。そしてホランジアからサルミに向けて転進(敗走)した在ホランジア部隊。その数1万を超すと思われる日本軍将兵のおよそ9割が、ホランジア~サルミの間で屍となった。その多くは今日まで遺骨収集さえされていない。



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八紘山には第36師団司令部(通称雪兵団:田上八郎中将)が置かれた。


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米軍機の空襲を受ける八紘山の第36師団司令部
USAAF via robert Rocker(28 April 1944)



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ワクデ&サルミ連合軍戦闘作戦要図(U.S. Army Center of Military History)


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連合軍は、昭和19(1944)年5月17日、アラレ(注:米軍はAraraと表示。オランダ時代の地図はArarehと表記)、トゥム(TumもしくはToem)、そしてトル(Tor)川河口付近に上陸した。
ウォスケ飛行場&マフィン(Maffin)湾連合軍戦闘作戦要図
University of Texas Libraries



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第36師団がサルミ地区に上陸してから数ヵ月後の昭和19(1944)年3月頃に立案した作戦計画(『濠北を征く』添付地図)。師団は、連合軍がマフィン地区に上陸するものと想定し、入江山並びに作戦山を主要陣地に敵と対峙する方針だった。しかし敵がトル川右岸からトゥム村付近に上陸した場合は、トル川を渡河して対峙する戦略だった。実際には、連合軍は後者の想定経路で、アラレを中心に上陸し、東のトゥム、西のトル川河口方面へと展開した。


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ウォスケ(御祐)滑走路の位置。1944年4月28日に連合軍偵察機が撮影した画像で見ると、浜より少し高い位置からすぐに滑走路が始まっている様子が分かる。


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ウォスケ飛行場の偵察画像。撮影者によれば、連合軍機の着陸を阻止するため滑走路上に大木が置かれている。
USAAF via robert rocker(28 April 1944)



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1944年5月17日、連合軍はアラレを中心に上陸し、東のトゥム、西のトル川河口方面へと展開した。(下の画像:US Army)



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2007年2月、サルミ近辺を調査のために訪れた早稲田大学探検部の鈴木邦和氏提供のサルミの画像。
早稲田大学探検部が新種生物との遭遇のためパプア州へ出発
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200702/article_4.html



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【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(29) Bandara Dai Nippon(29) サルミ(Sarmi)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_33.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(28) Bandara Dai Nippon(28) ナビレ(Nabire)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_32.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(27) Bandara Dai Nippon(27) ヌンホル島(Pulau Numfor)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(26) Bandara Dai Nippon(26) ヌンホル島(Pulau Numfor)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_30.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(25) Bandara Dai Nippon(25) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_29.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(24) Bandara Dai Nippon(24) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_28.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(23) Bandara Dai Nippon(23) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_26.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(22) Bandara Dai Nippon(22) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_25.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(21) Bandara Dai Nippon(21) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_24.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島(Pulau Mapia)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(19) Bandara Dai Nippon(19) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(18) Bandara Dai Nippon(18) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(17) Bandara Dai Nippon(17) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_19.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(16) Bandara Dai Nippon(16) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_18.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_17.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_2.html

マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_10.html

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_9.html

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_8.html

マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_7.html

マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_6.html

マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_5.html

マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_4.html

マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_4.html

戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_3.html

西パプア州政府(Provinsi Papua Barat)
http://www.papuabaratprov.go.id/

パプア州政府(Provinsi Papua)
http://web.papua.go.id/

マノクワリ県(Kabupaten Manokwari)
http://www.manokwarikab.go.id/

ヤーペン島嶼県(Kabupaten Kepulauan Yapen)
http://www.yapenwaropen.go.id

ビアク・ヌンホル県(Kabupaten Biak Numfor)
http://www.biak.go.id/

ソロン県(Kabupaten Sorong)
http://www.sorongkab.go.id/

南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan)
http://sorongselatankab.go.id/

サルミ県(Kabupaten Sarmi)
http://www.sarmikab.go.id/

ワローペン県(Kabupaten Waropen)
http://www.waropenkab.go.id/

ファクファク県(Kabupaten Fakfak)
http://www.fakfakkab.go.id/

ビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)
http://www.bintunikab.go.id/

ウォンダマ県(Kabupaten Teluk Wondama)
http://www.telukwondama.go.id/

カイマナ県(Kabupaten Kaimana)
http://www.kaimanakab.go.id/

ジャヤプラ市(Kota Jayapura)
http://www.jayapurakota.go.id/

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