東部インドネシアの旧日本軍航空基地(21) Bandara Dai Nippon(21) ビアク島

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紀伊半島の南端潮岬から真南へおよそ3,800km。赤道を少し超えた所にビアク(Biak)島がある。ここに戦時中、日本軍は大飛行場群を建設し“絶対国防圏”の要衝とした。しかし、昭和19年(1944)5月27日、連合軍が上陸。8月20日まで続く死闘が繰り返され、玉砕の島としてニューギニア戦線史に刻まれている。ビアク島は、当時、第二方面軍司令官の阿南惟幾大将をして「ビアクを敵に委すれば空母10隻を敵に与えるに等しい」とまで言わしめた、日本軍にとって戦略上の最重要拠点だった。


モクメル(Mokmer)飛行場の跡地は拡張され、現在はフランス・カイシエポ(Frans Kaisiepo)空港に(衛星画像)。国際空港で、滑走路の長さは3,570m、幅45m。B-747も離着陸可能だ。ちなみに成田国際空港の滑走路の長さは4,000m。赤道直下にある国際規模のフランス・カイシエポ空港の“礎”は旧日本軍によって築かれた。

ロシアはビアク島に衛星ロケット打ち上げ基地の建設を計画している。フランス・カイシエポ空港の滑走路の長さが、世界最大の輸送機である旧ソ連のAn-124型機の離着陸を満たす3,000m以上あることが、同地が有力候補にあがった理由の一つとされる。


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昭和18年(1943)12月25日、第二軍(司令部はマノクワリ・司令官は豊嶋房太郎中将)隷下の第36師団(司令部はサルミ・司令官は田上八郎中将)の第222連隊(青森県青森編成・当時の連隊長は葛目直幸大佐:[注]1944.7.2 ビアク島で自決後二階級特進し中将に進級)がビアク島にビアク支隊として分派された。第二軍は、当初、ビアク島に戦闘機用飛行場を、翌年(1944)の3~4月中に2個、そして、重爆・軽爆用各1個を7月中に、さらに戦闘機用1個を10月中に完成させる計画を立て、その任務をビアク支隊に命じた。そして葛目支隊長から命令を受けた第107野戦飛行場設定隊(大森正夫少佐)は、第222連隊の第二大隊の協力も得て、モクメル(Mokmer)付近で滑走路の造成を始めた。さらに1944年1月中旬には、同連隊の第一、第三大隊から各200名が飛行場設定作業に加わった。1月下旬時点での飛行場設定作業人員は、設定隊員並びに台湾の特設勤労団員が各200名、歩兵連隊が約1,000名の計1,300名ほどだったとされる。モクメルに続いて、西方5km付近のソリド(Sorido)にモクメル第三飛行場の建設が2月中旬頃から始まった。これには第17野戦飛行場設定隊(南正則中佐)があたった。さらにモクメル第二飛行場たるボロク(Borokoe)の滑走路は、2月末より第108野戦飛行場設定隊(佐藤周造少佐)によって着工された。


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フランス・カイシエポ空港


サンゴ礁の島ビアクは、地盤が堅く、当初の予想に反して、造成は困難に直面した。モクメル(第一)飛行場に第4航空軍の澁谷正成参謀が初着陸(着陸試験)したのは1944年3月30日だった。また誘導路並びに掩体が概成したのは4月20日だった。本格的に使用できるのは5月下旬のことであった。ところが、連合軍は、早くも5月上旬以来、これらビアク島南岸の三つの飛行場に対して空爆を繰り返していた。そして、ついに完成直前の5月27日早朝、連合軍は、爆撃機約40機の援護の下、艦船約50隻の機動部隊が来攻し、午前7時、約1個師団の兵力でモクメル東方地区に上陸作戦を開始した。この上陸作戦部隊コードは「Hurricane Task Force(ハリケーン機動部隊)」だった。


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フランス・カイシエポ空港を北側から望む。海上遠方にヤーペン(Yapen)島が見える。空港名のフランス・カイシエポ(Frans Kaisiepo)は、インドネシア共和国国家英雄の一人。1921年ビアク島生まれ。1946年のインドネシア連邦共和国(Republik Indonesia Serikat)の構成に関するマリノ(Malino)会議に、パプアの代表として出席。そこで、西部ニューギニア(当時はまだ蘭領ニューギニア)の地名を、ビアク語で“熱い土地”を意味する「Irian」と提案をしたとされる。1964~1973年西イリアン州(現在のパプア州&西パプア州:それ以前はイリアンジャヤ州)の州知事を務めた。


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左はヌンホル(Numfor)島。右はビアク島。右は、画像では一つの島に見えるが、左1/3がスピオリ(Supiori)島、右2/3がビアク島。両島は幅約100mの水路(Sorendiweri海峡).で分断されている。


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ビアク島の向かいに浮かぶオウィ(Owi)島には連合軍が空港を造成した。


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ボロク(モクメル第二)飛行場跡は、現在インドネシア空軍のマヌフア基地(Manuhua Biak)となり、ソリド(モクメル第三)飛行場跡は、インドネシア海軍基地となっている。時代は変遷しても、ビアク島は軍事と無縁ではない


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右下の白く見える滑走路はフランス・カイシエポ(旧モクメル第一)空港。中央にボロク飛行場跡、左中下にソリド飛行場跡が見える(衛星画像)。


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左は現在インドネシア空軍が使用している旧ボロク(モクメル第二)飛行場。右前方はフランス・カイシエポ空港。


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戦後オランダ軍が作ったモクメル飛行場付近の地図。日本軍が建設した三つの飛行場は、戦後、オランダ軍が1962年まで使用した。


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戦後オランダ軍が作ったボロク飛行場付近の地図。


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戦後オランダ軍が作ったソリド飛行場付近の地図。


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1944年5月、米軍機による爆撃を受けるボロク飛行場。2個の大きな爆弾が落下していく瞬間が写っている(USAAF 5th AF)



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連合軍占領後のモクメル第一飛行場(USAAF May 1944)



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占領後、モクメル第一飛行場に駐機するロッキード社製米軍P-38戦闘機(愛称はライトニング=Lightning=稲妻)。
(USAAF, 5th AF, 476th FG, 423rd FS via Robert Rocker, 1944)




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廃棄されたコンソリデーテッド社製の米軍B-24大型爆撃機(愛称はリベレーター=解放者)
(USAAF? 1950年)




尚、ビアク島から奇跡的に帰還した元第222連隊・第一大隊・第二中隊(工兵中隊)兵士の詳細な体験記が以下に記録されています。
ビアク島からの生還
http://www.geocities.jp/sbjfg395/index.htm



【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島(Pulau Mapia)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_22.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(19) Bandara Dai Nippon(19) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(18) Bandara Dai Nippon(18) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(17) Bandara Dai Nippon(17) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_19.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(16) Bandara Dai Nippon(16) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_18.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_17.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_2.html

マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_10.html

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_9.html

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_8.html

マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_7.html

マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_6.html

マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_5.html

マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_4.html

マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_4.html

戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_4.html

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ヤーペン島嶼県(Kabupaten Kepulauan Yapen)
http://www.yapenwaropen.go.id

ビアク・ヌンホル県(Kabupaten Biak Numfor)
http://www.biak.go.id/

ソロン県(Kabupaten Sorong)
http://www.sorongkab.go.id/

南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan)
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サルミ県(Kabupaten Sarmi)
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ワローペン県(Kabupaten Waropen)
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ファクファク県(Kabupaten Fakfak)
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