東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島

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秋田県の南南西およそ4,360km。あるいは四国の室戸岬の真南約3,590km。西部ニューギニアの北およそ190km。そこに、太平洋戦史にもほとんど登場しない、忘れ去られた小さな島がある。その名をマピア諸島と言う。環礁の縁にできた四つの島から成る。この島で、秋田県で編成された帝国陸軍の一個中隊(小幡中隊長)が玉砕を遂げている。歩兵第223連隊(注:秘匿名は「雪3524部隊」1942.7.24以降連隊長は吉野直靖大佐)の第7中隊だ。
『濠北を征く』によれば、昭和19年(1944)5月時点における第二軍部隊配備表では、第36師団の歩兵第223連隊第7中隊が「在マピア部隊」となっている。この部隊は昭和19年6月以降、第35師団長の指揮下に置かれた。
マピア(Mapia)諸島は、マノクワリの北約190kmに位置する、環礁上の四つの島から成る。一番南に、長さ約4.2km、幅約400mの細長いペグン(Pegun)島、環礁の北側の東に、長さ約2.5km、最大幅約750mのブラス(Bras)島。その他、ペグン島近くに小さなバニルド(Vanildo)島とパナイロト(Panairotho)島がある。



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『濠北を征く』の「第35師団の作戦」(著者は小林公雄元第35師団参謀長)によれば、マピア島の守備隊は主として通信連絡の関係上、師団長指揮下に置かれた。なぜか?それはマピア諸島の位置に大いに関係している。1944年4月末、すでに中部ニューギニア北岸の日本軍飛行場群があったホランジア(現在のジャヤプラ)が陥落、翌月、連合軍は日本軍の飛行場があったワクデ(Wakde)も占拠、さらに第36師団所在地のサルミ東方に上陸を果たしていた。さらに5月末、連合軍は、日本軍の要衝であったビアク(Biak)島へ上陸、歩兵第222連隊を基幹とするビアク支隊(支隊長葛目直幸大佐)と激戦に突入していた。マピア諸島はビアク島の北西約300kmに位置し、想定される連合軍のフィリピン進軍のルート上にあった。さらに、ここには無線基地が置かれ、南から北・北西方面に向かう連合軍機をモニターし、その動きをいち早く関係部隊に連絡する使命を背負っていた。


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『濠北を征く』の「第二軍の作戦一般」の項で、豊嶋房太郎元第二軍司令官は次のようにマピアに関して触れている。「マノクワリの北方約百八十粁の海上にある猫額大のマピア島はニューギニア北岸に沿う敵の海上交通の要衝にあり、敵の航空基地としての利用を妨害する為、昭和十九年四月下旬第三十六師団の歩兵ニ百二十三連隊第七中隊を配備したのであるが、中隊長以下一致団結此の孤島の防衛に任じた。携行食糧僅に六箇月分に過ぎないので自活態勢を整えて居ったが、昭和十九年十月二十四日附電報以って連合軍諜者六名カヌーにて接近したけれども之れを水際にて撃滅したとの報告及乾電池の補給を要求して来たのを最後として連絡全く杜絶するに至った。軍としては舟艇を派遣し様としたが、之れに任せしむべき船の無いのと制空権のない海上の交通が不能で実現出来ず又空中偵察を具申したが戦況上之れに充当すべき飛行機なく、遂に目的を達成することが出来なかったのは遺憾とする処であった。同年十一月十六日連合軍側の放送は米軍の一部が同島に上陸したことを報じて居るので此頃同島の攻撃が実施せられたものと思われる。周囲数粁の扁平な珊瑚礁であるから寄方もなく全員孤軍奮闘遂に玉砕するに至ったものと思考せられ、誠に悲壮の極みであって、救援の手を差伸べる機会をも捕捉することの出来なかったのは申訳のない次第で心残の限りである」
ちなみに、昭和19年5月2日に、南方総軍に向けて発せられた大陸指(大本営指示)第1973号は『第35師団ノ第一次輸送部隊中所要ノ兵力を「マピア」諸島ニ派遣スルコトヲ得』と、マピア諸島への部隊配備を求めている。



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一方、同書の「第35師団の作戦」によれば、昭和19年8月20日頃、同守備隊から「一部の敵上陸し来るも撃退す」の無電が同師団に入った。次いで無線機の電池の欠乏を訴えてきたが、船も飛行機を派遣することもできずに、8月末には無線が途絶えた、という。「終戦後一名の生存者も聞かずその実相を知る事も出来なかったが、戦後聞くところによれば、敵の上陸に際しては守備隊長以下一致団結して勇戦奮闘し、最後はマピア島中央高地に拠って、最後の一兵に至る迄頑強に抵抗したという事で、真に絶賛に値するものであり、又哀悼に堪えない」---『濠北を征く』の「第35師団の作戦」の項で元参謀長がそう書いている。


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マピア諸島における日本軍との交戦に関しては、以下のような米軍兵らの記録がある。
例えば、米陸軍第6軍の特別偵察部隊Alamo Scoutsに所属したMichael F.Dilleyの記述によれば、1944年8月19日、一人のオーストラリア人パイロットが乗ったボーファイター(Beaufighter)機がマピア諸島で不時着、その捜索にPT Boat(哨戒魚雷艇)が出かけた。ペグン(Pegun)島を過ぎた所で、米第5空軍の3名の下士官が浜に上陸。そして艇は北側のブラス(Bras)島へ向かい、そこで飛行機を発見、修理を施した。再びペグン島に戻り3名の兵をピックアップしようとした時、一名の兵が浜を走りながら、魚雷艇に島を離れるように促した。すでに日本軍兵士が近くにやってきていたのだ。そして8月22日、アラモ偵察部隊が同島へ3名の救出に向かった。が、日本軍守備隊と交戦後、引き揚げた。三ヵ月後の11月、米167歩兵部隊がペグン島に、日本軍からの攻撃を受けることなく上陸。すでに日本軍はこの島を去り、北のブラス島に移っていた。ペグン島で米軍は3名の米空軍下士官の遺体を見つけた。その内二人は後ろ手に縛られ、後頭部から拳銃で射殺されていた、という。
http://www.alamoscouts.org/features/war_stories/pegun_island/main.htm

また、1944年11月15日に行われたマピア諸島上陸作戦に参加した第31師団第167歩兵連隊のDavid I.Garret.Jrが記した文章によれば、上陸に先立って数日間の空爆が行われた。初日にペグン島に上陸。島にいた一部日本兵は、珊瑚リーフを渡り、北のブラス島へ退却した。一方、数十名の日本兵はブラス島への退却路を塞がれ、ジャングルの端で爆薬による集団自決を遂げた。翌日、米軍はブラス島を攻撃、占拠に成功した。
http://www.pasificwreks.com/people/veterans/garrett/part7.html


これらの記録を読む限り、マピア諸島での日本軍玉砕は1944年11月15~16日のことと推定される。また、米軍公刊戦史によれば、同島における日本軍将兵の玉砕数は151名であった。


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1944年11月15日、米軍によるマピア諸島上陸作戦を支援した米航空部隊が撮影したペグン島(U.S.Army)


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1944年11月15日、米軍によるマピア諸島上陸作戦が始まった(U.S.Army)


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マピア諸島ペグン島の地図(Sumner Team at Pegun Islands by Michael F. Dilley
http://www.alamoscouts.org/features/war_stories/pegun_island/main.htm
Map of Pegun Island from 1944. (Map Courtesy of Don Darbyshire)



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【現在のマピア諸島情報】

2007年2月、インドネシア国軍海兵隊の20名がマピア諸島のブラス島に駐屯を開始し、1ヵ月交代のシフトで周辺水域の警備にあたっている。問題の多くはフィリピンや台湾漁船による不法操業。海兵隊は5隻のゴムボートを有しているが、漁船の方が遥かに高性能で、取り締まりは容易ではないとのこと。マピア諸島は行政的には、パプア州スピオリ(Supiori)県(県都はSorendiweri)西スピオリ郡(郡都はSabarmiokre)に属する。また海軍も将来12名を派遣し、小規模なポストを設置する計画を持っている。島民は、モロタイ(Morotai)島、北マルク(Maluk Utara)、スラウェシ島のブトン、そしてビアク島出身者など。生活の糧は椰子のコプラ採集。ビアク島からはパプア州政府所有の地域定期運行船でおよそ30時間。指輪のような形をした環礁は、面積37,769ヘクタール。最も人口が多い面積約332ヘクタールのブラス島では51世帯を数える。


【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(19) Bandara Dai Nippon(19) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_21.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(18) Bandara Dai Nippon(18) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_20.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(17) Bandara Dai Nippon(17) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_19.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(16) Bandara Dai Nippon(16) ソロン(Sorong)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_18.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_17.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_2.html

マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_10.html

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_9.html

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_8.html

マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_7.html

マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_6.html

マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_5.html

マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_4.html

マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_4.html

戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_3.html

西パプア州政府(Provinsi Papua Barat)
http://www.papuabaratprov.go.id/

パプア州政府(Provinsi Papua)
http://web.papua.go.id/

マノクワリ県(Kabupaten Manokwari)
http://www.manokwarikab.go.id/

ヤーペン島嶼県(Kabupaten Kepulauan Yapen)
http://www.yapenwaropen.go.id

ビアク・ヌンホル県(Kabupaten Biak Numfor)
http://www.biak.go.id/

ソロン県(Kabupaten Sorong)
http://www.sorongkab.go.id/

南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan)
http://sorongselatankab.go.id/

サルミ県(Kabupaten Sarmi)
http://www.sarmikab.go.id/

ワローペン県(Kabupaten Waropen)
http://www.waropenkab.go.id/

ファクファク県(Kabupaten Fakfak)
http://www.fakfakkab.go.id/

ビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)
http://www.bintunikab.go.id/

ウォンダマ県(Kabupaten Teluk Wondama)
http://www.telukwondama.go.id/

カイマナ県(Kabupaten Kaimana)
http://www.kaimanakab.go.id/

ジャヤプラ市(Kota Jayapura)
http://www.jayapurakota.go.id/

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