東部インドネシアの旧日本軍航空基地(25) Bandara Dai Nippon(25)ビアク島

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赤道のほぼ真下、南緯1度、東経136度に位置するビアク(Biak)島は、足の形によく似た島だ。島の南岸が踵(かかと)、そして東端がつま先にあたる。島の北側1/3は山岳地帯、残りは台地状。珊瑚礁が隆起してできた島で、特に南岸一帯には鍾乳洞が数え切れないほどある。日本軍が三つの飛行場を設定した、モクメル(Mokmer)村西方一帯は平地だが、飛行場地帯の東側海岸は、断崖絶壁の台地が続く。雨季は別として、乾季には水の確保が深刻な問題となる。連合軍が上陸した5月末から、制圧が終了する8月末の期間はまさに乾季の真っただ中だった。もちろん乾季でも、時々スコールはある。しかし、それは偶然の天の恵で、恒常的に飲料水を手にすることは極めて困難だ。水は双方の軍を苦しめた。
そして、無数の鍾乳洞を巧みに利用したビアク支隊(支隊長は第36師団=雪兵団の歩兵第222連隊長の葛目直幸大佐)の守備に、連合軍は、艦船並びに航空部隊の援護下、上陸部隊による猛攻撃を試みたが、容易ならざる危機感を抱いた。そのことは、激戦の最中、昭和19(1944)年6月14日に、第6軍司令官のウォルター・クルーガー(Walter Kruger)中将が、連合軍ビアク島上陸部隊である第41師団の師団長ヒューラー(H.Fuller)少将を更迭し、ロバート・アイケルバーガー(R.Eichelberger)中将(在ホランジア・第一軍団長)を任命したことからも分かる。当時、マッカーサー南西太平洋方面連合軍(SWAP)司令官は、ニミッツ大将によるサイパン島上陸作戦の支援、そして自らのフィリピン上陸を念頭に、早期のビアク制圧を願っていた。しかし、日本軍の“血戦”姿勢の前に、その思惑は砕かれた。


西洞窟の開口部(③)


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米軍が作成した戦闘報告書『HISTORY OF THE BIAK OPERATION 15-27 June 1944』に収められた“西洞窟”断面図。


一冊の英文リポートがある。題して『HISTORY OF THE BIAK OPERATION 15-27 June 1944』。アイケルバーガー中将の署名入りのこのタイプ打ちしたリポートは、ビアク島攻略戦に関し、上陸時点に始まり、戦闘経過などについて詳細に報告している。いつ作成されたものかは分からないが、表紙ページには「War Department」の印が押してあり、1947年6月11日付で、閲覧制限が解除されたことが記入されている。
この報告書には、何枚もの地図が添付されていて、その中には、日本軍が最後まで抵抗を続けた“西洞窟(連合軍はこの洞窟を“SUMPS”と呼んだ)”そして“東洞窟(連合軍はこの洞窟を“Mokmer Pocket”と呼んだ)”の断面図が含まれている。戦闘終結後に、内部に入って測量したものと推定される。それによれば、“西洞窟”には3つの開口部がある。③の開口部が一番大きくて、直径はおよそ36mで、地表からの深さは約18m。別の2つの開口部は、それぞれ約22.5m(②の表記)、そして約30m(①の表記)。内部はトンネル状に繋がっている。①②と③の距離はおよそ158m。これまで戦記で余り触れられてこなかったが、①の開口部の洞底の下には別の洞窟があり、そこを司令官たちが使用していたことが分かる。このいわば“階下”の空間には、おそらく木製であったと思われる小屋があり、さらにテントがあったことが記載されている。階下に降りるために、梯子が設置されていたようだ。さらに、この司令官室には、1.5 X 3 X 3mの横穴があったとされる。






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西洞窟の開口部②。今では観光スポットになっていて、内部に降りる階段も設置されている。上の上の画像は、階段設置前のもの。下の画像は、内部から見上げた開口部③の光景。


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支隊本部と海軍司令部が置かれた西洞窟の俯瞰図。出入り口の②の開口部、そして奥の開口部③と①は、内部で繋がっている。②から入り、内部へ向かうと、横穴を経て右奥に①の開口部、そして直進した最も奥に開口部③がある。



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開口部②を底から見上げる。階段が付いている。この開口部は直径約22.5m。


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『HISTORY OF THE BIAK OPERATION 15-27 June 1944』によれば:
1944年6月20日、No.3戦場命令が下された。内容は、西洞窟を制圧し、ソリド(Sorido)飛行場の制圧・確保であった。午前06:30攻撃が開始され、午前10:27、米第34連隊(1944.4.22、ホランジア攻略を行った部隊)第1大隊がボロク(モクメル第二飛行場)を占拠。一方、米第34連隊第2大隊は、09:30、ソリド(モクメル第三)飛行場を占拠した。米第162連隊は前日に続き、西洞窟に迫ったが、好位置に陣取る日本軍の狙撃に阻まれ、洞窟の制圧は叶わなかった。この夜、ビアク支隊長の葛目大佐は玉砕準備にかかり、軍旗を奉焼し、翌未明(6月22日午前03:30)千田貞敏少将(海軍第28特別根拠地隊司令官)そして残存兵の、計150~160名で、西洞窟を脱出し、ボロク飛行場北方の高地(俗称は支隊高地)へ移った。これを前に、洞窟内では歩行が困難な重傷将兵150~160名が自決した。そして葛目大佐自身も、7月2日未明、支隊高地の洞窟内で拳銃による自決を遂げた。
6月21日、2台のシャーマン戦車の援護を受けながら、ついに米第162連隊の歩兵は西洞窟の西のへりに到着、手榴弾を投げ込み、火焔放射器の炎を洞内に向けた。さらに、洞窟の上端に見つけた裂け目や浸出し口から、ドラム缶5本分のガソリンを洞内に流し込み、これに火を放った。この日は、米軍兵は内部に入ることは控えた。翌日(6/22)、洞内から連続して爆発音が響いた。おそらく、洞内にあった弾薬類に引火したものと思われる。



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開口部(①)


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地表からおよそ10mの開口部①の底。その下にはさらに天井までの最大高約4.5mの空間があり、司令官らが使用していたものと推定される。



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東洞窟を米軍は「Mokmer Pocket」と呼んだ。モクメル空港の東の断崖絶壁に位置する。


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連合軍が「Mokmer Pocket」と呼んだ“東洞窟”の断面図。珊瑚の断崖50数メートルの高さに口を開けている。海側に向かう開口部には機関銃が据えられ、内部の天井開口部の下には迫撃砲が設置されていたとされる。また、天井上の地表には、トーチカや監視シェルターがあったことも記入されている。上部と下部を繋ぐために、高さ約15mの梯子が設置されていた。鍾乳洞は、まさに天然の要塞だった。


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『HISTORY OF THE BIAK OPERATION 15-27 June 1944』によれば:
1944年6月19日、米第162歩兵連隊第1&第3大隊は、西洞窟の東端(注:つまり開口部の①と②)で日本軍と交戦。一方、米第186歩兵連隊第2大隊&第3大隊は、アイケルバーガー中将自らが目撃する中、西洞窟の西側にアプローチ、付近の道路と小稜線を占拠した。下は衛星画像で見た東洞窟付近。



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1944年6月19日の米第41師団による西洞窟攻撃作戦計画図。第162連隊、第186連隊の大隊配置図。


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1944年6月26~27日に行われた“東洞窟”攻略戦の米第163連隊の中隊位置が説明された地図。


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連合軍ビアク島上陸作戦「Hurricane Task Force(ハリケーン機動部隊)」の進撃図。


【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(24) Bandara Dai Nippon(24) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_28.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(23) Bandara Dai Nippon(23) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_26.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(22) Bandara Dai Nippon(22) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_25.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(21) Bandara Dai Nippon(21) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_24.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島(Pulau Mapia)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(19) Bandara Dai Nippon(19) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(18) Bandara Dai Nippon(18) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(17) Bandara Dai Nippon(17) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_19.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(16) Bandara Dai Nippon(16) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_18.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_17.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_2.html

マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
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マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
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マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
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マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
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マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_6.html

マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_5.html

マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_4.html

マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_4.html

戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_3.html

西パプア州政府(Provinsi Papua Barat)
http://www.papuabaratprov.go.id/

パプア州政府(Provinsi Papua)
http://web.papua.go.id/

マノクワリ県(Kabupaten Manokwari)
http://www.manokwarikab.go.id/

ヤーペン島嶼県(Kabupaten Kepulauan Yapen)
http://www.yapenwaropen.go.id

ビアク・ヌンホル県(Kabupaten Biak Numfor)
http://www.biak.go.id/

ソロン県(Kabupaten Sorong)
http://www.sorongkab.go.id/

南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan)
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サルミ県(Kabupaten Sarmi)
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ワローペン県(Kabupaten Waropen)
http://www.waropenkab.go.id/

ファクファク県(Kabupaten Fakfak)
http://www.fakfakkab.go.id/

ビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)
http://www.bintunikab.go.id/

ウォンダマ県(Kabupaten Teluk Wondama)
http://www.telukwondama.go.id/

カイマナ県(Kabupaten Kaimana)
http://www.kaimanakab.go.id/

ジャヤプラ市(Kota Jayapura)
http://www.jayapurakota.go.id/

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