東部インドネシアの旧日本軍航空基地(22) Bandara Dai Nippon(22) ビアク島

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日本兵が、乏しい水補給の中、赤道直下の炎熱下、ツルハシとモッコで造成したモクメル(Mokmer)飛行場(現在はフランス・カイシエポ空港)、そしてソリド(Sorido:第三モクメル)とボロク(第二モクメル)飛行場。しかし、これら三つの飛行場は、当初想定した大規模航空部隊を迎えることなく、完成を間近に、連合軍の手に落ちた。昭和19(1944)年5月27日、ビアク支隊[主力地上戦闘部隊は、約3,500名の第36師団第222連隊(青森県青森編成・当時の連隊長は葛目直幸大佐)や約100名の野戦高射砲第49大隊第3中隊(長谷川武彦中尉)のみで、合わせて20余隊がいたものの、他は、所有兵器わずか小銃1,388丁、手榴弾214個の後方勤務部隊だった。この他、台湾人軍夫とインドネシア人兵補約3,000名もいた→『戦史業書 豪北方面陸軍作戦』]が守る同島南海岸に、多数の爆撃機、艦船から成る米軍が、パライ(Parai)村、ボスネック(Bosnek)村、サバ(Saba)村の間の海岸に上陸してきた。日本軍の抵抗は、米軍をして“ニューギニア作戦の中で最大”と言わしめた、戦史上、特筆される玉砕戦だった。わずか1連隊規模の抵抗勢力が、3万を数える米軍の攻撃に対峙し、一ヶ月以上も、敵軍による飛行場の使用を不可能にした。

衛星画像で見た現在のフランス・カイシエポ空港(旧モクメル第一飛行場)


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右の断崖に東洞窟がある。左はフランス・カイシエポ空港

連合軍上陸に先立つ、5月上旬、三個の飛行場が概成しつつあったビアク島には、海軍第23航空戦隊(伊藤良秋少将。元々第23航空戦隊はスラウェシ島の海軍ケンダリーを主要基地として主に東部蘭印方面の航空作戦をしていたが、5月、第三空襲部隊に組み入れられた。海軍の“あ号作戦”に伴って、5月12日以来連合艦隊指揮下にあった陸軍飛行第2戦隊、陸軍飛行第15戦隊、陸軍飛行第24戦隊も、5月20日、第三空襲部隊の指揮下に入っていた)がソロンのエフマン基地から十数機進出していたが、5月7日以降は皆無となった。一方、ビアク島に対する連合軍機による空襲は5月に入り激化していた。
連合軍のビアク上陸(1944.5.27)当日、既述したように、約550km西方のソロンから、日本軍“最初のカミカゼ”とも言える、陸軍飛行第5戦隊の戦隊長高田勝重少佐指揮下の4機の二式複座戦闘機[(愛称は屠龍(とりゅう)]によるビアク島の連合軍に対する自爆攻撃がなされた。翌日、マノクワリ南方のムミ(Momi)を基地とする第3飛行団(長濱秀明大佐)は、第75戦隊の双軽2機、第13戦隊の一式戦8機、第73中隊の軍偵1機をもって、ビアク島に向かった。また同夜、第75戦隊の双軽4機はビアクに向け出撃した。また第23航空戦隊はソロンから零戦2機と一式戦7機で攻撃。さらに29日、海軍の第3空襲部隊は、海軍732空、753空の陸攻16機で、ビアク島の敵艦船攻撃を実施した。この進撃では、未帰還が6機、大破2機だったが、敵巡洋艦、輸送船各1隻の轟沈成果を収めたとされる。次いで、モクメル飛行場付近を攻撃した零戦4機は、全て未帰還となった。また、ハルマヘラ島のカウ基地からバボ経由ソロンに進出していた海軍第24戦隊は31日、陸攻8機で夜間攻撃を実施、輸送船2隻(内1隻は巡洋艦の可能性も)の轟沈を伝えた。



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フランス・カイシエポ空港(衛星画像)

連合軍の上陸を受ける前、ビアク支隊は、友軍の応援部隊の到着を楽観視していた。葛目支隊長は、6月10日には第35師団がビアク島に派遣され、やがて航空も大量に進出してくるものと信じていた(『戦史業書 豪北方面陸軍作戦』)。しかし、同師団を移送する船団(竹一船団)は、6日、セレベス(スラウェシ)海南東部を航行中、魚雷攻撃を受け、一方、ビアクの友軍機も7日には壊滅していた。また、5月2日、大本営は“絶対国防圏”ラインを後退させ、西部ニューギニア方面における確保すべき第一線を、ヘルビンク(フェールビンク=Geelvink。現在はチェンドラワシ湾)湾底要域、マノクワリ、ソロン及びハルマヘラ付近と設定し、ビアク島付近要地は極力長くこれを保持すると決定した。そして、それからわずか一週間後の5月9日には、確保すべき要域をソロン、ハルマヘラ付近と変更し、さらに後退させていた。ビアクは見捨てられた。
ビアク島の戦いで亡くなった日本軍将兵の数は10,000を超えたと言われている。一方連合軍は死傷病者は9,700名(うち戦死400、生死不明5、戦傷2,000名)であった(『戦史業書 豪北方面陸軍作戦』)。尚、米軍資料によれば、米兵の戦死474、戦傷2,400。



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左はヌンホル(Numfor)島。右はビアク島。右は、画像では一つの島に見えるが、左1/3がスピオリ(Supiori)島、右2/3がビアク島。両島は幅約100mの水路(Sorendiweri海峡).で分断されている。


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右下の白く見える滑走路はフランス・カイシエポ(旧モクメル第一)空港。中央にボロク飛行場跡、左中下にソリド飛行場跡が見える。


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ビアク島のボスケック海岸の向かいに浮かぶオウィ(Owi)島には連合軍が空港を造成した。


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【西洞窟と東洞窟】(上が東洞窟がある岸壁。下が西洞窟があるエリア)


ビアク島はサンゴ礁の隆起でできた島。島には大小無数の洞窟があり、特に日本軍が飛行場を設定した南部モクメル付近では、連合軍の上陸を前に、洞窟を司令部や出撃基地として利用した。葛目支隊長(第36師団第222連隊長)や海軍第28特別根拠地隊(千田貞敏中将)は、一時期司令部を西洞窟に置いたが、敵軍が包囲する中、6月24日この洞窟から脱出した。この脱出を前に、洞内にいた歩行不能の重症将兵ら約160名は、「万歳!」の声を残して自決したといわれる。西洞窟は2,000名を収容可能な大規模な鍾乳洞だった。東洞窟(天狗洞)には第17野戦飛行場設定隊(南正則中佐)を始め、支隊部隊が立てこもり、死闘を繰り広げたが、玉砕を遂げた。


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ボロク(モクメル第二)飛行場跡は、現在インドネシア空軍のマヌフア基地(Manuhua Biak)となり、ソリド(モクメル第三)飛行場跡は、インドネシア海軍基地となっている。


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ボロク(モクメル第二)飛行場跡は、現在インドネシア空軍基地(Manuhua Biak)となっている。


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ボロク(モクメル第二)飛行場跡。


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ソリド(モクメル第三)飛行場跡。


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ソリド(モクメル第三)飛行場跡は、現在インドネシア海軍基地となっている。


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天水山側からモクメル第一飛行場を望む


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連合軍ビアク島進攻経路図(上)&日本軍守備態勢(U.S. Army Center of Military History)


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ビアク島連合軍戦闘経過要図
University of Texas Libraries



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ボスネック海岸へ上陸した連合軍(US Army)


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【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(21) Bandara Dai Nippon(21) ビアク島(Pulau Biak)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_24.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島(Pulau Mapia)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(19) Bandara Dai Nippon(19) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(18) Bandara Dai Nippon(18) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(17) Bandara Dai Nippon(17) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_19.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(16) Bandara Dai Nippon(16) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_18.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_17.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_2.html

マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_10.html

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_9.html

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_8.html

マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_7.html

マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_6.html

マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_5.html

マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_4.html

マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_4.html

戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_3.html

西パプア州政府(Provinsi Papua Barat)
http://www.papuabaratprov.go.id/

パプア州政府(Provinsi Papua)
http://web.papua.go.id/

マノクワリ県(Kabupaten Manokwari)
http://www.manokwarikab.go.id/

ヤーペン島嶼県(Kabupaten Kepulauan Yapen)
http://www.yapenwaropen.go.id

ビアク・ヌンホル県(Kabupaten Biak Numfor)
http://www.biak.go.id/

ソロン県(Kabupaten Sorong)
http://www.sorongkab.go.id/

南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan)
http://sorongselatankab.go.id/

サルミ県(Kabupaten Sarmi)
http://www.sarmikab.go.id/

ワローペン県(Kabupaten Waropen)
http://www.waropenkab.go.id/

ファクファク県(Kabupaten Fakfak)
http://www.fakfakkab.go.id/

ビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)
http://www.bintunikab.go.id/

ウォンダマ県(Kabupaten Teluk Wondama)
http://www.telukwondama.go.id/

カイマナ県(Kabupaten Kaimana)
http://www.kaimanakab.go.id/

ジャヤプラ市(Kota Jayapura)
http://www.jayapurakota.go.id/

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