東部インドネシアの旧日本軍航空基地(24) Bandara Dai Nippon(24) ビアク島

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「玉砕の島」の「玉砕の洞窟」。ビアク島の凄惨な戦いのシンボルが“西洞窟”だ。この西洞窟は、今ではビアク島随一の観光スポットと化している。それはちょうどハワイの真珠湾とアリゾナ記念館観光とも似ている。ビアクを慰霊で訪れる外国人は、やはり日本人が多い。そして必ず、西洞窟で祈りを捧げる。確かに、洞窟は、戦争初期においては、籠った多くの日本軍将兵の命を、敵軍の艦砲射撃や空爆から救った。しかし、制海権そして制空権をほぼ完璧に抑え、圧倒的優位に立つ軍事力で迫る連合軍に対して、洞窟も最後の砦とはなり得なかった。多くの日本兵が、ビアク島中の大小様々の洞窟で死んでいった。西洞窟だけでも3,000名~5,000名が亡くなったと言われているが、玉砕の島故に、正確な数は不明。
「まず海軍基地は東洞窟と西洞窟に分かれ、一部の兵隊以外はみんな洞窟暮しである。司令部は西洞窟といってビアクの南岸モクメルの北方の崖の上にある。この洞窟は入り口が三つあり、天井の高さ約五、六メートル、広さ千坪近いもので、人間は優に千人以上入れる大洞窟で、この中に司令官はじめ兵隊たちがニッパヤシとパネルで無数に乞食小屋のようなものを建てて蟄居して敵の猛爆に堪えていた。私も司令官の居る階下の部屋の一部を寝室にあてられたが、三十分もいると頭がおかしくなった。(中略)洞窟内は一面青苔が生え、湿気と人いきれで不潔な臭いがムンムンしている上、天井から何百本とたれ下るしょう乳どうからポタポタと水が落ちる。水がないので兵隊達はコウモリやヘビの小便が交っているかも知れないこの水を。空缶に受けては呑んでいる。奥の兵舎には重病人やケガ人がうめき声をあげ、彼等の糞尿はあたりに散らばり、一段と異様な臭いがただよう」----昭和19(1944)年5月17日から6月13日まで、海軍報道班員としてビアク島にいた日本経済新聞記者の岡田聰氏は、『濠北を征く』の中の「ビアク血戦記」でこのように西洞窟を描いている。



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「六月二十一日頃になると、西洞窟は殆ど完全に包囲され、敵は至近から戦車砲、火焔放射器及点火ドラム缶等で洞窟内を攻撃する様になった。洞窟入口附近の戦闘は酸鼻を極め、支隊長は(注:第36師団歩兵第222連隊長の葛目直幸大佐)は玉砕を覚悟したが、西原大隊の増援、千田少将の意見具申、鹿野副官、渡辺大尉(第一大隊長代理)の諌止等に依り決意を翻し、二十二日夜暗を利用して西洞窟を脱出することになった。脱出に先立ち独歩不能の重症患者約百数十名は、全員必勝を確信して莞爾として自決を遂げ、主力の脱出を容易にした。嗚呼」----同じく『濠北を征く』の「ビアク支隊の作戦」の項で、上野三郎元歩兵第222連隊大隊長が書いている。
ビアク島の言葉で、西洞窟は「アブヤウ・ビンザール(Abyau Binzar)→祖母の洞窟の意味」を呼ばれていたという。なんでも、一人のお婆さんが洞内で暮らしていたことから、その名が付いたとか。また、別の解説によれば、日本軍が利用する以前、この洞窟は周辺住民のお墓として使われていた。洞窟一帯は現在、Sumberker村と呼ばれている。フランス・カイシエポ空港(日本軍時代にはモクメル第一飛行場)からはおよそ2kmの距離にあり、洞窟に至る道路は「Jl. Goa Jepang(日本洞窟通り)」と名付けられている。



以下は、『濠北を征く』(昭和31年8月20日、濠北方面遺骨引揚促進会発行)に「血で綴るビアク日記 故陸軍主計中尉 浅野寬遺品」と題して掲載された日記の一部を抜粋したものである。生還者が極めて少ないビアク島の戦闘状況を窺い知る上で、そして戦争とは、を考える上で、この奇跡的に残った日誌は多くのことを語りかけている。合掌。
尚、西洞窟の内部画像は、ビアク・ヌンホル県政府の公式ホームページから引用した。






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五月三十日 日暮れ

 命令

「支隊は全力ヲ以テ本夜夜襲ヲ為ス」

雨は褌迄濡レ靴の中に足を浮す
燃料はなし
採暖する何物もなし
夜襲を前にして一杯の温湯を欲す

語る友を求む
幡軍医大尉と静かに語る
静かなり 静かなり

何物も不用なリ
残るは日誌と淑子に宛てたる葉書のみ

水筒の水を日誌を焼きてわかす
一葉毎に目を通し
過去を振返り
思ひも新たに然しても直ちに
煙にする

僅かに温まりし水にて
唯一のミルクを味ふ

葉書焼かんとす
幡大尉制止して曰く
「必ず出す時あらん残すべし」と

幡大尉と語る
「過去に於テ何が一番楽しかりしや」
と問ふ
「妻と共に在りし日なり」と
我も同意同感なり

連日の雨にて軍刀は錆を生ず
決意を籠めて手入れす

今更ら未練なし
敵撃滅の一念あるのみ
我に我々に国家に
此の苦痛を与へし敵は
寸断せずんば止まず


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六月二日 朝

夜のとばりがとれ
部隊の姿が見へ
人数の足らざるを知る

感激も喜びもなし
山腹の朝風静かなり
迫撃の銃砲声あり

部隊長への土産の為
きうりを探し持ちかへる
平常心なり
傷者多く帰る

部隊長副官還らず
幡軍医大尉同じ
我が部下下士官三名還らず

飛行機と大砲を与へよ
敵の一人相撲なり
日本魂に花咲す兵隊の叫び


夜襲

屍体は収容せず
傷者は自決せり
天皇陛下万歳の叫びの後
手榴弾の炸裂音頻りなり

(中略)


砲撃

我一発ブッ放す
敵十発の返礼
どちらが制圧してゐるのか

(中略)

洞窟に人間がゐるのに
不遜にも砲弾が落下する
やかましい
洞窟は揺れる
うかうかすると落盤して下敷きになる
くそッ
死ねないぞ


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六月十三日

此の三日間食事は二食のみ
乾パンとて貴重なり
水なし

自動車の轍の溜水に舌鼓

敵は腹一杯喰べ飲んでゐるが
負けて堪るものか
主客顚倒してやるぞ

友軍機の爆撃

夜、静かに訪れ
忽ちにして仮面を脱いで
暴れて行く

涙の出る程喜ぶ兵達
友軍の弾に当って
死すとも悔なし
やってくれ やってくれ

(中略)


私物

一切の私物を放棄した
千数百円の金も放棄した
生命丈はまだまだ放棄出来ない
任務がある
生命は私物ではなかった

夜襲の夜、
無私の私が精神を永久に持ちたい


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西洞窟

洞窟ニ入口三ヶ所アリ
敵ノ砲弾ハ入口ニ集中シアリ
敵ノ包囲ハ二重三重ニ
繞ヲセアリ
此中ニ友軍ハ死闘ヲ繰返セリ

洞窟内ニ患者○○名アリ
手当不十分、食糧不十分

日一日と斃死ス
死臭ハ充満シ
流血ハ地を染メタリ

洞窟外一歩出レバ
砲弾ノ洗礼アリ
日常生活総テ洞窟内ニ於テ行ヒタリ
糞尿ハ流レ
死臭ト混和シテ悪臭ニ
窒息スル計リナリ


血ハ地ヲハヒ死汁ハ滲ミ
フン尿は流れ
洞窟ノ水滴モ為ニ味ヲ変ズ
飲料水ハ此ノ水滴ノミ

洞窟ヲ守ル哨兵ハ
毎日出テ毎日帰ラズ
地雷ヲ握リ戦車ノ下デ
するめとナリタル兵
立哨位置では死体ヲ楯トシテ
亦死スル兵

嗚呼忠勇無比ノ兵ハ
連日数を減ズルノミ

敵益々近接シ来リ
揶揄スル言辞ヲ弄シ
入口ニ戦車ヲ据へ砲撃ス
火焔放射器ヲ射シ
ドラム罐ヲ投ゲ込ミ火ヲ流ス

(中略)


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五月   日章旗ヲ焼キ
○○○ハ自決シ全員突撃ヲ以テ
重囲ヲ突破スルニ決ス

動ケザル患者ハ自決ヲ命ゼラレタリ
夜  決行セラレタリ

明ケテ   太陽ノ下敵来レシ共
中ニ入ラズ終日砲撃ヲ繰返シ

最後ニドラム罐数十本投ゲ込ミ
洞窟内ハ火ノ海ト化シタリ
患者ハ手榴弾ニテ自決シタリト
火ノ海より脱出セシ者ニ聴キタリ

嗚呼西洞窟ノ惨戦ハ
国防ノ第一線ヲ死守シタル
物語リニ相応シキモノナリ


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八月十八日

八月十三日から部隊はビアク島に持久する為、所謂食を求めた新天地を探して移動を開始した。

(中略)


何処に生きる価値があるか、只々友軍の反攻を一縷の希望にして、此のビアク島に生存してゐるのだ。
死よりも生が難い。


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ビアク島にあるMuseum Cenderawasih(極楽鳥博物館)、 通称「日本ミュージアム(Museum Jepang)」。日本軍や連合軍が残した武器類が展示されている。


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『濠北を征く』(昭和31年8月20日、濠北方面遺骨引揚促進会発行)


【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(23) Bandara Dai Nippon(23) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_26.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(22) Bandara Dai Nippon(22) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_25.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(21) Bandara Dai Nippon(21) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_24.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島(Pulau Mapia)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(19) Bandara Dai Nippon(19) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(18) Bandara Dai Nippon(18) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(17) Bandara Dai Nippon(17) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_19.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(16) Bandara Dai Nippon(16) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_18.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_17.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_2.html

マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_10.html

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_9.html

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_8.html

マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_7.html

マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_6.html

マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_5.html

マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_4.html

マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_4.html

戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_3.html

西パプア州政府(Provinsi Papua Barat)
http://www.papuabaratprov.go.id/

パプア州政府(Provinsi Papua)
http://web.papua.go.id/

マノクワリ県(Kabupaten Manokwari)
http://www.manokwarikab.go.id/

ヤーペン島嶼県(Kabupaten Kepulauan Yapen)
http://www.yapenwaropen.go.id

ビアク・ヌンホル県(Kabupaten Biak Numfor)
http://www.biak.go.id/

ソロン県(Kabupaten Sorong)
http://www.sorongkab.go.id/

南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan)
http://sorongselatankab.go.id/

サルミ県(Kabupaten Sarmi)
http://www.sarmikab.go.id/

ワローペン県(Kabupaten Waropen)
http://www.waropenkab.go.id/

ファクファク県(Kabupaten Fakfak)
http://www.fakfakkab.go.id/

ビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)
http://www.bintunikab.go.id/

ウォンダマ県(Kabupaten Teluk Wondama)
http://www.telukwondama.go.id/

カイマナ県(Kabupaten Kaimana)
http://www.kaimanakab.go.id/

ジャヤプラ市(Kota Jayapura)
http://www.jayapurakota.go.id/

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